人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ。
自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる。
「柳橋物語/ 山本周五郎・著」より。
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こう考えると、エホバの証人の中で屈辱にまみれた人生も意味を持つと思う。自分の弱さというものを受け入れられたし、人間というものも見えたし、表面だけじゃなく、実のところというものを分かるようになった。
ただ、わたしはある意味、幸運もあったのだと思う。
うつ病にはならなかったし、パニック障害などにも見舞われなかった。実は現役だったころから、会社でけっこう恋愛していて、それがガス抜きになったのだと思う。世の人とちょっと打ち解けておしゃべりしていると、エホバの証人のものの考えかたがいかに偏狭か、いかによそゆきの顔でつき合いをしているかがわかります。ふれあいというのは感情を正直に言い表すときに感じるものです。建前だけのコミュニケーションを模範的とするエホバの証人たちは孤独です。
エホバの証人時代にケチョンケチョンに踏みにじられた方々、わたしもそのひとりです。でも踏みにじられたからこそ見えるようになったこと、分かるようになったことがある。これは財産よね! 無駄にはならないよ、きっと。
♪
人を愛するため、人は生まれた
苦しみの数だけ、やさしくなれるはず…
(遥かな人へ/高橋真梨子)
自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになる。
「柳橋物語/ 山本周五郎・著」より。
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こう考えると、エホバの証人の中で屈辱にまみれた人生も意味を持つと思う。自分の弱さというものを受け入れられたし、人間というものも見えたし、表面だけじゃなく、実のところというものを分かるようになった。
ただ、わたしはある意味、幸運もあったのだと思う。
うつ病にはならなかったし、パニック障害などにも見舞われなかった。実は現役だったころから、会社でけっこう恋愛していて、それがガス抜きになったのだと思う。世の人とちょっと打ち解けておしゃべりしていると、エホバの証人のものの考えかたがいかに偏狭か、いかによそゆきの顔でつき合いをしているかがわかります。ふれあいというのは感情を正直に言い表すときに感じるものです。建前だけのコミュニケーションを模範的とするエホバの証人たちは孤独です。
エホバの証人時代にケチョンケチョンに踏みにじられた方々、わたしもそのひとりです。でも踏みにじられたからこそ見えるようになったこと、分かるようになったことがある。これは財産よね! 無駄にはならないよ、きっと。
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人を愛するため、人は生まれた
苦しみの数だけ、やさしくなれるはず…
(遥かな人へ/高橋真梨子)