ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

127日目 能登半島最先端の日本三大パワースポットへ

2015-08-30 00:18:06 | 北陸
2015年7月18日(土)


↓恋路海岸を出発しますとすぐに珠洲(すず)市に入り、5分ほどで能登のシンボル・見附島(みつけじま)という高さ28mの巨岩に着きます。

かの弘法大師が佐渡から能登に渡った時に発見し、「最初に目についた島」というのが名前の由来らしいのですが・・・。
こんなデッカイのをそれまで誰一人として目に触れなかったという事? 能登ってそんな未開の地だったの?
先端の突き出た姿から「軍艦島」とも呼ばれております。もちろん、島の上には廃墟はないと思うけど。
ここから先程までいた恋路海岸までを「えんむすびーち」と呼ばれております。

珠洲市の中心部は次の日に廻るつもりですので、無視して「蛸島(たこじま)集落」へ。
↓まずは、のと鉄道能登線の終点であった蛸島駅へ。

10年の歳月は、バラックを思わせる小汚い建物へと変貌させております。

ホーム(穴水方向)→
10年の歳月は、路盤を草むらへと変貌させました。

↓集落を散策します。





まずは何といっても蛸島の地名の由来が気になるわ・・・。やたらタコが捕れたんかな?
ここは水産漁業が盛んで、江戸時代は風待ち港として重要な港だったらしい。
デッカイ家が軒を連ねる様は、さぞ裕福な人たちが多かったんだろう想像がつきます。
それはともかく、千葉を出発して初めての晴れ間となりました。熱帯低気圧は遥か彼方へ吹っ飛んでいったようです。もう天気の心配をしなくてもいいな。

高倉彦神社→
本殿か拝殿かわからないけど、がっちり雪国仕様となっております。

日没時間が迫ってきているので、先を急ぎます。

↓19時ちょっと前に着いた場所は珠洲岬の金剛崎で、別名・聖域の岬。

ここは、上空では寒帯と亜熱帯ジェット気流が、海では南からの対馬暖流と北からのリマン寒流がそれぞれぶつかり合うという世界的にも珍しい地点となっていて、故に「日本三大スポット」の一つとされている有難い場所。
残り2つは、富士山と分杭峠(長野県)ですが、毎年富士山は金運神社参拝で当ブログに登場しておりますし、分杭峠も一度通過しております

じゃあ、その世界的にも希な自然界のパワーとやらを戴いちゃいましょうか!

フレームストーン・夢の扉→
日本三大芸術祭開催のシンボルモニュメント。
右にチラッと写っているのは、崖から9.5m突き出た「空中展望台スカイバード」。
そこからは下にある超人気宿「よしが浦温泉ランプの宿」が見下ろせるワケなんですが・・・。
高い所が超苦手な私ですけど、珍しく好奇心がこれに打ち勝ち、よせばいいのにそこへ。しかも有料(\500)なのに。

こえ~~。
おまけにムチャクチャ揺れるし。へっぴり腰になってやっとの思いで写した一枚。

↓40年前程位までに小さな瞑想の祠「望気楼」が建っていたという場所。 


↓この入江には「青の洞窟」というのがあるらしいです。

源義経が奥州へ落ち延びる際にに舟を隠したとされるその洞窟へはチケットがないと入れないのですが、中ではヘルメット着用が義務付けられています。

まだちょっと明るさが残っています。因みにこの日の金沢の日没は19時11分。

↓さらに車を飛ばして19時19分に着いた先は「道の駅狼煙(のろし)」。

誰もおらず寂しい限りの道の駅ですが、そんなのはどうでもよく、ここから歩いて禄剛埼(ろっこうさき)灯台、通称・狼煙の灯台へ。

↓しかし、この先は急な坂。辛すぎるぞ・・・。


↓明治16(1883)年に造られた、ご覧のとおり今だに現役バリバリの灯台。


千葉からここまで860km要しました→
3倍も大回りしたのか・・・。

突然ですが、ここ、見覚えないでしょうか? 特に朝とお昼にせっせとあるドラマを見ている方!
そう、「まれ」のオープニングで空撮で出てくる灯台です。

実は私は「まれ」はこの旅に出る前は全く見ておらず、能登から帰ってきて改めてまじまじと見たらいきなりこれが映っていてちょっとビックリしたんですね・・・。
そういうワケで、翌日に関するブログではロケ地がいくつか登場しますが、全て立ち寄ってみたらたまたまそれだったという、間の抜けたロケ地紹介になりそうです。

日本の渚百選の一つ「鉢ヶ崎海岸」近くの温泉で一風呂し、能登丼を堪能しようと思っておりました。
↓ところが、街中はもう寝静まっているではないか!(まだ20時半)。

早すぎるぞ! なので、この日の夜は「道の駅すずなり」でふて寝。

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127日目 列車が来なくなって10年たった今

2015-08-28 23:33:07 | 北陸
2015年7月18日(土)


穴水から国道249号線を北上、最初は山間部を通りますがやがて海岸沿いを走るようになります。この国道は七尾市を起点に、能登半島をグルッと廻って金沢市が終点の道路。

↓雨も上がり、だいぶ明るくなってきた能登町(のとちょう)は「コンセールのと」に車を置きます。

図書館・公民館の他に観光情報案内所も入っている昨年4月26日にオープンした多目的交流施設。そして10年前の3月31日までは、のと鉄道・宇出津(うしつ)駅として列車が走っていた所。

↓穴水からやってきた列車は、高い鉄塔右下の道路を潜る。

ホームはこの左側にあったあったみたいです。

そしてホームを発車し、トンネルへ→
という光景だったワケですな・・・。

↓「コンセールのと」を背に歩くと、駅はないけど「駅前交差点」と呼ばれる県道6号線との交差点に出て、そこを左に折れてまっすぐ進むと港に出られます。



上の写真の左にある大きなお店は、今では別の場所に移転しているようですが、寛政7(1795)年!創業の超老舗みたいです。こんな田舎でそんなのがあるとはビックリしたぞ!

宇出津港→
昔から天然の良港として栄えた港で、街はこの港を囲むように成り立っております。

街を流れる川の河口付近→

(517)石川県鳳珠(ほうす)郡能登町役場
目の前が港の役場。
能登町は平成17年に能都町・柳田村・内浦町が合併してできた町で、キャッチフレーズは「奥能登にひと・くらしが輝くふれあいのまち」。ですが、2012年時点で県内で一番財政力指数の悪い町。今はドベは脱したかな?

そんな町に人がたくさん来るよう情報を拡散しとこ!
交流フェスタ2015in能登町→
ちょっと突然すぎるかも知れないけど、明日(8月29日)から開催! 参加無料だそうです(グルメはタダかどうか知らん)。 

↓港の西側には昔ながらの素朴な街並み



宇出津、散策にはなかなかよろしき町。

↓ここから10km弱東に「九十九湾(つくもわん)」という絶景が堪能できる名所があるのでやってきた。が・・・。

「きっぷうりば」の入口には「船舶整備中につき本日休業します」との貼り紙。

↓観光船乗り場の反対側から

こんな天候じゃ、人が来るわけないよな・・・。仕事サボった?
行ってみたい(勿論晴れた日に)という方は町のHPをご覧下さい。

九十九湾から10km北には能登町のフィナーレを飾るに相応しい(?)ロマンチックな名前の場所があります。

↓恋路(こいじ)海岸



名前とは裏腹に、悲恋な話しが由来の海岸。
普段は結構きれいな白浜であるらしいけど、台風で荒れたせいかとても汚い。せっかくの名前も台無し

翌日(7月19日)は、「かがり火と松明が恋路の浜辺を幻想的に彩る」という「恋路火祭り」が開催されます。
その準備に余念なしのご様子→

↓ハートのモニュメントの後ろを振り返ると、こういうのがあります。



旧恋路駅。
かつてデートスポットとして賑わったらしいですが、のと鉄道能登線が廃止されてからはすっかり寂れてしまったので、今ではトロッコ列車を走らせて人の呼び込みを図っております。詳しくはコチラ

ホーム待合室にて→
11年前に同じ千葉から来た彼、君は今どうしているかな?
愛する人を見つけ、その人と一緒に再びこのホームに立つことができたのかな?

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

127日目 角界きってのイケメンを育んだ町

2015-08-25 00:36:52 | 北陸
2015年7月18日(土)


能登半島も奥地に進むにつれ、次第に佳境を迎えるようになります。
海岸線沿いを走り、穴水町(あなみずまち)へ。

↓根木(ねき)という地区に入ると、一見??と思う海中に佇む櫓が見えてきます。

天文学者パーシバル・ローエルが「怪鳥ロックの巣」と表現した「ボラ待ちやぐら」。
この上で一日中、ボラの群を見張り、網をたぐるという江戸時代から伝わる日本最古の原始的な漁法。ただ、現在ではこの漁法は行われていないとの事。
このあたりから先は海岸線が入り組んでいていくつもの入江がある、いわゆるリアス式海岸となっております。

のと鉄道・穴水駅(奥の白い建物)→
手前の建物は、新幹線でごっそりやって来るであろう客をアテにしたきっちり新幹線開業に合わせて今年3月1日にオープンした、町の物産館・四季彩々。
昔はさらに先へと鉄道が走っておりましたが、今では能登半島を走る鉄道はここまで。

駅構内→
駅の愛称は「まいもんの里」といい、「まいもん」とは能登弁で「おいしいもの」の意味。
能登と言えば、やっぱり「能登丼」ということになろうかとは思いますが、それのパンフレットを見てみると、どれもこれもいいお値段だよ・・・。

放置された展示保存されているパノラマカー「のと恋路号」

中に入れるようです(私は入りませんでしたが)。

↓四季彩々の入口には、「オラが町のお相撲さん」の等身大パネルが飾られています。

櫓をアピールした化粧回ししての堂々たる姿。と思いきや、チョンマゲがないので力強さにかけている感じ。
建物の中ではスタッフは遠藤や相撲(折しも名古屋場所開催中)の話しばかりしていて、仕事をしているのかって感じでしたが(尤も、客もほとんどいないんだけど)、でも、町を挙げて応援できるこうしたスターがいるというのは何と羨ましいことか。

↓「アタシも故郷の為にガンバル」と袖を捲くりあげるカワイイ松前緒花(まつまえおはな)。

石川県が舞台のアニメ「花咲くいろは」の主人公。

「長谷部まつり」は翌日(7月19日)→
穴水城主長谷部信連を偲ぶ武者行列なんだそうです。
地方紙とは言え、たった4勝目でこんなに大きく取り上げてくれるんだから、ホントに故郷はありがたいのお(涙)。

↓商店街






家や商店の軒先にはこんなものがぶら下がっております→
お祭りに備えてのものでしょうか。

(516)石川県鳳珠(ほうす)郡穴水町役場
小又川(おまたがわ)のほとりに佇む様がとてもよい役場。
人口9千人ほどですが、観光名所もそれなりにあるし、海の幸・山の幸に恵まれた町。駅が「まいもん」を謳っている位ですからね。
ですんで、のと鉄道で来たら是非トンボ帰りせず、少しでもいいので町散策してみて下さい。
それにしても川の堤がやたら低かったのはちょっとした驚き。穴水町にはこれまで大水害やら津波なんかが全くなかったという事か・・・。

こちらは中居地区→
遠藤の幟がズラーッと並んでおります。彼はここ中居の出身らしいです。

↓海を眺める→



ここにも櫓があります→
晴れていれば、景色がとっても綺麗なんだろうなあ・・・。

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127日目 ちょこっと寄り道、和倉温泉・能登島

2015-08-23 00:59:09 | 北陸
2015年7月18日(土)


↓有名な高級温泉街・和倉(わくら)温泉に来ました。

開湯から1,200年の歴史を誇り、古くは湧浦(わくうら)温泉と呼ばれていたこの温泉、「わくらづくし」という観光協会・旅館組合の作ったサイトを覗くと発見の由来が出ております。
「七尾湾の沖合で、傷ついた足を癒すシラサギを見つけた夫婦が、不思議に思って近づいてみると……、そのあたりから温泉が湧き出ていることが分かったのです。」
なのでサイトのシンボルマーク(?)は、♨の左側の湯気が白鷺という、凝った作り。

せっかくの和倉ですが、ハナから湯に浸かろうという考えは毛頭なく、すぐに右に曲がって能登島へ走り去ろうと思っておりました。
ところが4年前の秋にもここ来たのですが、その時に行きたいと思いつつ時間の関係で断念した施設があったのを思い出し、急遽寄ることにしました。

その前に、超有名旅館・加賀屋→
旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の総合部門で長らく1位を取り続けている旅館。さすが、堂々たる佇まい。

そして、行きたかった所はここ→
和倉昭和博物館とおもちゃ館。入館料は\700円(JAF会員は\600)。
館長が約30年かけて集めた血と汗と涙の結晶がズラリと展示されている平成19年にオープンの比較的新しい施設。

↓1階は「昭和博物館」



昔懐かしい風景を再現した空間。

↓2階はおもちゃ館



幼い時、ミニカーなんかよく集めましたなあ。
これでもかというくらい、懐かしいものが陳列されています。

昭和31(1956)年の金沢駅時刻表→
今じゃ全く考えられないですが、金沢経由上野~米原の鈍行なんてあったのかと、仰天する。

せっせと見ていた世界名作劇場→
♪ はるーかな 北を めざせ~
マルコと同じく私もこれから北を目指します(スケールは比べ物にならないくらい小さいけど)。
何故、こんな弁当箱を紹介したのか?
ナントこれと同じものが我が家ではまだバリバリの現役として活躍中なのです。
勿論、本来の用途としては引退しているのですが、買ってきた生肉を詰め替えて保存する為のものとしてね。

能登島大橋→
ここを通るのは大学生時代にサークル仲間と来て以来、実に相当の月日振り。
その時は確か有料だったハズでしたが、今は無料。
台風の余波による高波で通行止めとなることだけが心配でしたが、なんてことなし。

のとじま水族館→
ここにもその大学時代に来たのですが、こんなだったかなあ、というのが第一印象。
来て入館したのは確かなのですが、全く記憶がありません。
世界最大の魚・ジンベエザメが見られるのがここの売り。

↓適当に能登島を周遊して、「ツインブリッジのと」を渡って能登島を脱出します。


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127日目 車の中から眺めるだけの中能登町

2015-08-20 23:56:26 | 北陸
2015年7月18日(土)


「大型で非常に強い勢力」の台風11号は、前日(17日)の朝に岡山県倉敷市に上陸してからは東北に進路を変えて日本海に突入、衰えてはいたもののじわじわ能登半島に接近しておりました。
そして、この日未明にちょうど私のいる真西50kmあたりで熱帯低気圧に変身し、大したことないかなと思いきや、そこは残りカスと言えども元は台風。
夜、寝ながら朧げに「結構強い雨が降っているなあ」などと思っておりましたが、朝起きたらやっぱり大雨で、ちょっと外に出たら瞬く間にベタベタになってしまいます。一番恐れていた天候の2日目となってしまいました。風が弱いだけマシではありますが。

↓中能登町(なかのとまち)の「道の駅織姫の里なかのと」

朝は洗顔歯磨きや準備など、やる事が案外多くて大変なのですが、雨が降っていると身支度の厄介さが2倍・3倍に膨れ上がります。

↓やっとの思いで出発の態勢に持っていき、まずは町の南西部の「久江(くえ)集落」へ。





元は農家なんだと思いますけど、間口の大きな切妻屋根、妻入、真壁造りの民家が目立つ、整っていてかなりよろしき街の景観。
ここは羽咋(はくい)市から七尾市までを横断する邑知潟(おうちがた)地溝帯の七尾街道東往還に沿う街道町。
後でも訪れますけど、西往還というのもありますが、加賀藩から正式に認められた七尾への街道は東往還。

個人的に一番気に入った建物はこれ→
しもた屋なのかどうなのか分からん中途半端さがよい。何よりも朽ちた屋号が何とも言えずたまらん。

この集落の僅か南西寄りに「高畠(たかばたけ)集落」という宿場町があり、今現在でもその雰囲気を残しております。

(515)石川県鹿島郡中能登町役場
平成17年に鳥屋町、鹿島町、鹿西(ろくせい)町が合併してできた町で、約19,000人が住んでいます。

役場近くには、こんな地名があります→
どっかで見たことあるでしょう・・・、そう、「一青○」なる歌手。
実は彼女のお母さんは「一青」という姓で、しかも中能登町出身だといいます。
名字の由来は地名が多いと言いますから、不思議でも何でもないんですけどね。
こんなのを写しに来るんだから、我ながらかなりのミーハーだと思いますわ。

↓この「一青」を南西方向に走らせた西往還の「能登部(のとべ)」という集落へ。







こちらも間口の大きな民家が多くて味わいのある集落。

↓暗ければ決して走らないであろう山道にやおら突っ込んでいく。

言っておきますが、決して血迷ってたワケではありません。

やがて、ポツンと東屋→

周囲を見渡しても、薄気味悪い山の中→
ここは何を隠そう、昭和62(1987)年にスゴイものが見つかった所。

それは、日本最古の「おにぎりの化石」!  弥生時代のものらしいです。
この山に木の枝を切りに来ていたおじいさんがうっかり転がしてしまったおばあさんの握ってくれたおむすび、だったらもっとスゴかったんだけど・・・。そんなワケないな。
ここは「杉谷チャノバタケ遺跡」といい、来る前はどんな遺跡か楽しみにしておりましたが、ハッキリ言ってつまらん・・・。
せめて、デッカイおにぎりの碑でも設置してくれりゃあいいのにね・・・。

中能登町には他にも国指定史跡「雨の宮古墳群」や、眺めがいいらしい「石動山」「碁石ケ峰」があるなど、案外知られざる見所が多いし、大きなショッピングモールもあるしで、田舎にしては、結構楽しめる場所かも知れないです。

再び七尾市に戻ります→
相変わらずの吹き降りなので、テンションも今一つ。
左に曲がりますが、行き着いた先で温泉にでも浸かろうかな?

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126日目 主戦場の能登半島へ、いざ突撃開始!

2015-08-17 23:50:31 | 北陸
2015年7月17日(金)


氷見市の能越(のうえつ)自動車道・氷見ICよりふっ飛ばして、我が世の春を謳歌している能登の七尾市入り。
走行したこの部分を通称「七尾氷見道路」といい、北陸新幹線開業に先立って、今年の2月28日に暫定2車線ではありますが全通、これにより能登へのアクセスが一段と向上。しかも無料ときたもんだ!
ただ、首都圏では新幹線に比べ、全通のアピールは全くないんだけど、それは仕方がない。
七尾氷見道路HPより→

まずは、国の指定史跡である日本百名城・七尾城址へ。
七尾城は守護・畠山氏が16世紀前半に築いたものの、天正5(1577)年に上杉謙信の攻めにより落城して上杉氏のものとなり、やがて前田利家が入城。その後、港近くで新たに築城したのでお城としての機能を喪失。

本丸北駐車場にて→
ここから登らんといかんのか・・・。
最初は登ってお城の本丸跡へ行こうとは思っていましたが、私以外だれーもおらず、風がビュービュー強くて一人では心細くなる(かなりの小心者)。

ならばという事で、もう少し車を走らせ、城山展望台へ。

本丸跡が丸見え→
これで満足した事にする。

↓七尾市街や和倉温泉、七尾南湾、七尾西湾、能登島などなどが一望。


↓七尾フィッシャーマンズワーフでもある「道の駅・能登食祭市場」へ。

この日の翌日(7月18日)から2日間、「第74回七尾港まつり北國花火大会」が開かれ、最終日にはフィナーレとして、道の駅裏手に広がる七尾港から2500発の花火が打ち上がる予定、というか打ち上がったはず。

↓高さ1.5m、直径1.75mで、重さ約1トンだそうな!

これは単なるお飾りではありません。ちゃんと立派に使われているんだってさ。

そんで、建物の中は?

ガラ~ン→
駐車場に止まっている車はそこそこあるんですけどね。1階は主に売店で既に閉店しておりますが、2階はグルメ館となっていて22時まで営業しているお店もあるので、みな2階に流れていったということにしておこう。

市中心部へ→
「七尾港まつり」では、この川(御祓川・みそぎがわ)のほとりで総踊りが繰り広げられるらしく、また、8月8日に開催される「御祓川まつり」というのもあります。
手に入れた能登に関してのパンフレットによると、七尾に限らず能登半島では7~9月にかけてあちらこちらでお祭りが開催されます。祭り三昧の能登半島

↓一本杉通り→


一本杉通り振興会のHPによれば、「そのむかし奥能登へと向かう街道筋にあった一本杉が、人々に「出会いの一本杉」と呼ばれ」た事に因む、古い建物が多く見られる通り。
2つ上の写真に写っているバス停奥はは菓子店で、そこで売られている「えんがら饅頭」は絶品らしいのですが、すでに店じまいしておりました・・・。

↓一本杉通りに入る手前にこんな車輪が置かれております。

五穀豊穣を願うお祭り(青柏祭・せいはくさい)が5月に行われますが、その際に曳かれる曳山(山車)のもので、直径約2m。その曳山といったら日本一大きく、そのあまりのデカさ故(高さ12m、重さ20t)、「でか山」とも呼ばれております。
普段は解体されていて、倉に保管されているとの事。そりゃそうだわな。

小丸山公園→
ここが港近くに新たに築いたというお城の跡。

↓JR七尾駅は帰宅ラッシュ中




(514)石川県七尾市役所
古くから港町として栄えてきた能登半島最大の都市。人口は約55,000人。
石川県の自治体を1つクリアしたことで、本旅における未踏県は秋田・島根・香川・沖縄の4つとなりました。

駅前から伸びる「リボン通り」→
お祭りを控えた高揚感が今一つ感じられんのですが?

↓この日の宿泊地は、お隣・中能登町の「道の駅・織姫の里なかのと」。

ここは昨年4月17日にオープンしたばかりの新しい道の駅で、目の前には「アル・プラザ鹿島」というドでかいショッピングモールがあり、酒・つまみの買い出しに非常に便利。

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126日目 世界的にも希少な景観にブリとマンガが溢れる町

2015-08-15 23:15:03 | 北陸
2015年7月17日(金)


有磯海(ありそうみ)沿いの道路を北に向かって走れば、イヤでもたどり着いてしまう超有名な場所があります。
高岡市の「雨晴(あまはらし)海岸」がそれ。

↓高台の駐車場から海岸のシンボル「女岩」を能登半島方向に見る。

日本の渚百選に選ばれていて、世界でも珍しいという海越しに3000m級の山々(立山連峰)を望め、本部がフランスの「世界で最も美しい湾クラブ」に、日本では松島(宮城県)に次いで選ばれた、眺望の美しさでは折り紙つきの海岸。
ただし、晴れれば という条件付きで。←これ重要!!
この日はこんなだから、あえて立山連峰の方の写真はお見せしません・・・。

↓この先には「義経岩」というのもあったりする。

その昔、源義経一行が奥州落ちの途中でにわか雨に遭い、弁慶が持ち上げてつくった岩陰で雨宿りをし、雨がやむのを待ったという伝説がある岩。だから海岸名が「雨晴」なのですが、せっかくの「雨を晴らす」という地名の力(?)をもってしても、自然の前では所詮敵ではありません、この日のように・・・。

ここは今回で3回目ですが、全部夏。なので一度冬に来てみたいもんです

冬の晴れた日なら、こう感じで見えるワケですな→

高岡市から氷見(ひみ)市に入ります。

(513)富山県氷見市役所
とにかく寒ブリで有名な町。
ですが、魚介類はそれ以外にも、タラ・イカ・サバなどなど多くの水揚げを誇ります。
そして魚介類だけじゃなく、氷見牛・氷見うどん・氷見カレーなどの旨いもんがあり、考えただけでも涎が出てきそうな町。

↓「ひみ漁業交流館・魚々座(ととざ」)で車を止めて、市街地の散策開始。

ここのHPの言葉を借りると、「氷見の漁村文化を体感できる」施設。
今年4月21日にオープンしたばかりの、氷見の新たな観光「ひみ」つ兵器。

近くからはこういうのに乗れます→
新湊の観光船に乗れずじまいが、ようやくここに来て諦めがついたような感じ。

ブリのでっかい壁画と「ブリ小僧」の像、→

↓さらには「ブリの遊具」なるものもあったりする。

遊具の上に乗っかっているのは「ひみぼうずくん」。

やっぱり氷見はブリだけの町なんだなあ。
と思いきや、実は町をアピールせんが為の、より強力な兵器があるのでございます。

拙者を忘れては困るでござるよ!→
ブリ壁画の直角の辺の壁に描かれています。ここ氷見は、かの藤子不二雄A氏の出身地なのです。

↓この壁画から「藤子不二雄Aまんがロード」といって、マンガキャラのモニュメントやイラストがそこかしこと見られる通りが市中心部の商店街に向かって伸びています。
 「チクワ、おくれ!」



ハットリくんだけじゃないでござるよ→
「氷見のサカナ紳士録」のシマシマ博士。
しかもゴニョゴニョと、モニュメントが何やらつぶやいていたりする。

たくさんあるので全部観て廻ると日が暮れそう。なので、これは適当に切り上げます。

商店街のちょっとはずれにある「光禅寺」→
マンガキャラ4体のせいで、普通のお寺さんのような、およそ近づきがたい雰囲気などまるでないお寺さん。
というのも、ここは藤子不二雄A氏のご実家なのである。
一方の藤子不二雄F氏はお隣高岡市の出身。

湊川のほとり→

カラクリ時計、別名・虹の橋→
定時になると、時計からテーマ曲をバックに橋の中からハットリくんたちが登場し、ケムマキと忍法対決をするんだそう。

JR氷見駅→
ハットリくん列車は来ていませんでした、残念でござった!
ですが、それは土・日・祝日のみの運行らしいので当たり前でござる!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

126日目 日本のベニス・新湊

2015-08-13 23:32:50 | 北陸
2015年7月17日(金)


この日一番のお目当て、旧新湊市は海に面し、今の射水市の北部にあたります。

まずは、海王丸パーク→
左がまさに「海王丸」という船で、右の橋は「新湊大橋」、奥には「立山連峰」。なんですが・・・、曇りが恨めしい。
ここもいわゆる「恋人の聖地」でしてね。アホくさ。もうやたらとあちこちにこんなの認定せんでもいいから。
海王丸は「海の貴婦人」とも呼ばれ、商船学校の生徒の訓練用の船として昭和5(1930)年に建造され、平成元年の引退まで地球約50周もの距離を航海したという。

↓ではでは敬意を表して、この帆船に入ってみましょう。

乗船料金(というみたいです)は400円ですが、JAF会員証を見せたので350円に。
右から2番目のマストが一番高い(写真ではそう見えないけど)メインマストで、その高さは水面から46m。
年10回ある総帆展帆(そうはんてんぱん)で白い帆29枚全部を広げた姿を披露するという。今後一番近い日で9月22日の予定。

↓最上甲板と、そこにある全部航海船橋




一番船底の第二甲板の訓練生用宿泊室→
ここで何日も暮らすんだからなあ。私にはとても耐えられませんわ。

海王丸パークからは観光船が出ています→
後でも出てきますが、市内の川を遊覧できる船。私はとってもとっても乗るのを楽しみにしておりました。
中でお昼を食べていたおっちゃんに「次は何時出航ですか?」聞くと、何と「今日は出とらんのよ・・・。沖が結構荒れててね・・・。すまないねぇ(一応申し訳ないという口調)」とのたまうではないか。
え〝えええーーーーーっ!? ナニィーーー! 
引き下がるしかありませんでした。泣きたくなっていたらとたんに雨が降ってきました。ホンマ泣き面に蜂とはよく言ったものだわ。

↓気を取り直して、新湊大橋下の富山新港へ行ってみる。

橋は上は車が通る場所ですが、下は歩行者専用の通路となっております。
あのぉ・・・、波は穏やかにしか見えませんよ?
よくよく考えてみるに、平日だし台風も近づいているからか観光客はほとんどいない。なので、観光船に乗ろうとしていたのは客なんて私くらいなもんだったろう。
そんな一人のために船を出していたら大赤字必至。そんな理由で門前払いを食ったんだろうな。

ついでに万葉線の終点・越ノ潟駅へ→

ここでお昼にします→
新湊のフィッシャーマンズワーフです。

これ、食べられるのか非常に気になるんですが→
つまみになったとして何日分あるかね?
それにしても、これをスルメにしたご苦労たるや、相当なもんだったでしょう。脱帽。

「きっときと亭」で海鮮丼(\1620)→

次に「川の駅新湊」に車を止めて、新湊の市街地散策。

山王橋から内川を東に眺める→
内川は市街を東西に流れる川で、長さ2,600m。そして特徴的な橋が10余り架かっています。
まさにベニスだよ!(実際のベニスは行ったことないですが) やっぱり観光船に乗りたかったな。
でも、橋から見る街並みもいいですよ。晴れていればもっと良かったんだろうけど。
もっと欲を言えば、舟がいっぱい川に出ている光景を見たかった・・・。

東橋→

東橋から西の方向→

中新橋から西の方向→

因みに本家ベニス→
どうですか? 似てますかね? 雰囲気は何となくね・・・。

やっぱり遊覧船に乗りたかった(くどい)。
晴れて(?)、また来ないと行けない場所のリスト入りとなりました

商店街→

飲み屋が集まる一角→
整然と建物が並んだ街並みがまたよろし。

新湊を本格的に見て廻ったのは今回が初めてでしたが、正直ビックリしました。こんなにいい所だったのかと。
富山は他にもたくさんいい所がありますが、ここが一番いいかなあ(あくまで個人的な感想です)。それくらいオススメです、新湊!

そうそう、もう一つ、新湊で触れないといけないことがあります。
今、高校野球の熱戦が繰り広げられていますが、29年前のセンバツで下馬評では最低だった、ある高校が有力校を次々に撃破していきました。
その高校とは新湊高校。「新湊旋風」と呼ばれた快進撃でしたが、それ以上に強烈だったのはスタンドを埋め尽くした大応援団。ホント、あれはすごかった。
特に準々決勝の日は甲子園の応援で町から人が消えたという(写真でも人は写っていないじゃないか、なんて言うのはナシね)。
もうずいぶん前の事になりましたが、今でもアルプスの応援を見ると思い出すのは、あの大応援ですね、やっぱり。

庄川を渡ります→
高岡市伏木という越中国の国府があった所を通って、以後しばらく海岸沿いを走行します。

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125・126日目 今恐らく日本で一番旬な地域へのミーハー旅

2015-08-11 23:58:45 | 北陸
2015年7月16日(木)・17日(金)


最近はやって来れば必ずと言っていいくらい「大型で強い」なる枕詞を引っさげてやってくる台風、今回はその11号がまさに日本列島に襲いかからんとしている7月3連休直前とその真っ只中のお話しです。

西の方へ出かければ何らかの影響を被るのは覚悟の上で、敢えて北陸新幹線延伸や朝ドラなどで目下注目度NO.1でホットな能登半島へ行ってまいりました(それに日本海側が大好きだし)。

道中、酷い風雨に祟られた時があったのは事実ですが、結果的にはちょっと長めのゲリラ豪雨に遭ったようなもので、何事なく無事生還(?)することができました。怖いもの見たさで、暴風の中での旅を体験してみたかった気もしますがね。

能登半島は鉄道が通っている場所が僅かなので、移動手段は当然自家用車となり、そして例のごとく夜の出発でございます。

19時半に家を出て、3km程離れた激安ガソリンスタンド(当時リッター128円)に寄って、溢れんばかりガソリンを積み込み、これで準備万端! 

↓穴川ICで京葉道路に進入し、幕張PA(千葉県千葉市花見川区)、20時9分着・20時23分発。

出た早々、ティータイムです・・・。

今後のルートは、首都高で東京を通り抜け、美女木JCT(埼玉県戸田市)で東京外環道に入って西へ進み、大泉JCT→関越道→長岡JCT→北陸道となります。

↓寄居(よりい)PA(埼玉県大里郡寄居町)、22時2分着・23時3分発。

下り線は地味ですが、反対側の上り線は女性が大喜びしそうなお店の多いPA。
それまで雨は降っていませんでしたが、このPAに近づくとバケツをひっくり返したような雨に見舞われます。何故か車で出掛けると、かなりの確率で大雨になります。雨男の本領発揮といったところ。・・・。

↓越後川口SA(新潟県長岡市)、0時52分着・1時39分発。


見えません→
当たり前ですが。

↓有磯海(ありそうみ)SA(富山県滑川市)、3時50分着・7時47分発。



4時間もいたのは寝ておりましたんで・・・。

滑川市は「ホタルイカ」で有名な所→
2年前に富山へ出かけた時、「ほたるいかミュージアム」を見そびれた悔しい思い出が蘇ってくるわ・・・。

「富山湾ミックス丼(\800)」で朝食→
白えびの天ぷらにホタルイカの串揚げと、富山の海の幸を贅沢に味わえるというのが売り文句の一品。

↓呉羽(くれは)PA(富山県射水(いみず)市)、8時9分着・9時34分

ご飯を食べたせいか、やたら眠いゾ、ってなワケでここで二度寝。

9時38分、小杉ICで降ります→

(512)富山県射水市役所
平成17年に新湊市・小杉町・大門町・大島町・下村が合併してできた市。
射水とは古くからある郡名。そして、いすい?だっけ? しゃみず?だったっけ?、などと私が覚えるのにとっても難儀した地域名の一つ。

↓今はJRの駅ではなくなった小杉駅の駅前駐車場に車を止め、街を散策。


駅前の商店街→

↓市街地には旧北陸道で通っていたので、古い建物が散見できます。



右の建物は、明治44(1911)年築の元銀行本店で、今は「射水市小杉展示館」。

↓鏝絵(こてえ)、左官職人が民家の壁面や土蔵の妻飾りなどに鏝で漆喰を練り上げて描いた絵。

江戸~明治期にかけて、高い技術を持っていた小杉左官と呼ばれる職人たちが多かったらしいです。

下条川→
春になると川沿いに植えられたサクラが咲いて綺麗なそうな。

さて、地元の人には申し訳ないけど、正直、ここ小杉は来たついでにフラついたって感じです。それよりも射水に来たなら新湊へ行かずして何処へ行く! というワケで次回は新湊の町巡りをお届けします。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

124日目 多摩川を遡上するの巻~終わり

2015-08-10 23:41:49 | 南関東
2015年6月13日(土)


南武線の終着駅・立川に着いたのは16時ちょっと前。

いっつもいっつも大混雑の立川駅→
よくぞまあ、どこからこんなに人がわいてくるのか?というくらい。
なのでとても歩きづらく、正直ここはあまり好きではありません。

駅前は結構な都会。

北口→
駅前では、ピンクのエプロンをまとったオバチャンが「安保法制反対」を訴えている。最近よく見かける光景。ただ、原稿を棒読みしているだけ。心に響く訴えには全くなっておらず、下手くそすぎ。

多摩都市モノレール・立川北駅→

南口→
知名度高い立川市ですが、とりたてて見たい所はなく、ならば南口のウインズ立川で一発勝負もよし!と思いきや既に終了。

↓仕方ないので、駅近くの昭和記念公園をちょっぴり散策するしかない。

昭和天皇御在位50年記念事業の一環として設置された、以前は米軍基地だった公園。
森のゾーン・広場ゾーン・水のゾーン・展示施設ゾーン・みどりの文化ゾーンの5つのゾーン分かれていてやったら広い。町のど真ん中にこんなの羨ましすぎですよ。

展示施設ゾーンの「カナール」→

みどりの文化ゾーン「昭和天皇記念館」入口→
ただでさえ入りにくい雰囲気のところ、切符売り場前に事務員らしきおっちゃんがウロついていてさらに入りにくくしている。

(510)東京都立川市役所
人口は18万人とそれほど多くはないのですが、市のHPでは『国から首都圏の「業務核都市」に位置づけられ、商業や業務などの集積が図られると共に、文化、研究、防災などの広域的な都市機能が整備され、拠点形成が進められています。(以下略)』。要は我こそが多摩地区の中心だと言いたいが如し。

多摩都市モノレール版ドクターイエロー?→

次にこの日最後の訪問地・瑞穂町(みずほまち)へ。

↓その中心駅の箱根ケ崎(はこねがさき)駅で下車。


↓東京都では珍しい「町」でありながら、開発は免れるあろうはずもなく・・・。



昔はどんな風景だったんだろう?

(511)東京都西多摩郡瑞穂町役場
明治22(1889)年から箱根ケ崎村など4つの村が組合を組織して行政運営を行ってきて、昭和15(1940)年に発展的解消して町制を施行した歴史を持ちます。
大昔にちょっぴり勉強したことのある地方自治法でいう「全部事務組合」ってやつかな?
町南部には横田基地があり、最近あまり耳にしませんが、例の最新鋭輸送機の飛来はどうなんでしょう?

↓役場から数百メートル先の町全体を見下ろせる「瑞穂ビューパーク・スカイホール」の展望台


時計台→
左側の黄色い舗装部分は旧青梅街道。瑞穂町の中心部のここ箱根ヶ崎は、八王子から伸びる日光街道の宿場町で、この辺がまさにそうだったらしい。

↓疲れました。八王子からはこれで帰ります、楽チン楽チン。

特急料金を払わないといけないけど。

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124日目 某球団城下町を歩いてみる

2015-08-03 23:59:06 | 南関東
2015年6月13日(土)


私の住んでいる町は千葉市の稲毛(いなげ)。
東京都には我が町とよく似た非常に紛らわしい市があります。それは「稲城(いなぎ)市」。
ラジオの道路交通情報で「中央道は稲城で渋滞○○キロ」なんてのをよく聞きますが、一瞬近所のことかと思ってしまいますし、銀座や新宿でちょいと一杯やって電車がなくなってタクシーに乗り「稲毛まで」と言って寝てしまい、目が覚めたら稲城だった(その逆も)、なんてことがありそう・・・。
そんなある種親近感の沸く稲城市が今回の舞台。

歩き開始はJR南武線・矢野口駅→

↓駅前には稲城市のゆるキャラ「稲城なしのすけ」

何だかアニメっぽいとなあと思っておりましたら、「ヤッターマン」「ガンダム」などを手掛けた稲城在住のメカニックデザイナー大河原邦夫博士と、マルチクリエイター井上ジェット博士によって創られた梨型メカなんだそうです。梨は稲城の特産だったりします。

↓駅近くの「弁天通り」という商店街を南に進んで、京王線のガードを潜り、妙覚禅寺というお寺さんへ。


↓境内の高い所からは、ゴンドラ「スカイシャトル」がえっさほいさと昇り降りしているのが丸見え。


これの行き着く先は・・・→
お子ちゃま達のパラダイス・よみうりランド。

↓お寺さんの脇道をさらに奥に行くと山の斜面に並ぶ墓地が姿を現し、さらにその上に登った所にあるのが「ありがた山の無縁仏の墓石群」。

戦前~戦中期、東京都文京区駒込に放置されていた無縁仏の墓石を、ある慈善団体がここへ担ぎ上げたらしく、その際に「ありがたや、ありがたや」と唱えながら墓石を運んだので、この山名が付いたという。南無南無・・・。

稲城市街を一望→
ただ、ヤブ蚊が大量に襲撃してきたので、早々に退散します。

京王よみうりランド駅へ→

↓この駅前から例のゴンドラが出ています。右は「よみうりランド本社」。

文明の利器なんか大嫌いじゃ、絶対に使わん!という偏屈者頑固者でもご心配なく。
「巨人への道」という階段道(全283段)を登り、読売ジャイアンツ球場前を経ても行けます。
もちろんこの階段を登るとやたら身長がデカくなるワケではありませんので、そこは勘違いなさらぬよう。

↓もう一つ、この「よみうりVロード」を登る方法もあります。

読売ジャイアンツが勝つと、幟が増えていくのですが、今シーズンは増加ペースが鈍化しておられるよう。足元には選手たちの手形もあります。
因みに、球場も遊園地の大部分は川崎市多摩区にあり、また、よみうりランド本社には蹴球の某球団の本社もあったりします。ただ、野球団と比較して全く影の薄い存在。

京王線に沿って八王子方向に歩きます→
さすがゆるキャラにするだけあって、多くの梨園があります。

↓路地ではもはや売り物の体をなしていないこんなものも売られている。

買おうという勇者はいるんでしょうか? ロハでもいいくらい。

(509)東京都稲城市役所
市のHPによると、今年7月1日の人口は87,237人。

↓ペアリー○ード稲城、と見えるので、初めて見た人はどう読むのか困るだろう、きっと。

ペアリーロード商店街といいますが、今度はその意味について悩むだろう、恐らく。
梨(pear・ペア)と、仲良く(ラブリー)を強引にムリクリ組み合わせた名前。

疲労困憊の状態で南武線・稲城長沼駅へ→
稲毛区にも長沼という地名があります。稲毛と稲城、つくづく紛らわしい関係であります。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

124日目 メトロン星人に狙われた街

2015-08-01 23:59:56 | 南関東
2015年6月13日(土)


↓9時すぎにJR南武線・宿河原(しゅくがわら)駅にやって来ました。


↓駅前では「ボク、ドラえもんです」と軽快な格好で出迎えてくれました。カワイイ。

!? この街とドラえもんと何か関係あるの? 

駅から10分程歩くとこういった施設があります→
藤子・F・不二雄ミュージアム。
私がブラブラしているのは川崎市多摩区ですが、藤子氏が亡くなるまで暮らしていたのがここであるという縁で建てられた施設。

↓開館時間の10時に入らんと、すでにすずなりの状態。

チケットは販売されておらず事前に購入し、しかも入館する時間が指定されているという変わった博物館。しかも一日2,000人しか入れないらしい。
私もチケットを事前に買っていますので、これから入りましょうか! なんて子供一人泣かすような意地悪は企んでおりません。でも、小さい頃よく藤子マンガは読んだので、一回は入ってみたいと思っているのも事実。

↓代わりに近くの生田(いくた)緑地へ行き、その中にある「川崎市立日本民家園(\500)」で大人の趣味に走ります。



ここは主に東日本から移築した古民家約20棟が見られます。古民家好きには楽しめる場所。

んっ! ボヤ発生か!?→
これは建物保存のため囲炉裏に火をくべて虫を燻し出しているのですが、そんな煙がモクモクの中で建物内部を見るのは実にツライし、服に匂いが付く。しょうがないけど・・・。

↓岐阜県白川郷よりはるばるやって来た「山下家住宅」


↓ここで気を取り直して、冷やしとろろそば(\700)を戴きます。


志摩地方の演劇舞台の奈落→

次に「明治大学平和教育登戸研究所資料館」へ→
たまたま今年6月2日付けの読売新聞夕刊にこの施設について掲載されていたので、ちょうどいい機会なので来てみました。
ここは大東亜戦争中の旧日本陸軍の秘密兵器を開発していた研究所で、展示されていたのは、よく知られたものでは、実際に使われ僅かながら成果のあったらしい「風船爆弾」、他には生物兵器やらシナ国で使うための偽札など。ただ、写真撮影禁止となっていたので、資料の写真はありません。
そしてキャンパス内にはいくつかの「戦争関連遺跡」を見ることができます。

根岸陸橋で小田急線を跨ぐ→

〔41〕神奈川県川崎市多摩区役所

役所最寄駅の「向ヶ丘遊園駅」へ→
駅名になっている遊園地は、残念ながら平成14年に閉園。
それでも「遊園地」を名乗っているのだから、よほど浸透した駅名なんでしょう。変えたら金もかかるし。
ところで、遊園地跡地には先に触れた「藤子・F・不二雄ミュージアム」が建てられております。

↓上の写真は北口ですが、南口はこういう駅舎(YAHOO画像より、いつ頃のものかは不明)

50年近く前に、この駅の自動販売機でせっせと売られていた物がタバコ。なんだ、ちっとも珍しくもないじゃん、と思いきや・・・。
ところがそれを吸うと人を発狂させ殺し合いをし始めるという効力のある赤い結晶体が仕込まれた、とんでもないシロモノ。

↓売っていたのは、有名なこのシーンで右に座っている人(YAHOO画像より)

ただ、ヤツはウルトラセブンによってやっつけられたし、今では自販機も無くなっているから安心安心・・・。
でも、ひょっとしたら危険ドラッグが超進化して、似たようなものが出来てしまうかもしれないからそう呑気な事も言ってられないけど。
因みにこれが撮影されたボロアパートは川崎市川崎区浜町という所らしいです。

またまた歩いて登戸駅へ→
「登戸」という地名を読ませた時に、「のぶと」と読んでしまう人がいればそれは間違いなく千葉市民或いは千葉市出身者。
千葉駅近くにそういう地名がありますし、京成電車にも「西登戸(にしのぶと)」という駅がありますから。
しかも平成の大合併により、難読地名の横綱的存在として有名になった(?)同じ千葉県・匝瑳(そうさ)市にも「登戸(のぶと)」があったりする。
いずれにせよ、「のぼりと」と違う読み方をした人がいても夢々バカにしないでね、特に川崎にお住まいの方!

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