ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

35日目 大晦日の愛媛 その2~いよてつ沿線

2013-01-28 23:46:42 | 北四国
2012年12月31日(月)


午前中は伊予鉄道沿線の3市町を訪問します。

↓伊予鉄道・松山市駅とその駅前

駅ビルに高島屋が入っています。
松山市駅は、かつては「松山」駅と名乗っていましたが、今のJR予讃線が昭和の初めに松山まで開業した際にそちらに出来た駅に「松山」を取られ、しぶしぶ今の名前に変えざるを得なかった悲劇の駅。
予讃線は当時は鉄道省が運営していたので、所詮民間会社は国には勝てず、国の絶対的権力をまざまざと見せ付ける結果となりました。
それを糧にか、市の中心街に近い立地を生かして、四国の駅では最多の利用客数を誇っています。

横河原行き電車→

私が乗ろうとしているのは、山の方に向かう路線ですが、この逆方向(海へ行く方向・高浜線といいます)を行くと、ドラマ「東京ラブストーリー」でリカがカンチへの別れのハンカチを柵に結い付けた梅津寺駅があります。
この高浜線においても伊予鉄道は駅名剥奪に続いて更なる悲劇に見舞われます。
予讃線は終戦間近に、それまで寸断していた部分を一気に開通させ宇和島まで延伸したのですが、敷くレールがないということで、当時複線だった高浜線のレールの片方を剥ぎ取って、そちらに充ててしまったといいます。

約30分乗って、見奈良駅で降ります。

(182)愛媛県東温(とうおん)市役所
平成の大合併でできた市です。

↓市役所前の通り
  

見奈良から2つ行くとこの路線の終点である横河原駅なので、折角ですので行ってみます。

↓横河原駅→
 
かなり古くてローカルチックな駅です。

再び松山市駅に戻り、郡中線に乗り換えて、松前(まさき)駅に行きます。

松前駅→
こちらも負けず劣らず古い駅

↓駅舎の中と構内
 

↓(183)愛媛県伊予郡松前町役場


↓役場前の通り
 

松前から7分電車に乗ると終点の郡中港(ぐんちゅうこう)に着きます。

↓郡中港駅




駅前の商業施設→

(184)愛媛県伊予市役所

市役所そばの交差点(左に市役所)→
郡中港駅方向→

まぁ、いつもに増してパッとしない午前になりましたね・・・

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35日目 大晦日の愛媛 その1~松山

2013-01-26 01:05:08 | 北四国
2012年12月31日(月)


いよいよ2012年も本日で終わりです。
振り返りますと相変わらずあちらこちらをフラフラしていた一年でした。
というか、他に思い出せるものがない!
多分2013年もそうなるんだろうな、きっと。
ただ、大晦日を故郷で過ごすので、終わり良ければ全て良し!という事にする。


今日の目覚し薬も昨日と同じく早朝散歩です。

朝の一番町通り→

大街道→
この先でつながっている銀天街とともに四国随一の繁華街(だと私は思っている)。

大街道交差点→
奥に続いている通りはロープウェイ街。

三越のライオン像→
朝のせいか、寝起きで、あくびをしているように見える。

松山中学校跡の碑→
松山は夏目漱石の「坊ちゃん」で売り出していますが、当の漱石本人は松山がかなり嫌いであったらしいというのは、なんとも皮肉なもんです。

(181)愛媛県松山市役所
人口約52万人、四国最大の数です。

↓市役所前、お堀のそばにある八股榎(やつまたえのき)大明神


↓お堀



愛媛県庁

県庁の背後に山がありまして、城山(標高131メートル)といい(正しくは勝山という)、その名の通り、山頂には松山城があります。
普通はロープウェイを使って登るのですが、この時間は営業していないので尾道の時と同じく、自分の足で登ることにします。

↓県庁わきの道とその奥にある案内板


さて、腹は減っているけど気合を入れて行くとするか・・・(と、乗り気は今一つ)。

↓この壁の向こうには「二之丸史跡庭園」があります


きっつい坂→
尾道の坂より遥かにきついぞ、こりゃ(来るの、やめれば良かったか・・・)。

↓俳句記載所と正岡子規が詠んだ俳句の石碑

俳句の町・松山の至るところにあるポスト。
「松山や 萩より高き 天守閣」とありますが、松山の人は「春や昔 十五万石の 城下かな」という句が一番好きそうな感じです。

もうちょっとだ!→

↓やれやれ、ようやく山頂に来ました→

日本三大平山城の一つ、天守閣は江戸時代の頃からのものです。
ポツンと突っ立っている人形はお城のマスコットキャラクター「よしあきくん」。
初代藩主、加藤嘉明に因んで名付けられました。

お城には中学卒業の頃に来て以来、ゥン年ぶりです。
例によって営業時間にないので、天守閣に行けません。

ここも福山城と同じく、その時に天守閣まで登ったと思っているんですが、相変わらず全然記憶がないです・・・
その時の日記も写真もないので、真実は全くの不明です。
従兄弟と来たんだけど、従兄弟もきっと覚えていないだろうなぁ。

↓本丸広場から見た眺め




↓帰りはロープウェイに沿って降ります


東雲(しののめ)神社入口→

早朝登山は終了!→

秋山兄弟生誕地→
今や全国的な知名度となったので、説明は省略!

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34日目 しまなみ海道 その4~今治

2013-01-22 23:57:42 | 北四国
2012年12月30日(日)


四国本土に上陸です。

↓今治(いまばり)港ターミナルビルとその前



今治で真っ先に思い出すのは、私が小さい頃に母と妹・祖父・親戚と、車で分乗して今治の唐子浜(からこはま)という海水浴場に行ったその途中での事です。
私は祖父の運転する車に乗っていたのですが、唐子浜到着目前で信号待ちしていて発進しようとした時、祖父がギアチェンジミスしたらしく、急に車がバックしだしてよそ様の後ろの車に当ててしまって大変だったということがありました。

愛媛県民でしか分からない話で恐縮ですが、私はもうちょっと香川県寄りに位置している新居浜(にいはま)生まれで、これまでは町の規模といい、人口の数といい、今治とはいいライバルだと思っていました。
ところが、平成の大合併で新居浜は今治に人口で大差を付けられたのみならず、今治はゆるキャラ「バリィさん」が2012年のグランプリで優勝するわ、同じ年のB-1グランプリではご当地グルメ「焼豚玉子飯」が3位になるわ、おまけに焼き鳥・タオルも徐々に有名になるわ、他にも色々あるけど、今や完全に今治の勢いに新居浜は白旗状態です。
新居浜にも頑張って欲しいんですが・・・


まずは、今治城に行きます。

今治城→
堀は海とつながっているので、海水です。

入口→
 
鉄御門(くろがねごもん)→

藤堂高虎の像→
築城の名人と誉れ高い人です。

お城の案内図→

お正月の準備は万全→

↓ガイドブックには無休となっていますが、年末年始は例外のようで・・・

がっかりする人、多数。
天守閣は1980年に再建されたもの。

↓城内には吹揚(ふきあげ)神社があります


↓山里櫓(左)のある方からお城を出ます


↓飲み屋街



↓こんなもんいつまでも出してんな!


さて、時間にして15時近くですが、上島町で我慢してまでありついた遅い昼食です。
お昼はこれ→
「焼豚玉子飯」。
これの有名店は「重松飯店」と「白楽天」らしいのですが、市役所へ行く途中に「白楽天」があるので、そこに入ります(開いていてよかった)。今までこれを食べたことがなく、やっと念願が叶いました。
さて、肝心のお味はというと・・・
甘いっ!想像していた味とはかなり違ってた・・・
正直すぐにまた食べたいという気にはならないなー(何年後か今治に来る事があれば、その時は分からないけれど)。
少しガッカリしてお店を出る。

白楽天の店舗→

「バリィさん」優勝祝いの垂れ幕→

↓アーケード街


活気が感じられません・・・

が、しかし、そこは日本一の海事都市です!

(180)愛媛県今治市役所

本日の宿泊地は松山です。
市役所前からホテル近くまで運んでくれるバスがありますので、それに乗ります。

今治駅→

↓バスの中と車窓



いつの間にかzzzしてしまい、目が覚めたとたん、「坊ちゃん列車」が汽笛を鳴らして通りすぎていく。
あー、道後温泉の近くか・・・
ちなみに道後とは、京都から見て国府より遠くにある地名です。
伊予国の国府は今治なので、松山は遠くという事になります。
西条という京都から見て今治の手前にある市があるのですが、この辺りの平野を道前平野と呼びます。

下車したバス停→

一番町通り(国道11号線)→

私が生まれた新居浜近辺は勿論ですが、松山にも親戚がいます(私の実家は千葉です)。
私が親戚連中に愛媛に行くと言うと、必ず「寄らんかい」と言うでしょう。
そうなりますと、今回の旅は私の好きなようにできなくなる可能性があるので全く知らせていません。
なので、ホテル泊まりです。

夜は道後温泉で一風呂浴びようかと思っていましたが、雨降りで行く気が完全に削がれました。
電車ですぐなのですが、今日はどこも出歩きません、ホテルに籠ります。

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34日目 しまなみ海道 その3~愛媛上島から来島海峡へ

2013-01-21 00:15:14 | 北四国
2012年12月30日(日)


弓削島に上陸しました→
生まれ故郷の愛媛に帰って参りました!といっても四国本土ではないので、愛媛に来た実感が全然ないですけどね・・・

↓「かみじまちょう・ゆげ海の駅」として登録されている弓削港のフェリーターミナル


まずは、いつものごとく役場に行きます。

海に沿って歩きます→

石灰山→
高さは210メートル。その名の通り、昔、石灰を採掘していたそうです。

弓削汽船の会社事務所→
弓削汽船は因島から乗ってきた船を運航している会社です。

↓(179)愛媛県越智(おち)郡上島(かみじま)町役場

正直これにはガッカリしました。
よりによって、シートに覆い尽くされているとは・・・
そもそも役所・役場へ行く事には、市区町村に行ったという証し以外あまり意味はなく、わざわざ面倒な思いをして役所・役場へ行く真の目的が駅などからそこへ行く途中で町を眺めることにあるとはいえ、これはこれでカンベンしてくれって感じです。
本来の姿がわかりませんが、でもそれを見るために再度ここに来ることはないでしょう、きっと。

せめて入口の写真を・・・→
建物の反対側の入口→
平成16年に、弓削町・生名村・岩城村・魚島村が合併して成立した町です。
人口は7千人あまり。

↓裏通り
←役場の真ん前にある古民家



相変わらずの雨で散策する気が全く上向かないので、さっさとフェリーターミナルに戻り、ボーッと過ごします。
本当は靴が水でしみて、足がグチュグチュ気持ち悪かったので(いつの間にか水溜りに足を突っ込んだらしい)、暖かい所で少しでも乾かしたかったのが真相なんですが。
ちょうどお昼時、「海鮮大黒丸」といういかにもおいしそうな屋号のお店が港にありますが、これから行く今治(いまばり)で食べたいものがありまして、ガマン・・・
尤も開いているかどうかは分かりませんが。

今度乗る船は芸予汽船の今治行き快速船、弓削発12時45分出航です。

生名橋をくぐる→
佐島港→
岩城港→
岩城島と赤穂根島をバックに→
↓進行方向左の相当向こうに見える島(島の名前はわからん)

↓伯方(はかた)島の港に近づくと造船所や停泊中の大型船が見えます


伯方の木浦(きのうら)港→
「伯方の塩」の島です。
この後は今治まで寄港しません。

進行方向右手の大島・友浦港は通過→
左手側→
何ていう島名でしょう?(笑)

大島から見えた潮流情報のサイン→
「N」→「2」→「↑」の順で変わっていました。
潮の流れ「北向き」、流速2ノット、これからさらに潮流が速くなる、という意味らしいです。

来島(くるしま)海峡大橋が見えました→
真ん中の島は馬島。
来島海峡は日本三大急潮の一つ(他は、鳴門海峡と関門海峡)で、難所中の難所。
↓確かにこの海峡に入ると船の揺れが上下に、バシャバシャと波しぶきも大きくなりました。


今治港に入る目前です→

室町~戦国時代、かの有名な村上水軍がやりたい放題の跳梁跋扈していたしまなみ海道の旅も終わろうとしています。
くどいようですが、雨が非常に残念です。
ここは初めて通っただけにね、余計・・・

今治港のターミナルビル→

↓おつかれさん!



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34日目 しまなみ海道 その2~因島

2013-01-18 00:15:42 | 山陽
2012年12月30日(日)


尾道駅前から9時55分発因島(いんのしま)行き本四バスに乗ります。

車窓から→
対岸は向島。橋は尾道大橋です。
手前の方は「新尾道大橋」、奥は「尾道大橋」。

尾道大橋からの眺め→

↓向島の国道317号線を走り、向島ICから西瀬戸自動車道に入ります。

自動車道ではシートベルト着用が義務付けられています。
そういうアナウンスですが、ベルトの差込口を探せども、どこかわからん。
目印とか案内書きとか全くないので、これは不親切なバス会社が悪いんだということにして、着用を無視する。

↓因島大橋を渡り、因島に入ります。

このあたりの海を布刈瀬戸(めかりせと)といいます。
と、言ってもボヤけた感じで、本来なら美しいであろう眺めが雨天で台無しです。

因島北ICで西瀬戸自動車道を降りたバスは再び一般道を走行します。

生口(いくち)島と生口橋→

鶴島だったかな→
奥は生名(いきな)島の立石山(だと思う)

終点の土生(はぶ)港前バス停で下車→
バスが去っていった後の通り→
右のビルは土生港旅客ターミナル

その逆方向→
因島は今でこそ尾道市ですが、合併で呑み込まれる前は因島一つで因島市でした。

恒例の街の散策です。
↓裏通りっぽい商店街を歩きます。







寂びれた感じですが、通行人はそこそこいました。

↓土生港長崎桟橋の待合所が入っている駐車場ビル


土生港長崎桟橋→
目の前の島は生名島。愛媛県です。

向こう岸の港、ここから青い船で僅か3分→

↓ビルの中を覗いてみましょう。
←待合所
←左は売店

昭和40~50年代の薫りがプンプンする場末のような飲食店の並び。
さぞかし賑やかだったことだろうことが容易に想像できる雰囲気のある廃れっぷり。
これを見て妙に興奮した私でありました・・・

さて、私の乗る船は生名島行きではありません。

やってきました→
弓削(ゆげ)島行きの船→
これから15分の航海です。

出港しました→
土生港からたった一人ぼっちの船旅です。
暮れの帰省シーズンにこれは少し寂しすぎやしないか?と思いましたが、よくよく考えたら当たり前で、生名島から橋を通じて弓削島まで繋がっています。
となると、やはりほとんどの人は車を使うでしょう。

↓進行方向右手、生名橋。左は佐島、右は生名島

↓左手は弓削島




弓削島に徐々に接近します。

弓削港に着きました→
時間にして11時45分。

「おかえりなさい」と言われてもねぇ・・・
この町の住民ではないんですが、でも、生まれ故郷の愛媛県に「帰ってきた」ことは確かだ。

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34日目 しまなみ海道 その1~尾道

2013-01-15 22:59:50 | 山陽
2012年12月30日(日)


今日の予定は、芸予諸島を伝って四国に渡り、松山まで行きます。


ホテルのチェックアウトは9時半頃を予定しています。
それまでの間、あいにくの雨ですが、尾道市内を少し歩いてみます。

このブログの読者でいてくださっているマツさんによれば、男一人で尾道を観光するのは「オキテ破り」なんだそうですが(笑)。でも、そんなの関係ねぇ!


↓7時頃ですが、まだ真っ暗です

←対岸の島は向島(むかいしま)

↓尾道渡船、向島を結んでいます(船は「にゅうしまなみ」)


(178)広島県尾道市役所

↓アーケード街を歩きます




まだ、深い眠りにあるようです。

千光寺山を望む→
ガード下まで近づいてみます→
ここから線路の下をくぐって、山へと続く階段を登れば尾道観光の目玉である千光寺へ行けます。
普通ならロープウェイを使うべきですが、あいにくこの時間はまだ営業していません。
坂はきつそうだし、おまけに雨も厄介なので、登ろうかどうしようかと迷っていたのですが、とりあえず行けるところまで行ってみようと決めました。

↓さてと、気合を入れて、ドーンと行ってみよう!


隣の住人の息遣いまで聞こえてきそうな狭い路地→

↓登っている階段から脇道にそれると、「おのみち文学の館」があります。
  
「志賀直哉旧居」なのですが、「暗夜行路」の草案がここで練られたといいます。

↓まだまだ続く階段


と、思ったら案外あっさり寺に来てしまいました。
身構えていたにしてはいささか物足りない相手でした。

↓千光寺の境内

←三重岩

←夫婦岩だったか?
当たり前ですが、早朝に加え雨降りなので、私以外、人っ子一人いません。

↓寺からの景色→


↑パノラマ撮影で写してみた

ホテルに戻りたくなってきたので、本堂でお参りだけ済ませて、客殿や鐘楼の方は見向きもせずに、さっさと下に降りてきてしました(本殿を撮影するとバチ当たりかと思い、写していません)。

さっきのガードの所→

尾道城→
お城とは呼ばれているようですが、これは全くの嘘っぱちのお城で、まぁ言ってみればお城風展望台です。
現在は閉鎖されているようです。

↓尾道駅とその周辺




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33日目 年末年始は西へ その5~鞆の浦

2013-01-14 00:08:41 | 山陽
2012年12月29日(土)


降りたのは「鞆の浦(とものうら)」という停留所です。
かねがね来たかった景勝地・鞆の浦、ただ、曇りという天気が恨めしい。

↓鞆の浦の概要はここから引用します。
『広島・鞆の浦 - 日本でもっとも癒される港町 - 【鞆物語】』
「万葉の昔から栄えてきた瀬戸内海の要港・鞆の浦(広島・福山)。広島県福山市の南・沼隈半島の先端に位置するこの町は、「潮待ちの港」として、江戸時代にも大いに栄えた国際商業都市でした。朝鮮通信使や千石船の寄港地として日本経済の要を担ったこの鞆の浦(広島・福山)には、江戸時代から残る常夜燈などの港湾施設や寺社・町家が、見事に保存されています。
また、坂本龍馬がメンバーであった海援隊が借用していた「いろは丸」を鞆の浦沖(広島・福山)で沈没させられたとして賠償金交渉を行った舞台にもなった事で知られています(いろは丸事件 1867年。沈没したいろは丸は1989年に発見され、その後沈没場所が水中遺跡に指定されました)。」

さらに付け加えますと、わが国で最初に指定された国立公園(瀬戸内海国立公園)の一翼を担い、最近では「鞆の浦埋立て架橋計画問題」で話題となり、また映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった場所でもあります。

まぁ、昔の町がそのまま残っているので、とても道は狭いです。
それだけならいいのですが、車も結構走っているので、非常に危険極まりないです。
だから「鞆の浦埋立て架橋計画問題」があるわけなんですが・・・
町並みが昔のままのため、インフラ整備が難しいらしく、帰りのバスの運転手さんが言っていたのですが「この町は上下水道が整備されとらんけん、未だにどこの家も汲み取り式なんよ。」と。
さらに続けて「若いのは出て行ってしもうて、もう年寄りしかおらん。」と嘆いていました。
観光地として注目が行きがちですが、それとは裏腹に難題を抱えた町でもあります。

↓とりあえず、ブラブラしてみます





←鞆の津の商家

高い所からこの町と海を見渡してみたいので、高台にある「鞆の浦歴史民族資料館」に行ってみます(ただし、資料館は御多分に漏れずお休み)。

↓鞆の浦歴史民族資料館(歩きながら撮ったので超ピンボケ・・・)


↓晴れていれば最高なんだろうけどなぁと、重ね重ね曇天が恨めしい



↑パノラマだと、こんな感じ
←晴れていればこのように四国まで見えるらしい・・・

鞆港に行きます→
目の前の階段みたいになっているのは、雁木(がんぎ)。江戸時代からそのままの姿で残っています。
左側の古い建物は「太田家住宅朝宗亭(ちょうそうてい)」。
この裏側に「太田家住宅」の母屋があります。これらは国の重要文化財となっています。
幕末の七卿落ちの際に、彼らはここを宿泊地としました。

とうろどう(常夜燈)→
現存する常夜燈で日本一の高さを誇っています。
このすぐ右に横に、「いろは丸展示館」があるのですが、何故か写真に撮っておらず。。。

渡船場に来ました→
ここから仙酔島(せんすいじま)へ行く船が出ています。
所要時間は5分程度なので行ってみます。

↓「平成いろは丸」と船内



出帆しました→

弁天島→

↓穏やかな海を心地よく進みます



仙酔島着岸目前です→

↓仙酔島の桟橋あたりから見渡す



仙酔島は「仙人も酔ってしまうほど美しい島」という意味だそうですが、今回は曇りに加え、時間ももう暮れようとしています。
その美しさを体感することはできませんでした。
鞆の町も含めて、またいずれ何年後かにゆっくりと観光しなくてはいけません。今日はその時のための下見ですな。

↓帰りの船とバス



さて、今日の宿泊地はここ福山、ではなく、隣の尾道市です。
福山から20分ほどで尾道へ。

尾道駅に到着→
実質1日目はようやく終了です。

夜は瀬戸内の幸を堪能→
シメは勿論、尾道ラーメン→
「尾道ベッチャーらーめん」(¥580)安いし、とってもおいしかった!

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33日目 年末年始は西へ その4~福山

2013-01-12 22:57:18 | 山陽
2012年12月29日(土)


府中駅から電車で福山駅へ。
福山駅は福山城のお堀を埋め立てた所にあり、ホームからお城が見えます。


実は先ほど府中市に行く際、福山で乗り換え時間が20分位ありましたので、その僅かな時間を利用してお城を見てしまっていたのです・・・

駅北口を出てお城に向かいます→

今度は登った所から駅を見る→

↓伏見櫓



筋鉄御門→

伏見櫓・筋鉄御門の案内板→

↓かつての福山藩主で老中だった阿部正弘さんがひっそりと佇んでいます



福山城→

私が学生の頃に学芸員資格取得のための博物館実習で福山に来まして宿泊もしています。
これまでその時にお城に行っていないものと思っていました。なぜなら、外から見た記憶も、お城の中に入った記憶もないし、写真1枚すら残っていない・・・
当時私は日記をつけていまして、どうだったかな?と、この旅からの帰宅後、押入れに眠っている日記を引っ張り出し、その日の記述を見てみました。
すると、バスでの移動中に見ているわ、泊まったホテルはお城のすぐ近くだったわ、驚いたのはちゃんとお城の中に入って天守閣まで登っており、しっかりとした筆致で「市内を一望」と書いていました(汗)。
何せ、相当昔の事ですので・・・

博物館実習ではこの近くにある広島県立歴史博物館を見学したのですが(こちらの記憶はきっちり残っています)、そこでは中世の幻の町、草戸千軒(くさどせんげん)をメインテーマで展示していまして、今回また見学したかったのですが、あいにく年末年始で休館。来る時期悪すぎる・・・
同じ福山の松永地区には世界で唯一の履物をテーマにしたその名もズバリ「日本はきもの博物館」という博物館もあります。


~以下、再び戻ってきた福山駅~

↓福山駅のホームから見た駅前通りと南口



五浦釣人像→

↓駅前に残る福山城の遺構



↓駅周辺の通り




元町通りアーケード→

広島県第2の人口(約46万人弱)を擁する福山市ですが、駅周辺の人通りとしては今一つ。
まぁ、年末という特殊な時期に来ましたので、普段はもっと賑わっているんでしょうけど。

(177)広島県福山市役所

駅に戻ってきた私は、市内某所に行くため、バスに乗ります。

バスの車中→

芦田川→

↓海が見えてきました



ここで降ります→

目の前ではカモメが飛び交っています→

続きは次回に。


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33日目 年末年始は西へ その3~府中

2013-01-11 23:34:06 | 山陽
2012年12月29日(土)


府中市に来ました。

おや?さっきまで岡山にいたのに、いきなり東京ですか?!
と、お思いの方もおられるかも知れません。

笠岡市の後はさらに西に向かい、広島県福山で福塩線というJR線に乗り換え、西北に進路を変えてやってきたのがこの広島県府中市です。


話しは突然脱線しますが、昔、日本に国が置かれていた時代の事、その国の中心となる役所が置かれ、それを国衙(こくが)といいました。今でいう都道府県庁みたいなものです。
国衙のあった場所を国府(こくふ)といいます。

その国府が地名として現在まで続いている例が全国にたくさんあります(「こう」と呼ばれる場合もあります)。
国府という呼び名以外には府中という地名で残っている場合もありまして、まさに今私がいるこの広島県府中市は備後(びんご)国の国府だったわけです。
東京の府中は武蔵国の国府があったということになります。
ちなみに同じ広島県には広島市にすっぽりと囲まれた府中町というのがあります。こちらは安芸国の国府です。
さらに、国府の近くには国分寺・総社といった寺社も置かれたのですが、それらの地名もまた全国に多いです。

長らく府中市は日本に2箇所存在していて、同じ市名の組み合わせは唯一これしかなかったのですが、平成18年に福島県に伊達市が誕生し、すでにあった北海道伊達市とのペアで2例目ができました。
あ、そうそう、東京の府中市は6月17日に早々と訪問を済ませております。

↓府中駅と駅前



↓いきなり廃墟に近いビルとシャッター商店街がお出迎え


1時間、この町では時間が取れましたので、ゆっくり散策してみます。

↓人が入っているのかどうなのか分からない薄気味悪いアパート


←覗き込んでみます

取り壊し中の病院→

↓踏み切りを渡ります
←駅の方向
←その逆側
架線はここで終了しています。
JR福塩線は福山駅と広島県三次(みよし)市の塩町駅を結んでいる路線ですが、電化されているのは福山と府中の間で、残りは非電化の区間となっています。

↓なかなか立派な古民家(庭は草ボーボー)


国道486号線(福山方向)→

(176)広島県府中市役所
やたら駐車場の広い役所でした。

たまたま見つけた備後国府址の碑→

↓芦田川
←下流方向

府川新橋→
高さ制限1.8メートル。当然ですが、それ以上の身長の人はダメって事ではないです。

橋から上流方向を見る→

天満屋に入って少し休憩→
得てしてこういった地方都市の町中にある大型店舗は客がいなくてひっそりとしている場合が多いのですが、このお店は案外客が来ていて、賑わっていました。
やはり正月に備えての買出しのためでしょう。

駅に戻りまして、福山に引き返します。


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33日目 年末年始は西へ その2~岡山井笠地域

2013-01-09 23:52:37 | 山陽
2012年12月29日(土)


↓小田原駅にやってきた、「ムーンライトながら」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓早朝6時少し前、「ムーンライトながら」は大垣駅に到着

駅では例のごとく「大垣ダッシュ」が始まります。
要は次に乗る電車に座ろうと隣のホームまで運動会さながら全力で駆けていくのです。
まぁ、見ていて非常に滑稽で浅ましい光景です。
それに座れないと数時間立ち通しとなるのならともかく、米原まで行けばだいたい座れるんだし、それまでの30分を我慢すればいいだけの事ではないか。
私は端から座ろうという気はさらさらないので、周りがドタバタ走るのを尻目に悠然と歩きます。

大垣から乗った電車→

米原では新快速電車に乗り換えますが、やはり余裕で座れました。

琵琶湖→

大阪を過ぎたあたりから、帰省客で次第に混んで来ました。
新快速で兵庫県の相生駅まで行き、そこで岡山行きに乗り継ぎます。
ずっと座っていると腰に悪いので、混んでいたのもありますが、岡山まで1時間ほど立ちます。

外はモヤがかかっています→
岡山駅に着きました。

さらに西へ行く左の黄色い電車に乗ります→
右の行列は山陰へ行く特別急行電車に乗ろうと並んでいる人達。

乗った電車も混んでいまして、30数分間立ち通しのまま、やっと11時半頃目的の駅に来ました。あきれるかもしれませんが、小田原から11時間も電車に乗り詰め状態だった訳です・・・今日に限っては私もいい加減電車は乗り飽きました。

鴨方駅→

↓(173)岡山県浅口(あさくち)市役所

金光教の本拠地の町です。

役所からの風景→

↓駅から役所までの通り
←駅方向
←その逆


僅かの滞在の後、隣の駅の里庄駅へ。

里庄駅→

↓(174)岡山県浅口郡里庄(さとしょう)町役場


↓道端にあったお堂と何だかよくわからん石碑


里庄町歴史民族資料館→
開いていないようでしたので、建物だけ見て終わり。


次の下車もその隣の笠岡駅→

ホームに飾ってあるカブトガニ→
笠岡駅のある笠岡市はカブトガニの生息地で、カブトガニ博物館というのもあります。

↓駅前の時計台



↓駅前通りと商店街




(175)岡山県笠岡市役所

↓役所の前にある「笠岡代官所跡」と「小田県庁跡」



時間にして13時少し前です。
淡々とこなした3市町でした・・・

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行ったところ

32日目 年末年始は西へ その1

2013-01-07 22:27:27 | 南関東
2012年12月28日(金)


この年末年始は数少ない長期間の休暇が取れますので、普段はなかなか行けない遠い所へ行こうと思います。
果たして北か、それとも西か。やっぱり寒いのはイヤなので必然西になります。


今回も「青春18きっぷ」を使います、勿論乗る列車は「ムーンライトながら」。
小田原までは私鉄などを乗り継いで行きます。

夕方に発生した四ッ谷駅での人身事故によって中央・総武緩行線はダイヤが狂っているらしいので、少し早めに稲毛を出ます。


↓稲毛駅発20時44分の快速電車に乗ります

駅に行ったらすぐに電車がやって来て、慌てて撮影したのでピンボケしています。

↓船橋駅で各駅停車に乗り換えます


西船橋で地下鉄東西線に→
ホームに着いたとたん発車しそうでしたので、これまた慌てた撮影で失敗。

↓大手町駅で千代田線に乗り換えます。


代々木上原からは小田急ですが、例年ならいつもギューギュー詰めのところ、何故か今年はあまり乗っていなかったので、楽な移動。

↓小田原駅に到着


↓この日の小田原は雨脚が強かったです。


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