かぁちゃんに、要介護度認定の通知書が来た。
結果は「要介護度4」だった。
前に住んでいた市では早く要介護度を上げてもらいなさいと言われていたけれど、
福祉に弱いという定説のある今の市で、しかも、ぺこちゃんの判定結果の事の事で少々不信感が拭いきれていなかったので、3から2になったらどうしよう・・・。
なんていらぬ心配もしてみたりしたけれど、ほっとした。
けど心のどこかでは、やはりそうなんだ・・・と、複雑な気分。
と言うより、判定結果がどうあれ、かぁちゃんは変わらない・・・と少々投げやり。
何故って、今より「2」の時「3」になった当初の方が私は疲れきっていた。
「介護保険」が障害者の「自立支援法」と違って「介護する側」のものであるならば、
「介護者」の精神的サポートが最も必要な時期に、愚痴だけでもいい、
安心して全て吐き出せる場所が必要な気もする・・・あるのかな?知らなかっただけ?
今はアルツハイマーという病名だけは、広く知られるようになったし、
この病を持つご本人が、日々不安と闘っておられる事を発言される場も、限られた場所とは言え、ある時代になった事はとても素晴らしいと思う。
まだまだ数多くの誤解もあるけれど、それは他の病でも同じ。体験した人にしかわからない。
かぁちゃんもまた介護者であった時期がある。事情があってオヤジさんは祖母に育てられたので、
かぁちゃんの姑さんは私にとってはひいばぁちゃんに当たる。
ちょうど私と同じ年頃で、かぁちゃんは、83歳のお姑さんの介護をしていた。
・・・時代はまわる・・・ホントだね、かぁちゃん。
まだ「嫁は姑に仕える。」事が当たり前で親族からも有無を言わせず、強要された時代。
弱虫、泣き虫のかぁちゃんが、毎日電話で友人達に泣きながら長電話をしながら、
時には自分自身が過呼吸になりながら、めいっぱい頑張ってたんだよね。
「私は娘がいて良かったわ。」
「私がこうなったら、あんたが診てね。」
事ある毎に言ってたのは、そう言う事で「安心感」を得たかったからなんだと、
最近ふと思い出して納得できた。・・・しかしまぁ、あれはある種の呪縛だね(笑)
でもまぁ、おかげで、かぁちゃんが幻覚を見たり、極端な被害妄想になったりした時に
さほど驚かなかったのは、そういう物だと「知っていた」から、諦める事が早く出来たかも。
そういう意味では、かぁちゃんが、しっかり「お手本」になってた。
その「お手本」には、決して今が最低な時期じゃないって事も書いてある。
色んな事を経験しながら生きていく中での、「ひとつの出来事」でしかないって事が。
いつしか、お手本から学んだ事は・・・。
「いい事探し」は出来ても「幸せ探し」は、するもんじゃないって事。
だって、かぁちゃん、「幸せ」は小さくても、その都度感じる事ができるんだよ。
いつも「世界で一番不幸だわ。」が口癖だったかぁちゃん。
ようやく「うふふふ。」といつも笑う事ができるようになったかぁちゃん。
感情表現はもうそれだけだけど、もしかしたら、かぁちゃん・・・。
かぁちゃんは、今が「幸せ」なのかな・・・せめて、そう思っていてもいいかなぁ?
結果は「要介護度4」だった。
前に住んでいた市では早く要介護度を上げてもらいなさいと言われていたけれど、
福祉に弱いという定説のある今の市で、しかも、ぺこちゃんの判定結果の事の事で少々不信感が拭いきれていなかったので、3から2になったらどうしよう・・・。
なんていらぬ心配もしてみたりしたけれど、ほっとした。
けど心のどこかでは、やはりそうなんだ・・・と、複雑な気分。
と言うより、判定結果がどうあれ、かぁちゃんは変わらない・・・と少々投げやり。
何故って、今より「2」の時「3」になった当初の方が私は疲れきっていた。
「介護保険」が障害者の「自立支援法」と違って「介護する側」のものであるならば、
「介護者」の精神的サポートが最も必要な時期に、愚痴だけでもいい、
安心して全て吐き出せる場所が必要な気もする・・・あるのかな?知らなかっただけ?
今はアルツハイマーという病名だけは、広く知られるようになったし、
この病を持つご本人が、日々不安と闘っておられる事を発言される場も、限られた場所とは言え、ある時代になった事はとても素晴らしいと思う。
まだまだ数多くの誤解もあるけれど、それは他の病でも同じ。体験した人にしかわからない。
かぁちゃんもまた介護者であった時期がある。事情があってオヤジさんは祖母に育てられたので、
かぁちゃんの姑さんは私にとってはひいばぁちゃんに当たる。
ちょうど私と同じ年頃で、かぁちゃんは、83歳のお姑さんの介護をしていた。
・・・時代はまわる・・・ホントだね、かぁちゃん。
まだ「嫁は姑に仕える。」事が当たり前で親族からも有無を言わせず、強要された時代。
弱虫、泣き虫のかぁちゃんが、毎日電話で友人達に泣きながら長電話をしながら、
時には自分自身が過呼吸になりながら、めいっぱい頑張ってたんだよね。
「私は娘がいて良かったわ。」
「私がこうなったら、あんたが診てね。」
事ある毎に言ってたのは、そう言う事で「安心感」を得たかったからなんだと、
最近ふと思い出して納得できた。・・・しかしまぁ、あれはある種の呪縛だね(笑)
でもまぁ、おかげで、かぁちゃんが幻覚を見たり、極端な被害妄想になったりした時に
さほど驚かなかったのは、そういう物だと「知っていた」から、諦める事が早く出来たかも。
そういう意味では、かぁちゃんが、しっかり「お手本」になってた。
その「お手本」には、決して今が最低な時期じゃないって事も書いてある。
色んな事を経験しながら生きていく中での、「ひとつの出来事」でしかないって事が。
いつしか、お手本から学んだ事は・・・。
「いい事探し」は出来ても「幸せ探し」は、するもんじゃないって事。
だって、かぁちゃん、「幸せ」は小さくても、その都度感じる事ができるんだよ。
いつも「世界で一番不幸だわ。」が口癖だったかぁちゃん。
ようやく「うふふふ。」といつも笑う事ができるようになったかぁちゃん。
感情表現はもうそれだけだけど、もしかしたら、かぁちゃん・・・。
かぁちゃんは、今が「幸せ」なのかな・・・せめて、そう思っていてもいいかなぁ?