南岸低気圧。
聞きなれない気圧配置が、東京の平野部にも雪を積もらせた日、わが町は冷たい雨。
散歩に出て暫く、その冷たい雨に遇う。
図書館などを別にして決まった道順もなく、遠くなれば戻りが「しんどい」と、帰り道のことを考えながらのなまくら散歩。
雨の冷たさもあって踵を返しかけたが、こんな時にこそのニット帽と折りたたみ傘、そのまま続けた。
汚れも騒音も包み隠してくれるようで、雨の日の散歩、それほど嫌いではない。
あてもない散歩、「おっ!?」と思うようなものに出会うことも、ままある。
ある公営住宅。
棟に沿って戸数分の小さな花壇が設えられているのが普通。
ところがこの団地、滑り台などの遊び場を除く共用部分の殆どが、てんでばらばらに畳一枚ほどに分けられ柵などで囲ってある。
芝生が植えられていたところが耕されて畑?になって、花も植えられているが、それは立派な青首大根や白菜が育ち、その様まるで貸し農園。
感心して見ていると、ふたりの老婦人から丁寧に頭を下げられてまごついた。
60年代に憧れた団地も、今、住人の多くがお年寄りと聞く。
その日は、無造作に枝を伸ばしているからこその藪椿、と思うその幹と枝を針金を使って真っ直ぐに仕立て京椿と銘うつ人。
発想の転換とばかり壁面に垂直の花壇を造った会社と、様々に緑を楽しんでいる風景にも出会った。
雨の散歩を楽しんでいる途中、作詞家の山口洋子さんが、“ 鞄の中に雨傘を何時も用意している男、好きになれない ” と何かに書いていたのを思い出した。
俄雨、この小さきことにも周到に備える小心者という意なのだろうが、大きなお世話だ。
今週の朝日歌壇 食パンのいちばん安きスーパーをけふの散歩の折り返しとす (大阪市・末永純三氏/高野公彦選)
なるほど、散歩、このささやかなるものを実に上手く詠む。