昨日から今日にかけて、LIVEのメンバーに送る譜面を書き、つくりかけの曲を進め、LIVEのセットリストを見直し…
いろいろと作業は続く。
本番は8月、まだまだ先…とメンバーの方たちは思っていることだろうけど、私は、もぉ切羽詰まって、死ぬかやるか状態ですわー。
これって私、なんか欠落してるんだろうなあ。たぶん私「普通の人」と違うんだ。
それはまあ、これまでの人生的に自覚はあるけど、音楽的欠落というのはどぉよ、、、
いちばんヒドイのは、ピアノが弾けない。
私、ピアノのセンセもやってんだよ。
コロナでいったん休業したけど、今でも細々と、、、
なのに、自分で作った曲を練習してもしても弾けない。
譜面と脳と指が乖離している、、、ような感じ?
子供の頃から、ピアノは苦手だった。
私の練習は、右手と左手を別々に完全に覚えるまで弾く。
それから両手で弾く。
徹底的にこれをやって(やらされて?)きた。
大譜表(右手と左手)を読みながら両手で弾くということを一切やってこなかった。これが弊害??
うーん、だからこうなった…というのとも違うような気がするなあ。
私の教会のピアノ科出身の奏楽の先輩は、これが一致しています。譜面と脳と指。「きっぱり」感がすごい。私には全然ない。
彼女の奏楽はいちばん身近に聴くので、特にそう感じるのですが、他のピアニストの方たちも当然のように譜面と脳と指も一致しているのだろうなあ、、、
その前提のもと、音楽性とかの面でそれぞれ努力されているのではと思う。
なんで自分の曲なのに弾けないのか。
わたしは、深夜にヨッパでピアノを即興で弾きまくっ遊ぶことがわりとあります。
もうすごく楽しくて、浸りまくります。
そんな時、ピアノの鍵盤は、「距離」みたいな感じになります。
白鍵と黒鍵は全部おなじ。「ドレミファソラシド」はない。{調性」というものがない。
この距離で鍵盤を押さえよう、、みたいな。二次元の。
でもその中で弾いてて、ときどき鍵盤が普通に見えて、コード(メジャーとかマイナーとかふつうのヤツ)も弾きたくなる。
「安定」とか「完結」を求めたくなるのかもしれない。でもそれも、ただの「ドミソ」じゃない。
でもこれって、誰かに聴かせるのじゃなく、ものすごーく自己満足なのです。
とりとめなく、しかしめっちゃ楽しいんだよね~~~~~~~~~~ん♬♬
それから私は、どんな音を鳴らしても、不協和音…というか、濁った汚い音には聞こえません。ドレミファソラシドを同時に鳴らしても。
だから、そんなのを弾くのがものすごく楽しいのは、やっぱ、フツーとは違うのかなあ…
しかし、うたは違う。
うたは、私が学んできた西洋音楽で、人にお聴きいただいて、受け入れていただけるものを作っていると思っています。
最近作ったのは、私が通っている教会の今年度の主題聖句。
2部合唱にしました。会衆のみなさまに喜んで賛美していただけたら嬉しい。
これらすべては、天から降ってきた。私は媒体。
それから今作っているのは、「母の名言」
ある日母に聞いてみた 羊水検査ってしたほうがいいかな
母は言った 自分が産んだ子どもは どんな子でもかわいいものやろう
だから お腹に子どもがおるときは ゆったりと構えて
いい子が生まれますようにと願いながら過ごしたらわ(過ごしたらどう?)
以下まだヒミツ。
私は、やっぱりうたがいい。
ことばと音楽がぴったり重なりあっている世界。
私の生きていく場所はここだなー。
歌は、ピアノも併せて、ものすごく緻密に作って譜面も書いているつもり。
…というか過去の譜面を見て「こんなに緻密に作ったのだなあ」と思う。
人にお聞かせしたいものと、自己満足的な世界は違うんだなー--
そう、それで。ピアノのパートを譜面に起こして、それを右手左手それぞれ覚えるまで弾き込まないとちゃんと弾けない…からなのか??
もぉ、この効率の悪さは、加齢とともに低下の一途を辿るしかないのか、、、
でも歌はそうじゃない。数か月歌えず音程が不安定になりまくっていたのも、短期間に戻る。
音程だけじゃない、発声や、アーティキュレーションも、わりとすぐに自在に歌えるようになる。
ずっと大好きだったSYOさんも
今大好きなカッシーも、
ミュージシャンとして、ほんとーに私はおふた方をリスペクトしてます。
彼らは私のことを音楽的に「ヴォーカル」とか「歌詞」とは全く違う対極のところからサポートして下さって、
私のつくる歌の歌詞なんか、どうでもいい。それってどぉよ!と思ってたこともあったけど、
今はその感性をすごく理解できる。
SYOさんは、「どんぐり」という、息子の保育園時代のことを歌ったうたで、「おかーさー--ん!」と叫ぶアレはなんなのかと訊いてきたことがあって、、
全然わかってくれてなかった。愕然としましたわ、、、
そして、私のLIVEの曲順はすべてSYOさんが決めてくださっていました。
歌詞による曲順こだわるのではなく、リズムやキーによって、お客様を飽きさせないようにしなくてはという、私には全くない視点なのでした。
カッシーとは現在、「この曲、飛行機のエンジン感や、時空を超える感を表現してくれるとうれしいな」みたいなやりとりをしている。
私のこのように文学的な表現に対して、
カッシーは、ここは間奏が長すぎるとか、ここを繰り返すのはくどいとか、いろいろ数値的なところで、対極からの意見炸裂しまくり、
まだ完成には至ってないけど、お互いに納得のできる着地をすると思います。
めっちゃ楽しみ。これも次回LIVEで歌うよーん。
…ってまー私いま、「死ぬかやるか」的瀬戸際的だけど、
本番までの、日々、料理を作る時間もすべて含め、楽しくやらせていただきますよーん!!