おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

もろもろ。

2006-08-19 17:01:32 | 我思う、故に書くなりよ。
夏休みで、小学生の甥が泊りがけで遊びに来ていたので、ブログはほぼお休みでした。

近所だから、別に泊まらなくても良いとは思うのだが、普段と違う環境も良いかとは思う。

でも、台風の接近で大雨だったり、猛暑だったりで、どこぞへ出掛けるコトもままならないワケで、専ら彼はゲームに興ずる日々を過ごすワケだが、宿題と言うものを全然やらない。その気配も無い…。

そんなもんはやらなくても体制に影響も無いので、ほおって置いたが、いささか心配になったので尋ねると、やはり平気だと言う。まぁ、一応ルールとしてやって出すのも決まりだから、一応は終えて置くように言うと、判ったと言う。

深夜、私が寝た後に、普段は見られない深夜番組を見ながらなにやらやっていた。
寝たふりをしながら観察すると、漢字の書き取りをやっていた。

ところが、これがまぁテキトーなもんで、「心臓」と書くのだけれど、「心」だけ先にダァーっと書いて、後から「臓」をちまちまと書いてるもんだから、全然バランスが宜しくない。「やっつけ…」な感じがありありとしている。

まぁ、書いて覚える…ってのも確かに「教育」ではあるが、そんな「教育」はおじたん。が幼少の頃から変わらない退屈なもんだし、せっかくの夏休みがもったいない宿題に過ぎず、教育ってのは案外と進歩無いんだな…と思う。

お豆ちゃんは、一応、順調である。一応なのは、枯れもせずに育っているからで、よく見ると1号の枝の出方がおかしいなんてコトはある。2号は真っ当に、均等に枝も葉も伸びて生い茂っているが、1号はちょっと変。どちらにも液肥を少々与えて、猛暑も頑張ってもらうコトに。

金魚ちゃんはかなりデカくなった。ヒレをきれいに広げて泳いでいるので、健康らしい。水温がかなりあがってしまい、濾過に不都合が起きたりする。白くぬるぬるしたモノが、妖しく発生したりしている。まめに清掃しないとダメなので、そうしているが、本来の目的とはかなり違ったコトになっている。

この辺が、ちょっと気になっていたのだが、NHKの地上波で深夜に金魚の番組が流れており、眠い目をこすりながら見終わると、ちょっと考えが変わって来た。

金魚は人工的に作られているもので、自然界には存在しない。人間の作った環境で育つ様に、造り変えられて今に至っているのだから、自然な環境にいるのは不自然なのかもしれないのだ。だから、水槽内に自然を再現して、そこに住んでもらう…ってのは、あまり無理しなくても良いのでは無いかと思うようになったのである。

まぁ、濾過装置に任せて適度に住み易い水を造る…ってのは基本ではあるけれど、そこから外れても何ら問題も無いってコトだろう。砂利だの水草だの、有機的な要素は皆無であっても、金魚は生きるんである。無いよりはあった方が良いのだが、そもそもは無いんだよねぇ…。ヒドク無機的なトコロで生まれて、育って売りに出されてる奇妙な魚なのかもしれない…。

自転車はなかなか按配が宜しくなったが、変速時の感触が悪くなったりもしている。調整を覚えなければならないので、いろいろと調べてはいるが、王道は無いらしい。トライアンドエラーってもんなのだろう。

タイヤはかなり気に入ってしまった。ぼよんぼよん…はなかなか私の乗り方には良いんである。そのぼよんぼよんの為に、空気圧を計る「ゲージ」をそろそろ発注しようかと考えているが、安物の空気入れに付いているゲージがそこそこ正確なのが判明。いい加減な物かと思っていたので、たいしたもんだとちょっと驚いた。

チューブを変えて、米式にしたので、イザとなったらGSで空気も入れられるなぁ…と考えていたのだけれど、GSが軒並み潰れているコトに気が付いた。まぁ、携帯のポンプもあるし…と思ったんだけど、英式専用だったりする。やはり備えて揃えておかなければならないなぁ…。

しかし、暑すぎるなぁ…。

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癌と言う病気とどう向かい合う? 1周忌。

2006-08-19 04:34:26 | 我思う、故に書くなりよ。
父が癌に倒れて1年経った。

お盆もお彼岸も関係無いので、特に何かイベント的なコトはしないのだけれど、1年経ってしまったのだなぁ…と。

思い返せば、闘病…って本来の意味とは違った所に、父はいたのではないかと思う。

確かに、闘病だとは思う。だけれど、何と闘っていたのかよく判らない。肺癌と闘う決心をしたのだから、癌と闘うワケだけれど、傍から見ている限りではそうは見えなかった。治療と闘って、敗れた感じがもの凄く残っている。

治療しなければ、癌は体をどんどん蝕んで行き、悪くなる一方なのだから、治療しないワケにも行かない。

だけれども、治療することで日に日に悪くなる感じが印象として強い。治療の副作用として食事が食べられず、ゼリー状の栄養補助食品とブロック状の栄養補助食品しか口に出来ず、それらを腫れ上がって満足に開かない口から一心不乱に食べていた。病院で出される食事が食べられず、売店でおにぎりを買っている父を見た時、泣いた。

癌専門の病院ではあるものの、癌患者の専門家のいない病院だったワケで、そうしたケアが満足に行われないまま、治療する術が無くなると、病院から出されてしまう。

いったい、何がどう悪く、その程度がどの程度なのか。本人も家族も正しく知らないままに、家に帰されてしまった。

正しく知ったのは、専門病院を放り出された数日後、具合が悪くなって駆け込んだ一般の病院でのことである。別に、終末医療専門の病院ではない。癌専門病院の時の主治医の知り合いがいたから…ってだけで紹介された病院である。休日に駆け込んだので、非番の医者しかいなかったのだけれど、若くて、見るからに経験の浅そうな医者ではあったが、的確に父の状況を説明してくれた。

「あー、そんなに悪いところまで来ていたんだ…」

正直、ショックだった。悪ければ家には帰されないだろうと思っていたし、見た目でしか判らない具合の悪さに大きな変化も無かったのだけれど…。

ここでの治療は最後まで無かった。術も無かっただろうし、医者も休みでいなかったし。だけれど、大きく腫れていた父の顔は、あっという間に元に戻り、今まで癌専門の病院に何しに行って、入院していたのか、非常に疑わしい気持ちが大きくなる。そうした単純なケアさえも見捨てられていたんだなと、思うと、怒りさえ沸いて来る。

父は、最期をこの病院で穏やかに迎えられたと思う。そういう顔だった。病院としては、担当医が休み明けで出て来た途端に「危篤」なのだから、かなり慌てたとは思う。家族に何を説明するのかも、定かじゃ無かったと思う。患者を詳しく見る前に失ってしまったワケだから。

病院から父を運び出す時に、知らない医者が見守っていた。家族や親戚に聞いても知らない医者なので、誰かと尋ねたら、院長だという。よほどの関係でもなければ、院長自らお見送りするなんてコトも無い。やはり、慌てたんだろうなぁ。

でも、そうまで心配してくれる病院に何も不満は無かった。むしろ、最後とは言え、父の苦しみを取り除いてくれたコトは感謝にたえない。

父は何と闘ったのだろう。何を目指して闘ったのだろう。それが判らないのは、漠然と何かに向かって「頑張れ!」としか言えなかったからだと、自分では思う。治療と言う名目で、必要以上に苦しめてしまった感じしか残っていない。癌専門の病院だと、盲目でいたのは患者も家族も一緒だったけれど、もっと違った方法があったのではないかと、正直、後悔している。

癌と闘う方法は幾千万も通りはあると思う。どれもが「生還」を最終目標にしているとは思うが、そこに辿り着くには医者任せではなしえない。医者や病院にダメだし出来るくらいに、賢くなければ、闘う術は限られて、いったい何と闘っているのかさえ判らなくなってしまう。

やはり、父は癌と闘う前に、治療に敗れてしまったんじゃなかろうか。治療によって受けるダメージを、いかに少なく出来るかというケアが満足な物でないと、癌にやられた…と言うより、病院にやられた…と見えてしまう。

癌の専門であること、また、癌患者の専門であること。そうした病院に出会えなかったのがとても残念だった。いきなり「末期」なのも残念だったが、それなりのケアのしっかり出来る病院に連れてあげれば、結果が残念なものではあっても、必要の無い苦しみを避けるコト位は出来たんじゃないだろうか。「終末ケア」と言う言葉だってとっくの昔にあったと思う。それが必要か否かも判らないまま放り出されてしまったのが悔しい。

父としては、そんなこんなも考える余裕さえなく、悪くなっていく自分を考えるだけで精一杯だったと思う。最後にまともに出来た会話は「もう歩けないんだ…」。何か病気に対して言うコトも無ければ、自分のコトを言うコトも無かった。

「なんでこうなっちゃうんだろうなぁ…」

って顔はいつもしていたが、そんなもんだろうと思う。癌になったからと、何かを積極的にする人も多く見られるが、普通はどうなんだろう。意のままに動かせなくなる体と、呼吸すら満足に出来なくなっていく日々なのだから、何をどうする…なんてコトは考えるのもおっくうだったのかもしれないな。

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