ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

145日目 元旦の倉敷を歩いてみた

2016-02-27 23:59:58 | 山陽
平成28(2016)年1月1日(金)


平成27年最後の夜は、ホテル飲みをしているうちに夢の中、紅白歌合戦を見ないのは私の大晦日の恒例行事でそれはいいのですが、カウントダウンの瞬間も見ないまま新年を迎える事に。
早朝から市内を散策する予定でしたので、それはそれでちょうど良かったし、テレビ中継ですけど富士山からの綺麗な初日の出も見られましたし。早寝早起きはやっぱりいいよなあ(普段は全く逆)。

因みにこの日が年末年始旅の最終日です。

早朝の駅前通り(倉敷中央通り)→

倉敷観光と言えばどうしても美観地区へ目が行きがち。
ですが、正直あまりそこは好きではありません(JR西日本のテレビCMに喧嘩売っているようですが)。
私が天邪鬼な性格だし、俗化されすぎているというのもありますし、女性をターゲットにしたお店・施設ばかりだし

ただ、この日は元日という特別な日だけあって、倉敷の大看板・美観地区の様子を見て廻りますが、今回来てまだたった3回目なんですけれど、ひとまずこれで見納めにしたいと思っております。

というのも、まだ行っていない瀬戸大橋の袂にある下津井(しもつい)や「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地として選ばれたくらい昭和レトロがふんだんに残っているらしい玉島という2つの古い街並みが残る港町に食指が動いておりまして・・・。(これこそ、男の渋い趣味趣向!、だよね?)
あと、水島コンビナートの夜景も見てみたいですね。

↓まずはJR倉敷駅南口、駅を背にして右手にある「一番街」へ。

以前はアーケード街だったらしいこの通り、多くの飲食店が並んでおります。

↓さらに行くとちっぽけな川を渡り、その左手には海鼠壁の蔵があります。

「蔵Pura(くらぷーら)」という旧家の建物を利用した和風喫茶・食事処。

↓上の写真の反対側、左側の道が以前は遊廓があったという「川西町本通り」

元遊廓だった名残りか、今は飲み屋が多くある歓楽街のようです。
「倉敷てくてくマップ」という、名所・食事処がやたら細かくゴチャゴチャ載っていて、しかもカラフルすぎて目がチカチカしてきそうな、とても分かりづらい散策地図をホテルから持ってきたのですが、元遊廓付近のお店の紹介はほぼ無く、実質無視された状態。
昔のそういった類に通じるものは何とかして消し去りたいようです。当たり前か。
右は倉敷用水に沿う「川西町北通」。

早朝すぎるからか(というか、元旦だからか、と言った方が正しいのかもしれない)、いかにも観光客って風貌は私だけでしたが、散策には意外に悪くない所だとは思うんですけどね。

↓古い建物が建ち並ぶ道を通って、再び「倉敷中央通り」へ向かいます。



下の写真奥にあるのが国の重要文化財「大橋家住宅(寛政8(1796)年築)」。
江戸時代に新田開発などでボロ儲けして建てたお屋敷。もちろんお休み。
背後の近代的建物とアンバランスすぎ。景観規制できなかったのか行政はもうちょい考えて欲しいところ。

まだ8時すぎ→
新年明けたばかりで普通はまだお寝ん寝している時間だろうに、人間の飽く無き欲望には恐れ入る。

(567)岡山県倉敷市役所
観光客が多く来て、重化学工業地帯・水島を抱えて潤っているせいか(?)、かなり立派な、一見ホテルのようなお役所。実際に平成24年当時ではありますが財政力指数は県内で一番。住む人も多く、約50万人を抱えております。

江戸時代は天領で、物資の集散地として発展。
中世、荘園から年貢などを本所・領家に輸送する際、中継地として一時保管した場所を倉敷地といい、それが地名の由来。なので、倉敷と呼ばれる地名は結構あちこちで見られたりします。

倉敷川に沿って歩いて美観地区へ→

ご存知「倉敷アイビースクエア」の赤レンガ壁→
江戸時代にはお代官さまがいた所で、明治になるとここに倉敷紡績所が建設され、今では倉敷アイビースクエアとして博物館やホテル、レストランなどが入った施設となっています。
大学生の頃に博物館実習で施設をいろいろと見学したのですが、全く印象に残っておりません。
きっと当時はつまらなく感じたんでしょうね、でも今後見たとしたらどんな感想を持つのか興味あるところです。

↓その正面にある骨董店・博物館の方がよっぽど面白そうだけど。

これまたお休みなのが残念。

倉敷お決まりの光景→
元日から晴れていて気持ちいいな!それに人もまだあまり来ていないし。
静かにゆっくり散策できそう、と思ったのですが・・・。続きは次回。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

144日目 井原鉄道に乗る(2)~へぇー連発だった井原

2016-02-24 23:59:28 | 山陽
2015年12月31日(木)


○○市(町・村)という自治体があるのは知っている。
だけど全く馴染みがないので、具体的にはどんな所かは知らない。

ところが、こんな著名人が出身だったのかとか、A級B級にかかわらずこんな特産・名所旧跡があったのかと、実際に行ってみて初めて知る事しばしば。

さて、岡山県南西部に位置する井原(いばら)市ですが・・・。

早雲の里荏原(そううんのさとえばら)駅→
この駅名票を見るまで北条早雲が井原市出身だったって事を全く知りませんでした。高越(たかこし)城というお城で生まれたらしいです。てっきり根っからの東国人かと思ってましたわ。

井原駅には15時44分に到着→

駅舎内にて→
ジーパン生地であるデニムが特産の井原市。昔から繊維産業が盛んな土地柄で、「井原デニム」は有名ブランドの生地として使用されているだとか。倉敷市・児島もジーパンで有名ですね。
しかしまあ、服に関しては全くの興味のない小生、デニムって言葉をここで初めて知った程の服音痴。恥ずかしながらここで白状いたしとうございます。さすがにジーンズは知っておりましたですよ。

駅を出る。
何のモニュメントでござんしょ?→

那須与一、何げにここでご登場→
駅自体、弓と矢がモチーフになっているのだそう。
彼については屋島(香川県高松市)での一件しか知らないけど、井原に荘園を持っていたとはなあ。

駅前の通り→
これを見て違和感。
というのも、井原は昔からあった都市だろう。
なのに駅前にありがちな雑然としたゴチャゴチャしたものでなく整然としている。
この違和感は後で氷解するんですが。

市役所のある方へ。
(566)岡山県井原市役所
人口42,000人ほどの、市の多くの部分を山が占める町。
井原が誇る特産として、ぶどう・ごぼう・乳製品・豚肉加工品があります。

市役所ウラ側にある「田中美術館」の入口→
「たなかびじゅつかん」、ではなく「でんちゅうびじゅつかん」ね。
日本彫刻界の大巨匠・井原出身の平櫛田中(ひらくしでんちゅう・現地では田中翁と呼ばれているみたいです。)の作品が展示されております。美術にも全く疎い私、そもそもこういう方がいた事自体初めて知る。
東京の小平市にも美術館があるようです。
そしてこのド派手なド金ピカ像はまさに田中翁、ではなく翁の師匠・岡倉天心をモデルにした像。

美術館の敷地にあった看板→
この子守唄は知っていましたよ、もちろん。でも、こんな題名だったのか・・・。
知らんことばかり、我ながら無知すぎ。

楷の木の名所・田中苑→
美術館と一体となった市民の憩いの場で、像は田中翁の代表作「鏡獅子」なのですが・・・、小さすぎですよね。

田中美術館HPより拝借してきました→
これぞ歌舞伎のいかつい風体。

市のマスコットキャラクターも当然これ→
いろいろなゆるキャラを見てきましたが、私が自分の心の中の「いいね!」ボタンにポチッした数少ないうちの一つ。

再び駅前通りに戻りさらに奥へ。
バスセンター→
ここに昭和46(1971)年まで井笠(いがさ)鉄道の井原駅があったようです。
一方の井原鉄道は平成11年にできた鉄道。そうか、だから今の駅前は最近整備された感じの印象なんだな。

故に、ここらへんが昔からの市街地だったようです。
↓その証拠に昭和的な商店街があります。





そしてここも他の都市の古くからの商店街同様に見るからに大苦戦中の気配、まさにの道を歩んでいるかの如し。頑張って欲しいとは思いますが、なにぶん今の駅からずいぶん離れているのでね・・・。

小田川→
2kmに渡って堤防に桜が植えられております。あと1ヶ月もすれば・・・。

暗くなってきたので、井原を去ります→
勉強になったなー。あちこち出掛けていろいろな事を知る。だから止められませんがな、旅。

欲を言えば、ご婦人さまの団体から非難轟々されはしないか「嫁いらず観音院」というお寺さんや、「木之子(きのこ)」という可愛らしい字名がある地域も歩いてみたかったけど・・・。
因みに「嫁いらず観音院」とは、奈良時代の名僧・行基によって開山され、ここを参拝すると無病息災で一生を幸福に過ごせ、老後は嫁の手を煩わさず極楽往生できるという。だから誤解なきよう。
でも一人もんの私には(一部)関係のない事かもしれないけど。

年越しは倉敷市にて!

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144日目 井原鉄道に乗る(1)~矢掛の宿場

2016-02-21 15:05:51 | 山陽
2015年12月31日(木)


「岡山・尾道おでかけパス」はJRの切符ですが、第3セクターの井原(いばら)鉄道にも乗れます。

↓清音(きよね)駅発13時11分の列車は、JR線と別れて高梁川を越えます。


清音から2つ目→
あの吉備真備?と思ったらやっぱりそうでした。
駅名になっている位だから、ここらは彼の故郷らしく、実際に、今は倉敷市となっていますが以前は真備町でした。ただし、読み方は「き」が抜けた「まびちょう」。
同じ岡山県にある駅「宮本武蔵」に比べると、奈良時代の学者政治家・吉備真備は知名度だけに限れば超劣るのがちょっと切ない。

↓こんな感じの風景がひたすら続いて、向かうは矢掛(やかげ)駅。


矢掛駅→

↓(565)岡山県小田郡矢掛町(ちょう)役場
 
人口も約15,000人で40年前に比べの約2割の減少。
過疎化に対する危機感の表れか、或いは今の外国人の訪日ブームに乗ってか、今年度を「観光元年」と銘打って、観光で町を活性化させる取り組みが始まりました。

地理的には岡山市や倉敷市に近くてアクセス面は決して悪くはないのですが、両市はネームバリュー・人の吸引力が偉大すぎて、矢掛町がちょっとでもそこに食い込んでいくのには相当の労力と時間と金がかかるんだろうと思う。
でもこのご時世、何が起こるか分からないので、ちょっとしたきっかけで神風が吹くかも知れないから、普段から地道な努力は必要かも知れませんね。

そんな観光に力を入れ始めた矢掛は何と言っても、旧山陽道の宿場町の面影を色濃く残す街並み。
そこを見る前に、町中心部の西側に流れる川を越えた所に、もう一つ「矢掛駅」があるというので行ってみます。

↓そこへは古い建物並ぶ旧松山街道を通って。


↓確かに「矢掛駅」があるわ。



けど、一本の線路もなくバスがやたらあるだけ。
ここは昔、昭和42(1967)年まで走っていた井笠鉄道の終着駅で、今はバスターミナル。

ではでは旧山陽道の街並みをブラブラします。
せっかくやんでいた雨が時折降ってきて非常に厄介ではありますが。

国道486号線→
左側に行く道が旧山陽道。右の川は高梁川の支流・小田川。

↓古い建物が多い中、洋風建築もあったりする。






旧矢掛本陣石井家→
国指定重要文化財。参勤交代で大名・公家・役人の宿に使われたお屋敷で、あの篤姫も薩摩からの嫁入りの道中に泊まったという。

↓「観光元年」の魁となった昨年3月オープンした矢掛屋(上)と温浴別館(下)




旧矢掛脇本陣高草家→
これも国指定重要文化財で、本陣の補完的を果たしておりました。
このように本陣と脇本陣の両方が揃って健全な状態で現存しているのは矢掛町のみらしいです。

矢掛一番のお祭り→
殿様らに扮した人達が「下~に~、下に~」という掛け声と共に大名行列ばりに街を練り歩くお祭り。

ところで、「下に」は時代劇の影響か、全ての大名がこの掛け声で歩いていたものと思いがちですが、それをしていたのは将軍家・尾張家・紀州家だけ。他の大名は「よけろー、よけろー」の掛け声だったという。しかも庶民は土下座というイメージですが、実際は普通に立ったまま見ていたらしい。

それにあんな大人数が道中常に行列をなしていたわけではなく、自国領地内や江戸などではアルバイトを雇って多くの人が歩いているように見せかけたのです。
よく考えてみれば、時代劇のように江戸から自国までゆっくりと延々とやっていたらお金がいくらあっても足らんわな。

「矢掛テンペ」って家具、何ぞや?→
お店の貼紙を見てみると、どうやら大豆を発酵させたものをコロッケにしたものらしい。

普通のコロッケというなら間違いなく買ったでしょう。が、私は「大豆・発酵」という文字で即刻拒否!
「大豆・発酵→納豆」の単純な連想から、納豆をコロッケにしたものだと思い込んだのでした。
要は私は、納豆が大大大(大をいくつ付けても足らん)の苦手なのであります。

ところが後で調べてみましたら、納豆のようなネバネバも臭みもなく、ほんのり甘い味らしく・・・。失敗したわ。
どこかに「納豆の味はしません」とでも表示してくれればな・・・。もしかしたら私と同じ考えを持ってしまう関西からの観光客がいるかも知れませんので。

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144日目 旅人は讃岐を去って備中に向かったそうじゃ

2016-02-18 23:00:03 | 山陽
2015年12月31日(木)


平成27年最後の日でございます。
そして、四国ともオサラバする日でもあり、以後の主戦場は岡山県になります。

↓8時55分発のマリンライナーで高松を脱出し、岡山を経由して総社(そうじゃ)市へ。
 

使う切符は当日売りをしない「岡山・尾道おでかけパス(\1950)」。前々日、早島駅で買っておいたもの。
1日間有効のこの切符ですが、大晦日から使う場合のみ2日間有効に化けるJRグッジョブな切符。
せいぜい使い倒してやろう!

さて、ここ総社市は見所がとっても多く、とてもじゃないけど歩いてでは見切れません。
例えば・・・。
↓水墨画で知られる雪舟が少年時代に修行した井山宝福寺。

涙でネズミを描いたという有名な逸話を残したお寺さんですが、駅からちょっと遠い。
この像から察するに、雪舟さんはアンパンマンばりの丸顔で、小さい頃からメタボ気味だったようです。

さらには、市の名前の由来となった「総社宮」や、「きびろーど」と呼ばれる自転車道で見て廻る全国で10番目にでっかい前方後円墳・作山古墳や、こうもり塚古墳、備中国分寺の五重塔などの古代吉備を味わえる史跡。
さすがに自転車ではムリですが、鬼ノ城(きのじょう)という古代の山城もあります。

そんなワケでここは貸チャリのご登場といきたいのですが・・・。
心配していたとおりに→
年末なのでこういう事もあろうかと考えておりましたので、慌てることなく第二の手を使うことにします。
それは歩くのみ。ただし、行ける範囲内で。
というか、それしかないんだけどさ。

駅前の大通りを東へ。

(564)岡山県総社市役所
備中国府が置かれ、備中国の政治・経済・文化の中心地だった町。人口68,000人。
手前のピラミッドのようなモニュメントは、石の彫刻としては日本一なんだとか。

↓名前に惹かれてやって来たのは、今現在は公園でも「昔公園」という名の公園。

総社が古より人類の活動の場ということで、古墳を模した築山や竪穴式住居が造られております。


ただ、それだけでした。

↓次に総社宮へ向かいます。





参道が回廊になっていて、庭園は美しい。夜は電灯の光が水面を照らしてさらに映えそうです。
神社サイトによれば、「平安時代末期、国司が赴任してきた際、備中国中すべての神社の巡拝を行っていた。しかし、巡拝の手間を省く為、国府の近くに備中国内三百二十四社の神社を勧請し、お祀りした。」とある。神社を一つに纏めたから総社なのでしょう。
合理的な考えを持った頭のいい国司だったのか、ただ自分の体を酷使したくなかっただけの物臭な国司だったのか・・・。

総社宮の参道は、緩くではあるけどヘビのようにグニャグニャしており、和風洋風の古い建物が混ざっています。
まちかど郷土館→
明治43(1910)年築の元警察署。
薬売りと言えば富山ですが、元を辿ればそれは総社の薬売りから引き継いだもの。それに関する展示が多くあるらしいので見学したかったのですが年末休み。





一番大きかったお屋敷→
なかなか見ていて楽しい参道であります。

3日後です!→

↓市街地はこの程度で引き上げて、次に10年ほど前までは清音村といっていた所へ。

是が非でも見たいものがありましたんで。

ところで、「晴れの国おかやま」を自称するだけあって、雨の少ないのが自慢(?)の岡山県。
千葉を出てからの道中は珍しく好天に恵まれていたのですが、総社駅を出る頃に雨に見舞われ始め、清音でそこそこの振りとなる。
「岡山の晴れ」も吹っ飛ばすほどの私の雨男パワー。ただ40分もしたら晴れパワーが息を吹き返しましたが。

それは駅から歩いて10分程の神社→

狭いとは言えやっぱり広い日本、神社はたくさんありまして、中には思ってもみない神様が祀られている場合があります。じゃあ、ここは何かと言うと・・・。

たくさんの目ん玉、ギョロギョロ→
ではなく、おっぱい! がいっぱい!!なのでござる。
ここは「軽部(かるべ)神社」といい、垂乳根の桜といわれる枝垂桜があったことから、全国の安産・母乳の出を願う女性に信仰される神様で、別名、おっぱい神社・乳神様というようです。

ご利益を受けられない男の私が何のためここに?
話しのネタに、というのもあります。
これほどとは言いません、本物にいっぱい囲まれたい!というお願いに。

一番デカかった絵馬→

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143日目 いよいよ、こんぴらさんへ

2016-02-15 23:01:01 | 北四国
2015年12月30日(水)


四国生まれの私ではありますが、階段地獄・こんぴらさんへはまだ行ったことがなかったので、個人的には今回の旅での一番のハイライト。

さて、この3ヶ月前の9月に行った北海道・赤平市のズリ山で、自慢の健脚(?)が思っていたほど強くなかったことにかなりのショックを受けた私でしたが、この時既に年末年始には金刀比羅宮に行くのは決めてましたので、それに備えて鍛えておこうと決意!
したんですが、一日たりとも決意を実行することなく・・・。結局、さらに衰えを増した上での今回でございます。

足裏が痛く、たいぶ疲労は溜まってはいますが、気力・余力はまだまだ充分!その気になればこのまま高松までも歩け・・・ませんが。

登り初めてすぐに横道に逸れます。見ておきたい建物があったので。
旧金毘羅大芝居(金丸座)→
天保6(1835)年築の、現存する日本最古の芝居小屋。
催しがなかったこの日は中を見学できたのですが、時間の都合上、外面を見て終わり。
ここに来るのにかなりの急坂を上らねばならず、結果的にムダに体力を削がれただけでした。

表参道に戻ります。
ちょうど100段目、一之坂鳥居→

↓ここを登りきると大門(365段目)
 
この門から金刀比羅宮の境内になります。
私と言えばまだまだ元気です。

桜の馬場→

馬場西詰銅鳥居→

上の鳥居近くにある、こんぴら狗のゴン→
こんぴら参りに行けない代わりに、飼い犬に参拝に行ってもらう風習が江戸時代にあったそうです。
「こんぴら参り」と記した袋を犬の首にかけ、旅人から旅人へ代わる代わる連れられ、無事にこんぴら参りを果たした犬が「こんぴら狗」と呼ばれました。何とも微笑ましいお話しではないですか。
我が家の愚犬じゃ、そんな芸当は到底ムリだな・・・。

旭社→
このあたりの階段になると、肩で息をしていかにもしんどそうな人多数。
まだまだ余裕のある私はその横をイヤミっぽくさっさと追い抜く。

ちょっと骨っぽい階段→
最初に想像していたのは、階段は赤平のズリ山階段のようにひたすら続いているものだと。
実際には数十段程度を登って、しばらく平地、また階段、そして平地、とそんなのの繰り返しだったので、思っていた以上に楽。
でもいずれ、地獄のような泣きたくなるような長い階段があるのだろう、と登っていたんですが・・・。
↓上の写真の階段を登りきったら、御本宮(785段目)にあっさりついてしもうた。

何だ、こんなもん?、というか、物足りない
赤平の山は平地を歩く箇所はなく、ひたすら階段を登るだけで、しかもほぼ休まずに登っていたから膝がガクガクしていたのだな。
それほど足は衰えていないじゃないかと変な自信を回復する。

金刀比羅宮は海の守護神で、御祭神は大物主神と第75代・崇徳天皇。

絵馬堂→
全国から奉納された船の絵や写真が飾られております。

眺めがいいです→

さて、私のように御本宮程度では物足りない人のために(?)、神様はちゃんとその先をご用意してくれてます。
奥社への参道→
ただ、日は落ちて黄昏始めた時間なので、その先にも行こうという変わり者勇者がいない。
行きたいんだけど心細いよなあ(かなり小心者)、と思っていたら若いアベックが果敢に突進して行く。
これは渡りに船(こんぴらさんだけに)とばかり、その後を付いて行く(まるでストーカーだな)。

どう注意すればいいんじゃ!→
確かに茂みでガサゴソ音がする。気にはなりましたけど・・・。

↓御本宮から17・18分程で奥社(厳魂(いづたま)神社)に。

まだまだ登れるぞ、膝プルプルもなし。ただ残念なるかな、1368段目、果てでございます。
絶壁には天狗のお面がかかっているらしいんですけど見忘れる。というか、暗くて見えなかったとは思うけど。
御本宮ではお参りしなかったので、ここで。

夜景はもっといいですな→
しばらくこの景色を眺めていたのですが、アベックはとっくに降りて行ってしまって、あたりは物の怪が出てきそうな山奥の気味悪い闇の中。
急に怖くなり超マッハで御本宮に戻る。
すれ違う人がいなかったので、私がこの日最後の奥社の参拝者となった、かも。

御本宮に戻るなり、こんぴら参りのベテランと覚しき人に「イノシシはいなかった?」と声かけられる。
「確かに茂みでガサゴソ言ってましたけど、サルかなんかかと・・・。」
「それがそうだろうねえ。」「・・・。」
用心なさすぎにも程があるよなあ(猛省)。

↓人影がなくなり、店仕舞いした観光地は、何て寂しいんだろう。


ことでんで高松に戻ります→
どう見てもペンギンにしか見えんわ。

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143日目 こんぴら参り・前座

2016-02-13 23:32:05 | 北四国
2015年12月30日(水)


こんぴらさんへ早く行きたいのですが、はやる気持ちを抑えて先に市街地の散策してみます。

参道となっている全蓋式の新町商店街→
またの名を「こんぴらレトロ街道」というけど、人はそこそこいるも、かなり賑やかといった商店街でもない。

実家への琴平土産は、こんぴら船をかたどった「本家船々堂」のおせんべいにしようかと思っていたのですけどね。
こんなお店を見つけてしまったのだ→
創業90年余りの琴平で最も古い老舗和菓子店「へんこつ屋」。お店横にある「天皇陛下御召上の品」の看板を見て考えが変わる。建物が文化庁登録の有形文化財であるといいます。

へんこつまん→
お店の中でも食べられます。
年寄りへのお土産だからな、硬いおせんべいじゃ難儀だろうから、この方が良かろう。
因みに「へんこつ」とは、曲がったことが大嫌いな頑固者のことで、生涯自称「へんこつおやじ」で通した初代が、こんぴらさんの麓で発売したしたことが始まりらしいです。

↓アーケード商店街を出ると、金倉川(かなくらがわ)を跨ぐ一ノ橋。


↓一ノ橋から下流側の玄孝橋(げんこうばし)より琴電琴平駅方向。

向こうの橋は大宮橋、鳥居のウラがの低い建物が駅。
もう一方のノッポな建物は高さ27.6mで日本一の高燈籠で、慶応元(1865)年に完成。
瀬戸内海を航海する船のために建てられ、今も夜には明かりが灯されております。

玄孝橋の上流側→

琴平は金刀比羅宮という有難い神様のお参りを目玉とする観光地でありますが、地元ではできれば隠したいんじゃないかと思われる(?)、かなりディープな、でも歴史のある世界が写真左側に広がっております。

門前町にそぐわない一際目立つ建物を拡大→
ま、見ての通りのお風呂屋さんです、大人の男が楽しむ所のね。
これは仕舞屋になっていましたが、左横のお店は立派に商売しておりました。
尤も、こんな所じゃあバア様がお出迎えするイメージしか沸かんけど。

↓この建物のウラ路地には、怪しげなカオリのする建物多数。
 
元遊廓であったこの一帯、江戸時代の琴平は天領だったので、かなり自由に歓楽を提供できる街として発展でき、昭和5(1930)年の「全国遊郭案内」には、「貸座敷は目下28軒あって、娼妓は約111人程いる。」と記載されているようです。
参拝での汗を流して、また汗をかく!パラダイスな街だったんだな、琴平。昔の人が羨ましい。それにしても「娼妓は約111人程」という意味がよく分からん(笑)。
正直、金刀比羅宮への表参道歩きよりもここ散策の方が面白かったですよ、個人的には。

↓川を上流側に遡ると鞘橋(さやばし)があります。

橋柱のないアーチ型の珍しい木造橋。
ただ普段は立ち入り禁止で、金刀比羅宮の御旅所で行われる年三回の祭典の時だけ使用。

↓この橋の目と鼻の先には、琴平花壇という寛永4(1627)年創業の超老舗旅館。


↓アーケードとはケタ違い、詣で客でごった返す表参道。

さすがは世に知られたこんぴらさんだけあります。
実はこんぴら参りは初めてでございまして、だからか私の頭の中は既に、♪金毘羅船々 追い手に帆かけて シュラシュシュシュ、でいっぱいでございます。

↓清酒醸造元の酒造屋を使った資料館「金陵の郷」。


↓琴平グルメで楽しみにしていた「こんぴらうどん」。

「しょうゆ天」がお目当てだったのですが、この時既に16時すぎ。営業時間は17時までなので絶望的。

ここが最初の階段だったかな?→
いよいよ「心臓破り」と称されるこんぴらさんの階段ですが、一体どんなもん? 

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143日目 まんのう町から琴平町へ徒労歩

2016-02-11 01:04:14 | 北四国
2015年12月30日(水)


滝宮駅からまた電車に揺られ、まんのう町(ちょう)に入ります。

↓目の前が羽間池という羽間(はざま)駅にて。

香川県をブラブラしていると必ずと言っていいくらい目に付くのが池。

温暖で降水量が少なく、大きな河川が流れていない香川県は、昔からしばしば渇水に見舞われ、そこで水不足を補うための策としてあちこち作られたのが溜め池。
今ではだいぶ数を減らしたものの、狭い讃岐平野に15,000近くあるもあるのだから、そりゃイヤでも視界に入ってくるワケです。

こんなにも溜め池が沢山ある香川県ですが、その数は全国で見ればそれでも3位なんだとか。
1位は兵庫県で、その数はぶっちぎり断トツの約43,000で、2位は広島県と、共通しているのは瀬戸内海に面している県。たしかに雨はあまり降らない感じだよなー、ここらは。
だから渋々雨男を自負せざるを得ない私が、このあたりに行っても滅多に降られないのも分かるというもの。
そんな気候だから香川県では良質な小麦がとれ、塩もできたので「さぬきうどん」が発達した訳ですが、意外ですが山の方ではソバも多く栽培されていたりします。

ここ、まんのう町の由来となったのも溜め池「満濃池」から。
満濃池は、面積は約1.4キロ平方メートル、周囲は約20kmで溜め池としては日本一。

大宝年間(701~704年)に讃岐国守・道守朝臣により創築され、各地に超人的な伝説を残すスーパー坊主・空海も修築に当たった事もある歴史のある池なのですが、いくらゴッドハンドを借りても所詮自然の力の前ではちっぽけな存在にすぎず、しばしば決壊を繰り返す。
今回残念なのは、ことでん沿線からは満濃池が見えないって事。

そんな香川県ですが溜め池をいっぱい造った程度では水不足は解消せず、吉野川から香川用水を引いてどうにか苦しみから解放される。

↓終点・琴電琴平駅の一つ手前、榎井(えのい)駅で下車。


↓長閑な田園風景広がる所へフラフラやってまいりました。


菜の花が咲き乱れ、春爛漫な感じ→
実際、冬が嘘のような春を思わせる暖かさ。

ところで、こんな長閑な場所へ来た理由なんですが・・・。
実は知る人ぞ知る(?)、高貴な場所があるので、皆様にこっそり教えちゃいましょう(他言無用で)。

天皇陛下や皇族方がお忍びでお見えになる所?→

↓建物横には「天照大神」と刻まれた碑もあったりする。


↓菊の御紋こそないけど、電柱に貼り付けてあるプレートが印籠のよう。


何てことない、この近辺の地名を「天皇」といい、要は気になってきてわざわざ足を運んでみたワケです。ただ、実際にはご覧の通りどーってこのない畑の中にある住宅密集地の一角。
おまけに地名の由来を地元の人に聞いてみたかったのですが、人っ子一人歩いていないし・・・。

昔は天皇や上皇、皇族はしょっちゅう四国に「島流し」にあっていたので、それと何か関係あるのかな?、と思ったけど、少しも手がかりを得られず、得たのは徒労だけ。何のために行ったんだか・・・。

これ以上の格式のない「天皇」地名、実はここだけではなく、調べた範囲では四国に数箇所、仙台にもある事が分かりました。

(562)香川県仲多度郡まんのう町役場
平成18年に3つの町が合併してできた町で、人口は約2万人。
この役場をちょっと行ったところに中学校があるのですが、そこで昨年5月、教育現場ではあってはならない(?)事が起こり、ちょっとした話題になりました。

この後はとりあえず琴平町役場まで行くのですが、その距離およそ2.5km。
1.5kmほど離れた榎井駅に着いてもすぐに電車が来る保証もないし、バスは次の便までしばらく間があり全く使い物にならず。

↓結局歩いたほうが賢明だということで、県道28号線をトボトボ・・・。



実に気になる「どじょううどん」。溜め池が多いから、よくどぜうが捕れたんでしょう。
「しっぽくうどん」などと共に、香川の伝統的なうどんの郷土料理であります。

この日はまだ10km程度しか歩いていないのですが、足裏が疲労か妙に痛い。
後には超大物が控えているというのに・・・、コマッタもんだ。

(563)香川県仲多度郡琴平町役場
言わずと知れた「こんぴらさん」金刀比羅宮のある町。
面積は小さく、県内でもブービー。ただ人口密度は上位にランクされる。

JR琴平駅→

↓旧高松街道から参道へ。



まずは市街地をぶらついてみましょう。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

143日目 さぬきうどん発祥の地

2016-02-08 23:21:23 | 北四国
2015年12月30日(水)


ことでん長尾線の終点・長尾駅まで行ってから再び瓦町駅に戻り、お次はこんぴらさんのある琴平町が終点の琴平線に。
のっけからしばらくは結構な乗車率で、しかも若者が多かったので、すげ~ぞ、こんぴら詣では老若男女こんなにも流行っているのか!と思っていたところ、綾川(あやがわ)駅で一気にガラ~~ンとなる。

↓ほとんどの客はここ目当てだったのだ。納得。

地元商店街が弱り目の所に、さらなる祟り目としてトドメを刺しているコレ、どこもかしこにも進出して留まる事を知りません。

↓その隣・滝宮駅(たきのみや)駅で私含め数人が下車。

ますます空気輸送の比重の高まった電車を見送る。
大正15(1926)年の開業以来からずっと使われているらしい年季の入った老舗駅舎で、近代化産業遺産に選ばれているんだそうな。

↓(561)香川県綾歌(あやうた)郡綾川町(ちょう)役場

平成18年に綾上(あやかみ)・綾南(りょうなん)の2町が合併してできた25,000人程が暮らす町で、綾歌郡は明治32(1899)年に阿野(あや)と鵜足(うた)の2郡が合併した際に名付けられた郡。

1時間半程駅周辺を散策します。

滝宮天満宮→
天満宮と言えば、学問の神様で有名な菅原道真。
彼は讃岐守として4年ほど讃岐国で過ごしており、その際に塒としていたのが、天満宮のすぐそばの「滝宮神社(またの名を「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」ともいう)」の一角にあった官舎。

↓だからか?、狛犬ならぬ狛牛なのでござる。モ~~。


↓「北面の武士」という超エリート・コースを捨てて出家した、平安時代末期の西行法師さんがお掛けになった岩もあります。

西行さんはかなりのイケメンだったらしいので、ここで「さぬきうどん」でもすすっていたら、さぞかしCMになりそうなくらいのいい絵になった事でしょう。

町名の由来となった綾川に架かる滝宮橋→
昭和8(1933)年に竣工した橋で、平成23年には 「土木学会選奨土木遺産」に選ばれる。
戦前では香川県で唯一の開腹アーチ橋であったらしい。

上流側→

下流側→
眼下は「滝宮公園」といい、桜の名所。1ヶ月半後が待ち遠しいですな。
また、釣りスポットでもあるという。

橋の下に行ってみる→

橋桁の所にポツンと水車小屋があります。
綾川町周辺の地域は良質な小麦の産地で、以前の農家は水車で小麦を挽いていたという。
でも、壊れて惨めな姿を晒しております→
どうやら川の水かさがかなり増した事があったようですな。

↓釣りスポットのそばだからか、こんな石があったりする。

魚に詳しい某大学客員准教授が大喜びしそうだ。

↓滝宮橋からちょっと下流方向にある「道の駅滝宮」。


道の駅にある「滝宮の念仏踊像」→
菅原道真が讃岐にいた仁和4(888)年に、どエライ日照りが起こり、困っていた農民たちのために道真が七日七夜祈り続けたところ、三日三晩大雨が降り続いたので、農民たちは滝宮神社の前で大喜びしながら唄い踊ったのが始まりで、後に法然上人が振り付けをして、念仏を唱えながら踊るようになったことで、「念仏踊」といわれるようになったという。毎年8月25日に行われます。
それにしてもこの像、イチローが振り子打法だった頃の格好に見えるんだわ。

↓綾川町の自慢、というか滝宮が鼻高々、今や全国区となった「さぬきうどん」の発祥地。

空海和尚の甥である智泉(ちせん)和尚は、遣唐使として唐に行って習ってきた空海にうどんを教えてもらって、病弱であった故郷・滝宮の両親のためにうどんを作ったのが、「さぬきうどん」のルーツであるという。
日本でのうどんの起源は諸説あるようですが、大陸では諸葛孔明の家に来た客のためにうどんで饗したというから、仮に大陸から伝わったとしても伝来に相当長い時間がかかったもよう。

それはさておき、綾川町が発祥地であるとの一般的認知度が全くないのが残念。
町内にある案外知られたお店で思いつくのは「山越(やまごえ)うどん」くらいかな。

駅内にある「うどん会館」では、うどん打ちが体験でき、変わった名物では「さぬきうどんアイス」なんかがあります。
↓それでは発祥の地に敬意を表して、ここで冬の定番「しっぽくうどん」を戴きます!

ウマ~。

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