ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

170日目 大坂の陣で散りし日本一の兵に思いを馳せながら(2)

2017-05-08 23:44:57 | 近畿(大阪・兵庫)
平成28(2016)年12月29日(木)


真田幸村めぐルート」の天王寺エリアへ突入します。

まずは、四天王寺にほど近い幸村最期の地・安居神社→

大坂夏の陣の際、幸村は徳川家康の首めがけて本陣に突撃したものの、無念なるかな叶わず。
疲労困憊で休んでいる?幸村さん像→
後ろの注連縄のある木の下で、西尾宗次という鉄砲組頭に討ち取られたという。
松は当時の木ではないらしいですが。

像は堺雅人のようにカッコいいとは言えず普通にオッサン。
尤も、幸村が九度山にて隠遁生活をしていた頃にしたためた義理の兄宛ての手紙には「(前略)ことのほか病者になり申し候、歯なども抜け申し候、ひげなども黒きはあまりこれなく候」とあり、自虐して書いたのか分からないけど、本当だとしたら見た目爺さんで相当草臥れた風貌だったのでしょう。
そのとおりに像を作ったら幸村の颯爽としたイメージが台無しになりますけどね。

↓安居神社の正面は、入口がコワい一心寺。
 
冬の陣の時に家康が本陣を敷いた所なのだという。

ここにも抜け穴と、三光神社といい手抜かりなしの幸村さん→

冬の陣では家康が、夏の陣では幸村が陣を敷いた茶臼山→
それだけ軍事的には重要な場所だったのでしょう。

登ります→
山頂には説明板があるのだけど、ここも実に読みにくい。何とかしてくれ。

余談ですが、全国的に茶臼山と呼ばれる山を見ますが、実は「ちゃうす」という言葉は古くは打つとか叩くとかの意味があって、それはつまり浸食地を示していて土砂流出がよくあるような危険な場所なのだという。
なるほど、ここの茶臼山も一たび大雨でも降れば地滑りが起きそうな感じがしないでもない。

これで幸村に思いを馳せる散歩はおしまい。
後は天王寺から阿倍野区を歩いてこの日は終わりにします。

山を下りると河底池(愛称ちゃぶいけ)→
延暦7(788)年に和気清麻呂が大和川の流れをこちらに変えるために、ここ上町台地を開削するもうまくいかず、この池はその失敗作品。
そして現代まで埋められることなく丁重に残され?晒されています。可哀そうな清麻呂さん、きっと天国で泣いているよ。
赤い橋も「和気橋」。
渡っていたらアベックが臆面もなく堂々と抱き合っていたので(幟に隠れている)、こちらが恥ずかしくなったわい。

和気清麻呂と言えば、僧侶・道鏡による皇位を乗っ取ろうとしたのを阻止し、後世、皇居前に銅像が建てられるほどの英雄。
さらには平安京遷都を進言するなど、カッコいいところを見せている一方で、道鏡事件の際「きたなまろ」と名を貶められ大隅国に流されたりと、かなり波乱万丈な人生を送った政治家。

昭和11(1936)年に完成した大阪市立美術館→

この動物園は日本で3番目に古い大正4(1915)年に開園→

遠目に見る天王寺駅周辺→
一つだけやたら目立つノッポなビルが妙にアンバランス。

「あべのハルカス」は300mあり、高さ日本一のビル→
く、首が痛くなるわい。

車ぎっしり天王寺駅前→
天王寺駅周辺は初めて眺めたのですが、大都会を想像していたもののここも思ったほどではなかったな・・・。

「あびこ筋」を進みます。
〔53〕大阪府大阪市阿倍野区役所

区役所の隣で思いがけず見つけたレトロな建物→
大阪市立工芸高等学校で、学校のHPによると、「大正12年(1923年)に創立された美術・デザイン・造形教育を行う学校です。(中略)本館はモダニズム様式の時計塔のあるレンガ造りで、ドイツのデザイン学校「バウハウス」の前身、ワイマール工芸学校を模したもので、(中略)平成20年には経済産業省近代化産業遺産に指定された貴重な校舎で学んでいます」なのだと。

↓周りはコンクリートのハコだらけの中にひっそりと佇む「寺西家阿倍野長屋」。

日本では唯一、国の登録有形文化財に指定されている長屋で昭和8(1933)年築。
ご飯やさんが多く入っており営業もしていましたが、年末なのにお客さんが来るんかいな?

JR阪和線・南田辺駅に続く商店街→
新大阪駅近くでこの日から連泊します。



参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→


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