おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

平成の巌窟王はどーなのよ? その2。

2008-03-27 10:44:58 | 我思う、故に書くなりよ。
あと数日でネットとしばしのお別れとなるので…。

前回の続き…を…。例のごとく長いぞ。案件が案件だけにね…。

知人に教えられて、私が興味を持っている事件に迫るブログを見たんである。
ところが、これが「被害者の親族が加害者を応援するブログ」と、実に珍しいモノであったんだが、肝心なトコロが欠落していて、残念だったのである…。

了解も得てないし、勝手にトラックバックも出来ないだろうから、詳しく書かないけれど、それとなく判っちゃうかな…。

「そんなのあっちのブログにコメントしてやれよ…」

そのとーり…なんである。正論。だが、現時点ではダメだと思うんで、以下にその理由も書いておこうと思う。

正直、見た時は期待していたんである。被害者の親族の方がこうしたブログを開設するのは、珍しいだけじゃなく、大きなリスクだってある。私は親族では無いが、当時、加害者の父上と一緒に仕事をしていた関係で、事件当初はえらく白い目で見られた。「報道担当」とか「間接的関係者…」なんて言われたっけ…。

「おまえも何か知ってるだろう…」

ああ。知ってるさ。ロスから帰ってくる途中でハワイに寄るコトも、そこでしばらく時間をとるコトも知っていたさ…。本人から電話で聞いたんだからな…。父上からも毎日聞いてたしな…。

でも、まさか、殺人事件をしでかして帰って来るとは聞いてない。

加害者側の親族だって、親族と言うだけで報道の2次被害みたいなモノもあったし、被害者の方だって著名な方だっただけに大変な苦労をされたと思う。

まして、加害者の無実、そして冤罪を世に問うブログなのだから、立場から言えば普通はありえず、これほど貴重なモノは無い。そう思っておそらく全てに目を通したのだが、肝心なコトが書かれていないのである…。

「なぜに加害者が無実であるか? どの点がそれを指し示しているのか?」

これは、かなり不思議に思った。どう読んでも、それが明確には書かれていないのである。親族ならでは知り得る情報がそこにあるとも思っていたのである。

まぁ、ブログの冒頭付近にある嘆願書を読む限りは、加害者が事件と全く無関係であると書いてあるので、そうだとすると何もかもを捏造と考える理由も判らなくは無いのだが、それを立証するに足るだけの理由としては、被害者の人間関係にあるとしか記されておらず、具体的なコトは何もない。それを調べてくれ…ってコトは書いてあるが…

「なぜにそうだと類推出来るのか?」

って部分が無いんである。そこに繋がる情報が書かれていないので、これだけで「無実」だから「冤罪」なのだ…と、言う事なのかも知れないが、これは幾ら何でも乱暴ではあるまいか?

何も知らない、または詳しく知らない不特定多数の人に、事件の本質とも言える「無実」を訴えるには、どう考えても乏しい。いろいろと情報の羅列が飛び飛びで出ては来るのだが、それが事実なのかどうか、読む方が一方的に信じる以外にないんである。

それで良いのか? ってコトでコメントした人がいたんだが、このブログはこの人をオミットしちゃったんである。何も誹謗中傷して、雷太氏を責め立てている内容では無かった。肝心な部分で、欠けているトコロを指摘しただけである。まぁ、これも、何もかもが捏造…ってコトなら、そりゃそうだろうけど、「無実」と「冤罪」という確信に繋がるために必要で大切な質問である。その質問する人を「悪意に満ちた思想の貧困な人」とまで言っちゃっており、コメントは削除して、閲覧と発言を制限までし、この人「狼藉者」になっちゃった…。

まぁ、アメリカの放送局が作った番組を「悪意ある者の捏造」と断定してしまい、そこに出て来る全てが捏造だと疑わないワケだから、一般に知られているコトしか知らない者にとってみれば、その判断は衝撃的な驚きでもある…。犯罪捜査のあれこれを紹介するシリーズ物の最後に、この事件が取り上げられていただけなのであるんだが…。

もしそれら全てが捏造ならばその根拠を示さないと、盲信することのみを強要しても何ら意味も無い。(と言う趣旨のコメントもあった)

そればかりか、せっかくの趣旨と熱意が伝わらず、ミス・リードになってしまう。

事実、肝心な部分が大きく欠けたままなのに、この事件が「冤罪」で加害者は「無実」だと信じている人が幾人かいるのである。これは逆に恐ろしい。何も詳しい裏付けは書いていないし、比較検討された結果も無い…。どうしてその確信を得たのか不思議に思ってしまう。

仮に、世間で伝わっているこの事件の内容が全くのデタラメで、デタラメだと信じるに値する情報がそこにあるならば、キチンとした形で出すべきだろうと思う。その中身の吟味を世に問うだけでも価値はあると思うのだが、そうしたコトも現時点で無い。

てなワケで私がコメントしても「狼藉者」だと思うので、こっちで書いている…。

一般に、この事件を詳しく知ろうとすると、書籍だとか、過去の新聞記事、雑誌記事、映像アーカイブでも見る、ネットで拾う…ってコトになり、それらを集めて知った上で、どうなのだろうか? と考えるワケだが、集められる限りを集めても、この事件がそもそもからデタラメだ…と、確信に至るだけの情報が無い。この事件への関心は世間から既に離れてしまっており、新たな情報が出て来て、それらに触れるコトもムズカシイだろう。

だからこそ、被害者の親族の方が開設されたブログは貴重なのだ。ところが…なんである…。

ブログサイドとしては、世に出ていないだろう情報に目を通し、事件が冤罪であると確信したコトは判る。だから全てがデタラメなのだ…と言う主張をされているコトも判る。

だからといって、それだけを書いても、読む方は果たしてそれが本当なのかを確かめる術がない。ブログという、玉石混淆の情報がひしめく世界でなら、なおのこと。何もかもが信じてもらえるワケじゃない。

「世間ではこうなっているが、調べてみたらこうだった…その根拠はこうで、こうした証言なり、証拠がある…このことから、この部分は間違いで、実際にはこうではないだろうか?」

そうした問題提起を重ねながら、異論反論を含めて広く検証していかなければ、真実は見えてこない。意に沿わないからと、門を閉ざしてしまい、与えた情報のみを信じて、応援してくれ…と言っても理解はされないだろう。

「疑われる辛さからこのブログだけでも解放して欲しい…」との旨が載っている。
確かにそうだと思うが、既に疑われる時期は過ぎて、犯罪者として刑を科せられているではないか。その科せられた重い刑から彼を解放するためには、既成事実だけではない情報と、それを広く検証して、新たな事実として公表し、広く認知してもらう他に方法が無いのではなかろうか?

私も、出来る事なら早く雷太氏を日本に戻してあげたいと思う。だけれど、既成事実を覆し、無実という新しい身分を彼に与えてあげるだけの情報に接していない。既成事実では、彼はこの事件に関与し、それを認めており、有罪という判決を受け、刑を科せられている。これまたも広く知られた事実なのである。

もし、何か大きな阻害要因と対峙しなければならないのなら、手順を踏んだ情報の公開は大きな武器になる。それが十分な検証と根拠、出来れば証言や証拠を伴えば、それらを越える大きな味方が後押しをしてくれるだろうと思う。

その基点ともなるべき貴重なブログが現れたのだから、獄中の彼にしてみれば福音に値するだろう。どうか、その趣旨と熱意の方向を大事にして頂き、やがて来るだろう解放のその日まで、この問題を広く世に問い続けて欲しいと願って止まないのである。

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