マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

宗像氏の謎解き

2010年03月23日 05時57分24秒 | 古代史
久しぶりの連休だったのでたっぷりと時間があり、散歩やビデオ鑑賞、さらに月のひつじさんからお借りしている宗像教授の本を読んだりと、あっという間の二日間だった。お彼岸とはいえ結構寒く、せっかく日泰寺へいったものの日向ぼっこする気にはなれずちょっともったいなかったな。覚王山からお寺への参道はその周辺の商店主や若い人を中心に活性化の試みがもう十年以上続いている。その成果が徐々に実りつつあり、なかなか良い門前町に生まれ変わりつつあるようだ。やはり圧倒的な集客力を持つ日泰寺があることが強い。わが街、長者町にはそのような核となるものが不足している。これは私たちではなんともならない。

さて、宗像教授の本はあっという間に5冊も読んでしまった。よく知らないが、月刊コミック誌に連載されていたのだろう。それにしても一ヶ月にひとつの物語を書いていくのは大変だったと思う。一応、民俗学のジャンルに属するため、私とはやや分野が異なる。でも読者が宗像教授に望んでいるのは歴史の謎解きであり、マヨが努力しているのも謎解きである。ここに私の読者と宗像氏の読者との共通項があるといえる。私がいうのは変だが、私より宗像氏のぶっ飛びのほうがすごい。そこはそこフィクションというメリットを十分生かしており、私は真実にこだわるところで多少は控えめであるかな?
ともあれ、あまりのスピードで読んでいたため、作者が何年も考察した物語を一日で読んでしまっては申し訳ないと思うようになった。
とりあえず、雑巾がけからではないが、いくつかのテーマに関しては私なりに調べなおしてもいいかなと考えている。
何度もでてくるのはアーリア人が中央アジアから世界へ散り、鉄鉱文化や白鳥伝説などを伝えた経路である。加治木説にしても宗像氏でもまったくいっていることは同じで、マヨ理論もまったく同じなのである。ただ、南からなのか、北からなのか、あるいは両方からなのかの違いだけである。所詮、水掛け論みたいな話になるが、やはりこれが日本の歴史の肝であるだけに簡単に妥協するわけにはいけないのだ。
それと、徐福伝説に関し、私は否定的だが、宗像氏も加治木さんも積極的にこれを取り上げている。つまり秦氏支配者説である。新撰姓氏録にも秦氏は登場するから現実に始皇帝の末裔が日本に渡来したことは否定できない。しかし、彼らが日本を統一したことはありえず、ある地域を支配し、比較的広い範囲を勢力範囲にしていたと考えるのが妥当なのではないか。徐福伝説は自分達の出自を正当化するための一種の神話であろう。私はそう考えている。