ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

128・129日目 能登の締めくくりは円盤と渚で

2015-09-12 23:09:21 | 北陸
2015年7月19日(日)・20日(月)


ビックリしました、大雨による茨城と宮城の堤防決壊。特に常総市は去年12月に車から、今年4月にも列車から眺めていた町だったので、よけいにショックです。
ところで、民主党政権時代の事業仕分けで、スーパー堤防は「スーパー無駄遣い」としてバッサリと切られましたが、やっぱりスーパー必要なんでしょうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

志賀町(しかまち)を出たのが18時ちょっと前、日没まであと1時間半程度しかなくなってしまったので、後は次の羽咋(はくい)市を廻るのでせいぜい。
日本で唯一、縁結び専用祈願所のある「気多大社」はきっとお呼びでないだろうから目の前を通過し、羽咋市役所に車を止めます。

その途中にあったバス停→
変わった地名。変わりやすい(何が?)場所なんでしょうか?、由来が気になります。調べてみると、昔はこのあたりには2軒しか家がなく、その灯りが遠くからだと「猫の目」のように見えたからだという。

(521)石川県羽咋市役所
今年1月1日現在で人口は22,828人。
以前から面白い地名だなあと思ってはおりましたが、由来については市の観光パンフレットにしっかり書かれておりまして、第11代・垂仁(すいにん)天皇の頃、この地方に出現した大怪鳥を皇子・磐衝別命(いわつくわけのみこと)が退治した時、三匹の愛犬が「羽を喰わえた」という伝説によるとある。フムフム、ナルホドね。

それよりも、羽咋市と言えばこれに尽きます!→
今でも数多くのUFOの目撃談があるのみならず、飛来したかのようにも読める件が書かれている古文書が市内に残っていたりというのがその理由らしい。
そこで、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋なるものも建てられており、出来れば行きたいとは思っていたのですが、何せ来るのが遅すぎました・・・。
先に触れた「猫の目」は、家の灯火じゃなく、実は宇宙人の目ん玉じゃないのか?

JR七尾線・羽咋駅へ→
街灯もやっぱりUFOです。

↓「ジャーン!UFO登場!!」という意味で石彫を作ったのかと思いきや・・・。

この左に「ズズズ_」というのがあったり、離れた所には「ゴゴゴゴゴゴゴ」というのもあったりと、それらは円盤がやってきた時の音を想像してものか、とにかく石彫を作った意味がわからん。

駅前の商店街→

ご当地グルメも当然これ→
ラーメンに、カレー、チャーハン、巻き寿司、かまぼこ、ギョウザ、お好み焼き、パン、お菓子などなど兎に角何でも作っちゃえ状態。ただ、UFOヤキソバは見受けられませんでしたが(さすがにこれを作ると一悶着ありそうだ)。羽咋の地名の由来に因んだ「怪鳥料理」という鳥料理もあったりします。

国道249号線の商店街→

いよいよ旅も終わろうとしています(帰るという手間は別にして)。そこで掉尾を飾るに相応しい場所に行って、楽しかった能登とオサラバしようと思います。

来ちゃいました、羽咋の絶対的名所→
まずは勇気あるバス運転手さんに敬礼!
日本で唯一、自動車が走れる砂浜で、世界でもここを含めて3ヶ所だけ。しかも公道なので標識も立っていたりします。大学時代に一度ここを運転したことありますが、それ以来。
ただ、最近は砂の侵食が酷いらしく、もしかしたら数十年後には消えてしまっているかもしれません。今度来る時まで持っていてくれるかなあ?

壊したくなる衝動にかられる砂の像がたくさんあります。


入りまーす!→
約8kmありますが、一気に走るのも何だか勿体無い気がして、オートマのアクセルを踏み込まずとも勝手に走るクリープ現象状態のままでゆっくりゆっくり・・・。

「道路」らしき部分を走ったり→

波打ち際を走ったり→

海の中を走っているようだゼ!→
錆? 気にしない、気にしない。それよりこうして走っている方が爽快で楽しいし。
前回走った時は真昼間だったですが、この日は夜になろうという時間なので、ひょっとしたら綺麗な夕日を拝めるかと期待していましたが残念でした。

だいぶ暗くなりました→
さようなら能登!

21時15分に北陸自動車道・小矢部IC(富山県小矢部市)に入り、21時19分小矢部川SA21時56分→22時38分有磯海SA(富山県魚津市)23時17分→1時6分松代PA(長野県長野市)1時46分→2時10分東部湯の丸SA(長野県東御市)3時45分→5時5分高坂SA(埼玉県東松山市)5時35分→6時58分千葉着。

↓小矢部川SAは痛トラック自慢の会場と化しておりました。

小さな子供には大ウケで、運ちゃんは子供達に手を振って一斉にどこかへ去って行きました。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

128日目 「まれ」のふるさと巡り(3)と能登金剛

2015-09-09 23:49:54 | 北陸
2015年7月19日(日)


今回の旅は、この日の太陽がお隠れになるのと同時に打ち切りとなり、後は千葉へとまっしぐらとなります。なので明るいうちに貪欲にあっちへこっちへの名所見物に終始します。

↓輪島市の黒島集落



黒島地区まちなみ保存会というサイトにはここについての詳細がツラツラと書かれていますが、要は江戸時代から北前船の船主・船員の居住地として栄え、今では国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている黒屋根瓦に板壁の家屋が特徴の集落。
見て廻っての感想は、実に整っていて美しく、見る価値充分な町並み。
ただ、恐らく能登半島地震によるものでしょう、発生して8年も経ったというのに壁が剥がれたままの建物があったりはするんですが。
それはさておき・・・。観光客がほとんどおらん! こんな素晴らしい所に人が寄らないのは甚だ残念至極です。

琴ヶ浜→
「まれ」のオープニングで太鳳ちゃんが優雅な舞いを披露している、まさにその場所。
ここは泣き砂の浜で知られた海岸で、きっとキュッキュキュッキュ言わせながら踊ったんだろうなあ。
どういう泣き声するのかこうして浜辺に降りてきたのですが、台風で汚れてしまったせいか、全く泣いてくれません・・・。せっかく来たのにこっちが泣きたい心境。

琴ヶ浜を出るとすぐに志賀町(しかまち)に入ります。
志賀町もまた見所がたくさんある所で、まずは能登金剛と呼ばれる名勝地は外せません。能登金剛とは、関野鼻という岬から約33km南へ続く、奇岩や怪石、白砂・青松が連なる海岸線の事。

↓まずは、若い女性5人にすっかり占領されてしまい、這入る隙間のない「ヤセの断崖」

松本清張氏の「ゼロの焦点」という推理小説の舞台にも、映画のロケ地にもなった垂直35mの断崖。

覗き込んでみる→
高所が大の苦手な私ですが、思ったほど怖くない。崖の上から見れば、きっと足がすくむほど怖いんだろうけど。

右に視線をやる→
手前の岬が関野鼻で、能登半島地震によって先端部分が崩れ落ちてしてしまいました。

道の駅とぎ海街道へ→
ここで見るべきは何といっても、かつて世界一の栄誉にあずかったモノ。

↓増穂浦海岸を目の前に連なる長さ460.9mの、世界一長いベンチとしてギネスブックに載ったことのあるベンチ。

世界一はおろか、日本一のにすらとっくに後塵を拝してしまった現在においても、まだその栄誉が忘れられないのか、今だに自らを「世界一のベンチ」と吹聴しております。
この辺は「サンセットヒルイン増穂」として夕日の名所。ただ、夕日を待てない私は先を急ぎます。

↓戦地に赴いた息子が復員するのを京都府・鶴舞港で待ち続け、やがて戦死を告知されるお気の毒な「岸壁の母」。

「岸壁の母」のモデルとされた女性が志賀町出身で、道の駅建物内にはその資料展示室があります。
ところでお母さんが亡くなった後に、待ち続けた息子はシナ国で生存していたのが明らかになったりする。本当に可哀想です、お母さん・・・。

波の侵食によって作られた幅6m・高さ15m・奥行き60mの天然の洞門・巌門へも足を伸ばします。

この洞穴を入って下りていくとだ、→

こんな風にパッと視界が広がる→

洞窟を出る→

左に視線を向けると、→
写真真ん中のでっかい岩は鷹の巣岩、奥の岬の先にある小さい島が、源義経が奥州落ちの道中にそこで囲碁を楽しんでいたという伝説のある碁盤島。

岩の上から見ると海の色が美しい→

千畳敷岩より→
遊覧船で海から巌門を見ることができます。

日本に現存する最古の木造灯台→
旧福浦灯台。奥にはチラリと後を託した今活躍中の灯台が見えます。
ここまでがいわゆる能登金剛と呼ばれる一帯になります。

↓(520)石川県羽咋(はくい)郡志賀町役場

平成17年に旧志賀町と富来町(とぎまち)が合併してでき、東日本大震災以後よく耳にする北陸電力・志賀原発のある町です。
折しも、この2日前(7月17日)に1号機の直下に活断層があるかも、なんていう原子力規制委員会・専門家調査団の評価書案が提示されました。
原発新基準では活断層の上に重要施設は置けないので、それは廃炉になるんでしょうかね?

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128日目 「まれ」のふるさと巡り(2)

2015-09-07 23:59:37 | 北陸
2015年7月19日(日)


朝市通りのウラ通り→
こちらは一転誰もおらずヒッソリ。でも案外こういう通りの方が趣きがあったりする。
そして、この通りを真っ直ぐ行くと・・・。

ナント、催し物ですよ!→
マリンタウンが会場の、アワビやサザエその他の魚介類といった能登の海の幸が堪能できる「輪島あわびまつり2015」というイベント。朝市に来て偶然これを知ったのですが、実にラッキー!! これ目当てに車が混んでいたのだな?

↓あまちゃんは三陸だけの専売特許じゃないゾ!

ここで提供されるアワビやサザエは、輪島の沖合の舳倉島(へぐらじま)・七ツ島(ななつじま)で海女さんが獲ってくれたもの。能登の海女さんは日本最多の約200名いるらしいです。
ところで、買ったアワビやサザエをここで食べるにはバーベキューコーナーで焼かないといけません。しかも家族・知人連れでそこは既に占領し尽くされており、そんな所へ見知らぬ私一人が割って入る度胸もない。超絶品というアワビは諦める(生で持って帰るのもなあ)。

仕方ないので「焼きガキ」→
これにしたって長蛇の列に並んでやっと買えた一品、人の食への執念たるや恐るべしです。
美味かったけど、やっぱり麦も飲みたかった!

お偉いさんもアワビ目当てに駆けつける→
ほとんどの人は飲み食いに夢中で、せっかくの県知事のスピーチも聞いちゃあいません。
「能登は今や、活況を呈しております!」とご機嫌そのものでしたが、問題はブームが去った後をどうするかなのだが・・・。

(519)石川県輪島市役所
「まれ」もちょっぴり働いていたという役所。
ま、それはどうでもいいのですが、とにかく観光で成り立っている感のある都市。輪島塗も有名。
平成18年に旧輪島市と門前町(もんぜんまち)が一緒になって、新しい輪島市が誕生。
河原田川(かわらだがわ・左)に、その支流・鳳至川(ふげしがわ・右)が合流し、その先から河口までを輪島川ともいうようです。

その輪島川→

役所のご近所→
面白そうなものがたくさんありそうでしたが、入り辛い感じでしたし、とにかくムチャクチャ暑かったので、さっさと道の駅に戻り、再び海岸線に沿ってのドライブ開始。

鵜入(うにゅう)集落→
黒い屋根の頑丈そうな民家に港、さらに青い海と調和の取れた美しい集落。

↓全部が無人島という、まさに七つある七ツ島

お見苦しい画面でスミマセン。レンズの中に細かい塵がくっついてしまって、もはやデジカメを分解しないと除去できません。拡大して写すとこうなってしまうのです。

美しいぜ、能登半島と海→

やがて、こういう集落に着きます→

大沢集落→
前回のブログで竹垣に覆われた集落を紹介しましたが、能登半島にはこうした集落が多く、ここもその一つ。竹垣を間垣といい、この集落のそれの高さは3mあるという。
間垣が見たくて来たワケなんですが、なんでだか観光地っぽくて、やたら人が多いぞ。??
それもそのハズ、ここは「まれ」の重要なロケ地だったんですね。知らんかったです(改めてお話ししますが、私は旅に出るまでドラマは全く見ていません)。
旅から帰ってきてドラマを見たら、確かにいきなりオープニングでばっちり登場しておりましたし(最近のは出てきていないようですが)。

↓周りにいた人は「これだ、これだ」なんて口々に言っていましたが、私は?。


子ども広場のやぐら→

海沿いにある、民宿桶作さん→

内陸部の佇まい→
こちらには間垣はありません。海に面した建物にだけ備えられています。

いつまでここに人が来るんだろう。何年後かには忘れ去られて、きっとミーハーじゃない純粋に町並み散策好きな人だけが来るので落ち着くんだろうなあ。

大沢集落から少し離れた上大沢集落→
ここも間垣の集落。

旧門前町の皆月(みなづき)集落→
ここにも間垣はあるのですが、それよりもいかにも頑丈そうな板張りの家々が建ち並ぶ様が美しい。

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128日目 「まれ」のふるさと巡り(1)

2015-09-05 23:59:27 | 北陸
2015年7月19日(日)


↓外浦に来てからは、しばらくは海を眺めながらのドライブとなります。

またこれが気分爽快、気持ちいい!

見所は海だけではありません→
珠洲市高屋~鰐崎の集落にかけて、道に面して珍しい風よけの竹垣が連なっております。
相当冬の風雪が厳しいんだろうね、能登は。
古くは風待ちの停泊地として利用され、それら船乗り相手に栄えた謂わば溜まり場。

↓同じ石川出身の元メジャーリーガーと同じ名前を持った珠洲の新名物。

名前とは裏腹に、これが小さくにしか見えない岩でして・・・。「子ゴジラ岩」といった方がピッタリかもしれませんが、それでも4mの高さがあるといいます。

道の駅すず塩田村→
日本唯一の「揚げ浜式」による塩づくりを現在に伝える施設。「揚げ浜式」とは、塩田に海水を撒いてかん水を作り、それを釜で煮詰める約500年前から続く製法。もちろんここで塩作りが体験できます。

ちょいとその先にある「角花家の塩田」→
「道の駅すずなり」でこういうのがあるのを知ったので、来てみたんですが・・・。
見覚えある方もいるでしょう、「まれ」での塩作りのシーンのロケ地(私は見たことないですが)。もちろん、演技指導もここの家の方がしたそうです。

垂水(たるみ)の滝→
ちょうど珠洲市と輪島市の境となる山から直接海に流れ落ちる珍しい滝。
てなワケで、とてもいい所だった珠洲とはお別れです。

↓滝がある山のトンネルを抜けると、曽々木海岸の「窓岩」が現れます。

岩の真ん中に直径2mの穴が空いていて、それは源義経が矢で射て開けたという伝説もあるようですが、高校時代に弓道をやっていた私に言わせれば、んな事あるわけがない。
10~11月の夕方になると太陽が穴にすっぽり入って、岩の内側には光輪が見られるらしいです。

この近くに国指定重要文化財の築170年の旧家があるというので、どんなものか行ってみました。
本家・上時国家(かみときくにけ)→
平清盛の義弟・平時忠が祖先と伝えられる名士の家で、江戸時代からの豪農。
28年かけて建造したという築170年以上の入母屋萱葺きの屋根が特徴の建物で、現存する近世木造の民家では最大級だとか。
確かに私は古民家を見るのは好きなんだけど、お金持ちのではなく、庶民的な家の方が好きだな~。というワケで面を見ただけで去る。
因みにすぐ近くには分家・下時国家というのもあり、そちらは築200年前の能登最古の民家。

能登と言えば、これでしょ、ってくらい有名になったここへ。
道の駅千枚田→

白米(しろよね)の千枚田→
棚田百選や国指定文化財名勝に指定、世界農業遺産にも認定されていて、10年位前、当時の総理大臣だった小泉さんが「絶景だよ、絶景!」と絶叫(?)した、その場所。確かに絶景だよ!
実際は2000枚余りあるようですが、国指定分は1004枚。だから名前も「千四枚田」でもいいような。

多くの著名人がお持ちのようです→
年間2万円で自分の田んぼを1枚持てるそうです(他にも条件があるとの事ですが)。

輪島の街中で「能登丼」を食べようと思ってましたが、急遽変更。
↓千枚田で収穫したお米でのおにぎり(「棚田米おにぎり」という)と「のと海藻そば」。

海を眺めながらの食事、最高ですわ。

街中に入り、道の駅輪島へ→
のと鉄道・穴水-蛸島間よりも早い平成13年に廃止された、のと鉄道・輪島駅だった所。
大学時代にまだ営業していた当時の駅前を車で通ったのは覚えていますが、細かい佇まいは全く記憶がありません。

何はともあれここですよね?→
旧ホーム跡。日本の駅名標で次の駅が外国は恐らくここだけじゃないかな?
このまま真っ直ぐ矢印の方向へ行くと確かにハバロフスク辺りのような気はしますが、そこはあまりシベリアってイメージじゃない・・・。でもロマンがあっていいです。コレ。
当然ですが、シベリアへ行く線路はありませんし、航路ももちろんありません。

古い建物が並ぶ道で朝市に向かう→
車はメチャ混みですよ。朝市ってそんなに人がたくさん来るのか、先が思いやられるなとゲンナリしておりましたが、実際はそのせいではなかったようです。ワケは次回に・・・。

朝市の様子→
それでもやっぱり人はイッパイ。さすが、日本三大朝市(他は岐阜県高山市と千葉県勝浦市or佐賀県唐津市呼子)。ただ、永井豪記念館はひっそりとしていた感じでしたが。

市姫朝子お嬢がいないとお話しになりません→
モテモテで人気者だった愛称・朝いっちゃん。現在ボーイフレンド募集中だってさ。じゃあ立候補しようか!

↓七尾では買えなかった「えんがら饅頭」・・・。

輪島では名前が変わり「えがら饅頭」。輪島は黄色も七尾のはだそうです。同じものでも所変われば違うもんだな。地味で素朴な感じのお菓子ですが美味。

朝市に来た目的はこの饅頭を買うだけで他にはないし、一通り見てさっさと脱出(人混み大嫌いなんで・・・)。

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128日目 涼しい早朝時に珠洲市散歩

2015-09-02 23:13:38 | 北陸
2015年7月19日(日)


普段の日常では宵っ張りの朝寝坊が常の私でありますが、旅に出ると突如健康体質(?)に激変わりします。
この日は5時に起床しすぐに散歩。
恐らく、金と時間と労力を使ってわざわざ遠くまで来ているので、明るい時に多くあちこちを廻らないと勿体無いという意地汚い、いやいや根っからの貧乏性のせいだからかな?

一晩過ごした「道の駅すずなり」→
かつて、のと鉄道の珠洲(すず)駅だった場所。

↓ホームだけはまだ残っております(穴水方向に写す)。


この日はここでイベントが開催!→
ですが、10時から・・・。そんなにはいられるハズもなく、街中を一通り見たらさっさと去るつもり。それにお一人様はお呼びでないファミリー向けっぽいし。

翌日にはお祭りですよ!→

同日に2つもお祭りですかい!!→
と思いきや、おすずみ祭り=燈籠山祭り、なのです。
このお祭りは、高さ16m・重さ約5トンの燈籠山という山車1基と8基の山車が深夜まで町中を練り歩くお祭り。しかも山車は誰でも曳くことができるという。

飯田町燈籠山祭り公式webサイトより→
美しすぎ。ここ珠洲はいよいよ人で鈴成の時を迎えます。

市中心部を飯田地区といい、若山川という川がその地区を貫いて海に注いでおります。

川の東側の街並み→

↓西側→


川の東西に商店街がずーっと続いていて、あまり多くはないですが、古い趣きある家が散見できます。
この通りのすぐ近くは海なのですが、漁師町をあまり感じさせないのがまた面白いところ。
元々飯田は江戸時代から能登半島先端の物資の集散地であったらしく、漁師町というより在郷町として、近代に入っては商業で発展した町のようです。

若山川の吾妻橋→
商業都市だけども農業ももちろんしているので、欄干に飾る七福神として五穀豊穣の神様・大黒様(手前)と商売繁盛の恵比寿様(奥)は外せません。

橋から見る河口→

やや小ぶりな感じの漁港→

(518)石川県珠洲市役所
昭和29(1954)年に珠洲郡飯田町他2町と、前日ウロついた蛸島(たこじま)村他5村が合併し、そのまま市制。
ただ、当時38,157人いた人口も今では15,657人(今年7月末日時点)と半分以下である上、お隣の能登町に負けているし、本州で一番人口の少ない市という有り様。
前回のブログでも紹介したとおり、観光名所はたくさんあるし、一度消えた「珠洲焼」という古典的な焼き物を復活させたりと、観光では頑張っている感はあるのですが・・・。
Iターンで人を呼ぶにも仕事は農林水産業と窯業以外あるんかなあ・・・?

役所裏手にある「春日神社」→
先ほど紹介した燈籠山祭りはこの神社の神事。
境内には万葉集で最多の歌を残した奈良時代の越中守・大伴家持が能登巡行の折(彼が能登に来た時には、能登国は越中国に呑み込まれておりました)に詠んだ歌の碑があります。
珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり

↓のと鉄道廃線盛土によじ登る(穴水方向に写す)。

左奥の車が止まっている白い建物がかつての珠洲飯田駅舎。

そんなこんなでぶらついて7時半頃、道の駅を後にします。
↓前日通ったパワースポットの方は経由せず、山を越えて半島西側の海岸線に出ます。

これまでの穏やかで優雅な内浦(半島東側)とは違い、断崖が続く雄大な外浦をこれから思う存分堪能しますよ!

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127日目 能登半島最先端の日本三大パワースポットへ

2015-08-30 00:18:06 | 北陸
2015年7月18日(土)


↓恋路海岸を出発しますとすぐに珠洲(すず)市に入り、5分ほどで能登のシンボル・見附島(みつけじま)という高さ28mの巨岩に着きます。

かの弘法大師が佐渡から能登に渡った時に発見し、「最初に目についた島」というのが名前の由来らしいのですが・・・。
こんなデッカイのをそれまで誰一人として目に触れなかったという事? 能登ってそんな未開の地だったの?
先端の突き出た姿から「軍艦島」とも呼ばれております。もちろん、島の上には廃墟はないと思うけど。
ここから先程までいた恋路海岸までを「えんむすびーち」と呼ばれております。

珠洲市の中心部は次の日に廻るつもりですので、無視して「蛸島(たこじま)集落」へ。
↓まずは、のと鉄道能登線の終点であった蛸島駅へ。

10年の歳月は、バラックを思わせる小汚い建物へと変貌させております。

ホーム(穴水方向)→
10年の歳月は、路盤を草むらへと変貌させました。

↓集落を散策します。





まずは何といっても蛸島の地名の由来が気になるわ・・・。やたらタコが捕れたんかな?
ここは水産漁業が盛んで、江戸時代は風待ち港として重要な港だったらしい。
デッカイ家が軒を連ねる様は、さぞ裕福な人たちが多かったんだろう想像がつきます。
それはともかく、千葉を出発して初めての晴れ間となりました。熱帯低気圧は遥か彼方へ吹っ飛んでいったようです。もう天気の心配をしなくてもいいな。

高倉彦神社→
本殿か拝殿かわからないけど、がっちり雪国仕様となっております。

日没時間が迫ってきているので、先を急ぎます。

↓19時ちょっと前に着いた場所は珠洲岬の金剛崎で、別名・聖域の岬。

ここは、上空では寒帯と亜熱帯ジェット気流が、海では南からの対馬暖流と北からのリマン寒流がそれぞれぶつかり合うという世界的にも珍しい地点となっていて、故に「日本三大スポット」の一つとされている有難い場所。
残り2つは、富士山と分杭峠(長野県)ですが、毎年富士山は金運神社参拝で当ブログに登場しておりますし、分杭峠も一度通過しております

じゃあ、その世界的にも希な自然界のパワーとやらを戴いちゃいましょうか!

フレームストーン・夢の扉→
日本三大芸術祭開催のシンボルモニュメント。
右にチラッと写っているのは、崖から9.5m突き出た「空中展望台スカイバード」。
そこからは下にある超人気宿「よしが浦温泉ランプの宿」が見下ろせるワケなんですが・・・。
高い所が超苦手な私ですけど、珍しく好奇心がこれに打ち勝ち、よせばいいのにそこへ。しかも有料(\500)なのに。

こえ~~。
おまけにムチャクチャ揺れるし。へっぴり腰になってやっとの思いで写した一枚。

↓40年前程位までに小さな瞑想の祠「望気楼」が建っていたという場所。 


↓この入江には「青の洞窟」というのがあるらしいです。

源義経が奥州へ落ち延びる際にに舟を隠したとされるその洞窟へはチケットがないと入れないのですが、中ではヘルメット着用が義務付けられています。

まだちょっと明るさが残っています。因みにこの日の金沢の日没は19時11分。

↓さらに車を飛ばして19時19分に着いた先は「道の駅狼煙(のろし)」。

誰もおらず寂しい限りの道の駅ですが、そんなのはどうでもよく、ここから歩いて禄剛埼(ろっこうさき)灯台、通称・狼煙の灯台へ。

↓しかし、この先は急な坂。辛すぎるぞ・・・。


↓明治16(1883)年に造られた、ご覧のとおり今だに現役バリバリの灯台。


千葉からここまで860km要しました→
3倍も大回りしたのか・・・。

突然ですが、ここ、見覚えないでしょうか? 特に朝とお昼にせっせとあるドラマを見ている方!
そう、「まれ」のオープニングで空撮で出てくる灯台です。

実は私は「まれ」はこの旅に出る前は全く見ておらず、能登から帰ってきて改めてまじまじと見たらいきなりこれが映っていてちょっとビックリしたんですね・・・。
そういうワケで、翌日に関するブログではロケ地がいくつか登場しますが、全て立ち寄ってみたらたまたまそれだったという、間の抜けたロケ地紹介になりそうです。

日本の渚百選の一つ「鉢ヶ崎海岸」近くの温泉で一風呂し、能登丼を堪能しようと思っておりました。
↓ところが、街中はもう寝静まっているではないか!(まだ20時半)。

早すぎるぞ! なので、この日の夜は「道の駅すずなり」でふて寝。

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127日目 列車が来なくなって10年たった今

2015-08-28 23:33:07 | 北陸
2015年7月18日(土)


穴水から国道249号線を北上、最初は山間部を通りますがやがて海岸沿いを走るようになります。この国道は七尾市を起点に、能登半島をグルッと廻って金沢市が終点の道路。

↓雨も上がり、だいぶ明るくなってきた能登町(のとちょう)は「コンセールのと」に車を置きます。

図書館・公民館の他に観光情報案内所も入っている昨年4月26日にオープンした多目的交流施設。そして10年前の3月31日までは、のと鉄道・宇出津(うしつ)駅として列車が走っていた所。

↓穴水からやってきた列車は、高い鉄塔右下の道路を潜る。

ホームはこの左側にあったあったみたいです。

そしてホームを発車し、トンネルへ→
という光景だったワケですな・・・。

↓「コンセールのと」を背に歩くと、駅はないけど「駅前交差点」と呼ばれる県道6号線との交差点に出て、そこを左に折れてまっすぐ進むと港に出られます。



上の写真の左にある大きなお店は、今では別の場所に移転しているようですが、寛政7(1795)年!創業の超老舗みたいです。こんな田舎でそんなのがあるとはビックリしたぞ!

宇出津港→
昔から天然の良港として栄えた港で、街はこの港を囲むように成り立っております。

街を流れる川の河口付近→

(517)石川県鳳珠(ほうす)郡能登町役場
目の前が港の役場。
能登町は平成17年に能都町・柳田村・内浦町が合併してできた町で、キャッチフレーズは「奥能登にひと・くらしが輝くふれあいのまち」。ですが、2012年時点で県内で一番財政力指数の悪い町。今はドベは脱したかな?

そんな町に人がたくさん来るよう情報を拡散しとこ!
交流フェスタ2015in能登町→
ちょっと突然すぎるかも知れないけど、明日(8月29日)から開催! 参加無料だそうです(グルメはタダかどうか知らん)。 

↓港の西側には昔ながらの素朴な街並み



宇出津、散策にはなかなかよろしき町。

↓ここから10km弱東に「九十九湾(つくもわん)」という絶景が堪能できる名所があるのでやってきた。が・・・。

「きっぷうりば」の入口には「船舶整備中につき本日休業します」との貼り紙。

↓観光船乗り場の反対側から

こんな天候じゃ、人が来るわけないよな・・・。仕事サボった?
行ってみたい(勿論晴れた日に)という方は町のHPをご覧下さい。

九十九湾から10km北には能登町のフィナーレを飾るに相応しい(?)ロマンチックな名前の場所があります。

↓恋路(こいじ)海岸



名前とは裏腹に、悲恋な話しが由来の海岸。
普段は結構きれいな白浜であるらしいけど、台風で荒れたせいかとても汚い。せっかくの名前も台無し

翌日(7月19日)は、「かがり火と松明が恋路の浜辺を幻想的に彩る」という「恋路火祭り」が開催されます。
その準備に余念なしのご様子→

↓ハートのモニュメントの後ろを振り返ると、こういうのがあります。



旧恋路駅。
かつてデートスポットとして賑わったらしいですが、のと鉄道能登線が廃止されてからはすっかり寂れてしまったので、今ではトロッコ列車を走らせて人の呼び込みを図っております。詳しくはコチラ

ホーム待合室にて→
11年前に同じ千葉から来た彼、君は今どうしているかな?
愛する人を見つけ、その人と一緒に再びこのホームに立つことができたのかな?

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

127日目 角界きってのイケメンを育んだ町

2015-08-25 00:36:52 | 北陸
2015年7月18日(土)


能登半島も奥地に進むにつれ、次第に佳境を迎えるようになります。
海岸線沿いを走り、穴水町(あなみずまち)へ。

↓根木(ねき)という地区に入ると、一見??と思う海中に佇む櫓が見えてきます。

天文学者パーシバル・ローエルが「怪鳥ロックの巣」と表現した「ボラ待ちやぐら」。
この上で一日中、ボラの群を見張り、網をたぐるという江戸時代から伝わる日本最古の原始的な漁法。ただ、現在ではこの漁法は行われていないとの事。
このあたりから先は海岸線が入り組んでいていくつもの入江がある、いわゆるリアス式海岸となっております。

のと鉄道・穴水駅(奥の白い建物)→
手前の建物は、新幹線でごっそりやって来るであろう客をアテにしたきっちり新幹線開業に合わせて今年3月1日にオープンした、町の物産館・四季彩々。
昔はさらに先へと鉄道が走っておりましたが、今では能登半島を走る鉄道はここまで。

駅構内→
駅の愛称は「まいもんの里」といい、「まいもん」とは能登弁で「おいしいもの」の意味。
能登と言えば、やっぱり「能登丼」ということになろうかとは思いますが、それのパンフレットを見てみると、どれもこれもいいお値段だよ・・・。

放置された展示保存されているパノラマカー「のと恋路号」

中に入れるようです(私は入りませんでしたが)。

↓四季彩々の入口には、「オラが町のお相撲さん」の等身大パネルが飾られています。

櫓をアピールした化粧回ししての堂々たる姿。と思いきや、チョンマゲがないので力強さにかけている感じ。
建物の中ではスタッフは遠藤や相撲(折しも名古屋場所開催中)の話しばかりしていて、仕事をしているのかって感じでしたが(尤も、客もほとんどいないんだけど)、でも、町を挙げて応援できるこうしたスターがいるというのは何と羨ましいことか。

↓「アタシも故郷の為にガンバル」と袖を捲くりあげるカワイイ松前緒花(まつまえおはな)。

石川県が舞台のアニメ「花咲くいろは」の主人公。

「長谷部まつり」は翌日(7月19日)→
穴水城主長谷部信連を偲ぶ武者行列なんだそうです。
地方紙とは言え、たった4勝目でこんなに大きく取り上げてくれるんだから、ホントに故郷はありがたいのお(涙)。

↓商店街






家や商店の軒先にはこんなものがぶら下がっております→
お祭りに備えてのものでしょうか。

(516)石川県鳳珠(ほうす)郡穴水町役場
小又川(おまたがわ)のほとりに佇む様がとてもよい役場。
人口9千人ほどですが、観光名所もそれなりにあるし、海の幸・山の幸に恵まれた町。駅が「まいもん」を謳っている位ですからね。
ですんで、のと鉄道で来たら是非トンボ帰りせず、少しでもいいので町散策してみて下さい。
それにしても川の堤がやたら低かったのはちょっとした驚き。穴水町にはこれまで大水害やら津波なんかが全くなかったという事か・・・。

こちらは中居地区→
遠藤の幟がズラーッと並んでおります。彼はここ中居の出身らしいです。

↓海を眺める→



ここにも櫓があります→
晴れていれば、景色がとっても綺麗なんだろうなあ・・・。

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127日目 ちょこっと寄り道、和倉温泉・能登島

2015-08-23 00:59:09 | 北陸
2015年7月18日(土)


↓有名な高級温泉街・和倉(わくら)温泉に来ました。

開湯から1,200年の歴史を誇り、古くは湧浦(わくうら)温泉と呼ばれていたこの温泉、「わくらづくし」という観光協会・旅館組合の作ったサイトを覗くと発見の由来が出ております。
「七尾湾の沖合で、傷ついた足を癒すシラサギを見つけた夫婦が、不思議に思って近づいてみると……、そのあたりから温泉が湧き出ていることが分かったのです。」
なのでサイトのシンボルマーク(?)は、♨の左側の湯気が白鷺という、凝った作り。

せっかくの和倉ですが、ハナから湯に浸かろうという考えは毛頭なく、すぐに右に曲がって能登島へ走り去ろうと思っておりました。
ところが4年前の秋にもここ来たのですが、その時に行きたいと思いつつ時間の関係で断念した施設があったのを思い出し、急遽寄ることにしました。

その前に、超有名旅館・加賀屋→
旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の総合部門で長らく1位を取り続けている旅館。さすが、堂々たる佇まい。

そして、行きたかった所はここ→
和倉昭和博物館とおもちゃ館。入館料は\700円(JAF会員は\600)。
館長が約30年かけて集めた血と汗と涙の結晶がズラリと展示されている平成19年にオープンの比較的新しい施設。

↓1階は「昭和博物館」



昔懐かしい風景を再現した空間。

↓2階はおもちゃ館



幼い時、ミニカーなんかよく集めましたなあ。
これでもかというくらい、懐かしいものが陳列されています。

昭和31(1956)年の金沢駅時刻表→
今じゃ全く考えられないですが、金沢経由上野~米原の鈍行なんてあったのかと、仰天する。

せっせと見ていた世界名作劇場→
♪ はるーかな 北を めざせ~
マルコと同じく私もこれから北を目指します(スケールは比べ物にならないくらい小さいけど)。
何故、こんな弁当箱を紹介したのか?
ナントこれと同じものが我が家ではまだバリバリの現役として活躍中なのです。
勿論、本来の用途としては引退しているのですが、買ってきた生肉を詰め替えて保存する為のものとしてね。

能登島大橋→
ここを通るのは大学生時代にサークル仲間と来て以来、実に相当の月日振り。
その時は確か有料だったハズでしたが、今は無料。
台風の余波による高波で通行止めとなることだけが心配でしたが、なんてことなし。

のとじま水族館→
ここにもその大学時代に来たのですが、こんなだったかなあ、というのが第一印象。
来て入館したのは確かなのですが、全く記憶がありません。
世界最大の魚・ジンベエザメが見られるのがここの売り。

↓適当に能登島を周遊して、「ツインブリッジのと」を渡って能登島を脱出します。


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127日目 車の中から眺めるだけの中能登町

2015-08-20 23:56:26 | 北陸
2015年7月18日(土)


「大型で非常に強い勢力」の台風11号は、前日(17日)の朝に岡山県倉敷市に上陸してからは東北に進路を変えて日本海に突入、衰えてはいたもののじわじわ能登半島に接近しておりました。
そして、この日未明にちょうど私のいる真西50kmあたりで熱帯低気圧に変身し、大したことないかなと思いきや、そこは残りカスと言えども元は台風。
夜、寝ながら朧げに「結構強い雨が降っているなあ」などと思っておりましたが、朝起きたらやっぱり大雨で、ちょっと外に出たら瞬く間にベタベタになってしまいます。一番恐れていた天候の2日目となってしまいました。風が弱いだけマシではありますが。

↓中能登町(なかのとまち)の「道の駅織姫の里なかのと」

朝は洗顔歯磨きや準備など、やる事が案外多くて大変なのですが、雨が降っていると身支度の厄介さが2倍・3倍に膨れ上がります。

↓やっとの思いで出発の態勢に持っていき、まずは町の南西部の「久江(くえ)集落」へ。





元は農家なんだと思いますけど、間口の大きな切妻屋根、妻入、真壁造りの民家が目立つ、整っていてかなりよろしき街の景観。
ここは羽咋(はくい)市から七尾市までを横断する邑知潟(おうちがた)地溝帯の七尾街道東往還に沿う街道町。
後でも訪れますけど、西往還というのもありますが、加賀藩から正式に認められた七尾への街道は東往還。

個人的に一番気に入った建物はこれ→
しもた屋なのかどうなのか分からん中途半端さがよい。何よりも朽ちた屋号が何とも言えずたまらん。

この集落の僅か南西寄りに「高畠(たかばたけ)集落」という宿場町があり、今現在でもその雰囲気を残しております。

(515)石川県鹿島郡中能登町役場
平成17年に鳥屋町、鹿島町、鹿西(ろくせい)町が合併してできた町で、約19,000人が住んでいます。

役場近くには、こんな地名があります→
どっかで見たことあるでしょう・・・、そう、「一青○」なる歌手。
実は彼女のお母さんは「一青」という姓で、しかも中能登町出身だといいます。
名字の由来は地名が多いと言いますから、不思議でも何でもないんですけどね。
こんなのを写しに来るんだから、我ながらかなりのミーハーだと思いますわ。

↓この「一青」を南西方向に走らせた西往還の「能登部(のとべ)」という集落へ。







こちらも間口の大きな民家が多くて味わいのある集落。

↓暗ければ決して走らないであろう山道にやおら突っ込んでいく。

言っておきますが、決して血迷ってたワケではありません。

やがて、ポツンと東屋→

周囲を見渡しても、薄気味悪い山の中→
ここは何を隠そう、昭和62(1987)年にスゴイものが見つかった所。

それは、日本最古の「おにぎりの化石」!  弥生時代のものらしいです。
この山に木の枝を切りに来ていたおじいさんがうっかり転がしてしまったおばあさんの握ってくれたおむすび、だったらもっとスゴかったんだけど・・・。そんなワケないな。
ここは「杉谷チャノバタケ遺跡」といい、来る前はどんな遺跡か楽しみにしておりましたが、ハッキリ言ってつまらん・・・。
せめて、デッカイおにぎりの碑でも設置してくれりゃあいいのにね・・・。

中能登町には他にも国指定史跡「雨の宮古墳群」や、眺めがいいらしい「石動山」「碁石ケ峰」があるなど、案外知られざる見所が多いし、大きなショッピングモールもあるしで、田舎にしては、結構楽しめる場所かも知れないです。

再び七尾市に戻ります→
相変わらずの吹き降りなので、テンションも今一つ。
左に曲がりますが、行き着いた先で温泉にでも浸かろうかな?

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126日目 主戦場の能登半島へ、いざ突撃開始!

2015-08-17 23:50:31 | 北陸
2015年7月17日(金)


氷見市の能越(のうえつ)自動車道・氷見ICよりふっ飛ばして、我が世の春を謳歌している能登の七尾市入り。
走行したこの部分を通称「七尾氷見道路」といい、北陸新幹線開業に先立って、今年の2月28日に暫定2車線ではありますが全通、これにより能登へのアクセスが一段と向上。しかも無料ときたもんだ!
ただ、首都圏では新幹線に比べ、全通のアピールは全くないんだけど、それは仕方がない。
七尾氷見道路HPより→

まずは、国の指定史跡である日本百名城・七尾城址へ。
七尾城は守護・畠山氏が16世紀前半に築いたものの、天正5(1577)年に上杉謙信の攻めにより落城して上杉氏のものとなり、やがて前田利家が入城。その後、港近くで新たに築城したのでお城としての機能を喪失。

本丸北駐車場にて→
ここから登らんといかんのか・・・。
最初は登ってお城の本丸跡へ行こうとは思っていましたが、私以外だれーもおらず、風がビュービュー強くて一人では心細くなる(かなりの小心者)。

ならばという事で、もう少し車を走らせ、城山展望台へ。

本丸跡が丸見え→
これで満足した事にする。

↓七尾市街や和倉温泉、七尾南湾、七尾西湾、能登島などなどが一望。


↓七尾フィッシャーマンズワーフでもある「道の駅・能登食祭市場」へ。

この日の翌日(7月18日)から2日間、「第74回七尾港まつり北國花火大会」が開かれ、最終日にはフィナーレとして、道の駅裏手に広がる七尾港から2500発の花火が打ち上がる予定、というか打ち上がったはず。

↓高さ1.5m、直径1.75mで、重さ約1トンだそうな!

これは単なるお飾りではありません。ちゃんと立派に使われているんだってさ。

そんで、建物の中は?

ガラ~ン→
駐車場に止まっている車はそこそこあるんですけどね。1階は主に売店で既に閉店しておりますが、2階はグルメ館となっていて22時まで営業しているお店もあるので、みな2階に流れていったということにしておこう。

市中心部へ→
「七尾港まつり」では、この川(御祓川・みそぎがわ)のほとりで総踊りが繰り広げられるらしく、また、8月8日に開催される「御祓川まつり」というのもあります。
手に入れた能登に関してのパンフレットによると、七尾に限らず能登半島では7~9月にかけてあちらこちらでお祭りが開催されます。祭り三昧の能登半島

↓一本杉通り→


一本杉通り振興会のHPによれば、「そのむかし奥能登へと向かう街道筋にあった一本杉が、人々に「出会いの一本杉」と呼ばれ」た事に因む、古い建物が多く見られる通り。
2つ上の写真に写っているバス停奥はは菓子店で、そこで売られている「えんがら饅頭」は絶品らしいのですが、すでに店じまいしておりました・・・。

↓一本杉通りに入る手前にこんな車輪が置かれております。

五穀豊穣を願うお祭り(青柏祭・せいはくさい)が5月に行われますが、その際に曳かれる曳山(山車)のもので、直径約2m。その曳山といったら日本一大きく、そのあまりのデカさ故(高さ12m、重さ20t)、「でか山」とも呼ばれております。
普段は解体されていて、倉に保管されているとの事。そりゃそうだわな。

小丸山公園→
ここが港近くに新たに築いたというお城の跡。

↓JR七尾駅は帰宅ラッシュ中




(514)石川県七尾市役所
古くから港町として栄えてきた能登半島最大の都市。人口は約55,000人。
石川県の自治体を1つクリアしたことで、本旅における未踏県は秋田・島根・香川・沖縄の4つとなりました。

駅前から伸びる「リボン通り」→
お祭りを控えた高揚感が今一つ感じられんのですが?

↓この日の宿泊地は、お隣・中能登町の「道の駅・織姫の里なかのと」。

ここは昨年4月17日にオープンしたばかりの新しい道の駅で、目の前には「アル・プラザ鹿島」というドでかいショッピングモールがあり、酒・つまみの買い出しに非常に便利。

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126日目 世界的にも希少な景観にブリとマンガが溢れる町

2015-08-15 23:15:03 | 北陸
2015年7月17日(金)


有磯海(ありそうみ)沿いの道路を北に向かって走れば、イヤでもたどり着いてしまう超有名な場所があります。
高岡市の「雨晴(あまはらし)海岸」がそれ。

↓高台の駐車場から海岸のシンボル「女岩」を能登半島方向に見る。

日本の渚百選に選ばれていて、世界でも珍しいという海越しに3000m級の山々(立山連峰)を望め、本部がフランスの「世界で最も美しい湾クラブ」に、日本では松島(宮城県)に次いで選ばれた、眺望の美しさでは折り紙つきの海岸。
ただし、晴れれば という条件付きで。←これ重要!!
この日はこんなだから、あえて立山連峰の方の写真はお見せしません・・・。

↓この先には「義経岩」というのもあったりする。

その昔、源義経一行が奥州落ちの途中でにわか雨に遭い、弁慶が持ち上げてつくった岩陰で雨宿りをし、雨がやむのを待ったという伝説がある岩。だから海岸名が「雨晴」なのですが、せっかくの「雨を晴らす」という地名の力(?)をもってしても、自然の前では所詮敵ではありません、この日のように・・・。

ここは今回で3回目ですが、全部夏。なので一度冬に来てみたいもんです

冬の晴れた日なら、こう感じで見えるワケですな→

高岡市から氷見(ひみ)市に入ります。

(513)富山県氷見市役所
とにかく寒ブリで有名な町。
ですが、魚介類はそれ以外にも、タラ・イカ・サバなどなど多くの水揚げを誇ります。
そして魚介類だけじゃなく、氷見牛・氷見うどん・氷見カレーなどの旨いもんがあり、考えただけでも涎が出てきそうな町。

↓「ひみ漁業交流館・魚々座(ととざ」)で車を止めて、市街地の散策開始。

ここのHPの言葉を借りると、「氷見の漁村文化を体感できる」施設。
今年4月21日にオープンしたばかりの、氷見の新たな観光「ひみ」つ兵器。

近くからはこういうのに乗れます→
新湊の観光船に乗れずじまいが、ようやくここに来て諦めがついたような感じ。

ブリのでっかい壁画と「ブリ小僧」の像、→

↓さらには「ブリの遊具」なるものもあったりする。

遊具の上に乗っかっているのは「ひみぼうずくん」。

やっぱり氷見はブリだけの町なんだなあ。
と思いきや、実は町をアピールせんが為の、より強力な兵器があるのでございます。

拙者を忘れては困るでござるよ!→
ブリ壁画の直角の辺の壁に描かれています。ここ氷見は、かの藤子不二雄A氏の出身地なのです。

↓この壁画から「藤子不二雄Aまんがロード」といって、マンガキャラのモニュメントやイラストがそこかしこと見られる通りが市中心部の商店街に向かって伸びています。
 「チクワ、おくれ!」



ハットリくんだけじゃないでござるよ→
「氷見のサカナ紳士録」のシマシマ博士。
しかもゴニョゴニョと、モニュメントが何やらつぶやいていたりする。

たくさんあるので全部観て廻ると日が暮れそう。なので、これは適当に切り上げます。

商店街のちょっとはずれにある「光禅寺」→
マンガキャラ4体のせいで、普通のお寺さんのような、およそ近づきがたい雰囲気などまるでないお寺さん。
というのも、ここは藤子不二雄A氏のご実家なのである。
一方の藤子不二雄F氏はお隣高岡市の出身。

湊川のほとり→

カラクリ時計、別名・虹の橋→
定時になると、時計からテーマ曲をバックに橋の中からハットリくんたちが登場し、ケムマキと忍法対決をするんだそう。

JR氷見駅→
ハットリくん列車は来ていませんでした、残念でござった!
ですが、それは土・日・祝日のみの運行らしいので当たり前でござる!

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126日目 日本のベニス・新湊

2015-08-13 23:32:50 | 北陸
2015年7月17日(金)


この日一番のお目当て、旧新湊市は海に面し、今の射水市の北部にあたります。

まずは、海王丸パーク→
左がまさに「海王丸」という船で、右の橋は「新湊大橋」、奥には「立山連峰」。なんですが・・・、曇りが恨めしい。
ここもいわゆる「恋人の聖地」でしてね。アホくさ。もうやたらとあちこちにこんなの認定せんでもいいから。
海王丸は「海の貴婦人」とも呼ばれ、商船学校の生徒の訓練用の船として昭和5(1930)年に建造され、平成元年の引退まで地球約50周もの距離を航海したという。

↓ではでは敬意を表して、この帆船に入ってみましょう。

乗船料金(というみたいです)は400円ですが、JAF会員証を見せたので350円に。
右から2番目のマストが一番高い(写真ではそう見えないけど)メインマストで、その高さは水面から46m。
年10回ある総帆展帆(そうはんてんぱん)で白い帆29枚全部を広げた姿を披露するという。今後一番近い日で9月22日の予定。

↓最上甲板と、そこにある全部航海船橋




一番船底の第二甲板の訓練生用宿泊室→
ここで何日も暮らすんだからなあ。私にはとても耐えられませんわ。

海王丸パークからは観光船が出ています→
後でも出てきますが、市内の川を遊覧できる船。私はとってもとっても乗るのを楽しみにしておりました。
中でお昼を食べていたおっちゃんに「次は何時出航ですか?」聞くと、何と「今日は出とらんのよ・・・。沖が結構荒れててね・・・。すまないねぇ(一応申し訳ないという口調)」とのたまうではないか。
え〝えええーーーーーっ!? ナニィーーー! 
引き下がるしかありませんでした。泣きたくなっていたらとたんに雨が降ってきました。ホンマ泣き面に蜂とはよく言ったものだわ。

↓気を取り直して、新湊大橋下の富山新港へ行ってみる。

橋は上は車が通る場所ですが、下は歩行者専用の通路となっております。
あのぉ・・・、波は穏やかにしか見えませんよ?
よくよく考えてみるに、平日だし台風も近づいているからか観光客はほとんどいない。なので、観光船に乗ろうとしていたのは客なんて私くらいなもんだったろう。
そんな一人のために船を出していたら大赤字必至。そんな理由で門前払いを食ったんだろうな。

ついでに万葉線の終点・越ノ潟駅へ→

ここでお昼にします→
新湊のフィッシャーマンズワーフです。

これ、食べられるのか非常に気になるんですが→
つまみになったとして何日分あるかね?
それにしても、これをスルメにしたご苦労たるや、相当なもんだったでしょう。脱帽。

「きっときと亭」で海鮮丼(\1620)→

次に「川の駅新湊」に車を止めて、新湊の市街地散策。

山王橋から内川を東に眺める→
内川は市街を東西に流れる川で、長さ2,600m。そして特徴的な橋が10余り架かっています。
まさにベニスだよ!(実際のベニスは行ったことないですが) やっぱり観光船に乗りたかったな。
でも、橋から見る街並みもいいですよ。晴れていればもっと良かったんだろうけど。
もっと欲を言えば、舟がいっぱい川に出ている光景を見たかった・・・。

東橋→

東橋から西の方向→

中新橋から西の方向→

因みに本家ベニス→
どうですか? 似てますかね? 雰囲気は何となくね・・・。

やっぱり遊覧船に乗りたかった(くどい)。
晴れて(?)、また来ないと行けない場所のリスト入りとなりました

商店街→

飲み屋が集まる一角→
整然と建物が並んだ街並みがまたよろし。

新湊を本格的に見て廻ったのは今回が初めてでしたが、正直ビックリしました。こんなにいい所だったのかと。
富山は他にもたくさんいい所がありますが、ここが一番いいかなあ(あくまで個人的な感想です)。それくらいオススメです、新湊!

そうそう、もう一つ、新湊で触れないといけないことがあります。
今、高校野球の熱戦が繰り広げられていますが、29年前のセンバツで下馬評では最低だった、ある高校が有力校を次々に撃破していきました。
その高校とは新湊高校。「新湊旋風」と呼ばれた快進撃でしたが、それ以上に強烈だったのはスタンドを埋め尽くした大応援団。ホント、あれはすごかった。
特に準々決勝の日は甲子園の応援で町から人が消えたという(写真でも人は写っていないじゃないか、なんて言うのはナシね)。
もうずいぶん前の事になりましたが、今でもアルプスの応援を見ると思い出すのは、あの大応援ですね、やっぱり。

庄川を渡ります→
高岡市伏木という越中国の国府があった所を通って、以後しばらく海岸沿いを走行します。

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125・126日目 今恐らく日本で一番旬な地域へのミーハー旅

2015-08-11 23:58:45 | 北陸
2015年7月16日(木)・17日(金)


最近はやって来れば必ずと言っていいくらい「大型で強い」なる枕詞を引っさげてやってくる台風、今回はその11号がまさに日本列島に襲いかからんとしている7月3連休直前とその真っ只中のお話しです。

西の方へ出かければ何らかの影響を被るのは覚悟の上で、敢えて北陸新幹線延伸や朝ドラなどで目下注目度NO.1でホットな能登半島へ行ってまいりました(それに日本海側が大好きだし)。

道中、酷い風雨に祟られた時があったのは事実ですが、結果的にはちょっと長めのゲリラ豪雨に遭ったようなもので、何事なく無事生還(?)することができました。怖いもの見たさで、暴風の中での旅を体験してみたかった気もしますがね。

能登半島は鉄道が通っている場所が僅かなので、移動手段は当然自家用車となり、そして例のごとく夜の出発でございます。

19時半に家を出て、3km程離れた激安ガソリンスタンド(当時リッター128円)に寄って、溢れんばかりガソリンを積み込み、これで準備万端! 

↓穴川ICで京葉道路に進入し、幕張PA(千葉県千葉市花見川区)、20時9分着・20時23分発。

出た早々、ティータイムです・・・。

今後のルートは、首都高で東京を通り抜け、美女木JCT(埼玉県戸田市)で東京外環道に入って西へ進み、大泉JCT→関越道→長岡JCT→北陸道となります。

↓寄居(よりい)PA(埼玉県大里郡寄居町)、22時2分着・23時3分発。

下り線は地味ですが、反対側の上り線は女性が大喜びしそうなお店の多いPA。
それまで雨は降っていませんでしたが、このPAに近づくとバケツをひっくり返したような雨に見舞われます。何故か車で出掛けると、かなりの確率で大雨になります。雨男の本領発揮といったところ。・・・。

↓越後川口SA(新潟県長岡市)、0時52分着・1時39分発。


見えません→
当たり前ですが。

↓有磯海(ありそうみ)SA(富山県滑川市)、3時50分着・7時47分発。



4時間もいたのは寝ておりましたんで・・・。

滑川市は「ホタルイカ」で有名な所→
2年前に富山へ出かけた時、「ほたるいかミュージアム」を見そびれた悔しい思い出が蘇ってくるわ・・・。

「富山湾ミックス丼(\800)」で朝食→
白えびの天ぷらにホタルイカの串揚げと、富山の海の幸を贅沢に味わえるというのが売り文句の一品。

↓呉羽(くれは)PA(富山県射水(いみず)市)、8時9分着・9時34分

ご飯を食べたせいか、やたら眠いゾ、ってなワケでここで二度寝。

9時38分、小杉ICで降ります→

(512)富山県射水市役所
平成17年に新湊市・小杉町・大門町・大島町・下村が合併してできた市。
射水とは古くからある郡名。そして、いすい?だっけ? しゃみず?だったっけ?、などと私が覚えるのにとっても難儀した地域名の一つ。

↓今はJRの駅ではなくなった小杉駅の駅前駐車場に車を止め、街を散策。


駅前の商店街→

↓市街地には旧北陸道で通っていたので、古い建物が散見できます。



右の建物は、明治44(1911)年築の元銀行本店で、今は「射水市小杉展示館」。

↓鏝絵(こてえ)、左官職人が民家の壁面や土蔵の妻飾りなどに鏝で漆喰を練り上げて描いた絵。

江戸~明治期にかけて、高い技術を持っていた小杉左官と呼ばれる職人たちが多かったらしいです。

下条川→
春になると川沿いに植えられたサクラが咲いて綺麗なそうな。

さて、地元の人には申し訳ないけど、正直、ここ小杉は来たついでにフラついたって感じです。それよりも射水に来たなら新湊へ行かずして何処へ行く! というワケで次回は新湊の町巡りをお届けします。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

58日目 熱中症になりそう!越中国(9)~城端線沿線

2013-10-16 23:54:51 | 北陸
2013年8月10日(土)


↓高岡からは12時55分発のJR城端(じょうはな)線の列車に乗り、油田(あぶらでん)駅へ。

列車のイラストは、氷見(ひみ)市の観光キャラクター「ひみぼうずくん」。
実物の頭をなでると、幸せをおすそわけして貰えるんだと。

油田駅→

↓日差しがきつく、猛暑の中を線路に沿って歩きます。

暑くなければ、歩くのには長閑でとてもいい所なんだけどな~。

(305)富山県砺波(となみ)市役所
国道156号線沿いにある役所。
この国道を山の方に行くと、秋篠宮さまのとてもお気に召されている場所の一つであるという世界遺産の五箇山(ごかやま)合掌造り集落があります。
合掌作りと言えば白川郷の方が有名ですが、白川郷はかなり俗化した印象があり、五箇山はそれに比べればまだ鄙びた感じが残っているので、どちらに行くかとなれば、私は断然五箇山をお勧めします。

↓さすがに山まで歩く訳にはいきませんが、それでもそちらの方角に向かって歩くと、道の駅「砺波」があり、汗だくでなのでちょっと一休み。




砺波市はチューリップの生産地でもあります。
なので、この道の駅でもそれに関してのグッズなどが多く売られています。

チューリップジェラート(\330)を戴きますわ→
ま、チューリップの匂いを知らないので、その味かどうかよく分からん・・・。

近くにある「砺波チューリップ公園」→
入口正面に建つチューリップの建物は何だろう?展望台かな?

こちらは観光案内所→

砺波駅へ行く途中にあった銀行→
お堅い業界の店舗もしっかりチューリップにあやかってますよ。
まさにチューリップづくしの町ですなぁ。

砺波駅から再び城端線に。

車窓からしばしば見えるこんな民家→
耕地の中にポツンと民家が点在する集落を「散居村」といいます。

↓終点の城端駅まで僅かの所に来たので、この際行ってみる。



ここから五箇山・白川郷へのバスが出ています。

折り返して、福野駅へ→

(306)富山県南砺(なんと)市役所
散々触れてきました五箇山集落はこの南砺市にあります。

ブラブラしていたら、鉄道廃線ぽい盛土を見つける→

↓ならば歩いてみましょう。
←工場の脇からスタート

←2つ上の写真の道路を跨いでいるあたり

←おわり

上の写真の地点近くにあった彫刻屋さんのウインドー→
一つ位下さいな~(ウソ)。

さてと、これで今回の市町村訪問は終了です。
後は北陸本線の電車に乗ってひたすら東に向かいます。

高岡駅で買った富山湾弁当(\850)→
富山の幸満載ですな~

真っ暗な新潟県・長岡駅到着(22時49分)→

駅前の三尺玉のモニュメント→
この一週間前(8月3日)は有名な「長岡大花火大会」で、さぞかし大賑わいであったろう様子が目に浮かびますわ。

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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