ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(4)

2017-02-10 23:59:06 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


この旅で唯一、日本海に面した町の訪問である江津(ごうつ)市。
三次(みよし)から実に約9時間かけてやっとこさ着きました。

江津本町(ごうつほんまち)駅→
秘境駅に認定されている駅ですが、この写真を見せたら、確かにさもありなんでしょう。
が、しかしです。

駅前の管が覆う短いトンネル?を抜けると・・・→

そこは集落であった→
単に山が邪魔をして見えないだけだったりする。
山がなかったら秘境駅に認定されてないと思います、きっと。

ところでこの集落は駅名と同じ「江津本町」。そして町並み・集落好きは見るべしな所。
何を以て見るべしなのかは、島根県西部・石見観光振興協議会の公式観光サイト「なつかしの国石見」に丸投げします。
「江戸時代、大森銀山に次ぐ北前船の寄港地として、また、天領米の積出港として賑わっていた江津本町。
石州瓦の主な生産地として赤い屋根が続く家並みと、天領の面影が残るこの地域を「夢」と「瓦」の2字に思いを託し
「天領江津本町甍(いらか)街道」として盛り上げようと地元の方々が取り組みを開始。2003年度には、夢街道ルネサンス推進会議により「モデル地区」に認定されました。」

↓江津本町甍街道、こんな町並み。
 

江津駅西側の市役所付近へ移動。
(617)島根県江津市役所
人口24,000人あまりは、山陰では最弱の市。
鉄道が開通すると商業活動地は隣の浜田市に取って代わられるも、砂丘が広がっていたのと江の川の水のお蔭で工場誘致に成功する。
「東京からの移動時間距離が全国で一番遠い都市(平成18年当時)」らしいけど、三江線沿線の町の方がよっぽど遠いと思うんだよね・・・。

ローマ字表記は「ごつ」のようです→

「人麻呂くん・よさみ姫」が市のPRキャラクター→
万葉歌人・柿本人麻呂は、江津で後の妻となる依羅娘子(よさみのおとめ)と出会い、多くの愛の歌を残す。
ただ、彼らに関する観光スポットへは遠くて行けません。

市のシンボル・島の星山(別名は高角山、標高470m)★→
昔、ここに隕石が落下したらしいことからこの名で呼ばれるようになったとか。
夏は夜になると、光輝くという。

しかし電線が邪魔すぎ。
昨夏以降、ワイドショーでお目にかからない日はない某知事さんの「日本人は電線病にかかっている」とは、蓋し名言!

↓国道9号線沿いのロードサイト店が集まっているここらが、市内でも一番人と車の行き交いが多そうです。


↓シャッターが目立つこちら駅前通り(ここも国道9号線)が古い頃の繁華街だったのだろうけど。


より海に近い江の川のほとりまで来てみます。
国道9号線(手前)とJR山陰線が並行しています→

河口→

ところで、この町に来てからずっと気になっていたのが、町中に漂う変な臭い
どうやらコレが犯人のよう→
製紙工場
私が本籍地としている愛媛県某市にもやはり超有名な製紙工場があって、同じように酷い悪臭を放っていますからね・・・。
「次亜塩素酸ナトリウム」という物質が原因らしいけど、とにかくあの臭いはたまりませんです(泣)。

江津駅→

↓駅前に賑わいを取り戻さんとしたのか?、昨年8月に開業したばかりの「パレットごうつ」。

大型の多目的施設。ただ、周囲はまだ足許がよろしくなく、若干見切り発車的な感じのオープン。

↓駅前にあった布袋様が指をさしていたので穴を覗いてみる。


?→
果たして何人が期待して覗いたことだろう。そして何人が騙されたことだろう。

帰りは16時41分発浜原行き→
江津を出た時、乗客私以外僅か8名。
ほとんど生徒だったけど、この時間は学校帰りでいっぱいのハズ、普通なら。
途中から乗って来たのは1人だけだし、終点浜原手前の粕淵(かすぶち)駅で誰もいなくなる。
そして浜原で乗り換えた列車が終点三次に着くまでに乗った客数、私以外たったの2人だけ。
お寒いを通り越して、痛すぎて凍えそうで最早目も当てられない惨状以外の何物でもない。
乗ってみて私なりの結論:三江線の廃止やむなし。JR西日本はよくこれまで我慢したよ!

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(3)

2017-02-04 23:53:23 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


4時間の暇つぶしは正直キツかったです。
↓やれやれようやく来たよ、と乗り込んだ列車の客数は私の他17名。

普段と比較して乗っている方?なんだかどうなんだか知りませんが、いずれにせよ2両も連結しているのはムダすぎ。

↓川本町(かわもとまち)の石見川本駅に12時9分到着。

表向きは乗った列車の終着駅。ですが約1時間半後に同じ方向に向かって運行を再開します。
なので、この列車は実質的には江津(ごうつ)行きで1時間半の停車。
でも客は皆が皆その間締め出しを食らいます。

↓駅舎
 
バリバリのJRパネルとヒョロヒョロ文字の駅名が哀愁を誘う。

駅を出て驚く。都会じゃん(笑)!→
粕渕も都会に感じましたが、それ以上。
ここら地域を管轄する行政機関が集まってきているらしく、町らしい町の姿でしたから。

ところで、私が乗って来た列車が駅に留まる間は、町にとってささやかな書き入れ時でもあるようです。
↓川本町観光協会の「PLUS M@X もっとかわもと」というサイトでは、こんな地図を掲載しています。

1時間半もの間露頭に迷う客?に精一杯のアピール、泣けてきます。

↓観光は勿論、お食事処情報も充実のそのサイトでは、「昭和レトロ」な駅周辺の弓市商店街でのお食事をせっせと勧めているのですが・・・。
 
粕渕のコンビニでおにぎりを買ってしまっていたのです。スマヌ、川本町。
ところで三江線が廃止となったら飲食店は一体・・・。
軒並み畳んで・・・なんて事ないのを祈ります。

(616)島根県邑智(おおち)郡川本町役場
町の面積は約100m2でその約7割を山林が占め、木炭・木材の集散地であった。特産は荏胡麻。
江戸時代には河港・市場町で栄える。
肝心の人口は約3,500人で、65歳以上の高齢化率は約45%。
45年後には人口が1,300人になるとの予想から、今後の町のあり方や将来人口の展望に関しての「川本町総合戦略」「川本町人口ビジョン」を策定しましたが、行く末は果たしてどうなるのだろう?

ところで、ここで記録に現れない?失策を犯してしまっていた事を自白しないといけませぬ。
町役場だと思って写した正面建物は、実は旧庁舎であったことが帰宅後判明!
写真右後ろに小さく写っている建物が昨年1月1日からの新庁舎でありました。

何故こうなったかというと、いつも旅に出る時にはスマホがないので地図を印刷して行くのですが(古典すぎ、苦笑)、不幸にもその地図は新しい場所への更新がされてなかったんですね(ヤ○ー、仕事しろよ!)。
疑いもなく、根っから信用しきっていたワケでして・・・。
でもこの旅の役所役場に行く(写す)理由は、単に市区町村制覇の証し以外の何ものでもないので、据わりは悪いんだけれども、結果的に撮影されていたので?、勝手ながら良しとします。

↓江の川の土手を歩いてみます。







それまで曇っていたのに、こういう時に限って急に日が照ってムチャクチャ暑くなったりする(ツキなし)。

右岸側の山には「仙岩寺」→
200段以上の石段を登った所にあるお寺さん。境内から見下ろす景色はさぞ素晴らしかろう。

同じく右岸側の「米くい岩」→

1時間半はあっという間に過ぎ、再び列車に乗って江津に向かいます。
↓沿線には因原駅・川戸駅周辺といったそれなりに開けた地区はあることはあります。
 
そのためか僅かながら乗ってくる人もいて、乗客は20人位にはなったけど、それでも寂しい乗車率には変わりなし・・・。

終点1つ手前の江津本町(ごうつほんまち)駅で下車→
広~~い河口のほとりにこじんまりと佇む駅。

牛山隆信氏の秘境駅ランキング第129位。
wikipediaによれば、10年前からこの駅の1日平均乗車員数、ナント0人!
三次への戻りはこの駅から乗る予定ではないので、残念ながらこの日の乗車員数1名にすること能わざるけど、こんな駅だから当然下車する人は私以外なし。

でも景色の良さ故、(金を払わない)入場者数は案外多いかも知れません。
事実、車でやって来たらしいアベックが、いい絵を求むべく撮りまくっておりましたし。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(2)

2017-02-03 23:56:09 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


↓浜原地区から三江線に沿ってブラブラ山を越えて、美郷町の中心集落・粕渕(かすぶち)へ。


駅前→
止まっている車の後ろの、三角屋根の小さい建物が駅。

小奇麗な感じの駅舎内→
実際には虫がやたら多く飛んでいるし、クモの巣だらけで、居心地はあまりよろしくない。

↓因みに駅名も「かすぶち」なんだけど、漢字表記は「粕淵」。


それまで北西に向かっていた江の川が、急に流れを南西に方向を変えるのですが、弧の外側の河岸段丘に形成されていている集落がここ粕渕。
その曲がる地点では多くの深い淵が連なっているので「数淵」と呼ばれて、それが粕淵となったのだという。

粕淵駅を出るとすぐに列車が渡る鉄橋→
脇に歩道があります。
廃線後は壊さず、きっと流行りのサイクリングロードにでもなるのだと勝手に推測。
そうなったとしても、ここへ通じる小道はヘビがたくさん這っていたので、気味悪がって人が多く来てくれるかどうか分からないけど。

ではでは、高台にある粕渕の町を巡ってみましょう。

メインストリート→
これまでずっと山と川しか見ていなかったので、妙に都会に感じるわ!(笑)。
人はいないんだけどね・・・。

ここをまっすぐ行くと突き当りとなりますが、そこに役場があります。

(615)島根県邑智(おおち)郡美郷町(みさとちょう)役場
本ブログで初登場、島根県の市町村。
これでまだ一か所の市町村もクリアしていない都道府県はただ一つを残すのみとなりました。
秋田県。いつ行ってやろうかな・・・。

平成16年に邑智町と大和村が合併してできた約5,000人が暮らす町。
多くの温泉があり、遠方から訪れる方々も数多く、江の川を活用したカヌーや火振り漁(ひぶりりょう)、鮎釣りなどの観光も人気があります、とは町のHP

↓「多くの温泉があり」のそのうちの一つが、役場の上にある「ゴールデンユートピアおおち」。

よく目立つ町の町のシンボル的建物。
他にプールがあるわ、テニスコートもあるわ、宿泊もお任せの多目的施設。

粕渕は江戸時代に、石見銀山で採れた銀を瀬戸内側の尾道に運ぶための「銀山街道」が設けられた町でもあります。
街道沿いの「小原本陣跡」→

↓街道をはずれたこの通りは、特に往時を感じられます。
 
幕末期は本陣であり、今は「亀遊亭」という旅館があり、奥には山陰の浄土真宗発祥という浄土寺が見えます。
それはともかく、我が家の宗派はまさに浄土真宗なので参拝すべきだったのですが、何故かその考えが私の脳ミソに全く湧いてこなかったのは大いなる不覚・・・。

昔役場として使われた建物→
赤瓦ばっかりの島根では特異な黒瓦の建物。

こちら円光寺→

境内にはたくさんのお地蔵さん→
町散策用のチラシには「チャーミングなお地蔵さんがたくさん」とある。
けど、こんなに多いとかえって不気味な気がする。

このお寺さんの前で、知り合いが来るのを待っているという可愛らしいお嬢様、ではなかった、婆ちゃんに声を掛けられる。
話しをしているうちにどうしてもこちらからは、三江線廃止の話しを振らざるを得ない。
婆ちゃん曰く、「病院に行くのに困るわぁ・・・」。
でもそれよりも、ある言葉を呟いた時にフッと浮かべた寂しげな表情がとても切なかったです。
若者がいなくなって、町の人がどんどん減っていってねぇ。空き家ばかりが増えて・・・

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(1)

2017-01-29 13:48:31 | 山陰
平成28(2016)年9月16日(金)


このブログを見てくれている人(いるのか?)のほとんどが旅好きであろうから(多分)、既に周知の事と見做して詳しく述べる事はしませんが、来年3月末で引導を渡されるのが決まり、カウントダウンが始まったJR三江(さんこう)線。
↓その一番列車(5時44分発)に乗るべく、まだ夜が明けず真っ暗な三次(みよし)駅に来ました。

一番を逃すと次は4時間後までありません。
もとより三江線は列車本数が極めて少なく、二番列車でこの日の行動を起こすと非常に苦しくなるので、早起きは仕方なし。
切符は前日のうちに三次⇔江津(ごうつ)の往復(¥3,880)を買っておきました。

もし、廃止前までに乗ろうという方は、「ぶらり三江線WEB」を参考にして下さい。
三江線利用促進のため、三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会が立ち上げたHPだったのですが、残念ながら水泡に帰してしまいました。
でも廃止されてもそのHPは残してくれれば観光に大いに役立ちそう。

↓三江線を知らない人のために一応地図を載せときます(ぶらり三江線WEBより)。


5時半すぎ、単行気動車が入線→

↓発車して直ぐに中国一の大河・中国太郎「江の川(ごうのかわ)」沿いを走るようになります。
 
少しでもバランスを崩したら、それこそ川へ真っ逆さまになりそうなスリルある「際」を走るので、慎重に慎重に人の駆け足並みに?しか速度を出しません。
でもノロノロしているのは、線路上に落石があった場合、安全に止まれるようになんだとか。

この日は平日、しかも早朝の列車なので、他にこれに乗ろうという物好きはいないだろうと思いきや、やっぱり他に誰もいません。降りる予定の浜原駅までずっと一人なんだろうかねえ・・・?。

ところが何故か途中の船佐という周囲に何にもない駅から一人若者が乗ってきて、何でこんな所から?と思っていたのも束の間、驚くべき事に次のこれまた何にもない所木駅でさっさと降りてしまう。
どうやら冷やかし記念乗車であったようですが、その御仁はどこから湧いてきてどこへ消えていったのだろう?

乗ること45分、作木口(さくぎぐち)駅→
「ゆっくりのんびり旅」において初めての島根県入り。
邑智郡邑南町にある駅ですが、しばしば難読地名として登場する郡と町。
おおちぐん・おおなんちょう
でも右側に流れる川の対岸は広島県三次市。

↓一人ぼっちのなのは変わらないまま、同じく邑南町の口羽(くちば)駅に6時38分着。
 
私の乗った列車は30分程止まります。

せっかく通ったのに・・・→

せっかく応援しているのに・・・→
悲しいのぉ、哀しいのぉ。
因みに、横断幕右下に書かれている「江の川鉄道」とは三江線の愛称。
ところが皮肉にも公募による愛称が決定したちょうど一年後に廃止の正式表明となる。

せっかく長い間止まるので、町をふらついてみます。

↓口羽は江の川の支流である出羽川が、陸上トラックのように半円弧を描いているような中にある集落。
赤褐色屋根瓦が印象的な古い町並み。
 
江戸中期から盛んだった「たたら製鉄」は明治時代に衰退、そこで林業が基幹産業となる。

↓口羽駅から2つ目、鉄オタには超有名な宇都井(うづい)駅から見下ろす集落。

駅ホームの高さは日本一(地上20m)の、いわゆる「天空の駅」。
そしてよく言われる事ですが、エレベーターがないので、自力で116段の階段を上らなければなりませぬ。
一度でいいから下から見上げてみたいし、階段も上り下りしてみたいけど、そもそも廃止されたらここ、どうなるんだろう?

↓石見都賀・石見松原の両駅から一人ずつ乗ってきて、私も入れて3人の乗客となり、7時45分浜原駅に到着。

邑智郡美郷町(みさとちょう)にある駅。

↓私以外には下車する人はいなかったのですが、駅前は生徒が数人いてそこそこの賑わい。

でも誰一人鉄道は使わないんだな・・・。

↓ここらでは通学にはスクールバスが幅を利かせているようなので、三江線は必要ないらしい。


駅周辺を散策します。
桂根八幡宮→
14世紀末に創建された神様。
私の背後にも鳥居があります。つまり列車は二つの鳥居の間を通ります。

江の川の土手へ。
浜原大橋→

橋から見る下流方向→
ひときわ目立つ高い山は三瓶山(さんべさん)。標高1,126mの活火山。

土手に沿う街道の集落→
浜原は川舟の中継地として栄えたようですが、何となくですが雰囲気は感じられますなあ。

これより山を越えて、美郷町の中心をなす粕渕(かすぶち)地区へ歩いて行きます。

 

参考→

162日目 あっけない再会でした、鳥取県

2017-01-21 22:36:59 | 山陰
平成28(2016)年9月15日(木)


江尾(えび)駅からは瀬戸内海側に進み、根雨(ねう)駅へ→
全員といっていいくらい下車。
あたかもゲロして、胃が空っぽになった状態がごときの新見行き電車。

↓駅の目の前が学校?、楽でいいなと思いきや・・・。

↑(612)鳥取県日野郡日野町(ひのちょう)役場
でございます。
平成28年12月1日時点で、町の人口は偶然でも出来すぎの3,333人町のHPより)。

駅舎に飾ってあった看板→
夕方民放番組なんかでよく出てくる有名な神様!
その名の通り「全国で唯一の縁起の良い名前の神社(町HPの観光ガイド)」って事で、金運開運祈願に多くが参拝する神様。
話しのネタとして行ってみるのもよかったんですが、駅から4km程あるし・・・。歩くには遠すぎ、諦めました。

由来としまして、「鎌倉幕府によって配流された後醍醐天皇が隠岐島から脱出した際、天皇を奉じて船上山へと義兵を挙げた元弘の忠臣・金持景藤が必勝祈願をしたと伝えられています。(町HPの観光ガイド)」という。
確かに漢字は「金持」だけど、読みは?
実は「かねもち」じゃなくて「かもち」。
本当に「かねもちじんじゃ」だったら、これ以上ないスーパーゴッドになれたんだけどな・・・。

さて、根雨は日野町の中心集落。
江戸時代は鳥取藩領で、町を流れる日野川で砂鉄がよく採れたらしく、そのために「たたら製鉄」で大いに栄えた出雲街道の宿場町。
↓ですので、その名残りを感じさせてくれる建物が散見できます。
 
因みにこの道をずっと南に向かえば金持神社に辿り着けます。

大近藤家→
たたら製鉄で財をなした根雨の豪商。
ただ、大正期には輸入鉄によって「たたら」は戦前までには根絶やしになってしまったようです。

旧出店近藤(明治元(1868)年築)→
現在は日野町公舎(たたらの楽校根雨楽舎)で、近藤さんちの分家。

↓「水琴窟(すいきんくつ)」が街道沿いにいくつか置いてあります。

バケツから水を汲んで甕に流すと、しばらくして水の落下音が聞こてくるというもの。
ただ、街路の両端に流れている水路のせせらぎがジャマして(せせらぎはこれはこれで非常に心地よい)、音がよく聞き取れんのですよ・・・。

国道181号線を歩く→
秋になると越冬のため、日野川にやってくるようです。早速行ってみましょう。

ところが何とまあ、電車の轟音で喧しい場所に集うとな→

どれどれと、隙間から覗く→
まだ時期じゃないのは知っていたけどさ・・・。多い時は1,000羽いるのだと。
日野町の鳥、どころか鳥取県の鳥でもあるそうです、オシドリ。

国道から駅を見下ろす→

↓日野町を去って電車に揺られること20分程度で、宮崎県のような名前の日南町(にちなんちょう)にある生山(しょうやま)駅へ。


タモリのような顔した町キャラにしては珍しく全くかわいくない系→
日南町にたくさんいるという天然記念物「オオサンショウウオ」と「おっさん」がかけ合わさったという。

駅前の商店街→

↓役場は駅からやや離れているので、駅から町営バス(¥200)で行きます。

町に僅かながらお金を落として自己満足に浸る。

(613)鳥取県日野郡日南町(にちなんちょう)役場
ここも古来より「たたら製鉄」が盛んだった所。
日野郡3町では一番多い、それでも人口は約5,000人。ここも日野町もそうですが、人口流出に歯止めがかかりません。

今や人口減問題は全国に広がっていますが、私が中学生の頃、社会科で習う過疎化問題を抱える地域と言えば「中国山地」でお決まりであったのを思うと、隔世の感があります。
中国山地の人口減の理由は確か、基幹産業である和牛飼育・林業の不振だったような・・・すっかり忘れましたが。

↓「町内材をふんだんに使った、木の香あふれる(日南町HP)」と自画自賛の庁舎。


道の駅にちなん日野川の郷→
町内産の野菜なんかが買えたりとか、それらで作った食事ができるとか、よく地方で見られる道の駅の典型的なタイプ駅。

↓都合のいい戻りのバスがないので、日野川沿いを歩いて駅へ。


生山駅12時20分発の電車に乗ります。
石霞渓(せっかけい)→
石見川・印賀川の両岸に広がる渓谷。
春は桜やツツジ、初夏は新緑や藤、秋は紅葉、冬は雪景色が楽しめるんだとか。

もう少ししたら岡山県に突入し、今回は二度と鳥取県には戻りません。3年振りだというに・・・。
6時すぎに来て、出ていくのは12時半頃と僅か四半日滞在。
ゴメンよ、という感じで鳥取県にお別れします。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

161・162日目 バスに乗って中国へ

2017-01-14 23:51:11 | 山陰
平成28(2016)年9月14日(水)・15日(木)


・山陰はかなりのご無沙汰。おまけに「ゆっくりのんびり旅」での進捗状況も悪い上、島根県は未踏
・廃止が必至な情勢で、首筋がお寒い状態にあった未体験の三江(さんこう)線にも乗ってみたい(結局、昨年9月1日にクビとする届けの提出をJRは表明する)。
・広島東洋カープ(私は赤ヘル党)が快進撃だったため、きっと大いに沸いているであろう広島の街の様子を見ておきたい
・個人的にまだ行った事のない軍港・呉に行きたい
このような思惑から、元々は10月のJR「秋の乗り放題パス(秋パス)」の発売時期に実行を予定していた中国を巡る旅。

ルートも千葉→東京→(夜行バス)→江府(こうふ)・江尾(えび)→備中神代(びっちゅうこうじろ)→三次(みよし)→三江線往復→三次→広島→呉→福山→(新幹線)→千葉
と考えた後、はて?秋パスを使うのと、普通に乗車券を買うのとではどちらが安くなるのだろう?、と思い始め比較検討してみたら乗車券の方が安く、ならば10月にこだわる必要もなかろうと、この9月の三連休を絡めた時期に繰り上げました。

もしかしたら、広島に行った日に優勝なんてあったらいいな、ともう一つの楽しみができたのですが(広島に行く予定日にちょうどMazda Zoom-Zoom スタジアムでの試合が組まれておりました)、残念なるかな、9月10日に決まってしまいました・・・。

↓事前に買った切符。
 

↓そんなワケで、帰宅を急ぐサラリーマンが行き交う中、キャメル号・米子行きに乗るため20時すぎにJR浜松町駅に到着。
 
キャメル号は私が乗る米子行きの他に、鳥取・倉吉行き(始発は共に品川)もあります。
愛称は鳥取砂丘からの由来らしく、鳥取・倉吉行きにはいいと思うけど、米子行きには大いに違和感。
キタロー号とでもした方が利用者には馴染みやすいのではないかな?

バス乗り場は世界貿易センタービル別館→
停留所はあたかも地下にあるっぽいけど、実はビル1階。

定刻20時50分より5分程度遅れての出発→

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓で、翌朝6時15分頃、道の駅奥大山が真ん前の江府(こうふ)ICバス停に到着。

降りたのは私一人だけ。
キャメル号、実は今回初めて乗ってみたのですが、3列シートでもやや窮屈だったのは仕方ない。
それよりも安い上に運行時間帯がとてもいいので、これかなり使える。
これまでは「サンライズ出雲」を使う事しか頭になかったけど、今後、山陰に行く時はキャメル号にするわ。

道の駅も掃除してくれている地元のおばちゃん以外、誰もいません。
ただ、そのおばちゃんがモップとかではなく素手でじかに雑巾を使って便器を拭いているのにはビックリ!
当たり前なんですが、このような公共施設の維持には誰かが汗を流してくれているんだよな、本当に感謝の極みです。

↓JR伯備(はくび)線と日野川に挟まれた国道181号線を2km程歩いて南下し、江府町の中心集落がある江尾(えび)駅周辺へ。
 

中世には江美と表記されたという江尾は江美城の城下で、江戸時代になると宿場として栄える。
↓日野往来の街並み。
 

お城はまだ残っているのか?→
と思いきや、あちこちでよく見られる模擬天守。

↓ヤキソバで有名な蒜山(ひるぜん)へと通じる街道の街並み。
 

(611)鳥取県日野郡江府町(こうふちょう)役場
人口は一昨年3月末で約3,200人。なので「3000人の楽しい町」を標榜しております。
でも、ここもご多分に漏れず年々人が減っているので、いつまで「3000人」を使っていられるんだろうかねえ?
「環境王国認定の町」でもあるのだと。知らないし・・・、「環境王国」。
よくよく調べてみたら、こんな素晴らしい取り組みはもっと世間にアピールしないといかん。

この町名は江尾+○府(府○)かと思っていました。
ところが町のHPによると、「町内を流れる日野川、俣野川、船谷川、小江尾川にちなみ「河川が合流し府(中心)となす」の意味で名付けられた」というなかなか凝ったもの。
でも、合成地名よりはマシかな。

役場付近から町を見下ろす→

江尾駅→

↓昔、こんな名前のタレントいたっけなあ。今はどうしているんだか・・・。

「江尾十七夜」とは、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた江美城主・蜂塚氏を偲んで始まったといわれ、毎年8月17日に催されるお祭り。

↓限りなく高校生だけの電車で、8時4分に江尾駅を後にします。

吊り広告の「浅草まつり」って、あの「東京の」浅草のまつりです。
要は浅草の名産を地方のデパートなんかで売ろうという「おまつり」なんだけど、浅草というそれなりのブランドある者がわざわざ地方に出向いて販売しているのにちょっと驚き。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

65日目 中国山地縦断・折り返し(2)~八頭郡

2014-01-06 23:56:34 | 山陰
2013年10月12日(土)


皆様、明けましておめでとうございます。
本年も、当ブログを宜しくお願いします。

さて、しばらく放置していましたが、ブログを再開します。
そんな訳で、早速前回の続きです。

鳥取駅を特急列車で発ったのですが、僅か8分の乗車と言うプチ贅沢?(ただ適当な時間の普通列車がなかっただけ・・・)で、八頭(やず)町の郡家(こおげ)駅で下車します。

郡家駅→

駅前の白兎像→
鳥取県の旧因幡(いなば)国地域はどこへ行ってもウサギだらけ。
それはさておき、古事記に載っている白兎の話しとは、ウサギがワニ(今で言うサメ)を騙したので、怒ったワニに毛を剥ぎ取られ、挙句の果てには神様の意地悪(そういう事をする神様もいるんだな。闇雲に神社という神社を参拝するのは考えものかも)により体中が傷だらけで真っ赤になってしまうといった、見かけの可愛さとは裏腹の案外悪者役でお気の毒役。
ま、最後は良かった良かったで終わるんですけど。

次の列車までの1時間で、ちょっとばかり町を散策してみましょう。

駅近くの様子→

ブラブラしていたらこういう看板を見つける→
どれどれ、行ってみよう。

↓白兎神社



何と言っても鳥取市にある白兎神社が有名で、そこでの詣では縁結びに効果があるらしいので興味のある方は是非行かれてみてはいかが?
一方、こちらの簡素な神社は八頭町にあるという3つの白兎神社のうちの一つ。天照大神が山に降臨された時、一匹のウサギが道しるべをしたという伝説があるそうです。

瓦の葺き替え作業中→
初めて見たな、こういうの。

葉っぱに銀杏がつくという「ハツキイチョウ」→

(324)鳥取県八頭(やず)郡八頭町(ちょう)役場

郡家駅10時7分発の若桜(わかさ)鉄道の列車(実際には遅れている他の列車到着待ちで、12分遅れで発車)で、長閑な中をトコトコ30分乗車。

↓人形を飾っている駅が多い



何だかちょっと不気味な感じ・・・。

↓若桜駅
 

駅構内の転車台と蒸気機関車→
転車台は手動式で国の登録有形文化財、蒸気機関車は観光列車として走らせているようです。

↓駅前右にあるお店は、何かのイベントか大売り出しか分かりませんが、けっこうな人で賑わっている。

だ~れもいない駅前は見飽きるほど見ましたが、こうしたのは田舎では珍しい光景。

元々の予定ではこの町の滞在時間は50分程度しかなかったところが、列車の遅延で40分位になってしまったので、急いで町を見て廻ります。

↓蔵通り



明治18(1885)年に若桜の街が大火事に見舞われてからは、この通りにあるお寺さんを火から守るために蔵しか建てられなくなり、この結果として蔵が密集しています。

↓仮屋通り





大火事の後、この通りの家には庇を、家の前には水路を設ける義務付けがなされ、昔は800メートル連なっていたので、雨が降っても傘なしでへっちゃらだったようです。

こちら仮屋通りにある「昭和おもちゃ館」→
昔懐かしいもの、いっぱい。

この家には福が来たのかな?→

(325)鳥取県八頭郡若桜町(ちょう)役場

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65日目 中国山地縦断・折り返し(1)~鳥取

2013-12-26 23:51:34 | 山陰
2013年10月12日(土)


折角このような遠い所に来た訳ですが、早速千葉に向けて帰ります。
と言っても、2日間かけてになりますけど・・・。

朝早く起きまして、5時半頃から市街地を散歩します。
今回はこれだけで鳥取市を後にします。
普通であれば、日本最大の砂丘であるとよく誤解されている鳥取砂丘(日本一広い砂丘は青森県の猿ヶ森砂丘)へ行くのでしょうが、一度行った事があるのもあるのですが、この近辺はあまり交通は便利ではないので、一つの町でグズグズできないというのもあります。

北口の花時計→

↓若桜(わかさ)通り、駅から県庁までの伸びる鳥取市の繁華街


アーケード街(サンロード)→
朝早くから、ご苦労なことです。

↓サンロードを出たところにある「鳥取民芸美術館の童子地蔵堂」
 
見ていると、切なく、物悲しくなる・・・。

末広通り→

再び、若桜通り。北の方向へ向けて歩きます→

袋川の若桜橋より→

知名度抜群のこの先生は、ここが選挙区→

(323)鳥取県鳥取市役所
鳥取という地名は、その名のとおり、鳥を捕まえてそれを朝廷に献上することを職業にしていた鳥取部という人達が住んでいたかららしいです。
案外職業を由来にした地名は多く、例えばお隣島根県に玉造温泉という温泉がありますが、これは勾玉を造る事を職業にしていた玉造部がいたから、といった感じ。

鳥取県から京都府にかけての海岸線は「山陰海岸ジオパーク」と認定されて、多種多様な地質・地形を基に、文化・歴史を学べる地域となっております。

鳥取県庁
ご存知、日本一人口の少ない県。鳥取県全部の市町村を合併しても、事実上、政令指定都市になれない少なさ・・・。

県庁から少し歩いた所、山は久松(きゅうしょう)山→
この山には鳥取城が築かれていましたが、今は城址が残っています。

吉川経家(きっかわつねいえ)像→
天正9(1581年)年、城に立て籠もった吉川経家は、羽柴秀吉率いる織田信長軍に城を取り囲まれ、来年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛の策ににより兵糧攻めに遭い、降伏し自害。
この戦いで城内ではかなり悲惨で阿鼻叫喚な状況であったことが、この像のそばにあった案内板に書かれてありました。

お堀→
そんな悲劇があったこともつゆ知らず、ここは平和そのもの。

城址はこの奥になります→

こんな感じで散歩を終え、再び駅へ。
駅南口の「因幡の白うさぎブロンズ像」→

鳥取駅構内→
電化されていない高架駅は、どうも違和感がありますなぁ。

特別急行スーパーはくと4号京都行き、8時53発で出発!→

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