あれは,あれで良いのかなPART2

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「ごくせん」から教育を考える(その2)

2005年03月20日 23時49分44秒 | 教育問題
「ごくせん」が最終回を迎えました。
前回も記載しましたが,今回も結局見ることができませんでした(^_^;)。でも,なぜか話の概要は知ってますので,それを前提に前回の話の続きを。

なぜ,子供の学習力が落ちたのでしょうか。
原因はいろいろと考えられます。カリキュラム内容の軽減,教師の質の低下,家庭環境の変化,詰め込み型教育の弊害などなど。
ただ,一番根幹にあることは,今の学校教育にはマスとユニの調和,という発想がないことです。つまり,マスプロ教育(全員画一の教育)の結果生じた受験戦争の弊害を回避するため,個性を重視する「ゆとり教育」を始め,さらに「脱競争」をテーマに,運動会での順位まで止めるという極端な方針に打って出ました。結果,できる子供と親は学校教育をなめ,できない(ゆとりの意味をはき違えてる)子供と親は学校自体をなめるようになってしまい,学校の尊厳がなくなってしまったのです。
このように,極端かつ調和のない教育方針が,子供の教育力の低下を招いたと考えられるのです。

では,どうすればよいのでしょうか。まず,マスプロ教育は基礎学力を付ける必要がある段階,すなわち小学校低学年の時点では重要なものなので,これを重視する教育内容にすることです。ここで,ベースたる学力を付けさせないことには,先に進めません。ところが,残念ながら,今の教育方針では,この部分が「ゆとり」というなのお遊び教育になってしまっています。
次に,基礎学力が付いた時点で,実際には子供の能力差は必然的に発生してしまいます。小学校高学年の頃の思い出を考えてみると,出来杉君のような人もいればジャイアンやのび太のような人もいたと思います。この段階では,マスプロ教育は有害になる場合がありますもちろん,共通学力を付けさせる必要があるため,完全に有害とは言い切れませんが。)。
この段階からは,各個人の個性を重視した教育メニューが必要となります。これは,学力だけではなく,芸術,スポーツなどジャンルは広く考えて良いでしょう。
こうすることで,子供の能力に応じた教育が可能となります。この能力をさらに中学校でのばせるような教育内容にすることで,義務教育は完了します。以後は,個人の考えで,高等教育に進めばよいわけです。

ここで,注意することは,個性を重視した教育とは,親の願望や子供の単なる希望で割り振るのではなく,学力テストや各種調査など客観的な資料に基づいて判断するということです。

分かりやすくいうと,かつて東欧でやっていたような天才育成教育のようなものです。ただし,東欧の教育との違いは,マスプロ教育,すなわち基礎学力も十分に重視している,という点です。
また,当然に競争原理も学校教育には残します。ただ,今までとの違いは,競争に負けたものを取り残す,見捨てるのではなく,競争の種類がたくさんあるため,どの競争で優位に戦えるのか見極め,それを個性としてのばす,という教育プログラムを用意しておくということ,すなわちユニ教育の充実です。

えー,これって夢物語ではないの?と考える人もいるかも知れません。
しかし,これは十分現在の教育システムでも可能です。
話が長くなりましたので,次回以降,具体的に説明したいと思います。


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1 生徒は少人数(30人以下)のクラスである。
2 教師が教育に対する揺るがない信念を持っている。
3 教師が生徒を一人として見捨てない。
4 教師が上司,教育委員会,PTA等に媚び売らない。また,上司からの命令も自己の信念に反していれば無視する。
5 教師に校長になろうという出世欲がない。
6 教師が生徒に対してきれい事ですべてをすまそうとしない。しかし,人の道だけは絶対に外させない。
7 教師が生徒の顔色をうかがわず,ざっくばらんに話をする。
8 その他のこと
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