ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

137日目 札幌近郊をうろついて、北海道ともお別れ 

2015-12-06 01:11:20 | 道央
2015年9月21日(月)


新札幌駅周辺をフラついてみましょう→

サンピアザ水族館
ショッピングセンター「サンピアザ」内にある水族館。
規模は小さいようですが、流氷の天使・クリオネや幻の魚・イトウが見られたり、カワウソと触れ合ったりできるなど、それなりに楽しめそう。

↓水族館の目の前は「札幌市青少年科学館

外見や名前からして冴えないハコものなんだろうなと思いましたが、なかなかどうして、親子連れがゾロゾロと出てくる。
ここのサイトを見るとプラネタリウムをはじめとする様々な展示物があって、ここも大人でも楽しめそう。
でもこの日は博物館巡りで時間をおおいに費やしてしまったので、これらは残念ながらパス。

駅構内の飲食店街→
食堂の看板が昭和っぽくてよい。

↓〔44〕北海道札幌市厚別(あつべつ)区役所

アイヌ語「アツペツ」=オヒョウ樹皮のある川に由来で、厚司織(あつしおり)とは、オヒョウ樹皮から採れる糸で織ったアイヌ民族の織物の一つ。平成元年に白石(しろいし)区から分区。

以前から千歳線に乗っていて気になったものがあったので、それがある所らしきへ行ってみる。
高架線を札幌駅方向にひたすら歩く→

↓その気になるものはここら辺にあったんだけどなあ。

見当たりません・・・。
近所の人に聞いてみたら「(写真左の)今工事している建物にあったんですけどねえ」。
工事が終わったらまた見られるのかなと思ったら、「前の所有者は売っちゃったからそれはないね。時計がなくても時間がすぐに分かって便利だったんだけど・・・」。
間近で見たかったのはニセ時計台。幻となってしまって、これこそ本当にガッカリな名所となってしまったわ・・・。因みに「北海道ファンマガジン」には在りし日の姿がありましたので載せておきます。

↓ガッカリ感がハンパない状態で駅に戻り、電車に乗ります。


野幌(のっぽろ)原生林→
昭和27(1952)年に特別天然記念物の指定を受けるも翌々年の洞爺丸台風で壊滅状態となり、さらに風害・病虫害などで回復不可能、以後徐々に指定が解除される。
この日行った「北海道開拓の村」は元々この原生林だった所。

↓北広島市の北広島駅



アーチ型屋根の下は「エルフィンパーク交流広場」といい、寒冷地北海道にふさわしい建物となっております。

 
左、「きたひろ まいピー」という、モチーフを赤毛米としたゆるキャラ。髪はちょっぴりしかないけど一応女のコという設定で、今年のゆるキャラグランプリでは総合73位。
赤毛米とは、中山久蔵さんという人が北海道では適さないとみられていた米作りに果敢に挑んで成功させた水稲の品種。謂わば北海道米の先祖。
因みに市のイメージマスコットは何故だかエルフィンだったりする。

右、札幌農学校教頭・クラーク博士だよな? あれっ?、何でここ?
確かに博士の像は札幌市の北海道大学や羊ヶ丘展望台にあるけど、パネルにもある彼の有名な言葉「Boys、be ambitious!」はここ北広島市の旧島松駅逓所で発したものでした。
知らんかったわ。像があるゆえ、てっきり札幌での言葉かと思ってました。

道道46号線・広島本通→
(中国の)広島に来たような感じ。
それもその筈、明治17(1884)年に広島県から25戸103人が移住し開拓されたのが始まり。
平成8年9月1日に市制を施行し、「広島町」から一旦「広島市」となるも即日「北広島市」に改称。

↓ここにも天使が舞い降りてきておりますわ。

この区画には「社会福祉法人聖母会」が運営しているらしい児童養護施設やら教会やらが固まっている。いい名前の幼稚園じゃないか。どうやら北海道の人はかなり天使がお好きなよう。

教会敷地内の像→

↓交差点の中を悠然と歩く認知症の爺さん。

車は避けてくれましたが、これで撥ねてしまったら寧ろ車の方がお気の毒な気がする。

(547)北海道北広島市役所
6万人にちょっと届かない位の人口の札幌のベッドタウン「きたひろ」。
私の近所の道産子も使っていましたが、現地の人は北広島市を「きたひろ」と言います。

↓札幌市・桑園に行き、極楽湯で汗を流したり晩酌したりとまさに極楽気分に浸ってから、あの夜行列車に乗るため札幌駅に歩いて行きます。


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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

137日目 北海道開拓時代を偲ぶ(3)~開拓の村

2015-11-30 23:59:29 | 道央
2015年9月21日(月)

やって来たのは博物館は博物館でも、野外の博物館→
昭和58(1983)年にできた野幌森林公園内にある北海道開拓の村(札幌市厚別区)。
ここはこのサイトの言葉を借りれば「北海道百年を記念して設置されました。開拓の過程における生活と産業・経済・文化の歴史を示す建造物等を移設、復元して保存するとともに、開拓当時の情景を再現展示して、北海道の開拓の歴史を身近に学ぶことのでき」、この日のテーマである「北海道開拓時代」を肌で感じるにモッテコイの場所。

↓入口である「旧札幌停車場(明治41(1908)年築)」の建物を抜けると、まずは「市街地群」と呼ばれるゾーンが広がります。

昔の札幌ってこんなんだったのかと思わせる、いかにも北海道っぽい並木道。
そしてすぐに目に付くのが鉄道の客車で、これを馬が引いていきます。

↓どこからともなく馬がやってきて客車に繋がれる。

お馬さん、かわいい。ホントかわいい。

↓イザ、出発! パカパカと蹄の音を立てて歩き出す。

背後の建物は「旧来正旅館(大正8(1919)年築・旭川市)」。
お馬さん、流石に力持ち。3tある客車には20人程が乗っているからさらに重さ1~1.5tが加わっても、朝飯前とばかりいとも簡単に引いていく。
馬一頭の力は人の4~5人分に相当するというけど、人がそれだけ寄ってたかっても動かせる気が全くしない。凄いぜ、お馬さん!因みに冬の時期は馬そりになります。

↓市街地の建物いくつか

左から「旧本庄鉄工所(明治30年頃築・石狩市」、「旧藤原車橇製作所(明治36年・妹背牛町)」。


手前から「旧手宮駅長官舎(明治17年築・小樽市)」、「旧開拓使爾志通洋造家(明治11年築・札幌市)」。


旧札幌警察署南一条巡査派出所(明治44年築)。ちなみに立っているおっちゃんは人形ではありません。

↓「こどもの広場」に来ると、子供達が昔懐かしい竹馬に興じている。

私が通っていた小学校には竹馬がたくさん揃えられていて結構乗って遊んでいたものの、それ以来全く乗る機会がなかったのですが、童心が頭をもたげ遊んでみたくなる。
実際に乗ってみると、昔体で覚えた感覚は忘れることはありませんな。折しも降り出した雨で足元が滑って歩きにくかったのですが、案外うまくいきました。周りの子からは「うまいうまい!」と褒められ(?)ちょっと得意げ(いい年してみっともないが)、というかメンツが保てホッとする。
調子に乗って、うまくできない子には「竹馬を前に倒して乗るんだよ」と教えてあげる(余計なお節介)

↓漁村群

旧青山家漁家住宅(大正8年築・小樽市)


旧土谷家はねだし(明治20年頃築・八雲町)

↓軽食堂で開拓の村名物「いももち(2個で300円)」を戴く。


↓農村群

馬車鉄道はここ「旧ソーケシュオマベツ駅逓所(明治40年頃築・喜茂別町)」でおしまい。

↓シルバーウィーク期間中につき「秋のふるさとまつり」が催されており、大道芸・農作物の試食販売・露店などのイベントも盛りだくさん。

この時はちょうど紙芝居、雷鳴も轟く中ご苦労さまです。

↓村内で私が一番気に入った建物



開拓小屋。夏はともかく、近代にもかかわらず弥生時代の竪穴式住居を思わせるこんなものでよく極寒の北海道の冬を越せたものだよ。昔の人のド根性というか忍耐強さたるや、頭の下がる思いである。

山村群ゾーンというのもあるのだけど、うっかり廻るの忘れました・・・大失敗。

面白いです、ここ。時間の都合で1時間半程度しかいられませんでしたが、また来たいわ。
行かれませんでしたが、野幌森林公園内には「北海道博物館」もあるので、今度はそれも一緒にたっぷり一日かけてね。

再びバスに乗って新札幌駅を目指します。

↓同じく野幌森林公園内の北海道百年記念塔。


↓16時ちょっと前に新札幌駅のバスターミナルに到着。


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137日目 北海道開拓時代を偲ぶ(2)~苗穂

2015-11-26 23:59:18 | 道央
2015年9月21日(月)


苗穂(なえぼ)駅の方に向かい、電車に飛び乗って何処かへ・・・。
そうしたいのは山々ですがそれはならぬとばかり、駅近くには大人のために造ってくれた素晴らしい施設があり、足は自然とそちらに向いてしまいます。

↓サッポロガーデンパークへ。



ショッピングモール「Ario札幌」や北海道日本ハムファイターズ室内練習場などがある巨大な複合施設。

そして私のお目当てはこれ→
日本唯一ビールに関する博物館「サッポロビール博物館」。
元々この建物は、明治23(1890)年に「札幌製糖会社」の工場として建設されたもので、それをサッポロビールの前身である「札幌麦酒会社」が明治38年に買い取って以降はビール製造が行われ、その後に「開拓使麦酒記念館」として工場で使用していた器具などを展示が始まり、昭和62(1987)年に「サッポロビール博物館」に改称。
隣には「サッポロビール園」があり、そこでは飲めや食えやのこれまた魅力的な場所なのですが、私の様な一人でいる者には指を咥えて加えて外から眺めるしかない・・・。

博物館の入っている赤レンガの建物は「札幌苗穂地区の工場・記念館群」を構成する一施設として「北海道遺産」を受けている貴重なものですが、一部すっぽりとホロが被せられているし・・・。
来年春にリニューアルオープンするとかで、その下準備工事なのでしょうか? ついでですが、2月中旬から休館するようです。さすがに雪まつりの時は休まないでしょうけど。

一見何だか暗号っぽい・・・→
左上から横に読めばワケ分からないけど、右上から下に読んでいきます。
「麦とホップを製すれ(連)ば(者゛)ビイルとゆふ酒にな(奈)る」。
ビールの醸造法は詳しくは知りませんが、まあ、要するにこれが極意らしい。
明治9(1876)年の「開拓使麦酒醸造所」の開業式の看板を再現したもの。「開拓使麦酒醸造所」が払い下げられ「麦酒醸造場」へと名称を変更し、明治19年に渋沢栄一らがこれを買い取って設立したのが先に出てきた「札幌麦酒会社」。

↓入館無料だし、では遠慮なく入らせてもらいますわ。



日本のビールの歴史が学べます。

↓サッポロビール札幌工場で使われた煮沸釜

麦汁にホップを加えてこれで煮沸するらしい。
ホップはあのビールの特有の苦味や香りをつけるなどの役割を果たすとの事。

↓かわいいかわいいお姉さんが怪しい旅人のために一所懸命身振り手振りポスター広告の解説をしてくれるとても嬉しいサービス。

本当は、見学に来ていた団体があって、その人たちに解説していたのを便乗して聞いていただけなのだけど。

↓ここに来たのだから、やらないワケにはいかないでしょう。

テイスティングサロンという所で一杯200円で飲めます。
コースターには明治9年「開拓使麦酒醸造所」創業当時の味を基本に再現しましたとあるけど、味はもう忘れた(汗)。
「サッポロ生ビール黒ラベル」「北海道限定クラシック」「開拓使麦酒」の3種飲み比べセット(\500)という、夜なら間違いなく手を出していたセットもあったのですが、昼間なのでこの程度で遠慮しておきます。

ここのシンボルたる煙突(49m)→

↓この横では、言うこと聞かないお犬さまに四苦八苦している人たち。

「秋のワンワン運動会」などと、日本てホント平和ボケしているよなあ。真っ昼間から酒食らっている者から言われたくはないだろうけど。

北海道日本ハムファイターズの寮→
この日は札幌ドームで福岡ソフトバンクホークスとのナイターあり。
若い女のコはお目当ての選手に見初めてもらえるよう頑張れ。

ario札幌店内にて→
遥か遠い北海道からの応援虚しく、V4を逃した読売巨人軍。
この時には既にファイターズの優勝は消滅してしまったし、違うリーグの応援なら全く問題なしという事で何とか客寄せ。でもまだ北海道に巨人ファンっているんだろうか?

↓苗穂駅西側跨線橋より(札幌駅方向)

撮りテツが大喜びしそうなスポット。

↓函館本線の森林公園駅へ行き、そこからバスに乗って、またしても某博物館で見学です。




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137日目 北海道開拓時代を偲ぶ(1)~札幌村

2015-11-23 16:32:08 | 道央
2015年9月21日(月)


北の湖理事長が永眠されました。
私が相撲に興味を持ったのは小学生低学年の時でしたが、その頃他を圧倒する無類の強さを見せつけていた力士が横綱・北の湖。
憎まれ役だったというけどガキだった当時の私にそれを知る由もなく、ただ単に強い者には憧れるといった極めて単純な理由で彼は私にとって絶対無比の大ヒーローとなったのです。
もちろん最近テレビでよく流される横綱・輪島との水入りの大一番もドキドキしながら見ておりましたし。
嗚呼、巨星墜つ。合掌。

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北海道滞在の最終日を迎えたこの日、札幌近郊をうろつく予定ですが、どちらかと言うと市町村巡りは二の次で観光がメインの日。たまにはこういうのもいいかな。

前日は「旧炭鉱都市」をテーマとした町巡りでしたが、この日のそれは「北海道開拓時代」で、極力負の側面はあまり出さない方向で進めていきたいと思います。

札幌駅北口からスタート→

↓人口200万人の大都会の駅周辺のわりに、昔の建物がちらほら見られたり、を思わせる櫛の歯が欠けたような空間があったりとなかなか面白い。





 
↓ここでアクシデント発生! 急に具合が悪くなってここに担ぎ込まれ、天使のような優しい看護婦さんに看てもらって・・・。

何て妄想をついつい抱いてしまう、天使萌え~(あまつかもえ~、じゃないゾ!(笑))な病院がありました! おまけに近くには天使大学というのもあるし。

昨日も一昨日にもまたしても尿管結石に苦しみ、悲しい三連休を過ごした私でしたが、何で札幌へ行った時にならなかったのかなあ、残念(?)。
と思ったら、あれっ、泌尿器科がないっ、結局ダメだったじゃん・・・。

〔43〕北海道札幌市東区役所
よ~く見ると、ここにも時計台があるではございませんか。
この区の沿革を見てみると、昭和30(1955)年に札幌市に呑み込まれるまで存在していた札幌村に相当する区域。
慶応2(1866)年に幕府の命を受けた大友亀太郎という役人により開拓が始まり、「札幌黄」というタマネギを特産とした農村として発展。

役所前の通り→

区のマスコットである玉葱の妖精「タッピー」→
浜松で開催中の「ゆるキャラグランプリ2015」には撃って出ていない模様。

初めて札幌の地下鉄に乗ってみる→
ただし、東区役所前駅から環状通東駅までの一区間だけ。
札幌の地下鉄の特徴はゴムタイヤで走っている事。なので、線路の上を走っている普通の鉄道とは違って走行中は何だか違和感あり。

↓安政年間に建立された石狩国最古の古刹「本龍寺」

因みに同じ石狩でも、今の石狩振興局とは違って、もっと広かった当時の石狩国です。

↓この日楽しみの一つであった「札幌村郷土記念館」へ。

「札幌の開拓者である大友亀太郎や当時栽培が盛んであった玉葱を中心に、郷土史を語り継いでいく目的で開設された(Wikipedia)」博物館。
ところが、なっナント・・・。門に鎖が張られているのがお分かりでしょうか?
そうです、休館日なのでありました。なんでやねん・・・。こういう事がホント多すぎだわ。

大友亀太郎さんの像→
神奈川県小田原出身。記念館のある場所に彼の過ごした役宅が建てられ、「御手作場(おてさくば)」といわれる模範農場を開き、大友堀を開削して農業の基礎を築く。

大友堀の上流部分に当たる部分→
現在は創成川と呼ばれています(札幌駅の近くで写す)。

ションボリしながら苗穂に向かって歩きます。

↓一服しに入ったコンビニで見つけた、ご当地限定もの。

まさにトウモロコシ味の甘いお茶。でも私の好みではなかったわ・・・。

↓珍しくとも何ともないけどボーイスカウトの建物があるわいと、何げにボンヤリ見ていたその奥にひっそり佇んでいたものがこれ。



札幌村はタマネギが特産だったと先に述べましたが、それ以前はリンゴやブドウなどの果樹栽培が盛んだったようで、これはその名残りか。実は小ぶりでまだ酸っぱそう。
後で知ったことなのですが、この碑があるのは個人の敷地なんだそうで・・・。スミマセン。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

136日目 炭鉱夫どもが夢の跡(3)~悲別駅

2015-11-19 23:40:30 | 道央
2015年9月20日(日)


9回表、則本が続投でマウンドに上がった瞬間、あっ、これは負けるかもと思い、実際そのとおりになって試合終了の瞬間すぐにテレビを消してしまった私であります。土曜日の楽しみがなくなってしまったがな・・・。

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この日の「旧炭鉱都市を訪ねてシリーズ」、3番目は上砂川町(ちょう)。

14時20分頃、このバス停で下車→

↓旧炭鉱都市であった証しは、イヤでもすぐに分かります。

ここを後ろに目を向けるとある高く聳える塔がそれ。近くに行ってみましょう。

↓上砂川町のシンボル的存在の「旧三井砂川中央竪坑」
 
「センタ」となっているのが、ちと笑える。
昭和62(1987)年に炭鉱が閉山した後の平成3年に「地下無重力実験センター」の実験棟として平成15年の廃止まで使われました。
実験内容は文科省HPによれば「710mの縦穴を地下にむけて真空カプセルを落下させることで、約10秒にわたって10-5Gの微小重力状態を10秒間作り出すことができる設備を利用して各種実験が実施された」という。何のこっちゃ?? とにかくこれは当時世界一だったという。

塔のちょっと先には「上砂川炭鉱館」→
平成17年からの無期休館が一転、昨年から期間限定で開館するようになり、今年は原則5~9月の土日が対象、というのを旅から帰ってきて知りました
まさにこの日がそうだったワケですが、残念ながら、上砂川町では充分な滞在時間を確保できなかった事情もあり入館を一顧だにせず。嗚呼、痛恨の極み・・・。

↓下車したバス停近くには昔の駅舎が見えます。



平成6年に廃止された函館本線上砂川支線の終点・上砂川駅、歌志内市の時も紹介したテレビドラマ「昨日、悲別(かなしべつ)」で」では、この駅が「悲別駅」という設定で登場。
昭和59年のドラマですが・・・、このドラマが放映された事は全く記憶になく、「山河燃ゆ」「心はいつもラムネ色」程度しか知らんがな・・・。
鉄道が走っていた頃でも私はここに来た事はなく、その当時は、下車したバス停前に駅舎があったようで(下車したバス停は「上砂川駅前」という停留所だったらしい)、今は100m程奥に引っ込み、しかも向きも90度回転させております。因みに増毛でも触れた映画「駅 STATION」でも使われたという。

砂川駅方向→
昔はいっぱい線路が敷かれていたんだろうね。石炭満載の貨物列車で埋め尽くされた様子が目に浮かぶようだ。

町のメインストリート(道道114号線)→
人はほとんど見かけず、寂しい限り。かつて国を支えた炭鉱都市がかくなる姿になってしまうのは非常に忍びない。安倍さん、石破さん、早く何とかして下さい・・・。

(545)北海道空知郡上砂川町役場
日本で一番人口の少ない市である歌志内市とたいして変わらない3,400人程が住む町。
明治32(1899)年に福井県鶉(うずら)村(現在の福井市、現在でも上砂川町には「鶉」という集落があります)から来た9名による開拓が町の始まり。
昭和24(1949)年に当時の砂川町と歌志内町の一部を分割して成立。

またもバスで砂川市に入ります。
近くの遥か彼方まで一直線の函館本線を眺める→
この直線区間は約20kmはあるでしょうか、線路を敷設した当時は全く障害物がなかったんでしょう、ただただひたすら真っ直ぐ。

ところが道路の方には更にこれを上回る29.2kmの、道路としての日本一の直線区間(美唄(びばい)市-滝川市)があります。
国道12号線のこの区間です→
ただし、砂川から滝川までの間が若干曲がっているとかで、実際は27.7kmみたいですが。

ただ、鉄道にしても道路にしても「すげぇまっすぐー、ワーワー、キャーキャー」と大喜びしている訳にはいかない。
国道12号線の前身は「上川道路」といい、建設されたのは恐らくロクな機械もなかったであろう人力が頼りの明治19(1886)年で、約90kmの道路をたった3ヶ月で完成させてしまう。そして、ここも含めて北海道中の道路・鉄道建設、炭鉱などの労働の担い手となったのは多くの囚人たち。
とにかく、北海道へ行ったならば前にも紹介したことがありますが、月形樺戸(つきがたかばと)博物館に行って北海道開拓時代の負の側面を多くの人に知って欲しいと思います。

砂川オアシスパーク→
180haの敷地内に100ha遊水池がある市民の憩いの場所。因みに市民一人あたりの都市公園面積は、平成26年3月現在で208.46㎡と日本一

樺戸連山も一望できます→

(546)北海道砂川市役所
歌志内市の地名の由来となったアイヌ語「オタウシナイ(「砂浜の多い川」の意味)=ペンケウタシュナイ川」を意訳した地名。因みに上砂川町は、ペンケウタシュナイ川の上流にあるから。
明治19年にたった1世帯5人が入植したのがスタート、その後砂川は農業も営みつつ、工業都市としても発展する。ただ、ここも御多分に漏れず人口減少には苦悩しており、現在約17,800人。なので、市民一人あたりの都市公園面積は拡大の一途で日本一はしばらく安泰と思われる(喜んでいいのか?)。

↓国道の西側に並行する飲み屋の多い歓楽街「柳通り商店街」


東側には「東1条南通り商店街」→
それにしても見事なシャッター商店街だ・・・。

↓国道12号線には多くの菓子屋があるので、「すながわスイートロード」と呼ばれています。

滝川方向のこの先をずっと行くと、今年6月に起こったあの惨たらしい飲酒運転による死傷事故現場があります。おまけにその事故後、共産党の砂川市議と砂川署の巡査部長が飲酒運転していた事実が発覚、砂川市はあたかも「飲酒運転天国」の様相。やりたい放題。

↓砂川駅から一路札幌へ。



この日の宿泊地は、恋の町・札幌でございまする。

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136日目 炭鉱夫どもが夢の跡(2)~日本最弱の市

2015-11-16 23:42:37 | 道央
2015年9月20日(日)


↓雨を避けようと乗ったバスは山間部に入り、長いトンネルを抜けると歌志内(うたしない)市に入り、その最初のバス停で下車します。

この間たったの10分。それに雨脚は全く衰えておらず、避難した意味なし。

いつもであれば、市町村の紹介は役所・役場の写真でするのですが、先に歌志内市について触れておこうと思います。

私が日本地理に興味を持ったのはもうだいぶ昔の小学校低学年の時でしたが、その時から歌志内市の存在は知っておりました。
何故なら、その頃には既に日本で一番人口の少ない市だったから(初めて手にした日本地図帳に市の人口一覧表が載っていたので)。
そしてそれは今も変わらず今年の10月31日現在、その数、たったの3,695人市のHPによる)。
もはや村どころか、集落レベル。何故かくも悲惨な状況になってしまったのか?

一番は何といっても炭鉱の閉山によるもので、市HPの「人口と世帯数の推移」のページを見ると、最高は昭和23(1948)年の46,171人、市制が施行された昭和33年は40,697人。まあ、ここらはまだいいのですが、昭和38年の炭鉱の閉山で一年間で一気に8千人減り、昭和40年代の閉山でさらに激減、昭和56年にはついに1万人を切ってしまう。
いつから「一番人口の少ない市」のという偉大なる冠(?)を被り始めたのか知りませんが、恐らく相当長年ビリをぶっちぎっているものと。そして2位の夕張市(北海道)は9,100人程なので、その座は当分安泰と思われます。めでたしめでたし。

市を自ら返上して町村に降格も可能らしいですが、住民サービスの低下につながるとして、目下その考えはないよう。せっかく手にした市なるブランドは失いたくないらしい(今では市が大増殖してしまってブランド力はかなり低下していると思うんだけど)。
近年では町のスイス風景観づくりや、かもい岳山麓など、観光に力を入れているようですが、それだけではなかなかいかんともし難いように思われます。

さてさて、道道114号線をバスの行ってしまった方に歩いていくと、早速気になる建物が左手に見えてきます。

↓悲別(かなしべつ)ロマン座



旧住友上歌鉱の職員厚生施設として映画・演劇などが催され、昭和59(1984)年のテレビドラマ「昨日、悲別で」のロケ地としても使われた施設。
超有名な映画「幸福の黄色いハンカチ」でも登場したらしく、はて?、どの場面だったのだろうと平成24年から更新された形跡のないHPを見てみると、フォークグループが「銀座カンカン娘」を歌っている場面でした。それなら覚えておりますわ。
それにしても「悲」の文字が、歌志内の悲哀を一層引き立たせているような感じだ・・・。

さらに歩く→
右の共同住宅がいわゆる「スイス風景観づくり」の一貫としてのものなのでしょう。左の昔風共同住宅とのアンバランスさが妙にいい。

↓僅かながらでも人を呼びこもうと役所は苦心しているんだけど・・・。

分譲が始まって数年は経っているようですが、なかなか完売しません。

東光(とうこう)交差点→
その交差点から私が立ってる左側の道(駅前通り)を歩いてみる。

↓手前のトンガリ屋根の建物は「歌志内市郷土館ゆめつむぎ(入館料\200)」。


↓ちょっと覗いてみようかね。



1階には家庭内で使われた用具や国鉄歌志内線などの物、地下には炭鉱で使われた機械などが展示されています。
過去にはこんな輝いた時代もあったんだぞ、と言わんばかりの資料館。

ちょっと進む→
左の郵便局は歌志内駅があったという場所。

↓「ゆめつむぎ」でも展示されていましたが、市のHPにも載っていた昭和40年代の駅前通りの写真。

賑やかで、一見都会にも感じられる。が、・・・。

50年でこう変わっちゃいました・・・→
後方の山(ズリ山らしい)も消えてしまっているし・・・。
少子化がさらに進んで、50年後にはこうした光景が至る所で当たり前のようになってしまうのかも知れない。日本の将来、大丈夫なのだろうか?

打ち捨てられたスーパー→

↓灯が消えた感の市街地の建物と比べてお寺さんはかなり立派です。


さて、お昼の時間なのでどこかでご飯をと探しましたが、食べられるようなお店は一軒もない!
仕方なく道民の道民による道民のためのコンビニ「セイコーマート」が分譲地近くにあったので、そこで何か調達しようと入ったらビックリ!
何と、店内に9月だというのに暖房が効いている・・・。こちらは暑くてずっと長袖を捲くりあげているというのに。どうやら北海道の人とはお肌の感覚が相当違うようです。

鉄道跡らしきを歩く→

(544)北海道歌志内市役所
地名は、「砂浜の多い川」を意味するアイヌ語「オタウシナイ」から。その「オタウシナイ」とは市内を流れる「ペンケウタシュナイ川」の事で、役所の裏手(写真左側)に流れています。

道の駅「うたしないチロルの湯」→
宿泊ができる温泉施設。私は立ち寄れませんでしたが、目の前をドライブなんかで通ったならせめて一風呂浴びて下さい。風呂がダメなら買い物でも。歌志内市のために・・・。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

136日目 炭鉱夫どもが夢の跡(1)~爆笑の777階段

2015-11-13 23:56:13 | 道央
2015年9月20日(日)


祝! 前日(9月19日)に北海道日高のアポイ岳ジオパークが世界ジオパークにも認定されて、朝から道内のニュースはその話題で持ち切りであります。

旭川駅8時10分発の電車に乗るのは前日と同じ。ただ違う点は、下車駅は滝川であるという事。
2年半前に来た時を懐かしみながら軽く滝川駅周辺をブラブラしてから、根室本線9時36分発の各駅停車に乗るワケなんですが・・・。
この列車、テツには超有名で、JR北海道が誇る看板列車(?)でもあります。

↓市街地散策に出る直前のその列車が発車するホーム

普通の待ち客と待ちテツらしきのこの多さ。なので席取り合戦への参戦はあっさり放棄。
たかだか鈍行列車の何が多くの人を惹きつけるのか?

ここまで行くんです→
何てったって日本最長距離(300kmあまり)・最長時間(8時間半ほど)を走行する鈍行(早朝から深夜までひたすら走り続ける山手線電車があるらしく、それこそ日本一という噂もあるけど、ここはJR北海道の顔を立てておこう)。

連休中もあってか、デッキまで一杯→
車内は空調などないどころか、扇風機すらもないあたかも蒸し風呂状態。
このまま釧路まで行くハメになるのか・・・。死んぢゃいますよ、確実に。

↓勿論そんな甲斐性は全くを持ってございません。

乗ること15分で早々に脱出し、あばよ!(柳沢慎吾風)と列車を見送る。
釧路まで行こうとしている乗りテツども(それを企てている勇者はきっといると思うんだけど)、せいぜい頑張ってねぇ~。

降りた駅は赤平(あかびら)駅→
雲は相変わらず多いけど、久々の晴れで気持ちがいい。
駅舎は6階建てで「赤平市交流センターみらい」と同居しているムダに立派なもの。センスの欠片も感じられないし。

駅前の様子→

(543)北海道赤平市役所
地名はアイヌ語で「山稜の崖」を意味する「アカピラ」から。
明治24(1891)年に岡山・熊本からの34人により開拓が始まり、大正7(1921)年になると茂尻炭礦が開鉱すると大いに繁栄。ただ、昭和30年代後半からは衰退の一途となり、平成6年に最後の住友炭礦が閉山してしまう。
昭和35(1960)年には6万人近くいた人口も、以降は当然ジリ貧となり、今では11,000人で1万人割れも時間の問題。

駅のウラ側「こもれび通」へ→
ここに来たとたん、木漏れ日すら消え、雲行きが次第に怪しくなってくる。
以前は赤間炭鉱(昭和12(1937)年~昭和48(1973)年)の施設があったみたいですが、今ではほとんど解体されてただの広っぱと化しております。

↓そんな中に、パチンコ好きを大いに刺激しそうな看板がお目見えします。

旧赤間炭鉱ズリ山階段。「ズリ山」とは採掘で出た石などを積み上げた山で、九州では「ボタ山」という。標高197.65m、階段の数は777で日本一。聞くところによると、他の場所でもこれ以上の段数のものを作ろうとしたら、赤平市が泣き落しにかかり、高さだけを譲って段数日本一は守りきったという。

アノ手コノ手で赤平のアピールをしてます→

↓選炭工場跡が階段入口にポツンとあります。


ではでは、登ってみましょうか!→
写真に入り切りませんでしたが、この右側に「熊出没注意」の看板もあったりする。
怖え~。もちろん熊よけの鈴など持ってはいないので、家のキーをガチャガチャ言わせて登ります。

↓頂上まで7割のこのあたりで既に膝はガクブル。笑いが全く止まりません。

この年末にさらに段数の多い某観光地に行く予定なので、登る訓練をしておかないと・・・。

↓ようやく着いた頂上

眺めは誠によろし! 遠くの景色までもが手に取るようにわかる。そして、左の方からシャワー付きの黒い綿の塊がゆっくりと迫っていることも。・・・。

↓右手側に見えるこれは、赤平のシンボル「旧住友赤平炭鉱立坑」。

高さは約44m。地下深くまで鉱員を送り、採掘した石炭を引き揚げるのに使われ、昭和38(1963)年に完成と比較的新しい施設。

ダメージを受けた足を引きずりながら下の街を歩きます。

↓御殿倶楽部(通称「山田御殿」・昭和26(1951)年築)

地元石炭商「山田さん」が建てた総秋田杉造りの建物で、現在はお蕎麦屋さん。

↓「やすらい通り」という商店街に来たら、ついに大振りの雨に捕まってしまいました。


バスに乗って一時避難じゃ→

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135日目 一部区間廃止予定の留萌本線に乗ってみた(2)

2015-11-03 23:34:23 | 道央
2015年9月19日(土)


いち早く留萌本線の廃止予定区間に馳せ参じたいところですが、そうはさせじと留萌市までに2つの町があります。
市町村巡りというお荷物名目も抱えている以上は寄らざるを得ませんが、幸か不幸か、これらにはさして見たい所もないので、余計な時間をかけられずに済みます。

石狩沼田駅→
昭和47(1972)年まで、札沼線という路線がこの駅まで乗り入れておりました。
その事は、以前新十津川駅に行った時に触れております。

↓切符を販売しているという事は、それなりに利用客がいるようです。

ただ、何故にハンパな13時40分までか意味不明。

駅前左手側→

右手側→

(539)北海道雨竜郡沼田町(ちょう)役場
明治27(1894)年に、富山県から沼田喜三郎さんというお方ら18戸が移住して来たのが町の始まり。昔は炭鉱があったものの閉山し、今では稲作を中心とした農業が主要産業の、約3,400人が暮らす町。

↓ちょっと市街地を離れると、このとおり一面水田だらけ。


↓さらにまっすぐ進むと、留萌本線と札沼線との分岐点であったらしき場所。

新十津川方向に目をやっても、鉄道跡らしきカケラすら見当たりません。

↓上の写真の青い色の小さな物置の左側にあった遺構っぽいもの。

奥に留萌本線の線路があります。

↓お昼は街中のこのお店
 
お値段はかなり良心的。冷やしたぬきそばを戴きました。

↓深川方面に戻り、秩父別(ちっぷべつ)駅へ。


↓一日上下16本しか止まらない無人駅に、ムダに貼り付けられたタテの駅名標(笑)

一枚しか発注しなかったのに、間違って余分に注文してしまい、やむを得ず柱という柱に貼っつけたものと、勝手に想像。

↓昭和30年頃の駅(留萌駅に飾ってあったもの)

駅構内といい、人の数といい、隔世の感ありを思わせる一枚。

駅前の通り→
急にお日様がはっきり顔を出して、暑くなった中をひたすら歩きます。

↓各家々の庭には灯油の貯蔵タンクがあり、様々な形が見られ面白い。
 

↓(540)北海道雨竜郡秩父別町(ちょう)役場

アイヌ語で泥炭地を意味する「チックシペツ」が由来。なので、埼玉県の秩父(ちちぶ)市とは何ら関係なし。田舎っぽいという点は似ているけど。
明治28(1895)年に屯田兵200戸の入植が町の始まりで、泥炭地は土地改良の末、多くが水田となっております。
人口は約2,500人ですが、45年前の半分と右肩下がり。何とか町でも人口減に歯止めをかけるべく、定住する人には1平米あたり1円!で宅地を叩き売りするという何ふりかまわぬ策に出ております。
1区画460平米あるので、460円か・・・。もっとも保証金が60万円必要だけども。こんなハンパな事しないでタダであげちゃえばいいのに。
秩父別に住みたい!という勇者お方は町のHPをご覧下さい。

↓駅の南側にある「道の駅鐘のなるまち・ちっぷべつ」

「百年記念塔」と呼ばれる塔のてっぺんには国内最大級のスイングベルが設置されていて1日4回鳴り響くとの事。展望台もあって中に入れるらしいです。
塔の左側には「秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ」という温泉施設があります。

秩父別駅13時33分の列車は混んでおりました。仕方なく後ろの方に陣取ります。

恵比島駅(沼田町)→
朝の連ドラ「すずらん」で、ロケに使われた明日萌(あしもい)駅舎のある駅。
5年前のゴールデンウィークにここに自家用車で訪れたけど、ホームにはまだ大雪が積もっていてビックリしたわ。

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135日目 一部区間廃止予定の留萌本線に乗ってみた(1)

2015-11-01 23:57:17 | 道央
2015年9月19日(土)


宿泊した旭川のホテルでは、深夜にどこかの部屋からかすかに聞こえる音楽で目が覚める。
神経がとても繊細な私はそれが気になって気になって眠れなくなる。カンベンしておくれよ~。
↓てなワケで、睡眠不十分なまま朝を迎えての出発です。

北の恵み 食べマルシェ」とは、平成22年から旭川市で行われている食のイベント。非常に魅力的な催しではあるのですが、参加は見送り。

さて、今回の旅は今年の3月から計画を練っておりまして(気が早すぎ?)、この日の当初の予定は、宗谷本線沿線の旭川より北の町巡りをする事となっていました。
そんなシルバーウィークを今か今かと待っていた最中の6月、寝耳に水の「留萌本線廃止の検討」の報道があり、結局8月になって正式に来年度中の「留萌-増毛(ましけ)の廃止が決定してしまいました。今まで留萌本線は一度も乗ったことがなかった上に、すぐ近くまで来ているワケだし、じゃあ「いつ乗るか? 今でしょ!」という具合で俄かに変更。

↓旭川駅8時10分発の電車に乗り、約25分で留萌本線の起点駅・深川駅へ。


留萌本線の列車は11時8分までないので、約2時間半の待ち時間でゆっくり深川市内をブラブラしてみます。

駅前の通り→

この日も曇りで、前日と打って変わって早朝というのもありムチャクチャ寒い。駅前ビルでホットココアを飲んでいると「もうすぐ雪の季節だね~」なんて会話が聞こえてくるし。
そんな中を駅を背にまっすぐ歩きます。

深川市地域交流施設プラザ深川→
旧拓銀の建物を使った施設。なるほどいかにも銀行っぽい建物。

↓その交差点
←札幌方向

←旭川方向

↓そのまま進むと石狩川に架かる深川橋が現れます


←下流方向
今の車道部分は昭和37(1962)年にできた3代目の橋。

↓さらに行くと、かつて「じゃらん」の読者投票で北海道内1位に輝いたという「道の駅ライスランド深川」があるのは知っていたので、最初はそこに行ってみようかと思ってましたが、距離を見てやめる。


プラザ深川のある交差点に戻り旭川方向へ。

(538)北海道深川市役所
農林業が主流産業の町で稲作がメインですが、ソバの生産の盛んで国内第2位の生産量といいます。
明治22(1889)年に、華族組合雨竜農場が設立されたことなどをきっかけに開拓が始まり、昭和38(1963)年に市制施行。
地名はアイヌ語「ナエ(谷川)」が由来とする説や、市内を流れる大鳳川(アイヌ語では「オオホナイ」)を意訳した「深い川」とする説などがあるよう。つい最近開拓が始まったのに分からんのかい・・・。

↓駅東側にある「一已跨線橋」より北側の町の様子


南側→
ところで「一已」は何て呼ぶのかご存知でしょうか? 鉄オタならお茶の子さいさいでしょうが・・・。答えは「北海道ファンマガジン」にてどうぞ。

↓跨線橋から駅まで間は飲食店街が広がってます。

いや~、2時間半を潰すのは結構しんどく、まだ時間が余ってます。飲み屋が空いていればちょいと一杯やったんだけどな。
↓仕方なくさらにブラブラして、土曜市が催されていて賑わっているこの市場を覗いてみたけど買いたいものないし。




↓落雪防止の為だと思うけど、傾斜のある屋根にはこうしたものが施され、しかも色々なタイプがあってなかなか面白いです。


やっと列車に乗る時間になったよ・・・→
かつてこの駅からは、平成7年9月に廃止された深名(しんめい)線という路線が出ておりまして、廃止された年のゴールデンウイークに乗りました。
網走からの夜行列車で4時すぎに深川に着いて、5時すぎの一番列車に写真の左隣のホームから乗車したような気がしますがほとんど記憶なし。ただ、早朝の列車なのにやけに人がいっぱい乗っていたということだけは覚えておりますが。

さて、留萌本線の列車は立ち客はいないけど、席はほぼ埋まった状態で出発進行!

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134日目 ヤリキレナイ気分で空知管内を駆け抜ける

2015-10-30 23:55:48 | 道央
2015年9月18日(金)


↓曇り空のせいで気分が一向に盛り上がらないまま、栗山駅の苫小牧側の隣駅・由仁(ゆに)駅へ。


(536)北海道夕張郡由仁町(ちょう)役場
人口5,500人あまり。「温泉のあるところ」を意味するアイヌ語「ユンニ」が由来で、地下1,300mより湧き出る温泉がコーヒー色という「ユンニの湯」なる入浴施設があり、「美人の湯(美肌の湯)」という評判みたいです。どうやら日本語でもアイヌ語でもお湯は「ユ」らしい。

由仁駅南側跨線橋より→
見てのとおり、農業が基幹産業の町。写真中央左寄りの茶色の建物のかたまりが「ユンニの湯」。

線路の西側を並行する商店街→

駅前の商店街・ふれあい通り→
ひっそりしていて誰一人としてすれ違うことがありません(車を運転している人を除く)。
廃れた田舎町を数多く見てきたのでこんな状態は慣れっこ?のハズですが、実際目の当たりにするとやっぱり哀しい。
↓「遣り切れない」気分で駅前商店街を東方向にさらに歩くと、確か「ふしこ橋」といったか、年季の入った欄干の橋へ。

橋を見ただけでは下を流れている川はたいしたものでなさそうですが、実は一級河川。それだけでも驚きなのですが、でも川の名前の面白さというか珍しさに限っては「一級」どころか「超特級」間違いなし。
テレビなんかで取り上げられたこともあるとの事なので、ご存知の方も多いかも知れません。その川の名は・・・。

↓思わず笑っちゃうというか、力が抜けるというか・・・。

この川の詳しい事は、地元北海道の魅力を発信する「北海道ファンマガジン」にお任せしますが、由来だけはここに載せておきます
・アイヌ語の「魚の住まない川」を意味する「ヤンケ・ナイ」
・アイヌ語の「片割れの川」を意味する「イヤル・キナイ」
の2つの説があるようです。
そんなこんなで川を見ていたらタイミング良く(?)雨が降ってまいりました。傍から見たらさぞ「やりきれない」表情をしていた私だったでしょう。

由仁神社で旅の安全祈願→

↓14時28分発の列車で岩見沢に行き、そこで函館線下りの各駅停車に乗り換えて、16時36分に妹背牛駅に到着。

ここには「ヤリキレナイ川」程のインパクトのあるものはないので、適当にブラブラして済ませます。

↓駅前とバス停
 
バスは週に3本だけですか・・・。それでも利用者がいるなど全く想像できないんですけど。

↓駅前の通り
 
車の走行音以外はシ~~ンとした街のように思われますが、実は大音量で歌謡曲が流れており、それだけで町は賑やか(笑)。
お花もあちらこちらで飾られていてゴミもなく、気持ちのいい通りではあります。

ここが町の中心部らしいです→

↓(537)北海道雨竜郡妹背牛町(ちょう)役場

「イラクサ(いかなる草か私は知らないけど)の茂るところ」という意味のアイヌ語「モセユーセ」が由来の、水田の広がる町。北海道では3番目に小さい面積で、人口は約3,200人。

役場に隣接する「妹背牛温泉ペペル」→
入りたいのはヤマヤマですが、17時55分の電車を逃すと4時間待ちの地獄を見ることとなります。 

↓暗くなり始めたけど、適当に街中をブラブラするしかやることない。


この日の宿泊地は旭川市。となると、行くのはあそこですよ、あそこ!
一蔵の「鮭ぶし塩味ラーメン」→
値段は2年半前と変わらぬ\900。トッピングには梅が加わったものの、汁の量がかなり減っているし・・・。 でも旨かったよ!

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134日目 日本ハム栗山監督がぞっこんという町

2015-10-28 22:31:25 | 道央
2015年9月18日(金)


北海道は自然と食を楽しむ場所というイメージになりがちで、実際そうだとは思いますが、町巡りしている旨としている身としては正直、他の地域ほど面白いとは言い難く、見所もあまり多くないのが難点。
さて、最初に訪れた栗山町は一体どんな町でしょうか?

駅前西側に伸びる通り→
「まちなみ景観」についての条例で建物の高さが制限されているので、スッキリ感のある町中心部。

観光の拠点となる施設→
一瞬「夢プラザ」に見えてしまう。それはともかく、中にソバ屋さんは現地らしき人で賑やかになっていて、単に町の社交場的な感じにしか見えなかった施設。

あるお店の看板?→
ピチピチの「すてきなミス栗山」という看板だったらもっと客入りはいいハズだぞ!

(535)北海道夕張郡栗山町(ちょう)役場
地名の由来はアイヌ語の「ヤムニウシ」から。
これとどう栗山に繋がるの?ですが、意味は「栗の樹の多い所」という。なるほど、駅名が岩見沢に向かって栗山→栗丘→栗沢と続いているのがそれを証明しております。
宮城県に角田(かくだ)という市がありますが、そこ出身の人たちが明治21(1888)年に移住し開拓、現在12,500人程が住む町。

プロ野球・北海道日本ハムファイターズの監督である栗山英樹氏は、解説者をしていた頃に同じ名前であるという縁でこの町を訪れたところ、いたく気に入ってしまい、ログハウスを建てて自宅にし(住民登録もしたかどうかは知らないけど)、さらには「栗の樹ファーム」という少年野球場を作ってしまった程の力の入れよう。しかも監督が集めた野球に関する物が見られる館があったりする。
栗の樹ファームのサイト→http://www.sponichi.co.jp/kuriyama/

さらには元総理の鳩山さんの祖先が開いた地区があって、そこには鳩山神社までもがあるというのを、確か総理就任の時にワイドショーか何かで見た気がします。

さてさて、栗の樹ファームは歩いて行けない距離ではなさそうなので、行ってみましょう。
↓歩道は凸凹、とても歩きにくい。まあ、人が全くいないからこれでいいのかもしれないけど。

難儀して歩いていたら、トラックの運ちゃんが地図を片手にやおら降りてきて、私に「この場所に行きたいんだけど、ここはどこでしょ?」と聞いてくる。誰も人がいないし、道を尋ねるのに私は格好の相手だったようです。
ついてないな人だな、現地人じゃないのにと思ったものの、運ちゃんの地図に指差しながら「今ここだから、ここを真っ直ぐ行って云々」と、この町に初めて来て1時間もいないのに行き方を教えてあげられる。俺ってすげえ
勿論適当に教えたワケではありません。たまたま役場の近くを聞かれたのでね。

↓さて、栗山さんちはあろう事か、町の北側の小高い丘の上にあり、そこを登らんといけません。荷物抱えているのもありツラすぎ。

何でだかゴミが散乱しているし、この辺りが売れるとは全く思えないけど、好評らしい「分譲地」の幟がしょげて見えるしで、いとあはれな図。

振り返って見る町中心部→

やっと来た入口→

↓さらに高い所へ登っていくと恐らく監督宅や野球場があるんだろう。

でも、しんどいです。もういいです。
さらに続く坂がイヤになったというのもあるけど、栗山町には1時間半しかいられず、他に行きたい所もあるので・・・。そこはある意味「栗の樹ファーム」以上に行きたい場所。

↓その行きたい所へ向かう途中にある栗山公園入口

最近自宅でどこかのローカルテレビを見ていたらたまたまこの公園が出てきて、動物園などなどを紹介しておりました。
日本ハムが1つ勝つ毎に花一輪を植えていく花壇があるのも知らなかったわ。

↓北海道最古の蔵元・小林酒造



行きたかったのはまさにここで、西洋風レンガ蔵や石蔵が特徴の蔵元。
昭和19(1944)に竣工した小樽の銀行を模した旧本社である北の錦記念館では多くの銘酒を試飲できるのですが、それを楽しむ時間がなくなってしまったのが実に悲しい・・・

↓昨年より公開されている明治30(1897)年築の「小林家住宅」

他にもいろいろと見物できる展示館があり、酒が飲めない人でもそれなりに楽しめます。

駅に戻る途中→
きびだんボ? 何で最後だけ「くずし字」なんだか意味分からんが・・・。
「ボ」みたいな字は「古」の変体仮名に点々を付けた字です。
それはさておき、「日本一」と銘打った「きびだんご」とは?

岡山のとは全く違うんだけど?→
でも包装紙にはしっかりと桃太郎が描かれていたりする。因みにお値段は税別で1個120円。
これを売り出している「谷田製菓株式会社」のHPによれば、「当社のきびだんごは大正12年に作り出したもので、 関東大震災の復興を願い、さらに北海道開拓時の助け合う気持ちをこめ、「起備団合」という名前をつけ発売しました。」とある。いつの時代も博愛の精神は必要ですな。
食べてみます。だんごというよりですな、昔懐かしい感じの。
写真でお分かりのように結構大きく、食べごたえがあって腹持ち誠によろし。
 
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47日目 石狩川に沿って(5)~札沼線沿線

2013-06-18 23:57:35 | 道央
2013年5月4日(土)


石狩月形駅から再び新十津川の方向に戻ります。

豊ヶ岡駅→
秘境駅訪問家・牛山隆信氏によるところの秘境駅ランキング16位の駅。
確かに周りに人家は全く無く、薄暗い藪の中にあります。

↓乗った列車の終点、浦臼駅



駅舎は新しく、「ふれあいステーション」と呼ばれ、歯医者さんも入っています。

乗ってきた列車は折り返して札幌方面へ行くのですが、その間の30分で駅周辺を散策します。

(253)北海道樺戸(かばと)郡浦臼町役場
「ウムイウシ(網代の場所)」というアイヌ語に由来した地名。
人口は2千人余り。

↓国道275号線沿いには、北海道らしい、どっしりとした感じのレトロチックな建物が多くあります。








駅近くの潰れたそろばん塾→
そろばん珠の弾き方は教えられても、経営のそろばん勘定は出来ずに弾けてしまった様だ。

この日の最後の訪問地は、折り返しの列車の終点・石狩当別(いしかりとうべつ)駅のある町。

石狩当別駅構内→

↓駅北口を出ますと、白樺をはじめとした多くの樹木が立ち並んでおり、綺麗な街並みとなっています。
←駅を見る

←その反対側

(254)北海道石狩郡当別町役場
アイヌ語「トーペツ(沼川)」に由来する町名です。

↓役場近くの公園







常識的には3.9度はメチャクチャ寒い筈なのですが、全く寒さを感じない。
もはや完全に神経が逝かれてしまったようです・・・

石狩当別駅から札幌行きの電車に乗ります。

手稲山の方だったかな?→

札幌駅到着目前→

↓札幌駅からは特急すずらん8号に乗り、苫小牧へ行きます。




北海道最後の夜は苫小牧市に宿泊です。

ということで、例のごとく繁華街に出向きます→

↓北の幸を堪能(幸せじゃ)


←かすべ(エイ)の煮付け

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47日目 石狩川に沿って(4)~札沼線沿線

2013-06-17 23:22:07 | 道央
2013年5月4日(土)


滝川バスターミナルよりバスに乗車しました。

石狩川(国道451号線の「滝新橋」より)→
右にちらりと見える「たきかわスカイパーク」。
そこではグライダーの体験飛行ができるらしいです。
飛行機が超苦手な私にはとてもとても・・・

石狩川はアイヌ語の「イシカリベツ(曲がりくねった川)」が語源です。
その通り、クネクネ蛇行していたので、たびたび氾濫し、流路もしょっちゅう変わり、その名残りとして、至るところに三日月湖が残っています。
洪水被害を防ぐために川の直線化改修工事がなされ、その結果100キロも長さが減り、日本一長い川の座を明け渡すようになったといいます。

12時半頃、皆様お察しのとおり、終点の「新十津川(しんとつかわ)役場」に到着。

「新十津川役場」バス停→
視線を右に向けると役場庁舎です。

(251)北海道樺戸(かばと)郡新十津川町役場
奈良県の南部に十津川村という、まさに秘境といった中にある村がありますが、その出身者が入植したのが始まりです。
おととしの台風12号による豪雨被害を受けた十津川村に対し、新十津川町が様々な支援をしたというニュースをよく耳にしました。

役場庁舎正面を背にして右の方向→

手前の交差点を左に歩きます→

突き当たりを右に→

すると目の前は、これです。
↓札沼(さっしょう)線の終点・新十津川駅


←ホームから

時刻表→
一日僅か3本しかありません。

駅全体の風景
 

こちら行き止まり→
40年位前まではさらに先に線路が続いていました。
札沼線の名はかつては、札幌と石狩沼田を結んでいた事に因るのですが、新十津川と石狩沼田の間が廃止されてしまいました。

列車は12時59分に発車します。

↓車窓



こんな感じの風景が続きます。

50分位乗って、石狩月形駅で下車。

駅舎の中→

↓石狩月形駅正面と駅前




(252)北海道樺戸郡月形町役場

↓ここも視線を右に向けると、

月形樺戸博物館が建っています。
時間に余裕がありますので、見学してみます。

↓旧樺戸集治監本庁舎





集治監は現在でいう刑務所です。一時、町役場にも使われていました。
なお、館内は写真撮影禁止になっています。

↓こちらは博物館本館






ここは北海道開拓時代の集治監の歴史を扱った博物館です。
学芸員資格のある私の感想は、レベルが高度で、子供には難しすぎるかなと思いました。

樺戸集治監本庁舎は明治14(1881)年に開庁、大正8(1919)年に廃庁となる間、囚人を収容していました。
当時の政府の「囚人は極悪非道人なので、労働で野垂れ死にしても構わん。それで死んでも監獄費用が助かる。しかも、労働費用は安いから一挙両得だ」といった極悪非道人以上の酷い発想で、囚人達を開墾、道路・鉄道工事、炭鉱等の現場に送り込んでこき使いました。
周囲にはヒグマがおり、冬は厳寒の中、過酷な労働と不衛生な環境によって、多くの人達が命を失ったといいます。
やがて、明治27(1894)年に囚人の労働は廃止され、そうした労働は民間に委ねられたのですが、囚人に対して抱いた発想はそのまま雇い労働者に対する扱いにも引き継がれ、以前「常紋トンネル」で述べたような「タコ部屋労働」に取って代わったいったみたいです。

監獄についての観光施設は、何といっても網走が有名で、それはそれで悪くはないのですが、月形町の近くに来た際は、是非、ここも見ていただきたいと思います。
そして、今現在、我々が北海道で快適な暮らしができ、快適な旅行ができるのは、こうした囚人達が命と引き換えにその礎を作ってくれたからだという負の歴史を忘れてはいけないのだと思います。

旅行から帰ってきて1週間後、読売新聞の5月12日付け日曜版にデカデカとこの博物館の記事が掲載されていました。
出発前に出してくれれば、大いに参考になったのにな・・・

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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47日目 石狩川に沿って(3)~滝川

2013-06-15 23:41:50 | 道央
2013年5月4日(土)


特急・スーパー宗谷2号に乗ること約1時間、滝川駅に到着。

滝川駅で特急を見送る→

滝川駅正面→

これよりバスに乗るのですが、それまで1時間待たねばならないので、駅の周囲だけですが、散策します。

駅の左手(旭川方向)に伸びる栄通があります→

栄通は国道451号線にぶつかります→

その場所を右にちょっと行くと下記の交差点→

↓左に「三楽街」という飲食店街、右に「鈴蘭商店街(通称ベルロード)」でメインの商店街の位置付けのようです。
 

↓さらに進むと、こちら(大町1丁目1番・本町1丁目交差点)。

国道12号線・38号線・451号線が交わる所。

↓上の看板の左側の写真と同じような建物があります。


看板の背後には美しい建物→

さらにちょっと歩くと市役所です。

(250)北海道滝川市役所
「ソラプチペツ(滝の下る川)」というアイヌ語を和訳して、そのまま滝川にしたという。
それまでのアイヌの文化を踏みにじるように、無理やりに漢字を当てて、読みやすいように音を変えたり、言葉遊びのような事をしたり、この点については大和民族はけしからんと思う。

↓鈴蘭商店街を駅の方向に歩きます。





この日は駐車違反の取締りが至る所でやっていて、商店の人は「車も人も少ないこんな所を取り締まってどうするの(怒)。これじゃ、お客さんが来なくて商売上がったりだわ・・・」とボヤキまくりでした。
「普段よくやっているんですか?」と私が聞くと、「今まで来た事来ないよ(ヘッ?)」と言う。
でもさ~。
取り締まりがなくても、お客さんは来そうにないんだけど・・・と、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

↓古い昔ながらの建物にシャレた美容室と、そのギャップが何とも言えない。


↓鳥の為にこのようなご立派な巣を建てるなんて、何て太っ腹なのだろう。





それにしても、伝染病が起こったらどーするのかな、オラ知らねぇ・・・

もはや客が恋慕する事のないお店→

滝川市は近くに炭鉱が多かったためか、昔はかなり賑わっていたであろう感じが見て取れます。
でも、閉山してからは、ご覧のとおり、中心街はすっかり抜け殻のような状態・・・
これは滝川に限った問題ではないですが、もはや打つ手はないのか、ないんだろうな・・・

↓突然空がギャーギャーとうるさいので見上げると、
 
V字編隊の飛行、渡り鳥の北帰行ですな・・・
大群だったので、凄い迫力!なのですが、写真でそれをうまく伝えられないのが残念。

↓駅の近くにある北海道中央バスの「滝川ターミナル」





ここから、バスに乗ってどこへ行くのか?
鉄道好きならきっと察しがつくでしょう。
続きは次回に。


↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ


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45日目 冬戻りなば春遠き道東(1)~勇払地方

2013-05-21 23:29:48 | 道央
2013年5月2日(木)


「函館乃木温泉なごみ」を出ましたが、すでに路面電車は運転終了。
仕方ないので、極寒!の中、1時間かけて函館駅まで歩いて行きます。
本当に寒く、湯冷めが心配である・・・

今夜は宿に泊まらず、夜行列車に乗ります。

↓青森からやってきた函館1時23分発、急行「はまなす」札幌行き

JRの中で唯一の定期急行列車です。

↓増21号車とありますが、20両もの長い列車ではありません。

1号車と2号車の間に連結されている寝台車です。

私の乗る車両→
のびのびカーペットカー、見るからにポンコツです。恐らく、北海道新幹線開業までの命だろうなあ?
座席指定と同じ料金で、横になれる有り難い車両。
半個室状態の上段が確保できまして、入るなりすぐに寝ます。zzz

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早朝5時1分、苫小牧(とまこまい)駅で下車。

去りゆく「はまなす」→
最後尾の窓にいる御仁よ、さよなら~。

苫小牧のマスコットキャラクター「とまチョップ」→

苫小牧駅南口→

駅前通りを歩きます。

国道36号線との突き当たりにある建物→
苫小牧市はアイスホッケーが盛んな町です。
市長さんも嗜んでいる姿をテレビで見たことがあります。

(233)北海道苫小牧市役所
人口17万人あまりの工業・港湾都市。
今は東北楽天ゴールデンイーグルスのエース・田中将大がいた頃の駒大苫小牧高校が、夏の甲子園大会3連覇目前で涙を呑んだといったこともありました。
茨城県の大洗(おおあらい)から北海道へ渡るフェリーがあり、私は2回使ったことがありますが、ここが北海道の第一歩となる土地でもあります。
2日後には宿泊地とする予定です。

↓苫小牧始発岩見沢行きの室蘭線に乗りやって来たのは、早来(はやきた)駅


早来駅を跨ぐ歩道橋から(岩見沢方向)、左は安平川→
いかにも北海道っぽいのどかで雄大な風景ではありませんか。
とみたいちろうの「お~い北海道」を歌いたくなるぜ!
ただし、寒くなければ・・・(それと周りに人がいなければ)。
そう、写真の様子とは裏腹に風はとても強く、しかも空っ風でムチャクチャ寒いのだ。
GW中に北海道は何回か来ていますし、普段の年より寒いとは聞いてはいましたが、普通のシャツと春先に着るような薄いジャンバーで乗り切れるであろうと、少々なめてかかっていました。が、それはとっても甘かったというのは深夜の函館でイヤという程分かってしまいました。

(234)北海道勇払(ゆうふつ)郡安平(あびら)町役場

↓以下、町の建物など
 

 

 

 
試しにやってみましたが、私のやり方がマズかったのか、振り返らない・・・
何回やってもそのように見えないのであきらめる。本当はどう見えるのであろう?
安平町には「社台スタリオンステーション」という種牡馬の繋養牧場や「ノーザンファーム」という競走馬の生産牧場があります。
言わば馬の町。
↓なので、至るところに馬の懸垂幕が取り付けられています。

3冠馬・ディープインパクトや私が熱を上げた2冠馬・トウカイテイオーと幻の3冠馬(と思っている)・フジキセキもこの町にいるんだよな~。

 
写していると突然犬に吠えられビックリする。
空き家だと思っていたので犬がいるとは全く思っていない・・・
まさか、人も住んでいる?!
ホームレスならいそうな気配はする。

1時間後に来た列車で終点の追分駅に行き、そこから特別急行・スーパーとかち1号帯広行きに乗り込みます。
←追分駅に到着

←特急が入ってきた!

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

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