ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

140日目 ナマコで埋め尽くされた明治の薫り漂う町 

2015-12-26 23:59:02 | 東海
2015年10月11日(日)


今週火曜日に、ある税理士と先日の南房総に誘ってくれた中学の悪友と3人で飲んだ時の事。
税理士が突然「いい節税方法があるんだよ」と言い始める。
私「ふるさと納税くらいしか思いつかないなあ・・・」
税理士「それ、それ!」
私「ふるさと納税は知ってますけど、オマケが付いてくる以外知らんのです。何がいいんですか?」
税理士「まず、2,000円を超えた部分は控除となる、それとやっぱりオマケ」
私「納税したらその分余計に住民税を払う事になるんじゃ?」
税理士「いやいや、納税された役所から住んでいる役所に通知されて、納めた分が住民税から引かれるんだ」
私「全国あちこち趣味で行ってましてね、オマケは別にどうでもいいんですけど、肩入れしたくなるような地方の市町村が多いんですよ。」
税理士「納税したい市町村をたくさん知っているなんて羨ましい。ふるさと納税の本来あるべき姿だ」
私「でももう年末だし、間に合わないよなあ・・・」
税理士「クレジット払いができる所もあるから」

実際、ふるさと納税を考えた事があったのも事実(納税はしていないけど)で、今年行った中で「肩入れしたくなった」自治体の例として、高知県・馬路村北海道・歌志内市なんかがありまして。
税理士の話しを聞いてあまり損もなさそうだし、目下納税市町村をピックアップ中。
千葉市には悪いけどホンのちょっぴり泣いてもらうわ。

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↓一晩過ごした松崎町(まつざきちょう)・「道の駅・花の三聖苑伊豆松崎」のシンボル・花時計。

直径11m。駅名の由来となった「三聖」とは、江戸~明治時代に活躍した町出身の三人のお偉いさんの事。敷地内には町の歴史を物語る古い建物が移設されております。

市街地に行きイオンにて駐車し、昨晩から降り続く雨の中を散策開始。
↓イオン近くにある那賀川に架かる「宮の前橋」

橋にはその町の特徴や売りとなるものが描かれたり施されたりする事が多く、ここ松崎町の売りがこれを見れば分かるというもの。

(553)静岡県賀茂郡松崎町役場
史跡・古刹が多く、なまこ壁があちこちに点在する落ち着いた街並みが特徴の町。
なので映画・ドラマのロケ地として使われることもしばしば。
私はドラマ音痴の中の音痴なので全く知らないけど、例として「世界の中心で、愛をさけぶ」なんてものがあるようです。
温泉も多い「花とロマンの里」松崎町、人口約7,000人。

明治商家中瀬邸→
明治20(1887)年に呉服商家として建てられ、昭和63(1988)年に町が買い取ったもの。

なまこ壁とは、平らな瓦を壁に張りつけ、目地の部分は漆喰を盛り上げた形に塗ったもので、保温・防湿・防虫、火災・盗難防止に作られ、たくさんのお金と労力を要するらしい。
そもそもこれらがどうして「まなこ」壁と呼ばれるのか? 海にいる海鼠(ナマコ)と関係あるのか?
まさに由来は海鼠からで、姿かたちが似ているからだというのですが・・・。

↓では、論より証拠、Wikipediaからその海鼠にご登場願おう(閲覧注意)。

う~~ん、似ていますか? これじゃ名前の由来が全く分からんよなあ。
どうやら壁の漆喰目地の盛り上がった部分が、海鼠に似ているところからなのだと。

中瀬邸の横から商店が連なる→
左の建物は「広瀬邸」。二度と開きそうにない店入口上にある表記となまこ壁の古い建物が全くマッチしていない様がまたいい。

食の名物はこういうのがあります→
海に近いのに、海系のものはないんだな、これが。

商店街を一通り歩いたら海の方へ→
夏は海水浴客で賑わうという松崎海岸。

↓松崎港

カツオ・マグロなどの遠洋漁業根拠地となる港で、客船の発着はなし。右の神社は瀬崎神社


港の山側。ここで那賀川(左)と岩科川(右)が合流します。

那賀川の左岸側へ向かいます→
右の建物は「依田邸」。

↓町で一番厚いなまこ壁のある「伊豆文邸」
 
明治43年築の元呉服商で、現在は無料の休憩所となっており、庭には足湯もあります。
ちと休憩しようと入るも、中からラジオ(写真のこのボロい骨董的なもの)の音が聞こえており、事務員でもいるものと思ってましたが誰もおらず。非常に気味が悪い空間でありました。

↓伊豆文邸の正面は、天然掛け流し温泉旅館「山光荘」


町の観光情報はここで→

そのお隣は「近藤邸」→
東京帝大薬学主任教授で、アルカロイド研究に大きな足跡を残したという近藤平三郎博士の生家。
薬問屋を営んでいたそうで、やっぱりお金持ちの家はそれ相当の教育ができるんだな。盛んに言われている教育格差は今に始まった事ではなく・・・。

↓近藤邸の横は、町のシンボルともいうべき「なまこ壁通り」。

奥の赤で目立つお寺さんは「浄泉寺」。

これを奥に進んで行くと・・・→
垣根にこっそり置いてあった、外で用を足しているような(息んでいるようにも見える)この像、もうちょっと堂々と飾っていてもいいと思うけど。なまこばかりもつまらないのでオマケ。

那賀川の「ときわ大橋」→
分かりづらいですが、桜・燕が漆喰で描かれております。そして奥にあるのが最初に紹介した中瀬邸。

江戸末期の漆喰細工の名人と謳われた入江長八に関する「長八記念館」というのもあるのだけど、そこは申し訳ないけどパス。
でも、いいですね、松崎町。伊豆でシッポリと古えを味わいという方にはオススメです!
次にちょっと離れた町のもう一つの看板名所に行ったのですが、それは次回。

さて、今年のブログはこれにて終了です。
どうもありがとうございました、また来年お目にかかりましょう。
良いお年を。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

139日目 西伊豆の日露友好の地を訪れる 

2015-12-23 23:59:32 | 東海
2015年10月10日(土)


今でこそ沼津市に呑み込まれてしまいましたが、かつて伊豆半島の北西部に「戸田」と書いて「へだ」と呼ばれる村がありました。
私は以前からこの村の存在を知っておりまして、どんな所だろうとかなり興味を持っておりました。
ただ、えらい田舎の廃れた村でつまらない所かな、なんて勝手に想像していたのも事実ですが。

そんな戸田を目前にした「出逢い岬」で一旦停車。そこからの景色を見る。そして私はあっと驚く。
面白い地形、だけど美しい→
天然の良港「戸田港」とヒョロヒョロと海に突き出た砂嘴「御浜岬」。
それまでは戸田をちょっと小バカにしていたのが、ガラリと印象が変わった一瞬。
これは町巡りも期待できそう。

早速、御浜岬へ。
↓そこには「戸田造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館」があります。

ここのサイトによれば「幕末にロシア人と戸田の船大工の協力によって建造された、日本初の本格的洋式帆船「ヘダ号」の造船資料や日露友好の歴史を紹介しています。また、併設の駿河湾深海生物館では、約300種の珍しい深海魚の剥製や標本を展示」している博物館。

話しは幕末時代に遡ります。
ロシア皇帝・ニコライ一世に日本との国交樹立交渉の命を受けたプチャーチンは、「ディアナ号」で来日する。
そして幕府の指示で静岡県・下田でそれは始まったのですが、不幸な事に嘉永7(1854)年に発生した安政東海大地震による津波で「ディアナ号」は大破し、船体の修理のために戸田へ向かうも、強風と大波により戸田港を見る事なく駿河湾であえなく沈没。
「ヘダ号」とは、プチャーチンの帰国のために建造した100tの帆船で、僅か3ヶ月で完成させたのみならず、船大工の優れた技術・道具はロシア人を驚かせたといいます。

時間にして16時を少し回っていましたが、折角なので閉館(17時)まで見てみる事にします。
ただ、写真は「駿河湾深海生物館」しか許されませんでしたので、あしからず。

↓「ディアナ号の碇」は博物館入口横にあるのでこれは取り放題です。


↓「駿河湾深海生物館」内の写真は持ち腐れとなるくらい撮りました。


世界最大のカニ「タカアシガニ」→
脚を広げると何と3m!

↓オスが惨めすぎる「ミツクリエナガチョウチンアンコウ」。


生きた化石「ラブカ」→

↓名前に「サケ(鮭)」とあるけど、どう見てもサケではない。

これが釣れると鮭もたくさん獲れるらしく、だから「鮭頭」なんだとか。体長2.9m。

ところでこの戸田には、駿河湾で獲れる深海魚を料理して提供するお店がとても多いのです(私はそれにありつけなかったけど)。

岬の先っぽ→

御浜海岸より戸田市街の方→

戸田の中心街もブラついてみる。

↓戸田港





看板にある美しい夕日を見てみたかった・・・。

↓大通り(県道17号線)



上の通路で繋がっているこの立派なホテルは今では仕舞屋となっていて、ここだけ薄気味悪い空気が漂っています。





鄙びていてのどかな戸田、とってもいいじゃないですか!
表通りもですが、裏通りの民家が軒を連ねる佇まいもなかなか趣きがありました。
それに深海魚は美味しいんだろうし(ただ、お値段がちと高そうでしたが)、岬散策もいいし、港周辺には温泉もある。
ちょっとした骨休めに絶好の場所と思います。穴場だわ、ここ!

↓でも、ここには泊まらずさらに南の松崎町まで行き、「道の駅・花の三聖苑伊豆松崎」内の「かじかの湯」で汗を流してそのまま車中泊。



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139日目 金運神社参拝4回目、ついでに西伊豆へ

2015-12-19 23:35:29 | 目的地へ(から)移動
2015年10月10日(土)


前回は魔が差して10月の旅を飛ばして、酔いどれ慰安旅行を先にブログしましたが、特に深い意味はありません。今後もああいう番外編を突然入れることもありうるという事で。

10月3連休時に、金欲剥き出しで毎年恒例の新屋山神社(山梨県富士吉田市)に行ってまいりました。
因みに、昨年2年前3年前

働いて得た金は旅には一切使わず、貯金を投資に廻してそれによるあぶく銭で充てようとする思惑は、日本に程近い某国のせいで今年に限ってはご破産。
まあ、仕事面はボチボチだし、何より大病を患うこともなく(尿管結石は除く)、それらだけでも金運神社様には感謝しないといけないですな。

新屋山神社本宮→
この神社はこれまでは一般の人でも祝詞台に上がってお参りできたのですが、私が訪れた前日(10月9日)よりダメになってしまいました。理由は宮司さんが変わり、新しい宮司さんがそれを認めなくなったから。
以前の宮司さんはそういう意味で非常に寛大でまさに神様だったワケだ(別に新しい宮司さんの悪口を言っているのではない)。でも残念以外ないなあ。

さらに山の上にある奥宮へ向かう。
↓晴れていなくて残念ですが、一応富士山は拝めました。ただ・・・。



今年の富士山の初冠雪は10月11日。一日ずらしていれば・・・。悔しいのぉ、悔しいのぉ。

↓富士山の2合目に鎮座する「新屋山神社奥宮」。

どこかの会社の団体が来て集団でお祓いを受けています。寒さを凌ぐためにサルが身を寄せ合っているかのようで滑稽そのもの。
それよりも大勢でお参りするので、全員がそれを終えるまでとても時間がかかる。お参りしたい私はイライラし通し。正直邪魔で仕方ない。

↓何でだか分からないけど、今までにはなかった神社直々のハガキが今年は来ました。

祝詞台に上げなかった詫び? ではなく普通にお礼状。実に腰の低い神様だこと。でも神々しく感じるわ。有り難や有り難や、部屋に飾っておこう。

さてさて、いつもですとこの神社にお参りしたら近隣の市町村へまっしぐらでしたが、今回はかなりご無沙汰している伊豆半島へ足を伸ばしてその西側海沿いをひたすら走る事にしています。
なので、東富士五湖道路→国道138号線→東海自動車道を経て静岡県沼津市へ。

ところで西伊豆へ向かうには沼津市街地を突っ切るのですが、寄りたい所が目白押し。
展望施設を兼ねた大型水門「びゅうお」や「沼津港深海水族館・シーラカンスミュージアム」などがある沼津港周辺、「沼津御用邸記念公園・歴史民俗資料館」などなどですが、それらに行っている時間がありません。

↓内浦湾の沼津市・重寺(しげでら)地区まで行って車を止めます。

重寺港と淡島。
淡島は島全体が「あわしまマリンパーク」として、レジャーパークとなっていて水族館や「海獣」が見られるプール、展示種類日本一という「カエル館」などがあります。

↓以前は珍しい海上ロープウェイで行けたのですが、今では3分間乗船して島へ渡ります。


↓太公望がたくさんいて、実に穏やかで平和な時間がここでは流れております。

この時期はイカがよく釣れるらしいです。

港の正面→

↓伊豆に来たらやっぱり魚食べんと始まりませんな。

伊豆海というお店で「伊豆海おまかせ丼(\1700)」に舌鼓。満足、満足。

西浦長浜から淡島の方を見る→

やたら帆柱の高い漁船が多く見られる→
駿河湾で得られる恵みの豊かさを示しているかのよう。

↓西浦江梨(沼津市)より大瀬崎を見る。



駿河湾に約1km突き出た砂嘴(さし)で別名・琵琶島。
晴れていれば海越しに美しい富士山が見られる絶景のハズなんだけど・・・。

↓大瀬崎の先っぽには「神池」という池があるのですが、海のすぐ傍だというのに淡水の池であるので、「伊豆七不思議」の一つに数えられています。しかも池には多くの鯉が泳いでいるという。

こんなに海に近いのに、自然というものは本当に不思議な事をやってのけてくれる。

マリンレジャーが盛んな所→

煌(きら)きの丘(沼津市)→
クドイですが、晴れていれば海面がキラキラと煌めいて見えるらしく、それが故で名付けられた丘。

井田集落を見下ろす→
他人事だけど、ここに津波でも来たらひとたまりもないなあ、住んでいて怖くないかねえと感心してしまうワケです。

眼下に見える池は「明神池」→

セリーグ・クライマックスシリーズ読売対阪神戦を聞きながら、海沿いを更に南へ南へ走ります。

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番外編 忘年会in南房総

2015-12-16 23:54:44 | 南関東
2015年12月11日(金)・12日(土)


12月にしては異常に暑く、風が強烈だった先週金曜日に、千葉県最南端の南房総市に泊りがけで行ってまいりました。

宿泊処は、「伊東園ホテルグループ・南国ホテル」。房総半島最南端・野島埼(のじまさき)が目と鼻の先の、白浜温泉(千葉にもちゃっかり白浜温泉があるのじゃ)にあるホテル。

ここの最大の売りは、何といっても宿泊施設にしては珍しい「365日同一価格(大人一人税別7,800円)」で、朝・夕ともに飲み食い放題。のみならず夕飯時にはカニが食い放題だったりする(大したカニではなかったけど)
こんなに大盤振る舞いしていて大丈夫なのか、かえって心配したくなるような、食うだけが目当ての客には嬉しいホテル(建物は古いけどそこは目をつぶろう)。

ここに私を呼んでくれた御仁は、今年3月の養老渓谷への慰安旅行に拉致してくれた中学同級生である会社社長。
養老渓谷に行ってから、どうやら慰安旅行に目覚めたらしい。

前回同様金曜日に決行で、別動隊は3時にはホテル着のところ、私は自分の生業の都合上遅刻。
↓強風で運転が難儀な中、館山自動車道を飛ばして、どっぷり暮れてしまった18時前に到着。


 

ロウソクのような野島埼灯台→

ゆっくりする暇もなくすぐさま夕食→
ここの夕食はバイキング形式。
最初は芋を洗うようなゲキ混みだったのが、食事時間終了近くになると、この過疎っぷり。
最後まで浅ましく貪っていたのは我々と写真のあるグループの2組のみ。

お次は24時までカラオケ→
個室ではなくオープンなカラオケ場につき「公開のど自慢大会」となってしまうので、自他共に認める音痴の人にはオススメしません。

その後はもちろん部屋飲み。

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爽やかな朝です→

爽やか台なし、荒みきった部屋→

しかも一人だけ騒音公害で訴えたくなるレベルの大イビキをかくのがいまして、ほとんど寝られなかったし・・・。

↓温泉に浸かったり、ダラダラまったりしたりして、11時に出発。


↓道の駅・南房パラダイス(館山市)
 
ハワイかぶれチックな道の駅で、別名・ナンパラ。

レストランもハワイアン→
和牛ロコモコ(\1,480)。ホンネはうどんかそばを食べたかったんだけど。
団体旅行は楽しいけど、ある程度行動も縛られるので善し悪しだなあ。

富士山がかすかに見えます→
伊豆大島も見えます。しかもかなりでっかく。

館山体験工房

↓ガラスを溶かしてのトンボ玉や、貝や海などでフレームを作ったりできます。
 
ここの旦那、多くの客と接しているせいか話術に長けていて面白い。

みなとオアシス「渚の駅たてやま」→

「海辺の広場」の水槽→
この魚、水面上に体を出してずっと泳いでいます。お魚の世界にも変わり者や目立ちたがりがいるようです。

館山湾が一望→
やっぱり海はいいなあ。

千葉に帰ってからも、反省会と称してまた飲み。いい加減にしてくれ~。

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138日目 9月の大型連休旅・終章

2015-12-15 23:59:28 | 北東北
2015年9月22日(火)


14時半頃、盛岡駅到着。
東北新幹線の改札→
そろそろ帰省先から帰る客で混み始めそうな頃ですが、まだそんな気配はなし。

在来線ホームへの跨線橋→
人っ子一人いません。気味悪すぎ。

東北新幹線が終点だった頃ですら在来線ホームは列車が発着する以外はひっそり閑散とした印象を持っていましたが、途中駅になってからは一層過疎化が進行している感じ。
列車本数に比べて明らかにホームの数が多すぎる。

ホームに降りたら少しは人がいたけど→
それでもひっそり感満載。

これより盛岡市南にあるベットタウンである2町を廻りますが、今まで経験だと「ベッドタウン」なる所は街巡りにはあまり魅力的でないケースが多く(特に駅周辺は)、結果的にはここもそれでありました。

矢幅(やはば)駅→
今年7月にここであたら若い一つの命が失われました。その報道を聞くにつけ、可哀そうでやるせない思いを抱かずにはいられなかった人もきっと多かったでしょう。冥福を祈り手を合わせる。

岩手のシンボル・岩手山(2,038m)→
盛岡から見ると富士山のように見える事から「岩手富士」とも呼ばれている火山。
たまたまだとは思いますが、本家富士山同様300年程マグマ噴火なし。

健康になろうとするのはいい事→
だけど、1日平均の塩分摂取量が男女ともに全国堂々第1位の岩手県。まずはそこからだな。

駅東側→
再開発中らしく、道路も大掛かりな拡張工事中。

一方の駅西側は駅付近こそ再開発したばかりの感はあるけど、ちょっと奥に進むと旧態然の町並み。

↓敢えてしているのか分からないけど、ズーズー弁丸出し看板。


↓あたかも歯の治療に来るのが楽しそうな錯覚に陥りそうだ。


↓(551)岩手県紫波(しわ)郡矢巾町(やはばちょう)役場

これで幾つ目の紹介なんだろう、町名(矢巾)と駅名(矢幅)の表記が違うケース。
人口は増加傾向の約27,000人で、財政力指数も県内第3位(平成22年)と、岩手県でも恵まれた町。
今ではベッドタウンの町の感ある矢巾町ですが、元々は稲作が盛んな地域。
弘仁3(812)年に征夷大将軍文室綿麻呂により築かれた、蝦夷征伐の最前線基地となった律令制度最後の柵城である徳丹(とくたん)城の跡があります。

紫波中央駅(盛岡方向)→

↓出口は西側だけ



平成10年3月に開業した新しい駅で、平成13年に駅舎が完成。
地方自治体や地域住民らの要望で開設されたいわゆる請願駅で、寄付金を集めて建設したという。
JRにしてみたら利用客も増え、「町所有」の駅なので券売機のショバ代だけで維持管理費を払わなくていいからね、いい事ずくめ。

↓駅前には「オガールプロジェクト(詳しくはここのサイト参照)」に基づく施設があります。


↓「10の民間テナント(飲食・物販・医療・教育系)と、紫波町が運営する情報交流館(図書館・地域交流センター)で構成される『官民複合施設』」オガールプラザ


↓「オガール地区の中央に位置する、紫波町のシンボルとなる空間 来街者を迎え入れる庭園ラウンジのような屋外空間」オガール広場

こうした種の街づくりは、これからの日本には有効なのかも知れません。紫波町のこの取り組み、成功して他の自治体が倣うようになるといいけど。

(552)岩手県紫波郡紫波町(ちょう)役場
人口は34,000人近くある盛岡のベッドタウンである一方で、もち米・そば・フルーツ栽培などが盛んな農業の町。
それにしても、年を食えば食うほど(特に女の人は)あまり好きになれなくなる地名かもなあ。
古くは「斯波郡」と書いていたものが、天正年間まで治めていた斯波氏の最後の当主、詮直(あきなお)が「今日よりは紫波と名付けん。この川の石にうつ波紫に似て」の句を詠んだことにより「紫波郡」になったというようです。

駅東側にも街が広がっているようですが、大回りしてJRの線路の下を潜って行かなければならないし、それ以上にクタクタでその気が全く起こらず。
先に紫波町を「農業の町」と書きましたが、駅東側には国道4号線が通っているので、恐らく例のロードサイト店と住宅が並んでいるだけの町並みと勝手に想像して、北海道~東北と続いた旅を強制終了。

一ノ関駅から新幹線に乗って帰ります→

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

138日目 青い森鉄道・いわて銀河鉄道で南下

2015-12-10 23:43:28 | 北東北
2015年9月22日(火)


青森から東京までの間は地道にコツコツ町を拾っていきます。

乗り継いだ八戸駅にて→
ずらりと並ぶ「B-1グランプリ」の出展団体の幟。
八戸市に隣接していないけど、今年は同じ青森県の十和田市で10月3・4日に開催され、千葉県勝浦市の「勝浦タンタンメン」が優勝。ただ来年はやらずに再来年までお預けなんだとさ。

この日2つ目の訪問地は南部町(なんぶちょう)。
下車駅は苫米地(とまべち)駅→
そう言えば、一頃騒がれた広島東洋カープのピッチャー・苫米地は今何をやっているのだろう?
この町とは全然関係なくどうでもいい事なんですけど。

初めて聞く村名ですが・・・?→
「青森なんぶの達者村」というNPO法人のサイトによれば、「豊かな自然と新鮮な農産物、達者に暮らす住民たち―。地元の人や自然、文化などを生かして訪れる人たちとの交流を通して「日本一おもしろい村」を目指しています。」との事。
ですが、県レベルと比較するのも申し訳ないけど、「うどん県」「温泉県」などのように全国に売り出せるようなパンチの効いた名称ではなく地味すぎ。でも、町巡りは期待できる?、のかな?

国道104号線に出る→
早速「ぼんらくさ」という何だか分からんものがお目見え。これが「おもしろい」ものの一つなのか?
よくよく見たら逆から読めばいいだけでした。なんだ・・・。町の特産のなんだろうな。
奥に一際目立つ山は「名久井岳」。山の下にある橋は馬淵川の「福田大橋」。

福田大橋から眺める→
心洗われる。

↓渡ってしばらく進むと、由緒有りげな民家が見える。

戦前は軍用馬を育てていた豪農「田中家住宅」(国登録有形文化財)。一般公開されていません。

「おもしろい」ものは特にないし、普通に田舎です。
↓が、高台の方に都市近郊を思わせる団地が突如現れる。非常に違和感あり。


↓(549)青森県三戸(さんのへ)郡南部町役場

南部藩発祥の地。もっと遡ればそのルーツは以前行ったことのある山梨県南部町
平成18年にそれまでの南部町・名川町・福地村が新設合併してできた約2万人が住む町ですが、名前を引き継いだ感のある南部は合併前は「まち」だったのが、合併後は「ちょう」となった変わり種。

役所近くの「ふれあい橋」より→
奥には先ほど渡った「福田大橋」が見えます。

駅近くの集落→

結局、駅を起点に反時計回りに適当に散歩しただけですが、特に「おもしろい」ものも見つけられず。
でもまあ、町のホンの一部だけしか歩いていないのだし、町住民からすれば「そんな程度でお前はこの町の何が分かったと言うんだ!」とお叱りを受ける事必定、もっと多くを廻ればいろいろな発見があるのだろう(ということにしておく)。

↓再び電車に乗り、岩手県に突入して最初の駅。

「きんいち」じゃなかったんだ、ここ・・・。

一戸(いちのへ)駅、お昼頃着→

↓一戸は奥州街道の宿場であったせいか、その名残りを感じさせる町並み。








別の意味での古いものも多く見られる。
役に立たない案内図→

40年以上も前に放映された仮面ライダーV3→
いつから店内に誘導する係に落ちぶれたのだろう?

朽ち果てた昔は宿らしき建物→

↓萬代舘
 
明治42(1909)年に人形芝居小屋として創業し、今では映画館。

萬代舘の前→
味のある仕舞屋が残っております。

一戸町から南隣の岩手町までの間、奥州街道の往時の姿を留めている区間があるそうです。

(550)岩手県二戸郡一戸町役場
古くからの馬産地で、酪農や木材加工、リンゴ選果などの農林業が主な町の産業。
1~9まで続く「戸」の付いた市町村巡り、これで残りは2、3、5となりました(元々「四戸」という自治体はない)。

さて、駅から歩いて行けなくもないのですが、微妙に遠くにある町の観光名所・国指定史跡「御所野(ごしょの)遺跡」を取り上げないワケにはいきません。
それは縄文時代の集落遺跡で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして(その他の有名な遺跡の一例として三内丸山遺跡があります)世界遺産登録を目指しております。
でも、あまりあれやこれやと登録されてしまうのもなあ・・・。混雑して行きにくくなるし。

やっぱり登録になって欲しいかな(駅にて)→

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
 

137・138日目 乗り納め「はまなす」で本州へ

2015-12-07 23:59:19 | 北東北
2015年9月21日(月)・22日(火)


先月は尿管結石を4度も(!)やり、今日は歯の下にできた病巣の除去のために抜歯してまた戻すという2時間もかかった治療で歯が激痛です。このところ痛い思いばかりで全く冴えないわたくしめでございます。

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↓風呂屋(すすきのにあらず!)で気分良くなり、その余勢を駆って札幌駅まで歩いてきました。


JRでの「最後の定期急行列車」であるとか、「最後の定期客車列車」だとか(「最後のブルートレインでもある(?)」)、とにかく「最後の」との枕詞の付く事の多い列車「はまなす」青森行き。
この列車、来年3月の北海道新幹線開業前に「カシオペア」などと共に廃止される予定でして、留萌本線に乗ってみたのと同様、ちょうど良い機会なのでここも。それに安く本州に渡れるしで一挙両得。

↓そうした事情につき、駅に来るや撮りテツが右往左往でとっても賑やか。



乗る車両は座席指定席。乗車1か月前の発券日は仕事の都合で「10時打ち」に間に合わず、「11時半打ち」となってしまったのですが、よく取れたもんですよ。おかげで自由席に長時間並ぶ必要がなくなり、風呂を優雅に満喫できたのです。
そんな風前の灯の急行「はまなす」ですが、乗っていても特に深い感慨はなく、これまでの疲れもあったせいかすぐに寝てしまう。

↓それでも1時間あまり停車する函館ではゴゾゴゾ起き出す。



テールマークがうまく写らなかったのが悲しい。

テツ子さん(らしき)もガンバってるよ!→

函館ではホームをウロつくのみならず、改札を出て駅舎内をブラブラしたりする。本当は改札を出ると急行券は無効となるのだけど、そこは函館の駅員さんは黙認してくれているよう。ナイスサービスだよ!

定刻6時19分、青森駅到着。周囲は慌ただしく乗り換え。

↓非常に分かりづらくかえって混乱を招きそうなラベル貼り貼り看板。

北海道新幹線開業後はどうするんですかねえ?
不要となる「白鳥」部分は黄色い無地のモノを上からまた貼り付けて、見た目が一層汚いモノになるんでしょうか?

これが(恐らく)「はまなす」を生で見る最後→
またねえ、ではなく永遠にサヨナラ・・・多分。

青森からはただひたすら東京に向かって南下するだけ。

↓青い森鉄道の快速電車に30分乗って平内町(ひらないまち)の小湊駅で下車。




駅周辺の商店街→

「小湊」2文字でいいんじゃない?→
恐らく「(平内町)大字小湊字小湊」という意味だと思うんだけど。でもクドイ。

洗髪の極意とはこうだ!→

↓駅東側を流れる小湊川「大橋」より山側方向。


(548)青森県東津軽郡平内町役場
最初ここらが「津軽」に当たるを知って驚いた記憶があります。てっきり津軽とは青森市から西側部分と思っていたので。
東北地方にはアイヌ語からなる地名が多くあって、平内はアイヌ語の「ピラ・ナイ」からとされているようで、「ピラ」は山と山の間(崖)、「ナイ」は河川の意味、つまり山と山の間の川が流れる土地ということなのだと。
稲作と養殖ホタテが町の基幹産業。特に養殖ホタテの発祥地であり生産量は日本一。
陸奥湾にボコッと突き出た夏泊(なつどまり)半島は自生ツバキの北限地で、半島東付け根の浅所(あさどころ)海岸は特別天然記念物「小湊のハクチョウおよびその渡来地」だそうで、これからが本格的シーズン。

町一番の古いお寺さん「東福寺」→
開創は天正11(1583)年の老舗ですが、商売にも精を出さないとお寺運営も芳しくないらしい。

黒石藩代官所のあった「平内町歴史民俗資料館」の敷地内には町出身のお偉い方の碑があります。
↓高橋竹山さんとは、津軽三味線名人位というお方。


↓畑井新喜司さんは「ミミズ博士」との異名のある生物学博士。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

137日目 札幌近郊をうろついて、北海道ともお別れ 

2015-12-06 01:11:20 | 道央
2015年9月21日(月)


新札幌駅周辺をフラついてみましょう→

サンピアザ水族館
ショッピングセンター「サンピアザ」内にある水族館。
規模は小さいようですが、流氷の天使・クリオネや幻の魚・イトウが見られたり、カワウソと触れ合ったりできるなど、それなりに楽しめそう。

↓水族館の目の前は「札幌市青少年科学館

外見や名前からして冴えないハコものなんだろうなと思いましたが、なかなかどうして、親子連れがゾロゾロと出てくる。
ここのサイトを見るとプラネタリウムをはじめとする様々な展示物があって、ここも大人でも楽しめそう。
でもこの日は博物館巡りで時間をおおいに費やしてしまったので、これらは残念ながらパス。

駅構内の飲食店街→
食堂の看板が昭和っぽくてよい。

↓〔44〕北海道札幌市厚別(あつべつ)区役所

アイヌ語「アツペツ」=オヒョウ樹皮のある川に由来で、厚司織(あつしおり)とは、オヒョウ樹皮から採れる糸で織ったアイヌ民族の織物の一つ。平成元年に白石(しろいし)区から分区。

以前から千歳線に乗っていて気になったものがあったので、それがある所らしきへ行ってみる。
高架線を札幌駅方向にひたすら歩く→

↓その気になるものはここら辺にあったんだけどなあ。

見当たりません・・・。
近所の人に聞いてみたら「(写真左の)今工事している建物にあったんですけどねえ」。
工事が終わったらまた見られるのかなと思ったら、「前の所有者は売っちゃったからそれはないね。時計がなくても時間がすぐに分かって便利だったんだけど・・・」。
間近で見たかったのはニセ時計台。幻となってしまって、これこそ本当にガッカリな名所となってしまったわ・・・。因みに「北海道ファンマガジン」には在りし日の姿がありましたので載せておきます。

↓ガッカリ感がハンパない状態で駅に戻り、電車に乗ります。


野幌(のっぽろ)原生林→
昭和27(1952)年に特別天然記念物の指定を受けるも翌々年の洞爺丸台風で壊滅状態となり、さらに風害・病虫害などで回復不可能、以後徐々に指定が解除される。
この日行った「北海道開拓の村」は元々この原生林だった所。

↓北広島市の北広島駅



アーチ型屋根の下は「エルフィンパーク交流広場」といい、寒冷地北海道にふさわしい建物となっております。

 
左、「きたひろ まいピー」という、モチーフを赤毛米としたゆるキャラ。髪はちょっぴりしかないけど一応女のコという設定で、今年のゆるキャラグランプリでは総合73位。
赤毛米とは、中山久蔵さんという人が北海道では適さないとみられていた米作りに果敢に挑んで成功させた水稲の品種。謂わば北海道米の先祖。
因みに市のイメージマスコットは何故だかエルフィンだったりする。

右、札幌農学校教頭・クラーク博士だよな? あれっ?、何でここ?
確かに博士の像は札幌市の北海道大学や羊ヶ丘展望台にあるけど、パネルにもある彼の有名な言葉「Boys、be ambitious!」はここ北広島市の旧島松駅逓所で発したものでした。
知らんかったわ。像があるゆえ、てっきり札幌での言葉かと思ってました。

道道46号線・広島本通→
(中国の)広島に来たような感じ。
それもその筈、明治17(1884)年に広島県から25戸103人が移住し開拓されたのが始まり。
平成8年9月1日に市制を施行し、「広島町」から一旦「広島市」となるも即日「北広島市」に改称。

↓ここにも天使が舞い降りてきておりますわ。

この区画には「社会福祉法人聖母会」が運営しているらしい児童養護施設やら教会やらが固まっている。いい名前の幼稚園じゃないか。どうやら北海道の人はかなり天使がお好きなよう。

教会敷地内の像→

↓交差点の中を悠然と歩く認知症の爺さん。

車は避けてくれましたが、これで撥ねてしまったら寧ろ車の方がお気の毒な気がする。

(547)北海道北広島市役所
6万人にちょっと届かない位の人口の札幌のベッドタウン「きたひろ」。
私の近所の道産子も使っていましたが、現地の人は北広島市を「きたひろ」と言います。

↓札幌市・桑園に行き、極楽湯で汗を流したり晩酌したりとまさに極楽気分に浸ってから、あの夜行列車に乗るため札幌駅に歩いて行きます。


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