あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

全国学力テストの結果発表,やっぱり「読み書きそろばん」が基本ですね

2010年07月31日 20時42分55秒 | 教育問題
今回は抽出方法で実施した小学6年生と中学3年生を対象にした全国学力テストの結果が発表されました。
それによると,今回も上位県は前回同様秋田,福井などとなり,一方下位県も沖縄や北海道などとなりました。また,前回下位だった山口県は,その後の努力の結果順位が上昇するなど一定の成果が表れたことも明らかになりました。
テスト内容では,図形問題などでつまづきがみられたり,読解力や表現力などという応用力の正解率が極端に下がるなどの傾向が見受けられたようである。

全国学力テスト結果、上位・下位県の固定化も(読売新聞) - goo ニュース

日本海側が強いのはなんでだろう?

今回のテスト結果の詳細はこちらをご覧ください。
「平成22年度 全国学力・学習状況調査 結果概要・集計結果」について

今回の全国学力テストが民主党政権の影響で抽出方式に変わったことで,さまざまな問題点が挙げられていますが,それはそれで今後じっくりやってもらいましょう。また,日教組云々の話も漏れ聞こえていますが,それはあっちの方で好きなだけやってください。
テストの是非はともかく,一定の結果が出た以上,子どもの教育のため,日本の将来のためにも,この結果を有益に活用するべきです。

さて,今回の結果,去年の結果とはそんなに大差はありませんでした。もちろん,努力をした山口県や大阪府などは,前回よりも上昇しているところもありますが,この1年で何か飛躍的に伸びたというわけではありません。
ってことは,最近問題になっている,「図形が頭に浮かばない」,「コミュニケーションの基本能力がない」,「応用問題となると,そもそも考えようとすること自体を放棄する」などという点についてほとんど改善されていないということが明らかになったと言えるわけです。
いまさらゆとり教育の是非を論じても仕方ありませんが,少なくとも言えること,それは「まず基礎学力を確実に身につけさせる」上で,「表現力という国語力の基本」をきちんと学ばせる必要があるということでしょう。国際化云々と称して英語教育に重点を置くこと自体を悪いとまでは言いませんが,それ以前にやはり「基本的なコミュニケーション能力」をもっと学ばせなければなりません。そのためにも「国語力の強化」が近々の課題なのです。
今回のテストでも,その点が明確になったと言えるでしょう。

ところで,今回のテストにおいても,秋田県や福井県が前回同様,上位にランキングしました。なぜでしょうか。
原因は一つではありませんが,ざっくり言うと,個人的には次のようなことが考えられます。
1 私学が不参加であったこと(大都市圏はそれにより学力低下の結果が出やすくなることと,農村部では公立優位思想が今でも強いことが考えられます。)。
2 農村の生活環境や家族環境が優れていること(去年の分析結果でも,そうした結果が出ています。大家族化は脳科学的にも極めて優れていると澤口先生らも主張されています。)。
3 学力以外に均等にまんべんなく力を伸ばす方針としている(全国体力調査でも秋田や福井は上位にランキングされている。)。
4 経済格差が少ない(貧富の差が少ない)
5 そもそも教育政策に優れている(秋田県のフィンランド方式教室や,福井大学教職大学院における1年間教育実習など,さまざまな工夫を凝らしている。)。
6 地域コミュニティが機能しており,学校や子供たちと連携している(学校を敵視している人が少ない。また,親たちも権利だけ主張して義務を一切行使しないような「モンスターペアレンツ」が少ない。)

他にもいろいろあるでしょうが,こうした所が思いつきます。総じて言えること,それは,「下手な英才教育を目指すのではなく,とにかく基礎力をつけることに徹底している」という点にあるのでしょう。
義務教育では,やはり「徹底した基礎力」が必要なのでしょう。そして,「信頼される教師に委ねる」という親側の姿勢,それが大切なのかもしれません。
もちろん,下位県がまったく努力をしていないとかそうした環境がないなどという乱暴な議論をするつもりはありません。あくまでも県全体の平均に過ぎないため,最終的には「学校単位」での努力がものを言うわけですから。
とはいえ,国は「子供の学力向上のための政権にぶれない基本方針」をきちんと示すこと,地方自治体は「地域の実情や子供たちの現状をきちんと把握し,それに対する対応策を構築するとともに,学校がやりやすい環境整備を図る」こと,地域は「子供と学校をきちんとみまもれるコミュニティを作り上げること」,親は「学校に対する権利行使だけをせず,教師が教えやすいための環境作りに協力するという義務も行使すること」,学校は「子供のために真摯な取り組みを行ない,可能な限り公開していくこと」を実現していくことが大切でしょう。

あとは,今回の学力テストを政争の具として,つまらない足の引っ張り合いをして肝心な子供たちを置き去りにすることだけは絶対にやめてほしいものです。仮にそんな政治家や政党があったら,とても日本の将来を任せられません。
むしろ,よりち密な分析ができ,経年的推移も把握できるような方策をポジティブに検討してもらいたいものです。

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こんにちわ,どちらえ参りますか?

2009年01月19日 23時22分52秒 | 教育問題
このタイトルに違和感を感じなかった方,もう一度国語の勉強をしましょう。
小さな話ですが,「こんにちわ撲滅委員会」なるものが密かに活動しているようです。ここでは,特に「こんにちは」を「こんにちわ」と書く誤りについて問題点を指摘しようということのようです。

goo注目ワード ピックアップ・・・こんにちわ撲滅委員会(goo注目ワード) - goo ニュース

やっぱり英語よりまず日本語学習ですね

私自身,完璧な日本語はいまもって自身はなく,特に敬語については,尊敬語と謙譲語の混在や二重敬語などを無意識にやってしまいます。
ただ,「わ」と「は」の違いや,「へ」と「え」の違いくらいはさすがに分かります。
ところが,最近では,メールなどでこの辺りの区別ができない人たちが増えているようです。もちろん,ネット上ではわざとやっているケースもあり,私もよく冗談で,「**さんへ」というくだりを「**さんえ」などと書いたりしています(古い話ですが,「怪人21面相」がこうしたフレーズ使っていましたね。)。
ただ,冗談ならともかく,最近では,「本気で使い方を間違っている」人が増えているようで,大学生ですら,論文などで間違っていることもあるようです。

この委員会では,日本語を正すという目的まではなく,あくまでもシャレの領域でやっている活動のようですが,やはり「日本語を正しく使う」ということが本当は一番大切だと思います。
敬語についても,「使わないから間違える」という点もありますし,私も国語のテストで敬語は苦手分野ではありました。しかし,敬語っていうのは,「他人を敬う」ための第一歩であり,社会人になればある程度常識として必要になってきます。それに,皮肉にも,今敬語を完璧に使いこなしているのは外国人だ,などという状況にもあります。
やはり,「日本語としての敬語」もある程度使えるようにするべきでしょう。

そう考えたとき,やはり今の教育で本当に必要なのは,やはり「英語」よりも「国語」なのではないでしょうか。
もちろん,いつも言うように,英語教育を否定するわけではありませんし,今よりも充実した英語教育それ自体は大いに歓迎できる話だと思っています。しかし,「日本語が正しくできない」人種が,「外国語を正しく話す」となるはずはありません。絶対的に必要なのは,「正しい母国語」なのです。
逆にいうと,正しい母国語を覚えなければ,次世代にそれが伝わりませんから,いずれは「おかしな日本語だらけ」ということになってしまいます。こうなると,日本文化の終焉を迎えてしまうでしょう。

ちょっとオーバーに話してしまいましたが,自戒を込めて,「日本語をきちんと使おう」ということに心がけていきたいものです。それが,日本文化を守る第一歩なのです。

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脱ゆとり教育への転換,教師のやる気も重要に

2008年12月24日 01時00分16秒 | 教育問題
文部科学省は,2013年度から実施する高校の学習指導要領改訂案を発表しました。これによると,英語教育の充実や,国語教育の充実,さらには「これは扱わない」などといった歯止め規定を廃止するなど,全体的に「脱ゆとり教育」の内容となっています。
文部科学省では,今後,パブコミなどでの意見募集を経て,最終案をまとめる予定とのことです。

「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案(朝日新聞) - goo ニュース

伸ばせる子を伸ばすとともに,できない子をしっかりと拾い上げよう

今回の学習指導要領案については,「英語教育を英語で教える」という点ばかり強調されていますが,それ以外にも重要な点は結構あります。
まず,国語教育の充実です。国語総合を必須にして,コミュニケーション能力の向上を図るというのは,単に乱れた日本語を正すというだけではなく,実は国際化社会への対応にとっても重要です。いくら英語ができても,それを伝えるべき「中身」がしっかり育たなければ,結局,国際社会で自分の言いたいことを伝えられないからです。私個人的には,国語力の増強が一番重要と考えていただけに,この改訂は評価できます。あとは,「扱う題材」について,更に検討してほしいものです。

理数系については,「歯止め規定廃止」という点がかなり大きいと思います。今,理科系大学の悩みは「基礎学力不足の学生が増えた」ということです。下手すると,4年間の大学生活で,やっと高校レベルの学力が付いたなんていう笑えない話もあるくらいです。
今回の歯止め規定廃止により,高校の判断で,レベルアップを図ることができます。理系希望クラスにおいては,かなり高度な授業も可能になり,大学でも落ちこぼれることなく授業に付いていくことで,将来の日本の技術を担う理系の人たちを育てることができます。

一方,社会では,今回も「日本史必修」は外されてしまいました。個人的には,「必須科目は世界史よりも日本史」だと思います。誤解のないようにいうと,世界史が不要という意味ではありません。日本人は,世界の地理歴史に疎いこと,国際化のことを考えると世界史は勉強するべき科目です。しかし,国語と同じで,「他の国の文化歴史を知るためには,まず自国の歴史や文化を知ること」から始まります。文化交流をする際,「日本の文化や歴史を正しく伝える」ことが求められるからです。
思想云々ではなく,日本人として,文系理系問わず日本の歴史くらいはしかり学ぶべきです。自国の歴史を知らずに国際化はありえません。

そして,問題の英語ですが,総論としては英語教育の充実は喜ばしいことだと思います。しかし,現実問題として,「英語が話せて,英語で授業ができる教師」がどの程度いるでしょうか。問題はそこに尽きるでしょう。つまり,「仏作って魂入れず」という学習指導要領になりかねないか,不安が残ります。

総じていえることは,「確かにこのとおりやれば学力向上は期待できる」と言えます。また,学校の裁量が増えたことで,「伸ばせる子を伸ばす」という教育も可能となります。あとは,この通り実行することができるか,環境整備や教師のスキル向上が問題となるでしょう。
一方で,「中学の科目の復習」も認められるようになりました。したがって,いわゆる「おちこぼれ対策」も正規カリキュラムとして取ることが可能となります。これにより,「おいてけぼり」を防ぐこともできますので,「基礎学力のない生徒の底上げ」を図ることができます。
ただし,「伸ばせる子」と「落ちこぼれの底上げ」を同じカリキュラムで行うことは無理がありますから,当然,棲み分けが必要となります。この棲み分けについては,これまで教師サイドからの反対もありましたが,むしろ子供達のことを考えると,この棲み分けを容認することが求められるでしょう。当然,教師はもちろんのこと,生徒自身がレッテルを貼ることや,やる気をなくすような雰囲気にすることは絶対に避けなければいけません。こうしたことが起こらない環境作りも非常に重要になってくるでしょう。

今回の学習指導要領は,総じて評価できます。特に,「学習指導要領に縛られない」という姿勢については,学校の裁量を増やし,子供の教育効果を考えていると思います。
あとは,「この趣旨を全うできる環境作り」が大切です。先ほども書きましたとおり,「仏作って魂入れず」の指導要領にだけはしてほしくありませんし,「謎の通達」で実質的な縛りを加えるような「裏指導要領」を作ることも止めてほしいものです。

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トロッコ問題は本当に難しい

2008年11月23日 11時45分10秒 | 教育問題
ビートたけしさんの番組で,「トロッコ問題」を扱っていました。もっとも,この番組を全部見ていませんので,番組内ではどのように扱ったのかは全く分かりませんので,それを前提に一言だけ。

そのまえに,そもそも「トロッコ問題」をご存じでない方のために,解説します。
線路上でトロッコが暴走してきました。そのまままっすぐ進むと,その先で作業中の5人の作業員が全員はねられて死亡してしまいます。ところが,その線路は二股に分かれており,ポイントを切り替えるとトロッコは左に行きますが,今度はそこでは1人の作業員が作業をしているため,ポイントを切り替えたら5人の作業員は助かるが,その1人の作業員がはねられて亡くなります。さて,あなたならポイントを切り替えますか,それともそのままにしますか。なお,大声で呼びかけるなどしてもこの作業員には全く伝わらず,またトロッコを物理的に止める手法はもはやないこととします。

もちろん,架空の理論です。刑法を勉強すると,緊急避難を学ぶ際に似たような事例の説明を受けますが,これは「自分が助かるためには人を犠牲にしてもよい」という緊急避難の事例を学ぶため,「どっちも他人の命」というこの問題よりはちょっと易しいといえます。

さて,この問題,何が正解でしょうか?

結論から言うと,正解はありません。
ただ,あえて正解を考えるとすると,私は「この問題を読み,悩み苦しむことができる」こと,それ自体が正解だと思います。「それでもトロッコを止める」とかいう回答は,悩みを放棄したことになり,また「どっちか一方の回答を選択し,それが唯一絶対の回答で,もう一方は誤りだ」と決めてしまうことも,どうように悩みの放棄になります。悩み放棄とは思考の停止です。
また,考える上で大切な点は,「「選択後の結果,その後さらにどうなるのか」ということです。もっというと,「5人の作業員の家族と,1人の作業員の家族から,何を言われるか。」という点も,実は隠れ論点になるのです。

この問題を通じて,「人の命には果たして軽重があるのか」を悩み考えてみるとよい,そういう意味合いを持っていると思います。

さらに,この問題には応用問題が作れます。例えば,「5人のところにはイチロー選手と長嶋元巨人監督とみのもんたさんがいて,1人の所には自分の家族がいる」などとした場合とか,「5人の所には麻生総理が,1人の所には民主党1年生議員がいる」などとした場合,さらには「5人の所には自分の両親が,1人の所には自分の妻と子がいる」などとした場合,もっというと「5人の所には妻が,1人の所には子がいる」などとした場合,もっと究極は「5人の所には長男が,1人の所には長女がいる」などとした場合などの想定問題が作れます。
全問で全く悩むことがなく選択できたとしたら,相当な勝負師でしょう。

私も,これは悩みます。

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学校は楽園でも娯楽施設でもない

2008年07月31日 01時05分08秒 | 教育問題
愛知県知立市で,18歳の少年が中学時代の担任を切りつけるという事件が発生しました。調べに対し,少年は,中学時代の厳しい指導で自分が対人恐怖症になり,すべてめちゃくちゃになったので殺したかったなどと供述しているとのことです。

18歳が元中学担任切りつけ、「厳しい指導に恨み」…愛知(読売新聞) - goo ニュース

学校は楽しい場所ではない

この件については,この少年に対するに対する批判はもちろんのことですが,意外にも学校やこの被害教師に対する批判というものも聞こえてきます。
少年に対する批判は当然のことなので,ここで改めて述べませんが,問題なのは,「本当に学校の対応は批判されるべきことなのか?」という点です。
もちろん,今回の事件それ自体の対応,すなわち学校のセキュリティ問題などについては,批判を受け改善するべき点はあると思います。
ただ,もうひとつの批判,それは「厳しい指導方法自体に対する問題」という点です。この辺について,「今はほめて育てる時代」とか「子供の気持ちを考えるきめ細かな指導をするべき」,さらには「厳しい指導は過去の遺物」とまで言い切る専門家もいます。
でもはたして本当にそうでしょうか。もちろん,指導方法はひとつではありませんから,この専門家のいうことが間違っているとまでは言いません。しかし,「厳しさを排除する教育」が本当に正しいといえるかは疑問を感じずに入られません。むしろ,逆に近年の教育から「厳しさ」が排除されているために,おかしな事件が発生したり,大人になりきれず社会に対応できない人たちが増えてきているのではないでしょうか。厳しさを学校でも家庭でも学ばないため,「我慢する」ということができない子供が増えており,それが社会問題の一因になっていると思うのです。
もっというと,「学校は楽しい場所であるべき」という発想自体,ナンセンスだと思います。もちろん,学校は苦行の場とまでは言えませんから,楽しく来てもらうに越したことはありませんし,別に常に臨戦態勢のぴりぴりした環境が必要だなんていうことまではまったく考えていません。教師に優しさが必要であることは当然の話です。しかし,学校はあくまでも「学びの場」です。当然,遊び場ではない以上,必ずしも楽しい場所ではないのです。当然,いやなこと,いやな授業,いやなイベントなどもたくさんあります。でも,それを排除したら教育は成立しません。大人になれば,学校以上にいやなことにもかかわらざるを得ない場面なんて山ほどあります。それを逃げていたら,社会で生きていけません。

今回の教師がどの程度,どういう内容の厳しい指導をしていたのか分かりませんが,少なくとも「生徒のためを思っての厳しい指導であれば批判される理由はない」といえるでしょう。
今回の事件を受けて,「楽しい学校づくり」なんていう目標を立てて厳しさを排除するような運動だけは起こってほしくないです。もちろん,不登校などの問題もありますから,楽しい学校づくり自体は否定しませんが,「学校はディズニーランドではない」ということ,この点だけは学校関係者も,保護者も,生徒自身も自覚してほしいと思います。
そして,何よりも,この被害にあった教師の一日も早い回復と,現場にいた生徒が早く気持ちが落ち着くようになることを願わずにいられません。

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あー夏休み,今年も暑いけど熱い夏にしよう!

2008年07月21日 22時44分50秒 | 教育問題
学生の方々の多くは,ついに夏休みに入ったことと思います。一方,社会人の私たちも,会社によって違いはあるものの,どこかで気持ち夏休みが取れるかと思います(中には,ロングバケーションをくれる会社もあるそうで,それはそれでうらやましい限りです。)。
そんなわけで,夏休みに思うことを何となく述べたいと思います。主に学生さんへのお話しがメインとなります。

1 宿題は自力でやろう
  数年前から「宿題屋」の存在が問題化してきています。韓国では受験勉強最優先ということで,宿題屋に夏休みの宿題を任せて,専ら予備校の授業を聞くというのが定番になっているようです。
  日本の場合,韓国のような事情は20数年前くらいの話で,今宿題屋がはやっている事情としては,「単に楽したい」ということのようです宿題屋に関する記事についてはこちらも参考にしてください。)。
  まあ,事情はさておき,宿題くらい自分でやりましょう。何も学校も単に苦役を課すために宿題を出しているわけではないのですから。
  特に,「自由研究」と「読書感想文」については,「コピぺサイト」が横行しだしており,中には感想文の賞に選ばれた作品が実はコピぺサイトの作品だったということも判明しているようです。
  コピペサイトは,「何かのヒント」という視点で使用することはいいかもしれませんが,丸写しでは何の役にも立ちません。
  夏休みだからこそ,時間をかけて何かやってみましょう。
  一方,親も子供が半べそ書いてでも宿題は自分でやるようにし向けましょう。「苦労」や「努力」を覚えさせないとろくな大人になりませんし,なによりも「達成感」を味わうと,子供は一気に伸びます。

2 花火大会が始まった

  群馬県では,19日の玉村町花火大会を皮切りに,結構多くの花火大会が開催されます。
  玉村町の花火大会は早速見てきましたが,おもしろいのは「田んぼの中から打ち上げる」ということで,ものすごい臨場感が味わえるというものです。ただし,昼間の段階ですでに場所取りが激しかったため,残念ながら私は2キロくらいはなれば場所から見ることになってしまいましたが,それでも十分堪能できました。
  花火を見ると「日本の夏」っていう感じがしますねえ。

3 家族みんなで出かけよう
  何も旅行に行こうということだけではありません。
  近所のプールや,花火大会などでも構いません。とにかく,「家族みんなで出かける」ことで,家族の絆を深めましょう。特に,普段忙しい方こそ,夏だからこそこういう機会が作れるものです。
  近年,残念な少年犯罪が相次ぎますが,家族の絆が少なからず影響しているような気がします。
  逆に,「夏休み明けからぐれ始めた」などという事例もかなりあります。夏休みだからこそ,子供に自由を与えるのはいいのですが,放置プレーは危険ですよ。

4 北京で熱くなれ

  北京オリンピックが始まります。
  オリンピックは理屈抜きで楽しみましょう。もちろん,金メダルが取れればうれしいですが,「良い試合」を見ることでも十分感動できるでしょう。
  特に部活でスポーツをやっている人は,「模範プレー」をじっくり見ることも夏休みならではだとおもいます。

5 一番大切なのは「体を休める」
  これは専ら社会人の夏休みの話になります。
  仕事を忘れて休むことが,その後の仕事をバリバリやるいい刺激になります。
  また,メンタル面でもゆっくり休むことは大切です。

  前述のとおり,家族とじっくりつき合う日を設けることは必要ですが,自分の体を休める日も設けましょう。

以上思いつくままに夏休みについて書いてみました。
とにかく,「今年も暑い夏」になりますが,「それよりも熱い夏」にすることで,暑さを乗り切ると共に,自分の糧になるようなバケーションになればいいなあ,って思います。
レッツ,エンジョイ,サマーバケーション!!

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教員と外務省は縁故のみ募集します

2008年07月10日 00時43分14秒 | 教育問題
大分県の教員採用試験にからみ,教育委員会上層部や現職教員らが不正採用に関与したとして加重収賄罪等で逮捕され始めています。大分県警は,さらに組織的不正があったとして,県議も含め捜査対象を広げたようです。

合格者約10人が不合格に 複数県議が教委に口利き(共同通信) - goo ニュース

教育業界では比較的有名な話

まず当然の話ですが,全国ほとんどの教員は「実力」で試験に合格して先生になっています。決して先生のすべてが不正で入ってきたわけではありませんので,その点はご安心下さい。
とはいえ,実は昔こちらで書いたように教員採用試験って,結構今でも「縁故採用枠」が事実上残っており,それがかなり幅を利かせているという裏話は複数の都道府県から聞きます。
以前,私が書いた実例は,どういう理由か本音は不明ではあるものの,暗に学校長から「口利き」をほのめかされたというものです。この一例だけで「教員は縁故採用だ」と決めつけるのは早計ではありますが,とはいえ今でもこのような裏話が聞こえてきている実情があります。
今回の大分県のケースはまさに「縁故採用」の典型例だったといえますし,学校長などの「口利きの有無」が実質的受験要件になっていたといえます。当然,これらの間に何某かの金銭が動いていたと考えるのがむしろ自然です。そして,縁故がない場合は,別途縁故を作る必要があるため,そこに県議が絡んできているという構造も容易に想像がつきます。
ただ,大分県のケースが極めて悪質だったのは,「一次試験のペーパーの結果まで改ざんした」ということです。私が聞いていた裏話情報レベルでは,「前提としてペーパーはギリギリでも点数取れ」ということでした。つまり,ペーパー試験に手は加えられないが,面接試験は手心が加えられるということです。ところが,大分では「ペーパーすらいじれる」ということなので,そうなると「バカでも教員」の道ができているということにもなりかねません。そうなると,ますます「教育への信頼」と「教育の質」が維持できません。
このような試験制度を改善して,「真の自由競争」にすることが,教育改革の第一歩であると考えます。2世教員や身内が皆教員ということ自体は必ずしも悪いこととは言いませんが,「すべて公平な試験で選ばれた教員」こそが,質的にも高いレベルの教員になりうるのではと思います。
そのためにも,「面接試験の客観化」をより進めていく必要があります。

ちなみに縁故採用疑惑については,他にも「外務省職員」があります。数年前に問題にもなりましたが,面接試験では必ず「誰か身近に外務省職員がいるか」ということを聞くようです。そこで,「**さんが」というと,あとはその名前が出た人のレベルに応じて点数が加算されるという裏話です。ただし,これも今となっては真偽の確認ができませんが・・。

こんな時代だからこそ,多様な人材を雇う必要があります。教員採用試験は今以上に透明化するべきでしょう。そうしないと,有能な人材を確保できません。
っていうか,今は江戸時代じゃないんだから,職業選択の自由くらい憲法でも保障されているはずなのですが・・。

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国際化教育の前にまず人間教育を

2008年06月25日 01時24分10秒 | 教育問題
岐阜市立女子短大の学生が,今年2月にイタリアに研修旅行に出かけた際,世界遺産であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の壁に油性マジックで学校名や名前などを落書きをしてしまったそうです。学校側はその後謝罪をしたところ,大聖堂側からは謝罪をしたことから今回はこれ以上は不問にするということで円満解決したようです。

世界遺産聖堂の壁に落書き 岐阜短大生、学校名で発覚(共同通信) - goo ニュース

公私の区別からつけよう

このようなことは日本の恥です。「旅の恥はかきすてて」ということわざがありますが,海外では1人の日本人観光客が「日本代表」になってしまいます。まして,世界遺産に落書きをしたとなると,一歩間違えると国際問題になりかねません。外国人観光客が日光東照宮や姫路城に落書きしたと聞いたらどう思うでしょうか。
「旅の恥はかきすてて」の本来の意味は,旅先で何やってもいいという意味ではなく,旅先でしかできないような体験を恥ずかしがることなくやっておいで,という意味です。そうすることで,旅先の文化や人との交流ができるよ,っていうことになるのです。「旅」は決して免罪符ではありません。この点は勘違いしない方がよいでしょう。

ただ,そもそも論ですが,外国旅行に限らず,とかく「公私の区別がつかない」人が増えてきているような気がします。国内でも観光地で落書きをする輩が結構います。もっと小さい話では,町中で普通にポイ捨てができる,タバコを捨てる,お気に入りのタレントの駅ポスターを無断で剥がして持っていく,乗り物の中で大声で話すなどしている人を見かけます。
これらは,マナー違反ですし,ものによっては犯罪行為です。
なぜこんなことをやるのか,それは「公共の場=なんでもあり」という誤った方程式ができあがっているからではないでしょうか。むしろ,「公共の場はお客さんとして伺う場所」という認識を持たせる必要があるといえるでしょう。誰も,人の家に行ったとき,ゴミを畳や床に捨てたり,人の家の壁にいきなり落書きをする人はいないでしょう。もっというと,そうしたことを自分の家でやられたらどう思うでしょうか,っていう発想力が必要なのです。

今回の学生ですが,何の研修か分かりませんが,おそらく国際化社会を学ぶという視点もあったものと思います。しかし,国際化よりもまず学ぶべきこと,それは「マナーを守る」という基本的な社会性であると言えます。社会性のない人間が海外でうろうろされると,「日本人ってバカばかりだなあ」と世界中から思われてしまうでしょう。それこそ,国際社会から取り残されかねません。
まず,基本的な人間教育,次に国内文化の教育,そして初めて国際化教育を受けるというのがよいでしょう。猫も杓子も国際化というのはナンセンスです。

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入学留保問題におけるニュースの真意

2008年04月15日 01時07分31秒 | 教育問題
千葉県の県立高校で,入学金を納めなかった生徒2人が入学式に出席できなかったというニュースが報じられ,多方面で物議を醸しています。

入学金未納の2生徒、入学式に出席させず 千葉の高校(朝日新聞) - goo ニュース

これって毎年どこかで絶対起こっているのでは?

まず,このニュースがなぜここまで大きくなったのでしょうか。そこが今ひとつ理解できません。
そもそも,高校は義務教育でない以上,入学金も授業料も支払う義務が発生します。県立高校でも当然条例で定められているため,条例や規則で免除される事由が定められていない限り,期限まで支払わなければ当然入学取消となります。そして,免除規定は一般に生活困窮者を想定しておりますが,その場合も事前に申請または相談すれば対応可能です。
事情がすべて見えませんが,少なくとも報じられた範囲で見る限り,今回のこの学校は,入学を取り消さなかっただけでもかなりの「温情措置」といえるのではないでしょうか。
ただ,もっというと,入学金未納による入学取消なんて毎年あちこちで発生しているはずです。入学式に出席させないどころか,もっと激しく入学取消になっているケースは当然あるはずなのです。なのに,なぜ,今年,この学校で急にニュースになったのでしょうか。この真意が全く分かりません。
おそらく,今後類似ケースがあいつで発表される可能性が考えられます。これらを通じて,私たちは何を考えればよいのでしょうか。安易に学校批判または親批判をすればよいのでしょうか?
今まで報じなかった部分に光を当てて報じた以上,マスコミとして「このニュースで何を伝えようとしているのか」という点をもう少し明確にする必要があると思います。もちろん,「賛否両論」というテーマを掲げたいのであれば,当然それはそれでありですが,それならばそれなりの報じ方(例えば,賛否それぞれの立場の有識者の見解を示すなど)をする必要があるといえます。
ニュースに変なバイアスをかけるのは良くありませんが,「何を伝えたいか」という点は明確にするべきでしょう。それで初めてそれに対する「イエス,ノー」をみんなが判断できるのです。もちろん,各マスコミでスタンスが違って構いません。むしろ,いろいろなスタンスで報じることこそ,「言論の自由」の基本なのですから。

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学力低下が進んでいるが,弱いのは応用力では?

2007年12月05日 18時42分33秒 | 教育問題
OECDが3年に1度実施している国際的な学習到達度調査(PISA)において,日本は各項目において学力低下が進んでいることが明らかとなりました。
これをうけて文部科学省は学習指導要領の見直しの前倒しなどを実施する模様です。

日本、数学10位に後退=下がった読解力も前回並み-OECD15歳調査 (時事通信) - goo ニュース

ゆとり教育だけが悪いんじゃないけどなあ・・

このニュース,多くのコメンテーターが「ゆとり教育の弊害」と指摘しており,とにかく「脱ゆとり」みたいな論調を得意げに展開していました。
もちろん,ゆとり教育の弊害が皆無であるとは言えず,いわゆる基礎学習時間が削減されたことが今回の結果に影響しているということ事態は否定できません。
しかし,今回の調査で分かったことは,「応用力の低下」です。そして,ゆとり教育とは詰め込み教育で問題となっていた「応用力が養えない」という点をフォローするために始められた制度なのです。
さらに,PISAの調査は2000年から実施されたものであり,日本がちょうどゆとり教育に切り替えてその成果が出始めたあたりからスタートしている調査にすぎないのです。
とすると,ゆとり教育だけに責任を押し付けるのは筋違いといえるでしょう。
もちろん,応用力の低下は非常に由々しき問題であり,この点を改める必要があるのは事実です。
では,応用力が低下した背景はどこにあるのでしょうか。その点をまずは検討する必要があるといえるのです。
かつて詰め込み教育時代に応用問題が苦手という背景は,「暗記中心主義」の副作用で「問題が読めない」という点した。例えば,「1+1は」と聞かれれば「2」と答えられるのですが,「りんご1つとみかん1つ,あわせて果物はいくつある」と聞かれると答えられなくなるというものです。もっと実感のある例をだすと,小学校の算数でやる「食塩水の濃度」の問題などはかなり悩んだ人が多かったのではないでしょうか。あれこそ,まさに応用問題の典型です。

ところが,近年の応用問題苦手の背景にはどういうものがあるでしょうか。もちろん,「問題が読めない」という点があるのは今でも同じですが,それ以前に「応用を解く前の基礎学力が低下している」ことや,「そもそも解こうとしない」という敵前逃亡型,予備校が中心となる「マニュアル教育」などが考えられます。特に,敵前逃亡型やマニュアル教育型が顕著だなあと感じるのは,子供たちにある問題を解かせようとすると,1分もしないうちに「答え教えて!」と言ってくることが多いという点です。応用問題なので,考える時間が必要なのですが,問題読んだ瞬間に「考えることを放棄」して,「まあ,答え聞いておけばいいや」という発想になってしまうのです。つまり,「自分で考える」という作業をすることをまったく学んでいないということです。また,マニュアル教育型の場合は,予備校が逆に「応用問題のパターン集」を作り,それを学ばせて理解したつもりになっているのですが,これは実際はパターンの暗記にすぎません。
ちなみに,マニュアル教育型については,近年の資格試験(司法試験,公認会計士試験等)においても,その問題点が指摘されており,受験生が論証といわれる論文模範解答を暗記して試験に臨み,その暗記した問題を答案に吐き出すというスタイルが主流となっています(当然,試験委員もあの手この手で丸暗記だけでは太刀打ちできないような問題を作り始めていますが。)。

いずれにしても,話は戻りますが,この調査は「応用問題が弱い」ということが判明したに過ぎないわけですから,犯人探しよりもまず「応用力が強くなる教育」を考えればいいだけの話なのです。
さらにいえば,総合順位の上位は必ずしも先進国ではありません。つまり,上位の国の多くは「スーパーエリートもいないが,まるでだめ夫くんもいない」という感じの子供たちが多いものと思われます(フィンランドはその典型例です。)。
とすると,日本の場合,「スーパーエリートとまるでだめ夫」の格差が徐々に開き始めてきているともいるのではないでしょうか。もちろん,日本の場合,スーパーエリートをさらに伸ばすという教育ルートが確立されていませんから,この辺もしっかりと方針を見極めなければならないといえるでしょう。
格差教育を容認するのか,それともエリートを伸ばさなくても底辺底上げを図るのか,あるいはエリートを伸ばしながら底辺の底上げも図るのかなど基本方針も考える必要があるでしょう。

とにかく,「ゆとり教育が悪かった。めでたしめでたし。」で終わりにしてはいけない問題といえるでしょう。

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