ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

76日目 東急沿線ブラブラ旅(2)~川崎

2014-04-30 00:21:54 | 南関東
2014年3月15日(土)


神奈川県に入りまして、最初の下車駅は溝の口駅。

溝の口駅東口を出たところ→
右にはJR線の武蔵溝ノ口駅。
ペデストリアンデッキは「キラリデッキ」というらしいです。

片や南口→
工事中で狭っ苦しい状態。

南口駅前の小高い丘にある看板「ガス風呂谷風」→
上の建物が「ガス風呂谷風」屋さん?よくわからん・・・。
時代に取り残されたような空間であります。

〔24〕神奈川県川崎市高津区役所

↓こちらも時代に取り残されたような感じですが、かえっていい雰囲気を醸し出している商店街です。




↓大山街道を多摩川の方に向けて逆戻りしてみましょう。

江戸・赤坂御門から神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利(おおやまあふり)神社を結ぶ道で、その神社は雨乞いで有名らしく、江戸時代中期には「大山詣り」としてブームとなったみたいです。
そして溝口から二子(多摩川の方)にかけて宿場町であったようです。

二ヶ領用水→

↓歴史を感じさせる建物が見られます。




二子橋→
多摩川の向こうに見えるのは、以前二子玉川園と呼ばれていた二子玉川駅(東京都世田谷区)。
結局2駅分歩いて多摩川まで来てしまいました・・・。
もっとも、1.5キロほどの僅かな距離ですけど。

二子神社そばにある「岡本かの子文学碑」→
岡本太郎氏の母で、この辺りの豪商の家の出らしく、岡本太郎氏もこの二子出身のよう。

二子新地(ふたこしんち)駅へ→
ここも以前は二子新地前という駅名だったらしいですが、wikipediaによると車内放送で「双子死んじまえ」と聞こえるらしかったので改称したとあり、それにはつい笑ってしまった。

宮前平駅で下車→

↓駅前から急な斜面を登っていかなくてはいけない。



ここの住民はきっと足腰は強いと思われ。

〔25〕神奈川県川崎市宮前区役所

この区には特に見たいような所がなく、次は横浜市の東急沿線の町を散策します。

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76日目 東急沿線ブラブラ旅(1)~世田谷

2014-04-28 23:50:32 | 南関東
2014年3月15日(土)


前日の予行演習の余勢を駆って、この日は期間限定発売の「東急ワンデーオープンチケット(\640)」を使って東急電鉄沿線の町を訪ねてみたいと思います。

稲毛駅一番電車で出発→

西船橋からの地下鉄東西線も初電→

九段下で半蔵門線に乗り換え、渋谷で「東急~チケット」を買うためいったん降ります。

↓お馴染み駅前交差点と忠犬ハチ公像
 
初代の像ができてから今年で80年。
渋谷は私が大学生の頃は庭同然の町でした(大学が近くだったから)が、その頃から比べると随分変わったなぁという印象。

いまだに新玉川線という路線名のイメージが抜けない田園都市線で三軒茶屋(さんげんじゃや)、通称「三茶」へ。

ノッポなビルはキャロットタワー→
下の道路は世田谷通り。

↓駅周辺には、昭和的で場末的な街並みが残されています。








路面電車っぽい世田谷線に乗って、宮の坂駅で下車→

Let's豪徳寺!→

お寺の中にある井伊直弼(いいなおすけ)のお墓→
ご存知、桜田門外で暗殺されてしまった大老。

近くにある世田谷城址→

(365)東京都世田谷区役所
広すぎて一枚に収まらないので、入り口だけ撮影・・・。
特別区で一番人口の多い区で、約90万人。下手な政令指定都市よりも多い人口。
ところが、庁舎はそれに反して実にボロっちい。

松陰神社→
あれ?、こんな鳥居だったっけ?と思ったら、立て直したようで、以前の石の鳥居の一部が置かれていました。
井伊直弼の専制に反対する人達を処断した安政の大獄で刑死した吉田松陰を祀っている神社。

吉田松陰のお墓→

モノホンの松下村塾を模したものです→

松陰神社通り→
まっすぐ行くと松陰神社前駅(「前」とあるけど、実はちょっと離れている)、年末年始に開かれる有名な「ボロ市」は、隣の世田谷駅とその隣の上町駅の近くが会場。

三軒茶屋に戻り、再び田園都市線に。

桜新町駅→
桜新町、サザエさんの原作者・長谷川町子さんが住んでいたことに因んで、「サザエさんの街」として知られています。
三河屋さんのモデルとなったセブンイレブンがあるのですが、写真のこれではないです、悪しからず。

↓サザエさん一家の像


 
3度抜かれたという毛。にもかかわらずまた生えたとは、よほど強力な育毛剤を使っているようだ(笑)。
また、銅像に固定資産税がかけられ、桜新町商店街振興組合が一時困った事態に陥るといったように、テレビ番組同様、像となっても賑やかな話題を振りまく一家であります。

↓ここをまっすぐ行けば長谷川町子美術館や三河屋さんがあります。

が、磯野家のモデルとなった家があるかどうかまでは知りませんです、ハイ。

桜新町駅から東の方向にある駒沢給水塔→
大正13(1924)年に完成、以来長きにわたって渋谷に水を供給した変わった形の給水施設。

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75日目 東海道、ちぃさんぽ(3)~鈴が森

2014-04-25 23:40:37 | 南関東
2014年3月14日(金)


立会川からさらに南へ。

↓この交差点を左に行くと、ナイター競馬の走りで有名な大井競馬場。

一時、毎年一回、決まって7月下旬に通い続けたことがあったのですが、いつから途絶えたのか、今ではすっかりご無沙汰。

今回の旧東海道散歩の終点、鈴ヶ森刑場跡。

↓旧東海道は国道15号線(第一京浜)に飲み込まれていく感じになっています。



案内板によると慶安4(1651)年に開設、元禄年間にはその規模は間口40間(約73メートル)・奥行9間(約16メートル)であったといいます。

手を合わせてから中に入ります。

首洗の井→

↓磔台(左)に火炙台(右)
 


ずいぶん残忍な方法だよな・・・。

ここは都内でも名だたる心霊スポットでもあるようですが、仕方ないかな、Wikipediaによれば閉鎖までの220年間ではっきりとは分からないけど10~20万人が刑に処せられたらしいのだから。
本当かどうかはともかく、そのような都市伝説っぽいのが作られてもおかしくない・・・。
ただ、有名になったせいか来る人も多くなり、中にはお地蔵さまを破壊するなどの不届き者もいるやに聞きます。全くひどい話です(怒)。

死刑制度についての議論が喧しい昨今ですが、その是非はともかく、江戸時代には多くの人たちがここで亡くなった一方で、人権などという概念が全くなかったであろう平安時代のうちの一時期、それも約350年もの長きにわたって、死刑が停止されていた事(中央においてだけですが)もまた、紛れもない事実であります。

近くにはこれ、しながわ水族館→
でっかい水槽のトンネルがある事で知られています。

大森駅に向かいます。

↓大森貝墟碑(ただし、ここは大田区ですが)



モース博士が列車から見つけた日本で最初に発見された貝塚。
でも、「日本初」のわりにさびしすぎる碑石かな。

近くに大森貝塚遺跡庭園(これは品川区にある)があります。
モースさんが見つけた貝塚は大森貝塚遺跡庭園の位置だそうです。

京浜東北線で大井町駅へ。

駅前中央通り→
すでに終わっていますが、この翌々日(3月16日)、日本で初めて公道においてビーチバレーの大会「ビーチバレーボールin品川」」が行われる予定になっていました。
さて、開催日当日の盛り上がりのほどはいかがであったのだろう?

この日の本来の目的地はここ。

(364)東京都品川区役所
役所内では、都立では初めて選抜高校野球大会に出場する小山台高校を応援するポスターが至る所で貼られていました。結果は残念でしたけど。

さて、しぶしぶ仕事モードにチェンジ!

帰りの東京駅・総武快速線ホームにて→
「ボラちゃん」や「カメ」を育くむお水は、この青いパイプを通って延々運ばれていくのです。

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75日目 東海道、ちぃさんぽ(2)~立会川

2014-04-22 23:55:47 | 南関東
2014年3月14日(金)


品川橋からの続きです。

↓南品川に入ると朝の賑わいが始まっておりました。




都道421号線との交差点→

鮫洲(さめず)商店街へ→
賑わい度は今ひとつで、人気がグッと減ります。

↓昭和的な建物が数多く見られる、どことなく田舎っぽい商店街です。

それでも鮫洲は運転免許試験場があるせいか、案外知名度のある町(関東だけでしょうけど)なんですけどね。

立会川駅の方へ向かってみます→
えっ、「ようこ馬のまちへ」?
「ようこ馬」って何さ・・・??
この通り(立会川駅前通り繁栄会)をまっすぐ行くと何か判明します。

お主は坂本龍馬ではござらぬか!→
後ろは仲町稲荷神社。


が隠れていただけ・・・。
この地は龍馬ゆかりの地なんですね~。
詳しいことは例のごとく「しながわ観光協会HP」か、下から2番目の写真を見てね。

↓近くの浜川橋
 
駅名にもなっている立会川、10年くらい前にボラが大発生して、「ボラちゃん」などとバカげた命名をしてマスコミが大喜びしていた、あの川です。水が浄化されたことによる大発生なのですが、その水は総武快速地下線で沸き出る地下水をここに流しています。

この日はボラのかわりにカメがたくさんいました→
ミドリガメ?心無い人が捨てて増えてしまったのではないかと推測。

この橋から川に沿って行ってみると、→

岩の寄せ集め(笑)→
でも、笑うなかれ。ここは由緒ある場所なのでござる。

↓龍馬が「たつた四杯の上喜撰(蒸気船)で夜も眠れ」なかった場所?


「勝島運河」、かつては江戸湾→
が、何らかの工事が非常に目障りです、なんてこった・・・。

ここをずっと行くと「しながわ花海道」という花でいっぱいの、散歩にはうってつけの道につながっています。
さぞ、今のシーズンにはグッドでしょう。

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75日目 東海道、ちぃさんぽ(1)~北品川

2014-04-19 23:41:30 | 南関東
2014年3月14日(金)


九州から帰ってずっと冬篭りしていておりましたが、そろそろ冬眠から覚めねばという訳で、この日は品川区役所に仕事で用事があるのをきっかけに、早朝の旧東海道(品川駅から鈴ケ森まで)を歩いてみることにしました。
この翌日は1日中例のごとくブラブラする予定なので、その準備運動も兼ねて。

稲毛駅6時17分発の快速電車で品川駅へ→
もう少し後にすると殺人的なラッシュに見舞われる時間帯になるので、それを避けるべくやや早めに行動開始。

品川駅高輪(たかなわ)口→

駅前にある「品川駅創業記念碑」→

こちらウラ面→
写りが悪くてスミマセン・・・。
一日2往復のみ、「運賃」は「賃金」、「8時」は「8字」と表示されています。
新橋-横浜の正式開業に先立つ事4ヶ月前に品川-横浜間で仮開業していますので、品川駅は日本で最初の駅ということになります。

ウンチク番組や本で登場する常連?→
さらに言えば、目黒駅は目黒区ではなく品川区。
実にややこしい・・・。

港区と品川区の境にある八ツ山橋→
右側が品川駅方向。

橋より品川駅を臨む→
目障りとなっているのは京浜急行。

京浜急行の踏み切り→
「これより南、品川宿」、ここからがまさに品川です。
踏切のすぐ右には北品川駅があります。つまり、北品川とは品川の北部地域ってことですな。
でも、やっぱり品川駅の南に北品川駅は違和感はあるなあ。

踏み切りをちょっと過ぎた辺り→

問答河岸跡→

よ、読めん・・・→
なので、「しながわ観光協会」のHPに助っ人を頼もう。→http://www.sinakan.jp/entry.html?id=34890
・かって海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て禅問答をしたとされる場所に建つ石碑。
将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」
・地元の有志によって建てられたもの。実際の問答河岸はもう少し南に下ったあたりといわれている。
・江戸時代、旧東海道はすぐ東側は海だった。
沢庵とは、あの食べ物のたくあんを考えた人。そんな賢い人からすれば「バカな事を聞くな」と言いたかったのだろう。禅問答というより珍問答ですな。

土蔵相模跡→
「しながわ観光協会」のHPによると、「高杉晋作、伊藤俊輔(博文)など、幕末の志士たちが密議した大妓楼」という。

ここを左に折れてみよう→

するとここ、品川浦→
「しながわ観光協会」参照してね。

古い道にあって異彩を放っていたお店→

↓品海公園
 

品川宿本陣跡「しながわ観光協会」


目黒川の品川橋→

これより南、つまり南品川は次回にて。

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74日目 さらば!筑紫島(3)~宇城・宇土

2014-04-17 23:48:25 | 九州中部
2014年1月3日(金)


韓国で沈没した船、かつて日本で運航されていたといいます。
鹿児島-那覇を結んでいた「フェリーなみのうえ」がそれ。
驚きました
というのも、3年前の5月4日に那覇から奄美大島・名瀬(なぜ)までこの船に乗ったからです。
当時は旅行へ行ってもほとんど写真は撮らなかったのですが、その船の画像があるかな?と思って探してみましたら、奇跡的に那覇港を出港する船尾だけを写しておりました・・・。



さて、年末年始の旅行のシメは宇城(うき)市、宇土(うと)市。
それぞれ松橋(まつばせ)駅と宇土駅で下車し、駅周辺の散策をします。

松橋駅→

不知火(しらぬい)とは、横綱の土俵入りの型ではなく、漁火が光の異常屈折によって起こる現象で、海が燃えていたり、火の玉が海をさまよっていたりしているように見えるらしいです。
一度でいいから見てみたいものです。

何で「まつばせ」と読ませるかは、ウィキペディアを参照して下さいな。

駅前→
奥にあるのが駅。赤色の歩道はクッション性があって歩きやすい。

このまま続く商店街を進みます→

その途中で見た崩れている用水路→

セクハラを受けそうな美容室(笑)→
寧ろ、大胆にもこのような店名にした経営者に感服する。

(362)熊本県宇城市役所
5つの町が平成17年に合併し成立、人口約6万人の市。

宇土駅→

駅を南方向へ伸びる道(県道297号線)を進みます→

道路にせり出しているし・・・→
崩れたときに人や車が通っていたらどうするのかねー。

JR三角(みすみ)線の踏み切り→

踏み切り付近から「本町通り商店街」に入ります→

↓船場川の船場橋



宇土はかつては城下町。そんな雰囲気を感じさせる場所。

(363)熊本県宇土市役所

宇土市には長部田海床路(ながべたかいしょうろ) という、満潮時に水没してしまい電柱だけが海の中を並ぶ光景を見られる道路があります。これは是が非でも見たく、いずれ天草へ行く時にと考えています。

やれやれ、やっと千葉に帰ります。
さて、これまでの私であれば、誰に何と言われようとも熊本から延々6時間かけて東京まで新幹線で帰ったでしょう。
ですが何故だか今回に限ってハナっから新幹線で帰るという考えは全く起こらず、嫌いだし怖いし、何が何でも意地でも避けたい筈なのに、でも何の躊躇いもなく、ようやく本ブログ初のお目見え・飛行機を予約しました(どうしてこうしたのか、後で理由が判明しました)。

熊本駅からJR豊肥(ほうひ)本線の電車に乗り、肥後大津駅で降ります。

肥後大津駅からは空港ライナー(無料)→
リムジンっぽいバスで運行されているものと想像しておりましたが、最初これを見た時は思わずのけぞってしまいました・・・。
ま、よく考えてみたら、ロハなんだからそんな立派なものを使うわけないよな(苦笑)。

熊本空港(熊本県上益城(かみましき)郡益城町)→
愛称ばやりの最近の空港。ここも例外ではなく、「阿蘇くまもと空港」と名付けられています。

空港内→

↓屋上から




↓搭乗までの間、「うまか軒」の熊本ラーメン(\700・当時)を戴きます。

九州旅の打ち上げは、勿論これ。
まさにうまか!熊本空港へお立ち寄りの際は是非ご賞味あれ。

乗ったのは「ANA650便」→

羽田空港へは22時15分到着。は、速い

浜松町駅にて→
新幹線、止まっています。
そう、この日は記憶も新しい有楽町駅そばのビル火災、あれがあった日です。
早朝の出火にもかかわらず、夜遅くになってもダイヤは大混乱しているらしく、恐らく飛行機を選んだのは第六感、虫の知らせだったんですね~(我ながらスゲ~感だと改めて思う)。
総武線快速に乗っていたら名古屋帰りの知人に会ったのですが、お手上げの状態で「こだま」でどうにかこうにか帰ってきたのだと、疲れきった表情で話しをしておりました。
ま、新幹線でも結果的に特急料金なしで東京に帰れた筈ですから、どっちに乗っても得した気分になったのかも。

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74日目 さらば!筑紫島(2)~球磨・氷川

2014-04-15 23:53:17 | 九州中部
2014年1月3日(金)


前日に引き続き、八代(やつしろ)駅からJR肥薩(ひさつ)線に乗って、球磨(くま)川沿いを上っていきます。

↓前回では触れませんでしたが、所々で川(というか道路)の復旧工事をしています。

球磨川は相当の暴れ川みたいなので、こんな事はしょっちゅうなのかも知れない。

1時間程度の乗車で、一勝地(いっしょうち)駅に12時頃到着。

一勝地駅→

↓ここは縁起のいい駅名なので、受験や勝負の願掛けスポットとなっています。

30数年前に駅の入場券を贈ったある高校野球部が夏の甲子園で活躍したことをきっかけに、一勝地駅が脚光を浴びたといいます。
「必勝お守り記念入場券」という切符は平日のみの販売。

↓駅は明治41(1908)年に開業しその後に焼失、大正3(1914)年に今の駅舎に建替え。

電灯も趣きを感じます。

↓ゆるキャラは勝利や合格などの種に程遠いゆる過ぎるキャラ。

名前も冴えない上に、頭に「まき○゛○」が乗っかっていっているみたいだし(笑)。

駅正面から→
山の中腹に役場があります。

川では奇怪な形をした岩を楽しめます

この岩はモグラのよう→

球磨橋より下流側→

山の上に役場があるという訳で、当然坂はむちゃくちゃきっつい!

その途中からの眺め(上流方向)→

(360)熊本県球磨郡球磨村(むら)役場

↓いい眺めじゃ。




これは球磨川に注ぐ中園川→

一勝地駅の隣は、球泉洞(きゅうせんどう)という駅。
読んで字の如くそういう鍾乳洞があり、これは今度ここへ来る時の楽しみにとっておきます。

八代駅からは鹿児島本線の電車で有佐(ありさ)駅へ。

右側に有佐駅→
ありさ、ありさ・・・。
ん~、実にいい名前(笑)。

この駅自体は八代市にあるのですが、すぐに氷川(ひかわ)町に入ります。

この橋の向こうが氷川町→
川の名前は氷川。

橋を越えたとたん、田舎の度合いが増す。

↓うるさく吠える犬を写そうとしたら、一転ポーズを決めてくれた(笑)

サービス精神旺盛でなかなか愛嬌のあるかわいいヤツ。

↓田園風景の中を。




↓熊本県はいぐさの大生産地で、畳表の生産量は国内の95パーセントを占めるらしいです。
特に南部を中心に栽培されているよう。


↓行きたくなるような看板だけど・・・、ちょうど腹減ってきたし。

人はもちろん、車もあまり走っておらず、費用対効果はどうなんでしょ?

(361)熊本県八代郡氷川町(ちょう)役場

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74日目 さらば!筑紫島(1)~八代

2014-04-14 23:35:30 | 九州中部

2014年1月3日(金)


今日、仕事で大失敗をやらかしてしもうた!
その事でずっと悶々としていますが、ジタバタしてもどうしようもなく、ブログでも作成して気を紛らわすしかない・・・。


長かった年末年始の関西・九州旅行もようやくこの日で終了(ブログも長いことかかったけど)になります。

まずは手始めに八代(やつしろ)市の散策です。
と、その前に前日飲みに街中に繰り出しておりましたので、その時の写真を。

旭中央通りの某ホテル前→

↓本町(ほんまち)アーケードとその周辺





この近辺は飲食店が多く、正月とは思えないほど賑わっておりました。

さて朝。
泊まったホテルは東横INN新八代駅前で、従いまして口開けは新八代駅周辺を。

こんなド田舎にある新幹線の駅→
あたかも秘境駅に認定されそうです。が、向こう側は住宅が多く建っていますんでそれはなし。

八代よかとこ物産館→

↓それに隣接しているの「松中信彦スポーツミュージアム」

八代出身・現役唯一の三冠王(最近見ないけど、一応今シーズン5試合出場も快音未だなし)。
私はパ・リーグはタカ派なんですが、開館していないのもありますけど、やっぱり旬はとうの昔です、あまり興味が沸きません。引退して何年後かしたら見たくなる施設かも。

八代駅→
熊本県第二の都市の駅にしては寂しすぎるの一言(駅前も寂しい感じ)。
市街地は駅から離れています。

旭中央通り→

アーケード近くに来ました→

ふと見つけた願掛けの「水かけ不動さん」→
最初は河童の方に目がいったのですけどね(笑)。
水をかけてお不動様の後ろにある炎が消えてしまったら、元も子もないんじゃないでしょうか?(笑)

↓「西武ライオンズ」ということは、だいぶ前からこれはあるってことですね。

因みに秋山監督は隣の氷川町出身。

(359)熊本県八代市役所
人口約13万人、平成の大合併でやたら面積が巨大化してしまいました。

↓八代城址



江戸時代の一国一城体制の中、熊本藩は熊本と八代の2つの城を持つことが認められていました。ま、それには様々な理由があったようですが。
今は公園として開放されています。

道路を挟んで城址の向かいにある松井神社→

↓松濱軒(しょうひんけん)



細川氏の家老・松井直之が母のために建てた茶屋です。
↓市のHPより抜粋
『古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。
現在では都市化が進み雄大な眺望をのぞむことはできませんが、大名庭園として変化に富んだ景色を構成しており江戸時代初期の形状をよく今に伝えています。』
お休みなので、その庭園ですら見られません・・・。

前川に架かる新前川橋→
橋からの風景を撮っていたら、たまたまお巡りさんが歩いている所でした。

お巡りさん、つかつかやってきて「何でこちら(お巡りさんの方)にカメラを向けていた!」と詰問される。
私「橋からの風景を撮っていて、たまたまそちらに向いてしまっただけですよ・・・」と焦る。


入水事故があったのか、何らかの事件があったのか全く分からないけど、警察が現場検証らしきをしている。
タイミング悪すぎ・・・
変に疑いを持たれてもイヤなので、足早にその場を立ち去る。

この橋の袂に「河童渡来の碑」とやらがあるらしいです。
仁徳天皇の御世、支那からこの場所に河童9千匹の大集団がやって来て、八代に住み着いたといいます。ところが、その河童があちらこちらでいたずらが酷く、怒った加藤清正は九州中の猿に河童を攻めさせました。これには河童もお手上げだったようで、九州各地に移り住むようになったとの伝承があるようです。

↓700メートルほどある本町アーケードを通り抜けて急いで八代駅へ。


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73日目 くまへ行くモン!(3)~球磨郡

2014-04-13 00:10:51 | 九州中部
2014年1月2日(木)


「くまがわ鉄道」の終点・湯前(ゆのまえ)駅に13時20分到着。

↓駅と駅前






何てこった!→
実は、折り返しの列車の15時37発に乗るまでの間、13時42分のバスを使ってお隣の水上(みずかみ)村へ行くつもりでしたが、下調べが甘かった・・・。

思いがけず2時間もの空き時間ができてしまったので、どうしようか途方にくれる。

暇つぶしの格好の施設も休みだし・・・→
駅の近くには「湯前まんが美術館」というのもあり、漫画を売りにしたような町です。
仕方ないので、コンビニに行って一服しますが、以前も書いたと思いますが、外出したら長時間一箇所でじっとできない性格なので、また駅に戻ってきても列車まで1時間以上ある・・・。

↓再び駅の中
 
面白そうなこの神社に行ってみようか。
徒歩20分とあるし。
途中役場を経由しても余裕で行って帰ってこられるな、という考えであったのですが・・・。

その途中→
パチンコ屋にでもした方がふさわしい名前の美容室だ。

(357)熊本県球磨(くま)郡湯前町(まち)役場
「湯」とついているので、有名な温泉でもあるのかと思いきや、そういう訳でもなさそう。
これから行こうとしている神社の近くに、ゆのまえ温泉「湯楽里(ゆらり)」という入浴その他いろいろと楽しめるレジャー施設があるくらい。

住宅街に入ってきました→

↓そこでのあばら家
 
うつぶせに横たわっている人形が物悲しい・・・。

↓案内表示板に従って歩きます。
 
お、世界一だと?!どれどれ、見てみたいな。



ところが・・・。
この時点ですでに駅から40分たった15時。
役場を経由したとはいえ、これは遠すぎやしないか?
歩けど歩けど水車も神社もありそうな雰囲気が全くないし、人に聞こうにも誰~もいない。
しかも案内表示は全くの不親切で「あと何キロ/メートル」との記載がなく、おまけに地図は持っていない(駅にあった案内図を頭に入れている程度)ので、今どこを歩いているのか全く分からない。
乗る予定の列車まであと30分しかなくなり、これはダメだと観念し、急いで駅に戻ります。
何の為に行ったんだか・・・。

後で地図を見てみたら駅から余裕で3キロはありました。
駅の案内の「徒歩」は恐らく「駆け足」の記載ミスであったようだ(怒)。
もう、二度と湯前町に来るもんか!と思いましたが、水上村その他周辺の村を残しているので、それは無理そう・・・。

散々な目に遭った後は、この日の最終訪問地・多良木(たらぎ)は駅へは、15時45分に到着。

多良木駅→

ここでは駅周辺を散策するだけにします。

多良木えびす温泉センター→
疲れたので、一風呂でも浴びたところですが。

ブルートレインたらぎ→
かつての寝台特急「富士・はやぶさ」に使われていた客車を利用したホテル。
「富士」も「はやぶさ」も乗ったことありますけど、その時の車両かどうかは分かりません・・・。

多良木えびす物産館→
最初から開いているのを期待していないから(笑)。

えびす広場・交流館石倉→
昭和10年頃に農協倉庫として建築されたもので、今では様々なイベントに利用されている模様。国の登録有形文化財でもあります。

商店街→

(358)熊本県球磨郡多良木町(まち)役場
人口1万人ほどの町。

人吉駅に戻ってきました。

↓八代(やつしろ)から乗った列車もそうでしたが、八代帰りもこれ。


前日より宿泊の八代のホテルに戻ってまいりました。

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73日目 くまへ行くモン!(2)~球磨郡

2014-04-12 00:06:32 | 九州中部
2014年1月2日(木)


国鉄やJR時代は湯前(ゆのまえ)線といっていた「くまがわ鉄道」を使って、この沿線の町を訪ねてみたいと思います。
使う切符はこの鉄道の「1日フリー乗車券(\1000・当時)」です。

「くまがわ鉄道」は僅か25キロほどしかないのに、その間に4つも町を連ねているので、乗ったり降りたり落ち着かない訪問となりそう・・・。

人吉駅10時20分発の列車に乗って、すぐの10時35分に最初の目的地到着。

一武(いちぶ)駅→

駅前から果てしなく?続く道→
まずはこの道を歩いて行かねばなりません。
人はともかく、車でさえほとんどすれ違うこともない長閑な中をのんびりブラブラ・・・。

↓養牛場があったのでデジカメを向けたら、物珍しそうに牛が一斉に寄ってくる。

愛嬌があったので、ずっと観察していたかったのですが、そういう訳にいかないので歩きます。

国道219号線との交差点→

(355)熊本県球磨郡錦町(まち)役場
人口1万1千人ほどの、「剣豪とフルーツの里」を標榜する町。
剣豪については後で触れることとしまして、梨や桃などがここの特産品だそうです。

少し離れたところにある「道の駅錦」→

お休みじゃ・・・→
私もそうでしたが、来る人来る人皆がっかり。

↓ここに隣接している広大な「錦くらんど公園」



剣を交えている子供の後ろで後ろで偉そうにしているのは、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)。
戦国時代の頃の剣豪で、錦町で晩年を過ごしたらしいです。

次は「あさぎり町」の訪問ですが、予定ではその中心駅の「あさぎり駅」で降りようと思っていたところ、その手前に「おかどめ幸福」という駅があるを知り、名前がちょっと気になったのでそこで下車。

おかどめ幸福駅→

↓「愛国から幸福ゆき」の切符をパクったような看板


これは駅舎の向かい側にあったもの→

↓駅のすぐ近くには、駅名の由来となった幸福神社の別名を持つ「岡留熊野座神社」があります。

何故「幸福」なのか?
頃は蒙古が襲来していた時期、この地域の領主様が国の保安を祈るために建立したからで、つまり「難を留めて幸せを祈る神社」という事らしい。

折角なので、行ってみましょう→
建立した甲斐あって、まさに神風が吹いて蒙古を撃退できたのだから、有難い神様でございます。

さて、線路に沿って歩きます→

再び国道219号線→

ちょっと立ち寄ったコンビニで売っていた「沖縄ドーナツ」→
何が沖縄なのだろう?普通のドーナツと代わり映えしないんだけどな・・・。

↓あさぎり駅近辺の商店街




(356)熊本県球磨郡あさぎり町(ちょう)役場
秋から春にかけて発生するこの地域の名物である朝霧を名乗ってしまった町。
あさぎり町の中心部は平成の大合併前は免田町(めんだまち)といっていました。
最近、袴田事件の再審が決定されましたが、そのニュースを聞いて真っ先に頭に浮かんだのは免田事件という冤罪事件でした。

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73日目 くまへ行くモン!(1)~人吉

2014-04-08 23:02:04 | 九州中部
2014年1月2日(木)


この日の予定は熊本県南部の球磨(くま)地方の市と町の訪問です。

↓八代駅から肥薩(ひさつ)線に乗り、列車は球磨川に沿って進みます。

朝モヤが「いらっしゃい!」と待ち構えております。

さあ突入!→

霧を脱出→
さすがは日本3大急流というような流れですな。

↓9時10分、極悪人がいなさそうな町(笑)の人吉(ひとよし)市・人吉駅到着。


これはホームに置いてあったもの→
この地方の遊び道具です。

駅前にある「からくり時計」→
次に作動するのは10時ちょうど。その様子を見てみたいのですが、その時までに戻れるかどうか微妙・・・。何せ行きたい所が目白押しなので。

駅前通り→

この通りを真っ直ぐ行き、球磨川の手前で右に折れると、近年、観光スポットとして注目度うなぎのぼり(と現地のガイドブックにあった)の国宝「青井阿蘇神社」へ。

神社前にある「蓮池」→
池と蓮っていいよなぁ~。

上の写真の赤い橋より→
鳥居の後ろにあるのは「楼門」。

こちら拝殿→
お正月2日目とあって、まだまだ初詣でする人多し。

御朱印売り場に女性が群がる→
だいぶ前に御朱印集めに熱心な「御朱印ガール」とやらが増えているとテレビで見ましたが、それは本当のよう。
それにしても、集めに勤しむ女性がたとえオバさんでも「ガール」として括られるんでしょうかね?

駅前通りに戻り、球磨川に架かる人吉橋を渡って、別名・幽霊寺の異名を持つ永国寺へ。

人吉橋から下流方向→

ここのお寺さんの目玉は、珍しい幽霊の掛け軸→

これがそれ→
初代の和尚さんが描いたという掛け軸。

絵のモデルとなった?幽霊が夜な夜な現れたという池→
明るいので分かりませんが、夜見ると不気味な場所なのかも。
また、西南戦争時の約1ヶ月間、西郷さんはここに本陣を置いていました。

武家蔵→
この門はお城から移築されたもの。奥に家老のお屋敷があります。

お屋敷からまっすぐ行った所にある大手橋の上より→
ここは胸川に架かる橋。右の塀は平成5年に復元された「長塀(ながへい)」、奥の橋(大橋)の所で胸川は球磨川と合流します。

大手橋の目の前には市役所。

(354)熊本県人吉市役所
鎌倉時代から相良氏の城下町として発展した町で、人口は約3万5千人。
情緒溢れる小京都・人吉の地名の由来は「舎」という字が分解されたものらしく、「舎」とは宿を差します。
熊本と鹿児島の中間地点として、宿屋がいっぱいあったのでしょう。

市役所横の広場→
山に見えるは日本百名城の一つ、人吉城址。
登りたいけど、時間がない・・・。
おまけに乗る予定の列車の発車時間が迫ってきたので、駆け足で駅に戻ります。

↓大橋からの眺め




商店街を走って走って→

人吉駅の隣にある、くま川鉄道の人吉温泉駅→
焦って戻ってきたら、今度は女性の集団が切符を買うのにマゴマゴしているので、さらにイライラが増す。

駅から見える穴ぼこ→

人吉には今回は僅か1時間あまりしかいられませんでしたが、本当はここはもっと時間を費やすべき町なので、次回来る時は是非ゆっくり観光したいですね~。

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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(5)~葦北郡

2014-04-06 00:08:31 | 九州中部
2014年1月1日(水)


水俣の後は葦北(あしきた)郡の2町を訪ねて八代(やつしろ)市で宿泊となります。

津奈木(つなぎ)駅→

駅前には孝女・千代の像があります→

↓駅前は国道3号線が走っていまして、それを西の方向、つまり海の方へ歩きます。


↓名前は知らないけど、津奈木川にかかる橋
  

↓ネコがいたので写したら、ソッポ向かれてしまった(苦笑)。


(352)熊本県葦北郡津奈木町(まち)役場

↓「重盤岩眼鏡橋(ちょうはんがんめがねばし)」を見に行きます。

嘉永2(1849)年に掛けられたというこの橋、長さは18メートルの幅4.5メートル、岩永三平という人が作ったと言われています。

ところで、橋の由来となった重磐岩が見つからない。
国旗が翻っているらしいのですが、どこにも見えず、疲れていて視力もだいぶ悪化しているようです・・・。

↓歩いて東京へ行こうと気迫のある方は是非こちらへお進み下さい。


この近くにある町営温泉「四季彩」→
ただし前日この日とお休み。

熊本に入るとコヤツばかりで食傷気味→

次に佐敷(さしき)駅へ→

(353)熊本県葦北郡芦北町(まち)役場
人口約18,000人の町。駅から南へ行った所にあります。

佐敷川と湯浦川(ゆのうら) が河口で合流しています。

魚釣りには持って来いの、長閑な雰囲気のいい感じの場所。

ところが・・・。

上空はカラスの大群によって占拠されてしまっています→
しかもカーカーうるさいし・・・。

上空どころか砂洲(さす)も→

川を跨ぐ電線も→

烏にジャックされてしまった佐敷(笑)。

そんな中、寂しく孤軍奮闘?→

佐敷駅から見える「佐敷城址」?→
山にあるのがそれだと思うんですが。間違っていたらご指摘下さい。

↓駅から見えた真っ赤な祠が気になったので行ってみます。

小川が目の前を遮ってこれ以上進めません。
暗い中映える赤が、遠野で見た卯子酉神社を思い出します。

列車内にて→
一人定員を減らしているモン!だけど、クッションが効いて寄りかかるにはいいモン!

19時すぎ、新八代駅に到着です→

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72日目 肥薩おれんじ鉄道に揺られて(4)~水俣

2014-04-05 01:59:03 | 九州中部
2014年1月1日(水)


丸2日間いた鹿児島県を去って、わが身は肥後の国・熊本県入り、水俣(みなまた)駅に14時少し前に到着し下車します。

気になるご様子→
実は水俣駅の一つ手前の袋駅で、それまで何ともなかったのに、何の前触れもなく突如運転手さんがトイレの回路部分?をガチャガチャといじくり始めてから車内に香ばしいかおりでたちまち充満、皆一様に眉をひそめる。一体どうしたというのだろう?ひょっとして嫌がらせか??(そんな訳ではないと思うけど)
幸い?、私は一つの区間で済んだのですが、これから乗る人、これからも乗り通す人は気の毒で仕方ない。

水俣駅→
駅の佇まいはまさに地方都市っぽいのんびりした感じ。

亀もお出迎え→
長閑な感じの駅前ですが、水俣と言えばご存知、公害による負のイメージをいまだに背負った町。

↓その象徴は駅前にドンと構えています。
 

水俣病に関連する施設を見学したかったのですが、あいにく休館。
なので、駅付近の散策に留めます。

↓駅を背にして右手に伸びる「桜商店街」を歩きます。







この商店街はそのまま桜井町商店街→旭町商店街と名を変えて国道3号線に合流します。

その合流地点の近くにあるエムズシティ→

ここの上にあるレストランで遅~い昼食。

↓水俣の看板グルメ、野菜と魚介類ぎっしりの「水俣チャンポン(\480)」
 
これを食べたかったので、ずっと食べずにいた訳なんですけどね。
屋上で菜園とは、なかなかの力の入れ様。
感想ですか?ちょっと塩辛かったかな~。でも、おいしかったですよ!

レストランから見る光景→
山に囲まれた自然の美しい水俣。つくづく公害が恨めしい・・・。

エムズシティから数百メートルの所に「徳富蘇峰・蘆花の生家」があるので行ってみます。

かの二人はここでお生まれ→
ところが写真にありますとおり、建物前に車がデンと置いてあって、はっきり言って撮影の邪魔。
どいてくれないかな~、と思って車に近づくと、何と千葉ナンバーである。
水遣りをしていたおっさん(車のそばに写っている)に聞いてみると、車の持ち主はその人で、以前千葉市(私の住んでいる隣の区)に住んでいたけど最近退職して故郷の水俣に帰ってきたと言う。
ここの館長がお正月休みを取っていて、植物に水遣りをしないと枯れてしまうので、今は代わりに面倒を見ているとの事。
しばらくそのおっさんと千葉の話しをする。勿論私の住んでいる字名まで知っていました。
それにしても、まさかな~、こんな所で千葉ナンバーが見られるとはなあ~(ちょっと感激)。
ところで、ここは昨年の大河ドラマの影響で入館者がいつもより多かったらしいです。

仲之町通り→
飲み屋が多い通り。

水俣川の新水俣橋に来ました→

河口側→

橋を渡ると市役所があります。

(351)熊本県水俣市役所

役所の敷地には「蘇峰記念館」があります→

右岸側の堤防を上流側にむかって歩きます→

交差する道を右に曲がって橋を渡ると肥薩おれんじ鉄道の踏み切りに出ます。

線路に沿って伸びる道→
この2日前に湧水町・栗野という町で旧山野線の廃線跡を紹介しましたが、ここもその廃線跡で、今は「日本一長~い運動場」として整備されています。
ま、単なる自転車歩行者専用道路なんだけどね。

ではでは、その起点に行ってみましょう。

全長13キロ→

通行危険と言いながら、ほぼ野放し状態→

ここが起点→
全体の13分の1でしか運動しませんでしたが、でも疲れたわい・・・。

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