ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

132日目 尾張は終わりにして美濃に潜入

2015-09-30 23:09:33 | 東海
2015年8月7日(金)


JR・私鉄のどちらでも行ける町は原則、私鉄を使っている際にはその町には降りないようにしているのですが、次の弥富(やとみ)市はその建前に背いて訪れた町。
津島駅からは名鉄・尾西(びさい)線の終点である弥富駅まですぐというのもありますが、後にも先にも尾西線は今回一回限りだろうから乗っちゃおうかな、というのが第一の理由。

↓「日本で一番低い駅は?」といった類の鉄道クイズでは、必ずと言っていいほど答えの候補の一つとして挙がりそうな駅。

地上駅はこの弥富駅ですが(近鉄の弥富駅の方が低いという説もあり)、じゃあ、地下の駅となると、条件反射的にパッと頭に思い浮かぶのが東京の総武線・馬喰町(ばくろちょう)駅。
いつの頃の話しだ?と、鉄に馬鹿にされそうな回答デスガ・・・。廃止されてしまいましたが、青函トンネルにあった吉岡海底駅と出てこないあたりが、恥ずかしながら年代を感じさせてしまう(かも)。
言い訳させてもらうと、小さい頃見ていた鉄道本には決まって馬喰町駅と書かれてましたし、馬喰町駅に「日本一低い駅」のスタンプが置いてあって、実際押しに行ったことがあるしで、それで完璧にオツムに染み付いてしまっておりまして・・・。
ところが、馬喰町駅の深さが修正された結果、京葉線の東京駅の方が低く、もっと言うなら、同じく東京の地下鉄大江戸線・六本木駅はもっと下の-42m。
地上で40mといったらマンションの10階位の高さはありそうだから、そんな地中奥深くにまで人工物があるなんて何とも凄まじい話しであります。地下まで高層都市・東京、恐るべし。

↓駅に降りていきなりのこれだから、一瞬で「弥富は廃れた町」というイメージが出来上がってしまう。


↓でも近鉄の駅の方に続く道を見ると、そんな町じゃなさそう(?)事にとりあえずホッとする。


日本一低い所にある未確認地上駅→
ここまで歩きましたが、どっちが高いか低いか分かりませぬ。
が、2つ上の写真を見ると向こう側が若干低くなっている気もしないでもない。

(528)愛知県弥富市役所
人口は約45,000人の、稲作・野菜作りが盛んな町ですが、誇るべきは日本で唯一の白文鳥生産地。
市のサブキャラクターには白文鳥が使われております。じゃあ、メインキャラクターとなると?

ボクたちなのです→

↓弥富は金魚の一大産地で、養殖用の池が多くあります。


↓用水路という名のドブにはコヤツらも養殖されているに等しい状態でウジャウジャおります。

誰が飼っている訳でもないにもかかわらず、誰の力も借りずとも、自分たちの力でその数を順調に増やしているよう。

伊勢湾台風とはそんなに恐ろしい台風だったのか・・・→
因みに南海トラフ地震が起こった場合の弥富市の最大津波高予想も4m。

↓国道1号線を三重県方向に歩いて、そのまま県境越えしてやろうと思ってましたが・・・。


木曽川真横に流れる筏川→
よくぞこんな川岸すれすれに住めるもんだと、感心するばかり・・・。

木曽川に架かる尾張大橋は目の前です。
橋の袂にある昔ながらの建物→
酒屋さんだったらしい。

むうし東海道?→
一見「う」のような字は「か」でして、「可」という字の変体仮名。
それはともかく、昔の東海道は熱田から桑名まで海を船で渡っていたんじゃなかったけ?

↓広~い木曽川を眺めているうち、徒歩による三重県上陸は億劫になる。


尾西線を折り返し、一宮駅より名古屋本線に乗り、今度こそ木曽川を越えて超お気に入りの岐阜県入り。

↓岐南(ぎなん)駅と駅前の通り




↓駅のすぐ近くのお湯処が「おいで、おいで」と私を呼んでいるかのよう(に見えてしまう)。

汗だくだから、一風呂浴びてサッパリしたいところですが・・・。
きっと風呂の後のビヤタイムへの突入は避けられそうになく、そのままズブズブになるのは火を見るより明らか。なので、駅前の通りを東へひたすら歩きます。

右手に八剣(やつるぎ)神社があるあたり→
JR東海道線が走っておりますがこれが案外クセ者で、東(写真で言えば、電車の走っている左側)から伸びる神社参道をぶった切っていて、行く手を遮っております。おまけにその参道には踏切なんてものがなく、よってわざわざ写真向こうに見える踏切まで大廻りしないといけない・・・。疲労度さらにアップ。

↓(529)岐阜県羽島郡岐南町(ちょう)役場

岐阜県と愛知県との境に豆粒のように存在する、まさに岐阜市の南に位置するちっぽけな町。
小さくても存在できるということは、リッチな町なんでしょう。
そして、写真後ろのお古の建物はお役御免とし、その代わりに手前のオサレな形の真っ白な庁舎は、訪れた僅か4日前の8月3日から業務を開始したばかりの、超できたてほやほや!
昔は木曽川は町の北側を流れていたのですが、洪水で南側を流れるようになったので、それまで尾張国に属していたのが美濃国に所属替えとなったといいます。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
 

132日目 前日に続き愛知県西部へ

2015-09-28 23:58:31 | 東海
2015年8月7日(金)


↓この日の出だしも前日午後と同じ経路で、名鉄名古屋本線→津島線直通の急行電車で津島駅に9時すぎ到着。


前日の名古屋の最高気温は34℃近くでしたが、曇りがちだったこともあり、暑さが続く中にあっては比較的涼しく感じられた(ような)日でしたが、この日は朝から天気が超良くて辟易するような暑さ、最高気温も40℃に達しようかという、私のようなイヤでも炎天下を歩かざるを得ない旅をしているものにとってはウルトラスーパーハードな日でした。
でも、大枚を叩いてわざわざ名古屋までやってきたので、予定はこなさないと・・・(貧乏性に軍配、涙)。

まずはこちらから。
(527)愛知県津島市役所
何はさておき、「尾張津島秋まつり」は今週末ですよ!
「昭和22年3月、県下9番目の市として誕生しました。津島神社の門前町として、また交通・経済の要衝である湊町として、(市のHPより抜粋)」江戸時代は綿織物産地で、明治以降は毛織物の産地として繁栄しましたが、戦後は取り残された感のある町。
人口は約65,000人で増加の一途でしたが、ここ近年は頭打ちどころかやや減り気味。

↓ただ、こちらの方は順調に(?)下がっております。

ところで肝心の防ぎ方とは? それが分かればこうにはならないワケでして・・・。
前日の愛西市のそうでしたが、ここらの堤防が決壊したら、逃げ場の確保がそもそも難しそうだし下手すると土左衛門になりかねません。くわばら、くわばら・・・。

↓駅から津島神社までまっすぐ伸びる約1kmを「天王通」といい、そこには商店街が立ち並んでおります。




津島市のゆるキャラです→

やがて、津島街道(別名・上街道)との交差点へ。そのあたりを本町(ほんまち)といい、この街道沿いには古い町並みが残っています。
津島街道とは、清須(きよす)市・新川橋と津島神社参道を結んでいた道でして、その道筋は今の名鉄津島線に沿った感じで、私が前日に木田駅から七宝駅までを歩いた道でもあります。

まずは天王通北側の上街道に入ります→

↓観光交流センター(愛称・まつりの館 津島屋)

ここは昭和4(1929)年築のかつての津島信用金庫本店。
今は観光の拠点ですが、やっぱりこういうのは駅付近に置くべきでしょう。こんな所に構えたって誰も来ませんよ。案の定、中には客は誰一人おらず、ガイドのおっちゃんも暇そうでした。
私はあまりの暑さに参り、一時の涼を求めてここに逃げ込んだしみったれなので、あまり偉そうな事は言えませんが。

↓毎年7月第4土曜日と翌日に行われる「尾張津島天王祭」でお目見えする巻藁舟の提灯

600年の伝統を誇り、後でも出てきますが津島神社のお祭り(どんなお祭りかは、提灯下の写真をどうぞ)で、かの織田信長も楽しんだと言われる、「日本三大川まつり」の一つ。

清正公社(せいこうこうしゃ)→
戦国武将・加藤清正が少年時代に鬼の面を被って盗人を追い払ったという逸話の残る神社。
この経験があったからか(?)、朝鮮で虎を退治するくらいお茶の子さいさいだったワケです。

津島神社→
1450年以上の歴史を誇り、全国に3000余あるとされる「天王社」の総本社。
織田信長が氏神様として崇敬し、豊臣秀吉は鳥居奥の楼門(ろうもん・国の重要文化財)を寄進したと伝えられております。

堀田家住宅→
門が閉じられていて入れませんでしたが、門の上に腕を伸ばして中を撮影。その際、強烈な熱を持った門の上の鉄板に腕が触れて、火傷してしまったのを白状しておきます・・・。
江戸中期に建てられた町屋建築で、国指定文化財。

↓天王川公園



どう見ても川というより池にしか見えませんが、川をせき止めてできたらしく、実際「丸池」というようです。お旅所は、祭礼時に津島神社の御神体が鎮座される神聖な場所。

↓再び上街道の天王通南側へ。





天王通や上街道の脇道なんかにも古いお寺やらなんか多くあり、歴史好き、寺社仏閣好き、古い町並み好きにはとても楽しめる町としてかなりオススメ、津島市です。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

131日目 愛知県西部へ進路変更

2015-09-26 23:58:27 | 東海
2015年8月6日(木)


知多半島巡りは常滑で打ち止め、次の主戦場は愛知県西部の海部(あま)地域。
そしてこの日は、そのうちでも比較的地味な印象の、全国町巡りというお題目がなければこれっぽっちも行く気にならない2つの市を廻って終わりにします。
というワケで、名古屋市内に予約をしたホテルに入り、一息ついた後に再び名鉄名古屋駅へ。

↓名鉄名古屋本線の下りに乗り、須ヶ口(すかぐち)駅で津島線に乗り換え、下車したのはあま市の木田駅。


↓駅西横に伸びる、ネーミングが意味不明だった「オレンジ通り」


↓通り沿いで見つけた、鞄屋とたこ焼き屋と妙な組み合わせの兼業屋さん

商売たるもの、いろいろな事をやっていかないと大変なのですね。

(525)愛知県あま市役所
あま市はいわゆる「平成の大合併」の中でも比較的遅い合併で、海部郡の美和町(みわちょう)・七宝(しっぽうちょう)町・甚目寺町(じもくじちょう)の3つの町による組み合わせ。
ところで、「あま」と言っても「じぇじぇじぇ・・・」とは全く関係なく、呼び方は違えど、「海部」と名のついた地域は全国的に見ても結構あるので(実際今年5月に徳島県海部町に行っております)、海に近ければこう呼ばれる必然性はどこでもあったのでしょう。
関係ないことですが、海に潜るいわゆる「あま」は女の人だけがやっているイメージですが、男の人がやるケースもありまして同じく「あま」と呼ばれるらしいです。

思わず吹き出してしまった張り広告→
役所前の呑み喰い処屋さんですが、要は女の人に来て貰いたく、サービス精神旺盛を訴えているようですが、こんなにボロボロとなっても放置しているくらいなのだから、肝心の「女子会」をやって貰えていないのではないかと推測。

↓津島線の北を並行する道を歩いて七宝駅へ向かいます。


これはナニを意味するんだろう?→
ここは通学路につき運転注意のドライバー向けなのか、或いは児童に向けてパンツが見えるくらい元気に登校しなさいという意味なのか。
それにしても、こういう手の看板は何故か女の子のパンツが見えているものが多い気がするのは気のせいかな。

七宝駅→
七宝と言えば、焼き物で有名な七宝焼きなのですが、駅周辺は焼き物の「や」の字のかけらも感じられません。中心部は駅から離れているらしいので、もしかしたらそちらへ行けば焼き物屋さんが見られるかもしれないです。
因みに旧七宝町の地名の由来を最近知ったのですが、七宝焼きという技法がまずありきで(古代エジプトが発祥のようです)、それがこの地域は盛んであったことから町名にと便乗してしまったというしたたかな町。

駅入口にあった看板→
そう言えば、ずいぶん昔に「利家とまつ」なんて大河ドラマがあったな。

↓次に尾西(びさい)線の愛西(あいさい)市・日比野駅へ。

Wikipediaによれば、全国でもわりと見かける人名が由来の駅。

ここらはいわゆる海抜ゼロメートル地帯→
昔より幾多の水害に見舞われているであろうこの地域、この間の常総市の水害を目の当たりにして他人事に思えなかった住民も多かったのではないでしょうか。

↓駅前は住宅街ですが、少し歩くと田んぼが一面に広がります。そんな長閑な愛西市。


(526)愛知県愛西市役所
ここも海部郡佐屋町(さやちょう)・佐織町(さおりちょう)・立田村(たつたむら)・八開村(はちかいむら)が合併してできた市ですが、市名はまさに愛知県の西にあるからというのは分かるのですが、よく言えば無難、その一方で全く個性が感じられず。

↓養老山地の方に目を向けると、お日様は山の向こうに行ってしまいました。


↓ひっそり佐屋中心部を歩いて佐屋駅に行き、名古屋に戻りましょうか。




にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

131日目 鱈に猫に陶に博打に飛行場の町

2015-09-17 22:45:58 | 東海
2015年8月6日(木)


雨が悄悄と降りそぼる常滑(とこなめ)市にやって来ました。
知多市とは違って見所いっぱいの常滑、この日一番楽しみにしていた町。
それにしても、出掛けると毎度毎度一緒に雨も憑いてくるのでウンザリだわ。桃鉄の貧乏神が如し。
すぐにやんだからいいけど。

何はともあれ、常滑といったらコレ→
もう終わってしまいましたが、もちろん「常滑を焼くお祭り」ではありません。常滑焼という焼き物の叩き売りのようなイベント。日本六古窯の一つとされ(他は備前・越前・瀬戸・信楽・丹波)、1000年の歴史があるといいます。

西口に出ると・・・→
違和感のある看板。作っているのは福岡だけかと思ってましたから。

↓あたかも「ホネホネロック」を歌いながら、気分良く運転しているかのよう、スケルトン君。

役所近くにあるこれ、最初見た時は気色悪く感じましたが、しばらく見ているとユーモアに感じるようになる。

(524)愛知県常滑市役所

役場から先は何にもない寒々とした荒野が広がます。海の埋立地のようです。
↓そんな中にありました、明太子屋さん。

出来立てを試食できるので、明太子に目がない私には非常に魅力的な工場ですが、入ったら最後、ずっと居座りそうなのでこれ以上近づくのはやめておきます。
屋根の上にある芋虫のような形の赤い色のキャラクターのお名前は「タラピヨくん」。

駅東側へ→
「おいで、おいで」と上から偉そうにニャーが手招きしているので、呼ばれてやる。
常滑の特産と言えば焼き物以外にも「招き猫」があり、国内の生産量8割を占めてます。ただ、発祥の地ではなさそう。この通りはその名の通り「とこなめ招き猫通り」。

右の壁には様々な人の作った多くの「招き猫」が飾られています。
そのうちの一つ→
どうやったらこれが合格祈願になるのだか理解に苦しむのですが、我々日本人の分からない特殊な感覚が異人さんにはあるのだろう。それに一見ネコには見えないし。

↓2つ上の写真奥に見える歩道橋に上がると、

巨大な猫の晒首招き猫で愛称「とこなめ見守り猫・とこにゃん」。
ですが、いくら頭でっかちでもいいから、少しでも胴体がないと生首に見えて私としては気分があまりよろしくない。

さて、焼き物の町・常滑を肌で感じるには、「やきもの散歩道」を歩くのがいいでしょう。
焼き物は勿論ですが、焼き物には興味はないんだけど、古い町並みを見るのが好きという私のような人にも持って来いのお散歩コースで、A(1.6km)とB(4km)の2種類のコースあります。私は時間の都合上、Aコースを選びました。

と、その前に腹ごしらえ→
「うなぎの中村屋」さんで、うな丼(\1640)。注文が入ってから焼き始めるので、出来立てホヤホヤのあっつあつ。うまい。

↓散歩道はこんな迫っ苦しい裏路地っぽいのまでコースに入っております。

でも数字入りの看板がマメに設置されているので、散策地図を持っていれば重症的な方向音痴の人以外なら迷わないはず?

↓江戸時代から明治時代に営んでいた廻船問屋の住居を復元した、瀧田家前の「デンデン坂」。


土管坂→
壁には明治時代の土管と昭和初期の焼酎ビンが、路面には焼台(けさわ)という土管の焼く際に使ったものを滑り止めのために埋め込んでいます。これぞ常滑という風景。

登窯(陶栄窯)の煙突→

多くの学生が町並みを描いておりました→
近寄りがたい感じで一心不乱に筆を執っているので、ナンパしづらい声かけづらい。

↓黒い窯業建物を使ったギャラリーや小洒落たお店が多い所


煙突のある風景→

なかなかいい散策路だったなと満足して、駅へ戻ります。

常滑ではギャンブルも楽しめます→
競艇場ですが、この日は生憎お休み。

↓沖の人工島に建設された中部国際空港、愛称・セントレアへ。

どんなもんかチラ見しに来ただけです。
セントレアとは、中部の「CENTRAL」と、空港・航空のイメージである「AIR」を合体させた造語で、空港の住所は「常滑市セントレア1丁目1番地」。
省略形の「中空」が「関空」のように馴染みやすいものだったらこんな凝ったものを考えなくても良かったんでしょうけど。

常滑市には大野というこれまた古い町並みが見られる地区があり、そこの「大野るりが浜」はウソかホントか世界最古の海水浴場であるといいます。夕暮れ時に見る景色が素晴らしいようですよ。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

130・131日目 猛烈に暑かった東海地方漫ろ歩き

2015-09-15 23:51:23 | 東海
2015年8月5日(水)・6日(木)


今年は8月下旬あたりからめっきり涼しくなり、早くも秋モードに突入した感のあった関東地方です(でも、セミは今だに鳴いていたりするからまだ夏は終わってない?)。
ただ、振り返ればそれまでは暑く、もっと遡れば上旬は酷暑の連続で、マスコミでは東京が○日連続猛暑日だなんだと大騒ぎしていたものでしたが、今振り返れば「そうだったよなあ」と、たった40数日前ですが最早遠い過去のものとなってしまった感じの、そんな時期ド真ん中に東海地方に行ってまいりました。

今回は夜行バスの車中泊を別にすると2泊3日の予定で、ややもすると素通りすることの多かった愛知県を中心に、最初の2日間は「名鉄電車2DAYフリーきっぷ(\4000)」を使って名古屋鉄道の沿線の町巡りをする事にします。

↓というワケで、毎度お馴染み「ムーンライトながら」は使わずに、総武線・西船橋駅横の片隅からコソコソと出る京成バス「ファンタジアなごや号」(21時35分発)に乗り込みます。

今夏は青春18きっぷを買うつもりはないし、ムーンライトもできれば乗りたくないしで、たまにはバスもいいかなと。実際乗ってみると3列シートでしたが窮屈なバスでした。しかも途中での休憩一切なし。無情すぎ。できれば今後はあまり乗りたくない。
出発後、東京ディズニーシー→東京ディズニーランド→東京テレポート駅→横浜駅と停車。

舞浜駅前のバスターミナルにて→
我が家から1時間もかからずに行けるネズミの夢の国。でも私はまだ一度も入ったことありません
「なんで~?もったいなーいっ!」とよく言われますが、全く興味のない所に行く方が、よほど金・時間ともにもったいないんで・・・などと正直に言ったら嫌われそうなので、適当にごまかしてますが。

↓7時8分到着予定が30分も早く着いた名古屋駅・新幹線口。

名古屋で見る「Keisei」のロゴ。地元でしかこれを見た事のない私にはとっては大いに違和感あり。

ゴミが散乱している駅前→
しかも、飲んで夜を明かしたらしい(?)多くの人が脱力感むき出しで居座っていたり、ビールの空き缶がそこらに転がっていたりで、実に酒臭い。
日本三大都市圏の中心の大都市・名古屋とは思えない汚らしい駅前。

↓引きも切らず電車がやってくる名鉄名古屋駅より、知多(ちた)半島西部を目指します。


↓数年前に通った時はまだ地上駅だった太田川駅。

駅前は再開発中なのか、スッカスカな印象。
もっとも、東海市の都会部分は横須賀地区という場所のようですけど。

(522)愛知県東海市役所
役所隣にある市民の憩いの場・大池公園からの撮影。
昭和44(1969)年に上野町と横須賀町が合併してできた市で、HPによれば「中部圏最大の鉄鋼基地として、また県下でも有数の生産量を誇る洋ランを始め全国第1位のフキの産地として、バランスのとれた発展を遂げ」たと自画自賛。

これは役所敷地にあったもの→
さあ、もうすぐだ!

↓ゴールデンウィークに通ったばかりの伊勢湾岸自動車道・名港トリトン(名港中央大橋)が丸見え。


あるものを見に聚楽園公園へ。
その公園は大正5(1916)年に山田才吉という実業家が観光のために開園し、平成9年に開業した保健福祉センター・健康ふれあい交流館を含めて「しあわせ村」というようです。
↓小高い丘を登っていくと、怖い顔した仁王像が仁王立ち。

夜来ると一段と怖そう。見たいものはそのさらに上にあります。

大仏様でございます!→
山田才吉さんが昭和2(1927)年に「昭和天皇御成婚記念事業」として完成させた鉄筋コンクリート製の大仏様で、実は鎌倉様よりも約7mも高い約19m。
「しあわせ村」で大仏様も見たし、幸せになれるといいがな。

↓公園真ん前の聚楽園駅より電車に乗り、朝倉駅へ。


(523)愛知県知多市役所
沿岸部は臨海工業地帯で、内陸部は農業が盛んな点は東海市と似た感じ。
写真右側の像は「尾張万歳」といって、江戸時代から知多に伝わる民俗芸能。一年の終わりを祝う「終わり万歳」というのではなく、新春のお祝いと家内安全繁栄を願うもので、今の上方漫才のルーツなんだとか。

役所にて→
右から、・・・誰のか忘れました。41は超モテ男・浅尾クン、タイガースのは伊藤敦規氏、その左も忘れた。
さて、忘れてはならない超大物のユニフォームがないです、その代わりにはバットはありますが・・・。地元球団やオリックス・楽天にも在籍していた本塁打王を獲得したことのある選手です。

美濃川の美濃新橋→
太公望がおり、何を釣っているのか気になり聞いてみたらハゼでした。
本格的なハゼ釣りはこれ(私が訪れた時)から時期を迎え、その時は入れ食いの、釣れて釣れて笑いが止まらん状態なんだとか。もちろん、釣ったハゼは胃袋の中に入ってしまうとのこと。
ついでに「知多市に名所はあるか」と問うも「ない」だったので、適当に歩いてここは脱出します。
ところで、何で川名が「美濃」なんだか分かりませんが、東海市との境には信濃川というのもあったりします。

美濃大橋を北方向に歩いた所→
このあたり一帯は昔は海だったといいます。

↓寺本駅へ向かいます。




にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

128・129日目 能登の締めくくりは円盤と渚で

2015-09-12 23:09:21 | 北陸
2015年7月19日(日)・20日(月)


ビックリしました、大雨による茨城と宮城の堤防決壊。特に常総市は去年12月に車から、今年4月にも列車から眺めていた町だったので、よけいにショックです。
ところで、民主党政権時代の事業仕分けで、スーパー堤防は「スーパー無駄遣い」としてバッサリと切られましたが、やっぱりスーパー必要なんでしょうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

志賀町(しかまち)を出たのが18時ちょっと前、日没まであと1時間半程度しかなくなってしまったので、後は次の羽咋(はくい)市を廻るのでせいぜい。
日本で唯一、縁結び専用祈願所のある「気多大社」はきっとお呼びでないだろうから目の前を通過し、羽咋市役所に車を止めます。

その途中にあったバス停→
変わった地名。変わりやすい(何が?)場所なんでしょうか?、由来が気になります。調べてみると、昔はこのあたりには2軒しか家がなく、その灯りが遠くからだと「猫の目」のように見えたからだという。

(521)石川県羽咋市役所
今年1月1日現在で人口は22,828人。
以前から面白い地名だなあと思ってはおりましたが、由来については市の観光パンフレットにしっかり書かれておりまして、第11代・垂仁(すいにん)天皇の頃、この地方に出現した大怪鳥を皇子・磐衝別命(いわつくわけのみこと)が退治した時、三匹の愛犬が「羽を喰わえた」という伝説によるとある。フムフム、ナルホドね。

それよりも、羽咋市と言えばこれに尽きます!→
今でも数多くのUFOの目撃談があるのみならず、飛来したかのようにも読める件が書かれている古文書が市内に残っていたりというのがその理由らしい。
そこで、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋なるものも建てられており、出来れば行きたいとは思っていたのですが、何せ来るのが遅すぎました・・・。
先に触れた「猫の目」は、家の灯火じゃなく、実は宇宙人の目ん玉じゃないのか?

JR七尾線・羽咋駅へ→
街灯もやっぱりUFOです。

↓「ジャーン!UFO登場!!」という意味で石彫を作ったのかと思いきや・・・。

この左に「ズズズ_」というのがあったり、離れた所には「ゴゴゴゴゴゴゴ」というのもあったりと、それらは円盤がやってきた時の音を想像してものか、とにかく石彫を作った意味がわからん。

駅前の商店街→

ご当地グルメも当然これ→
ラーメンに、カレー、チャーハン、巻き寿司、かまぼこ、ギョウザ、お好み焼き、パン、お菓子などなど兎に角何でも作っちゃえ状態。ただ、UFOヤキソバは見受けられませんでしたが(さすがにこれを作ると一悶着ありそうだ)。羽咋の地名の由来に因んだ「怪鳥料理」という鳥料理もあったりします。

国道249号線の商店街→

いよいよ旅も終わろうとしています(帰るという手間は別にして)。そこで掉尾を飾るに相応しい場所に行って、楽しかった能登とオサラバしようと思います。

来ちゃいました、羽咋の絶対的名所→
まずは勇気あるバス運転手さんに敬礼!
日本で唯一、自動車が走れる砂浜で、世界でもここを含めて3ヶ所だけ。しかも公道なので標識も立っていたりします。大学時代に一度ここを運転したことありますが、それ以来。
ただ、最近は砂の侵食が酷いらしく、もしかしたら数十年後には消えてしまっているかもしれません。今度来る時まで持っていてくれるかなあ?

壊したくなる衝動にかられる砂の像がたくさんあります。


入りまーす!→
約8kmありますが、一気に走るのも何だか勿体無い気がして、オートマのアクセルを踏み込まずとも勝手に走るクリープ現象状態のままでゆっくりゆっくり・・・。

「道路」らしき部分を走ったり→

波打ち際を走ったり→

海の中を走っているようだゼ!→
錆? 気にしない、気にしない。それよりこうして走っている方が爽快で楽しいし。
前回走った時は真昼間だったですが、この日は夜になろうという時間なので、ひょっとしたら綺麗な夕日を拝めるかと期待していましたが残念でした。

だいぶ暗くなりました→
さようなら能登!

21時15分に北陸自動車道・小矢部IC(富山県小矢部市)に入り、21時19分小矢部川SA21時56分→22時38分有磯海SA(富山県魚津市)23時17分→1時6分松代PA(長野県長野市)1時46分→2時10分東部湯の丸SA(長野県東御市)3時45分→5時5分高坂SA(埼玉県東松山市)5時35分→6時58分千葉着。

↓小矢部川SAは痛トラック自慢の会場と化しておりました。

小さな子供には大ウケで、運ちゃんは子供達に手を振って一斉にどこかへ去って行きました。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

128日目 「まれ」のふるさと巡り(3)と能登金剛

2015-09-09 23:49:54 | 北陸
2015年7月19日(日)


今回の旅は、この日の太陽がお隠れになるのと同時に打ち切りとなり、後は千葉へとまっしぐらとなります。なので明るいうちに貪欲にあっちへこっちへの名所見物に終始します。

↓輪島市の黒島集落



黒島地区まちなみ保存会というサイトにはここについての詳細がツラツラと書かれていますが、要は江戸時代から北前船の船主・船員の居住地として栄え、今では国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている黒屋根瓦に板壁の家屋が特徴の集落。
見て廻っての感想は、実に整っていて美しく、見る価値充分な町並み。
ただ、恐らく能登半島地震によるものでしょう、発生して8年も経ったというのに壁が剥がれたままの建物があったりはするんですが。
それはさておき・・・。観光客がほとんどおらん! こんな素晴らしい所に人が寄らないのは甚だ残念至極です。

琴ヶ浜→
「まれ」のオープニングで太鳳ちゃんが優雅な舞いを披露している、まさにその場所。
ここは泣き砂の浜で知られた海岸で、きっとキュッキュキュッキュ言わせながら踊ったんだろうなあ。
どういう泣き声するのかこうして浜辺に降りてきたのですが、台風で汚れてしまったせいか、全く泣いてくれません・・・。せっかく来たのにこっちが泣きたい心境。

琴ヶ浜を出るとすぐに志賀町(しかまち)に入ります。
志賀町もまた見所がたくさんある所で、まずは能登金剛と呼ばれる名勝地は外せません。能登金剛とは、関野鼻という岬から約33km南へ続く、奇岩や怪石、白砂・青松が連なる海岸線の事。

↓まずは、若い女性5人にすっかり占領されてしまい、這入る隙間のない「ヤセの断崖」

松本清張氏の「ゼロの焦点」という推理小説の舞台にも、映画のロケ地にもなった垂直35mの断崖。

覗き込んでみる→
高所が大の苦手な私ですが、思ったほど怖くない。崖の上から見れば、きっと足がすくむほど怖いんだろうけど。

右に視線をやる→
手前の岬が関野鼻で、能登半島地震によって先端部分が崩れ落ちてしてしまいました。

道の駅とぎ海街道へ→
ここで見るべきは何といっても、かつて世界一の栄誉にあずかったモノ。

↓増穂浦海岸を目の前に連なる長さ460.9mの、世界一長いベンチとしてギネスブックに載ったことのあるベンチ。

世界一はおろか、日本一のにすらとっくに後塵を拝してしまった現在においても、まだその栄誉が忘れられないのか、今だに自らを「世界一のベンチ」と吹聴しております。
この辺は「サンセットヒルイン増穂」として夕日の名所。ただ、夕日を待てない私は先を急ぎます。

↓戦地に赴いた息子が復員するのを京都府・鶴舞港で待ち続け、やがて戦死を告知されるお気の毒な「岸壁の母」。

「岸壁の母」のモデルとされた女性が志賀町出身で、道の駅建物内にはその資料展示室があります。
ところでお母さんが亡くなった後に、待ち続けた息子はシナ国で生存していたのが明らかになったりする。本当に可哀想です、お母さん・・・。

波の侵食によって作られた幅6m・高さ15m・奥行き60mの天然の洞門・巌門へも足を伸ばします。

この洞穴を入って下りていくとだ、→

こんな風にパッと視界が広がる→

洞窟を出る→

左に視線を向けると、→
写真真ん中のでっかい岩は鷹の巣岩、奥の岬の先にある小さい島が、源義経が奥州落ちの道中にそこで囲碁を楽しんでいたという伝説のある碁盤島。

岩の上から見ると海の色が美しい→

千畳敷岩より→
遊覧船で海から巌門を見ることができます。

日本に現存する最古の木造灯台→
旧福浦灯台。奥にはチラリと後を託した今活躍中の灯台が見えます。
ここまでがいわゆる能登金剛と呼ばれる一帯になります。

↓(520)石川県羽咋(はくい)郡志賀町役場

平成17年に旧志賀町と富来町(とぎまち)が合併してでき、東日本大震災以後よく耳にする北陸電力・志賀原発のある町です。
折しも、この2日前(7月17日)に1号機の直下に活断層があるかも、なんていう原子力規制委員会・専門家調査団の評価書案が提示されました。
原発新基準では活断層の上に重要施設は置けないので、それは廃炉になるんでしょうかね?

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

128日目 「まれ」のふるさと巡り(2)

2015-09-07 23:59:37 | 北陸
2015年7月19日(日)


朝市通りのウラ通り→
こちらは一転誰もおらずヒッソリ。でも案外こういう通りの方が趣きがあったりする。
そして、この通りを真っ直ぐ行くと・・・。

ナント、催し物ですよ!→
マリンタウンが会場の、アワビやサザエその他の魚介類といった能登の海の幸が堪能できる「輪島あわびまつり2015」というイベント。朝市に来て偶然これを知ったのですが、実にラッキー!! これ目当てに車が混んでいたのだな?

↓あまちゃんは三陸だけの専売特許じゃないゾ!

ここで提供されるアワビやサザエは、輪島の沖合の舳倉島(へぐらじま)・七ツ島(ななつじま)で海女さんが獲ってくれたもの。能登の海女さんは日本最多の約200名いるらしいです。
ところで、買ったアワビやサザエをここで食べるにはバーベキューコーナーで焼かないといけません。しかも家族・知人連れでそこは既に占領し尽くされており、そんな所へ見知らぬ私一人が割って入る度胸もない。超絶品というアワビは諦める(生で持って帰るのもなあ)。

仕方ないので「焼きガキ」→
これにしたって長蛇の列に並んでやっと買えた一品、人の食への執念たるや恐るべしです。
美味かったけど、やっぱり麦も飲みたかった!

お偉いさんもアワビ目当てに駆けつける→
ほとんどの人は飲み食いに夢中で、せっかくの県知事のスピーチも聞いちゃあいません。
「能登は今や、活況を呈しております!」とご機嫌そのものでしたが、問題はブームが去った後をどうするかなのだが・・・。

(519)石川県輪島市役所
「まれ」もちょっぴり働いていたという役所。
ま、それはどうでもいいのですが、とにかく観光で成り立っている感のある都市。輪島塗も有名。
平成18年に旧輪島市と門前町(もんぜんまち)が一緒になって、新しい輪島市が誕生。
河原田川(かわらだがわ・左)に、その支流・鳳至川(ふげしがわ・右)が合流し、その先から河口までを輪島川ともいうようです。

その輪島川→

役所のご近所→
面白そうなものがたくさんありそうでしたが、入り辛い感じでしたし、とにかくムチャクチャ暑かったので、さっさと道の駅に戻り、再び海岸線に沿ってのドライブ開始。

鵜入(うにゅう)集落→
黒い屋根の頑丈そうな民家に港、さらに青い海と調和の取れた美しい集落。

↓全部が無人島という、まさに七つある七ツ島

お見苦しい画面でスミマセン。レンズの中に細かい塵がくっついてしまって、もはやデジカメを分解しないと除去できません。拡大して写すとこうなってしまうのです。

美しいぜ、能登半島と海→

やがて、こういう集落に着きます→

大沢集落→
前回のブログで竹垣に覆われた集落を紹介しましたが、能登半島にはこうした集落が多く、ここもその一つ。竹垣を間垣といい、この集落のそれの高さは3mあるという。
間垣が見たくて来たワケなんですが、なんでだか観光地っぽくて、やたら人が多いぞ。??
それもそのハズ、ここは「まれ」の重要なロケ地だったんですね。知らんかったです(改めてお話ししますが、私は旅に出るまでドラマは全く見ていません)。
旅から帰ってきてドラマを見たら、確かにいきなりオープニングでばっちり登場しておりましたし(最近のは出てきていないようですが)。

↓周りにいた人は「これだ、これだ」なんて口々に言っていましたが、私は?。


子ども広場のやぐら→

海沿いにある、民宿桶作さん→

内陸部の佇まい→
こちらには間垣はありません。海に面した建物にだけ備えられています。

いつまでここに人が来るんだろう。何年後かには忘れ去られて、きっとミーハーじゃない純粋に町並み散策好きな人だけが来るので落ち着くんだろうなあ。

大沢集落から少し離れた上大沢集落→
ここも間垣の集落。

旧門前町の皆月(みなづき)集落→
ここにも間垣はあるのですが、それよりもいかにも頑丈そうな板張りの家々が建ち並ぶ様が美しい。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

128日目 「まれ」のふるさと巡り(1)

2015-09-05 23:59:27 | 北陸
2015年7月19日(日)


↓外浦に来てからは、しばらくは海を眺めながらのドライブとなります。

またこれが気分爽快、気持ちいい!

見所は海だけではありません→
珠洲市高屋~鰐崎の集落にかけて、道に面して珍しい風よけの竹垣が連なっております。
相当冬の風雪が厳しいんだろうね、能登は。
古くは風待ちの停泊地として利用され、それら船乗り相手に栄えた謂わば溜まり場。

↓同じ石川出身の元メジャーリーガーと同じ名前を持った珠洲の新名物。

名前とは裏腹に、これが小さくにしか見えない岩でして・・・。「子ゴジラ岩」といった方がピッタリかもしれませんが、それでも4mの高さがあるといいます。

道の駅すず塩田村→
日本唯一の「揚げ浜式」による塩づくりを現在に伝える施設。「揚げ浜式」とは、塩田に海水を撒いてかん水を作り、それを釜で煮詰める約500年前から続く製法。もちろんここで塩作りが体験できます。

ちょいとその先にある「角花家の塩田」→
「道の駅すずなり」でこういうのがあるのを知ったので、来てみたんですが・・・。
見覚えある方もいるでしょう、「まれ」での塩作りのシーンのロケ地(私は見たことないですが)。もちろん、演技指導もここの家の方がしたそうです。

垂水(たるみ)の滝→
ちょうど珠洲市と輪島市の境となる山から直接海に流れ落ちる珍しい滝。
てなワケで、とてもいい所だった珠洲とはお別れです。

↓滝がある山のトンネルを抜けると、曽々木海岸の「窓岩」が現れます。

岩の真ん中に直径2mの穴が空いていて、それは源義経が矢で射て開けたという伝説もあるようですが、高校時代に弓道をやっていた私に言わせれば、んな事あるわけがない。
10~11月の夕方になると太陽が穴にすっぽり入って、岩の内側には光輪が見られるらしいです。

この近くに国指定重要文化財の築170年の旧家があるというので、どんなものか行ってみました。
本家・上時国家(かみときくにけ)→
平清盛の義弟・平時忠が祖先と伝えられる名士の家で、江戸時代からの豪農。
28年かけて建造したという築170年以上の入母屋萱葺きの屋根が特徴の建物で、現存する近世木造の民家では最大級だとか。
確かに私は古民家を見るのは好きなんだけど、お金持ちのではなく、庶民的な家の方が好きだな~。というワケで面を見ただけで去る。
因みにすぐ近くには分家・下時国家というのもあり、そちらは築200年前の能登最古の民家。

能登と言えば、これでしょ、ってくらい有名になったここへ。
道の駅千枚田→

白米(しろよね)の千枚田→
棚田百選や国指定文化財名勝に指定、世界農業遺産にも認定されていて、10年位前、当時の総理大臣だった小泉さんが「絶景だよ、絶景!」と絶叫(?)した、その場所。確かに絶景だよ!
実際は2000枚余りあるようですが、国指定分は1004枚。だから名前も「千四枚田」でもいいような。

多くの著名人がお持ちのようです→
年間2万円で自分の田んぼを1枚持てるそうです(他にも条件があるとの事ですが)。

輪島の街中で「能登丼」を食べようと思ってましたが、急遽変更。
↓千枚田で収穫したお米でのおにぎり(「棚田米おにぎり」という)と「のと海藻そば」。

海を眺めながらの食事、最高ですわ。

街中に入り、道の駅輪島へ→
のと鉄道・穴水-蛸島間よりも早い平成13年に廃止された、のと鉄道・輪島駅だった所。
大学時代にまだ営業していた当時の駅前を車で通ったのは覚えていますが、細かい佇まいは全く記憶がありません。

何はともあれここですよね?→
旧ホーム跡。日本の駅名標で次の駅が外国は恐らくここだけじゃないかな?
このまま真っ直ぐ矢印の方向へ行くと確かにハバロフスク辺りのような気はしますが、そこはあまりシベリアってイメージじゃない・・・。でもロマンがあっていいです。コレ。
当然ですが、シベリアへ行く線路はありませんし、航路ももちろんありません。

古い建物が並ぶ道で朝市に向かう→
車はメチャ混みですよ。朝市ってそんなに人がたくさん来るのか、先が思いやられるなとゲンナリしておりましたが、実際はそのせいではなかったようです。ワケは次回に・・・。

朝市の様子→
それでもやっぱり人はイッパイ。さすが、日本三大朝市(他は岐阜県高山市と千葉県勝浦市or佐賀県唐津市呼子)。ただ、永井豪記念館はひっそりとしていた感じでしたが。

市姫朝子お嬢がいないとお話しになりません→
モテモテで人気者だった愛称・朝いっちゃん。現在ボーイフレンド募集中だってさ。じゃあ立候補しようか!

↓七尾では買えなかった「えんがら饅頭」・・・。

輪島では名前が変わり「えがら饅頭」。輪島は黄色も七尾のはだそうです。同じものでも所変われば違うもんだな。地味で素朴な感じのお菓子ですが美味。

朝市に来た目的はこの饅頭を買うだけで他にはないし、一通り見てさっさと脱出(人混み大嫌いなんで・・・)。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

128日目 涼しい早朝時に珠洲市散歩

2015-09-02 23:13:38 | 北陸
2015年7月19日(日)


普段の日常では宵っ張りの朝寝坊が常の私でありますが、旅に出ると突如健康体質(?)に激変わりします。
この日は5時に起床しすぐに散歩。
恐らく、金と時間と労力を使ってわざわざ遠くまで来ているので、明るい時に多くあちこちを廻らないと勿体無いという意地汚い、いやいや根っからの貧乏性のせいだからかな?

一晩過ごした「道の駅すずなり」→
かつて、のと鉄道の珠洲(すず)駅だった場所。

↓ホームだけはまだ残っております(穴水方向に写す)。


この日はここでイベントが開催!→
ですが、10時から・・・。そんなにはいられるハズもなく、街中を一通り見たらさっさと去るつもり。それにお一人様はお呼びでないファミリー向けっぽいし。

翌日にはお祭りですよ!→

同日に2つもお祭りですかい!!→
と思いきや、おすずみ祭り=燈籠山祭り、なのです。
このお祭りは、高さ16m・重さ約5トンの燈籠山という山車1基と8基の山車が深夜まで町中を練り歩くお祭り。しかも山車は誰でも曳くことができるという。

飯田町燈籠山祭り公式webサイトより→
美しすぎ。ここ珠洲はいよいよ人で鈴成の時を迎えます。

市中心部を飯田地区といい、若山川という川がその地区を貫いて海に注いでおります。

川の東側の街並み→

↓西側→


川の東西に商店街がずーっと続いていて、あまり多くはないですが、古い趣きある家が散見できます。
この通りのすぐ近くは海なのですが、漁師町をあまり感じさせないのがまた面白いところ。
元々飯田は江戸時代から能登半島先端の物資の集散地であったらしく、漁師町というより在郷町として、近代に入っては商業で発展した町のようです。

若山川の吾妻橋→
商業都市だけども農業ももちろんしているので、欄干に飾る七福神として五穀豊穣の神様・大黒様(手前)と商売繁盛の恵比寿様(奥)は外せません。

橋から見る河口→

やや小ぶりな感じの漁港→

(518)石川県珠洲市役所
昭和29(1954)年に珠洲郡飯田町他2町と、前日ウロついた蛸島(たこじま)村他5村が合併し、そのまま市制。
ただ、当時38,157人いた人口も今では15,657人(今年7月末日時点)と半分以下である上、お隣の能登町に負けているし、本州で一番人口の少ない市という有り様。
前回のブログでも紹介したとおり、観光名所はたくさんあるし、一度消えた「珠洲焼」という古典的な焼き物を復活させたりと、観光では頑張っている感はあるのですが・・・。
Iターンで人を呼ぶにも仕事は農林水産業と窯業以外あるんかなあ・・・?

役所裏手にある「春日神社」→
先ほど紹介した燈籠山祭りはこの神社の神事。
境内には万葉集で最多の歌を残した奈良時代の越中守・大伴家持が能登巡行の折(彼が能登に来た時には、能登国は越中国に呑み込まれておりました)に詠んだ歌の碑があります。
珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり

↓のと鉄道廃線盛土によじ登る(穴水方向に写す)。

左奥の車が止まっている白い建物がかつての珠洲飯田駅舎。

そんなこんなでぶらついて7時半頃、道の駅を後にします。
↓前日通ったパワースポットの方は経由せず、山を越えて半島西側の海岸線に出ます。

これまでの穏やかで優雅な内浦(半島東側)とは違い、断崖が続く雄大な外浦をこれから思う存分堪能しますよ!

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へにほんブログ村 街並み巡り ブログランキングへ

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→