ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

148日目 ゆいレール沿線そぞろ歩き

2016-04-30 00:28:24 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


沖縄の旅日記はこれで最終回。締めは沖縄唯一の鉄道(といってもモノレールですが)、ゆいレール沿線を中心に話しを進めます。

今回の宿泊地は、那覇新都心・おもろまち。
↓背後に、おもろまち駅(前日撮影)。

左の道は国道330号線で、戦前は沖縄県営鉄道嘉手納線がここを走っていたというのだけど、今ではそれを偲ぶものは一切なし。

右の盛り上がった所は、沖縄戦中に米軍が「シュガーローフ」と呼んだ丘のごく一部分で、そこは日米で5,000人もの戦死者が出たとされる最大の激戦地。
この場所で僅か70年前にそんな事があっただの想像し得ない現在。

↓首里城・首里金城町石畳道・栄町市場の後は、安里駅からモノレールに乗って県庁前駅へ。



安里駅下の通りは「ひめゆり通り(国道330号線)」。
国際通りへ行くつもりであったのですが、安里駅から歩いて行っても大した労力でもないけど、せっかく「ゆいレール1日乗車券」を持っているので、少しでも使い倒してやろうとケチ臭い魂胆。

県庁前駅ホームより→
そこらの県庁所在地の地方都市に比べてもかなりの都会。このホームからの街の眺めは私のお気に入り。

↓果たして実現するのか沖縄の鉄軌道。

今年中にルートを確定させるようですが、他にもいろいろと課題が多いらしく、私が生きている間にお目にかかれるのかなあ。因みに「沖縄鉄軌道計画案づくり」のサイト

沖縄県庁(正面の建物)→
琉球王国は、慶長14(1609)年以降薩摩藩に服従し、清にも朝貢してましたが、明治5(1872)年に琉球藩となり、その7年後に沖縄県が置かれる。
特殊合計出生率は全国1位で、少子化が叫ばれる昨今、人口が増加し続けているので、国立社会保障・人口問題研究所によると2010年から比較して2030年時点で唯一人口増加が推計される県。

(580)沖縄県那覇市役所
約32万人が住むも、県庁所在地都市の中でも面積が一番狭いので、首都圏・関西にある市町村を除けば人口密度1位の自治体。
古くは琉球王国の貿易港で、明治12(1879)年より県庁所在地となるも沖縄戦によって完全な焦土と化す。
因みに県庁と市役所は目と鼻の先にあります。

県庁北口交差点→

国際通り→
戦後、畑や湿地帯が広がっていたこの道に闇市が広がり、「アーニーパイル国際劇場」という映画館ができたのでこの通りの名前がついたという。
いち早く復興を遂げた事と、通りの長さがほぼ1マイルなので、別名「奇跡の1マイル」とも。
ただ、土産物屋や飲食店ばかりの金太郎飴みたいな通りなので、正直つまらん。

↓むつみ橋交差点に「味の時計台」がありましたので(前編写真参照)、沖縄で北海道のラーメンを食べるのもなかなかオツだなと思い入ってしまう。


牧志駅から再び乗車→

国場(こくば)川を渡る→
この川沿いの光景もかなり好き。

ところでこの反対側には、大きく広がった干潟というか、湿地帯があるのですが、その名を漫湖といいます(湖とありますが、実際は河川としての扱い)。ですが敢えてルビは振りません。
なぜならそれ、(東に住む人間にとっては)放送禁止用語の、とんでもない名前だったりする。
とは言っても固有名詞なので、テレビ・ラジオはその名前通りに読んでいるのか、大いに興味あるところ。

↓奥武山公園(おうのやまこうえん)駅から丸見え、沖縄セルラースタジアム那覇。

2月16日~25日まで、読売ジャイアンツ一軍の二次キャンプ地。

ここから旧海軍司令部壕へ歩いて行ったのですが、その時の事はコチラをご覧下さい。

ゆいレールには2つの日本最端駅があります。
最南端の駅・赤嶺駅→

↓最西端の駅・那覇空港駅。
  

↓帰りの成田行き(19時25分発)は、強風で折り返し便が遅れたので、20分程定刻を過ぎて出発。


沖縄から帰ってきて以降、極度の引き籠もりを発症してしまったので、とうとうネタが尽きました。
この大型連休でそれを仕入れてまいるつもりでおります。
もう始まってしまいましたが、では、皆さん良いゴールデンウィークを!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

148日目 観光客の訪れない昭和的那覇(2)

2016-04-24 00:59:01 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


前編の最後に載せた「壺屋うふシーサー」は、窯元が軒を連なる観光名所「壺屋やむちん通り」の入口にあります。
平成25年に設置されたこのシーサー、口や台座からミストが噴き出るらしいけど、冬の時期もそうなのかどうかは知りません。

↓シーサーから南東に向けては一本の通り「神原大通り」が走っています。

一見ごく普通の道路。
つい最近までは道幅はもっと狭い上に、建物が両側にひしめいて建っていたらしい。
さて、変哲もないこの通りがどうしたの?と思うでしょう。

戦後、那覇中心部はアメリカ軍に接収されて市民は生活の場所を失ったのですが、それが最初に解かれたのがここら一帯。
必然この通りは繁華街となり、デパートや映画館、商店が立ち並ぶようになり、今となってはウソみたいですが、沖縄一の繁華街だったという。
1950年代後半にその座を「国際通り」に譲ったのですが、いくら50年以上も前の事とは言え、ちっとはその名残りがあってもよさそうなものだけどねえ。

↓上の写真の左手にある、鮮やかな(?)青色の、継ぎ接ぎだらけで今にも壊れそうな、戦後の昭和そのままのバラックがイヤでも目に入る。



これは素晴らしい!文化財にしてもいいくらい(と個人的に思う)。
驚くべきは営業しているらしきお店が数軒あること。
しかも、正面左側にある「おでん六助」は、かの筑紫哲也氏が贔屓にしていたお店らしい。

↓ネコもたくさんいて、彼らの格好の雨露しのぎの場にもなっています。


↓この周辺は「神里原(かんざとばる) 社交街」という赤線地帯だったようで、嬉しいことにまだその名残りを感じさせてくれます。






↓そば屋は営業しているようで、実際安いのですが、でもこんな中じゃあ食欲沸かんがな・・・。




↓上の怪しく汚いウラ通りの先を左に折れると、それまで暗渠だったガーブ川が顔を出します。

この両岸にはこれまた最近まで、今にも川に崩れ落ちんばかりに小汚いバラックがひしめいていたという。

↓そのバラックとは「農連市場」の建物で、幸いにしてまだ残滓があるので、周辺と中を見てみましょう。


↓入口前の道路を挟んだ正面にあった自販機。
 
安すぎるが故にかえって怪しいのですが、売り方も怪しすぎる。

建物脇の路地→

↓市場の中ですが、既にもぬけの殻状態。



とにかくボロボロ。その一言に尽きます。でもこれがいいんだな!
深夜1~2時頃始まって夜が明ける頃には店仕舞いしてしまう「沖縄一朝(?)の早い市場」なんだそうですが、さすがにその時間に市場の様子を見に来る気は起こりません。
でも、もしかしたら面白い或いは驚きの光景を見ることができるんじゃないかなどと思ったりもします。

↓再び暗渠「ガーブ川」沿いの商店街を抜けて、「国際通り」の方に向かいます。





全国どこへ行ってもシャッター商店街ばかりが目につくので、賑やかな光景はとってもいい気分にさせてくれます。そして、有名観光地に行くよりも、こうした住民の日常を見ている方がやっぱり楽しいわ。

ところで、ガーブ川流域一帯は再開発を計画しているらしく、実際「農連市場」も一部破壊されております。
ガイドブックに載っている那覇しか知らない人にはカルチャーチョックを受けるだろう、こうしたディープな那覇を残して欲しいなあと思っているのはきっと私だけではないハズ?。

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148日目 観光客の訪れない昭和的那覇(1)

2016-04-21 23:58:01 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


ちょうど一週間前、9時のNHKニュースを見ていた時に突然の緊急地震速報。
まさかこんな事態になるとは第一報時点では全く想像していませんでした。

これまでそれほど熊本へは行ったことはないですけど、訪れた所では、見るも無残な姿となった熊本城はもちろんショックでしたが、それ以上に宇土市役所庁舎が倒壊寸前に追い込まれたのが衝撃的でした。
落ち着いた状態になったら、熊本へ行きたいなあ。

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この日はおおまかに、「泊埠頭ターミナル(とまりん)→首里城→首里金城町石畳道→国際通り→旧海軍司令部壕→沖縄空港」、そして帰路と行動したので、さも普通の観光客が行くような所しか行っていないかのごとく見えますが、実は男のロマンを探求する趣味の人(?)、或いは妖しい所好きには、かなり魅力的な場所も行って見たのでございまして・・・。

さて、今回強烈な印象を私に残してくれた那覇とは?

↓とまりん周辺


  
仕舞屋・あばら家が並ぶ、怪しい雰囲気の廃れ感タップリ飲み屋街。

↓首里城へ行く途中に寄ってみた、これぞ昭和レトロ!を思わせる場末の素晴らしい建物。

沖縄で一番古い映画館です。
昭和25(1950)年にオープンし、その当時は芝居・時代劇を始め、邦画・洋画も上映されていたらしいのですが、今では映画だけ。
中は入らなかったのですが、このホームページには内部の写真がありますので、興味のある方はどうぞ。

肝心の、今現在上映されている映画とは?→
まだこんなの生きていたんだ?と驚いたけど、映画館として営業しているのだから、それなりに見に来る人もいるのだろう(車も止まっているし)、そっちの方にもっとビックリしたわ。
学生の頃には時間潰しのためこういったのに何回か入った事があったなあ。
途中から飽きて寝落ちしていたけど(笑)

↓安里(あさと)駅近くにある市場。





那覇市民の日常がここにはありました。
この「栄町市場」は戦後闇市の発展形らしいですが、戦前は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校があった場所。ん?、その学校、どこかで聞いたことがあるぞ?
そう、有名な「ひめゆり学徒隊」を輩出した学校。そのためか、安里駅の下を通る道路(国道330号線)は「ひめゆり通り」といいます。

市場近くの「栄町社交街」→
社交街とは、アメリカ統治下時代に米軍を相手にしていた繁華街の事で、飲み屋街の場合もあるし、置屋街の場合もあるらしい。
この「栄町」は飲み屋が多かったけど、怪しげな安宿もあったし、ようわかりません。

国際通り「むつみ橋交差点」(頑張れ!くまモン)→

それはそうと、交差点名に「橋」がついているのに、辺りを見回しても「橋」はおろか、「川」すらもありません。
実は、「むつみ橋通り(左)」と「市場中央通り(右)」の間に川(ガーブ川という)が流れていて、その上を店舗が蓋をしている暗渠状態となっています。
因みにこの間の店舗をその名も「水上店舗」というようです。

まずは「むつみ橋通り」へ。
↓国際通りに近い所こそ観光客向けっぽいお店が並んでいますが、次第に市民向けの顔に変化します。
  



↓右側へ進む青い線は水路を示すそうです。
  

↓そのまま「新天地市場本通り」へとつながります。
  

↓なかなかディープな那覇商店街、でもさらなるディープインパクトを求めてもっと奥へと歩いていきます。


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148日目 逆ナン(?)で始まった朝

2016-04-15 01:14:16 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


緊急地震速報、連発です。さながら5年前のあの時のように。
阿蘇大噴火の前触れか?! 心配です、熊本。被害が軽くで済めばいいのだけど・・・。

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沖縄最後の日の朝は、あたかもちっぽけな台風が来たかのような不穏な天気。

不安を抱いた中、前日と同じくとまりんへ。
建物に入るや、めまいでクラクラする→
どいつもこいつも枕を並べて欠航。離島行きはあっけなく夢幻となる。
前日の渡嘉敷(とかしき)行きのキップ売り場のオバちゃんの、「午後から晴れてくるみたい」の言葉でこの日の船は大丈夫だろうとタカをくくっていた私は本当におめでたいわ。

恨めしくフェリーを眺める→

しばし呆然としていたものの、ずっとこうしていられるワケでもなく、これからどうしようか思案投げ首となる。
はたまた車を借りるか、それとも那覇市内をうろつくか・・・。

しょんぼりガイドブックをめくっていると、傍から「座間味(ざまみ)へ行くんですか?」と若いおねえちゃんの声
!? 振り向いて思わず「いやあ。渡嘉敷へ行こうと思っていたんですけどねえ」と答えると、ガッカリした表情(何で「そうです」と言わなかったんだ!)。

せっかくの暇潰しのいい話し相手ができたと思って、福岡から来たというその女性としばらく話しをする。
彼女は「座間味島の綺麗な景色を見たくて」、その為に10日も(!)有給休暇を取ったものの、那覇に来てみたらあいにくこのさま。

空港で座間味へのヘリコプター便があるとの情報に接したはいいけど、それは一回飛ばすと15万円かかるという(通常30万円なのですが、船が欠航すると半値になる)。それは最大5人乗りなので、うまくいけば割り勘して3万円で済む。
そこで船に乗れずに困っている人がいるのでは?と、とまりんに来たのだと。
3万円でも結構なお金。急いで行かなくても、長い休暇があるんだから那覇で1泊してから行けばいいのに、と言うも、彼女は何が何でもこの日のうちに島へ渡りたいと言う。そんなにそこは魅力的な所なのか?
でも座間味に行きそうな人はたったの一人もいないどころか、人自体がおりません。

 「車借りて、そこらをブラブラしません?」
誘ってみる(ナンパ目的では決してない)。すると、
「実は座間味に住んでいる彼がいるんです・・・」とやんわり拒否
島に一刻も早く行きたいのはそういう事ですか・・・。

しぶとく一所懸命同乗者を探すおねえちゃん(右)。

人生、諦めが肝心だよ。

結局、何だかんだで一人寂しく那覇市内をブラブラに決めました。
やっぱり島は晴れた時に行きたいよね、って事で自らを何とか慰める。

↓美栄橋(みえばし)駅からモノレールに乗って、儀保(ぎぼ)駅で降ります。




↓取り立てて行きたいワケではないのだけど、駅から歩いて那覇の鉄板スポット・首里城へ。


↓用意よろしく、不人気2000円札を取り出しての守礼門。

1年前くらいだったか、コンビニで2000円札を出したら、レジにいたのは若い女性店員でしたが、札に書かれている「弐千円」の「弐」という字に指さして、「これ、何て読むんですか?」と聞かれたのには思わず仰け反りました。
その女のコは外国人ならいさ知らず、れっきとした(?)日本人でした。
「この紙切れ、何ですか?」と突き返されなくて良かったかも(苦笑)。

さすが、平日と言えどもなかなかの混み様。
でも、日本語は全然聞こえません。そう、大陸から来た人ばかりです。ここが日本とは全く思えません。

お城の正門・歓会門→
ここでシナ大陸からの皇帝使者を歓待したから名付けられた門。

歓会門を潜る→
城壁には不格好な石が積まれています(芝にも横たわっています)。
これは戦争でお城が木っ端微塵に破壊される前からのもの。

首里城は詳しくは分かっていないようですが14世紀頃築かれたらしく、1406年に尚巴志(しょうはし)が居城として、1879年に明治政府に明け渡すまでの間の琉球王国の政治・外交・文化の中心地となる。
平成4年に復元されて、平成12年には城跡が世界文化遺産に登録される(復元建物や城壁は世界遺産ではない)。

↓湧き水「龍樋」が手前にあることに因んだ瑞泉門。


瑞泉門近くからの眺め→

奉神門→
御庭(うなー)と正殿への最後の門で、ここから先は有料。ですが、入らずにさっさと去ります。
こんな感じでサラッとお城は流しましたが、今年2月27日に放送された「ブラタモリ・首里編」が1か月早くやっていればもっと一所懸命見たのだろうけど。

↓首里城よりも寧ろ行きたかったのはこちら、お城からすぐの首里金城町石畳道。





沖縄戦では破壊を免れた石畳道。
お城と違って人もあまりおらず、落ち着いた雰囲気でのんびり散歩するのにとってもいい。

↓虫がいっぱい湧いていそうで、見ているだけで痒くなりそうな佇まいの「あばら家」。

平成13年のNHK朝ドラ「ちゅらさん」ロケ地の今です。

城の地下には誰も見向きもしない旧陸軍「第32軍司令部壕」という戦争遺跡があるのですが、見忘れた!

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147日目 東海岸側へ車を走らせる

2016-04-11 23:37:27 | 南西諸島
2016年2月1日(月)


日没の時間が迫ってきました。
手近に行ける所として、北中城村(きたなかぐすくそん)・中城村(なかぐすくそん)の2村へ行くことにします。

↓まず最初に訪れたのは、北中城村にある国重要文化財「中村家住宅」。

今回初めてここへ来たのですが、入るや「あれっ? 何かのテレビ番組で見たことがある建物だぞ??」
そう思いつつ、切符売り場(入場料\500)でその事を告げると「鶴瓶さんの・・・」。
あ~、そっか。いつだったかその番組をチラ見していたんだったわ。

↓280年前に建てられたとされ、室町時代の日本建築とシナ大陸の建築様式を併せ持った豪農屋敷。



そして、戦前の沖縄の住居建築の特徴が完備されていて、奇跡的に沖縄戦禍も免れた貴重な遺構。

↓豪農の家に相応しく(?)、厳つく怖そうな顔したシーサー。


↓折しも激しい雨降りとなる。



閑静な落ち着きのある佇まいに、石畳に落ちた時に響き渡る雫音が実に合っていて、とても心が穏やかになれたまったり時間を過ごす。

「いいものを見た」と満足して役場へ。
(578)沖縄県中頭(なかがみ)郡北中城村役場
すぐにでも町に昇格してもいいくらいの人口約17,000人を抱え、面積は約11.5k㎡と小さいので人口密度日本一の村(村としても日本第5位の人口の多さ)。
そして、女性長寿日本一の市町村(2010年時点・平均寿命89.0歳)でもあるようです。
以前は南の中城村の一部であったのが、北谷・嘉手納のケースと同じく、沖縄戦後に米軍施設が置かれた事によって南北が分断されたので昭和21(1946)年に分村。
東海岸部は肥沃な土地なため、農業が盛んな地域。

役場周辺を歩いてみる→

時期的に違和感大の注連飾り→

↓うろついていた中、思いがけず発見したものに衝撃が走る!

沖縄では滅多に他県ナンバーを見る事はなく、糸満で「横浜」ナンバーを見たときもビックリしたけど今回はそれ以上。こんな所でお目にかかれるとは!
家の敷地に止まっていたのですが、帰省中か、旅行中か、或いは転勤でここに来たのかを知りたかったのだけど、家の人が出てきてくれなかったので結局ナゾのまま。

↓モヤモヤした感情を抱いたまま、北中城村と中城村に跨る中城城跡に着いたのは18時頃。

標高160mに佇むお城で、1440年に護佐丸(ごさまる)という名築城家が国王の命で移り住み、改修・増築を行ったという。
6~9月だったら入場制限時間が18時なので入れたんですが・・・。
ま、一度来た事があるからいいと言えばいいんだけど、ここは何回来てもいい所だから残念と言えば残念。

福泉寺付近から見る中城村の東海岸→
見るからに普通に田舎。とても日本で4位にランクされる人口(約2万人)が住んでいる村とは思えないんだけど・・・。

(579)沖縄県中頭郡中城村役場

役場庁舎がボロすぎ→
今まで見た中でも指折りのかなりショボイ役場建物。大地震でも来たらヤバいんじゃないか?
「村」の役場だからこんな感じが似合っている気がしないでもないけど。

役場前の通り(国道329号線)→

役場のウラ通り→

個人的には痛車に見えた護佐丸バス→
「地形的に分断されている村東側の平坦地区と西側の台地地区間を結ぶ路線の確保や、公共交通空白地域における村内移動手段の確保が課題(村HPより)」を解決すべく登場したバスですが、それに応えられているか分からない2系統・一日わずか10便。

那覇に戻るべく、台地を登ってビックリする→
住宅街・ロードサイト店が広がり、およそ「村」らしくない光景となっておりました。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

147日目 西海岸を北上して沖縄本島中部へ

2016-04-08 22:00:11 | 南西諸島
2016年2月1日(月)


↓ヤシの木を眺めながら国道58号線を快適に走行。

右は東アジア最大の空軍基地(と、確か中学校の社会科で習った)である嘉手納(かでな)基地。

初めて沖縄に来た時の事。
北部から那覇へ向かった時に、この反対車線で渋滞のドつぼにハマってなかなか進まずにとても気を揉んだ事がありました。というのもレンタカーの返却時間が迫っていたから。

本島西側で南北を結ぶ道路は、基地が邪魔しているのでこの国道58号線しかなく、それでここに車が集中するのを全く知らなかったのでした。
結局、東側に逃れ高速道路を飛ばして、何とかギリギリ間に合ったんだけど。

↓(576)沖縄県中頭(なかがみ)郡嘉手納町(ちょう)役場

この町でキャンプを張る球団は、横浜DeNAベイスターズのファーム。

面積は15.12k㎡と、寧ろ小さいとも言えるこの自治体の約82%が米軍基地なため、ごくわずかな部分に約14,000人が押し込められている町。
元は南にある北谷(ちゃたん)村(今の北谷町)の一部であったのですが、昭和23(1948)年に嘉手納基地が立入禁止となって南北は分断され、嘉手納の住民は役場へ行くのに超大廻りしないとならなくなり著しい支障をきたすようになった情け容赦ないアメリカので、その年の12月に分村して嘉手納村がスタートする。

↓上の写真の所から先に進むと、大きく弧を描く道路があります。




沖縄総合事務局南部国道事務所HPより→
以前は日本最大のロータリーだったのですが、今現在は円になっておりません。

役場或いはロータリー付近に、昭和20年3月まで営業されていた沖縄県営鉄道・嘉手納駅があったらしいのですが、それは沖縄本島で最も北に位置する駅だったとの事。

↓これを最初に見た時は、このキャラの意味するところが全く分からなかったのですが・・・。

後で調べてみたら(私はスマホを持っていないので、すぐに情報を得ることができない)、慶長10(1605)年に野國總管という嘉手納の人が、シナ大陸からサツマイモを伝えて多くの人々を飢餓から救ったのだと。
そこで彼の功績を称えて、町ではサツマイモを「野国いも」と呼ぶ事にしたらしい。

新町通りの商店街→

↓さらに進むと、夜の帳が下りる前のひっそりした飲み屋街。




住宅街へ。
↓ロータリーといい、ここといい、交差点には凝っている嘉手納。


↓思わず笑ってしまった剽軽な(恐らく)シーサー。


南に踵を返して北谷町へ。

↓役場へ行く前に「浜屋」の浜屋そば(\630)を味わう。



鶏がらと豚骨をベースにしたという塩味の沖縄そばで、軟骨ソーキはとても軟らかい。
そして非常に美味!さすが沖縄でも上位に入る人気店だけあるわ!
だけど、店員はやや愛想がないのが残念。駐車場が狭いので2台しか置けないのも玉にキズ。

↓お店は海岸のすぐ近く。



波は結構シケてます。海鳴りもすごい。
これで船に乗っていたら、きっとダメージがハンパなかったのではないかな。

(577)沖縄県中頭郡北谷町役場
ここも嘉手納と同じくらいの面積のところに、米軍基地がおよそ半分を占める町。

海岸部には「美浜アメリカンビレッジ」といって、商業施設、レストラン、アミューズメント施設などが揃った人気スポットがあったりします。興味はないけど。
夜の姿の写真を見ましたが、映えていてなかなかいいかも。

↓役所の玄関では、ちょうど「節分の豆まきで「飲酒運転の鬼」退治大作戦」なるものをやっておりました。

ケチを付ける気は毛頭ないのだけど、ここでこんなことやって一体誰にアピールしているんだ?、というか何の意味があるのだろう?という気がしないでもない。

北谷町は中日ドラゴンズのキャンプ地→

↓役場の展望台からの眺め。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

147日目  狂いが生じ始めた沖縄滞在2日目

2016-04-05 23:28:42 | 南西諸島
2016年2月1日(月)


少女監禁で(悪い意味で)一躍知名度が上がった(?)我が稲毛で、今度はそこよりももっとウチに近い所(歩いて4・5分程度)でも事件発生! ますます稲毛のイメージが悪くなるなあ・・・。

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前日にレンタカーを返してしまった理由、それはこの日は粟国(あぐに)島、翌日は渡嘉敷(とかしき)島へ船で行くつもりだったから。
ところが前日の天気予報では、この日は曇りのち雨。それより心配は、波の高さ3~5m
イヤ~な予感

↓当日朝、船の運行はどうなんだ?と気が気でなく、飯も喉を通らんので、散歩がてらホテルから15分程歩いて8時半頃に泊埠頭(通称・とまりん)へ行ってみる。

するとどうだ?!

心配大的中



粟国島行きは一応出航し12時頃着くも、すぐに引き返してしまうんじゃあ意味なし!(通常なら14時10分に出航)この日の粟国行きはあっけなく露と消える。

ならば、渡嘉敷へ行こうか悩んでいたら、渡嘉敷行きの窓口にいたオバチャンが熱心に乗船を薦めてくる。
「どうしようか迷っているんです。粟国に行こうと思っていたんですけど・・・」
「粟国は外海だから、荒れると慣れた船員でも酔うよ」
そんなに恐ろしい所なのか・・・。粟国行きへのテンションがみるみるしぼむ

「明日の天気はどうなんでしょう?」と聞くと、「午後から晴れてくるみたい」。
その言葉で翌日の天気は大丈夫かと思い、「ちと考えます」と言って一旦ホテルに戻る。この日に島へ行くべきか、翌日にすべきか・・・(翌日の粟国行きの選択肢は既に頭から消えている)。

結論 今日・車、明日・渡嘉敷。
理由 もし今日車を借りれば返却時間まで思う存分乗れるし、明日車なら、19時半の便で沖縄を発つので、その分車で動ける時間・範囲が狭まる。

そうと決まったら早速、おもろまちのレンタカー屋に。
ところが手続きでミスを犯し、その処理の手間が増えたため出発は11時頃になってしまう。
旅先において一旦ケチがつくと、悪い流れからなかなか抜け出せない最悪のパターン。

問題はどこを廻るかなのですが、思いつきで西海岸に沿って北上することにする。
ただ、私はスマホといった気の利いたものは持っていないので、名所巡りの頼みの綱は手許のガイドブックのみ。

まずは、那覇市の北にある浦添(うらそえ)市へ。
(574)沖縄県浦添市役所
個人的にはずっと「うらえ」だと思い込んでいたわ。
12世紀から14世紀までの琉球の政治・文化・経済の中心地で、津々浦々を支配する意味の「ウラオソイ」が転訛して「ウラシイ」となり「浦添」を充てたのだという。
那覇市のベッドタウンとして人口も増加中の11万5千人程。
琉球政府時代の事ですが、豊見城市と同様に「村」から一足飛びに「市」に大出世を遂げる。

2月1日はプロ野球チームのキャンプインの日で、平成12年から東京ヤクルトスワローズが浦添市でキャンプを行っています。が、今年は初日から雨。出鼻をくじかれた格好。

↓庁舎に入ってみると、職員の人はスワローズのレプリカユニフォームを羽織っています。

車中、ラジオで聞いたニュースによると、選手たちはこの日の朝に市役所を表敬訪問したのだと。
もっと早く行けばその様子を見ることができたのか・・・。
因みにキャンプをする浦添市民球場は市役所のすぐ近く。

↓役所入口では雨の降りしきる中、(恐らく)役所に用事の飼い主に放置された(?)らしきワンが、ビショビショになりながらも健気に待ち続けている様子があはれ・・・。


なので少し相手する→
カワイイ。とても人懐っこいワンでした。

ガイドブックを見ても特に浦添で行きたいと思うような所はないのだけど、それでも「浦添グスク・ようどれ館」があるので行ってみる。

ですが、月曜日は博物館休館が多いんでした、忘れとった・・・。どうもうまくいきません。
「浦添ようどれ」とは、浦添グスクの崖下にある琉球王国初期の墳墓ですが、現在のは戦争で壊滅したものを復元したものらしい。

そこから見る市街地→
モヤっていて景色は良くないし。

市街地のサンパーク通り→

こんな感じでアテなく浦添市街地を車でウロウロしてから、次に宜野湾(ぎのわん)市へ。
(575)沖縄県宜野湾市役所
辺野古沖への移設問題でしばしばニュースに取り上げられ、世界一危険とされる「普天間基地(正式には「海兵隊普天間航空基地」)のある市。
市域の真ん中にドンと基地があり、それを住宅地が取り囲んでいてあたかもドーナツのようになっており、基地だけでの市の面積の約4分の1を占めております。
ここも人口は増加の一途で10万人目前。

基地と同じ地名、その名も宜野湾市普天間へ何となく行ってみる。

奥の藪になっている箇所が基地→
米軍にも一応引け目があるらしく(?)、地元への配慮はそれなりにしているよう。

↓国道330号線に面した商店街。

市民がいかに飛行機騒音で苦しんでいるかが分かる「静かな日々を返せ!」の横断幕。
実際、やかましいのなんの。

廃れ感漂うビルが多いです→

↓アメリカ施政下時代の名残りっぽいお店が見られた商店街。


↓どなたかノミ・ダニの持ち帰り方、教えてくれんかの・・・。


向こう側にある非常に気になった食堂→
名前に偽りなし、V字の鋭角の所で営業しています。

↓飲み屋が多いこの辺を「ゴシャロ」というらしいです


普天間宮(拝殿)→
琉球古神道神を祀っている上に、熊野権現も合祀している神社。
普天満宮洞穴という鍾乳洞があるらしく、興味はあったのですが、探しても探しても探しても探しても入口が見当たりません。
後で知ったことですが、拝殿の授与所で申し込めないと穴に入れないらしいです。
ま、今度だな。

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