ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

たましいの場所

2013-01-21 11:50:22 | 第1紀 読書・JAZZ
「歌いたいから歌うのではない。歌いたい事があるから歌うのだ。自分を歌うのだ。」と早川義夫は「たましいの場所」でいう。



日曜日の昼下がり。

お気に入りの自宅の青いソファーに横たわり、バッハなどを聴きながら気になってようやく手にした早川義夫の本を読み始める。

ワタシタチの年代なら早川義夫の名を聴いたことがあるだろうけど、わかりやすくいえば女性デュオがカバーした「サルビアの花」をつくった人。
あるいはワタシより少し上の人なら一世代を風靡した和製ロックの創世紀のジャックスのメンバーといえばおわかりか。

本人によれば23歳でうたをやめ、早くおじいさんになりたくて本屋さんをはじめ、四十代後半にまたうたいはじめた。

(本文より)
歌っていいのだ。
歌いたい事があるのだ。


で、じゃぁ、その四十半ばを過ぎた早川義夫の歌を聴きたくなった。
世の中は便利なもので、10数年前のVAIOでも「このブラウザはもうサポートしていません、どうのこうの」とでるが、なんとか You Tube を見るとこができ、ワタシはしばしその早川義夫の歌に聞きほれたのだ。

HONZIという早世した女性奏者も知った。

ついでに「その頃」のロックとかフォークとかそういう曖昧な狭間のものとか、自分の十代後半から二十代前半の日本の歌も聴いたのだが、いやいや早川の歌を聴きながら、その詩を食みながら本を読み進めるというなにかもどかしい時間を、しかし少しの幸せ感に浸って過ごした。


余談である。

この早川義夫の「たましいの場所」はちくま文庫の12月新刊であり、いつもの大通店ランチ業務後の散歩のときにさわや書店の書棚で見つけたのだ。
その時は読書している場合でないなどと少し悟ったふりをして見逃したのだが(こういう欲しい本を我慢するときは売り場から逃げ去ったという方があっている)、いや先々週の朝日新聞の書評欄に取り上げられていて、こりゃいかん、店頭からなくなると急いで駆けつけたのだ。
さわやの新刊文庫コーナーにはすでになく、狭い、しかも新店長になって歩くのもままならぬ狭い仕掛けの店内をグルグル廻り、あきらめかけた二巡目あたりに少し山積みにされたこの本を見つけた。
売らんかな魂そのものの売り場に変わり、相当頭に来ていたが、手書きPOPも添えられた段積みに、まぁ少し許してやるかという気分になった。

でもね、
ただただ売れる本を通路の邪魔になっても目立たせて売り上げをあげようという最近の姿は、哀れじゃよと、まだ腹立たしいのはおさまらぬが、何年か前は本店の横でまんがや音楽本や映画・演劇などの専用おたく別館があったことのお釣りで許してあげようよ。
ワタシは本を買いに行くのではない。
買いたい本に出会い、あるいは見つけ、探しに行くのだよ。
そういう本屋であってほしい。

じゃなきゃ、Amazonda!!

この早川さんの本に歌手再デビューにさいし二十数年続けた本屋をやめるときの常連さんの言葉がある。

早川書店は決して「本を買いに行く」ところではなく、「本に会いに行く」場所でした.(H・K)

というのがあり、なるほどなと思いながら少しウルッとしました。
高校生のころの花巻上町「誠山房」は、古典に埋もれる学校の図書館と違い、新しい事やものの見方、知らない世界と出会う知識の探検の場所であり、初心者マークの本好きの居心地のいい場所でした。
学校で授業を受けながら一冊、図書館で一冊、誠山房の立ち読みで一冊という今思えばたいそう恵まれた時期だったのです。
  (本屋のおばちゃんの険しい、時にあきらめ顔で覗く姿も思い出します)


うん、いろんなことを思い出しながらの読書。

本文の中から気に入った一節をもう一つ。

歌謡曲は過去を歌い、フォークは未来を歌い、ロックは今を歌う。歌謡曲は絶望を歌い、フォークは希望を歌い、ロックは欲望を歌う。

彼はロックを歌いたかったのだ。

そしてボクは高校時代、従兄弟から借りていた12弦ギターでフォークを掻き鳴らしていた。

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