おじたん。的ぶろぐ生活。

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癌と言う病気とどう向かい合う? 1周忌。

2006-08-19 04:34:26 | 我思う、故に書くなりよ。
父が癌に倒れて1年経った。

お盆もお彼岸も関係無いので、特に何かイベント的なコトはしないのだけれど、1年経ってしまったのだなぁ…と。

思い返せば、闘病…って本来の意味とは違った所に、父はいたのではないかと思う。

確かに、闘病だとは思う。だけれど、何と闘っていたのかよく判らない。肺癌と闘う決心をしたのだから、癌と闘うワケだけれど、傍から見ている限りではそうは見えなかった。治療と闘って、敗れた感じがもの凄く残っている。

治療しなければ、癌は体をどんどん蝕んで行き、悪くなる一方なのだから、治療しないワケにも行かない。

だけれども、治療することで日に日に悪くなる感じが印象として強い。治療の副作用として食事が食べられず、ゼリー状の栄養補助食品とブロック状の栄養補助食品しか口に出来ず、それらを腫れ上がって満足に開かない口から一心不乱に食べていた。病院で出される食事が食べられず、売店でおにぎりを買っている父を見た時、泣いた。

癌専門の病院ではあるものの、癌患者の専門家のいない病院だったワケで、そうしたケアが満足に行われないまま、治療する術が無くなると、病院から出されてしまう。

いったい、何がどう悪く、その程度がどの程度なのか。本人も家族も正しく知らないままに、家に帰されてしまった。

正しく知ったのは、専門病院を放り出された数日後、具合が悪くなって駆け込んだ一般の病院でのことである。別に、終末医療専門の病院ではない。癌専門病院の時の主治医の知り合いがいたから…ってだけで紹介された病院である。休日に駆け込んだので、非番の医者しかいなかったのだけれど、若くて、見るからに経験の浅そうな医者ではあったが、的確に父の状況を説明してくれた。

「あー、そんなに悪いところまで来ていたんだ…」

正直、ショックだった。悪ければ家には帰されないだろうと思っていたし、見た目でしか判らない具合の悪さに大きな変化も無かったのだけれど…。

ここでの治療は最後まで無かった。術も無かっただろうし、医者も休みでいなかったし。だけれど、大きく腫れていた父の顔は、あっという間に元に戻り、今まで癌専門の病院に何しに行って、入院していたのか、非常に疑わしい気持ちが大きくなる。そうした単純なケアさえも見捨てられていたんだなと、思うと、怒りさえ沸いて来る。

父は、最期をこの病院で穏やかに迎えられたと思う。そういう顔だった。病院としては、担当医が休み明けで出て来た途端に「危篤」なのだから、かなり慌てたとは思う。家族に何を説明するのかも、定かじゃ無かったと思う。患者を詳しく見る前に失ってしまったワケだから。

病院から父を運び出す時に、知らない医者が見守っていた。家族や親戚に聞いても知らない医者なので、誰かと尋ねたら、院長だという。よほどの関係でもなければ、院長自らお見送りするなんてコトも無い。やはり、慌てたんだろうなぁ。

でも、そうまで心配してくれる病院に何も不満は無かった。むしろ、最後とは言え、父の苦しみを取り除いてくれたコトは感謝にたえない。

父は何と闘ったのだろう。何を目指して闘ったのだろう。それが判らないのは、漠然と何かに向かって「頑張れ!」としか言えなかったからだと、自分では思う。治療と言う名目で、必要以上に苦しめてしまった感じしか残っていない。癌専門の病院だと、盲目でいたのは患者も家族も一緒だったけれど、もっと違った方法があったのではないかと、正直、後悔している。

癌と闘う方法は幾千万も通りはあると思う。どれもが「生還」を最終目標にしているとは思うが、そこに辿り着くには医者任せではなしえない。医者や病院にダメだし出来るくらいに、賢くなければ、闘う術は限られて、いったい何と闘っているのかさえ判らなくなってしまう。

やはり、父は癌と闘う前に、治療に敗れてしまったんじゃなかろうか。治療によって受けるダメージを、いかに少なく出来るかというケアが満足な物でないと、癌にやられた…と言うより、病院にやられた…と見えてしまう。

癌の専門であること、また、癌患者の専門であること。そうした病院に出会えなかったのがとても残念だった。いきなり「末期」なのも残念だったが、それなりのケアのしっかり出来る病院に連れてあげれば、結果が残念なものではあっても、必要の無い苦しみを避けるコト位は出来たんじゃないだろうか。「終末ケア」と言う言葉だってとっくの昔にあったと思う。それが必要か否かも判らないまま放り出されてしまったのが悔しい。

父としては、そんなこんなも考える余裕さえなく、悪くなっていく自分を考えるだけで精一杯だったと思う。最後にまともに出来た会話は「もう歩けないんだ…」。何か病気に対して言うコトも無ければ、自分のコトを言うコトも無かった。

「なんでこうなっちゃうんだろうなぁ…」

って顔はいつもしていたが、そんなもんだろうと思う。癌になったからと、何かを積極的にする人も多く見られるが、普通はどうなんだろう。意のままに動かせなくなる体と、呼吸すら満足に出来なくなっていく日々なのだから、何をどうする…なんてコトは考えるのもおっくうだったのかもしれないな。


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