2017.3
「武蔵国一之宮 小野神社」参拝後、武蔵国二宮の「二宮神社(あきる野市)へ詣でました。
大鳥居
拝殿
本殿
御神木の大杉があったのでしょうね。
優しい風が吹いて、風で揺れる絵馬の音が印象的でした。
五社(伊勢・八幡・天王・天神・稲荷の五社を合祀)
荒波々伎社
足神様、門神様とも言われ、日本の原始信仰を残す神、健足長寿の神様。
時計が可愛い、社務所でした。
見晴らしが良かったですよ。
・創立年代は不詳。
・『和名抄』に記されている武蔵国多摩郡小川郷の鎮守であり、「小河大明神」とも称された。
・当社は武蔵国の二宮であったとされ、『神道集』『私案抄』にみられる「武州六大明神」の一角に数えられている。この
六社のうち唯一、式内社ではない。現在も武蔵国総社・六所宮(現・大國魂神社)の一座に祀られているほか、周辺の
地名は「二宮」と称されている。
・古記録によると、藤原秀郷が生国の山王二十一社中の二宮を崇敬する縁故をもって特に当社を崇敬し、天慶の乱に際し
戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営した。
・源頼朝、北条氏政も崇敬篤く、ことに北条氏照は滝山城主となって、同氏の祈願所とした。のち、神殿・神宮宅は罹災し、
記録の大半が焼失した。
・一方、鎌倉時代には当地付近に大石氏中興の祖とされる信重が城館を構え、5代にわたって居城としたとの記録がある。
この「二宮城」の所在を探るため、昭和47年(1972年)に二宮神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料を
得ることはできず否定された。しかし、この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見
され、新たな謎を呼んでいる。特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。
・天正19年(1591年)、徳川家康より朱印15石を受け、以後、代々継承されてきた。現在の本殿は、江戸時代に建立
されたといわれる。明治3年(1870年-1871年)、現社名に改称した。by wikipedia
二宮神社お池
参道の石段を降りて道路を渡った反対側には、当社の「お池」があり、豊富な湧出量を誇る清らかな湧き水が満々とたたえられ、
「千人清水」と名付けられた小川が勢いよく流れ出している。この湧水は同市の八雲神社の湧水とともに、東京都選定
「東京の名湧水57選」のひとつに数えられている。by wikipedia
どんな干天でも涸れたことのない池だそうです。とても綺麗な湧水で、巨大な鯉が数匹優雅に泳いでいましたよ。
二宮神社の裏手には「二宮考古学館」があったので寄ってみました。
すごいですよ!縄文式土器に触れました^^
縄文中期の土器。いや~、なかなか複雑なデザインです。
こんな石棒まで展示されていました。
先に「・・・ この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見され、新たな謎を呼んでいる。
特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。」と引用しましたが、まさかの金銅製薬師如来像が展示されて
いました!