今日は多摩がん検診センターで乳癌と子宮癌の検診。
初めてのマンモグラフィー。
乳房を縦からと横から、思いきり板ではさんでつぶして写真を撮るというもの。
昨年やったという友達に、めっちゃ痛いから覚悟していくように言われてました。
しかも、検査を受けるとき、説明のボードを渡されて…
「しっかりと挟み込むために、レントゲン技師が、このように肩を抱えこんだり、
後ろから抱きついて押し付けたりさせていただきますのでご了承ください。痛みを少しでもやわらげるため、リラックスして臨みましょう。」
…と、セクハラじゃないんだぞってのを、事前に丁寧に写真付きで説明されるのです。
これはもう、相当な覚悟がいるかな…
ところが、私、あんまり痛くありませんでした~~
たぶん、もともと胸がないからだろうなー。
だってその、胸を挟む板の大きさに比べて、我が胸の面積はあまりにも小さすぎて、
挟む体積も少なすぎるためなのでは…
せっかくこんなに大きなまな板を御用意いただいたのに、御期待に添えず申し訳ありませんm(_ _)mってなもんよ。
まあ、よかったよかった。貧乳はこういう利点もあるってことよ。
出産後の母乳絞りのほうがよっぽど痛かった。
と、話が出産のことになったところで、私は、ふと思い出しました。
私は、17歳で急性虫垂炎の手術をしました。
夏休みの蒸し暑い夜。珍しくエアコンをかけてまじめに勉強していました。
すると、だんだんお腹が痛くなってくる。
「しまった、エアコンが強すぎたかな」
エアコンの温度を上げましたが、それでもおさまらず、
「やっぱ、さっき食べた豆腐が腐ってたのかな」
私はケナゲにも、なるべく血液を脳に集めて、痛さを忘れようと、かなり勉強に気合いをいれることにしました。(普段は絶対みられない態度)
それでもやはり痛みはだんだん強くなっていくようで、いよいよヤバいぞと思って、
2Fで寝ている母の部屋に「お母さん、お腹いたい」と言いにいきました。
(父はその日夜勤)
その時の母の対応は
「お産の時はもっと痛いんやで、それぐらい我慢しまい(しなさい)練習やと思って」
ひっぇ~~~!\(@o@)/
まあ、そうはいいながらも、母はねぼけながら私のお腹をさすってくれましたが、寝てる人なので、さする手は15秒で動かなくなり、そのたびに私がゆすり起こしてさすって貰うという状態。
私は一晩中痛さで眠れないし、30分ごとに吐きました。痛みから??
あまりに痛いので盲腸かも…と思ったのは、明け方4時頃。
それでも、母は「近所に迷惑。ここまで我慢したんだから、朝まで我慢しなさい」といって、救急車を呼んでくれませんでした。
朝7時に、もう限界ってことで、母に近所の内科に電話して貰ったら、「9時に来てください」と言われました。我慢できないから電話してんだろっ!しかしそれからさらに小1時間、「もう我慢できない」といって、再び電話して、無理矢理見てもらうことに…
よく一晩中耐えたよ!マジで!! やっと病院にいける。
ところが、私はその時、母と2人で自転車を自分で漕いで町医者に行ったのです。
「すぐそこだから」ってことで、タクシーは呼んで貰えませんでした。
それからすぐに総合病院に搬送されたけれど、検査の結果、白血球があまりにも多すぎる上、生理中だったってことで、「子宮外妊娠」などの疑いをかけられ、いらぬ検査までさせられ「妊娠反応もマイナスですし~」と、母に説明している、、、(そんな覚え、全くありませんから!ひとこと私に聞けよ!!…て、聞いたって、どーせ検査しなきゃ信用しないんだろーな(*`д´))
その間にも、盲腸はどんどん進行してんだ!腹膜炎になったらどーすんだ!!
(つづく)
初めてのマンモグラフィー。
乳房を縦からと横から、思いきり板ではさんでつぶして写真を撮るというもの。
昨年やったという友達に、めっちゃ痛いから覚悟していくように言われてました。
しかも、検査を受けるとき、説明のボードを渡されて…
「しっかりと挟み込むために、レントゲン技師が、このように肩を抱えこんだり、
後ろから抱きついて押し付けたりさせていただきますのでご了承ください。痛みを少しでもやわらげるため、リラックスして臨みましょう。」
…と、セクハラじゃないんだぞってのを、事前に丁寧に写真付きで説明されるのです。
これはもう、相当な覚悟がいるかな…
ところが、私、あんまり痛くありませんでした~~
たぶん、もともと胸がないからだろうなー。
だってその、胸を挟む板の大きさに比べて、我が胸の面積はあまりにも小さすぎて、
挟む体積も少なすぎるためなのでは…
せっかくこんなに大きなまな板を御用意いただいたのに、御期待に添えず申し訳ありませんm(_ _)mってなもんよ。
まあ、よかったよかった。貧乳はこういう利点もあるってことよ。
出産後の母乳絞りのほうがよっぽど痛かった。
と、話が出産のことになったところで、私は、ふと思い出しました。
私は、17歳で急性虫垂炎の手術をしました。
夏休みの蒸し暑い夜。珍しくエアコンをかけてまじめに勉強していました。
すると、だんだんお腹が痛くなってくる。
「しまった、エアコンが強すぎたかな」
エアコンの温度を上げましたが、それでもおさまらず、
「やっぱ、さっき食べた豆腐が腐ってたのかな」
私はケナゲにも、なるべく血液を脳に集めて、痛さを忘れようと、かなり勉強に気合いをいれることにしました。(普段は絶対みられない態度)
それでもやはり痛みはだんだん強くなっていくようで、いよいよヤバいぞと思って、
2Fで寝ている母の部屋に「お母さん、お腹いたい」と言いにいきました。
(父はその日夜勤)
その時の母の対応は
「お産の時はもっと痛いんやで、それぐらい我慢しまい(しなさい)練習やと思って」
ひっぇ~~~!\(@o@)/
まあ、そうはいいながらも、母はねぼけながら私のお腹をさすってくれましたが、寝てる人なので、さする手は15秒で動かなくなり、そのたびに私がゆすり起こしてさすって貰うという状態。
私は一晩中痛さで眠れないし、30分ごとに吐きました。痛みから??
あまりに痛いので盲腸かも…と思ったのは、明け方4時頃。
それでも、母は「近所に迷惑。ここまで我慢したんだから、朝まで我慢しなさい」といって、救急車を呼んでくれませんでした。
朝7時に、もう限界ってことで、母に近所の内科に電話して貰ったら、「9時に来てください」と言われました。我慢できないから電話してんだろっ!しかしそれからさらに小1時間、「もう我慢できない」といって、再び電話して、無理矢理見てもらうことに…
よく一晩中耐えたよ!マジで!! やっと病院にいける。
ところが、私はその時、母と2人で自転車を自分で漕いで町医者に行ったのです。
「すぐそこだから」ってことで、タクシーは呼んで貰えませんでした。
それからすぐに総合病院に搬送されたけれど、検査の結果、白血球があまりにも多すぎる上、生理中だったってことで、「子宮外妊娠」などの疑いをかけられ、いらぬ検査までさせられ「妊娠反応もマイナスですし~」と、母に説明している、、、(そんな覚え、全くありませんから!ひとこと私に聞けよ!!…て、聞いたって、どーせ検査しなきゃ信用しないんだろーな(*`д´))
その間にも、盲腸はどんどん進行してんだ!腹膜炎になったらどーすんだ!!
(つづく)
もう「すごい」としか
言いようがないです・・・
続編を待つ!!
もっとも、非常事態なのに周りの人が
ことの重大さに気づかない場合も結構あるようです。
田舎には救急車などない時代、
友人が山道のバイク事故で脊髄に損傷、
通りかかったトラックに乗せてもらいましたが、
みな、途中でのんびりとうどんを食べにいったりして、
病院についた時には、本人は死にかけていました。
忍者出現!
まもなくアップしますので、お待ちを…
♪おゆき
そうなのよ。いろんな意味でスゴすぎるのよ、あの人は…(-_-;)
♪hawkさん
おっしゃる通り、「ことの重大さ」に気付いてもらえませんでした。
内容物を吐いてしまえばだいじょうぶ…と思われていたようです。
こんにちは~!
突然のご来訪、どうかされましたか?
私は最初、お腹全体がシクシク…と痛む感じで、それからだんだん下腹部がキリキリとなって、吐くほどの激痛になってきました。