ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

110日目 タイミング最悪、エキゾチックフィランド平戸(1)

2015-02-28 00:58:58 | 九州北部
2014年12月29日(月)


↓実は初めて平戸島には上陸でございまして、「平戸市役所前」バス停で降ります。

ここは「海岸通り」という道路。
天気はいいし、眺めもよかよか。平戸大橋からの眺めといい、幸先いいと思ったのですが・・・。好事魔多し

(466)長崎県平戸市役所
役所は左の工事中の建物ですけど・・・、形しか分からん。
橋は「幸橋(さいわいばし)」、別名「オランダ橋」。
寛文9(1669)年に木造で架けられ、元禄15(1702)年に石造に架け替えられた国指定重要文化財。
平戸は遣唐使の寄港地で、中世になると海賊・松浦(まつら)党の根拠地となり、南蛮貿易で繁栄。
17世紀に入ると、イギリス・オランダ商館ができたものの、オランダ商館が長崎市・出島に移転されてしまうと衰退してしまう。

役所入口手前にある「英国商館遺址之碑」→
昭和2(1927)年に在日英国人有志によって建てられたもの。
この後、少し離れた商店街を歩いていたら、「英国商館跡碑」もあったし、どうやらかなり敷地がデカイ商館だったようです。

↓役所前から山を登っていく階段があり、それを通って平戸観光の目玉の一つである平戸城へ乗り込むでござるよ~。


意気込んでエッチラオッチラ登って、だいぶ上に来た所に設置されていた看板を見たとたん、脳天を何かで思いっきり叩かれた気分になり、頭がクラクラしてしまう。

しばしボ~ゼン
昨年12月1日~今日(2月28日)までの僅か3ヶ月のピンポイントにぶち当たるとは・・・(絶句)。
わざわざ、遠い平戸に来た甲斐もなし。しかもガイドブックには12月30・31日は休館とあるので、焦ってこの日に来たというのに・・・。
この悪運ある種の強運?がクジにも及んでくれればいいんだけどなー。
これに懲りず、また平戸に来てねー、っていう天の御告げなんだろうか・・・。

↓それでも、お城の姿は見たく、宝永4(1707)年築の北虎口門(きたこぐちもん)から入ってみます。


亀岡神社の正面から見えたお城→
でもこれで満足はできないのは当然。

↓魚の棚町という所に移動し、そこからの町の中心っぽい商店街を歩くことにします。


↓ここで、平戸唯一の手打ちそばであるという、「あごだしラーメン」も楽しみの一つでした。

話しの成り行きからして、休みでしたとなるのでは?となるのでしょうが、実際休みでした。・・・。
年末だし、営業しているとは思っていませんでしたけど。

木引田町(きひきだちょう)商店街にあるお店→
右のお店はレンタル屋さんではありません。
文亀2(1502)年創業と伝えられる超スーパーウルトラ老舗のお菓子屋さんで、「カスドース」という南蛮菓子が有名らしい。お店のHPはコチラ
三浦按針(みうらあんじん、ウィリアム・アダムス)が住んでいたので、「按針の館」と名付けられています。
イギリス人である彼はリーフデ号の水先案内人で、英国商館設立に尽力し、平戸にて死亡。
「按針の館」から少し離れた場所に「終焉の地」の石碑があります。

同じく木引田町商店街→
右に「カメラのたかた」というお店が見えます。これは「ジャパネットたかた」本家本元ともいうべきお店。
最近社長職を退いた高田明氏(といっても例の甲高い声でまだメディアに登場していますが)のご実家で、しばらくここで働いていたという。

みやんちょ一番街商店街→

↓ここで商店街を離れ、また山登りをし、「平戸を象徴する」という場所へ。

案内があるので、目的地はお分かりかとは思いますが。

↓瑞雲禅寺・光明寺と聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂の、いわゆる「寺院と教会の見える風景」

これまで異国情緒漂う史跡が全くなかったのですが、ようやくお目見え!
確かに珍しい風景なのかもしれませんが、個人的には、名所とするほどのものかなーというのが正直な感想でございます。
ま、ヨーロッパでは絶対ありえんものだとは思いますけど。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

110日目 松浦鉄道でぐるりと巡る北松浦半島

2015-02-24 23:56:49 | 九州北部
2014年12月29日(月)


この日は、MR鉄道こと松浦鉄道沿線廻りと、前日とは一転、鉄分満載の日となります。

佐世保市と佐賀県有田駅を結ぶこの鉄道、「MR」というくらいだから、鉄道の「顔」たる偉大な路線なのか?
と言うとそうではなく、かつては松浦線という国鉄路線で、廃止対象路線としてノミネートされてしまったほどのローカル線。でしたが、しぶとく生き抜いて、「Matsuura Railway」は現在では、第三セクターとして運営されています。

この日巡る北松浦半島の各都市は、18世紀以降は炭鉱の開発で栄えたものの、戦後の石炭不況によって閉山したのを受け、著しく衰退した地方であります。九州はこういうのが多いですな。

↓佐世保駅7時36分発の列車で出発でございます。


そして、あっさり8時20分に佐々(さざ)駅に到着→

こちら線路に沿って伸びる商店街「栄町通り」→

と、ここで一大事発生!
この通りを歩いていたら、急に腹の具合がおかしくなってしまった。コマッタゼ(+o+)。
そう遠くない所にある役場まで行けば、ひょっとしたら敷地にトイレがあるのではないかと、とりあえずそこへ急ぐ。

(465)長崎県北松浦郡佐々町(ちょう)役場
周りの町が次々に佐世保市の軍門に下る中、一人頑張っている人口1万3千人余りの町。
あたかも佐世保市に包囲されてしまった感じですが、海側に僅かに逃げ口?を確保しております(なんのこっちゃ)。
皿山という所には、磁器造りのための古い窯元があって、その秘法が今の愛知県・瀬戸市に伝わったとされています。ここもかつては大小13もの炭鉱がありました。

さてさて、ノンキに町の紹介をしている場合ではなく、一大事の方が大事!
だけど、そう都合よくトイレやかある訳もなく、役場の中のを借りようにも当然空いていない。
仕方ないので、駅前に公衆トイレがあったので、そこへマッハで戻ります。
得てして、こういうトイレは酷く汚いか、案外綺麗かのどっちかであるけど、もし汚くても贅沢は言ってられん。

~駅に戻り、体重を落としにかかります~

スッキリして再び町の散策開始。
ただでさえ、佐々町滞在時間は超短めにしか設定していないので、とんだ誤算でございました。
えっ、トイレですか? 意外に綺麗でした。
ただ、散策再開とは言っても、たいして見るべきもないんだけど・・・。

国道204号線→

国道から「栄町通り」を結ぶ商店街→
正面の山は「城辻山(標高216m)」。

その商店街にて→
屋号を見たとたん、思わず吹き出してしまった(苦笑)。でも「フェニックス」が正しいようだけど、どう見ても「○゛ス」だと思うよなあ~?
でも「○゛ス」の屋号の方が、いっぺん入ってみようかと思ってしまうのではないかな?
実は案外、美人やら可愛い人やらが多かったりして・・・。
ま、こんな田舎町でそういうのは想像しづらいけど。

再び列車に乗ります。
佐々駅の隣は、一時期甲子園で一世を風靡した高校が目の前の「清峰高校前駅」。

何橋だったか忘れた→
この鉄道には、国の登録有形文化財であるコンクリート橋梁が3本ありますが、その一つ。

ちらちら見える海が綺麗でござる→

↓そんなこんなでやってきたのは、たびら平戸口駅。

幟にもあるとおり「日本最西端の駅」。 でございました
平成15年に那覇空港駅ができてからは、その座を奪われてしまったこの駅ですが、指宿枕崎線の西大山駅同様、ちょっとした名所と化しているよう。駅舎の中には鉄道資料館があって、無料で見学可。

たびら平戸口駅のある、平戸(ひらど)市田平(たびら)地区はもう一つの売りとして昆虫がありまして、「たびら昆虫自然園」では多種多様な昆虫が観察できるそうな。

なので、駅にはこんなのがあります→
網を持ってカマキリを捕らえようとしている姿を見ていると、大東亜戦争末期、日本軍が竹槍でアメリカ軍をやっつけようとしたのを思い出す。

高台にある駅から歩いて低地に降ります→
正面は「平戸大橋」。

平戸瀬戸市場→
地場野菜からその日に水揚げされた鮮魚から、だいたい想像つくと思いますけど、そういう物が売られておりまして、2階では抜群の景色を見ながら食事もできます。
入りたいんだけど、乗るバスの時間が迫っておりまして・・・。

↓市場の正面には「平戸口桟橋」バス停のあるターミナルがあります。


平戸大橋からの眺め→
すんばらすぃー、の一言に尽きる!

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109日目 町並みと虫がもてなしてくれた小値賀島

2015-02-22 23:47:54 | 九州北部
2014年12月28日(日)

昨日、急にインターネットに繋がらなくなってしまいましてね。
たまたまその時は仕事中で、ほんの少しだけ抜き・・・おっとっと、「息」抜きしをようと、お子ちゃまはダメよなサイトにアクセスとたんだったので(くどいようですが、あくまで息抜きだけです)、「あ゛っ、ウイルスにやられた!!」と非常に焦った訳です。
困ってChromeにアクセスしてみたら、あれ?、こっちは繋がるじゃん・・・。??
ヤフーニュースを見ると、『「ノートン」更新でIEに障害 PCセキュリティソフト』とあるじゃないですか!
私も確かに普段インターネットエクスプローラー(IE)に繋いでいて、おまけにノートンを使っておりましてね、ま、そういう事でした。
他のブラウザはピンピンしているみたいだし、もしかしたらノートンとIEは相性悪いんですかね?
盲点だったわ。そんな事がこれからもあると困るので、Chromeをメインにしよっかな・・・。
当然のように2ちゃんでも大騒ぎしてました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

小値賀町(おぢかちょう)、この町を知っている人は、この日本に果たしてどれくらいいるんでしょう?
全く聞いたことないよ、という人がほとんどかと。
私も全国市町村巡りを始めるまでは全く知りませんでした。
そういう町なので、かなり前からとてもどんな場所なんだろと非常に興味を持っておりまして、ついに念願叶ったりという事でございます。

さて、町のメインをなす小値賀島とは火山島で、面積は約12平方キロですが、かつては東西2つに分かれていたのを、埋め立てで一つの島に。遣唐使の寄港地で、牧牛が盛んだったらしい。

円形の陥没状の海食地形「ダキ(この地方の断崖を意味する方言らしい)」が見られ、特に「太古の火山が織り成した特異な形状と松林、白砂が呈する「五両ダキ」は、旅人の心を癒す秘密のスポット(あるサイトから引用)」であるとか。
そこで小値賀島は「東洋のガラパゴス」「日本のガラパゴス」との異名もあるようです(ガラパゴスは小笠原だけじゃないんだぞ)。どういう風景かは「五両ダキ」で画像をググッてみて下さいね。

ただ、「ダキ」は港から相当離れている上に、滞在時間も1時間しか確保できず、誠に残念無念であります。
なので、本ブログでは、フェリーターミナルのある、町の中心地「笛吹地区」だけのご紹介です。

↓フェリーターミナルから5分程歩くと漁港の近くに。

この先が漁港。

漁港の様子→

↓笛吹本通り



町のメイン通り。味わいありますな~。

↓クロネコがシンボルの某社の取扱店となって「マンセイ」の石碑を建ててしまうんだから、相当の喜びようだったみたいです。「おもてなしの島」の面目躍如。


信号を右に曲がると役場→

(464)長崎県北松浦郡小値賀町役場
町のHPでは人口は約2,700人。
それより、「おぢか国際音楽祭」というのが近々開催されます。詳しくはコチラ
予約が必要なコンサートもあるので、今からでも間に合うかなあ・・・?ですけど。

↓年明けまで晒し者にされてしまうのだろう、町のゆるキャラ・ちかまるくん

昨年は、クリスマスが終わるや否やすぐ仕事納めでしたからね~、ここまで手が回らんかったのだろうね。

メイン通りがあんな素朴な感じだったから、ウラ通りは恐らくもっと素晴らしいものでは?と、期待大。
↓やっぱり期待にはしっかりと応えてくれました! 素敵な集落でございます。

島では珍しい格子戸の家。左の家は「先小路」という古民家貸し切り宿(だったと思う)。

  


下の写真真ん中上の奥の建物は「万日堂」。五島列島で最古の木造建築物。

そのお堂から→
このお真下には、あるヤツらがウジャウジャおりまして(小さすぎて写真には写っていない)。
突っ込みたくはないんだけど、その塊に突入しないと先に進めない迷惑な集団。そのヤツらとはウンカ
多少まとわり付くくらいならまだいい方で、お呼びじゃないのに時に目・鼻・口に入ってくるとっても厄介な連中。口や鼻なら閉じて息を止めるなどの手を打てるけど、目を閉じながら歩くのはちと危ない。本当に困ったもんだ。

この島に来て、ウンカ雲に突っ込むのはこれで一体何度目なんだろう?
ウンカが多いという事は自然豊かって事?
ま、よく分からんけど、自分としてはそういう風に解釈しておきます。

さて、ここを去る時間が来ました。もっといたい気満々だけど。

乗る船は、九州商船のフェリー→

私の大好きな船での見送りの光景→
見るたびにセンチな気分にさせてくれる。

じゃあね、小値賀島→

17時頃、佐世保港に到着→
やれやれ、ようやく宿泊施設で落ち着くことができます。これよりしばらく佐世保に張り付きまっせ。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ→

109日目 五島列島の島々と海

2015-02-19 23:42:56 | 九州北部
2014年12月28日(日)


博多から乗ってきた「太古丸」は、福江に着いて2時間後の10時10分、再び博多に向けて出航します。
そして私もこれより五島列島と周辺の島々を眺めながら、再びの船旅です。

知名度ある五島列島は西海国立公園の一部で、一般的には福江島、久賀(ひさか)島、奈留島、若松島、中通島を中心に指すようですが、宇久島、小値賀(おぢか)島を加えることもあるみたい。そして、142ある島のうちの2割ほどに人が暮らしています。

↓地図がないとよう分からんと思います(地元民は除く)ので載せときます。


江戸時代から明治時代初期のキリシタン弾圧を避けるため、五島列島に多くの信者が逃れたため、キリシタン文化の香りがきつ過ぎるプンプンの所。
そしてここの教会群は「世界遺産暫定リスト」に登録されているんだそうですが、もし世界遺産になったら、世界遺産マニアの人には嬉しいやら、旅費がかかって悲しいやらかな?

真面目なお話はこれまでにして・・・。

さすがに折り返し便はガラガラ→
なので、優雅な航海を満喫。
のハズなんですが、初めて来た所ですし、今後来るかどうかも分からんので、体調が悪いというのに、寒風の中、ムダに撮りまくりでした。
おまけに、海と島だけの写真だらけになったので、どこの場所を、どこの島を写したのか全く分からんようになってしまいました。
♪ 私、バカよね、おバカさんよね~(バカなのは知ってはいるけどさ・・・)。

じゃあね、福江島→

久賀島(長崎県五島市)→

多分、奈留島(長崎県五島市)→
※違っていたらどなたかご指摘を・・・。

若松島(長崎県南松浦郡新上五島町)→
この島には、最近注目度ドアップという、明治時代のキリシタン弾圧から逃れて船でしか行けない断崖の洞窟に隠れて信仰を続けた「キリシタン洞窟」がありまして、今でも船でないと行けないんだそうです。

↓いよいよ若松島と中通島(長崎県南松浦郡新上五島町)を結ぶ若松大橋の下を通ります

島と島の間が狭いので、大きな川を進んでいるようだ。

長さ522mの橋→

あっけなく通り過ぎ、そして遠ざかる・・・→

↓リアス式の入り組んだ海岸線を眺めながら、中通島の青方港に接近。




青方港にある洋上石油備蓄基地→
しかも、洋上式は世界初! すげえぞ、日本!

↓「十」の字の形をした中通島に沿ってひたすら北上


近づいてきました、小値賀島→

接岸中→

13時10分頃到着し、吾輩は下船します→
おもてなしの島」がキャッチフレーズの小値賀島。
何かの「ウラがある」怪しい島という意味じゃありません。
もちろん、東京五輪誘致で世界中に大々的にアピールした「日本の心」の方です。
で、実際に島にやって来て、もてなしてくれたのは・・・。

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109日目 最果ての城下町、福江へ(2)

2015-02-17 23:56:18 | 九州北部
2014年12月28日(日)


福江港から歩いて10分もかからない所にアーケード街が広がっています。
どうやらここらが福江の中心街のよう。

↓「本町通り名店街」を歩いていると、否でも応でも視界に入ってくるコレ、ナニ?

五島チャンココとはコトバンクによれば、
「頭に花笠(はながさ)または陣笠、腰にビロウの腰蓑(こしみの)を着け、腰太鼓を打ちながら円形で踊る。楽器は2人持ちの重鉦(おもがね)と小鉦で、チャンココの名はチャンが鉦の音、ココは太鼓の音だともいわれる」という初盆の頃に見られる念仏踊り。
こんな格好をして、家の前とお墓で先祖の御霊を鎮めに廻るというんですが・・・。

なんでも、近年は電話も背負って踊るらしい・・・→
んな訳ない。
それにしてもこの公衆電話をたまに見かけますが、使う人いるんでしょうかね?

↓サンシャインしんえいアーケード




↓おっ、見つけちゃいました! 懐かしい!涙が出てきそうだ・・・。

看板、結構キレイですよ? まさかやっているとか?

年末で、しかも早朝のせいか、ちと寂しい商店街でしたが、普段の様子はどうなんでしょう?
でも孤島列島五島列島にかくも立派なアーケード街があるとは。
人が今よりも多かった頃はさぞ・・・、と思いたくなる。

二つ上の写真の赤信号の所を右に折れると、

お城好きには恐らく萌えの光景→
石田城(福江城)の内堀でございます。左奥の門は「蹴出門(搦手門)」。
市の観光サイトによれば、
「五島藩主の居城跡で、第30代盛成公の時に黒船の来航に備えて造られました。お城は寛永2年(1849)8月から15年の歳月と二万両の公費を使って文久3年(1863)6月に完成。城郭は東西291メートル、周囲1346メートルで、城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城です。江戸幕府最後に築かれた我が国で最も新しい城ですが、まもなく明治維新となり築城9年にして解体されました。」という哀しいお城。

蹴出門→
城壁の四角い穴は矢を放つための狭間で、三角のは監視用、そして、広い範囲に攻撃できるよう、外側に向かって開いています。
ところでだ、なにやら工事中というのが気になる・・・。

野面積みによる石垣が続きます→
ブルーシートがかかっている手前が、二の丸跡に残っている「五島氏庭園」という国の名勝の入り口。
ですが、イヤな予感は大当たり。現在工事中につき拝観できず。

現在は高校で、昔は本丸→

↓ちと、お城から離れて「武家屋敷」という地名の場所へ


↓近くにはそれらが軒を連ねる「武家屋敷通り」があります。





心穏やかに散策するのにもってこいの場所。
塀の上にはたくさんの丸石が積まれています。
「こぼれ石」といわれるこれ、防犯用に、或いは武器として使われたよう。ただ、相手方の武器となる可能性もあるんだけど。

↓北の丸跡へ



左は五島観光歴史資料館、右が五島市立図書館。

ここで、時間切れ~。
今回はホンのかすり程度しか福江を感じ取ることがでませんでした。
もし今度来る事があれば、2泊ぐらい滞在し、車を借りて島中を巡り、海の幸を味わいたいですねえ。
あちこちにたくさんあるという教会は、全く興味がないからどうでもいいけど。

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109日目 最果ての城下町、福江へ(1)

2015-02-14 23:42:58 | 九州北部
2014年12月28日(日)


博多港を出た船は、長崎県・五島列島の島々を結ぶ23時45分発福江行き「太古丸」。
昨年7月に就航したばかりの真新しいピカピカのフェリー。そして、帰省・旅行シーズンだけあって、満員御礼。

↓通路を潰しての即席ザコ寝室にまわされた、ゆっくり乗船した人たち(私含む)。


我々よりももっと遅く船に乗り込んできた人たち→
いかにも帰省って感じの船内。

宇久島(長崎県佐世保市)の平港→
4時頃ですが、下船する人かなり多し。

奈留島(長崎県五島市)の港→
ようやく夜が明けた7時半頃。

↓8時すぎ、長い航海の末ようやく福江島が目の前に。



五島列島最大の島・福江島は、面積が約326平方キロメートルで、島としては国内第15位の大きさ(北海道・本州・四国・九州も含む)。
二つ上の写真右に見える、色褪せた山は、島のシンボル「鬼岳(標高315m)」。

↓地元では「おんだけ」と呼ばれているこの山、見かけは単なるハゲ山。

上空からの写真を見ると、○ルシンドのおつむ(古っ!)のような面白い姿の火山
でも何だかずっと見ていたくなる、癒しの山。きっと山頂からの眺めはかなり素晴らしいかと。
小さい頃、川の堤防でダンボールをソリのように滑ってよく遊びましたが、この山だったらそれができそうな(笑)。もしそれができたら、さぞ楽しかろう。

福江島に上陸!→

福江港ターミナル→

私にはゆるく見えない「ゆるキャラ」→
寧ろゆるいどころか、ちと怖いかも。着ぐるみはどうかは知らないけど。
昨年のゆるキャラグランプリでは総合459位と、全国的知名度にはまだまだっ。
ターミナル写真のネコの横にあるのは「バラモンちゃん」。
さらには「ごとりん」というの萌え系キャラもあって、どれも半端な感は否めない。いっそのこと、一つに集中投下した方がいいような気がする。

ターミナルの中(これは帰りに撮影)→

長時間・高費用をかけて遥々ここまで来ながら、滞在時間はあまり確保していないので、さっそく散策開始。
鼻風邪は相変わらずヒドイですが、喉の痛みは引っ込んでくれました。温泉パワー(だと思う)、さすが!

港の岸壁、福江川の河口付近→
右には福江港のシンボル「常灯鼻」。

拡大してみます→
市の観光公式サイトによると、「第30代藩主五島盛成公が福江城(石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたものといわれています。防波堤としての役割のほか、灯台としての役目も持っていました」という。

町の中心街を通って、六角井へ→
これまた観光サイトでは、「天文9年(1540)、当時明国の王直は通商を求めて福江に来航しました。築城後間もないので窮迫した財政を再建するため、領主宇久盛定公は通商上の黙約を結び、現在の唐人町の高台に居住地を与えました。その際、王直ら中国人が飲料用水、船舶用水として造ったのがこの六角井(戸)といわれています。」
中心街の様子は次回にて。

(463)長崎県五島市役所
平成16年に福江市と5町が合併してできた市。
人口は4万7千人あまりであると、写真右に見える合併を記念したモニュメントに書かれていますが、今では4万人を割ってしまいました。たった10年で15%以上も減ってしまうとは・・・。
地方創生、もう待ってられません、安倍さん、石破さん!

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108日目 広島市周辺の孤高を貫く町たち(2)

2015-02-12 23:28:14 | 山陽
2014年12月27日(土)


久しぶりにやって来た広島市。
普通なら無視せずにここで降りて市内観光をするのでしょうが、残念ながら、広島市周辺は今回の旅の核心部分ではないので(前座といった感じ)、先を急ぎます。なので、広島県は失礼して山口県へ。

山口県に入って最初の駅、和木に16時頃到着→

(462)山口県玖珂(くが)郡和木町(ちょう)役場
山口県岩国市と広島県大竹市の間に豆粒のように存在している、人口6千人、面積は10平米位のコンパクトな町。
ただ、海岸部に工場・製油所があるためか、ここもリッチな自治体なようで、今はどうか知りませんが、昔は学校の給食費がタダで、かなりの豪華な献立だったらしい。
そして、あの黒川紀章氏が設計したという役場建物の周辺には美術館、文化会館、体育館などハコ類も立派でかなりの充実ぶり。

役所を背にして歩くとある「鯉の川」→
一匹も泳いでいない。それはともかく、金があるんだから、風情のあるものに作り直して、多くの魚を鑑賞できる川にしてもらいたいところ。

役場方向を振り返る→
特段ないです。
コレといって何もない町ですが、散策を楽しむ所と言ったら小瀬川(おぜがわ)くらいかな。

大和橋→
向こう側は、広島県大竹市。昔風に言えば、周防(すおう)と安芸との国境。

上流側→
もろ逆光・・・。日が沈み始め感じに見えますが、この日のここらの日没時刻は50分程先の17時10分頃。
関東ならばこの時間、ちょうど日が落ちる頃で、相当暗いはず。やっぱり、日本広すぎ。

↓下流側




↓1時間ほど散策してから電車に乗り、徳山で新幹線に乗り換えて、さすがに日も落ちた中、やって来たはココ。



キラキライルミネーションで綺麗に着飾った、相変わらず人が多い博多駅。

↓2ヶ月半振りに来たんだなあ、などと感傷に耽ける間もなくバスに乗り込み、20時すぎに「博多ふ頭」到着。

「ふ頭」と名のつく所だけあって、これより乗るものはバレバレ。
我が年末年始旅には、なくてはならないものとなった夜行船でございます。
ターミナルには「壱岐 対馬 五島」の文字が見えます。行き先はこのうちのどれかなのですが、出帆時刻はまだまだ。

ターミナル内→
まだ帰省の血走った様子にはなっておらず、極めて平和。

あまりゆるくない壱岐島のゆるキャラ→
というか、「ムンクの叫び」ってヤツ、そのままのような(笑)

↓ふ頭ターミナルそばに「波葉の湯」という、地下800mから湧き出す温泉を使った入浴施設があります。

ノドが痛いし、体も相当冷え切ったしで、しばしここで充電を図ります。ここでこの温泉、助かるよなー。
普段は湯船に長時間入るのはあまり好きではないですが、ただ、この日は比較的長めに浸かって温泉の効能を貪るように戴きます。そして、言わずもがな湯上りの一杯。最高だ。
よし、これでエネルギー補充は充分!

↓風呂から出ても営業していたら上がろうと思っていた「博多ポートタワー」

入れるのは21時40分までなのですが、風呂屋を出たのが21時50分頃でございまして・・・。

さて、こんな風にノンビリしていたものですから、乗ろうと思っていた船は既に乗船の受け付けが始まっていました。なので入船。
買っていた乗船券は最下等のザコ寝室用。そんでそのザコ寝室といったら、

もう場所は空いておりません。

場所を確保したヤツらはヤツらで「早いもん勝ちだぜ」と、場所確保しそびれた人を見下したようにドヤ顔だし。ムカつくぜ!
船員さんに「空いてないよー」と言ったら、通路を潰してタタミを敷き、そこを案内するという。横になれればそれでよし!

では、どこかに向けていざ出帆!→

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

108日目 広島市周辺の孤高を貫く町たち(1)

2015-02-10 23:59:53 | 山陽
2014年12月27日(土)


三原を後にしまして、ひたすら西に向かい海田市駅で下車。

北口→
ほぉ、海田という市にある駅だなと思いきや、駅名は「うみた(だ)し」ではなく、「かいた(だ)し」でもなく「かいたいち」。んで、駅のある自治体名は海田町(かいたちょう)。
市になればちょうど良さそうですが、市になるには全く足らない人口3万人位。

その海田町、昔は西国街道の宿場町。
↓一応そういう所だから史跡がそれなりにあるらしく、「是非、町を見てくれ」と主張しているが如く、駅前に観光案内マップがでかでかと設置されています。

じゃあ、少しばかり付き合ってみるか。

大師寺→
厄除けに効くらしいよく目立つ派手なお寺さん。

熊野神社→
旅の安全祈願はここで。
承応3(1654)年に、庄屋さんが願い出たことをきっかけに造成された神社。

御茶屋跡→
いわゆる本陣、つまり参勤交代の大名が泊まる施設。

千葉家住宅→
広島藩においては、幕府の書状や荷物を扱う「天下送り」、藩のものを扱うことを「宿送り」と呼ばれ、この千葉さんがその担当。大名や役人が泊まることもあったよう。
因みに、この家は我が家のある千葉を治めていた中世の豪族・千葉氏の出らしい。

他にもいろいろとあったのですが、載せているとキリがないので以下省略。

あ、ここもしっかり行ってますんで。

(460)広島県安芸郡海田町役場
というか、熊野神社の真ん前にあります。
面積は14平米の小さな町ですが、工場が多くあり、加えて自衛隊の基地もあるので、財政が豊かなようです。

西国街道を西に行くと、広島市安芸区に入ります。
海田市駅周辺には役所が2つありましてね、これはおいしすぎるぜよ。

〔38〕広島県広島市安芸区役所
県道164号線に面したお役所。これをちょっと東に歩くとまた海田町に入ります。

瀬野川「明神橋」(東方向)→

次の下車駅は、海田市駅から2つ目の広島市南区・天神川駅。

平成16年に開業した新しい駅→
上下線の間にドーンと貨物駅があるので、上下線のホームは離れていて、しかも改札口も別々。

駅のすぐ横を流れる川。これが天神川?→
ではなく、府中大川。
じゃあ天神川ってどれ?となるんですが、さらに駅の近くをチョロチョロと流れているドブがありまして、それがまさにそれ。しかも、水面が見えるの部分はあることはあるのですが、かなりの部分で蓋されている「川」。なんともドブを駅名にするとは、JRは芸達者すぎ(笑)。

駅から北へ行くと、この交差点に出ます→
道の左側が府中町(ちょう)、右は広島市南区。

府中大川「府中大橋」より北方向→
この反対側の目の前には新幹線の高架線があって、さしもの新幹線電車がのんびり通り過ぎて行きます。

(461)広島県安芸郡府中町役場
日本で唯一、一つの自治体(広島市)に完全に包囲されてしまっている、海田町よりさらにちっぽけな自治体。
なぜ、こんな孤立無援?四面楚歌?な状態でいられるのか?
この町にはあの自動車会社・マツダの本社があったり、以前はビール工場があったりと、こちらも町財政は豊かであるらしい。
人口も5万人を超えているので、いつでも市になれそうですが、ご丁寧にも同じ広島県に府中市が既にあったりする(東京にもあるけど)。はて?市になったら名前どうすんだろ?

こんな山奥まで開発しているよ→
広島は人口の割に平地が少ないですからね。昨年のあのような土砂崩れがここでも起こらないといいけど・・・。

以前ビール工場があったらしい所→
今ではイオンモール。ここの前にあるバス停はまだ「キリンビール前」。
それにしても、どこもかしこもイオンばかり。もう、うんざりだわ。

まだかな~?→
駅近くのコンビニにて。ご主人様の買い物が済むのをけなげに待つワン。
かわいすぎるなー。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

108日目 意外な穴場だった三原(2)

2015-02-06 23:13:51 | 山陽
2014年12月27日(土)


↓今度は山陽線の北側の西国街道、いわゆる山陽道へ。

毎年2月第二日曜日とその前の2日間に「神明市」というのが開催され、その時だけここの道路に日本一の大ダルマが4.5メートルの高さの所にドーンと置かれるらしい。その大きさ、高さ4.3メートル、直径3.5メートル(どういうダルマかは、前回のタコの写真を参照して下さい)。
んっ? 毎年2月第二日曜日とその前の2日間?
今日からじゃないか! 皆の衆、急げ! ついでにレポも頼む。

↓山の方に目をやると、ゆかしきお寺さんと立派な三重塔。


↓うん、さすが古道、昔ながらの建物が健在


↓でっかいダルマでなくても、ちっぽけなのでもいいという方は、急いで三原へ行く必要はありませんので。


↓和久原川の神明大橋から見える「江戸の水刎(みずはね)」

石垣みたいなのがそれ。水刎とは大辞林によれば、「海岸や河川の水勢を緩和し、また流れの方向を整えるために水中に設ける工作物」。ここでは城郭を守るために設けられました。

クネクネ電柱→
一応、観光名所らしいです。なので一応載せておきますよ・・・。

↓駅北側を通り過ぎ、さらに西へ。





この辺一帯では古い商家などが多く見られます。

高架線の南側にある「西浜むかし町」→
昔はお城の舟入場であったらしく、港町として賑わっていたという。

市の観光パンフレットを見ると市街地西北側の高台に「笑うブロック塀」というのが地図に描かれ、「アハハ」と笑う壁がある、となっている。
笑うブロック塀? ホントにそんな事があるの?

↓非常に気になったので、エッチラオッチラ急坂を登ってやってきた所がここ。

ん~~、何と言えばいいのか。 それにちっとも「アハハ」と笑い声が聞こえないじゃん(当たり前)。
偶然、ここの家人が出てきたので聞いてみたら、「市役所がそんな事を言っているみたいなのよねえ。風通しよくするためにこうしただけなんだけど・・・。」と非常に困惑気味。
一種の誇大広告というか、見て見てサギというか。「三原のガッカリ名所」などと陰口を叩かれていなければいいけど。

もっと上に行くと、三原市の見晴らしがよくなるようです。・・・分かりましたよね。・・・。

西野川の臥竜橋より→
何だか面白い模様の石積みがずっと連なっています。
「西野川のヘビ石」という江戸時代に造られたと言われている導流堤。
模様が蛇の鱗のように見えるから付いた名前らしいだとか。

この川の河口の方に向かうと市役所。

(459)広島県三原市役所
川に架かる「水道橋」(臥竜橋からの写真の青い橋)よりパチリ。
周囲には尾道・鞆の浦・竹原などの有名処が多く、三原市はそれらに隠れてしまって目立たない存在の感ありありですが、そこは城下町、史跡が多く、時間をかければ面白い発見があったかもしれないです。
今回は食べ物には全然触れませんでした(寧ろ、触れる方が珍しいけど)が、タコを使った料理が多いようなので、またいずれの機会に立ち寄ってみたいと思います。

一見、洋風建築のレストラン→
よ~く見ると屋根は瓦葺。その正体は純和風建築の民家。そう見えんよ。
ここは港近くにあって、市の観光パンフレットによれば「和風ホワイトハウス」と呼ばれている人気のシーフードレストランだと。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

107・108日目 意外な穴場だった三原(1)

2015-02-04 23:48:39 | 山陽
2014年12月26日(金)・27日(土)


さて、いよいよ年末年始旅の話しがスタートします!
今年も長~い連休なので、なかなか行きづらい所も組み込んだコースにしました。
でも、次の9連休は2019年と、かなり間がありすぎるなあ。

↓まずは、サンライズでも出雲の方で東京駅を22時に出発し、翌日は山陽路を西下する予定。

キャンセル待ちで何とかゲットしたのはノビノビ座席の指定券。
ま、乗れるだけ有難いんだけど、昔なら東京発の西行き夜行列車は腐るほどあって選り取りみどりだったのに、今ではムーンライト含めて僅か2本の争奪戦。以前を知っている者としてはウソみたいな状況。しんどすぎるわ・・・。
出雲だからか、女性客(勿論若い人も)非常に多し。
旅の出発は気が昂ぶっているので、夢々お縄になるような考えを起こさないようにしないと。
実はそれより心配事が
この日の午後からノドが痛くなり、出発の頃には相当悪化。ノドが痛くなるというのは、私にとって風邪引きの前兆。よりによってこんな時に取り憑かれるとは・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

岡山駅に定刻の6時27分に着き、始発の普通電車で広島県は三原駅へ。
空調が効きすぎて暖の問題はなかったサンライズでしたが、乾燥していてノドの痛みはさらにひどくなるし、おまけに鼻も出るようになる。困ったよのー。

さて、最初は酒蔵の町・西条(東広島市)を観光する予定でした。
が、ふと三原という町、これまで素通りしかしたことのなかったこの町ってどういう所なんだろ?と思ったのが運の尽き?これ幸い、調べてみると、案外面白そうだったのでこちらに変えてしまいました。

↓三原に私が吸い寄せられたのは、コヤツの強力な吸盤のせいかと。

瀬戸内海のタコは絶品。愛媛出身の私が言うんだから間違いない!お城とダルマも名物。

↓そのお城ですけど、駅のすぐ真裏(ただし、跡)

駅からこんなに近いお城はここにおいて他あるか?というくらい近い。福山城なんて目じゃないぜ!
案内板には「(小早川)隆景は天正年間毛利氏の広島築城と相前後して、(中略)城郭を築きここに移った。(中略)満潮時にあたかも海に浮かんだように見えたので、「浮城(うきしろ)」とよばれていた。JR山陽本線および新幹線が本丸を貫き(以下略)」とある。

↓ここは天守台跡になります。なので、市街地丸見えー。


向こうの通りから駅方向→

駅南側の散策をします。

三原駅→

本丸中門跡→
数少ないお城の遺構の一つ。再開発ビル「ペアシティ」の入口。

駅に近いマリンロード→
ここらは三原の歓楽街。なので、飲み屋多し。

フェリーターミナルへ→
爽やかな朝の港はいいね。工場の後ろに見える山は筆影山。

またまた、お城の遺構→
奥の石垣は「船入櫓跡」。この上は公園となっています。手前の古めかしい建物は、トイレだったか何だったか忘れた。

山陽線の高架線南側に沿って歩きます。

浮城橋から見る「やっさタンク」→
「やっさ祭り」とは、8月のお盆の頃に行われるお祭り。
お城ができたのをお祝いして、町民が踊りだしたのが始まりという。もちろん見たことのないけどさ。
タンクに描かれた絵や祭り名、タコが写っている左下の写真からの、私の勝手な想像「♪やっさ やっさ さっやほいさっさ」で適当に踊るんかと(あくまで勝手な想像です)。

その道すがら→
仮に本当に以前は道だったとしても、役所は復活させたいのかね?
ネコがやっと通れそうな位の細さ、嫌がらせとしか見えないだろうなあ、住人は。
ま、見た事のある方は手を挙げてね。

旭町の漁港→
江戸時代からの漁港。趣きがあってしばらく眺めていたくなる漁港でございます。
それはそうと、たくさんのタコつぼが見られるというのですが・・・。
それらしきが見当たらん・・・。

↓つぼを見たからといってどういうわけでもなく、つぼより見たいのはこの辺の古めかしい昭和の香りのする町並み。
 
表通りの家々といい、干している洗濯もんといい、狭い路地裏といい、庶民的で、とってもいい雰囲気だねd、三原。

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