ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

134日目 ヤリキレナイ気分で空知管内を駆け抜ける

2015-10-30 23:55:48 | 道央
2015年9月18日(金)


↓曇り空のせいで気分が一向に盛り上がらないまま、栗山駅の苫小牧側の隣駅・由仁(ゆに)駅へ。


(536)北海道夕張郡由仁町(ちょう)役場
人口5,500人あまり。「温泉のあるところ」を意味するアイヌ語「ユンニ」が由来で、地下1,300mより湧き出る温泉がコーヒー色という「ユンニの湯」なる入浴施設があり、「美人の湯(美肌の湯)」という評判みたいです。どうやら日本語でもアイヌ語でもお湯は「ユ」らしい。

由仁駅南側跨線橋より→
見てのとおり、農業が基幹産業の町。写真中央左寄りの茶色の建物のかたまりが「ユンニの湯」。

線路の西側を並行する商店街→

駅前の商店街・ふれあい通り→
ひっそりしていて誰一人としてすれ違うことがありません(車を運転している人を除く)。
廃れた田舎町を数多く見てきたのでこんな状態は慣れっこ?のハズですが、実際目の当たりにするとやっぱり哀しい。
↓「遣り切れない」気分で駅前商店街を東方向にさらに歩くと、確か「ふしこ橋」といったか、年季の入った欄干の橋へ。

橋を見ただけでは下を流れている川はたいしたものでなさそうですが、実は一級河川。それだけでも驚きなのですが、でも川の名前の面白さというか珍しさに限っては「一級」どころか「超特級」間違いなし。
テレビなんかで取り上げられたこともあるとの事なので、ご存知の方も多いかも知れません。その川の名は・・・。

↓思わず笑っちゃうというか、力が抜けるというか・・・。

この川の詳しい事は、地元北海道の魅力を発信する「北海道ファンマガジン」にお任せしますが、由来だけはここに載せておきます
・アイヌ語の「魚の住まない川」を意味する「ヤンケ・ナイ」
・アイヌ語の「片割れの川」を意味する「イヤル・キナイ」
の2つの説があるようです。
そんなこんなで川を見ていたらタイミング良く(?)雨が降ってまいりました。傍から見たらさぞ「やりきれない」表情をしていた私だったでしょう。

由仁神社で旅の安全祈願→

↓14時28分発の列車で岩見沢に行き、そこで函館線下りの各駅停車に乗り換えて、16時36分に妹背牛駅に到着。

ここには「ヤリキレナイ川」程のインパクトのあるものはないので、適当にブラブラして済ませます。

↓駅前とバス停
 
バスは週に3本だけですか・・・。それでも利用者がいるなど全く想像できないんですけど。

↓駅前の通り
 
車の走行音以外はシ~~ンとした街のように思われますが、実は大音量で歌謡曲が流れており、それだけで町は賑やか(笑)。
お花もあちらこちらで飾られていてゴミもなく、気持ちのいい通りではあります。

ここが町の中心部らしいです→

↓(537)北海道雨竜郡妹背牛町(ちょう)役場

「イラクサ(いかなる草か私は知らないけど)の茂るところ」という意味のアイヌ語「モセユーセ」が由来の、水田の広がる町。北海道では3番目に小さい面積で、人口は約3,200人。

役場に隣接する「妹背牛温泉ペペル」→
入りたいのはヤマヤマですが、17時55分の電車を逃すと4時間待ちの地獄を見ることとなります。 

↓暗くなり始めたけど、適当に街中をブラブラするしかやることない。


この日の宿泊地は旭川市。となると、行くのはあそこですよ、あそこ!
一蔵の「鮭ぶし塩味ラーメン」→
値段は2年半前と変わらぬ\900。トッピングには梅が加わったものの、汁の量がかなり減っているし・・・。 でも旨かったよ!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

134日目 日本ハム栗山監督がぞっこんという町

2015-10-28 22:31:25 | 道央
2015年9月18日(金)


北海道は自然と食を楽しむ場所というイメージになりがちで、実際そうだとは思いますが、町巡りしている旨としている身としては正直、他の地域ほど面白いとは言い難く、見所もあまり多くないのが難点。
さて、最初に訪れた栗山町は一体どんな町でしょうか?

駅前西側に伸びる通り→
「まちなみ景観」についての条例で建物の高さが制限されているので、スッキリ感のある町中心部。

観光の拠点となる施設→
一瞬「夢プラザ」に見えてしまう。それはともかく、中にソバ屋さんは現地らしき人で賑やかになっていて、単に町の社交場的な感じにしか見えなかった施設。

あるお店の看板?→
ピチピチの「すてきなミス栗山」という看板だったらもっと客入りはいいハズだぞ!

(535)北海道夕張郡栗山町(ちょう)役場
地名の由来はアイヌ語の「ヤムニウシ」から。
これとどう栗山に繋がるの?ですが、意味は「栗の樹の多い所」という。なるほど、駅名が岩見沢に向かって栗山→栗丘→栗沢と続いているのがそれを証明しております。
宮城県に角田(かくだ)という市がありますが、そこ出身の人たちが明治21(1888)年に移住し開拓、現在12,500人程が住む町。

プロ野球・北海道日本ハムファイターズの監督である栗山英樹氏は、解説者をしていた頃に同じ名前であるという縁でこの町を訪れたところ、いたく気に入ってしまい、ログハウスを建てて自宅にし(住民登録もしたかどうかは知らないけど)、さらには「栗の樹ファーム」という少年野球場を作ってしまった程の力の入れよう。しかも監督が集めた野球に関する物が見られる館があったりする。
栗の樹ファームのサイト→http://www.sponichi.co.jp/kuriyama/

さらには元総理の鳩山さんの祖先が開いた地区があって、そこには鳩山神社までもがあるというのを、確か総理就任の時にワイドショーか何かで見た気がします。

さてさて、栗の樹ファームは歩いて行けない距離ではなさそうなので、行ってみましょう。
↓歩道は凸凹、とても歩きにくい。まあ、人が全くいないからこれでいいのかもしれないけど。

難儀して歩いていたら、トラックの運ちゃんが地図を片手にやおら降りてきて、私に「この場所に行きたいんだけど、ここはどこでしょ?」と聞いてくる。誰も人がいないし、道を尋ねるのに私は格好の相手だったようです。
ついてないな人だな、現地人じゃないのにと思ったものの、運ちゃんの地図に指差しながら「今ここだから、ここを真っ直ぐ行って云々」と、この町に初めて来て1時間もいないのに行き方を教えてあげられる。俺ってすげえ
勿論適当に教えたワケではありません。たまたま役場の近くを聞かれたのでね。

↓さて、栗山さんちはあろう事か、町の北側の小高い丘の上にあり、そこを登らんといけません。荷物抱えているのもありツラすぎ。

何でだかゴミが散乱しているし、この辺りが売れるとは全く思えないけど、好評らしい「分譲地」の幟がしょげて見えるしで、いとあはれな図。

振り返って見る町中心部→

やっと来た入口→

↓さらに高い所へ登っていくと恐らく監督宅や野球場があるんだろう。

でも、しんどいです。もういいです。
さらに続く坂がイヤになったというのもあるけど、栗山町には1時間半しかいられず、他に行きたい所もあるので・・・。そこはある意味「栗の樹ファーム」以上に行きたい場所。

↓その行きたい所へ向かう途中にある栗山公園入口

最近自宅でどこかのローカルテレビを見ていたらたまたまこの公園が出てきて、動物園などなどを紹介しておりました。
日本ハムが1つ勝つ毎に花一輪を植えていく花壇があるのも知らなかったわ。

↓北海道最古の蔵元・小林酒造



行きたかったのはまさにここで、西洋風レンガ蔵や石蔵が特徴の蔵元。
昭和19(1944)に竣工した小樽の銀行を模した旧本社である北の錦記念館では多くの銘酒を試飲できるのですが、それを楽しむ時間がなくなってしまったのが実に悲しい・・・

↓昨年より公開されている明治30(1897)年築の「小林家住宅」

他にもいろいろと見物できる展示館があり、酒が飲めない人でもそれなりに楽しめます。

駅に戻る途中→
きびだんボ? 何で最後だけ「くずし字」なんだか意味分からんが・・・。
「ボ」みたいな字は「古」の変体仮名に点々を付けた字です。
それはさておき、「日本一」と銘打った「きびだんご」とは?

岡山のとは全く違うんだけど?→
でも包装紙にはしっかりと桃太郎が描かれていたりする。因みにお値段は税別で1個120円。
これを売り出している「谷田製菓株式会社」のHPによれば、「当社のきびだんごは大正12年に作り出したもので、 関東大震災の復興を願い、さらに北海道開拓時の助け合う気持ちをこめ、「起備団合」という名前をつけ発売しました。」とある。いつの時代も博愛の精神は必要ですな。
食べてみます。だんごというよりですな、昔懐かしい感じの。
写真でお分かりのように結構大きく、食べごたえがあって腹持ち誠によろし。
 
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134日目 9月の大型連休旅・序章 

2015-10-24 23:53:45 | 目的地へ(から)移動
2015年9月18日(金)


木枯らしの便りを聞かんとする今となっては、そんな長い連休もあったよなと、遠い過去となってしまった感さえあるシルバーウィークに出かけた時のお話しです。

出発は連休の直前の18日なのですが、翌日の連休初日はさすがに混むだろうから、仕事をサボってまでそれを回避することにしました。

JR稲毛駅の近く→
今や旅の恒例行事となった雨降り。しかもかなりの雨脚。
おまけに、不真面目な態度にお天道様のお怒りを買ったらしくカミナリまで落としてきた。
どうしていっつもいっつもいっつもいっつも雨に祟られるんだろう(ボヤキ)。
たまには一滴も降らない中で旅をしたいもんだ。

↓稲毛駅5時38分発・成田空港行き快速電車に乗り、6時28分ここに到着。

雷雨で電車が止まらないか心配だったけど、まずは何事なくよかったよかった。
今回は、これまで怖いという理由で敬遠しがちだったけど、渋々ですが最近徐々に乗る機会が増えつつある飛行機で目的地入りします。実は成田空港に入るのは初めてだったりする。

↓格安航空会社(いわゆるLCC)・バニラエアの便を予約しているので、その乗り場(第3ターミナル)へ行かないといけないのですが、これがやったらめったら遠い。

今年4月8日にこの乗り場に変わったようですが、安っぽい会社安いのが売りの会社の乗客は片隅に追いやられるという扱いをされるんだな・・・。フムフム。

さて、目的地は?→
バニラエアが成田から飛ばしている国内の行き先は札幌・那覇・奄美大島しかありません。
なので、そのうちの一つ(当たり前ですが)。

↓飛行機にはターミナルブリッジから直接乗るのでなく、バスで移動してから機体に乗り込む。

LCCを利用する悲哀をますます感じる。

7時40分に離陸→

雲の上は綺麗なんだけどな・・・→
でも眩しいし暑いし、翼はブルブル揺れていて怖いし。しかもこの日は気流が不安定で終始機体がグラグラする。少し寿命が縮みました。

↓機首を下げ、雲の下に降りると見えてきたのが海と陸。

鵡川町(むかわちょう)辺りかな?
というワケで、今回の目的地は2年半振りの北海道でございます。
実は北海道へは両手の数は行っていると思うけど、空から攻めるのは今回が初めて。本当に臆病な私。

観光客・ビジネスマンで賑やか新千歳空港→
空とのお付き合いはこれっきりで、後は専ら列車やバス。因みに使用する切符は「北海道&東日本パス(\10290)」。

↓しばらく空港内をうろついてから電車に乗りますが、次の南千歳駅で早々に乗り換え。


南千歳駅のテレビ→
すっかり忘れてしまっていたけど、こんな事もあったよなって感じ(まるで他人事ですが)。
関東の朝の雷とこの津波を関連付けている輩がいたようですが、全く関係ないだろ・・・。

↓南千歳駅からは石勝(せきしょう)線の単行ディーゼルカーのお世話になりましょう。


↓途中の追分駅で室蘭線の列車に乗り換えてここで降ります。

栗山駅のある栗山町から北の大地の旅の第一歩がスタート!

ところで今日札幌では初雪ですか・・・。行ったこの時の北海道は最高気温はまだ20℃あったんだけどな。たった1ヶ月しか経っていないですが着実に冬の足音が近づいているようです。

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133日目 豊橋までは適当に道草して帰京す

2015-10-20 23:33:38 | 東海
2015年8月8日(土)


鈴鹿の後は名古屋を経て豊橋まで行き、そこから新幹線で東京に帰る予定です。
とりあえず、急いで関西線を脱出します。「急いで」を強調したのにはワケがありまして・・・。

列車に乗るのは大好きなのですが、何故だか乗っていて妙に苦痛を覚える区間が3つあります。
山陰線の京都-綾部間と片町線・京橋-木津間と、ここ関西線の名古屋-亀山間。
最初に乗った時にえらい目にあったんかなあ?、その初乗車の時は全然覚えていないのだけど。

名古屋には15時すぎ到着。ただ、このまま東京まっしぐらする気は毛頭なく、ポケットサイズの愛知県の地図をめくって、散策できそうな町を適当に選ぶ。てなワケで名古屋市南区と刈谷市に決定。

名古屋からの各駅停車は超満員。そして目的地の笠寺駅でも多くがドッと降りてホームは人が溢れて超危険な状態。
↓かなり時間が経ってだいぶ引けてきたけど、ホームも階段も狭すぎ。車掌さんは恐らくイライラが溜まっているものと思われ。

ここはこんなに乗降客多かったっけ?

そういう事か・・・→
この歌の団体は知っているけど、構成員は誰一人知らないのみならず、最近の歌手や俳優・女優、お笑いなどはさっぱり分からん程の芸能界音痴なので、当然関心なし
日本ガイシホールという所で17時から開演ですが、まだ一時間も前。そんな早う行って何すんだ?

東口駅前→
頭上には名古屋高速が通っています。

〔42〕愛知県名古屋市南区役所
区のHPによると、人口は13万6千人と名古屋市の約6%をが住んでおり、面積は7番目の大きさ。中西部は近世から新田開発された所で、現在は多くの工場が立ち並んでいて名古屋工業地域の一部を形成。

駅南側の跨線橋からしばし列車を眺める→
でも、新幹線とオレンジ帯の銀色電車と貨物列車ばっかりでバラエティに乏しい。瞬く間に飽きる。

駅西口からまだ人がドヤドヤやってくる→

そして、ここに吸い込まれていく→

刈谷駅→

駅構内にあった観光案内図を見てみたけど、駅周辺にはたいしたものなさそう。
↓どーしよっかな、と思いながら北口に出ると「観光案内所」があるではないか!

上に座っているのは天文2(1533)年生まれという、今年齢は実に482の「かつなりくん」。

とりあえず中に入ってましたが、案内所というより物産店のような感じで今イチ。
そもそもこれって誰に対して作った施設なんだろう?地元の人が利用するとも思えないし。私のようなよそ者へのPRが主目的の施設なんだとしたら、こんな所に置かずに駅構内に置いた方がよほどPRできるチャンスがちょっぴりは増えると思うんだけど。
全く繁盛していているようには見えず気の毒になったので、ちっとも珍しくはないけど地元のお煎餅をお土産として買ったわ。

↓駅北口左手には、飲み屋街が広がっています。


さらに奥へと進むと、怪しい雰囲気になる→

↓やっぱり・・・。明るいうちからド派手な、ムフフなお店多し。
  
もっとお金をたくさん持って来ればよかったな。

↓東海道線の南側は、普通のお店や大型店舗があって至って健全な感じの雰囲気。


でも再開発中なのか、スカスカな所もある→

↓昭和レトロを感じさせる建物は残してくれないかなあ。


(534)愛知県刈谷市役所
三河国と尾張国との境をなす、まさに境川のほとりに、水野忠政が天保4(1833)年に亀城を築いてから発達し(刈谷は三河に属する)、戦前にはトヨタ系列の工場を誘致して以降、工業都市として栄えることとなる。因みにトヨタ自動車の源流である豊田自動織機は刈谷市にあったりします。
そんな訳で、役所のデカさを見て分かるように、財政力指数も平成24年時点で全国第25位という左団扇な約15万人住んでいる都市。

駅の南側→

ひっそり豊橋駅を独り占め~→

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133日目 世界に冠たる競技施設を有するも・・・ 

2015-10-16 23:52:15 | 東海
2015年8月8日(土)


少しだけ津市の続きです。

↓中心部から北に歩く事しばし、川にぶつかります。

あの川は何川というんですか? あのうがわ(安濃川)と言います。

↓国道23号線の安濃川・塔世橋(とうせばし)から市中心部への南方向


三重県庁
明治初期に安濃津(あのつ)県と度会(わたらい)県の2つに統合された後、安濃津県庁が津から四日市(よっかいち)に移転した際に四日市のある三重郡から県名を採用し三重県となり、さらに三重県と度会県が合併して今の三重県となったワケですが、県庁もまた津に戻ってきたので、その時に本来なら安濃津県をゾンビの如く復活すべきをそのまま放置。
でも、三重の方が言いやすいし、書くのも楽。グッノージョブだよ、当時のお上!
現在、四日市は三重県一のマンモス都市ですし、津と四日市の両方の面目を保った格好なので、結果オーライ(?)。

津駅→
JRと近鉄・伊勢鉄道が同居している駅なんですが、県庁所在地の玄関口にしてはショボすぎの感は否めません。

JRのホームから→
鉄道会社の利用者数ですが、比べるまでもなく近鉄の圧勝。というか、JRの方は人っ子一人いません。
何でウチを使ってくれないんだろう、駅名標も「」と不思議がっているかのよう(笑)。
尤も、JRの前身である国鉄の、この周辺に対する無気力経営が一番悪いのだし、その大いなる負の遺産を丸ごと引き継いだJRは寧ろ気の毒というべきか。

津駅からは伊勢鉄道に乗って、名古屋方向に戻ります。

↓やがてその姿を現す超有名施設(ピンボケでスミマセン)

昭和37(1962)年に自動車会社ホンダによって建設された国内初の本格的サーキット場。
そんな世界に通じる超有名施設がある都市が次の目的地でして、どんな大都会が私を待っているのだろう・・・楽しみ楽しみ。

鈴鹿(すずか)駅に下車→
降りた方のホームはともかく、反対側は気味が悪いほど閑散としてます。

ホームから見る駅前→
? すごくショボくない?

↓確かにここは「駅」なので間違ってはいないんだけど(大笑)。

元々あったであろう「鈴」「鹿」という文字を復元できないくらい伊勢鉄道は貧しいのかと思ったのですが(かつては国鉄線でしたが、実際超赤字路線という理由で切り捨てられている)、案外稼ぎは悪くないみたいです。

(533)三重県鈴鹿市役所
駅前からの写真でも分かるように、圧倒的存在感を誇っている庁舎。さすが、世界のSUZUKA!
三重県では、四日市市・津市に次いで3番目に人口の多い都市で約20万人。

↓ここは旧伊勢街道→




神戸(かんべ)と呼ばれる古い建物が多く見られる地区で、かつては城下町・宿場町として栄えた所。

近鉄・鈴鹿市駅→

↓伊勢鉄道のよりはマシですが、ここの駅前もショボい。


↓駅に近い商店街→


パッとしません。
鈴鹿市はこれといった強力な中心部的な街がない上に市街地が分散しているようなので、こんな中途半端な感じになってしまった模様。

ショボいを連発して恐縮ですが、華やかなサーキット場があるを以て抱くかっこいいイメージと、実際来てみての印象との甚だしいギャップが意外というか驚きだし、反面新鮮でもあるし、実はそこが鈴鹿の一番の魅力(?)なのかも知れないです。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

カテゴリー変更のお知らせとお詫び

2015-10-12 23:57:42 | その他
いつもお越し下さいまして、ありがとうございます。

今現在、夏の東海地方への旅の連載中ですがちょっと一服。

突然ではありますが、急に思い立って今の地域に関するカテゴリー8つをさらに詳細に分類する作業に取りかかります。

あまり行っていない地域がある一方で、相当訪れた所もあり、その地域は連載回数が多くてやたらメタボな状態になっております。
当ブログにお越しの方の中にはカテゴリー欄を見ている方もかなり多いみたいで、今の区分けですと不便極まりないし、そもそも、自分で検索する場合も結構ありまして、相当面倒になっているのが理由です(特に中部地方)。

これから順次変更を加えて行きますが、しばらくの期間はメチャクチャな状態になりますが、ご了承のほど・・・

区分は、「旅一般」「その他」を「その他」に纏めて、地域は以下のとおりにします。

カテゴリー      対象地域

1道北        宗谷・上川・留萌
2道東        根室・釧路・オホーツク・十勝
3道央        日高・空知・石狩・後志・胆振
4道南        檜山・渡島
5北東北       青森・岩手・秋田
6南東北       宮城・山形・福島
7北関東       茨城・栃木・群馬
8南関東       埼玉・千葉・東京・神奈川
9甲信越       新潟・山梨・長野
10北陸        富山・石川・福井
11東海        岐阜・静岡・愛知・三重
12近畿(滋賀・京都)
13近畿(大阪・兵庫)
14近畿(奈良・和歌山)
15山陰        鳥取・島根
16山陽        岡山・広島・山口
17北四国       香川・愛媛
18南四国       徳島・高知
19九州北部      福岡・佐賀・長崎
20九州中部      熊本・大分
21九州南部      宮崎・南西諸島を除く鹿児島
22南西諸島・沖縄
23複数地域

都道府県別で分けられれば一番いいのですが、一つの話しで複数地域・複数県が出ている場合もあり、こうせざるを得ませんでした。
いざ区分けしてみると、これまで全然意識していなかったですが、近畿地方が難しいです。というか、分からん。
もし、いい分け方あれば、教えて下さい。

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133日目 皆が知っている日本一短い都市

2015-10-08 23:58:09 | 東海
2015年8月8日(土)


前日で「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使い切ったので、次の旅のお伴に選んだのは、JR東海が出している「青空フリーパス(\2570)」。

↓名古屋駅8時37分発「快速みえ1号」で出発し、目指すは津駅。


↓でも、津市の第一歩は近鉄の津新町駅。どういう事?

実は知らぬ間に意識不明となり、気が付いたのがちょうど津を出たところで、次の駅・松阪で近鉄に乗り換えたのです。

(532)三重県津市役所
短い市名として有名ですが、あくまで「市名」が短いのであって、「地名」としてはもっと短いものがあるという。それは千葉県の「旭市ロ1」で、「ロ」は「くち」ではなく、カタカナの方。
尤も、昔は安濃津(あのうつ、あのつ)と称されてました。
三重県の県庁所在地ですが、周りに有名な都市が点在しているせいか存在感にかなり乏しい印象。
ですが、安濃津は博多津・坊津と共に日本三津(さんしん)の一つとされた重要な港で、明治21(1888)21年に市制が公布された際にも、津はしっかりと市となった(その時には全国で市になれたのは僅かに36)程の歴史のある都市。
因みに垂れ幕の津商業は、めでたい初出場で、翌日(9日)に見事初戦突破を果たす。

市役所の東側には「津城跡」→
今は「お城公園」として市民の憩いの場となっております。

公園の真ん中→
左奥にどなたかいらっしゃいます。近づいてみますと・・・。

築城名人・藤堂高虎、その人ではないか!→
カッコいいぞ。
津城は織田信長の弟である織田信包(のぶかね)が天正8(1580)年(1580)に築城し、慶長13(1608)年に愛媛県・今治から入封した藤堂高虎が大改修。

丑寅三層櫓→
でも、復元物のニセモノですけど。

さらに東へ、国道23号線→
岩田川の岩田橋から北の方角を写す。
右に見えるは、津松菱(つまつびし)という市内唯一の百貨店で、ここらが津市の中心部。

視線を左に向ける→
前の上っ面を剥がされてしまった橋?がジャマ。川っぺりに建ち並ぶバラックっぽいの、とても素敵。

↓津松菱ウラのシナ国の人に占領されたっぽい街の中を歩く。


↓昔は伊勢街道であった上の道をさらにまっすぐ行くと、「だいたて商店街」の入口に。

「だいたて」とは、大門通りと立町通りの商店街を一まとめにした呼び方らしい。

↓右の「とらや本家」は、いちご大福発祥のお店

それにしてもひっそり商店街。とても県庁所在地の中心部とは思えん。土曜日なのに・・・。悲しすぎ。

さらにまっすぐ歩くと「津観音」→
日本三観音の一つ(残りは東京の浅草観音・名古屋市の大須観音。浅草観音とは浅草寺の事)に数えられる真言宗のお寺さん。

↓観音様すぐ横には、これまた一際目に付く廃れっぷりが超素敵なボロッボロの建物があります。




↓早速潜入開始→


少ない写真でお伝えするのは難しいのですが、中はゾクゾクするような昭和の香り溢れる素晴らしい姿が展開されており、しかもこの2階には集合住宅があり、ちゃんと人も住んでいるという驚きの昭和31(1956)年に建てられた掛け値なしの昭和遺産でありました。

「天寿」の天むす(\650)で一休み→
天むすと言えば名古屋が定番ですが、発祥はこのお店

今回初めて津市のホンの一部を廻ってみましたが、実はもっともっと散策しがいのある町なんじゃないかと感じました。何てったて歴史がありますからね。いつか一日かけてもっといろいろな所を歩きまわってみたい、そう思わせる町でした。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

132日目 意外だったとても美しい町並みの羽島市・竹鼻

2015-10-06 23:55:22 | 東海
2015年8月7日(金)


この日の最後の訪問地は羽島市。
羽島と書いてピンとこなくても、「岐阜」を頭にくっつければ分かる人もいるのでは?
そんなやや存在感の薄い感ある羽島市の中心部は竹鼻(たけはな)といい、昔は城下町で、さらには水運によって物資が集まる地であって、江戸時代は市場町・織物業として栄えた所。
尾張国であったのが木曽川の水路が変わった事で美濃国になり、現在見られる古い建物は濃尾地震以降に建てられたものが多いの点は笠松町と同じ。

笠松から乗った竹鼻線・竹鼻駅で下車→

↓駅前の通りを300mほどまっすぐ歩いて、右折すると昭和橋に来ます。

逆川に架かる橋ですが、「古い町並み・竹鼻の入口」的感じの橋。

橋の南側→

↓昭和橋のすぐ北側には平成橋というのがあり、その道をまっすぐ行くとゆるい感じの仏様の木像がたくさん立っております。

円空という竹鼻生まれとされる江戸時代初期の修行僧から名前を取った「円空ロード」。
洪水で母親を亡くし、その供養のために出家して北は北海道、南は三重・滋賀を行脚し、その間に12万体の仏像を彫刻したとされてます。

↓羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館

全国的にも珍しい公立の映画資料館。
毎月第2土曜日に、映写機を使って古い映画が見られる「映画のつどい」が開催されます。
建物はお城っぽいですが、それもそのはず、入口には「竹鼻城本丸城址碑」があり(ただし、ここに本丸があったとされる確証はないらしいですが)、お城は慶長5(1600)年に関ヶ原の合戦の前に行われた合戦であえなく炎上。

南の方を歩くと「格子戸の通り」→
趣きのある古民家が多く見られます。

↓竹鼻商店街→


左は「千代菊酒造」という元文3(1738)年から続く老舗の酒屋。

整然としていて美しい町並みとあちらこちらで見かける古い建物。とってもいい町じゃないですか! ただ、観光客っぽい人が誰一人としていないのは甚だ残念です。
しかも現地の人もいないし・・・。
時間にして17時頃なので、そろそろ買い物客がいてもよさそうだけど。
暑かったからなあ、まだ家に引き篭っているんでしょう。もっとも仕舞屋ばかりだったから買い物できる店も少ないけど。

↓お客さん見ないしな、そうなるわな。分かります分かります。


↓確かにデパートを名乗っているだけあります。品数だけは豊富。

いらんモンばかりだけど。

↓もっといい名前のシールは考えられなかったのかなあ?

と、思っていたら羽島はナマズの町だそうで、今月24日(土)・25日(日)は「なまず祭り」が開催され、ここ竹鼻商店街では夜に灯篭アートの演出があるそうな。是非、ご参加あれ!

以上、苦戦気味の地元商店街からのレポートでした。

(531)岐阜県羽島市役所
羽島という地名は昔からありそうな感じですが、明治29(1896)年に羽栗郡と中島郡が合体しての際に両郡は合併して羽島郡となった新しい地名。
今では前述の新幹線に加え、中央自動車道(名神高速)も通り、岐阜市・大垣市の玄関口的な都市のわりに開発が今一つの感が拭えません。

↓市役所から羽島市役所前駅へ歩いている途中にあった「青山スクエア」

泉があるので飲めるのかどうなのか悩んでいたところ、ちょうど役所の人がチャリに乗って通りかかったので、聞いてみたら「ちょっと分からないんですが・・・」。
これ、オタクらの造った施設ですが? しょうもないのお・・・。
結局、後に来た現地の人によれば「みんな平気で飲んでいるよ」というので有り難く戴きます。
羽島は地下水が豊富な土地柄のようです。

公園隣には「佐吉大仏」があります。
↓大仏と言っても、奈良や鎌倉を想像されても困りますけど。

「美濃の聖人」永田佐吉翁が寛延3(1750)年に建立した、高さ5mほどの青銅造りの大仏様。

蓮子お姉さまもここを訪れたようです→

そうこうしているうちに空がゴロゴロ言い出す。この時期恒例のアレです。急いで駅に行かねば。

羽島市役所前駅(岐阜方向に写す)→
あちらこちらで雷鳴が轟き、稲妻も光っていましたが、特にこの方向でのが凄く、なんとか稲光の瞬間を写そうとしたけど難しいね。
電車はびしょ濡れでやってきたので、岐阜市の方は雨は相当凄いようです。

↓新幹線・岐阜羽島駅の目の前の新羽島駅へ行ってみた。


瞬く間にこうなってしまう→
真っ黒で怪しい雲の上には明るい光が差していて、これが美しい。
夏の空はコロコロといろいろな表情を見せてくれて、そこがまたいいんだよな~。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

132日目 ここから芦毛の怪物は羽ばたいて行った

2015-10-03 23:48:00 | 東海
2015年8月7日(金)


↓岐南(ぎなん)駅の名古屋寄りのお隣・笠松駅で下車。休む暇がありませんデス。・・・。

ここでハプニング。突然自動改札が「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を通さなくなってしまいました。
切符を財布に入れていたのですが、その財布をズボンの尻ポケットにしまいこんでいたせいで蒸れて磁気がおかしくなったようです。
この後いくつか駅を乗り降りしましたが、中には無人駅もありその度ごとにインターホンでやり取りして、改札を開けてもらうハメに。みっともないったらありゃしない。

駅降りるや否や、木曽川の堤を登ります→
奈良津堤(ならづつつみ)という、2kmに渡って桜が植えられている名所。

そしてそこから見下ろしたその先にはコレ→
人馬ともにJRA中央競馬の草刈り場となってきた(いる)コレですよ!

↓この超有名国民的アイドルホースはここ笠松出身

オグリキャップその他有力馬を中央に取られ、最近まで活躍したアンカツ騎手も取られ、でもそのせいか、中央競馬ファンにも案外知名度ある競馬場。

オグリが走り始めた頃は、馬券は買わないけど、レース自体は時折見ていた程度の私でしたが、「怪物」の見出しでスポーツ新聞にオグリがデカデカと載っていたのをたまたま見て知ったのが最初。
4歳クラシック戦線に出られなかったオグリが、秋の天皇賞で古馬相手にどんな走りをするか注目されつつあった時期だったように思う。

思えばあの頃から数年間が、私の見た中では世間的に一番競馬が盛り上がった時期だったような気がするなあ。今じゃ全く見ませんが、車のリアガラスの所にはよくオグリのぬいぐるみが積まれていましたし。
オグリが引退した翌年に私が一番熱を上げたトウカイテイオーが出現し、ついに馬券に手を染め始めたのであります。最近は昔に逆戻りで全く買っていませんけどね。

↓スタンド・馬場に出てみる。



内馬場には畑、田んぼ、そして何と墓地まであるという。
ガラス張りでお洒落な感じのスタンドがある一方で、昭和的というか、地方競馬的なボロっちいスタンドもあり対照的。

せっかく来たのだし、ちょうど開催日だし、1レースだけやってみましょう。
とは言っても、競馬新聞をこれだけの為に買うのもイヤだし、知識もないので、日付だけを頼りに適当に買ってみる。

↓平成27年8月7日だから、2・7・8の連複の組み合わせ。

見るからに貧乏臭い馬券で、申し訳ないですが・・・。

第8レース、スタート!→

↓ホームストレッチを砂煙を舞い上げながらドタバタ走り抜け、向こう正面を廻って第4コーナーから直線に差し掛かる。さあ、こっから!
 

ゴール!→
どうなん!?

結果→
わりと堅いレースだったのね。ワイドにしておけばよかったか・・・(苦笑)
まあ、笠松競馬場は10年前に廃止の方針騒ぎがあったくらいだし、その後儲かってウハウハとも聞いたことないしで、恐らく今も収支はよろしくはないでしょう。
なので、入場料\100も合わせて、ちょいとばかり寄付したものと思えば大したことはない(負け惜しみ)。

後はお決まりの町散策。

競馬場近くの奈良津堤上にはこういう神社があります。
魂生大明神(こんせいだいみょうじん)→
名前からして力が漲っているような神社。

当然、御神体はこれじゃ→
リアルすぎ!!(笑)
因みに町の散策ガイドブックには、「昔、ある郡代が娘の縁談がないのを心配して、わざわざ奥州から長さ1メートル余りの男根の形をした大きな石を取り寄せたと伝えられていることから、縁結びの神様として親しまれています。」とあります。そしてめでたく嫁ぐことができたのかどうかまでは分かりませんが。でも、親のもの凄い執念が伝わるお話し。

有り難く撫でさせてもらいます→
撫でていて気が付く。まずここを参拝してから、バクチを挑めばよかったな、と。失敗した、順番間違えた・・・。

(530)岐阜県羽島郡笠松町(ちょう)役場
岐南町と同じく、岐阜と愛知の県境にある町ですが、双方に押しつぶされたような東西に細長い形をし、岐阜県庁が置かれていた時期もあった町。
古くから交通軍事の要衝で、木曽川の湊として発展。明治になって東海道線建設の話しになると、水運業者の生活に関わるためか東海道線の通るのを頑なに拒んだため町が衰退するも、綿織物生産で復活を遂げる。

古い建物をあちらこちらで見かけます→
明治24(1891)年の濃尾地震で多くの建物が倒壊・類焼したのに加え、悪いことは重なるものでその5年後には大洪水に見舞われる。
今見られるもののほとんどはその後に建てられたものらしいです。

商店街→
この通りの、とあるお家に「隕石」を保管されているので是非見たく、どこの家なのか近所のチャリ屋のおっちゃんに聞いてみたら、それは滅多に見せては貰えんとの事でした。
「笠松隕石」として、町のHPにせっかく紹介されているのに残念ですな・・・。

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