ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

159日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(2)

2016-08-21 11:28:29 | 甲信越
2016年7月17日(日)


前日は日焼け止めを塗ったにもかかわらず、塗り方が下手っぴだったためか、思いっきり真っ赤に変化した部分があってとてもヒリヒリしていて、お湯を浴びたり着替えたりするたび、悲鳴を上げたいくらいの苦痛。
おまけに旅に出れば毎度の事なのですが、足裏に数箇所水膨れができてしまい、一歩踏み出すたびに激痛が走る。
こんなズタボロの状態の中、この日の上田観光はほぼ城攻めに終始。

県立上田高校→
よく城跡なんかには学校があったりするけど、ここは「上田藩主居館跡」。
関ケ原の合戦後に上田城が破却され、再建も許されなかったので、真田信之はここでしぶしぶ(?)上田を統治することとなる。

(606)長野県上田市役所
上田藩主居館跡のお堀越しのアングル。
古くは国府が置かれた信濃国の中心地で、明治~大正期は製紙業が地域経済を牽引したものの衰退し、今では輸送関連機器や精密電気機器などの機械金属製造にとってかわる。
平成18年に上田市・丸子町・真田町・武石村が新設合併をし、新しい上田市が成立。
人口は約16万人。

↓市役所に面した道を西に行くと、上田の一大観光地・上田城があります。


二の丸橋から下を覗く→
二の丸堀跡である「けやき並木遊歩道」で、かつて電車が走っていた所。

↓中へ入ると、用意よろしく「信州上田真田丸大河ドラマ館」があります。


まだ開館時間前なのだけど、この行列→
なので、先にお城から見ることにします。

上田城は天正11(1583)年に真田昌幸によって築かれ、少しの兵力の昌幸が徳川の大軍勢を撃退すること2度。
壊わされた後は小諸から入封した仙石氏によって再興され、宝永3(1706)年からは兵庫の出石(いずし)から松平氏がやって来る。

この日は7月17日です→
観光客は大勢来ているのだから、さっさと直さんと。記念撮影できんじゃないか(?)。

↓東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)と北櫓(右)。

門は平成6年に復元。門の左にも南櫓があるのだけど、二つの櫓は別の場所に移築されていたものが昭和18(1943)年から24年にかけて再移築される。

門の右にあるのが「真田石」→
高さ約2.5m、幅約3m。

2度目の上田城での合戦で「にっくき真田」の思いをたぎらせた徳川秀忠の嫌がらせで真田信之が松代(長野市)に移封となり、それに激怒した信之は藩政に関する書類を全部焼き払い、城の灯篭・植木を持って行ったとされるのですが、ついでにこの石も、と思いきや、ビクともしなかったらしい。

門をくぐると眞田神社があります→
歴代の城主を合祀しています。

真田井戸→
神社境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸。
この井戸は抜け穴になっており、城北の山麓や上田藩主居館につながっているという伝説があります。
いくら何でもそれはどうだろうねえ。

西櫓→
寛永5(1628)年に仙石氏によって建てられ、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物との事。
ここに入るには有料で、それ自体いいのですが、結構な数の人が吸い込まれていくので、いつかまた来た時に落ち着いて見ればいいかと思い、入らずじまいであったところ、何と解放されるのは今年だけみたい。大失敗。

櫓手前からの眺め→
築城当時の眼下には千曲川が流れていたので天然の堀と化していました。
そしてここを「尼ヶ淵」と称していたので、上田城は別名「尼ヶ淵城」と呼ばれるようになったようです。

特に何もない本丸跡→

↓お堀は素掘りで、掘り出した土で盛っていった部分が城を取り囲んでいる土塁。


ようやく人が引けた「ドラマ館」→

かわいいお姉さんが記念撮影してくれます→
勿論兜を被って写してもらい・・・。んなワケないし。

↓撮影が許されるのは、張りぼての「真田丸」のある所だけ。




まあ当然なのですが、ドラマ撮影の小道具や衣装の展示なんかがメインで、はっきり言ってつまらん。
おまけに中は狭い上に芋を洗うような激混みでかなり息苦しい。
耐え切れなくなって、わずか10分程で出てきてしまう。
それに対する対価は¥480。ちと高価だったな・・・。

真田の郷・旧真田町や「信州の鎌倉」の異名を持つ別所温泉・塩田平周辺も行きたいところですが、今回は泣く泣くパスして、これにて観光客で活況を呈する上田を去ります。

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158日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(1)

2016-08-18 23:00:29 | 甲信越
2016年7月16日(土)


大河ドラマ効果で願ってもないお金儲け観光客誘致の超絶好機を迎えている上田市がこの日最後の訪問地。というか宿泊地。

↓しなの鉄道で上田駅には17時22分に到着。

因みに使っている切符はJR東日本が出している「週末パス(¥8,730)」。
これは「しなの鉄道」も乗れるので特段の出費はなし。


駅舎壁面のブツブツは何を意味するか、説明するまでもないですね。
夜になるとライトアップされます。

↓当然ですが、駅ナカと言わず駅前と言わず、至る所「真田丸」だらけ。
   

ホテルに入り、やっと休める、一安心。
と思いきや、日没まで1時間半もあるのでボーッとしているのは勿体ない。
なのですぐに再び出動。

↓駅近くの天神商店街に面したこのホテル(私の宿泊場所ではない)は、今や全国バリバリ展開中のルートインホテルズ栄えある第1号店。


これより緑色の道を中心に歩いてみます→

駅前から真っすぐ伸びる坂道の商店街→
左に辛うじて写っている石造りの建物は、趣きのあるいい洋館なのですが、100年の歴史を誇る信州銘菓「みすゞ飴本舗」の本店。

↓昭和60(1985)年から1年間放送されたNHK新大型時代劇・真田太平記の記念館が右手にあります。


↓これって、ブラタモリに出てきてませんでしたっけ・・・?


↓柳町地区





上田市が出している「信州上田観光情報」というサイトによれば、「旧北国街道沿いの家並みが残る通りです。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。面影を残す街並みは白い土塀に格子戸のある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。」

↓引き返して、市中心部にあたる「海野町(うんのまち)商店街」へ。

海野町とは、天正11(1583)年に真田昌幸が上田城を築いた際に作った城下町の元町。

↓思いがけず見つけた小じんまりと佇む「海野町高市(たかいち)神社」。

町を作った時に商売の守護神として請願されたと伝えられている神社。

海野にあるからか?、祠の左に「運の石」というのがあって、右から左へ撫でると悪運を払い、その逆に撫でれば良運が開けるという。
勿論やってみました。が、未だご利益あった感なし。お賽銭100円ぽっちじゃ全く足らんかったらしい。

↓この商店街から細い路地を入ると、飲み屋が所狭しと軒を連ねています。
 袋町という界隈。

旧北国街道沿いの常田地区→
城下町の入口付近のこの辺りは、時代を偲ぶような旧家の古い格子や土蔵が立ち並びます。ここから踏入を過ぎ宿場町へと続きます(信州上田観光情報)。

常田地区にある科野大宮社→
いつだったか、ドラマの終わりに流される「真田丸紀行」でも紹介された神社です。
上田城築城以来、城の鎮守となる。
やたらでっかい木と鮮やかな赤が印象的。

↓平成24年に国の重要文化財に指定された「旧常田館製糸場」。

明治33(1900)年創業の機械製糸工場。
製糸業界の資料が保存・展示されているようです。

暗くなってきましたので、散策は終わり。ようやくゆっくりできますわ。
やっぱりいつ来てもいいな、信州は。

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158日目 遊子は城下町小諸で諸々見物

2016-08-16 00:50:05 | 甲信越
2016年7月16日(土)


↓脇目も振らず乗り通せば、小淵沢から2時間半程度で着く小海線の終点・小諸(こもろ)駅に9時間あまりかけてようやく到着。


小諸駅のあるここ小諸市は名所旧跡がとても多いので、それらを無視して去る訳にはまいりませんが、かなり疲れていますし、この後もう一か所町巡りするつもりでもありますので観光は最低限に留めます。

まずは、駅の中→ 
小諸周辺が舞台だったというこの「あの夏で待ってる」というアニメに関するものが飾られております。
人も呆れる位アニメ音痴中の音痴の私には、どういう内容で、いつ放送されたか全く知りませんが、一応紹介しときます。
右の桃色の変なぬいぐるみ(?)は「りのん」といってアニメに出てくるキャラらしい。

↓一番上の駅前写真の右側にある「停車場ガーデン」。

まったりカフェでお茶しながら、色とりどりの花を愛でられる所(ついでに行き交う電車も)。

↓小諸観光の拠点たる、その名もまさに「小諸観光交流館」。

明治後期~大正時代に建てられた、かつては繭問屋だった建物。
一応下調べはしてあるので用はないけど。

小諸城の正門である大手門→
白鶴城や酔月城とも呼ばれたお城。
佐久を手中に収めた武田信玄は、山本勘助らに築城を命じ、天文23(1554)年に完成。
天正19(1591)年には仙石秀久が入り、慶長17(1612)年にこの大手門が築く。
8年前に解体復原の修理がなされたとの事。

くどいけど、また大手門→
ではなかった・・・。これは駅の西側にある「三の門」。因みに大手門が「四の門」。
元和元(1615)年に創建されるも洪水によって流失、今あるのは明和2(1765)年に再建されたもの。

明治になると廃城となり、荒れ果てていく姿を憂えた旧藩士たちはお金を集めて公園として整備し、掲げられた額にあるように「懐古園」と命名する。
額は徳川家第16代当主が書いたもの。

ここでは懐古園散策・動物園に入れる券(¥300)を買います。
先に左側の動物園から→
動物園は大正15(1926)年にでき、長野県では一番、国内でも4番目に古いようです。

↓浅間山の南に広がる小諸ならではの有効活用。

小諸城は城下町より低い位置に築かれた珍しい穴城で、浅間山の火山灰でできているため水堀がなく、その代わりに崩れやすい断崖を守りとした点が特徴。

↓さてさて、園内。
  
門番・川上犬のさくらさんは恥ずかしがって引き籠っているし、外に解放されたペンギンは大勢の人に取り囲まれていて触れられないし、ライオンは色気よりも食い気に走っているし。
ま、これと言って珍しい動物はおりませなんだ。

富士見台→
その名のとおり、富士山が見える展望台。辛うじてかすかにしか見えなかったけど。

旧馬場→

懐古神社→

鏡石→
神社と鏡石のある所あたりが本丸跡。

二の丸跡→
近々大河ドラマで登場すると思いますけど、関ケ原に向かう途中の徳川秀忠が真田昌幸・信繁親子の術中に嵌って足止めを食らったのですが、ここは秀忠が逗留していた場所。

次は北国街道を歩いてみます。
小諸は中山道や北国街道、甲州街道の交わる要衝地だったので、あちこちの物産品が集散・流通したので商業で大いに栄え、さらには宿場町だった一面もあります。

↓旧本陣と旧脇本陣、古いポスト。
  

↓この通りには昔ながらの商家が建ち並んでます。





美しい町並みだけど、現代造りの建物が目障り。

そんな中、私が気に入った建物がこれ→
昭和初期に建てられた「ミルクホール」。
ただ戦後まもない昭和25(1950)~26年頃に閉店したらしく、その後ずっと仕舞屋?。
勿体ないのぉ。

(605)長野県小諸市役所
面積約100km2の、約43,000人が暮らす町。
ところで、小諸と言えば島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」の「千曲川旅情のうた」なのですが、夏だしお城には観光客もそこそこいたしで、歌のもの悲しさをあまり感じられなかったのですが、寧ろ寂れ感溢れる駅前商店街の方に歌はマッチしていたような気がするんですわ・・・。

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158日目 サクッと佐久歩き・ぴんころ詣で

2016-08-13 23:42:37 | 甲信越
2016年7月16日(土)


中込駅近くも相変わらず千曲(ちくま)川が寄り添っております。
野沢橋(下流方向)→
ずっと眺めていたい景色。ただし日差しがきつくなければ。

↓夏の川の風物詩、釣りに勤しむ太公望多数。

ここらは鮎釣りの絶好ポイントであるみたい。
でも、間近にある堰に上がって歩かぬよう・・・。
その堰、足を滑らせ落っこちたら最後、もはや自力で這い上がれないくらいの吸い込み力があるらしい蟻地獄のような恐ろしい場所なんだとか。ヒエ~。

橋を渡りきるとこの集落→
ここは長野県ではあるのですが、漬物や温泉で有名なあの野沢ではありませぬ。

↓さらにその先はというと、商店が軒を並べています。

野沢はかつては街道が交わる宿場で、物資が行き交って商いが盛んだったようです。

↓やがて右手にこのような門が現れます。

野沢成田山薬師寺への参道入口です。
門をくぐるとお店が連なっていて、毎月第2土曜日には「のざわ山門市」が開催され多くの人で賑わうそうです。

参道を進むとここへ→

↓この左には、小首を傾げたかわいらしいこの方がいらっしゃいます。

見ていると、微笑ましいというかほっこりするというか心癒されるわ。
厚労省が平成25年に発表した都道府県別の平均寿命ランキングで男女とも堂々1位が長野県。とりわけ佐久は「長寿の里」を売りとしている地方で、その象徴とも言えるお地蔵さん。
平成15年に地元商店街によって建てられました。

お地蔵さんの由来はこう→
私もかくありたい、「のんびりゆっくり旅」を完遂するために。
そして資金面は新屋山神社にお願いする。

横の井戸水は飲めます→
ありがたく佐久の水を戴きます。
ちとぬるかったけど。

なお、お地蔵さんや野沢商店街などについては、のざわ商店街振興組合のHPをどうぞ。

さらに奥は成田山不動堂→
本堂だと思っていたけど、そうでなかったことを後で知る。

再び川を渡ります。
中込交差点近く→
ふと目を向けた自販機。
暑いし、普段愛飲しているキリン一番搾りだし、飲みたいなあと思ってよ~く見ると、500ml缶よりでかい缶(上段右から3番目、700~800mlくらいだったかな?、よく覚えていない)があったり、水筒のような形をした缶(下段の一番左)があったりする。
長野仕様か?、初めて見たわ! 

↓市役所へ行く途中に重要文化財・国史跡旧中込学校があるので寄ってみます(観覧料¥250)。


 
何といっても、日本に現存する洋風学校でも一番古い学校建築物。
同じ長野県にある有名な松本市の「開智学校」よりも若干早い明治8(1875)年に創建。

建設当時にはガラスを窓に使用したことから「ギヤマン学校」といったよう。
ギヤマン? 初めて聞いた単語なのですが、ガラスの古い言い方なのだと。

(604)長野県佐久市役所
まあ、いろいろ宣言している都市だこと(笑)。
平成17年にそれまであった佐久市と臼田町などの3町村が合併、人口約10万人。
前編で紹介した五稜郭や日本で一番海から遠い地点、さらには日本一のパラボラアンテナが見られる臼田宇宙観測所、お地蔵さん・中込学校など見所は多くあるのに、いずれも知名度が低いので甘んじているのは甚だ残念。

↓北中込駅から15時3分発の列車に乗ります。


佐久平駅→
在来線が新幹線を跨ぐ珍しい駅。
新幹線がやってくる前は民家が数軒しかなかったという駅周辺は、今では市内でも屈指の繁華街に変貌。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

158日目 サクッと佐久歩き・信州にもある五稜郭

2016-08-09 23:39:46 | 甲信越
2016年7月16日(土)


夏の日差しが全力フルモードに入りつつある頃、寄りによって列車を降りなければいけません。しかも八千穂からたったの10分。休むヒマもありませぬ。

11時38分、佐久市の臼田駅到着→

ずっと木陰に隠れていたい駅前→

いざ覚悟を決めて外に出たものの、やはり直射日光は寝不足の体に厳しすぎ。
↓フラつきながら駅北側にある踏切を渡って、東方向に歩きます。


しばらく歩くと・・・→

どれどれ→
一番目立つ看板が「日本で海から1番遠い地点」。
ホンネを言えば、ここへこそ行きたい。ですが、あと10kmあるし・・・。
歩いて行ったら確実に行き倒れになります。

長野県魅力発信ブログ」というものにこれが詳しく出ていたので、せめてそれを見て行った気分になりましょう。

場所 → 北緯36度10分36秒、東経138度34分49秒、標高1200m

海までの距離(海岸線までの球面距離)
1.静岡県富士市田子の浦港まで  114.853km
2.新潟県上越市直江津まで    114.854km
3.神奈川県小田原市国府津まで  114.861km
4.新潟県糸魚川市梶屋敷まで   114.866km

なんだとか。ここへ行くと佐久市観光協会から「認定書」が貰えるとの事。

因みにこういう所だそうな→
鬱蒼とした感じが海から遠く離れた奥地である事を一層感じさせる。

日本唯一の場所に行けなくても、二つしかないものの一つを見るだけでも十分じゃないか、というワケで龍岡城へ。
五稜郭公園→

 
あたかも函館に来たかのような錯覚
日本に二つしかない星型稜堡の西洋式城郭の一つがここ龍岡城。
松平乗謨(のりかた)が三河から信州への本領移転許可が下りたことにより築城を開始し、3年かけて慶応3(1867)年に完成するも、その5年後には解体の憂き目に遭う。哀れなるかな。
佐久市出身の彫刻家・川村吾蔵氏の作品と資料を展示されている「川村吾蔵記念館」も園内にあります。

ではでは、肝心の城跡へ。
城北側の黒門から見るお堀→

↓大手門前にはこういう建物があって、中ではお城についての資料が見られます。


上空写真→
確かに星型ですよ、五稜郭ですよ!
写真真ん中下の凹部分が大手門、その右斜め上が黒門。

↓大手門から中に入ってみましょう。ご心配なく、人は入れますので。

果たして写真に載っている建物は何でしょう?、ワクワクします。

と思いきや、学校だし・・・→

↓築城時の建物遺構はこれ、お台所のみ。


函館のよりも小振りだし、お城を覗き見る展望台もないし(近くの山から全容は見られるらしいけど)、何よりマイナーだし、だけど貴重な遺構には変わりありませんし、何しろ首都圏から(函館に比べれば)ムチャクチャ近い。
それに落ち着いてのんびり手軽に見られますので、多くの人にここを知って欲しいと思ってます。

満足して駅に戻って再び列車に乗るも、またもしてもすぐに降りる。
↓中込(なかごみ)駅→



↓なかなか小洒落た印象の駅前商店街です。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

158日目 高原列車に乗って海へ(?)その2

2016-08-06 23:58:31 | 甲信越
2016年7月16日(土)


眠い目をこすり、多少フラつきながら小海町の散策開始。
小海駅舎→

駅前→
モニュメント下にある、顔を描いた丸太は街中至る所で見られました。
はて、これらの正体は?

↓一応町のゆるキャラらしいです、伝説の森の妖精プティリッツア。

豊かな自然環境と全ての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている妖精なんだそうですが、じい様の妖精なんて初めて見たわ。寧ろ仙人って感じ。
それにスボン(?)の色が戴けない。露出○の怪しい爺さんにしか見えんし。

駅前商店街北側→

↓千曲(ちくま)川に架かる「清流ふれあい橋」の下流方向。

最初に訪れた町が自然溢れる小海町で良かった。
寝不足のままコンクリートばかりの中を歩くのはさすがに滅入るのでね。

(602)長野県南佐久郡小海町役場
地名に「小」がついているだけあって、人口5千人を下回る小ぶりな町。名は体を表すという事か。役場の標高は855mだそうです。

駅の南東側へ。
小海駅の構内→

実に長ったらしい学校名(笑)→
ゴミ処理場やら上下水道なんかでは特別地方公共団体としての組合は見たことありますが、学校は初めて。
でも過疎地なんかでは案外多いのかも知れない。

↓学校近くにある土村公園の小高い山より町を一望。


近くにはこういうものもあります→
力強く実にリアル!
男があれば当然女のもあるのですが、そこは歩いていくには遠すぎるのでパス。
こうみ=子産み、というワケで、町には「子宝」「安産」「子育て」に関する史跡も多いようです。

↓2時間ほど滞在した小海町を去って、次に向かいしはまたしても「海」が付いた佐久穂町の「海瀬(かいぜ)駅」。


↓海瀬駅付近集落と商店街。




そして千曲川(下流側)→

(603)長野県南佐久郡佐久穂町役場
平成17年に佐久町と八千穂村が合併してできた町。なので、新町名の由来は至極分かりやすい。
さらに突っ込むと、八千穂村は畑八+千代里+穂積で、畑八は畑+八郡だそうだから、今となっては古えの元の地名は何が何だかわからん状態。
キャッチフレーズは「水と緑のうるおい 人の営みが奏でる未来のふるさと」という、11,600人が住む町。
因みにこの役場庁舎は旧佐久町にあります。

↓町の西側には小高い丘があるので、ここでも登って一望。

キャッチフレーズどおりの景色に見えますか?

ここを登ってきたのにはもう一つ理由がありまして・・・。
こんな田舎町でも堂々日本一のものがあるというので、見ないワケにはいかないじゃないですか!

ところが、それの在りかが全く分からん。
ここら辺である、とだけの大雑把な情報だけで行こうとしていたのですが、スマホなど持っていないので、やはり案の定辿り着けません。

↓ノラ仕事をしていたおっちゃんに聞いて、どうにか目的物をようやく発見!


申し訳ないけど、畦道を使わせてもらって接近。
北沢大石棒→
またしても張形です(笑)。
横にある案内板によると、縄文時代(!)に動植物の豊穣と人間の甦りを祈願するために作られた、高さ2.23m・太さ約25cmの日本一の大石棒。ですが、力感は断然小海町の方に軍配が上がる。

長野県は全国でも有数の教育県で名を馳せていますが、そっちの方の教育も抜かりないようです

多少時間があったので、海瀬駅から南2.5kmの八千穂駅まで歩いてみます。
八千穂は昔ながらの落ち着いた町並み。
黒澤酒造酒の資料館・ギャラリーくろさわ→
こうした酒蔵はあちこちにあっても、酒を嗜む時間を確保できないのは悩ましい。

奥村土牛(とぎゅう)記念美術館→
現代日本画壇の最高峰の画伯なんだとか。知らなんだ・・・。

八千穂駅11時27分発の列車に乗ります→

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

157・158日目 高原列車に乗って海へ(?)その1

2016-08-01 23:35:32 | 目的地へ(から)移動
2016年7月15日(金)・16日(土)


出発したこの日(15日)とその前日は、我が稲毛界隈はお祭り。
そんな賑やかな街を逃げるかのように(?)正月以来の久々の列車旅に出ます。
今回はそのお話し。

19時頃のJR稲毛駅海側出口→
露店が多く出るので、特にたくさんの小中高生がこぞって集まってきます。

↓14日の午後と15日の午前にはゲリラ豪雨に見舞われたので、お祭りを楽しみにしていた人は勿論の事、とりわけテキ屋にとってはヤキモキしたことでしょうが、クライマックスを迎えるこの日の夜は多くの人の願いが通じる。

これより先にある京成稲毛駅付近では道幅が狭くなって、ただでさえ蒸し暑い時期なのに押し競饅頭をしないといけません。
突っ込んでいったら相当のエネルギーを消耗するのは必定。保身のため深追いせず。

以上は旅とは全く関係ないんだけど、たまには稲毛の宣伝をしとこ。

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3時間半後の稲毛駅→
だいぶ落ち着いたものの、ゴミがそこら中に散乱。
おまけにしばらくは、路面に落ちたりこぼれたりした食べ物や飲み物なんかで街中が臭くなります

22時36分発の快速電車で稲毛駅を発ち、約1時間かけて新宿駅へ。
↓この時間に来たならば、乗るのはこの列車しかありません「ムーンライト信州81号」。

かつて「特別急行あさま」に使われた車両が、臨時列車としてこんな「あさま」しき姿で走らされるとは・・・。
当時の威容を知る者にとっては切なすぎる姿。

↓さすがは東京、お隣・中央線ホームはこの時間にもかかわらず、この人の多さ。

落っこちるなよ(=ダイヤを乱すなよ)。

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↓3時すぎのまだ真っ暗な小淵沢(こぶちざわ)駅(山梨県北杜(ほくと)市)で下車。

降りたのは私の他、1人だけ。

この旅最大の試練はのっけから訪れます。
次に乗る列車は6時14分発なので、それまでひたすら待たねばなりません。
おまけに外はお決まりの「雨」。しかもかなり寒いし。

駅舎の中→
暖かくてありがたい。
1人だけ先客がいます。「ムーンライト」を降りた人ではなく、チャリダー。

3時間もの間、待つ以外何もする事がないので、駅のベンチで少し寝ようと横になったのですが、保守作業の人が大勢いて落ち着かない。
おまけにクモやらコバエやらといった虫が私の腕を這ったりしてるし、駅舎は古いためかミシミシ言っているし、4時頃になったらチャリダーが起きだして騒々しくドタバタ出発の準備を始めたりで、どだいここで寝ようというのがムリでした。

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すぐに夜は明けます→

↓そして、待って待って待ち詫びた列車に乗る時間となりました。

小海(こうみ)線でございます。
標高の高い所を走る路線で知られ、「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられていて、夏になると避暑客で激混みします。

リゾート地として有名な清里の駅前→

これまた知名度高い野辺山(のべやま)駅→

↓この駅近くには、長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら)の役場があるのですが、今回ここはパス。

ところで、小海線は山の中を走っているにもかかわらず、沿線には他には「海尻」や路線名の元となった「小海」などと「海」の付いた地名が多いのも特徴。

昔の人は案外いい加減で(?)、池や沼だろうと湖だろうと、要は水がいっぱい溜まっていれば「海」と言っていたらしく、たまたまこの沿線には「水溜り」がいっぱいあったようです。

八ヶ岳が崩壊して千曲川を堰き止め、湖ができたものの干上がって平地となったのですが、その北側を「海尻」、南側を「海ノ口」と称した、との事。

横に添い続ける千曲川(ちくまがわ)→
川が新潟に入ると、信濃川と呼ばれます。

7時半前に小海駅に到着→
曇ってはいるけど、雨はあがりました。やれやれですよ、全く。

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