ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2020年05月12日 | 社会派らぼ
コロナの収束を願うという意味では、皆が同じ思いを共有しています。が、地域によって立場によって、当然意見は分かれる場合があります。先日、コロナ騒動にトップ級の対応を見せている吉村大阪府知事が、「大阪モデル」を発表しました。緊急事態宣言の出口戦略と言えばよいでしょうか。どうなれば休業要請などを解除し、更にはどうなれば第2波に関して再宣言するかといった基準を、数値で示すものです。

これが殊の外反応が良くて、更に吉村知事が「国に指標を示してもらいたかった」と注文をつけものですから、西村経済再生相の「休業要請と解除の権限は知事にある」として知事の勘違い発言に繋がりました。知事が瞬時に「今後は発信に気をつけます」と陳謝する形をとったのも、世論には好印象で、吉村株は上がる一方。西村氏には印象戦ではマイナスポイントがついた感が免れません。政治というものは、正論を振りかざしてさえいればよいのではなく、人の心をいかにつかむかが大切なのだという見本のようなやり取りでした。

休業要請は知事の責任ですが、言い換えると緊急事態宣言は国の責任です。13の特定警戒都道府県と、それ以外の県に分けて宣言が出されているわけで、その宣言に関しては、国が基準を示す必要があります。吉村知事は、敢えてそういう指摘はしませんでしたが、西村氏は14日より前に方向性を…と解除基準を示す考えを表明しています。地方からの発信が国を優ったと誰しもが考えます。

一方、大阪府の歯切れの良い発信にあやかろうとしてか、愛知県も独自の数値基準導入を発表しました。更に兵庫県も独自の解除基準を作成中としています。国が「解除の基準は知事にある」としているわけですから、それぞれが独自に基準を模索する事になるのも当然です。キチンとした地域独自の基準が示せるケースと、単に「右へ倣え」のケースが出て来ることが予測できます。知事にもその力量に差があって当然です。大切なことは、自らにその力量があるか無いかを客観的に知っておく事かも知れません。

自らの器を知って、身を諫める事を良しとした時代がありました。が、今や自らの器を大きく見せる時代になりつつあります。見せた器に中身がついて来ることも勿論あるでしょうけれど、見せかけ倒れになる場合もあります。古来「己を知る」事は、己を見つめる事であり己を律する事でありました。今は、自分の力を決めて制限をかけてしまわずに、もっと大きな力があると信じる事の方が美徳とされている感があります。…が、あまりある才は、いくら伏せようとしても溢れ出て来る…はずです。自らが歌わなくとも、周りがその才を認めざるを得ないのを本当の才と言うのだと思います。

危機が才を生む…コロナ禍がそれぞれの地で有能なリーダーを生んでくれれば…と願います。