『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

私の“しゅうとおっかさん”

2009年10月20日 02時36分36秒 | 日々の出来事
棟違いの今の住まいに越して来たのには理由がある。
諸事情で義姉の所から、義母を呼び寄せる事になったからだ。
けど、せっかく無理して義母の部屋を作ったのに、
家に来る前に心筋梗塞で倒れ、養生の為に転院した病院先で
頑張り屋さんの彼女は「歩かないと歩けなくなる。」って
自分で勝手にリハビリ代わりに階段の昇り降りをして、誤って落っこちて大腿骨骨折。

あれから10年。
長い間入院していたけれど、結局家に戻らずグループホームに生活の場を移し
結果的に、義母の為に作った部屋にぺこちゃんが入っている。

不思議な縁だなぁ・・・って改めて思う。

義母と一緒に生活したのは、
チビ達が生まれた翌々日、突然我が家へやって来た時に二ヶ月近く。
義兄が病床にある時の一ヶ月。
そして・・・義兄が45歳で早々と旅立った時の二ヶ月。

な~んだ、それだけか・・・併せても半年にも満たない。


その間に私が教わったのは
“おからの炊き方”と“高菜の炒め方”と“干し薇の戻し方”
そして、背の君すら忘れてしまった“田舎の言葉”と
“きつうござんしたと思い出してた、自分がよめっこさんだった時代の話”

お姑さんの事を“しゅうとおっかさん”って呼んでた私の“しゅうとおっかさん”
彼女の言葉の語尾によく使ってた「~かんた。」
疑問形の時の言葉らしいのは分かったので意味を聞かないままだったけれど
昨日、親戚の人に思い出話のついでに思い切って聞いてみた。
田舎の言葉で、疑問形の丁寧語だった。

おかあさん、嫁っこにまで気を遣って語る事はなかったのに・・・。


ぺこちゃんが家に来てしばらくして、義母の所へ一度だけ連れて行った。
その頃、既に娘に会うのは4,5年ぶり。
少々記憶にあいまいな所が出始めた頃だったので
「誰か分かりんさりますか?」と聞いたら「私が産んだ子です。」って言ってたけど
家で生活している事までは分かってもらえなかった。

長旅の後、ぺこちゃんがひどくしんどがってしまったのと、
それからすぐに、かぁちゃんから目が離せなくなったのをきっかけに
私自身の体と心に余裕がなくなってしまって、会いに行けなかった。
違う・・・それを言い訳にして会いに行かなかった。


半分くらいにちっちゃくなって眠ってた“しゅうとおっかさん”に
「ごめんね。」と謝る事しかできなかった。
「ほんなご!」って怒ったふりして笑ってるかな?
「しょおんなかよ。よか、よか。」って言ってるかな?・・・言って欲しいな。



・・・おかあさん、何も、“うぐいす姫”と同じ季節に逝く事はないのに。
10月が嫌いになっちゃうよ。

私はちょっとだけ恨み節。

コメント (8)
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