ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

166日目 企業城下町・日立市へ

2017-03-20 23:45:46 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


※予めお断りしておきますが、写真は当日・翌日撮影分でゴチャ混ぜとなってます。

↓「この~木何の木、気になる木」とはよく知られたCMですが、その木があるという噂の・・・ウソです、そのCMを世に送り出した企業の創業地である日立市に降り立ちました。

その企業とは市名の字面から分かるでしょう、国内最大の電気機器メーカー日立製作所。

↓ですので駅前に出ると、日立製作所から寄贈されたというでっかい「タービン動翼」のモニュメントがイヤでも目に飛び込んできます。

そんなシンボル的タービンですが、これを恥ずかしがっている日立市民が少なからずいるやに聞きます。
意外ですな。なんでだろう?

日立市観光はのっけから駅にて始まります。
↓1番線(駅だけに)、「SEA BIRDS CAFE」(正面右側のスペース)。

「日立駅絶景天空カフェ」が謳い文句の喫茶店。
優雅にここで天空気分を味わいながら絶景を堪能するのもオツなのですが、時すでに16時近く。
お茶をすると晩酌がマズくなりそうなのでやめます。

2番線、駅通路→
これはたまたまだったのですが、当時は「茨城県北芸術祭」真っ只中で(昨年9月17日から11月20日まで)、駅通路がカラフルに覆われておりました。
なかなか幻想的、見られて超ラッキー(今行っても見ることができませんので悪しからず)。

3番線、この人だかり→
何だろ?と思い、近づくと・・・。

見た目フツーの望遠鏡→
何でこんなものに人が群がるのか意味不明でしたが、翌朝駅に来てみたら誰~もいなかったので覗いてみる。

 ナニナニ?! 上から腕がニョキッーと伸びてきたゾ!!→
てっきり望遠鏡だと思っていた物は「風景幻灯機」といって、海を背景に色々な映像が流れてくる装置。
もう半年も前の事なので何を見たのか忘れましたが、伸びてきた腕は何かを海から拾い上げていたような気がする。

他にこんな催しがあったりと、日立市はイベント三昧→

駅前にはナント!お台場某テレビ屋さんがあったりする!!→
とは、ガセネタですんで・・・。
これは「日立シビックセンター」という、プラネタリウムがあったり科学館があったりする多目的施設。
丸い部分がプラネタリウムで、天球劇場と呼ばれています。
何だパクリかよ、などと決して思わないで下さい。こちらの方が先輩建物なのですから。
街巡りを優先するので、中を見る時間を確保できませんでした。ここも今度リベンジじゃ。

この日の宿泊は駅前の某ホテルチェーン店。
↓ホテルの窓から(市街地の北方向)は「日立セメント」の工場が目を引きます。

特に左の建物は夜には輝いてキレイだったので、窓から撮影を試みましたがうまくいかず(私の持っているデジカメがショボすぎた)。
なお、このセメント屋さんは日立製作所とは何ら関係ないようです。

こちら「かねみ公園」の遊園地→
特におすすめは「ジェットコースター」なんだそうです。
何でも設備が古い上に、山の急斜面に沿って造られているので角度が急で、お墓の中に突っ込みそうな感じになったりと、かなりのスリルを味わえるのだと。
動物園もあったりします。

市内散策に出ます。
駅前から伸びる、だだっ広い「平和通り」→
ただ、人車ともに極めて少なく持て余し気味。

↓駅を背にして「平和通り」をひたすら歩くと、国道6号線に突き当ります。

こちらは逆に、人はともかく、片側一車線で捌くのはちと辛すぎる位の車の量。
うまくいかないもんだ。

↓北方向へ歩を進めると、一部字が消えかかり、「平」が消えた?元々ない?こんな看板があります。

助川とは日立の市街地の古い地名で、駅も助川と呼ばれていたそうな。
随分昔から助川本陣の復元を声高にしているけど、賛同を得られていない様子。

その左隣には、同じ方が訴える実に哀しき看板→
日本創成会議発表「消滅可能性都市」との中に確かに日立市は入っていますし・・・。
今回初めて日立駅に降りたのですが、正直、駅前は寂れた感があるのにビックリしたのも事実。
減っているとは言え約20万人を抱える市なので、勝手にかなりの都会だと思っていましたんで。

(625)茨城県日立市役所
現在新庁舎を建設中で、来年度供用予定。

かつては茨城県でも1位の人口数を誇っていましたが、今では3位に滑り落ちてしまっております。
日立製作所はバブル期には約8万人いた従業員が現在は37.000人余りで、かなりのリストラをしたのが祟ったんでしょうかね?

昭和14(1939)年に助川町+日立町で今の日立市は成立したのですが、その日立町とは明治22(1889)年に「宮田村・滑川村」が合併して成立した日立村の後身。
ところで、日立製作所は大正9(1920)年に日立鉱山から独立した企業。
その日立鉱山は明治38年に創設されたので、実は「日立」は鉱山や製作所から起因する地名ではない。
では、日立地名の由来は?

名付け親は茨城県とは切っても切れないあの超有名人
さすがに全国を廻ったというのはウソっぱちですが、領内視察には熱心だった黄門様はこの地に来ての一言「この村は朝日が立ち昇るが如く繁栄するだろう」、これが由来だとか(本当に言ったかどうかの真偽の程は知りませんが)。
確かに大当たり。でも昇った太陽はやがては沈みます。日立市は今はそんな状況になりつつあるのだろうか。

因みに私の生まれた愛媛県新居浜市も鉱山が元に発展した住友の企業城下町。
そういう意味では個人的にはどこか親近感の湧く町なんですけどね~。廃れた感じも似てますし。

↓見た目明らかに苦しそうな昔からの商店街。
 

↓30年前には「いきいきとした楽しい街並み」で、賞を受けているのだけど・・・。

今の様子をその当時の誰が予想できただろう。

↓まだまだ人で賑わう日立シビックセンター前の新都市広場辺りに戻って参りました。


↓スーパーでダラダラと酒つまみを物色している間に、一気に夜の帳が下りてしまいました。

そして人も一気にいなくなってしまい、急に寂しくなった新都市広場です。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

166日目 徳川御三家城下町と原子力城下町

2017-03-19 01:07:10 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


水戸にはまだしつこく纏わりつきます。

あまりそんな雰囲気を感じさせないのだけど、水戸はれっきとした城下町。
最後は水戸城址を廻って終わりにします。

三の丸西側の空堀→
水戸城は鎌倉時代の初期に築かれ、豊臣秀吉の天下統一直後には佐竹氏54万石の城下町となるも、江戸時代になるとご存知徳川御三家・水戸家が治める。

↓三の丸に入りますと正面に立派な建物がありますが、これは昭和5(1930)年に建てられた茨城県庁の旧本庁舎。

今の本庁舎はやたら離れた地に移転してしまっていて、駅から遠い県庁としては、恐らくぶっちぎりで日本一でしょう。

対照的に、三の丸敷地の片隅に借りてきたネコのように佇むは水戸市役所の臨時庁舎。
(623)茨城県水戸市役所
前にも触れましたが、本庁舎は解体されていて各部署があちこちに分散されております。
となるとどこでもいいのですが、この建物を以て水戸市クリアとします。

かつては議事堂だっという「茨城県立図書館」→
愛媛の田舎の我が一族郎党のお墓に「常陸国・6万石の某城主○○豊前守を元祖とし、江戸時代初期に当地に移り住んだ」という碑文が書かれているので、その確証を得るべくこの図書館で郷土史を片っ端から調べたことがありました。
ま、はなっからその伝承は信じちゃあいませんでしたけどね(一族皆もそうだと思う)、結果もお察しのとおりでございます。

弘道館正門→
弘道館とは、第9代藩主徳川斉昭が天保12(1841)年に設立した藩校で、全国の数あるそれらのうちでも最大規模のもの。
ただ、その中には以前入った事もあって今回は入りません。

弘道館への道すがらにある、復元された「八卦堂」→
ここには建学の精神の象徴である弘道館記碑を納められているのですが、戦災で本堂が焼け落ちてしまったにもかかわらず、碑だけは(気合いで?)守りぬいたのだと。

二の丸へ。
水戸市立第二中学校門脇に建つ「大日本史編纂之地碑」→
偕楽園には「完成の碑」があったけど、途中で編纂場所を変えたってこと?

本城橋→
橋の下は空堀を走るJR水郡線。
向こう側はが本丸跡で水戸第一高校があって、その敷地には水戸城唯一の建築遺構である「薬医門」があるのですが、見忘れた!

坂を下りてくると、黄門様が生まれし「義公生誕之地」があります→

ようやく水戸駅に戻って参りました→

↓水戸駅北口のペデストリアンデッキから眺める「黄門さん通り」でございます。

多大な時間と労力をかけて廻った水戸市ですが、それだけの価値のある町だったというのが私の感想です。実に楽しい街でした。

電車に乗って、東海駅で下車→
東海村という自治体にある駅ですが、「東海」というと日本では愛知県あたりがイメージされるので何だか違和感を覚える。
当たり前ですが、「日本海ではないニダ、東海ニダ」とイチャモンを付けている某半島国家式の読み方でもない。
村名の由来は、水戸藩士・藤田東湖が詠んだ『正気の歌』にある「卓立す東海の浜」から。

それよりもここは何と言っても、昭和32(1957)年に「日本で最初に原子力の火が灯った村」。
そして「東海村」は世界的に知られた地名なんだとか(某事故があったからかな?)。

ただ、村で特に見たいものはなし。
沿岸部に行けば、名所案内にあるとおりのものがあったりするのだけど、なにぶん遠すぎ。
なので、駅周辺をぶらついてここは終わり。

山側の駅舎→

海側の駅前→

村役場近くの「原研通り」→
他にも「原電通り」「動燃通り」があったりと原子力押しはかなりのもの。

↓それはそうでしょう、役場にあったこれらを見る限り、村は原子力と一蓮托生だと宣言したのだから。
 
でもその揺るぎない思いは平成23年3月11日までで、ここから僅か北100kmの所で起こった事態に、現村長さんは考えを変えたみたいです。

(624)茨城県那珂郡東海村(むら)役場
村にしてはダブつきすぎの人口約38,000人。
おまけに財政力指数は、平成26年時点で全国第10位を誇る超リッチな村。

↓7人で構成される、村のマスコットキャラクター「イモゾーファミリー」の一員である「イモゾー」です。


 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

166日目 歩いてゆくんだ水戸漫遊記(2)

2017-03-15 23:55:24 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


水戸市散策はなおも続きます。
常磐神社→
水戸の誇る偉人お二方を祀るために、明治初期に偕楽園内に創立された祠堂に由来する神さま。
その偉人とは水戸藩第2代藩主・光圀公(黄門様です)と第9代藩主斉昭公。

↓んで、境内には義烈館(ぎれつかん)というのがあります。

光圀公が義公、斉昭公が烈公と呼ばれていることから名づけられた博物館で、両公の遺品などが展示されております。
入ってみましたが(入館料¥300)、残念ながら中の撮影は禁止。

少し離れたお寺さんに鎮座する「水戸大観音」→
お庭を見て、神社に行って、観音様を仰いで心穏やかに水戸を廻るハズなのに、あっという間にそれは吹っ飛び、次第に気持ちが昂ぶってまいりました。

↓これのせいじゃ。
 
建物の形といい、ツタに覆いつくされんばかりのサマといい、なにやら香しいニオイを醸し出ております。

名園・偕楽園から歩いてもそんなに遠くないこの場所ですが、近くにはしっかりと夜のお遊びどころ(真昼間でも営業してはおりますが)、まさに快楽園が用意されているのは、さすがは水戸。

↓ツタの廃墟の向こう側にはこんな感じの怪しい風俗街があります。

名誉のために行っておきますが、私はここは歩いて写真を撮っただけですので。

そしてこの風俗街にはその手のマニアに超有名な建物があります。
威風堂々、お城っぽい建物がそれ→
クイーンの絵がやたら目立つ別名・トランプ城。
だからと言って、某国大統領の極秘別荘というワケではありません

元々は「クイーンシャトー」と呼ばれた「お風呂屋さん」で、なんでも8億円もの巨額をかけて昭和55(1980)年にオープンしたものの、昭和62年頃に敢えなくドボンしてしまったようです。
以前は侵入できたみたいですが、勝手に入る輩が相次ぎボヤ騒ぎなどもあって、今では封鎖されていて入れることができません。

外観もそうですが、8000万円のシャンデリアがあったとかでかなりゴージャスでバブルなものでしたが、当時はこんなものを平気で建てたんだから、昔のやることは豪気だよな~と、昭和が懐かしい。

↓木が塀を倒しそうで危なっかしい連れ込み宿らしきも魅力的でござった。


ディープでカオスなお話しはこれまで、真っ当な?水戸散策に戻ります。

「黄門さん通り(国道50号線)」に出てきました→
この通りは水戸駅から伸びる繁華街。
正面の古い建物は、昭和30年代に建てられたという昭和レトロ「泉町會舘」。

↓水戸駅に向かって左手にはクネクネした変な形の塔を見ることができます。

近くへ行ってみましょう。

スネークキューブですな→
水戸芸術館のタワーで、水戸市制100周年を記念して平成2年にオープン、高さも周年に合わせて100m。
勿論上へ行けまして、87mの高さには展望室があるのだという。

再び「黄門さん通り」。
何故か茨城にして「京成」の百貨店→

水戸市のゆるキャラ→
これが置いてある場所から水戸駅に向かって数軒隣りには空きとなったビルがあるのですが、外壁が崩れて非常に危険な状態になっているとの記事がこの旅の1か月前にネットにアップされていました
ですが、このほど行政代執行によって外壁が撤去されるようになったとの事。

↓水戸駅が目の前の東照宮鳥居と参道と奥の寂れた感じの商店街。
 
でもここへ来たのはこれが目的ではなく、鳥居の左にあるタバコ屋さん。
タバコを買いに・・・、ではなく、宝くじを買いに、でもなく、お店にいる人気者に会いに来たのであります。

ですが、お店を覗いてみてもいらっしゃいませぬ。
番をしていたじい様に「今日はいないのですか?」と尋ねると、「平日しかここには来ないよ」。

仕方ないので写真で会った気に・・・→
名物ネコの「ハチ」でございます。眉毛が「八」の字になっているからこの名前なんでしょう。
このニャンコが店頭に登場してからは、ここで買った宝くじが当たっただの、顔を見ていい事があっただのいう人が続出し、「幸福を呼ぶ猫」で知られるネコとして一躍有名になったのです。
せっかく来たというのにな・・・、平日に水戸リベンジせんといかんな。

 

166日目 歩いてゆくんだ水戸漫遊記(1)

2017-03-12 23:59:43 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


雨脚が一段と激しさを増して始まった茨城県都・水戸市訪問です。
↓「出歩きたくないよなー」と、しばしボーゼンと雨を眺める。


さてさて、全国的に知られた水戸ですが、水戸と言えば?
助さん格さんを従えて全国を廻るじい様?→

或いは、臭くてネバネバした私の大嫌いなもの?
 
の2つが鉄板か?

意外にも1世帯当たりの納豆購入額は一昨年までの3年間は日本一ではなかったらしく、だからこんな横断幕なのですが、この呼びかけが功を奏してか、昨年めでたく日本一を奪い返したみたいです。

えっ?、あの女性ユニットも水戸??→
なワケないし。
白黒の石を打ちあうこの遊びは水戸が発祥なんだという。

見所という点では「水戸と言えばコレ」というのがかなり多くありまして、さすがに全てとはいきませんが、できるだけ廻ってみたいと思ってます。

ただ雨が降っていなければレンタサイクルを使うつもりでした。
でも傘をさしてのチャリは危険だし(そもそも違法)、片や歩きで通すと相当の時間と体力を費やします。

雨が止むまで待つか歩くか悩んだ末、後者を選びました(同じ場所に長い時間じっとしていられない私の性格も災いした)。人生楽ありゃ苦もあるさ~♪、と心の中で歌いながら。
果たしてこの選択は吉と出るか凶と出るか?

駅前から南に伸びる通り→

↓ちょっとまっすぐ歩いてから右に折れると、ここも工事中の市役所。

東北地方太平洋沖地震で使用不可となったので解体され、目下機能が分散されております。

↓そして来ましたるは、水戸市民の憩いの場である千波湖(せんばこ)。

「湖」と書きましたが、水深が浅いために実際は「沼」扱いなんだそう。

湖周辺一帯が千波公園となっていて、それと湖を見下ろす感じで隣り合っている有名な「偕楽園(かいらくえん)」を合わせた面積は、都市公園としては世界第2位の広さを誇っているとな。
街中に川があるのも羨ましいですが、こんな大きな水溜まりがあるのも羨ましい。
おまけにでっかい公園もあるのも、涎を出さんばかりに羨ましい。

ところで、うっとうしかった雨は10時頃にはほぼ止みました。
駅で一時間辛抱しさえすれば後はチャリを使えたので、悩ましかった選択は結果的にでございました・・・。

↓千波湖は水鳥たちの憩いの場でもあるよう。
 
人が近くを通ってもちっとも騒ぎません。悠然としたもんです。
平和でいい光景じゃありませんか。

時に高く水が吹き上がります→

JR常磐線の偕楽園駅を跨ぎます(右側が湖)→
この駅は、文字通り偕楽園の最寄り駅なのですが、下り(水戸方面)列車のホームしかなく、毎年行われる「水戸の梅まつり」期間中のみにしか機能しない臨時駅。
上り(東京方面)ホームがない理由として、おまつりの客を市街地に誘導して買い物をしてもらうために地元が設置に猛反対したんだとか。

↓偕楽園へ通じるつづら折りの坂道の途中の、ちょっと引っ込んだ所にある石碑。

かの大作の完成記念の碑にしては、こんな鬱蒼とした中にポツンと置かれた少々寂しい扱い。

史跡名勝・偕楽園→
入場無料なので、当然潜入を試みます。

偕楽園は「衆と偕(とも)に楽しむ場所」として、天保13(1842)年7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭により造られました。
金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園の一つ。

さて、先ほど触れた「水戸の梅まつり」ですが、先月18日より今月いっぱいまで開催されます。行くなら今!
今年で実に121回を数えるそうです。

↓この時は10月でしかも天候悪なので、色彩感は全くよろしくありませぬ。

もう一か月早ければ、萩で綺麗だったようですが。

↓偕楽園の中に好文亭(こうぶんてい)と呼ばれる素朴で、雅な建物がありますので入ってみましょう。

ここはさすがに有料(¥200)。
斉昭公は文人、家臣、領民をここに呼んで詩歌や慰安の会を催していたという。

↓左から桜の間、萩の間、紅葉の間。
  

千波湖が目の前に丸見え→
確かブラタモリだったと思うけど、偕楽園の中に大名庭園に付き物の「池」を作らなかったのは、大きなアレがあるからなんだとか。納得。

 

166日目 秋のぐるっと常磐岩代巡り~石岡

2017-03-08 23:49:45 | 北関東
平成28(2016)年10月9日(日)


予定では中国行きだったのですが、それを9月に繰り上げたので、ぽっかり空いてしまった「秋の乗り放題パス(¥7,710)」発売シーズン。

どこへ行こうか思案した結果(出掛けないという選択肢は毛頭ない)、おおまかに「常磐線→いわき→郡山→東北線→千葉」、こんな感じで廻ることにしました。
被災地もご無沙汰だったというのもありましたし。

稲毛駅4時35分発の総武緩行線初電で出発→

↓西船橋→武蔵野線→新松戸→常磐緩行線で我孫子へ行き、5時42分発の勝田行きに乗り換え。

常磐緩行線に乗っていると、ドア上の画面に「石岡-高浜間で電車とタヌキが衝突して、上り電車が遅延」と表示されている。
シカやイノシシならたまに見るけど、こういう事もあるんだねー。
でも可哀そうに・・・。

6時28分に茨城県石岡市の石岡駅に到着→
これまで天候は曇りだったのですが、着いたとたんに降り始める。
ここでも雨呼び寄せパワーはいかんなく発揮されました。

↓石岡市の「茨城県フラワーパーク」では「秋バラまつり・ダリアまつり」絶賛開催中ですが・・・。

すみません、雨男がやってきたせいで、せっかくの書き入れ時が・・・。

もっと、迷惑かけた(であろう)は、右に立っている二人のおっちゃん。
同じく石岡市の「サミットゴルフクラブ」というゴルフ場ではこの日、「日本プロゴルフシニア選手権大会」の決勝が行われ、その最終日なのですが、おっちゃんはそれの案内人のよう。
雨のせいでギャラリーは減るかも知れないし、そうなるとおっちゃんは暇になる可能性も。
ゴルファー達にしても、絶好のコンディションでやりたかったでしょう、重ね重ね申し訳ないのお。

忠犬がいたのは渋谷駅だけではなかった!→

犬好きな私にとっては、ここに書かれている文章を見ただけで涙の出る思いなのですが、肝心の、何故飼い主と離れ離れになってしまったのかが書かれていません。
でもネットで検索すれば詳しい事は分かりますし、『あした会えるさ―忠犬タローものがたり』という本が出版されているようなので、興味のある方は手に取ってみるのもよし(私は読んでいないけど)。
因みに名前は「タロー」となっていますが、元の飼い主は「コロ」と名付けていたようです。

↓石岡の町が熱気に包まれるのは、これらが町を練り歩く「石岡のおまつり」の時。
 
左・山車、右・幌獅子。
正式には「常陸國總社宮大祭」といい、毎年40万人もの人が訪れるお祭りで、関東三大祭の1つ。
昨年(平成28年)は9月17~19日に催されました。

駅前がゴチャゴチャした感の石岡駅→

↓お祭りの最大の山場は、山車12台・幌獅子30台が大行列をなす、駅前のこの「御幸(みゆき)通り」。

この通りを歩き始めると、誰だかジ~ッと動かずに突っ立っている人がいるゾ・・・(写真左)。
気味悪と思って見たら、なんじゃこりゃ?

いやらしい腰つきのメスのタヌキ→
おまけに抱えているウナギも意味わからんし。

御幸通りを真っすぐ進むと、丁字路になります。
丁の字の-部分に当たる道路は国道355号線で、「中町通り」と呼ばれる商店街。

↓この通りを中心にして、昭和レトロな建物が多く残っております。
 

 
黒壁に瓦屋根の商家、土蔵造りの壁が通常の土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできている商家、洋風デザイン装飾を施した看板建築などなど。

そんな中、江戸末期に建てられた染物屋が異彩を放つ→
昭和4(1929)年に石岡は大火に見舞われたのですが、奇跡的に焼け残ったそれ以前の建物。

↓個人的には、「府中誉」という酒蔵のこの汚れた土蔵が気に入りました。

かつて石岡に常陸国の国府があったので、どうやらそれが酒蔵名の由来のよう。

国道6号線の、常磐線を跨ぐ橋より→
バスが走っている道は、ちょうど10年前に廃止された鹿島鉄道が走っていた所で、今ではバス専用道。

(622)茨城県石岡市役所
庁舎は仮のもので、その奥に古い庁舎があったようです。
1か月前に庁舎建設工事の入札があって、落札者も決まってようやく新庁舎を建設の運びとなりました。

気象庁の地磁気観測所が置かれており、スカイスポーツが盛んで地域でもあります。
そして日本一のダチョウ飼育数を誇る「ダチョウ王国」があり、だからか、ダチョウの肉が隠れた?石岡名物らしいです。
一体どんなお味なんでしょうね?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

117日目 真岡鐵道沿線を巡る旅も終わり 

2015-04-27 23:58:38 | 北関東
2015年4月18日(土)


下車駅・市塙(いちはな)駅ではSLとの行き違い→
動画を撮るのに一所懸命で、大きな汽笛を上げて煙を吹き上げる瞬間を写真としては収め仕損じてしまう。失敬失敬。

駅舎と駅前→

駅前通り→
奥に見える展望台のある山は昔お城があって、今では町民の記念樹として植えられた桜の木約1,000本。
咲いていたらさぞ壮観でござろう。

↓ここもやっぱりガマ、というか滑らかな感じなのでアマガエルぽい。


(487)栃木県芳賀(はが)郡市貝町(いちかいまち)役場
1万2千人程が暮らす町。
それはそうと「いちかい」なんて地名の響きに違和感を覚えるんですけどねぇ(私だけかもしれないけど)。市塙村+赤羽村(他4村あったけどかわいそうに名前を引き継げず)で市羽(いちはね)となり、さらに小貝(こかい)村を加えて市貝なんて無理に地名を作ったからかなぁ? この日通った下館駅のある市は筑西(ちくせい)市ですが、これは変な響きの地名として最たるもの。
昔からある地名はそれなりに自然な響きを持っているし、今の日本人は奇をてらいすぎだと思う。

役場近くの「道の駅サシバの里いちかい」→
昨年4月20日に開業してめでたく一周年を迎えた道の駅。

甘~いイチゴをやたら食べてここの住民は虫歯となり、差し歯にする人が多いようです。

じゃなく、サシバとはタカの一種。

市貝町では特に見るものがないので、次行こ、次!

真岡鐵道の終点・茂木(もてぎ)駅→

駅前→
信号の所で国道123号線が交差しております。

↓交差点を左に見る商店街「もてぎショッピングストリート」

市貝町では商店街と言える程の商店街を全く見なかったので、妙に都会に感じる(笑)。

(488)栃木県芳賀郡茂木町(まち)役場
人口1万3千人あまりの、のんびりとしてほのぼのした雰囲気の漂う山の中の町。

逆川 (さかがわ)という川が市街を流れていて、その川沿いをブラブラ歩いていると・・・。

崩れた喫茶店っぽい建物→
きっと4年前の地震でこうなったんでしょうが、撤去するにも金がかかるし、放置する訳にもいかないし、悩ましい問題ですねえ。後ろの家の人にとってはさぞ気が気じゃないだろうね。

↓こうした古い建物が所々で見られ、いい雰囲気を醸し出しております。




↓国道123号線を南に向かい、桜が綺麗な逆川に沿う遊歩道を歩きます。


↓行き着いた先は「道の駅もてぎ」




また麺モノです→
道の駅内にある十石屋の看板メニュー「ゆず塩らーめん」(\620)。ゆず酢をかけて戴くのが通らしいですが、私はそのまますすります。ちと塩辛かったかな、でもおいしかったです。
因みに私は左利き。左利きでいい思いをした記憶はあまりないけど、左に箸を持ちながら右でカメラ撮影しやすいのが数少ない得した事かな・・・。ま、右でも普通に箸は使えますけどね。

さて、いよいよ大型連休に突入ですね! 世間は浮かれモードになりつつあります。
私と言えば30日から出かけますので、当ブログはやや長めの臨時休業に。
では、みなさま良いゴールデンウィークを!

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

117日目 伝統産業の息づく町をおかわり

2015-04-25 23:59:13 | 北関東
2015年4月18日(土)


北真岡駅から乗ること10分程度で益子駅へ。

駅舎の中にはドデカい壺→
ここは全国的にも名の知れた焼き物の町。

↓巨大な機械仕掛けのカラクリ時計台の大きな歯車がゆっくりのんびり回ってます。

駅舎の中もだけど、これを眺めていると何となく心が落ち着くわ。

駅周辺の昔ながらの商店街→

(486)栃木県芳賀(はが)郡益子町(ましこまち)役場

↓この地域には、門の上にガマを載せている家を多く目にします。

しかも両方の門ではなく、片方だけしか載っていません。意味は分からんけど。

↓駅を東へ東へ歩くと、「城内坂(じょうないざか)交差点」に着きます。

この交差点からは文字どおり坂になってまして、道の両側には焼き物のお店や食事処などが建ち並んでおります。
観光地の入口っぽい感じの所です。
左にある茅葺き屋根の家は藍染工房。

坂を登ってみましょう。

↓多くあったお店の中でひときわ目に付いたもの
  

何かの撮影中をこっそり撮影→

坂のてっぺんの左手にある「益子焼窯元共販センター」→
約400軒の益子焼窯元のうちの約270軒の商品を販売するという、あたかも焼き物のデパートっぽい所。
陶芸体験もOK。

日本一という大タヌキに接近→
大きいタヌキにも小さいのにも下半身の突起物は必ず付いておりまして・・・(巨大な物もぶら下がっているようにも見えるし。やたらデカイぞ・・・)。どうやら益子のタヌキは皆オスのようです。
♪ たんたんたぬきの○○○○はー 風もないのに ぶーらぶら
思わず歌いたくなったけど、恥ずかしくて(周りに人も多かったのもあるけど、歌詞がね・・・)やめた。
でもそういう人多いかも(笑)。代わりに口笛吹いたけど。

ここの食の名物はこれ!→
歩きづめで疲労度満タンなので一個(\100)買ってみる。その時は疲れていたからか、やたら甘く感じましたが、家にお土産として買ったものをもう一度食べてみたら、意外とアッサリしたやさしい甘さ。家の人には「うまいうまい」と大好評でございました。
因みに、同じ名前の某ポイントカードへのポイントが付くサービスはありませんでした(当たり前ですが)。

同じ敷地にあるお蕎麦屋さんにも入る→
コシがあって美味なお蕎麦でございました。

もうすぐ開催されます!→

オマケ→

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

117日目 歩けば歩くほど味の出る町・真岡

2015-04-24 23:57:57 | 北関東
2015年4月18日(土)


SLをダラダラと見ていないで、さっさと真岡(もおか)の市街地に向かったのは大正解でした。

↓城山公園近くの行屋川(ぎょうやがわ)に架かる橋に立ちます。

その名のとおり、16世紀末に廃止となった真岡城があった所。
手前の石像は、木綿のまち・真岡をアピールするために作られた「福姫舞ちゃん」。
市街地中心部一帯はかつては沼や沢で覆われていて、水鳥たちの生息地であったという。
鶴も飛来してきたので「ツルの舞う丘」、つまり「舞丘(まいおか)」と呼ぶようになり、それが今の「もおか」へ、らしい。「舞ちゃん」はそれに因んで名付けられたもの。

視線を右に→
一輪すら残っていません。5月2日まで「真岡の一万本桜まつり」というお祭りが開催されるようなのですが・・・どういうことだろ?

反対の南側→
落ち着いた雰囲気のいい景色。左の宿、右のお寺さんもいい味出しているし。やっぱり2週間前に来るべきでしたね。サクラが綺麗でとっても風光明媚ないい景色になっていたんだろうなあ思うとかなり口惜しい。

↓しばらく川沿いを北の方角に向かって歩いてから、市役所の方へと向かうその途中、突如飲み屋街が出現します。





これがまた一言では表現できない素晴らしい佇まい。
息しているんだかどうなんだかも分からない、場末的な、猥雑な、うらぶれた、などなど色々な形容詞が思いつきそうな飲み屋が建ち並んでいる「門前あかり横丁」。恐らく昔は遊里だったんじゃないか、そんな雰囲気が漂っています。

門前というからには当然寺社がある訳でして、上の写真奥にある「長蓮寺」というお寺さんが「門前あかり横丁」の由来となったらしいです。
そのお寺さんには日本一のものがあるというので是非見に行ってみましょう。

お堂にはカギがかかって入れず外から覗く→
そこにはギョロッとした目の、高さ3.45mの「日本一の半跏(はんか)像弁財天様」。
お寺さんのHPによれば、それは「音楽・言葉を啓示し、智慧・教育・子孫を授け、農業・工業・商業・商売繁盛をつかさどり、疫病・災厄を退けると云われる」という有り難き神様。

(485)栃木県真岡市役所
江戸時代は天領であった真岡。そして有名なのは木綿。
市のHPでは「かつては、「真岡」といえば、そのまま木綿の代表名詞として通用した時期がありました。丈夫で質が良く、絹のような肌ざわりの真岡木綿は絶大な人気を得て、江戸時代の文化・文政・天保年間には年間38万反を生産し、隆盛を極めました。当時、江戸の問屋はこぞって真岡木綿を求め、木綿の仕入高の約8割が真岡木綿であったという記録があります。」というほど。
ところで、町で見られるローマ字表記を見ると「Moka」となっています。これで「もおか」とは強引というか、かなり苦しい。一方で真岡駅は国鉄時代は「もうか」だったりする。本当は「もーか」が正しいのかも知れない(勝手な推測)。

長蓮寺の隣にあるのが「久保記念観光文化交流館」→
「明治・大正期の貴重な建造物群をリノベーション」した昨年10月にオープンしたてホヤホヤの市内観光と文化の拠点施設。

この目の前には「真岡木綿会館」→
機織りなどを見る事ができたり、体験もできる施設。

↓歩くこと20分、次にやってきたのは「大前(おおさき)神社」

ここにはどうしても見たかったのがあるのだ!

またしても日本一えびす様→
高さ20mで日本一はいいけど、ハリボテっぽく、まがい物のようにも見え、長蓮寺の弁財天様と比べてみても有り難味の全く感じられない神様。ただ、神社自体は「宝くじがあたる神社」として有名らしいんですけど。

↓神社の近くの一面菜の花畑で、列車を撮影するのに絶好の場所。

返す返すもサクラが咲いていないのが残念(しつこい)。

「リス」とあるけど、他にもいろいろな動物がいる施設→
動物と遊ぶのは嫌いじゃないけど、いい歳した大人が一人で戯れるのもね・・・。

北真岡駅へ向かう途中→
シダレザクラが満開。ソメイヨシノだけじゃない他の種類の桜があちこちで5月まで見られるんでしょう。だから「真岡の一万本桜まつり」を長い事やっているですな。ただし、コンクリートで固めた川はいただけない。

初めて訪れた真岡でしたが、とってもいい町でした。一日散策する所としてかなりオススメです!
そう言えば、小学生の時の担任に真岡出身の「螺良(つぶら)」という珍しい名字の先生がいたな、なんてことをふと思い出しつつ、次の目的地へ行きます。

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117日目 今春も「ときわ路パス」を使った日帰り旅

2015-04-22 00:25:24 | 北関東
2015年4月18日(土)


元々は今月4日に予定していたこの旅、いろいろな事情により延期が続き、2週間遅れてようやく日の目を見ることになりました。

標題の通り、今回使う切符の名前にも使われている「ときわ」、つまり「常磐」は、旧国名の陸国(ひたちのくに・茨城県のかなりの部分)と城国(いわきのくに・福島県浜通り)を指します。
ならば茨城県を廻るんですな?とお思いでしょう。ですが、今回の主戦場は「ときわ」とは全然関係のない栃木県であります。
しかも、JR東日本の企画切符でありながら、全くJR線に乗らないという何だか変チュクリンな事になってしまいました。
因みに「ときわ路パス」について → JR東日本のHP

さてさて、稲毛駅4時51分発の総武線各駅停車で出発、東武野田線経由で常磐(じょうばん)線の取手(とりで)駅へ行き、「ときわ路パス」を購入。

駅跨線橋から見えた「天空に浮かぶマンションと木々」→
手前に流れている利根川から湧き上がるモヤのせいで、こんな幻想的な?景色に。なかなかいいかも。

関東鉄道常総線に乗り込み、7時半頃下妻(しもつま)駅にて下車。
「ときわ」の名の付く切符を使うのだから茨城県の町を全く訪れないのもどうかと思い、選んだのがここ下妻市。
実は昨年12月20日、親の故郷が下妻という船橋市在住の知人からの仕事の依頼で、その人と一緒に下妻に行ったばかりでございましてね、ちょっとばかり親近感があったのもありましたし。
もっとも、その時の「下妻に何か名所はないか」との私の問いには、「ない」の一言であっさり片付けられてしまいましたが(苦笑)。

駅舎構内にて→
鉄道会社、痛いくらい必死(笑)
そもそもこんな恥ずかしくて罰ゲームっぽいの、誰が応募するのかねえ?
きっと大多数の男はこういう感覚なんだろうけど、女性はこんな形の式は大喜びなのかな?
いずれにしても、永遠に理解不能な企画でございます。

駅南側の踏切から→

(484)茨城県下妻市役所
鬼怒川水運の終着地点であったため、物資の中継地として繁栄したものの、鉄道の開通により衰退。
市のHPによれば、この地方の歴史は古いらしく、約1万年前から人が住んでいたようです。
「しもつま」の地名が初めて文献に登場したのは承平5(935)年の『和名抄』であるとの事。人口は4万3千人ほど。

↓役所近くの多賀谷城跡公園内にある「多賀谷城本丸跡」

室町時代に元々は結城氏の重臣であった多賀谷氏によって築城されたお城。
ちっぽけな城だなあ、と内心バカにしていましたが、後で調べてみると、やたら城郭の広いお城であったという。

再び駅へ戻ります。

↓まだお目覚めになっていない感アリアリの駅前から伸びる商店街



下妻に限らずこの地域には東北地方太平洋沖地震で被災し、そのままシートを屋根に被せただけで凌いでいる家を多く目にします。



↓商店街をそのまままっすぐ歩くと、「砂沼(さぬま)」という周囲6キロの沼にたどり着きます。

案内板には「江戸時代中期頃の新田開発施策の推進により、一度干拓され新田となるが、その後深刻な水不足が続いた。干拓から60年後、周辺の農民による砂沼復活の願いが聞き入れられ、再びため池となる。」という珍しい沼。

9時半頃の電車に乗ります。

同じく下妻市の騰波ノ江(とばのえ)駅にて→
横断幕の「鉄道模型運転会」とやらは毎月第三土・日曜に開催されます。んっ!? まさに今日じゃないか!!
ですが、「運転会」に参加しない人の為にオイラ達の「運会」をお見せするぜ!と言わんばかりワンコ3匹が元気にホームの端から端まで駆け抜ける。模型の運転よりこっちを見ている方がよっぽど楽しいわ。微笑ましく、カワイすぎ!
ただ、先頭のワンコよ、頭が入らずゴメン・・・。

下館駅からはSLが売りの真岡(もおか)鐵道に乗ります。

ディーゼル機関車に引かれ下館に向けて回送中→

栃木県・真岡駅には10時すぎに到着→
駅舎・駅周辺はSLずくしでございまして・・・。

↓駅横にあるSLキューロク館とその中


 
10時半からこの客車の先に止まっている機関車がチマチマ動くようですが、興味がないので町中に向かいます。

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77日目 ときわ路パスで常陸めぐり(3)~那珂・常陸太田

2014-05-17 23:39:04 | 北関東
2014年3月22日(土)


この日はあとは水郡線の2市訪問を残すのみとなりました。

↓という訳で、茨城の県都・水戸はふっ飛ばして那珂(なか)市の上菅谷(かみすがや)駅へ。


駅の西には「一の関ため池親水公園」というのがあるので行ってみましょう。
もっとも役所もその真ん前なんですけどね。

↓ため池




スズメに注意?→
那珂の雀はそんなにタチが悪いのか?

上にぶら下がっているペットボトルを拡大みると・・・→
飛んでボトルに入る夏(だけが活動時期じゃないけど)の虫。

↓公園内にある「那珂市曲がり屋」

要はL字になった家で、以前、岩手県・遠野市で見たものと同種のもの。
東北だけだと思っていましたが、茨城県の一部でも見られるよう。


かまどに火がくべられています。ご飯でも振る舞われるのかと思いきや、そんな香りもないので、単にお湯を沸かしているだけのよう。

(370)茨城県那珂市役所
平成17年、那珂町が瓜連(うりづら)町を呑み込んでスタートした人口5万人余の市。

↓上菅谷駅15時46分発の列車で、常陸太田駅へ。

水戸黄門さまが隠居していた西山荘(せいざんそう)をイメージした駅舎。
本物は、以前一回行ったのもありますが、駅からちと遠いので今回は行きません。

↓お城のような建物(梅照院)がイヤでも目に入る。


まずはとりあえず、駅周辺を歩き回ってみます。

↓いきなり凄いしもたやを発見。
 
大家さんの、店子とその連帯保証人への公衆の面前に晒してまでの切実な訴えは、10年たった今ではいかに?

鉄道の廃線跡がありました→
平成17年まで営業していた日立電鉄。

↓常陸太田駅の目前にあったという日立電鉄・常北太田駅跡地は、今ではこの「カワチ」になったみたい。


(371)茨城県常陸太田市役所
戦国時代までは、佐竹氏の城下町として繁栄し、以後は徳川家の領地となりにけり。

次に「鯨ヶ丘」と呼ばれる、東は里川、西は源氏川に挟まれた台地の上にある市街地に行ってみます。
海から離れているのになぜ「鯨」?
台地が海に浮かぶ鯨のように見えることかららしく、そこでは土蔵造りや町屋造りの古い建物が多く見られます。

いきなり、ドえらい坂(塙坂)じゃ→
エッチラオッチラ・・・。

↓坂を登りきると交差点に出て、そのまままっすぐ進んでみます。

この通りを塩横丁をいいます。
左は「オーベルジーヌ」、フランス料理屋さん。違和感ありありだけど。
右は「潮町館」、昔は銀行で、今はうどん・そば屋さん。

郷土資料館分館→
ここも昔は銀行に使われた建物。東北地方太平洋沖地震でガタガタになった模様。

さっきの交差点左右に伸びる東通り商店街→
交差点から南方向。

くじら屋→
ここでは「くじら焼き」が売られています。「くじら焼き」とは、鯛焼きの衣部分が鯨になったもの。

各お店では雛人形が飾られています→
桃の節句は終わったけど。いや、旧暦の3月3日は4月2日だからまだ終わってないか・・・。

板谷坂→
いい眺めじゃ。映画やドラマのロケによくない?

↓「鯨が丘ふれあい広場」先の坂を下っていくと駅。


ささやかな常陸太田市散策はこれにて。
でも、もう一回今度は時間をかけてゆっくり散策してみたい町だなぁ。

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77日目 ときわ路パスで常陸めぐり(2)~鉾田・大洗

2014-05-14 23:21:10 | 北関東
2014年3月22日(土)


今回は鹿島臨海鉄道沿線の2市町の訪問記です。

9時45分、新鉾田駅に到着→

早速こちらへ。

(368)茨城県鉾田市役所
またも改修中。
鉾田市は人口5万人に満たない市で、茨城県のPRするために「いばらき大使」を仰せつかったタレント・磯っちはここの出身。

次の列車まで、鉾田市街地を散策します。

↓東北地方太平洋沖地震の爪痕?が随所に見られます。
 

↓鉾田銀座商店街




鉾田銀座商店街沿いにある「田山家」→
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が江戸城を明け渡して後、水戸での謹慎を経て、次の謹慎先の静岡に移動する際に泊まった所。

鉾田町本町商店街→
最初は何を書いてあったか分からなくなっている看板。
ただ、お客は泣いて喜ぶような内容であったことは容易分かるけどね。

↓ブラブラしていたら、出会ってしまった廃駅。



見るも無残に崩れ落ち、傾いてしまったプラットホーム。
平成19年まで営業していた鹿島鉄道の鉾田駅、これもあの地震でこうなってしまったといいます。

↓駅近くにあるガソリンスタンド?っぽいお化けでも住んでいそうな薄気味悪い建物。


お次は大洗町。

涸沼(ひぬま)→
シジミがたくさん取れます。もちろんお魚も。

大洗駅→

↓列車にもハデに施されていましたが、駅構内にもアニメが氾濫。


↓駅インフォメーションにもアニメ関連グッズの展示が盛りだくさん。

大洗町が舞台のアニメらしいですが、最初、「ガールズ・パンツ・アー」だと思っていましたので、「ハレンチ学園」みたいなアニメかと勘違いも甚だしいバカ丸出しの私。

民家が立ち並ぶ通り→

(369)茨城県東茨城郡大洗町(まち)役場

危機意識を高めよう!→
役所付近一帯は東北地方太平洋沖地震の津波浸水域ですが、今では津波の痕跡は全く見られません。

海岸沿いを通る県道2号線に出ました→
小さく写っています大洗のシンボル的存在のマリンタワー。
タワーの近くにはフェリーターミナルがあり、そこは苫小牧行き北海道航路の首都圏の玄関口。
今まで2回、車で北海道へ行くのにターミナルを使ったことはありますが、まだタワーには登ったことなし。

さてさて、時はちょうどお昼。
以前から入りたいと思いつつ、いつも行列で断念していたあのお店へ。
どうか今回くらいは入れますように!

願いは虚しく、このありさま→
大洗漁協直営店「かあちゃんの店」。

これが食べたかったのでござるよ→

仕方ないので、泣く泣く正面にある「お魚天国」の回転寿司屋へ。

↓人の背丈くらいとは言え、営業再開にこぎ着けるまではさぞ大変だったでしょう。


港が目の前→
まさに「早春の港」だなあ!(早春というにはちょっと時期を過ぎてしまっているけど)
♪ふるさと もたない あの人にー 海辺の青さ おしえたい~
と、思わず歌いかけたのですが、周りに人がいっぱいいて恥ずかしかったのでやめた(笑)。

大洗町の商店街を通って駅へ→

駅近くの民家の庭で→
一所懸命顔をフキフキ、長~い時間かけてのお手入れ、とってもとっても綺麗好きな?ネコさんです。
愛くるしい姿に、とても癒されました。

大洗町、茨城県でも屈指の観光地だけあって、アクアワールド(水族館)や神磯の鳥居、博物館、その他もろもろと見たい所てんこ盛り、時間がいくらあっても足りません。
車で北海道へ行く時などちょっと立ち寄って、少しずつ潰していくしかないなあ。

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77日目 ときわ路パスで常陸めぐり(1)~潮来・鹿嶋

2014-05-11 23:36:13 | 北関東
2014年3月22日(土)


この頃は仕事でやたら忙しく、気が滅入りそうになっていた時期でございまして、
せっかくの3連休、1日くらいは遊びに行かないとやってられんという訳で、
JR東日本が出している「ときわ路パス(当時\2000)」を使って茨城遠征に出ることにしました。

稲毛駅4時40分発下り一番電車で千葉へ行き、成田で鹿島神宮行きに乗り継ぎます。

↓常陸利根川を渡ると潮来(いたこ)駅、6時41分着。

上流を辿ると日本第二の湖・霞ヶ浦に通じます。

潮来駅→
何故だか右側ホームに停車。

↓春になったとはいえ、早朝はまだまだ寒くてツライのですが、旧道っぽい道を通って市役所へ。


(366)茨城県潮来市役所
ここへはかつて仕事で何回か来たことがあります。
「いたこ」と聞くと、青森県のあの恐い山?を思い出してしまうのですが、
霊的な人がいたということではなく、「いたく=痛んだ所」から由来しているとの事。

役所前の通り(国道51号線)→
しもた屋が「いた」い姿を晒しています。

↓駅からすぐの所にある「前川あやめ園」へ。



多くの種類の花菖蒲が植えられているというここ、見頃は1ヵ月後の6月中旬あたり。
錦帯橋のような形をした橋は水雲橋といい、川はまさに前川。

奥は遊覧船の待合所→
左に見える像は潮来傘記念碑。

その碑の横にあるもの→
手を触れると橋幸夫氏の歌が聞けます。
ここは潮来、ならば聞く曲は当然アレしかないでしょう。
「いたこーの、いーたろ~、カップの味噌ラーメン♪」
ただ、結構なボリュームで鳴り響くので、少々気まずくなってしまった・・・。

潮来花嫁さん記念碑→
ここでも「潮来花嫁さん」という歌が聞けるよう。
ところで、来る5月24日から6月29日まで「水郷潮来あやめ祭り」が催されますが、
その期間中にサッパ舟という手漕ぎ舟を使った「嫁入り」が見られます(応募があれば)。
さぞいい光景でござろう。

潮来駅で「ときわ路パス」を購入し、7時50分に出て、鹿島神宮駅には8時頃着。

駅前の坂を登ります→
ここに来たからには駅名にある「鹿島神宮」に行かない訳にはいかない。
ずいぶん前、およそ15年位前来たけれども、境内の記憶全くなし・・・。
なので、初めて訪れるような気分。

↓坂の途中に塚原ト伝(つかはらぼくでん)の生誕地があります。

剣豪という以外、全く知らないお方・・・。

鹿島神宮へ向かう参道(県道192号線)→

↓ここは大鳥居のはずなんですが・・・、ないぞ・・・。

東日本大震災で倒壊してしまったため再建中ですが、6月1日竣工予定。

9月1日から3日間です~→

これから何かと行事の多い鹿島神宮ですが、香取神宮・息栖(いきす)神社と共に東国三社として古くから参拝客で賑わいました。

左が本殿→
右にあるのは楼門。
寛永11(1634)年に、水戸黄門の父・徳川頼房(よりふさ)公が奉納したという門で、
日本三大楼門の一つとされ、その姿の美しさは日本一とな。

鹿園→
一頭だけしかこちらを向いてくれず、他は知らん顔。

御手洗池→
「御手洗」とあるので、ここで用を足していい、訳ありません。
「みたらしのいけ」と呼ばれるこの池は、誰が入っても同じ深さ(水面が胸の高さまでしかこないらしい)であると言われ、鹿島神宮七不思議の一つ。

森林浴には持って来いの場所でござる→

要石→
何じゃ、このちっぽけな石は!、と笑ってはいけない。
神社のHPによれば「実は地中深くまで続いている巨岩です。地上の部分は氷山の一角です。」とあり、これも鹿島神宮七不思議の一つ。
さらにHPには「要石が地震を起こす地底の大鯰(おおなまず)の頭を押さえているから、鹿島地方では、大きな地震がないと伝えられています」ともある。
ならば、地震で鳥居が倒壊したのはどう説明するのであろう?

(367)茨城県鹿嶋市役所
元々鹿島町でしたが、平成7年に隣の村を合併して市になった際に鹿島市にしたく、
既に存在していた佐賀県鹿島市に了解を取り付けようとしたら、
けんもほろろに断られ、しぶしぶ?「嶋」を使ったという。

さて、鹿島臨海鉄道に乗って水戸方面を目指します。

突如現れビックリの巨大な建物→
カシマサッカースタジアム、ご存知、鹿島アントラーズの本拠地。

やったら長い駅名→
熊本県の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅と並んで仮名文字数で日本一という。

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51日目 上州の山へ(6)~安中

2013-07-28 00:31:51 | 北関東
2013年6月22日(土)


頭痛はさらに悪化の一途を辿り、どうにかこうにか安中(あんなか)市役所まで何とか頑張ったものの、もはや限界・・・
一時間ほどまた車の中で寝てみたものの、やっぱりどうにも治らない。
でも、もうすぐ日没になるし、折角来たので少しでも活動をしないと・・・

(277)群馬県安中市役所

市役所前の通り→

江戸時代は安中藩の城下町で、宿場町が4箇所もありました。
しかも、たくさん名所があり、北陸新幹線・安中榛名駅の秘境駅を冷やかしに行くのも、磯部温泉の「日本温泉記号発祥の地」の記念碑を見るのもいいな。
少し足を伸ばせば、ギザギザの妙義山があるし、横川・碓氷峠の方もまた良し。
(というか、これだけ欲張ると丸一日かかるよなあ・・・)

体調不良だし、もう時間もないので近くを適当にサラッと流して、後日改めて観光に来よう。

↓旧安中藩武家長屋






真向かいの「郡奉行役宅」→

市街地→
歴史を感じさせる町並みなので、本当はゆっくり歩いてみたいところ。

そして、住宅地の中の狭い道を苦労して走らせてたどり着いたのが、こちら。

↓新島襄旧宅





今や説明不要のお方、NHK大河ドラマ「八重の桜」主人公・八重の旦那の旧宅。
すぐ近くの別の場所にあったのを移築したもので、元々は襄の両親が明治2(1869)年から9年までに住んでいたというのですが、襄は明治7年にアメリカから帰国して、たった3週間だけいただけという。
僅か3週間なのだから、そもそも「旧宅」と言えるのか?(笑)
だから、「新島襄旧宅」ではなく「新島襄の両親の旧宅」とすべきじゃないのかなあ?
八重と結婚したのは明治9年で、八重が「安中はいいとこだなし~」などと言いながら、この家に上がったかどうかは知りませんが。
「八重の桜」は会津戦争という一番の見せ場が終わり、後はもう出がらしの感じが・・・
年末までどのようにして持たせるつもりであろう?(笑)

安中には悪いけど、もういいや、帰ります。

お腹が空いたので、寄居(よりい)PAに寄る→
ところが、こじゃれた、女性が喜びそうなお店しかない。
つまりは男には気に入らない店しかないということである。
なので、さっさとそこを出て、次の高坂SAへ行き適当に済ませる。

美女木JCT→
part1でも触れた高速道路上の信号。

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51日目 上州の山へ(5)~北群馬郡

2013-07-26 23:25:40 | 北関東
2013年6月22日(土)

頭痛と言う厄介な荷物を抱えながら、渋川市を経由して、群馬県のほぼ中央にこじんまりとある北群馬郡の2町村へ。

渋川市街地にて→

(275)群馬県北群馬郡吉岡町役場
人口約2万人の町です。

↓役場周辺の風景はこんな感じ
←榛名山(だと思う)

こちらは赤城山の方向→

榛名山にある温泉と言えば、伊香保温泉。
それでもって、温泉に付き物と言えば秘宝館。

↓役場から伊香保温泉へと結ぶ県道沿いにある何やら怪しい石像と建物





かなり興味をソソられるので入ってみよう。入場料は900円です。

外見はいかにも秘宝館に見えますが、ところがどっこい意外や意外、案外真面目にソレ系についてを語っている。
良く言えば、保健の授業を受けているような感じ。

↓入口(撮影は自由)
←この右側に受付の人がいて、売店もあります。



↓以下、展示物のごく一例



↑こういう真面目なものもあれば、

↓こういう秘宝館的なものもある。




もっと卑猥な展示物はあるのですが、この場ではさすがにアップするのはやめておきますわ(笑)
というか、撮影がいい加減面倒になってきたので、順路の終わりの方は全く写していませんが・・・

見ていて興奮して、血の巡りが良くなり、ひょっとして頭痛が治ってくれるんじゃないかと少し思いましたが、中高生じゃあるまいし、そんなに興奮する訳ないく、かえって頭痛が増した気がする(苦笑)。

因みにここからすぐ近くに「珍宝館」というのもあるのですが、こちらはまさに秘宝館らしい。それよりも名物女将○○子さん(放送禁止用語!)の楽しい案内とお話しが楽しめるらしいですよ。

全く関係ないですが、このあたりの地下に上越新幹線が走っています。

続いてこちらへ。

(276)群馬県北群馬郡榛東(しんとう)村役場
長閑なこの村には不釣合いの立派すぎる建物です。人口は1万4千人ほど。

ここは役場周辺をブラブラして去ることにします。

役場のそばにある「しんとう温泉ふれあい館」の駐車場と赤城山→

陸上自衛隊相馬原駐屯地の入口近く→

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51日目 上州の山へ(4)~沼田・高山村

2013-07-24 22:54:51 | 北関東
2013年6月22日(土)


夜遅く?というか、朝早く?出てきたので、たまに眠気が襲ってくる。
そこで、沼田市の「吹割(ふきわれ)の滝」に着くや否やすぐに座席を倒して寝る。
しかし、これが最悪の事態を招くことに・・・

眠りの質が悪かったのか、運転での凝りのせいか、起きると頭が痛い
まぁ、私はよく頭痛が起こるし、大抵はゆっくりではありますが、次第に治まっていくのであまり気にはしていなかったのですが。
しかも、ここは滝。マイナスイオンがたっぷり漂っているから、それで何とかなるんじゃないかと、極めてお気楽。

国道120号線の滝の入口→

まずは前座?的な「鱒飛(ますとび) の滝」→

↓こちらが主役の「吹割の滝」



沼田市のHPによると、高さ7メートル、幅30メートル余りで、昭和11(1936)年に天然記念物に指定されたという。
別名「東洋のナイヤガラ」といわれているそうです。
しかし、小型の「ナイヤガラ」をもってしても、私の頭痛は治らず。
やはり本物の規模のものでないとダメか・・・
ずっといる訳にもいかないので、車を走らせます。

(273)群馬県沼田市役所
人口は約5万人、りんご等の農産物や木材の集散地で、木製品工業が盛んです。

歩いて沼田城址公園に行きます。

その途中にある看板→
車に乗っている間は気が付きませんでしたが、確かにこの辺り平地を走っていたと思いきや、いきなり崖の急坂になり、また平地になるというのを繰り返していた感じでしたな。

↓公園の入口




沼田城は春になるとサクラが綺麗みたいです。

復元された鐘楼(しょうろう)→

河岸段丘から見下ろす→

再び中心街に戻ってきました。

↓その様子






国道145号線で西に向かいます。

↓高山村に入るとすぐに現れる「大理石村ロックハート城」



イギリスのロックハート城を俳優の津川雅彦氏が買い取り、最初は北海道に計画されていたレジャーランドにて復元しようとしていたところ、その計画が頓挫し、代わって沼田市の会社が買い取って、この地にて復元したといいます。

ずいぶん前に私はここに団体旅行で来た事があります。
例によって入口・中の様子は全く記憶にない・・・
それよりもその時に、「ジャンケンで負けた奴はアレをやることにしない?」という賭けにうかつにも参加してしまい、しかも総勢10人位いながら負けてしまった私はアレをやるハメに・・・

アレとは何か、
バンジージャンプ
高所(確か30メートル位だったかな。でも丘の上にあるので感覚としてはもっと高くなる)が大の苦手な私ですが、ぇぇ渋々飛びましたよ・・・
本当に勝負弱い私・・・

今もまだあるのかな?
ま、いい思い出ということにしておきましょう。

その思い出に浸る間もなく、車を走らせます。

↓中山宿旧本陣跡
 

↓その隣のケヤキ
 

この付近は、三国街道の宿場→

↓その名残りが見られます。




(274)群馬県吾妻郡高山村役場

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