映画『ドライブ・マイ・カー』の同名の原作が含まれた村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』を読了。
いつもそうだけど、村上春樹の小説を読むと、しばらくは現実と空想の世界の中間くらいに宙ぶらりんに漂う感じになります。
今回もそんな感じ。
でも、映画を観た後にこの小説を読んだので、「木野」や「シェエラザード」のモチーフは『ドライブ・マイ・カー』の映画で使われたこともあり、それほど放り出された感はなかったですね。
それにしても小説って、つくづく自由だなあと思います。
書き方も日記や自伝のように一人称で書く書き方から、誰かから聞いた話として三人称で書く書き方、そしてナレーションが入るような書き方。その書き方の違いは画材や絵の具の違いのようなもので、同じ本の中で同じ人が書いても違う物語だとはっきりと区別することができます。
それでも描き方のタッチというか表現のクセみたいなものはやっぱりその人が出ます。
短編小説集ってそういうことを感じ取れるところが面白いです。
この単行本には最初に「まえがき」があって、それぞれの作品は別々の雑誌に掲載されたものだけれど、ある程度まとまって発表する意図で同時期に書かれたものであること、最後の「女のいない男たち」というタイトル作品は単行本になるときに書き下ろされた作品であることなどが書かれています。
自分の作品の書き方やその経緯などを俯瞰して解説できる村上春樹という人の、作品との向き合い方は本当に尊敬できるというか、こんな風に自分の作品と一線を引いて付き合えるっていいな、と羨ましくなります。
音楽作品でも小説でも絵でも、ひとたびそれが始まると、作品自体が生命をもったものであるかのように成長していくことがあります。作品作りをしている人なら一度はそんな経験をしたことがあるんじゃないかと思います。
まるで自分が何か大きな力で突き動かされ書かされているような。。。
その魔法のような経験を人は「降りてきた」というのかもしれないですけれどね。
私自身も締め切りや依頼があって曲を作ることもあれば、依頼されなくても自分のペースで降りてきたときに曲を作ることもあります。もちろん基本的には後者が好き。
今は特にすぐアルバムを制作する予定はないけれど、村上さんのようにぼちぼちアルバムを想定して曲作りをしようかなとも思います。こんなふうに本を読んでぼんやりそのことに考えを巡らせているとき何か曲が生まれるかもしれませんね。
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