ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

フェルメール展

2010年02月08日 | 美術館 (国内)

 ととしの夏のこと。
 朝日新聞が短い期間だったが 「対決・巨匠たちの日本美術」を東京国立博物館で催した。

  企画の面白さ名作こともあって、混むであろう旧盆を避け、その三日ほど前に出かけた。

  Photo_12野駅の公園口から吐き出された人が、交番の前から真っ直ぐに行く組と右に曲がる組のふた手に分かれていた。

  時を同じくして 「フェルメール展」が、東京都美術館で開催されていた。

  とにかく暑い日だった。
  夏の暑さだけは多分何処にも負けない大阪、幾分かは涼しいのではという期待もあったが、コンクリートの街は何処も同じと思い知らされた。 (

   Photo_16越しに眺めた 「対決展」だった。

 その翌日、朝早く出かけた 「フェルメール展」。
 すんでのところで入場制限は免れたものの、彼の作品の多くが一堂に並び巡回展がないこともあって会場は人の山、小柄な私には脚立か梯子でもないと 「見れないよ~」。

 覚悟はしていたものの、流れに添って展示順に見ていては何時のことやら、大阪弁でいいらち、気が短いペテロ、早くも帰ろうかという素振り。

 はひとつ、大阪のおばちゃんにへんし~ん? 他の画家やこれまでに見た作品を飛ばし

  • 窓辺でリュートを弾く女 (ニユーヨーク・メトロポリタン美術館)
  • マリアとマルタの家のキリスト (スコットランド国立美術館)
  • ワイングラスを持つ女 (ヘルツォーク・アントン・ウルリヒ美術館)
  • 手紙を書く女と召使 (アイルランド・ナショナル・ギャラリー)

 Imgp0265_6しっかりと見届け早々に退散、ロビーでは入場制限長い列ができていた。

 不忍通りの近く、組紐の 「道明」で並べられた帯締めを前にあれこれと迷い、その足で水上音楽堂辺りから眺めた不忍池の蓮が、それは、見事なピンクの花を咲かせていました。

 ただ、うだるような都心の昼下がり。
 余りの暑さに 「花より水」とばかり思っていたような。 (

 らだらと綴った。
 要は、フェルメールの出会いについて、少し触れてみたい、ということを言いたかったのだ。 (

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大きなお世話 - 散歩道

2010年02月05日 | 散歩道/山歩き

 南岸低気圧
 
聞きなれない気圧配置が、東京の平野部にも雪を積もらせた日、わが町は冷たい雨。

 散歩に出て暫く、その冷たい雨に遇う。
 図書館などを別にして決まった道順もなく、遠くなれば戻りが「しんどい」と、帰り道のことを考えながらのなまくら散歩

 Photo_7雨の冷たさもあって踵を返しかけたが、こんな時にこそのニット帽と折りたたみ傘、そのまま続けた。
 汚れも騒音も包み隠してくれるようで、雨の日の散歩、それほど嫌いではない。

 あてもない散歩、「おっ!?」と思うようなものに出会うことも、ままある。

 ある公営住宅。
 棟に沿って戸数分の小さな花壇が設えられているのが普通。
 ところがこの団地、滑り台などの遊び場を除く共用部分の殆どが、てんでばらばらに畳一枚ほどに分けられ柵などで囲ってある。

 芝生が植えられていたところが耕されて畑?になって、花も植えられているが、それは立派な青首大根や白菜が育ち、その様まるで貸し農園。
 
感心して見ていると、ふたりの老婦人から丁寧に頭を下げられてまごついた。
 60年代に憧れた団地も、今、住人の多くがお年寄りと聞く。

 Photo_6その日は、無造作に枝を伸ばしているからこその藪椿、と思うその幹と枝を針金を使って真っ直ぐに仕立て京椿と銘うつ人。

 発想の転換とばかり壁面に垂直の花壇を造った会社と、様々に緑を楽しんでいる風景にも出会った。

 雨の散歩を楽しんでいる途中、作詞家の山口洋子さんが、“ 鞄の中に雨傘を何時も用意している男、好きになれない ” と何かに書いていたのを思い出した。

 俄雨、この小さきことにも周到に備える小心者という意なのだろうが、大きなお世話だ。

 今週の朝日歌壇  食パンのいちばん安きスーパーをけふの散歩の折り返しとす (大阪市・末永純三氏/高野公彦選)

 なるほど、散歩、このささやかなるものを実に上手く詠む。

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ずっとあなたを

2010年02月03日 | 映画/TV/音楽

 小雨の日曜、久し振りに映画でもと外出、選んだのは、「ずっとあなたを愛してる

 小さな空港の人気のないカフェ、人待ち顔でタバコを吸うひとりの女性、このシーンから物語は始まる。
 迎えにきた妹レアとの車中の会話から、殺人の罪で15年の刑期を終え、これから妹の家に身を寄せることが分かる。

 1姉ジュリエットは、多くを語らず孤独の殻に閉じこもるが、献身的な妹や無邪気な姪、新しく出会った人たちの暖かい気持ちに触れ、少しずつ居場所を見つけ始める。
 しかし、教師をするレアの同僚ミッシェル、彼も挫折した愛の過去を抱えている。が、自分に特別の気持ちを寄せてくれていることを感じながらも、心を許すことはない。

 ある日、裁きの場でも明かすことなく封印してきたことを、色褪せた一枚の手紙から妹に知られてしまう。――なぜ、ジュリエットは、愛する息子を自らの手に掛けたのかを。

 真実を前に、それぞれの思いをぶつけ合う姉と妹。その時、ふたりを呼ぶミッシェルの声が聞こえ、ジュリエットの「私は、ここにいる」で、静かにこの映画は終る。

 2_3しく聡明な姉妹を、クリスティン・スコット・トーマスとエルザ・ジルベルスタインが好演していたね。
 
ロバート・レッドフォードとの「モンタナの風に抱かれて」で、都会の洗練された母親を演じたクリスティンが、今度は、孤独の淵に沈むジュリエットを、素に近い姿で見事に演じていた。

 償の愛を示すレアの美しさが際立っていたし、独を恐れず矜持高く生きるジュリエットにも共感。
 
は決して人を裁けない、裁けるのは神だけと訴えていると思うの。
 
と希望、人間の絆と再生の素晴らしさを謳った作品だったわ。

 とえ忙しくっても、お勧めだなあ。
 
う、愛する人と是非どうぞ。

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2月がきた

2010年02月01日 | 季節/暦

 4日は、“ 立春 ”、暦の上では春・・・、なのだが。

 その前日が、“ 節分 ”、 鬼に豆を投げ邪気を追い払う豆まき、お子さんたちと楽しむ家庭もあろう。
 撒かれた豆を歳の数だけ、または、歳の数よりひとつ多く食べると、体が丈夫になり風邪をひかないとの習わしもあるようだ。

 Photo_2近年、とみに盛んなのが “ 正恵方 ”、今年は概ね西南西だそうだ。を向き、黙って太巻き寿司を丸齧りすること。
 さらに、中年親父を悩ますバレンタインデー
なるものもあり、和と洋の食べ物屋の思惑に嵌るようで少し癪に障る。

 冬季オリンピックもある。
 昨年のパリのホテルでのこと、ロビーに宿泊者リストがピンナップしてあり、その中に、“ Mao Asada ” の名前があった。

 その時期、フィギアのフランス杯があったので彼女だと思うが、パリ大会あたりから調子を落としロシア杯は絶不調だったようだ。バンクーバーでは頑張って欲しい、自分のために。

 ブログのこと賀状でお知らせしたところ、嬉しくも多くのアクセスを頂き、多謝

 Photoそれで、少しお願いを。
 皆様からのコメント、当初、フリーにお受けしていたが、途中からキャプチャー画像の読取り、さらに今回、一旦、投稿者(筆者)がお預かりすることにした

 この方法、生意気で好まないが、女性や子供に見せられないコメントが、律儀にも定期的に届くのが、悔しくもその理由。

 公序良俗に反しない限りすぐに公開するので、ご叱責やご意見、たまにはお褒めも頂ければ、嬉しいし励みにもなる。

 ところで、字数が多いブログ、敬遠されるむきもあろう、短く、短くと、心がけているのだが短かい文書ほど難しくて。
 センタ試験も終わり二次試験も始まるけど、頑張ったあなたにこの春、サクラ 咲くことを願って。

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