小川糸さんの「ツバキ文具店」を読みました。鎌倉で小さな文具店を営みながら代筆屋をしている雨宮鳩子の夏から春までの一年を綴った物語である。鎌倉に生まれ育ち、祖母のかし子に育てられた鳩子は幼い時から祖母から書の手ほどきを受け、厳しく仕込まれる毎日を送っていた。祖母は文房具店を営みながら、代筆屋も兼ねていたのだった。十代で自分を生んだという母親から引き離された鳩子は両親の記憶はない。高校2年のある日、それまで祖母の言いなりだった反動が一気に起き、鳩子は不良になってしまった。海外を彷徨うこと数年の後、祖母の死後、ツバキ文具店を引き継ぐことになった鳩子。彼女の中には、厳しかった祖母の教えが深く生きていた。夏、秋、冬、春と移ろう季節の中で静かに営まれる伝統に根ざした静かな暮らしと、人との交流、亡き祖母への想いが描かれる一冊。お薦めです。
原田マハさんの「モダン」を読みました。中断された展覧会の記憶、ロックフェラー・ギャラリーの幽霊、私の好きなマシン、新しい出口、あえてよかったというタイトルの5つの短編で構成されていますが、共通しているのはニューヨーク近代美術館(MoMA )に勤務する人の物語だということ。中断された展覧会の記憶では、東日本大震災に付随しておきた東京電力の福島第一原発の爆発のことが、新しい出口ではニューヨークで起きた9.11のツインタワー崩落のことが出てきます。またそれぞれの物語にニューヨーク近代美術館の所蔵する絵のことが語られとても興味深い内容になっています。アンドリュー・ワイエスのクリスティーナの世界、ピカソのゲルニカ、アヴィニョンの娘たち、血入りソーセージのある静物、マティスの浴女と亀、マグノリアのある静物など。それらにまつわる人達のエピソードが丁寧に描かれ、静かな感動を誘います。お薦めです。原田マハさんの別の著作、楽園のカンヴァスに出て来た登場人物で、アシスタントキュレーターだったティム・ブラウンが本書ではチーフキュレーターになって出てきました。マハさんの著作はサロメも読みましたが、それは挿絵画家オーブリー・ビアズリーの数奇な人生と作品を辿る物語で、これもお薦めです。
小川洋子さんの「ミーナの行進」を読みました。主人公の朋子は父親を癌で亡くし母親と2人、岡山で暮らしていたが、より安定した仕事に就くため、母が東京の洋裁専門学校に一年通うことになり、芦屋の伯母の家に預けられた。この物語は1972年から1973年にかけて暮らした親戚の家の人々とドイツ人の血を4分の1ひくミーナ(美奈子)との思い出の物語である。フレッシーという飲料水を製造する会社を営むミーナの家は大富豪で、夢のような豪邸だった。ミーナは身体が弱く、小学校まで徒歩で通えず、コビトカバのポチ子に乗って通学していた。ミーナと同様に大切にされた朋子は光線室で身体を温め、そこでコックリさんをしたり、ミーナの集めていたマッチ箱にミーナが書いた物語を読んだり、ミーナの代わりに本を借りに通った時に出会った図書館員に淡い恋心を抱いたり、みんなで海水浴に行ったり、流星群の観察をしたり、忘れられない思い出をたくさん作る。ミーナと深い友情で結ばれた朋子は一年後、母親が迎えに来て岡山に戻るが、宝物のような思い出は色あせることはない。ポエムを読むような不思議な雰囲気の話でした。谷崎潤一郎賞受賞作品。
浅田次郎さんの「黒書院の六兵衛」を読みました。尾張藩の江戸定府の御徒士組頭の加倉井隼人は土佐の軍監に命じられて江戸城引き渡しの前に城内の様子を探る物見を命じられ、幼馴染の田島小源太を添役に30名の手下の徒士を引き連れ、支給された慣れない西洋軍服に身を包み、官軍将校として江戸城に踏み込んだ。徳川幕府時代なら言葉を交わすこともできない高禄の江戸城お留守居役や大目付、江戸城の全権大使とも言える勝安房守にも官軍将校として渡り合った隼人だったが、江戸城の御書院番士が1人、虎之間に勤番しているという。御書院番士は本来将軍警護の役職であり、上野の大慈院に将軍は謹慎している状況で、ここで勤番する必要は皆無。官軍の面々が入城する前に退去させようとする勝安房守の説得にも応じず、一言も発せず、夜も横になっている様子がない。しかもこの六兵衛は旗本の株を金で買った金上げ侍だったことも判明する。しかし、誰に何を言われようと頑なに虎之間に座り続けた六兵衛は居場所を帝鑑之間に変え、最後には将軍家の御座所、黒書院に移ってしまった。力づくで不平分子を排除してはならないとした西郷隆盛の言があり、有効な手が打てないままであったが、だんだんと出世してしまった六兵衛に対し、俄か官軍の隼人をはじめ、旧幕臣であった彼らは見事な武士のあり様を体現する六兵衛に尊敬の念を抱くようになっていった…。最後まで六兵衛の正体がはっきりしないもどかしさが残りましたが、奇想天外で話としては面白かったです。朝井まかてさんの「残り者」が大奥が舞台の女性版江戸城引き渡しだったのに対し、西の丸表の男性版江戸城引き渡し劇でした。
朝井まかてさんの「残り者」を読みました。時は1868年4月10日。大奥の主、天璋院が江戸城西の丸の大広間に奥女中170人余りを集め、江戸城を明け渡さなければならないこと、また官軍による江戸城総攻撃はない。ゆるゆると急げと言い渡して御座之間に身の回りの高価な品々を残したまま一橋家へ移ったのだった。奥女中の1人、天璋院付きの呉服之間でお針子として奉公していたりつも、城から退去しようとしていた。ところが、サト姫と名付けられた天璋院の愛猫が行方知れずになり、猫の名を呼びながら探し回っていたお蛸という御膳所の女中と遭遇する。早く城から退去するよう促してもお蛸は猫を探し続ける。仕方なく一緒に探し始めたところ、木に登ってしまったサト姫を木登りして救い出そうと、ちかという女中も加わる。さらに静寛院宮付きの京方の呉服之間でお針子をしていたもみじも長持に潜んで留まっていた。御中臈のふき、呉服之間のりつともみじ、御三之間のちか、御膳所の仲居のお蛸。女5人は大奥に残り者となって一夜を明かすことになる。真っ暗な江戸城大奥で長局に集まり一夜を過ごす5人。5人に奇妙な連帯感が生まれ、翌日、官軍の目を逃れ、隠れ部屋から抜け道を経て辛くも江戸城から抜け出す。徳川方にとっては驚天動地の事態だった徳川幕府の瓦解。こんなフィクションも楽しいなと思いながら読みました。