あれは,あれで良いのかなPART2

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鳴かぬならどうしようかなホトトギス

2008年01月06日 23時32分50秒 | 歴史の話
年末年始にかけて,いろいろな歴史番組をやっていました。
特にローマ帝国のものや,織田信長らを扱った番組は,結構見入ってしまいました。

いずれも現代と対比している

歴史は繰り返す」といいますし,また「歴史を学ぶ理由は,過去の失敗を検証して同じ過ちをしないようにするため」といいますので,そういう点ではこのような歴史検証番組は非常に有用だろうと思います。
そのうえで,ちょっとだけ短評を。

1 ローマは1日にしてならず者
  改めて「世界史をまじめに勉強すればよかった」と思ってしまいました。あれだけ長い古代ローマの歴史をかなりコンパクトにまとめており,また共和政から帝政ローマへの変革が非常に分かりやすかったです。
  さらに,現代との対比(政治腐敗と格差社会の発生や改革は政治家と抵抗勢力との駆け引きなど)は,歴史を検証する上で非常に大切な視点だったと思います。
  ただし,歴史上の人物を偉人扱いしすぎたかなあ,っていうのが気になりました。カエサルも実際はかなり血なまぐさいことかなりやってますし,歴代皇帝も徳川将軍以上の血で血を争う権力争いが背後にありましたが,その点は特に触れませんでした。
  もっとも,歴史の授業ではないので,そこまで扱うと争点がぼけるということから意図的にカットしたのかもしれませんので,この編集が悪いとまでは言いません。ただ,この番組を機に歴史に興味を持つ人がひとりでも増えて,それでローマの歴史を学ぶことになれば,番組としては大成功といえるでしょう。

2 洋の東西を問わず,政権末期は似ている

  現代との対比という点で,結構多くの歴史検証番組で「格差社会の発生」と「政治腐敗」,「社会システムが時代に合わない」などを取り上げます。ローマ時代についても,カエサルの誕生の背景にこれらのことをあげていました。
  もちろん,ローマ帝国が共和制から帝政に移行するきっかけや東西ローマへの分裂などの背景はここにあることは事実でしょう。
  しかし,何もローマに限った話ではなく,むしろ多くの時代がこれらが崩壊の背景となっています。日本の歴史も,各時代末期はほぼ同じ状況になっています。
  っていうことは,現代社会も末期ということなのでしょうか?

3 戦国時代の寺と今の時代の寺とはちょっと違う
  本能寺の発掘をして,外堀があったなど歴史的発見を報告していました。この調査が進めば,本能寺の規模が明らかになることでしょう。これは興味深々です。
  ところで,戦国時代の寺とは,実は「軍事拠点」であるということが意外と知られていません。今のお寺と同じように考えると,戦国時代の寺社について誤解する可能性があります。
  寺とは政治経済の中核を占めており,戦国大名とコラボをすることで,双方ともにますます大きくなってくるという状態にありました。その代表格が延暦寺だったのです。そこで,織田信長は「最大軍事拠点である延暦寺を破壊すれば,他の戦国大名の力もそげるし,自分への脅威も減る」と考えて攻撃したと考えられます。つまり,軍事戦略としてのひとつだったのです。
  決して,今の平和なお坊さんの集まりの寺に総攻撃をかけたわけではないのです。
  その前提において,本能寺も軍事拠点のひとつでした。一説には,織田家の武器倉庫であったとも言われています。それゆえ,周りに堀をめぐらし,厳重な警備をしていたのです。逆に言うと,それゆえ,明智光秀が本能寺を攻めた際,逃げ道がまったくなかったのです。
  本能寺の変,まだまだいろんな話や説があります。何が真実なのか,それは今時点は神のみぞ知る領域です。

4 秀吉商人説
  秀吉は農民ではなかったという説は少し前から出てきており,最近の学説では足軽団長の一人などともいわれています。
  今回,商人説を唱えていましたが,確かにつじつまは合います。特に,後の農民軽視の政策,交渉力,情報の扱い方などを考えると,少なくとも農民出身ではなく,商人であったといってもなるほどという感じです。
  ただ,商人出身だったとした場合,天下統一後の金の使い方にはかなり疑問があります。商人出身であれば,あそこまで無駄遣いすれば,たとえ金山銀山を押さえたとしても,財政破綻を招くことは計算できるはずです。それとも,単に権力を取った瞬間に人が変わっただけでしょうか?
  ただ,秀吉の出身が何であったとしても,秀吉のしたたかさは検証の価値が高いと思います。

5 鳴かぬなら,私が鳴こうホトトギス
  これ,明石家さんまさんがよく言ってますが,実は秀吉はこのタイプだったのではないのかなあ,って思います。
  実は,晩年の秀吉は,自分以外が信用できない状況にありました。そういう意味では,ネロと同じだったのかもしれません。

6 織田,豊臣,徳川の経済的な流れ
  織田信長は楽市楽座などの政策で,規制緩和をしたといわれていますが,それだけではなく,実は「土地以外の恩賞」を設けるなど,さまざまなものに経済的価値を見出そうとしました。いわば,「貨幣経済主義の走り」だったのです。その典型例が茶器であったとも言われています。
  一方,豊臣,徳川はあくまでも「米」にこだわりました。これは「古典的重農主義」です。もちろん,だから悪いというわけではありませんが,信長の考え方はおそらくほとんど理解できなかったでしょう。
  信長は生まれてくるのが300年早かったのかもしれません。

7 おまけ・・信長の肖像画
  歴史上の人物の肖像画はあまりあてになりませんが,仮に肖像画どおりの顔だと仮定した場合,信長はかなりのおちょぼ口なので,解剖学的には何を話しているのか非常に聞き取りにくかったと考えられます。
  だから,実は家臣は「信長の命令が聞き取りにくかったたが,怖くて聞き返せなかったので,信長の本心と違う行動に出ることが多かった」とのおもしろ仮説があります。
  かつぜつの悪い信長,これはドラマになりませんね(笑)。

とまあ,年始早々,歴史もので一人妄想にふけてしまいました。
とはいえ,本文中でも書きましたとおり,「歴史は繰り返す」ものです。過去の歴史をしっかり勉強することで,これからの日本が,世界がどうなるのか,どうして行くべきか,しっかりと考えていくことが大切でしょう。
果たして,日本はこれからどうなるのか,どうしていくべきなのか,ゆっくり考えたいと思います。

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