平成28(2016)年1月1日(金)
平成27年最後の夜は、ホテル飲みをしているうちに夢の中、紅白歌合戦を見ないのは私の大晦日の恒例行事でそれはいいのですが、カウントダウンの瞬間も見ないまま新年を迎える事に。
早朝から市内を散策する予定でしたので、それはそれでちょうど良かったし、テレビ中継ですけど富士山からの綺麗な初日の出も見られましたし。早寝早起きはやっぱりいいよなあ(普段は全く逆)。
因みにこの日が年末年始旅の最終日です。
早朝の駅前通り(倉敷中央通り)→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2b/10cc624a704be5275d9949b37eab04d9.jpg)
倉敷観光と言えばどうしても美観地区へ目が行きがち。
ですが、正直あまりそこは好きではありません(JR西日本のテレビCMに喧嘩売っているようですが)。
私が天邪鬼な性格だし、俗化されすぎているというのもありますし、女性をターゲットにしたお店・施設ばかりだし。
ただ、この日は元日という特別な日だけあって、倉敷の大看板・美観地区の様子を見て廻りますが、今回来てまだたった3回目なんですけれど、ひとまずこれで見納めにしたいと思っております。
というのも、まだ行っていない瀬戸大橋の袂にある下津井(しもつい)や「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地として選ばれたくらい昭和レトロがふんだんに残っているらしい玉島という2つの古い街並みが残る港町に食指が動いておりまして・・・。(これこそ、男の渋い趣味趣向!、だよね?)
あと、水島コンビナートの夜景も見てみたいですね。
↓まずはJR倉敷駅南口、駅を背にして右手にある「一番街」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e2/6f9250b9fba3e3b8ae130ab953a8484a.jpg)
以前はアーケード街だったらしいこの通り、多くの飲食店が並んでおります。
↓さらに行くとちっぽけな川を渡り、その左手には海鼠壁の蔵があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/68/224492ce43708757d183412fa8518551.jpg)
「蔵Pura(くらぷーら)」という旧家の建物を利用した和風喫茶・食事処。
↓上の写真の反対側、左側の道が以前は遊廓があったという「川西町本通り」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/6c/b79ffc16913ba05a4c97b5c90e6b114a.jpg)
元遊廓だった名残りか、今は飲み屋が多くある歓楽街のようです。
「倉敷てくてくマップ」という、名所・食事処がやたら細かくゴチャゴチャ載っていて、しかもカラフルすぎて目がチカチカしてきそうな、とても分かりづらい散策地図をホテルから持ってきたのですが、元遊廓付近のお店の紹介はほぼ無く、実質無視された状態。
昔のそういった類に通じるものは何とかして消し去りたいようです。当たり前か。
右は倉敷用水に沿う「川西町北通」。
早朝すぎるからか(というか、元旦だからか、と言った方が正しいのかもしれない)、いかにも観光客って風貌は私だけでしたが、散策には意外に悪くない所だとは思うんですけどね。
↓古い建物が建ち並ぶ道を通って、再び「倉敷中央通り」へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/96/5234a82538885d075b53217f8c58e69a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ef/5cb2acff4f423b4c816d7a78268bd237.jpg)
下の写真奥にあるのが国の重要文化財「大橋家住宅(寛政8(1796)年築)」。
江戸時代に新田開発などでボロ儲けして建てたお屋敷。もちろんお休み。
背後の近代的建物とアンバランスすぎ。景観規制できなかったのか行政はもうちょい考えて欲しいところ。
まだ8時すぎ→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/77/1b4c9813389ad2905c8f62afbe5e7ac2.jpg)
新年明けたばかりで普通はまだお寝ん寝している時間だろうに、人間の飽く無き欲望には恐れ入る。
(567)岡山県倉敷市役所→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/86/fcdd7c594f93ede8d70d08953ac50634.jpg)
観光客が多く来て、重化学工業地帯・水島を抱えて潤っているせいか(?)、かなり立派な、一見ホテルのようなお役所。実際に平成24年当時ではありますが財政力指数は県内で一番。住む人も多く、約50万人を抱えております。
江戸時代は天領で、物資の集散地として発展。
中世、荘園から年貢などを本所・領家に輸送する際、中継地として一時保管した場所を倉敷地といい、それが地名の由来。なので、倉敷と呼ばれる地名は結構あちこちで見られたりします。
倉敷川に沿って歩いて美観地区へ→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/20/688b1f617f52ac56bf58109232afddbf.jpg)
ご存知「倉敷アイビースクエア」の赤レンガ壁→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1d/ea5ad7ca1af180b718ca6bb9ab9220d6.jpg)
江戸時代にはお代官さまがいた所で、明治になるとここに倉敷紡績所が建設され、今では倉敷アイビースクエアとして博物館やホテル、レストランなどが入った施設となっています。
大学生の頃に博物館実習で施設をいろいろと見学したのですが、全く印象に残っておりません。
きっと当時はつまらなく感じたんでしょうね、でも今後見たとしたらどんな感想を持つのか興味あるところです。
↓その正面にある骨董店・博物館の方がよっぽど面白そうだけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4c/a9480102f245f623decc992d4630c754.jpg)
これまたお休みなのが残念。
倉敷お決まりの光景→![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/3f/29125d95ba606b19d053c157a4b3344f.jpg)
元日から晴れていて気持ちいいな!それに人もまだあまり来ていないし。
静かにゆっくり散策できそう、と思ったのですが・・・。続きは次回。
![](http://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2049_1.gif)
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
平成27年最後の夜は、ホテル飲みをしているうちに夢の中、紅白歌合戦を見ないのは私の大晦日の恒例行事でそれはいいのですが、カウントダウンの瞬間も見ないまま新年を迎える事に。
早朝から市内を散策する予定でしたので、それはそれでちょうど良かったし、テレビ中継ですけど富士山からの綺麗な初日の出も見られましたし。早寝早起きはやっぱりいいよなあ(普段は全く逆)。
因みにこの日が年末年始旅の最終日です。
早朝の駅前通り(倉敷中央通り)→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2b/10cc624a704be5275d9949b37eab04d9.jpg)
倉敷観光と言えばどうしても美観地区へ目が行きがち。
ですが、正直あまりそこは好きではありません(JR西日本のテレビCMに喧嘩売っているようですが)。
私が天邪鬼な性格だし、俗化されすぎているというのもありますし、
ただ、この日は元日という特別な日だけあって、倉敷の大看板・美観地区の様子を見て廻りますが、今回来てまだたった3回目なんですけれど、ひとまずこれで見納めにしたいと思っております。
というのも、まだ行っていない瀬戸大橋の袂にある下津井(しもつい)や「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地として選ばれたくらい昭和レトロがふんだんに残っているらしい玉島という2つの古い街並みが残る港町に食指が動いておりまして・・・。(これこそ、男の渋い趣味趣向!、だよね?)
あと、水島コンビナートの夜景も見てみたいですね。
↓まずはJR倉敷駅南口、駅を背にして右手にある「一番街」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e2/6f9250b9fba3e3b8ae130ab953a8484a.jpg)
以前はアーケード街だったらしいこの通り、多くの飲食店が並んでおります。
↓さらに行くとちっぽけな川を渡り、その左手には海鼠壁の蔵があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/68/224492ce43708757d183412fa8518551.jpg)
「蔵Pura(くらぷーら)」という旧家の建物を利用した和風喫茶・食事処。
↓上の写真の反対側、左側の道が以前は遊廓があったという「川西町本通り」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/6c/b79ffc16913ba05a4c97b5c90e6b114a.jpg)
元遊廓だった名残りか、今は飲み屋が多くある歓楽街のようです。
「倉敷てくてくマップ」という、名所・食事処がやたら細かくゴチャゴチャ載っていて、しかもカラフルすぎて目がチカチカしてきそうな、とても分かりづらい散策地図をホテルから持ってきたのですが、元遊廓付近のお店の紹介はほぼ無く、実質無視された状態。
昔のそういった類に通じるものは何とかして消し去りたいようです。当たり前か。
右は倉敷用水に沿う「川西町北通」。
早朝すぎるからか(というか、元旦だからか、と言った方が正しいのかもしれない)、いかにも観光客って風貌は私だけでしたが、散策には意外に悪くない所だとは思うんですけどね。
↓古い建物が建ち並ぶ道を通って、再び「倉敷中央通り」へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/96/5234a82538885d075b53217f8c58e69a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ef/5cb2acff4f423b4c816d7a78268bd237.jpg)
下の写真奥にあるのが国の重要文化財「大橋家住宅(寛政8(1796)年築)」。
江戸時代に新田開発などでボロ儲けして建てたお屋敷。もちろんお休み。
背後の近代的建物とアンバランスすぎ。景観規制できなかったのか行政はもうちょい考えて欲しいところ。
まだ8時すぎ→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/77/1b4c9813389ad2905c8f62afbe5e7ac2.jpg)
新年明けたばかりで普通はまだお寝ん寝している時間だろうに、人間の飽く無き欲望には恐れ入る。
(567)岡山県倉敷市役所→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/86/fcdd7c594f93ede8d70d08953ac50634.jpg)
観光客が多く来て、重化学工業地帯・水島を抱えて潤っているせいか(?)、かなり立派な、一見ホテルのようなお役所。実際に平成24年当時ではありますが財政力指数は県内で一番。住む人も多く、約50万人を抱えております。
江戸時代は天領で、物資の集散地として発展。
中世、荘園から年貢などを本所・領家に輸送する際、中継地として一時保管した場所を倉敷地といい、それが地名の由来。なので、倉敷と呼ばれる地名は結構あちこちで見られたりします。
倉敷川に沿って歩いて美観地区へ→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/20/688b1f617f52ac56bf58109232afddbf.jpg)
ご存知「倉敷アイビースクエア」の赤レンガ壁→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1d/ea5ad7ca1af180b718ca6bb9ab9220d6.jpg)
江戸時代にはお代官さまがいた所で、明治になるとここに倉敷紡績所が建設され、今では倉敷アイビースクエアとして博物館やホテル、レストランなどが入った施設となっています。
大学生の頃に博物館実習で施設をいろいろと見学したのですが、全く印象に残っておりません。
きっと当時はつまらなく感じたんでしょうね、でも今後見たとしたらどんな感想を持つのか興味あるところです。
↓その正面にある骨董店・博物館の方がよっぽど面白そうだけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4c/a9480102f245f623decc992d4630c754.jpg)
これまたお休みなのが残念。
倉敷お決まりの光景→
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/3f/29125d95ba606b19d053c157a4b3344f.jpg)
元日から晴れていて気持ちいいな!それに人もまだあまり来ていないし。
静かにゆっくり散策できそう、と思ったのですが・・・。続きは次回。
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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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