ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

122日目 安田町早朝散歩後、安芸市街へ

2015-06-29 22:25:55 | 南四国
2015年5月4日(月)


徳島・高知への車でのドライブはこの日が最終日でございます。

暑かったけれど、比較的天候には恵まれた今回の旅ですが、最終の最後に限って空はあいにくの曇天・・・。心配していた前日夜から降り出した強い雨は止みそうなのは幸い。

一晩過ごした「道の駅大山」(安芸市)は、海の眺められる休憩所。

徒歩で行ける堤へ行ってみる→
漁港の上の建物が密集している所が道の駅。

そして海の方に視線をやると・・・→
最近どこもかしこもこんなのばかり。そのうちアベックでないと行けなくなる場所だらけになってしまいそう。そうなると一人でブラブラするのが好きな人(例えば、私)は困るわ。 
いわゆる「恋人の聖地」のくだらない認定運動をしているのは、碑に名前が入っているそのお方。余計な事をせんでよろし。
それはさておき、ここはそんなにロマンチックで素晴らしい場所には思えないんだけど。

さて、前日の続きで安田町(やすだちょう)へ。

↓役場の真ん前には安田八幡宮(前日撮影)。

古くからの安田川流域の総鎮守。創建年代は不明。

↓神様よりも、草に食われそうな立派な空き家の方が目に付く(これも前日撮影)。



輝るぽーと安田→
ありきたりではありますが、地場産品も買えます。そしてアピールポイントは地元で採れた食材を使った料理が楽しめる点。ただ、フランス料理っぽいのが出てくるらしく、至って女性向き。だから男にはここは全く用なし。

安田まちなみ交流館「和(なごみ)」→
大正時代築の洋館と昭和初期築の日本建築がくっついた建物で、国の有形文化財。
以前はお医者さんだったらしい。

安田川の方へ行ってみる→
モニュメントがあるとおり、この川は鮎が多く獲れるのに加え、その鮎は「清流めぐり利き鮎会」で2回優勝したほどの優れもの。
安田川にはダムがなく、従って清流の名を欲しいままにしている羨ましすぎる川です。

↓モニュメントを左折し、県道12号線を歩きます。

これをひたすら山の方へ行くと、前日行った馬路村(うまじむら)。

↓酒蔵が見られるなど、昔ながらの風情ある町並み。






ついでにウラ通りも行ってみると、朝っぱらからどこからともなく賑やかで騒々しいわめき声が聞こえてくる。

音源はここ→

だれが声を出しているかというと・・・→
みんな妙に元気、元気! ひょっとして軍鶏? 
ここ安田町は闘鶏がお盛んのようで、全国でも珍しい闘鶏用の施設があったりします。
毎年12月から翌年6月までの毎週日曜日に行われ、つい昨日の6月最後の日曜日に優勝鷄が決まる仕組み。
そう言えば、高知出身・坂本龍馬は軍鶏鍋に目がなかったんだよなあ。

こんな感じで見て廻って、国道55号線をさらに北上。

(505)高知県安芸市役所
高知県東南部の中心的存在の安芸市ですが、人口は18,500人ほどで昔に比べるとかなりのジリ貧。
この市を一言で表せば、藩政時代の趣きの残る町・三菱源流の地ということか。
それらは後ほど見に行きます。

市役所隣には「安芸観光情報センター」→
高知県東南部の観光情報はお任せといった施設。
なのですが、ここは駅からはそう遠くない場所にあるものの、列車を使って観光に来る人も(きっと)いるだろうから、こういうのは駅構内や駅前に置くべきなんじゃないかな。
設置場所に関して、深い思慮の欠けるお役所的発想は相変わらず。

安芸駅へ→
真ん中の三角屋根の建物は「安芸駅ぢばさん市場」。
安芸市に限らず、この周辺地域の特産品を多く取り揃えているので、ここで一気にお土産を買い込めます。

中はこんな感じ→

またも頭でっかち、駅のマスコットキャラクター→
しばしこれを見ていると、この格好をマネして記念撮影している人多し。
さらにご丁寧にも、傍にはポーズの指導をしてくれるおっちゃんもいたりする。

↓あまり名前は知られていないけど、このお方の出身地。

作曲した有名な童謡と言えば、再三このブログでも登場の私の一押し「浜千鳥」や、訪れた時期にぴったりだった「鯉のぼり(甍の波と~、で始まる方)」、他には「春よ来い」「雀の学校」など。

江ノ川上公園→
ここにはこの曲碑。宿泊した道の駅そばには「浜千鳥」の曲碑があるなど、あちこちこうしたものが点在しております。
以前は三菱創業者の岩崎彌太郎の像がこの公園にあったのですが、今では生家の方に移されています。

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所

121日目 安田川流域の日本の山里原風景

2015-06-26 23:42:12 | 南四国
2015年5月3日(日)


前回、この日のうちにある村へ行きたいがために濱口雄幸の旧邸を諦めたと書きましたが、行きたかったのは山奥にある馬路村(うまじむら)。

そこへは安田川という川を遡っていけばいいのですが、下流域に安田町(やすだちょう)があります。
当然無視できないので、取り敢えずはこの役場へ。

(503)高知県安芸郡安田町役場
人口は昨年2月末時点で2,865人。

当初、この町をさしてあまり気に止めず、適当にパッパとやり過ごそうと思っていました。
ところが車で市街を廻ってみると、案外古い建物が多く残っていて、いい雰囲気の佇まいの町である事が分かり、ある程度時間かけて散策してみたくなりました。
そうなると馬路村へは明るいうちに行けなくなりそうなので、ここは翌日改めて来ることにし、すぐに安田川沿いを通る県道12号線で山奥へと向かいます。

味工房じねん→
安田町で採れた作ったものを買ったり食べたりできる施設。

ひたすら山奥へ→
昔の日本、そのまんまだよ、ここ!

↓馬路村の中心部までホンのあとちょっとの所まで来ました。


(504)高知県安芸郡馬路村役場
人口は1,000人を少し下回る数で、「日本で最も美しい村連合」の一員。
こういう所なので、自治体の財政力指数も高知県でも下位の方ですが、犯罪発生率は県内でドベ(=治安がいい。2009年はたったの1件)。これが上位だったら困るけど。

それはさておき、この村には案外知られた特産品があります。
昭和61(1986)年に販売が開始された、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」
これは東京の百貨店での物産展で見事に最優秀賞を獲得! したシロモノであります。
他にも「1000人の村・ぽんずしょうゆ」やジュース・調味料などなどで、これらを是非買いたい!と思った方はコチラを見てね→馬路村農業協同組合HP

役場前の道を北方向に写す→
静か、ひっそり以外言葉が見つかりません。

↓そんな中、坂になっているこの道を登る途中に見つけたネコづくしのおしゃれな家。

こんな長閑で素朴な場所に似つかわしくない気も。 一軒くらいこういうのもありか・・・。

高台へ行き、川の対岸(右岸側)を見る→
下の真っ赤な吊り橋は、対岸に見える建物(馬路温泉)から下にあるバンガローを結んでいます。
正面の山(三宝山)の左下から山頂に伸びる、またも真っ赤なものは「インクライン」。
インクラインは、元々は山奥から伐採した木材を搬出するのに使っていた水のみで動くケーブルカーで、人が乗れるように改良したのが今現在の姿。詳しくは後で案内板を載せますんで。

↓今度は役場南側に行き、橋を渡って対岸へ行ってみましょう。


強いて言うなら村の「繁華街」か?→

馬路温泉方向(北方向)に歩きます。
↓その道から見える川や町並みはこんな感じ



だんだん心細くなってまいりました。

馬路温泉→
残念ながら温泉に浸かりませんでした。
というのも、ここは宿泊もできるのですが、温泉は泊まる人しか入浴できないものと勝手に決めつけてしまっていたから(何でだか理由が全くわからん)。
後で温泉のHP(ここをクリックすれば飛びます)を見たら日帰り入浴できるのを知ったけれども後のお祭り・・・。
おまけに山と川の幸も堪能できるとあるし(ただし、酒が飲めないので食べてもつまらないんだけど)。

↓男は持って帰っちゃダメなんだってさ、ケチすぎ!(怒)


↓温泉の正面には駅舎がデーンと構えられております。



これはかつて明治44(1911)年から昭和38(1963)年までこの地域一帯(奈半利町・田野町・安田町・北川村・馬路村)を走っていた「魚梁瀬(やなせ)森林鉄道」を平成6年に復元したもの。一周300mを約5分かけて二周してくれるそうな。
同じ馬路村の魚梁瀬地区では同様に平成3年に復元されていて、そこでは運転もできるんだそうです。

この森林鉄道は橋や隧道などの遺構をあちこちに残していて、それらは経産省の近代化産業遺産群に認定、さらには森林鉄道としては初めての国の重要文化財に指定されております。

先ほど登場のインクライン入口→
てっぺんからの眺めは、さぞよろしかろう。

↓かなり暗くなって再び戻ってきた役場前の道。

明かりは街灯だけで、家からは光が全く漏れておりません。
実はこの村に来て誰一人として人間という生き物を発見できず、本当に村に人が住んでいるのか心配になってくる。
ここを去る前に、名残惜しく真っ暗な中を車でグルッと村一周していたらイヌの散歩をしている人とゴミ出ししているオバちゃんを見つけ、ちょっとは安心したけどさ。

↓この日の宿泊は、海っぺりにある安芸市の道の駅にて。


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121日目 ごめん・なはり線沿線の町巡りの始まり

2015-06-22 23:58:54 | 南四国
2015年5月3日(日)


吉良川を出たのが14時半ちょっと前。
国道55号線をさらに北上して、20分程で奈半利町(なはりちょう)に到着。

(500)高知県安芸郡奈半利町役場
中世より奈半利川上流の魚梁瀬(やなせ)地区からの木材の積み出し地として重要な拠点として栄えた町。特にここで伐採される杉は「日本三大美林」の一つとされているもの。
先に見た吉良川地区ほど有名ではないですが、幕末から近代にかけてつくられた古い建物や石塀が多く残っている町。人口は約3,400人。

という訳で役場横に石塀が早速お目見え→
お隣の武知さんというお家の塀。丸石のままか半割りにした石を積み上げる2つの方法があるという。

登録有形文化財の建物・石塀をいくつか。

野村家住宅(大正11(1922)年頃築)→
金がないためか草ボーボーと放置状態。さぞ虫が沸いて近隣は迷惑だろう。

森家住宅(大正7年頃築)→

藤村製絲株式会社倉庫→

奈半利駅へ→
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(正式には阿佐線)の終着駅。
平成14年7月1日に、実に37年もの歳月を要して開業した日本最後の新しいローカル線
来月11日には「お誕生日会」がある(←詳細はここをクリック)みたいなので、行きたい方は是非どうぞ!
手前の人形は「なはりこちゃん」。
それぞれの駅にマスコットキャラクターが設けられていまして、それらのデザインを手掛けたのは、高知県出身のあの偉大な漫画家・やなせたかし氏。

奈半利町は1時間程度いて、次に山側に向かってすぐの北川村(むら)へ。

(501)高知県安芸郡北川村役場
人口1,400人ほどの、柚子が特産の村。
というか、そもそも柚子生産量日本一は高知県で全国シェア4割といいます。
でも歌い手のあの団体と、偶然ですが名前が同じの一メンバーとは全く関係ないみたいですが。

役場前の道→
だれーもいません。

↓役場近くの奈半利川に架かる橋の上流側

綺麗ですなあ。というか、今旅で汚い川をお目にかかる方がまれ。

↓この上流方向を遡るとあるのが、このお方の生家。

史料館は閉館の16時半まであと20分しかないので入りませんが。

当然ここにもコレがないとね→
全く元気なさげに突っ立っているように見えますが、像の左下から写すと格好よく凛々しく撮れる事が後で分かる。ま、写真撮りはド素人なのでカンベン。

生家(ただし復元物ですが)→
天保9(1838)年に生まれ、慶応3(1867)年に坂本龍馬とともに京都で暗殺されてしまった中岡慎太郎さんでございます。

↓こんな大きくなりました(というか、植えた時の大きさは知らんが)。

このドラマはほとんど見ていなかったので、この俳優が彼の役をやっていたのをここで初めて知る事に(苦笑)。

ついでですが、北川村にはお花の好きな方にオススメの、フランス印象派の画家であるクロード・モネが愛したジヴェルニーの自宅庭をモデルとした「北川村モネの庭マルモッタン」というフラワーガーデンが奈半利から北川村役場へ行く途中にあります(美術好きな方でもいいかも)。何げに宣伝しとこ。

↓続いて、奈半利駅からわずか1キロ余りの場所にある「道の駅田野駅屋」へ。

集客・売上・お客満足度などで、「四国有数の道の駅」が謳い文句。

↓「駅屋」と名付けられているくらいなので、当然こういうものと一体となっております。

この駅のマスコットキャラクターは、やたら頭でっかち「田野いしん君」。

↓(502)高知県安芸郡田野町(ちょう)役場

ここも木材の集積地として栄えた四国で面積が一番ちっぽけな町。人口約2,800人。

ちょいとばかり町中散策してみます。

↓この白い立派な建物は、「美丈夫」「濱乃鶴」といった銘柄の日本酒を製造・販売している酒蔵。


旧道→

岡御殿→
土佐藩主が領内各地の巡回の際に本陣とした宿。

この日のうちにある所へ行きたいがため、泣く泣く諦めた田野町の名所があります。
それは、戦前の第27代内閣総理大臣・濱口雄幸(はまぐちおさち)の旧邸。

最近では小泉首相が「ライオン宰相」と呼ばれましたが、彼こそがまさにその初代。
首相就任時に「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」と語ったことでも有名。
今でも「跡」を記すプレートがありますが、彼は昭和5(1930)年に東京駅で襲撃され負傷、翌年亡くなってしまい、まさに言葉通りになってしまう。

そして、あまり知られていないのですが、国民が切望した負傷手術後の「オナラ」。
待ち望んだそれが出るや「ガス1発のよろこび」という新聞見出しになるほど。
こんなにも大々的にたかが「オナラ」が喜ばれ報じられたのは、後にも先にもこの時しかないだろうね。

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121日目 後悔先に立たざる吉良川

2015-06-15 23:33:57 | 南四国
2015年5月3日(日)


↓「道の駅・キラメッセ室戸」を出るとあっという間に次の目的地へ。

走っては降り、走っては降りの連続で、かなり落ち着きのないドライブ旅となっております・・・。
ここは前回でも軽く触れましたが、平成9年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された室戸市吉良川町。2,000人余りが住む集落。

結果からお話ししますと、実はこんな見所満載のこの町をガイドブックなしの手ブラで適当に廻ったために、いいものを相当見逃してしまった失態を演じてしまいまして・・・。
「吉良川まちなみ館」という観光の拠点的施設があり、そこで散策マップでも貰えばよかったのですが何故だかそういう考えが起こらず。
今となっては「何やってたの?」なのですが、疲労もたまってましたし、お昼を食わず状態だったので、脳内のブドウ糖が絶対的不足状態に陥っていて頭の回転がかなり鈍っていたようです・・・。

思いっきり手遅れではありますが、翌日(5月4日)手に入れた散策マップの言葉を借りますと、吉良川とは「主要な産品には近世から木炭と薪があり、特に明治期から昭和初期にかけて、良質の木炭の集積地として繁栄しました。吉良川の伝統的建造物群の多数がこの時期に建築されており、現在の吉良川町の町並みは近代の経済的繁栄を背景に形成されました」という所。
なので、あまり知られていないですが備長炭も室戸の特産品の一つであります。

↓ではでは、四の五の言ってないで、さっさと町中へ行きます。


まずは海に近い旧街道沿いの下町地区。

↓ここは白壁と水切り瓦の建物が特徴



水切り瓦とは、風雨による劣化を防ぐための庇のように並んでいる瓦。

なまこ壁付きの建物もあります→

↓かと思いきや、レンガ壁の家もあったりする。

京阪神から商売の帰りに船底に積んで持ち帰ったものだという。

↓大正11(1922)年~12年頃築の郵便局



チョンマゲ?付きの鬼瓦にはしっかりと〒マーク付けとります。

↓ここの家の家紋はクリオネらしい(そんな訳ない)


対する山側の上町地区の特徴は「石ぐろ」。
「石ぐろ」とは、風の被害から守るための河原や浜の石を使ってできた壁ですが、ただ、残念ながら上町地区は廻っていないのです(そもそも「石ぐろ」の存在を知らなかった)。

こんな感じの壁?→
実はいろいろなタイプがあるようで、「吉良川 石ぐろ」と画像検索すればいっぱい出てきます。いやはや、今思うと見なかったのは大失敗・・・。

でもですね、捨てる神あれば拾う神ありじゃないですが、いい事もありまして・・・(ホンのちょっぴり慰め)。

たまたまですが、この日はこれの日でございました→
五穀豊穣と天下泰平を祈り鎌倉時代に始まったとされる、国の重要無形民俗文化財に指定されたお祭り。「日本三大奇祭」の一つに数えられる事もあるらしい御田(おんた)祭、年の5月3日に奉納されます。見られるなんてラッキーな! 

↓御田(おんだ)八幡宮へ行ってみよう!
 
境内は隔年で三大奇祭の割に人が少なすぎやしないか?
「アイスクリン」というのが、いかにも高知らしい(笑)。

しばらく見ます→
が、全く知識がないので何やっているのかさっぱり分からん。
この舞台では田を耕して収穫するまでを演じるとの事ですが、上の写真は「牛」と「田打」という演目の合い間だったような気がする。
特筆すべきは、「酒絞り」という演目。
全国から子供を授かりたい女性が舞台に上がり、役者の差し出した木製の人形を奪い合うあさましき勇ましき場面が見られるようです。

「東の川」という川の橋へ→
右の欄干が傾いているし。

上流側→
鯉の吹流しが川に戻ろうとしているし。

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121日目 逆にパワーを削がれつつある室戸市街

2015-06-11 23:51:26 | 南四国
2015年5月3日(日)


国道55号線の旧道で市街地へ向かいます。

室戸岬港→
昔な感じのかおりが香ばしい、かなりいい雰囲気の港。
写真は載せませんでしたが、ここに「紀貫之朝臣泊舟之處」と「野中兼山先生開鑿之室戸港」の石碑が建ってます。

突然日本史或いは古文の復習になりますが、まず、紀貫之(きのつらゆき)とは10世紀の貴族で歌人。
土佐守の任を終えて、京都まで帰るまでの紀行文・土佐日記を記した、その人。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と、男でありながら女色趣味の持ち主であった(可能性ある)彼は、悪天候のため、ここで10日ほど足止めを食らったらしい。

旧称・津呂(つろ)港と呼ばれ、江戸時代初めに土佐藩家老・野中兼山に開削された掘込み港。
江戸時代は捕鯨、明治期はサンゴ採取・カツオ釣り、大正以後はカツオやマグロ漁業で遠洋漁業基地として栄えるも、基地は静岡や神奈川へ移ったため衰える。

(499)高知県室戸市役所
先ほど行った室戸岬その周辺をはじめ、イルカと遊べる施設があったり、後ほど行くけど重要伝統的建造物群保存地区もあるわ、魚介類は豊かだし、海洋深層水もあるしで、観光地として案外知名度ある室戸。ただし・・・。
四国最弱の市
人口は1万5千人を少し下回る数で、全国的にもドベから数えるとすぐに発見できる僅か5番目で、しかも下4市は全て北海道というオマケ付き。。
このままでは1万人割れも時間の問題のように思われ。一体どうなるんだろう、ここ。

↓市内を流れる室津川の北にある浮津交差点から伸びる、超苦戦気味の商店街


室津川の「両栄橋」を渡って室津地区へ→

河口側→

↓往時をしのばせる年季の入った、でもボロボロな空き家

昔から栄えた室津ですが、意外にもこうした古い感じの建物はそう多くは残っていません。

25番札所のお寺さん→
弘法さんお手製の本尊があり、普段は見ることができないのですが、50年に一度だけ見られるそうです。次回は2025年。

↓お寺さん入口前にある商工会館内のごはん屋さん。

メニューは高知名物「キンメ丼」やら、「クジラのたたき」「ウツボの唐揚げ」などなどで、どれもこれも美味そう。しかも港を眺めながら食事ができるという。いいじゃないですか!
ところが、来た時間が非常に悪く12時半ちょいすぎ。階段まで人が待っているし・・・。
ここは諦めて、さらに市街をブラブラ。

室津港→
ここも野中兼山により整備された港。その後の歩みも室戸岬港と似た感じ。

港の左側の通り→
車はやたら多いけど、降りた人のほとんどはお寺さんに吸い込まれていってました。
歩いてのお遍路さんも多く見られましたが、車でのお遍路さんも結構多いような感じ。

逆向きの風景→

タヒしかけている寂れた路地から飲食店が多く建ち並ぶ所へ。


  
遠洋漁業の基地があった頃の賑やかさを充分すぎるくらい感じられる歓楽街。
ただし、ひっそり(真っ昼間だから当たり前なんだけど)。


ここもアカンのか・・・。
住民よりもごはん屋待ちの人の数の方が多いんじゃないか?

↓街中でのご飯は断念して、車を走らせ「道の駅・キラメッセ室戸」でお昼にしよう。



ですが、ここはもっと酷い! 食い意地の張った人の多さには心底参りました。

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121日目 室戸岬に大地のパワーを浴びに行く

2015-06-08 23:49:47 | 南四国
2015年5月3日(日)


平坦な海岸線沿いの国道55号線をひたすら南下し、高知県東南部先っぽの室戸(むろと)市へ。

まず最初の見所は夫婦岩(めおといわ)→
七五三縄で結ばれた岩がそれ。
ま、あちこちによくある名前で、その中でもここは全国的に大きな部類になるそうですが、今は落石の恐れがあり近づけません。残念。

↓続いていきなり雨に祟られた中、高岡地区へ。



ここは暴風雨よけの石垣・コンクリート塀が特徴の集落。
でもこれだけでは年中行事でやってくる強烈な台風には太刀打ちできないのか、高い樹木も植えられていて、建物は辛うじて屋根だけが見える状態。
室戸台風(昭和9(1934)年)、さらには第二室戸台風(昭和36(1961)年)と命名されているのがあるくらいですからねぇ。
特に第二の時は最大瞬間風速85m/s!で室戸岬灯台の観測計が壊れてしまったというから、怖すぎというかよく住めるものだと感心する訳です。

次に、雨は上がり晴れて急に蒸し暑くなった室戸岬すぐ手前にあるいくつかの見所へ。

室戸青年大師像の駐車場に車を止めます→
昭和59(1984)年に建立された弘法大師・空海の像で、台座を含めた高さは21m。
「日本唯一」とあるのは、弘法さんの青年像が唯一という事らしい。台座の中に入れるらしいけど、興味なし。

この近くの御厨人窟(左)と神明窟(右)→
御厨人窟とは弘法さんが修業中に住居として使っていた洞窟で、神明窟は修行していた洞窟。
波の力で削られてできたものだという。

御厨人窟の中→
中には五所神社があります。
こんな陰鬱とした所でずっと寝食していたらそれこそ鬱になりそうだわ。弘法さんはすごいね。
ここから見える空と海に感銘を受けたとの理由で弘法さんは「空海」を名乗ったという説あり。
ところで、「御厨人窟」ってどう読むの?
一発で読めた人はすごいな(いないと思うけど)。「みくろど」といいます。

↓ここらの海岸線には「乱礁(らんしょう)遊歩道(約2.6キロ)」と呼ばれる遊歩道がありまして、波に浸食された奇々怪々な形をした岩を見て廻れます。




↓左のポッコリしている岩が「ビシャコ岩」(だったと思う)、右の汚く見える池は弘法さんが行水した池。

ここで身を清めようたって、余計けがれそうだけど。

市の全域が「室戸ジオパーク」として認定されている室戸市。
ジオパークとは「地球科学的に見て重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園」。
室戸は日本列島の陸側のプレートに海のプレートが潜り込むことで、南の海底が押し出されてできた所で、それも地震のたびに数十センチから数メートル隆起する速さは世界的に類を見ないという。そのスピードが著しい場所が室戸岬。
近くが深海なので、日本初の海洋深層水を取り始めた場所でもあります。

岬の駐車場へ→

↓ここで仁王立ちしているは幕末の土佐藩士・中岡慎太郎

Vサインでもしていたらもっと格好良さそうさけど。
昭和10(1935)年に建てられた銅像。
超人気者・坂本龍馬よりも知名度で劣っていて、どうしても龍馬の引き立て役になりがちな彼。
本当にこの岬に立ったことがあるのかどうかは私は知りません。

岬の突先、灌頂ヶ浜へ→

振り返ると山の上の灯台とションボリ見える銅像→

↓波打ち際に近づく→


初めて来た室戸岬ですが、せっかくなので事前にここの写真を全く見ないで勝手に断崖絶壁の岬をイメージして来たものの、全くの大ハズレ。最果ての感も今一つ。

岩によじ登る→
この日の波はあまり高くはないですが、それでも黒潮の荒々しさは感じ取れます。

室戸スカイラインの急坂を登り、灯台に向かいます。

室戸市街を見下ろす。見晴らし実によろし→

↓四国八十八箇所第24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)

大同2(807)年に開創されたお寺さん。開創したお方はもちろん弘法さん。
23番札所から実に75キロ。それまで比較的平坦な道とはいえ、こんなに歩かされた上にやっと着いたと思ったら今度は険しい山(160m)を登らされる。修行とは言ってもこれは辛すぎ。

明治32(1899)年から灯し続ける灯台→
レンズの大きさは直径2.6mで日本最大級、光は約50km先まで届くという。
ここから眺める大海原は素晴らしい。
ただ、恋人同士で来るなら真っ昼間よりも日が落ちる頃の方がよろしいかと。

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121日目 関西ナンバーにジャックされてしまった町

2015-06-06 00:08:09 | 南四国
2015年5月3日(日)


今夜は麻雀を打つ予定でしたが、突如メンツが不足する事態となり中止に。
思いがけずヒマとなってしまったので、ブログ作成することにしますわ・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

徳島県はオサラバしまして、晴れた天気の下、晴れて高知県入りでございます。

↓そして真っ先に、第三セクター阿佐海岸鉄道の終点・甲浦(かんのうら)駅へ。



前日訪れた海部駅が阿佐海岸鉄道の起点で、ここはそこからたった2つ目の駅。
平成4年にできた比較的新しい路線ではありますが、思いっきり過疎地を通り、ウブ毛程度の短さ(8.5 km)なので、恐らく赤字の垂れ流しではないかと。お気の毒すぎる現地自治体住民。

次に昔懐かしい薫り漂う国道55号線の旧道へ。

↓ここでは「ぶっちょう造り」の家が多く見られます。





「ぶっちょう造り」とは、畳めば雨戸、下ろすと縁台になる入口横の2枚の板を備えた建築洋式。
これはここだけの専売特許でもなく、徳島県南部でも多く見られます。

五社神社→
この日(5月3日)はちょうど「白浜五社神社の祭り」が催される日。
そのお祭りとは、朝早くから御輿を引いて町中を練り歩き、夜になると提灯台とでぶつかりあうというもの。それに備えて神輿は手ぐすね引いて待っております。

↓緑色の山と海、漁船、町並みがいい具合にハマった雰囲気のよい港。



昔は大阪行きフェリーがここから出ていたという(海部で捕まってしまったおっちゃん談)。
もっと昔に遡ると、明治末期までは捕鯨基地でもあったみたいです。

↓お腹が空いたので、「海の駅東洋町」に寄ってみる(の駅ではない)。



まあ入ってみるとどうだ、自動車ナンバーは「大阪」「なにわ」「神戸」・・・ばっかり。一方で完全に浮いた存在になってしまっている千葉ナンバー
しかもご覧のとおり、キャンプ場でもあります。関西の人達の格好のお遊び処となっているようです。

↓目の前は「白浜海水浴場」



この日も朝からムチャクチャ暑かったのですが、まだ海水浴とはいかず、絶好の波乗り場となっております。

↓ところで、こんなイベントをやっているとは全く知りませんでした。

このHPによると、「高知県東部の人のおもてなしとジオの恵みにであう旅」がコンセプト。
たまたまやって来て、たまたまこういう一大イベントが開かれているというのは何となく嬉しいもの。
過疎化に苦しむ地域が官民一体となって、一所懸命「いらっしゃ~い!」と切実に訴えているんだから、これも何かの縁、有り金叩いてやろうじゃないか適度にお金を落とそうじゃないか!
と思いきや、ここに来る時間が早すぎたためにレストランがまだ開店しておらず、残念ですがここではお金を落とすことができず。
因みに開催期間は今年の4月29日から12月23日まで。みなさん、どしどし行ってね!

海の駅から南へ3km程進むと「生見(いくみ)」という地区。

(498)高知県安芸(あき)郡東洋町(ちょう)役場
高知県というより、どちらかと言うと徳島県の感じがする町。室戸阿南の海岸国立公園のほぼ真ん中に位置しています。しかし、ここらへんの町名は美波・海陽などとホントに芸がなさすぎ。海しか自慢はないのか?
目の前の駐車場も関西ナンバーの巣窟と化しております。

↓なんてたって関西の人にとって、波乗りの聖地と呼ばれる「生見サーフィンビーチ」がありますからね。

今年はもう終わってしまいましたが、日本サーフィン連盟公認最高グレードの大会「東洋町西日本サーフィン選手権大会」が行われます(今年は5月30・31日)。
波乗りではキラキラとした輝きを放つ東洋町ですが、人口はグングン減る一方で、今では40年前の半分程度の3,000人すら下回る有り様。ポンカンなどの柑橘類が特産。

再び南下し、ある海岸に降り立つ→
大きな丸い石がゴロゴロしている、その名も「ゴロゴロ海岸」。
昔はお遍路の難所であったという。まあ、そうだよなあ。
面白いことにここの地名は「東洋町大字野根字ゴロゴロ」といい、海辺に降りると「ゴロゴロ」と石の転がる音がするらしく、その真偽を確かめてみると、確かに「ゴロゴロ」言っていましたわ。

この海岸の北寄りに「野根」という集落がありまして、そこの名物に「野根まんじゅう」というのがあります。次の日に安芸市で家へのお土産として買いましたが、千葉に帰って食べてみてビックリ!これは絶品です。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→

120・121日目 1万日ぶりに、あの場所へ

2015-06-03 23:56:22 | 南四国
2015年5月2日(土)・3日(日)


実に慌ただしい移動となっておりますが、今回の旅での徳島県最後の市町村訪問地・海陽町(かいようちょう)へは、何とかまだ明るいうちにたどり着きました。

(497)徳島県海部郡海陽町役場
平成18年に海南町(かいなんちょう)・海部町(かいふちょう)・宍喰町(ししくいちょう)が合併してできた人口1万人余りの町で、この役場はかつての海南町役場。
特に旧海部町の海に近い鞆浦(ともうら)という地区には古い町並みが残っているようなので、できればこの日(2日)のうちにそこも廻りたいと思っていたのですが、既に時刻は18時をかなり過ぎております。絶望的。

役場前の国道55号線→
コンビニの後ろにある、こんな地域にいささか不釣合いな高架線はJR牟岐線

歩いて国道を南下すると、すぐに海部川に→

河口側→
向こうに見える橋は「海部川橋」。

↓そのままもうちょい歩くと右手に駅が見えますので、早速行ってみましょう。


海部駅・徳島方向→
タイトルに書いた、あの場所とはここです、ハイ。しかも当時はまだ国鉄!の駅でございました。
国鉄最後の日は昭和62(1987)年3月31日なので、最低でも28年前という事になります。実は31年ぶり(苦笑)。
今では線路は高知県に向かって伸びていますが、当時はここでちょん切れておりました。

まあ、随分昔の話しなので、記憶は遥か彼方に飛んでってしまい、ハレー彗星のように戻ってくる事は永遠にないと思われ。写真もないですし。
前回は列車で来まして、写真左側のホームはなかった事、5分程度いて折り返しの列車でさっさと去ってしまった事はハッキリと覚えており、駅の下で硬券の切符を買ったような気がする・・・。
もちろん、奥に写っているコンクリートだけ残った奇妙なトンネルも覚えておりません。

海部の名物となっているらしい、この「町内(まちうち)トンネル」は、牟岐線が開業した昭和48(1973)年当時は山に覆われていたけれど(そりゃそうだ)、宅地開発などによって山が削られ、昭和51年にはこうなってしまったという。
昔の様子の画像はないかなと思って探してみたら、ありました!
ここに載せていいのか分からないので載せませんでしたが、見ると笑っちゃうぐらいの変わりようです。

駅からの眺め→
この光景を覚えていないのは、言わずもがな。

鞆浦は断念しましたが、駅周辺だけは散策。

↓古い、というより廃れた感じの町並み。




ビニールシートのアーケードかい!?→
などと、せせら笑っていたら、ここの旦那に捕まってしまう。

「どっから来たん?」に始まり、「娘が千葉におる」、「今日はどこぞに泊まるん?」、「海部は城下町だった」、「昔の総理大臣の海部さんはここがルーツだ(本当かどうかは知らないけど)」、などと話しはマシンガンの如く続き、終いには番茶の素晴らしさ(阿波番茶という乳酸発酵させたお茶があり、しかも隠れた徳島県の特産だったりする)を熱く語りだすなど、どうでもいいような事の体のいい聞き相手にさせられてしまいました。
よっぽど普段は話し相手のいない町仕事を終えホッとしたらしい。

車をさらに南に走らせ、「道の駅宍喰温泉」へ→
この道の駅は狭い上に、多くの車でスシ詰め状態。
さすが大型連休。もあるけど、やっぱり温泉があるというだけで集客力が跳ね上がる。
お湯はヌルヌルでしていて、入浴後は肌がスベスベした感じになるので、女性が大喜びしそうな温泉。

真ん丸お月様が妙に眩しい→
青い月夜に、凄まじい海鳴りの轟音。「浜千鳥」を歌いたくなるような哀愁が漂う光景。

以下、翌日(5月3日)。

道の駅・南側より→

↓海部の鞆浦地区








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