連日、35度を超える猛暑日続きの灼熱日本。日本の気候はこの先どうなるんだろうと心配になってきます。さて、今年も山籠もりに入ります。帰宅は8月末か9月初めの予定です。ブログ更新は一か月お休みしますが、皆様、どうぞ、熱中症に気をつけて夏を元気に乗り切ってくださいね。
宮部みゆきさんの「名もなき毒」を読みました。シックハウス症候群と呼ばれるアレルギー反応、土壌汚染による喘息などの体調不良。これらは人間が作り出した毒となる化学物質によって引き起こされる症状だが、本のタイトルの「名もなき毒」とは、人間が持っている毒のことである。人間が持っている怒り、恨み、妬み、羨望という負の感情から生じた毒が人を襲う物語である。主人公の杉村三郎は小さな出版社に勤めていたが、大企業、今多コンツェルンの会長の娘、菜穂子と知り合い、交際の末、結婚する。身分違いの逆玉婚と親兄弟から反対され、両親とは絶縁。兄姉とは連絡を取っていたものの、疎遠な状態になった。菜穂子は会長の妾の娘であり、今多コンツェルンの会社経営に野望を持たない、経営に参加しようとしないという条件のもとに、結婚できたのだった。母親亡き後、会長に引き取られた菜穂子は、年の離れた二人の兄とも良い関係を保っていたし、会長から大切にされていた。彼女との結婚は何不自由ない豊かな暮らしが約束されていた。三郎は元いた出版社をやめ、今多コンツェルンの社内報「あおぞら」を発行する部署に編集者として勤めた。そこは会長直属の部署であり、誰も来ることを望まない、異動が激しい部署だったが、三郎の居場所は永久にそこに決められているのだった。青酸カリが混入したウーロン茶をコンビニで買って飲んだ老人が死亡した事件を皮切りに、その事件の真相究明に絡み、いろいろな人間関係が描かれる。それと並行し、三郎たちの編集部にアルバイトとして雇われた原田いずみという女性が、まったく使い物にならない人物で、解雇したところ、それを逆恨みした原田いずみは、編集部のメンバーと三郎を狙い、果ては三郎の家族を巻き込む事件を起こす。性格破綻者、原田いずみの放つ毒がものすごく強烈で、ハラハラします。事件性のある悪いニュースが多いことを見るにつけ、人を愛し、癒すのも人だけど、傷つけたり殺すのも人なんだと思う。「名もなき毒」は恐ろしいものです。小説としてはとても面白い。お薦めです。
7月13日(月)の朝、9時に小樽に入港しました。小樽に入港するにあたり、前回、コルサコフに寄港した後なので、日本への入国手続きをしなければなりませんでした。乗客は外国人が多く長蛇の列で驚きましたが、日本人の入国審査は簡単に行われるそうで、別の階に行ってすんなり終わりました。今回の船旅を誘ってくれた友人は、何度か小樽にきたことがあり、ナビは彼女にお任せでした。小樽は運河の街。まず運河プラザというところに行きました。そこは、観光案内所で、土産物も売ってました。そこで、私は小樽運河を描いた絵葉書セットを買いました。小樽の街の地図をもらい、運河沿いを歩きました。運河に沿って倉庫が並んでいます。
運河は保存運動があったようですが、かなり埋め立てられてしまい、現在残っている運河は観光用に乗客を乗せる船が走っていました。友人の案内で街歩きをしましたが、ガラス工芸の店が並ぶ通りは素敵でした。木の枝にガラスの滴が飾ってありました。
アクセサリーなど心惹かれるものがありましたが、ぐっと我慢しました。途中、通りかかった利尻屋という昆布専門店で、「ほら吹き昆布」という簡単に昆布茶になるものを2袋。味噌汁や納豆、大根おろしなどに入れて混ぜるととろとろになって美味しいという昆布の粉末、「アラジンの秘密」というのを一袋買いました。お店の奥さんはなかなか商売上手で味噌汁に入れたアラジンの秘密とお湯をそそぐだけでできる昆布茶を味見させてくれました。昆布は体に良いから健康志向の夫が喜びました。お昼は北一ガラス三号館のレストランに入りました。中は倉庫を改造した建物か、天井が高く、たくさんの灯油ランプの灯りが幻想的な雰囲気でした。そこでは鮭いくらうどんを食べました。
その後、ルタオというお菓子屋さんの無料展望台に登りました。遠くにダイアモンドプリンセスが見えました。最後に行ったのは、友人お薦めのオルゴール館。ここでは、自分で曲とオルゴールを組み合わせて作ることができました。私はチェロを弾いているウサギのオルゴールを選びました。曲はいろいろ聞いたけど「My heart will go on」にしました。今回の旅で私用に買ったお土産はこのオルゴールとロシアで買った小さなロシア人形です。小樽の出港は18時。出港時、地元の人たちが和太鼓で見送ってくれました。夕飯は船で食べました。
7月14日(火)函館に9時に入港しました。函館は出港が23時で遅いのでゆっくり観光できますが、私たちは夕飯を船内の「サバティーニ」というカバーチャージ25ドルのイタリアンレストランを予約したので、昼間だけ観光しました。函館で私が行きたかったのは五稜郭。土方歳三さんが新政府軍と戦った終焉の地ですから。五稜郭タワーに登り、美しい5角形の城郭を上から眺めました。土方歳三さんの銅像が展望台にありました。展望台では五稜郭の歴史を詳しく読むことができ、ちょっと勉強しました。職を失った旧幕臣たちに北海道開拓の仕事を与えたかったようで嘆願書を知事に渡そうとしたらしいですが、失敗。結局、明治政府軍に討伐されました。
五稜郭公園内には、立派な函館奉行所が復元されていました。
奉行所を見た後、お昼は五島軒のイングリッシュビーフカレーを食べました。名物カレーらしいです。その後、電車に乗って、旧イギリス領事館と函館区公民館を見学しました。函館は坂の多い街で、有名な八幡坂という坂も見ましたが、中国人観光客がたくさん団体できてました。
7月15日(木)青森港に7時に入港しました。台風11号の影響は横浜に行くときにありそうだったので、船長判断で、出港は3時間繰り上がり、最終乗船時間が17時半になってしまったので、太宰治の生家「斜陽館」に行くのはやめて、近場の観光だけにしました。アスパムという物産館とワラッセというねぶた祭りの会館を見学しました。青森を早く出港したダイアモンドプリンセスは、最速で横浜を目指しました。15日の午後10時15分からはプリンセスクルーズ50周年記念のゴールドバルーンドロップがアトリウムでありました。
7月16日(木)は終日航海でした。海は荒れてなかったですが、最初の頃より少し波が高くなった気がしました。波の高さや船の位置は部屋のテレビで確認できました。最初はSLIGHTでしたが、最後のほうはMODERATEに変わりました。最後の日の午後3時半からアトリウムで世界の祭りのイベントが開かれ、私もフラの教室生徒として発表に加わりました。友人がカメラで動画を撮ってくれましたので、嬉しかったです。
17日(金)の夜中に船は横浜に入港したらしく、夜明けに目が覚めたら大桟橋に接岸してました。向かい側の桟橋に飛鳥Ⅱが停泊中でした。飛鳥も台風を避けた模様。楽しい船旅でした。
後編のその他の写真はフォトチャンネルをご覧ください。
運河は保存運動があったようですが、かなり埋め立てられてしまい、現在残っている運河は観光用に乗客を乗せる船が走っていました。友人の案内で街歩きをしましたが、ガラス工芸の店が並ぶ通りは素敵でした。木の枝にガラスの滴が飾ってありました。
アクセサリーなど心惹かれるものがありましたが、ぐっと我慢しました。途中、通りかかった利尻屋という昆布専門店で、「ほら吹き昆布」という簡単に昆布茶になるものを2袋。味噌汁や納豆、大根おろしなどに入れて混ぜるととろとろになって美味しいという昆布の粉末、「アラジンの秘密」というのを一袋買いました。お店の奥さんはなかなか商売上手で味噌汁に入れたアラジンの秘密とお湯をそそぐだけでできる昆布茶を味見させてくれました。昆布は体に良いから健康志向の夫が喜びました。お昼は北一ガラス三号館のレストランに入りました。中は倉庫を改造した建物か、天井が高く、たくさんの灯油ランプの灯りが幻想的な雰囲気でした。そこでは鮭いくらうどんを食べました。
その後、ルタオというお菓子屋さんの無料展望台に登りました。遠くにダイアモンドプリンセスが見えました。最後に行ったのは、友人お薦めのオルゴール館。ここでは、自分で曲とオルゴールを組み合わせて作ることができました。私はチェロを弾いているウサギのオルゴールを選びました。曲はいろいろ聞いたけど「My heart will go on」にしました。今回の旅で私用に買ったお土産はこのオルゴールとロシアで買った小さなロシア人形です。小樽の出港は18時。出港時、地元の人たちが和太鼓で見送ってくれました。夕飯は船で食べました。
7月14日(火)函館に9時に入港しました。函館は出港が23時で遅いのでゆっくり観光できますが、私たちは夕飯を船内の「サバティーニ」というカバーチャージ25ドルのイタリアンレストランを予約したので、昼間だけ観光しました。函館で私が行きたかったのは五稜郭。土方歳三さんが新政府軍と戦った終焉の地ですから。五稜郭タワーに登り、美しい5角形の城郭を上から眺めました。土方歳三さんの銅像が展望台にありました。展望台では五稜郭の歴史を詳しく読むことができ、ちょっと勉強しました。職を失った旧幕臣たちに北海道開拓の仕事を与えたかったようで嘆願書を知事に渡そうとしたらしいですが、失敗。結局、明治政府軍に討伐されました。
五稜郭公園内には、立派な函館奉行所が復元されていました。
奉行所を見た後、お昼は五島軒のイングリッシュビーフカレーを食べました。名物カレーらしいです。その後、電車に乗って、旧イギリス領事館と函館区公民館を見学しました。函館は坂の多い街で、有名な八幡坂という坂も見ましたが、中国人観光客がたくさん団体できてました。
7月15日(木)青森港に7時に入港しました。台風11号の影響は横浜に行くときにありそうだったので、船長判断で、出港は3時間繰り上がり、最終乗船時間が17時半になってしまったので、太宰治の生家「斜陽館」に行くのはやめて、近場の観光だけにしました。アスパムという物産館とワラッセというねぶた祭りの会館を見学しました。青森を早く出港したダイアモンドプリンセスは、最速で横浜を目指しました。15日の午後10時15分からはプリンセスクルーズ50周年記念のゴールドバルーンドロップがアトリウムでありました。
7月16日(木)は終日航海でした。海は荒れてなかったですが、最初の頃より少し波が高くなった気がしました。波の高さや船の位置は部屋のテレビで確認できました。最初はSLIGHTでしたが、最後のほうはMODERATEに変わりました。最後の日の午後3時半からアトリウムで世界の祭りのイベントが開かれ、私もフラの教室生徒として発表に加わりました。友人がカメラで動画を撮ってくれましたので、嬉しかったです。
17日(金)の夜中に船は横浜に入港したらしく、夜明けに目が覚めたら大桟橋に接岸してました。向かい側の桟橋に飛鳥Ⅱが停泊中でした。飛鳥も台風を避けた模様。楽しい船旅でした。
後編のその他の写真はフォトチャンネルをご覧ください。
JTBクルーズの横浜港発着の「たっぷり北海道周遊とサハリン10日間」の旅に7月8日~17日まで行ってきました。船は英国籍のダイアモンドプリンセスです。7日夜に横浜ロイヤルパークホテルに前泊し、大きなスーツケースはホテル宛てに送り、8日当日はタクシーで大桟橋まで行き、乗船手続きをして昼ごろ乗船しました。出航は18時。あいにくのひどい雨で見送りの人もまばらで寂しい船出になりました。ダイアモンドプリンセスは11万5875トン、乗客定員2670人、乗組員数1100人。ベイブリッジをくぐるのがやっとなほどの大型客船です。
私たちのキャビンはデッキ11のバハ、右舷側、海側バルコニー付の部屋でした。一番揺れの少ない真ん中あたりの良い部屋が取れました。
どこの港でも出入港のときは、小型ながら力強いタグボートがやってきて、水先案内をしてくれました。乗船したその日に、全員参加の避難訓練がありました。その日の催しや大切なお知らせは、毎日客室に配られるプリンセスパターという船内新聞で知ることができます。船内会計は登録したクレジットカードで支払うので、基本的には現金は要りません。チップも客室のランクに応じて1日単位で差し引かれるので、チップを払う手間はありません。カード情報はクルーズカードに登録され、それが船内でのカード代わりになります。またクルーズカードは乗船、下船時の身分証明にもなりました。船内には5つの大きなダイニングがあり、朝食と昼食は自由に場所を選べますが、夕食は決められたダイニングの決められたテーブル、決められた時間(5時半からのファーストシーティングと7時45分からのセカンドシーティングから選ぶ)に行くことになっています。毎日、3時半からアフタヌーンティーがあるため、私たちはセカンドシーティングにしました。夕飯のドレスコードは決まっていて、今回の航海では、フォーマルが2回。あとはスマートカジュアルでした。フォーマルは結婚式の披露宴などに出るときくらいの服装。スマートカジュアルは、ちょっとしたお出かけ着の服装と考えればいいです。出航して釧路に向かった7月9日(木)は終日航海日でした。グラハム船長によるウェルカムパーティがあり、船の5階~7階のアトリウムでシャンパンウォーターフォールがありました。その日はフォーマルナイトだったので、おしゃれをして出かけました。
航海中、退屈しないよう、午前、午後、イブニングにいろいろな催しがありましたが、船内ではどうしても運動量の割に食べ過ぎになるのです。屋外プール、屋内プールで泳いだり、フィットネスに行ったり、ズンバ教室、フラの教室、社交ダンス教室、盆踊り教室に参加する。7階の甲板でウォーキングしたり、意識して階段を使うなど、気をつけないとメタボになります。音楽好きにはウクレレ教室やカラオケ大会、バイオリンやピアノでのクラシック演奏や、ハワイアンミュージック演奏も聞けるし、手品、落語、60年代、70年代の懐メロコンサート(コニー・フランシス、ビリー・ジョエル、イーグルス、エルトン・ジョンの曲など)、ダンスの集い、アートオークションなど盛りだくさんです。毎晩、シアターではショータイムがあり、それは欠かさず観に行きました。星空の下の大スクリーンで映画上映もありますが、映画は部屋のテレビでも見れました。フラのお稽古は3回出たので、航海の終わりにあった世界の祭りでの発表会で先生と一緒に踊りました。
7月10日(金)釧路に着きました。釧路は入港が7時で、出港が14時という短時間だったので、幣舞橋(ぬさまいばし)で記念写真を撮った後、近くのフィッシャーマンズワーフに行き釧路の名産品を買いました。
出港の1時間前に船に戻らなくてはならなかったので、早めに船に戻り、船内で昼食を食べました。船内の昼食はこみなので、どれだけ食べてもOK。釧路の次の寄港地はロシアのコルサコフだったので、釧路出港前に船内で日本出国審査をする必要がありましたが、外国人の乗客の一部にその手続きしに来ない人がいて、出港が2時間も遅れました。
7月11日(土)は終日航海でした。知床半島を海から眺めることができました。
7月12日(土)サハリンのコルサコフ入港。ダイアモンドプリンセスはサハリン沖に投錨し、私たちはテンダーボートで港に入りました。ロシアはビザが必要なので、ツアーに参加しないと上陸できません。私と友人はユジノサハリンスクへのドライブツアーに参加しました。港から片道50分程度かかりました。サハリンは思いのほか暑くて、長袖を着て行きましたが、半袖でも大丈夫なほどでした。ニコライ教会、戦勝記念公園、サハリン州郷土史博物館に立ち寄りました。ニコライ教会です。
戦勝記念公園です。第二次世界大戦で使われた戦車が展示され、英雄をたたえる石碑が並んでました。
日本の統治時代にあった神社は取り壊され、石段だけがきれいに直されて公園の階段になってました。今ではデートスポットらしくハートの鍵が柵にたくさんかかってました。白い半袖Tシャツを着て、頭にバンダナを巻いた若いイケメンロシア人ガイドが日本語で案内してくれました。腕にタトゥーをした、ちと気障な感じの人でした。(^^ゞ
サハリン州郷土史博物館です。立派なこの建物はほぼ昔のまま利用されていて、ドアに菊の御紋があしらわれ、室内も日本式の格天井でした。ここでは大学生だという美人のガイドが案内してくれました。日本語を勉強中なんだそうで、説明資料が日本語で書かれてました。
サハリンのあちこちで、工事が行われ、まだ開発中という感じでしたが、大きなショッピングモールには商品や飲食物もたくさんあり、貧しい感じはしませんでした。途中の景色です。
テンダーボートでまたプリンセスに戻りました。
前編の他の写真はフォトチャンネルをご覧ください。
私たちのキャビンはデッキ11のバハ、右舷側、海側バルコニー付の部屋でした。一番揺れの少ない真ん中あたりの良い部屋が取れました。
どこの港でも出入港のときは、小型ながら力強いタグボートがやってきて、水先案内をしてくれました。乗船したその日に、全員参加の避難訓練がありました。その日の催しや大切なお知らせは、毎日客室に配られるプリンセスパターという船内新聞で知ることができます。船内会計は登録したクレジットカードで支払うので、基本的には現金は要りません。チップも客室のランクに応じて1日単位で差し引かれるので、チップを払う手間はありません。カード情報はクルーズカードに登録され、それが船内でのカード代わりになります。またクルーズカードは乗船、下船時の身分証明にもなりました。船内には5つの大きなダイニングがあり、朝食と昼食は自由に場所を選べますが、夕食は決められたダイニングの決められたテーブル、決められた時間(5時半からのファーストシーティングと7時45分からのセカンドシーティングから選ぶ)に行くことになっています。毎日、3時半からアフタヌーンティーがあるため、私たちはセカンドシーティングにしました。夕飯のドレスコードは決まっていて、今回の航海では、フォーマルが2回。あとはスマートカジュアルでした。フォーマルは結婚式の披露宴などに出るときくらいの服装。スマートカジュアルは、ちょっとしたお出かけ着の服装と考えればいいです。出航して釧路に向かった7月9日(木)は終日航海日でした。グラハム船長によるウェルカムパーティがあり、船の5階~7階のアトリウムでシャンパンウォーターフォールがありました。その日はフォーマルナイトだったので、おしゃれをして出かけました。
航海中、退屈しないよう、午前、午後、イブニングにいろいろな催しがありましたが、船内ではどうしても運動量の割に食べ過ぎになるのです。屋外プール、屋内プールで泳いだり、フィットネスに行ったり、ズンバ教室、フラの教室、社交ダンス教室、盆踊り教室に参加する。7階の甲板でウォーキングしたり、意識して階段を使うなど、気をつけないとメタボになります。音楽好きにはウクレレ教室やカラオケ大会、バイオリンやピアノでのクラシック演奏や、ハワイアンミュージック演奏も聞けるし、手品、落語、60年代、70年代の懐メロコンサート(コニー・フランシス、ビリー・ジョエル、イーグルス、エルトン・ジョンの曲など)、ダンスの集い、アートオークションなど盛りだくさんです。毎晩、シアターではショータイムがあり、それは欠かさず観に行きました。星空の下の大スクリーンで映画上映もありますが、映画は部屋のテレビでも見れました。フラのお稽古は3回出たので、航海の終わりにあった世界の祭りでの発表会で先生と一緒に踊りました。
7月10日(金)釧路に着きました。釧路は入港が7時で、出港が14時という短時間だったので、幣舞橋(ぬさまいばし)で記念写真を撮った後、近くのフィッシャーマンズワーフに行き釧路の名産品を買いました。
出港の1時間前に船に戻らなくてはならなかったので、早めに船に戻り、船内で昼食を食べました。船内の昼食はこみなので、どれだけ食べてもOK。釧路の次の寄港地はロシアのコルサコフだったので、釧路出港前に船内で日本出国審査をする必要がありましたが、外国人の乗客の一部にその手続きしに来ない人がいて、出港が2時間も遅れました。
7月11日(土)は終日航海でした。知床半島を海から眺めることができました。
7月12日(土)サハリンのコルサコフ入港。ダイアモンドプリンセスはサハリン沖に投錨し、私たちはテンダーボートで港に入りました。ロシアはビザが必要なので、ツアーに参加しないと上陸できません。私と友人はユジノサハリンスクへのドライブツアーに参加しました。港から片道50分程度かかりました。サハリンは思いのほか暑くて、長袖を着て行きましたが、半袖でも大丈夫なほどでした。ニコライ教会、戦勝記念公園、サハリン州郷土史博物館に立ち寄りました。ニコライ教会です。
戦勝記念公園です。第二次世界大戦で使われた戦車が展示され、英雄をたたえる石碑が並んでました。
日本の統治時代にあった神社は取り壊され、石段だけがきれいに直されて公園の階段になってました。今ではデートスポットらしくハートの鍵が柵にたくさんかかってました。白い半袖Tシャツを着て、頭にバンダナを巻いた若いイケメンロシア人ガイドが日本語で案内してくれました。腕にタトゥーをした、ちと気障な感じの人でした。(^^ゞ
サハリン州郷土史博物館です。立派なこの建物はほぼ昔のまま利用されていて、ドアに菊の御紋があしらわれ、室内も日本式の格天井でした。ここでは大学生だという美人のガイドが案内してくれました。日本語を勉強中なんだそうで、説明資料が日本語で書かれてました。
サハリンのあちこちで、工事が行われ、まだ開発中という感じでしたが、大きなショッピングモールには商品や飲食物もたくさんあり、貧しい感じはしませんでした。途中の景色です。
テンダーボートでまたプリンセスに戻りました。
前編の他の写真はフォトチャンネルをご覧ください。
東海地方も昨日、梅雨があけたそうです。今朝も抜けるような青空。朝から気温はどんどんあがって、室温が32度になった時点で、居間のエアコンを入れました。今朝は夫が一足先に長野へ行くため早起きしました。朝食だけ作って、私は7時前にゴミだしをし、朝食を食べずに昨日の続きの庭の草取りを始めました。昨日の草取りは開始時間が遅かったので、日差しが強くて1時間半ほどやったら限界になって途中でやめてしまったので、取りきれなかった東西の庭と家の北側を取りました。夏の草取りは早朝に限ります。やっと一通り、庭がきれいになりました。今週の日曜日は、町内一斉の清掃活動の2回目。またまたみんなで草取りです。暑いので開始時間が7時半からですが、本当は7時からでも良いくらい。今夜は藤枝市主催の健康体操に参加しました。最初に少し講義を聞いた後、みんなで椅子を使ってストレッチをし、その後、音楽に合わせて体操をしました。なかなか楽しかったです。1時間半程度の運動でしたが、軽く汗をかきました。運動不足解消のため、長野から帰ったらフィットネスに入るつもりです。昼間会員になれば割安なので、経済的にもそれほど負担にならず、健康増進ができればいいと思います。