マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

派遣は早くなくしてくれ

2010年03月17日 18時49分37秒 | ひとりごと
労働者派遣法の改正案の原案が決まったようだ。我々素人には法案の細かいところはわからないし調べるつもりもない。要は昔から給料のピンハネは禁止されていて、必要な時に必要な人数を派遣するのは芸者と決まっているのだ。
昔、木枯らし紋次郎で有名になった中村敦夫が自分の番組が頻繁に時間が変えられるのに怒り「俺は電波芸者か?」と発言したため干されてしまったことがある。
必要なとき呼ばれ、不要な時は遊んでいられるのは特殊な技術が評価され、それに見合う高賃金が保証されているからであり、あくまで売り手市場だからこそ成り立つのである。モデルさんとか、職人さん、あるいはコンピューターの技術員などがそうであろう。
かわいそうに、苦労して学校に通い、卒業したら派遣しか道がないなんて絶対におかしい。まずは特殊な職種以外、つまり例外を除き派遣は禁止すべきである。日本は製造業の為にあるわけではないのだ。製造業を生かすために国民を殺してどうする。国内で採算が合わない企業は海外へ行ってしまう?もうほとんど行ってしまったのではないか、企業努力で何とかしてきたし、してゆかねばならないのである。
だいたい企業にしても自分で直接雇用をせず、雇用調整といういやな仕事を外注するとはあまりにも安易であり、上場会社のように社会的使命を持つ会社のやることではない。アルバイトでも短期雇用でも自分で面接し、自分で採用するのが当たり前だ。
小泉改悪政権の行った悪行のひとつである派遣を一日も早く禁止することが明日の日本のためなのである。いまやかつての高賃金の時代は去り、低賃金でも安定した所得が確保されるなら文句をいう時代ではない。そろそろみんなが安心して暮らせる社会に戻すべきである。そんな意味で、一日も早く法案を通し派遣社員をなくして欲しい。

司馬遷はどう言うかな・・・

2010年03月17日 05時52分07秒 | 古代史
最近は勉強不足でたいした記事が書けないのにアクセス数が結構多い。おそらくまゆみさんが張り付けたりしたせいであろう。
さて、政治も落ち着いて来たのでとりあえず書くこともない。自分の研究はいま「烏孫」が中心である。と言っても、これといって目途があるわけではなく、たまたま以前買った「スキタイと匈奴遊牧の文明」林俊雄著(興亡の世界史02)と、やはり興亡の世界史シリーズの「シルクロードと唐帝国」森安孝夫を読み直し今一度烏孫からみた世界観を構築しようと思っている。なんといっても遊牧民には歴史書というものがなく、西側のヘロドトス、東側の司馬遷が残した史書だけが頼りである。つまり、彼らは中央アジアから突然現れる遊牧民を蛮族と位置づけ、あくまで野蛮人の暴力集団だったとする歴史観で書かれている。だからある程度割り引いて読む必要があることは言うまでもない。
さて、紀元前174年、匈奴の冒頓が死んだ。その子「けいいく(字が難しい)」が立ち、老上単干と名乗った。漢の文帝は新しい単干に劉氏から公主として女子を送り、閼氏にすることにした。そして燕地方の宦官、中行説(中行が姓、説はえつと読む)を同行させようとする。しかし、彼は渋りながら「私を行かせると漢の災いになるだろう」と捨て台詞をのこし旅立ったと言う。
彼は匈奴へ行き、漢から送られる絹や食物を愛好する単干に意見を述べた。
「匈奴は漢の人口の一割にも満たないのになぜ強いかといえば、衣食が漢と異なり、漢から供給を受ける必要がないからです。いま単干が習俗を変えて漢の産物を好むならば、漢の産物が10分の2を過ぎないうちに匈奴は漢化してしまうでしょう。絹の衣服を着て馬に乗ればみな裂けてしまいます。ですからフェルト地や革衣のほうがはるかにすぐれていることを人々にお示しになり、また漢の食物を得てもみな捨て、乳飲料や乳製品のほうが便利で美味であることをお示しください。」

この逸話は漢に恨みを持つ司馬遷が自分の思いを込めたフィクションの可能性もあるが、彼は「史記」を歴史書として書いたわけではなく、帝王学の教科書を書いていたのである。つまり、匈奴の単干の逸話に見立てた戒めを皇帝に教えようとしたのである。

戦後の日本が見事に欧米化したのは進駐軍の政策によるが、日本人は積極的に欧州化しすぎた結果、逆に日本的なものを再発見できるようになってきた。アメリカにとっては皮肉な結果かもしれないが、日本人は思いのほかしたたかなのである。
現代に司馬遷が生きていたらどのような意見を言うのであろうか、非常に興味がある。