2013年12月28日(土)
今日は親知らずを抜いて貰いました。
その歯医者は中学高校と同級生だったヤツで、抜歯自体は全く痛くかったので、お手柔らかにやってくれたと思いきや、麻酔が切れ始めるとやっぱり痛い。
以前抜いた時は難儀も難儀な親知らずで、抜こうとすると麻酔をしたにもかかわらず激痛が走り、挙句には歯茎を切り開き、骨を削るなどしてやっとこさ抜けたものの、その後ももんどりを打つような痛みが続きました。
それに比べれば今回のは屁の河童の如きですが、かと言って処方してくれた鎮痛剤は極力飲みたくないので(薬はなるたけ飲まない主義です)、気を紛らわす為にブログでも作る事にしますよ。
そんなこんなで、最後の休憩地・土山SA(滋賀県甲賀市)に到着、「現在7時20分(だったと思う)です。」というアナウンス。そんなに遅れていたのかというのが最初の感想。
やっと京都市内へ。
鴨川→
京都タワーも姿を見せる→
京都駅には8時37分頃到着→
実に定時から1時間20分もの遅れです。
これだからバスは時間面で全く信用できないのですが、休暇の前の渋滞はある程度予測できたところなので、寧ろこの程度でよく済んだというべきか・・・。
さてさて、京都からは夏と同じく奈良線に乗ります。
あの暑さの中辟易しながら歩いた町を懐かしく眺めながら、今回は優雅にそのまま終点の奈良駅へ。この旅を始めて初の奈良県上陸。
でも、奈良市には見向きもせず、そのまま関西線の電車に。
大和郡山市の郡山駅に10時頃到着し下車→
駅前から通じる細い道を歩きます。
外堀緑地→
後で行きますが、郡山城の外堀を埋め立てた遊歩道のよう。
箱本館「紺屋」」(はこもとかん・こんや)→
箱本とは自治組織の事で、紺屋とは藍染め屋さん、建物は江戸時代からのもの。
ここでは藍染めをじかに学ぶ事ができるようです。
箱本十三町観光案内所→
石像は金魚すくい大会のマスコットキャラクター「きんとっとくん」。
「金魚が泳ぐ城下町」とあるので金魚(目がでかいから出目金?)だと分かりますが、最初これを見た時、カエルかと思いましたね。
そう、ここ大和郡山市は金魚の一大養殖地なのであります。
(333)奈良県大和郡山市役所→
福島県にも郡山市があるため、混同しないよう市名には「大和」を被せていますが、駅名には付かず。住民は「大和」を載せるのに、必死で抵抗したらしいです。
役所前の柳町商店街→
右の古い建物は、和菓子の「菊屋本店」。
お店のHPを見ると、何と天正年間(1573~1593年)から営業している老舗の中の超老舗。
名物は豊臣秀吉が「鶯餅」と命名したという「御城之口餅(おしろのくちもち)」。
本日は業務はもう終わり?、な訳ない→
無駄に体力を消耗している鯉たち→
ずっと休庁だけど、誰かしら休み返上で餌はあげているんだろうね、多分。
それと、金魚の町を標榜するなら、この池に金魚を放すべきなんじゃないかな?
↓郡山城跡へ
豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が居たお城。突き出ている部分が本丸跡らしい。
お城の中にある柳澤神社の入口→
この神社から本丸跡に入れそう。だが・・・。
は、入れん→
付いていないのぉ。
お正月に向けて準備に余念なし→
こちら少し離れて大納言塚→
大納言とは豊臣秀長で、彼のお墓。
彼は「学問の智将」と言われ、この地ではとても尊敬されているお方のよう。
ここでお参りの謝意を述べ、「自分の名前」「願い事」を言いながら、「お願いの砂」という砂を塚の門入口にある石箱に3回通すと願い事を聞いてくれる(叶うとは書いていない事に注意)と案内板にはある。
秀長公は大和郡山では「学問の神様」の如き存在みたいです。なので、受験生はいざここへ行かん。
↓新木山(にきやま)古墳を通り過ぎると、金魚の養殖池が一面にギョギョッと広がります。
お、いるよいるよ!→
平城京の市場であった「西市跡」も見てみたかったのですが、ちと遠くにありすぎるので、行くのを断念、残念。
↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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今日は親知らずを抜いて貰いました。
その歯医者は中学高校と同級生だったヤツで、抜歯自体は全く痛くかったので、お手柔らかにやってくれたと思いきや、麻酔が切れ始めるとやっぱり痛い。
以前抜いた時は難儀も難儀な親知らずで、抜こうとすると麻酔をしたにもかかわらず激痛が走り、挙句には歯茎を切り開き、骨を削るなどしてやっとこさ抜けたものの、その後ももんどりを打つような痛みが続きました。
それに比べれば今回のは屁の河童の如きですが、かと言って処方してくれた鎮痛剤は極力飲みたくないので(薬はなるたけ飲まない主義です)、気を紛らわす為にブログでも作る事にしますよ。
そんなこんなで、最後の休憩地・土山SA(滋賀県甲賀市)に到着、「現在7時20分(だったと思う)です。」というアナウンス。そんなに遅れていたのかというのが最初の感想。
やっと京都市内へ。
鴨川→
京都タワーも姿を見せる→
京都駅には8時37分頃到着→
実に定時から1時間20分もの遅れです。
これだからバスは時間面で全く信用できないのですが、休暇の前の渋滞はある程度予測できたところなので、寧ろこの程度でよく済んだというべきか・・・。
さてさて、京都からは夏と同じく奈良線に乗ります。
あの暑さの中辟易しながら歩いた町を懐かしく眺めながら、今回は優雅にそのまま終点の奈良駅へ。この旅を始めて初の奈良県上陸。
でも、奈良市には見向きもせず、そのまま関西線の電車に。
大和郡山市の郡山駅に10時頃到着し下車→
駅前から通じる細い道を歩きます。
外堀緑地→
後で行きますが、郡山城の外堀を埋め立てた遊歩道のよう。
箱本館「紺屋」」(はこもとかん・こんや)→
箱本とは自治組織の事で、紺屋とは藍染め屋さん、建物は江戸時代からのもの。
ここでは藍染めをじかに学ぶ事ができるようです。
箱本十三町観光案内所→
石像は金魚すくい大会のマスコットキャラクター「きんとっとくん」。
「金魚が泳ぐ城下町」とあるので金魚(目がでかいから出目金?)だと分かりますが、最初これを見た時、カエルかと思いましたね。
そう、ここ大和郡山市は金魚の一大養殖地なのであります。
(333)奈良県大和郡山市役所→
福島県にも郡山市があるため、混同しないよう市名には「大和」を被せていますが、駅名には付かず。住民は「大和」を載せるのに、必死で抵抗したらしいです。
役所前の柳町商店街→
右の古い建物は、和菓子の「菊屋本店」。
お店のHPを見ると、何と天正年間(1573~1593年)から営業している老舗の中の超老舗。
名物は豊臣秀吉が「鶯餅」と命名したという「御城之口餅(おしろのくちもち)」。
本日は業務はもう終わり?、な訳ない→
無駄に体力を消耗している鯉たち→
ずっと休庁だけど、誰かしら休み返上で餌はあげているんだろうね、多分。
それと、金魚の町を標榜するなら、この池に金魚を放すべきなんじゃないかな?
↓郡山城跡へ
豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が居たお城。突き出ている部分が本丸跡らしい。
お城の中にある柳澤神社の入口→
この神社から本丸跡に入れそう。だが・・・。
は、入れん→
付いていないのぉ。
お正月に向けて準備に余念なし→
こちら少し離れて大納言塚→
大納言とは豊臣秀長で、彼のお墓。
彼は「学問の智将」と言われ、この地ではとても尊敬されているお方のよう。
ここでお参りの謝意を述べ、「自分の名前」「願い事」を言いながら、「お願いの砂」という砂を塚の門入口にある石箱に3回通すと願い事を聞いてくれる(叶うとは書いていない事に注意)と案内板にはある。
秀長公は大和郡山では「学問の神様」の如き存在みたいです。なので、受験生はいざここへ行かん。
↓新木山(にきやま)古墳を通り過ぎると、金魚の養殖池が一面にギョギョッと広がります。
お、いるよいるよ!→
平城京の市場であった「西市跡」も見てみたかったのですが、ちと遠くにありすぎるので、行くのを断念、残念。
↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ
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