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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2011年12月12日 | ぱそこん道
12月末まで、当ブログ内に、パスワードをかけた「検定用」エリアを設けております。アクセスのできない記事やコメント、ご容赦下さい。

何でも同じだと思うのですが、パソコンにはその人の人柄が現れます。例えば、食事の仕方とか、人との話し方などを挙げれば、人となりがそこに現れるというのも、大半の方がうなずいて下さる事なのでしょうが、パソコンとなると…。きっと「?」と思われる方が大半かも知れませんね。

それでも、本当にパソコンをしていると、「人」が分かります。私は「パソコン道」という言葉さえ使いたいと常々思っています。パソコンと言うのは、その機能さえ広く多く知れば、それで達者に使えるようになるものではありません。時折、講座は何でも出ておいた方が得、と考えて下さる方がいらっしゃって、説得に困ります(笑)。知識に貪欲になってくださるのは、ある意味嬉しいのですが、それでは習得する意味がありません。

本物の技能を手にする…ということは、ヤハリ正しい知識を正しく積み上げて行く必要があります。土台をキチンとしておかないと、その上に構築するものが砂上の楼閣になってしまいます。


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アンパンマンの勇気

2011年11月12日 | ぱそこん道
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子ども達のヒーローであるアンパンマンの歌は、「愛と勇気だけが友達さ」と歌います。やなせたかしさんの作詞ですが、彼には特攻隊員として戦死した弟がいたと言われ、この歌をその弟さんに被せて解釈されていることが良くあります。「勇気」という言葉は、そんな風にとても重いものです。

耳に心地よい言葉ですから、随所で使われはしますが、自分の日常の中で意識している事はあまりありませんでした。

パソコンの講座に関わっていると、「たかがパソコン」なのですが、それがその方の「人間性」を表すものであると感じる事が多々あります。ですから、その習得は、ある意味で人間性と言った切り口を意識せざるを得なかったりするものです。

本当に初めてパソコンに触れる方とご一緒している時に、何を取り除いて差し上げれば良いのだろうと苦心する場合があります。入力ひとつにしても、なかなかスイスイとは行かず、考え込んでくださったりするのですが、拝見していると、正しい箇所に指が行っているにも関わらず、ためらって「分からない」と指を外してしまわれます。口の中で正しい選択肢を唱えてくださっているのに、「分からない」とためらって次に進めなかったりします。

足りないものは、きっと「勇気」なんだ…と、そんな風に思います。「真の勇気というものは、極端な臆病と無鉄砲との中間にある」と言ったのは、確か『ドン・キホーテ』の作者であるセルバンテスだったような。ためらってためらって、挙句に止めてしまわれるタイプの方と、ろくに何も考えずに適当に何でも押してみるタイプの方とがおられますが、そのどちらもがパソコン習得の妨げになるのは事実です。

「アンパンマンの勇気を持とうよ」 ヒーローというのは、特別に強い人なのじゃなくて、「何のために生まれて何をして生きるのか」に迷い悩む普通の人間で、とても「優しい」人なのです。戸惑いためらう「自分」を優しく許すところから始めていただければ。



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三成検定

2011年11月08日 | ぱそこん道
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「検定」ブームは、少し治まったかに思っていましたが、彦根市で「石田三成検定」が行われるとありました。昨年始まった検定とかで、今年は彦根だけでなく東京(江戸と称しておられます)会場でも受験が可能だと言うことです。昨年の実績からすると、県内外から160名が受験、うち80点以上だった30名が合格と言うことでした。

そう言えば、随分ご当地検定とかが流行りました。総じて歴史的常識から、超ローカルなものまでバラエティ豊かな出題が並ぶようです。手軽さと、資格ブームが受けて、各地で行われるようになりましたが、受験者数は年々減少傾向にあるようです。勿論、中には既に終了してしまったものもあります。地域活性化という一つの目的は果たしたということでしょうか。

実は、日頃から検定業務に関わっています。私の場合は、勿論「パソコン」に関連する検定です。検定にも、実は大きく2種に分かれるような気がします。一つは、ご当地検定のように、一時、話題をまいて、観光などを盛り立て、ある意味で楽しむものと、今一つは真に体得する技術が求められるものです。

検定試験というものは、華やかである必要はないと思います。一時の話題をまいて、すっと消えてしまうものはそれはそれで良いのですが、本当に真摯に技術と向き合う人達をサポートし続けたいと思っています。



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体操日本

2011年10月26日 | ぱそこん道
先日行われた第43回世界体操競技選手権大会では、男子団体は銀メダルに終わりました。圧倒的に強かったのが中国で、3位のアメリカとは僅差。…で、中国との戦法の違いや、選手の練習をめぐって、辛口コメントも結構見かけました。が、個人総合で内村選手が金メダルを獲得するや、一転して彼を讃える声が「団体競技での銀」報道を押しのけ、早ロンドン五輪を夢見る声も高くなりました。それほど、内村選手の競技は、群を抜いてダントツだったのです。

日本の男子体操競技は、お家芸とも言われ、華やかな戦績を誇っています。1960年のローマ大会から、オリンピック5連覇を成し遂げているからです。その後の低迷期を経て、今また内村選手に期待がかかります。彼の体操は「美しい」と評されますし、ご本人が目指しておられるのも「美しい」体操だということです。ミスのない完璧な美しさ。引退された冨田洋之選手も「美しい」体操にこだわった選手でした。

体操などは全く縁遠い私が言うのもおかしなものですが、技が正確で、完璧にミスが無いと、それは必然的に「美しい」ものではないだろうかと思っています。力のある選手なら、偶然難度の高い技を決めることは、キットあります。ですが、コンスタントに必ず成功させる…となると、それは偶然の産物ではあり得ないと思うのです。隅から隅まで正確に計算され尽くした、力のバランスを作ることができれば、それは間違いなく美しい、そんな気がするのです。

唐突で申し訳ありません。パソコンの操作も、キチンと合理的に計算され尽くして、理論にキチンと見合った操作をすることができれば、それは「美しい」はずなのだと思います。そして「美しい」操作であれば、ミスや失敗無く、いつも正しい結果を導くはずだと思います。




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分け入れば

2011年10月24日 | ぱそこん道
私の活動の原点を振り返ってみると、そこには単純な「パソコンを如何に使いこなすか?」といったものがあります。20年前、こうした仕事を始める際の私の興味というのは「パソコンの機能」「パソコンの技術」というところに主眼がありました。それしかなかった…といっても過言ではないかも知れません。が、間なしにそうしたものが「人間」と独立したところにあるものでない事に、気づきます。修得する技能である以上、精神的な鍛練や背筋を正して物事に挑むといった事と無縁ではない事が、深く知れば知るほど確信となり、そこから私の「パソコン道」といった考え方に繋がっていきました。が、ここに来て、あらためて振り返ってみると、ヤハリ原点にあるものは「技術」としてのパソコンなのだという風に思えます。

ですから、他のやり方に変わりようがない…と言えばいいのか、他の道を探ろうとしても、結局はこの想いに行きついてしまうのです。人のためにやっている意識は毛頭ありませんし、社会のためにやっているのでもない。何だろう…ヤハリ私は「パソコンの真実」のためにやっているような、そんな気がします。

活動を社会のため、地域のためと位置付けてやっておられる方々と、多分根本的に違っているところなのだろうと思います。だからその活動が「正しいこと」だとも思っていないし、「立派なこと」とも思わない。言わば私の「本能」でしかないような気がしますし、だからとてつもなく強いのだとも思います。活動に身を投じている自分をいとおしむ余裕をお持ちの多くの方々と、多分根本的にそぐわないのは、そんなところに原因があるのかも知れません。

想いはどこに昇華すべきなのでしょうか。わけ入れば思わぬ道があるというのは、何も野や山の道のことだけではない。そう言われたのは、確か松下幸之助氏でしたでしょうか。




テキストボックス内の文字まで影が設定されます
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積み木

2011年10月04日 | ぱそこん道
私はパソコンと向き合っているだけなのに、人生の縮図と日々向き合っている気がします。私がお伝えできるものは、パソコンの知識や技術でしかないのに、時に(いいえ、往々にして)人生のSOSを求められます。それほど、私たちの日々の営みは(パソコンに限らず)、「生きること」に直結しているのだと感じます。ひとつ事に向かっているのに、アプローチの仕方と言ったら、まさに千差万別。人は「自分」という殻を通してでないと、何事もできないのだと、つくづく感じます。

積み木は正確に真っ直ぐに積み上げさえすれば、高く積むことができます。が、その最初の段階で、いがんだ積み方をしてしまうと、後半を如何に慎重に積もうとも、決して高い塔を積むことはできません。必ずバランスを崩して倒れてしまうものです。最初の積み木から丁寧に積み直そうとする方があれば、頑として積んだ積み木を直そうとしない方もあります。

自分の事を指して「力が無い」と嘆くにも数種のタイプがあります。そう言うことで、自分に免罪符を与え、楽になりたいという場合もあれば、プライドを守るための抗弁の場合もあります。それがSOSの場合だってあるし、静かな闘志の場合もあります。

それぞれを見間違うことなく、受け止めたい…と、そんな風に思って20年が過ぎました。たった一人でも、その思いに応えることができれば、それで良いと思っています。




プリンタのアンインストール
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データ

2011年08月22日 | ぱそこん道
先日の大震災・大津波では福島原発が大きな事故を起こし、半年近く経った今も鎮圧には至っていません。どころか事故によって放出されたであろう放射性物質に怯える日々が続きます。この影響で、他地域の原発に関しても、定期検査後の再稼働に安全評価のクリアが前提となったため、再稼働できず各地で電力不足に陥っています。幸い、今夏は猛暑が避けられたようで、懸案の夏も8月終盤に入りました。

このところ、佐賀県玄海町や福井県高浜町の原発で、耐震安全評価の解析データに入力ミスがあったといったニュースが続いています。報道はされていますが、今さら誰も騒がない…といった感じです。USBメモリからの個人情報流出も、常にニュースがあるような気がしますが、これもあまり騒がれなくなりました。

人間のすることにはミスはつきものです。丹念にチェックをしても、それでもウッカリというものはあり得ます。ですから、複数人がチェックをする体制が必要なのですが、複数人でチェックをすると今度は依頼心が出てきます。ミスを事前に発見して防ぐ体制が必要なのですが、作業が日常化すると、どうしても緊張感に欠けてしまいます。常時、体制を見直す必要も出てきます。

世の中はコンピュータが当たり前になりました。元々コンピュータというのは人間の補助をするものであって、人間に代わるものではありません。データを管理するのはあくまで人間であって機械ではないのだと、現場の一人一人が責を担わねばならない事を忘れないでいたいです。



画像の真ん中のドーナツ状マークが邪魔
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市民活動

2011年08月18日 | ぱそこん道
「市民活動」「ボランティア」が華やかな時代です。市民活動は、市民が主体的・自発的に行う営利を目的としない活動で、公共性や公益性のある活動のことです(埼玉県・熊谷市HPより)。

多分、私の活動もそうした分類の中に入っているのかも知れません。分類には興味はありませんから、どんな風に見られているかはさして気にはしていませんが、自分自身いわゆる「市民活動」だとは微塵も思っていないかも知れません。

営利を目的としているわけではありませんが、営利であっても構わないとも思っています。公共性や公益性は確かにあるとは思いますが、私が目的としていることは、多分そんな事ではないような気がします。

元々、私の興味は「パソコン」にありました。インストラクターになろうと思ったわけでもありません。ただ、パソコンの説明を重ねているうちに、この仕事は「パソコン」の事さえ知っていればできるか?というと、そうではない事に気づきました。それ以前に「人間」を相手にしない限り、伝えることなどできないのだという事に思い至りました。だから…、私が大切にしていることは、もしかすると「パソコン」よりも「人間」の方に主があるのかも知れません。

けれど、では何のためにやっているのか?となると、それは「人」のためではないような気がしています。表現がとても難しいのですが、ある意味では「真実」のためにやっているような気がします。



エクセルで均等割付ができません
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2011年08月10日 | ぱそこん道
私は日々「講座」という形で、自分と向き合っています。講座というのは、たくさんの方々と私が向き合う形で進むものですが、私自身が受け側に回れるものではなく、常にこちら側からボールを投げ続けなければなりません。もちろん、受講される方々からの返球がなければ、キャッチボールは存在しないのですが、たとえ返球が無かろうと、私はボールを投げることを止めることはできません。そういう意味で、常に自分と対峙せざるを得ないのです。

程よいリズムでキャッチボールができれば、それが一番理想なのに違いはないのですが、残念ながらそうはいきません。投げても投げても、ボールが返らない場合もありますし、荒い球が返ってくることも勿論あります。荒い球が返るのは、多分私の球が荒かったせいなのだろうと思います。ただ、心を全く乱さずに懐に深く刺さり込むような球を投げ続けることは、ヤハリ相当の修行が必要なのです。

思う通りの所に放れない。思い通りの返球が返らない。私自身が満足する球は決して多くはありません。人生などというものは、思い通りにはいかないものです。思い通りにはいかなくて当たり前で、それをどう受け止めて、どう返球するかで、次なる世界が広がっていくような気がしています。今のは、少しほかの事を考えていたからとか、今のは風が吹いたからコースが曲がったとか、尤もらしい理屈はいくらでもありますし、それは一見緻密な観察のようにも見えます。が、本当の冷静な分析というのは、心の中を見透かすものでなければなりません。時に思い通りにいかない人生を許すことも必要ですし、思い通りには行かなくても自分の信じる球を放り続けることも必要です。



Windows7のタスクバーにプログラムを登録する
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Alone Together

2011年08月04日 | ぱそこん道
マサチューセッツ工科大学のシェリー・タークル教授が、先日出版した本が話題になっているようです。『Alone Together』。「一緒だけど一人」と訳されているようです。内容を抜粋した文章によると、「SNSが私たちを現実世界から遠ざけ、現代の精神異常を生み出している」といった内容になっています。あちこちで「だから今すぐツイッターはやめるべきなの?」といった問いかけがいくつも見受けられます。が、大半はそれを真面目にとらえるというより、半分は茶化した感じの反応が多い気もします。

簡単な紹介文を見ただけですが、言わんとするところが分かるような気がします。Alone Together。これは、携帯電話の普及と共に始まった気がします。ツマリ、肌身離さず携帯電話を持って、四六時中友達と繋がっていなければ不安に襲われてしまう若い子達が、実はトテモ孤独であるように感じていました。時に深夜の自室ででも誰かと繋がっているにも関わらず、誰をも心の内に寄せ付けようとしない孤独を感じるからです。もしかすると、自分自身とさえまともに向き合っていないのではないかとさえ思います。

それがいつか、携帯電話、携帯メールを経て、ツイッターやフェイスブックという形になりました。電話やメールは、まだ特定の相手や仲間への依存に過ぎなかったのですが、次第に不特定多数のどこの誰とも分からない相手への依存に変わって来たのです。

確かに、バーチャルな世界に端を発したつきあいが、オフ会という形を経て、実際の交流に発展していく好例を私は幾つも見ています。その多くは、ネットを介さなければ出会う事も無かった者同士なのに、信頼関係・互いへの思いやり・どれを取っても「出会うべくして出会えた」とも言える深く厚い絆が結ばれています。

ただ、その一方で、ネット世界と現実とを混同するあまり、現実の世界で、人とのふれあいが希薄になり、人間らしさが失われていっている…とするのも分かるような気がするのです。出会うきっかけが何であったかだけの違いで、濃密な人間らしい信頼関係が築けている事例と共に、その百倍もがただの絵空事の世界で、架空の付き合いを堪能し、多くの人と繋がっているに違いないという空疎な勘違いで心を満たす現実かも知れません。

ここから先の仮想世界がどんな社会を作り出していくか…は、今の現実と私たちがどう向き合うかで、大きく異なって行くはずなのです。「IT技術」とは、人間と一線を画した「道具」に過ぎなかったはずなのですが、至る所で人間の心をも弄び、寂しさを埋める何かになろうとしている気配があります。でも、私たちの虚しさを埋めるものは、「私達自身」でなければならないのです。自分の世界を大きく広げていく事のできるツールなのか、あくまで本当の孤独をカモフラージュしているだけのツールなのか、思いとどまる分岐点かも知れません。



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