トドの小部屋

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混声コーラスら・ら・ら第3回演奏会

2018-10-14 14:30:41 | コーラス
12月9日(日)に藤枝市民会館ホールで、混声コーラスら・ら・らは第3回演奏会を開催します。残すところ2か月たらず。練習も大詰めになってきました。現在毎週土曜日に練習していますが、今月21日(日)には市民会館ホールの舞台で、本番さながらにリハーサルをします。私は、前回の定期演奏会直前に入団しましたので、私にとって初めての演奏会です。今回はチケットを有料(500円)にし、大ホールの定員701枚の前売り券を用意しました。当日券はありません。広報班が今月の広報藤枝に演奏会のことを載せましたが、これからも静岡新聞に掲載してもらったり、広報を続けます。チケットの売り上げは今のところ順調。私も自分が分担した枚数以上に売ることができました。チケット販売の締め切りを今月末にしています。その時点で、残があるようなら、まだ販売する予定です。私は企画部兼衣装担当で、昨日は午前中に集まり、衣装の一部を作りました。洋裁が得意な人がいて、本当に助かります。昨日演奏会実行委員会を開きましたが、大きなポスターは全部掲示されたそうで、あとはちらしを使います。演奏会のちらしです。



今回は、第二部の舞台設定がクリスマスパーティなので、ドレスを着ることになりました。ロングドレス着用は、結婚式の披露宴以来です。(^^;)昨日、第二部の練習のため、ドレスを着用しました。ドレスの後ろがリボンで編み上げになっているので、人にやってもらわないとならないのがちょっと大変。私もHさんのドレスの編み上げをします。そのための練習もあります。私のドレスです。演奏会は歌あり踊りあり、楽しいものになっています。ぜひ、おいでくださいませ。

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藤田嗣治展&ピエール・ボナール展

2018-10-03 16:53:19 | 美術
9月30日(日)10月1日(月)と一泊二日で東京に行ってきました。台風24号が猛烈に吹き荒れたあの日です。30日は午前中に別行動をとった夫と、午後3時に東京都美術館で待ち合わせ、次男と3人で「藤田嗣治展」を観ました。今回の展示では、初めて見る絵も多くあり、台風接近を気にしながらも、結構時間をかけて観覧しました。藤田嗣治の名声を高めた乳白色の肌の女性の裸婦像も多くありましたが、自画像が多くあり、驚きました。また戦争中に描いたという「アッツ島玉砕」のような戦争画もあり、違った側面も知ることができました。第一次世界大戦、第二次世界大戦の二つを経験した長い人生。そして、モデルであり妻ともなったフランス人女性や、最後の妻となった君代さんも絵画の中に登場しました。戦後、パリに戻りクリスチャンになった夫婦は、マリア様を挟んで祈りをささげる図で絵に描かれていました。二人はフランス国籍をとり、フランスの地で眠っています。




30日の夕飯は上野のかよひ路という居酒屋さんで食べました。台風接近のため18時閉店でしたので、ゆっくりできませんでしたが、ビールで乾杯して美味しくいただきました。お客は私たちだけでした。💦
翌1日(月)は台風一過の晴天でしたが、暑かったです。月曜休館が多い中、国立新美術館は火曜休館なので、午前中は、ピエール・ボナール展をゆっくり観覧しました。私には、あまりなじみのない画家なので、イヤホンガイドを借りて観ました。オルセー美術館から借り受けた作品を中心に130点余りを展示した大規模なボナールの回顧展でした。妻のマルトは精神療法のために、日に何度も入浴したそうで、入浴するマルトを描いた絵が複数ありました。午後は、寅さんの故郷、柴又に行きました。ちょっと遠かったですが、見所が多く、楽しかったです。柴又駅を降りると正面に寅次郎とさくらの像がありました。



荷物を預けてから、参道沿いの店をのぞきながら進みました。くるまやのモデルになり、ロケを行った高木老舗で名物の草団子を食べました。



帝釈天は、彫刻と庭園が立派で驚きました。本殿の社の周りすべてに精密な彫刻が施されていました。庭園も素晴らしかったです。でも、蚊にすごく食われてしまい、かゆかったこと!そのあと、日本庭園の山本亭、寅さん記念館、山田洋次ミュージーアムなどを見学して、夕飯を参道沿いの蕎麦屋、やぶ忠でさくら御膳を食べました。夕方は東海道新幹線も通常どおり動いていて無事に静岡に帰ってきました。今年は上陸台風が多くて困りますね。東京もすごく荒れましたが、静岡もすごい風だったそうです。静岡の家のカーポートのポリカの屋根が折れて外れてしまいました。また修理です。他の写真はフォトチャンネルにしましたので、よかったらご覧くださいね。
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9月尽

2018-09-29 22:45:08 | つぶやき
明日で9月は終わり。今月はブログの更新がなかなかできないまま1か月が過ぎてしまいました。9月前半は、まだ残暑が厳しかったですが、お彼岸を過ぎたら昔の人の言い伝えどおり、涼しくなりましたね。今月は13日(木)に老人ホーム円月荘の敬老会のアトラクションに招かれ、混声コーラスら・ら・らの有志が歌を披露しました。杉浦先生、竹花先生も行ってくださり、杉浦先生の独唱もあって楽しい訪問になりました。ところが、13日当日、夫が浜松の病院の診察を受けていたのですが、午後、私が太極拳の教室に行っていたとき、入院することになったとメールで連絡がありました。翌14日に入院、手術。メスを使わない処置ですんだので、翌日に退院できたのは良かったのですが、2日連続で浜松の病院へ送迎し、疲れてしまいました。16日(日)は町内の公園の除草。係なので、準備がありましたが、除草に男性が大勢出てくれて、町内会の草刈り機5台プラス、個人の草刈り機を持ってきた人もいて、早くきれいになりました。草刈り機の掃除とガソリンを抜くなどの片付け作業も進んでやってくれ、本当に助かりました。17日は、なかなか行けなかったブラマンク展を観に静岡市美術館へ行きました。18日(火)は静岡県立美術館ボランティア研修があり、午前中は県美に行きました。今回の企画展は「幕末狩野派展」。室町時代から続く狩野派ですが、特に幕末を中心にした狩野派の絵師たちの作品を通覧できました。狩野永信、養信親子の絵が並べて展示されていて、絵を比べて鑑賞できました。また、江戸狩野派と京都の狩野派の絵を比べることもでき、興味深い展示になっています。来月3日に川根高校が来るので、久しぶりにご案内する予定です。



19日は蓮華寺池公園へ一人で吟行に行きました。家で考えてても煮詰まってしまい、句ができません。自然の中に身を置くとアイディアが生まれるのです。梶の葉句会用の6句を作りました。21日は友人とランチ。栗をもらったので夕飯はさっそく栗ご飯を炊きました。22日(土)は合唱。衣装の係なので、午前中は衣装決めの会議。午後は練習。24日(月)は、焼津市総合体育館で太極拳競技大会があり、楊式18扇の演舞をしました。25日は、夫と雨の中、お墓詣りに行きました。27日午後は太極拳。29日の今日は午前中にまた衣装の会議。午後は練習でした。衣装はだいぶ決まってきました。そして、明日は台風24号が来そうなんですが、次男に会いに夫と上京します。3人で東京都美術館の藤田嗣治展も観に行きますが、夕食後、荒れ狂わないうちに中目黒のホテルに入らなければ。
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ヴラマンク展

2018-09-17 16:48:05 | 美術
静岡市美術館で開催中の「ヴラマンク展」に行ってきました。会期は7月28日から9月24日まで。長野から帰って涼しくなった9月の平日に行こうと思っていたのですが、台風が来たり、夫が一泊でしたが入院したり、バタバタしていて今日まで延び延びになってしまいました。明日は県美の内覧会(研修会)があるし、今日がいいかなと。私は具象画が好きなんですが、彼の絵は、内面からほとばしるものを画面に映し出しているような情熱を感じて好きです。

美術館入口のヴラマンクをパチリ。彼は身長180センチ、体重80キロの恵まれた体格で、若い、まだ絵が売れていなかった頃は、自転車レースに出て賞金をたくさん稼ぎ、生活の糧にしたこともあったそうです。後には自動車の運転も楽しんだそうで、その視覚、流れる景色の様子も画面に影響を与えたと言われています。パリ生まれですが、人生の多くを田舎で暮らし、身近な景色や、風物を描きました。展覧会はセザンヌの影響を受けた若い時期の「セザニアン期:パリ周辺」「第二次世界大戦後:ヴァル=ドワーズとパリ周辺」「シャルトル周辺、ノルマンディ、ブルターニュ」「ヴラマンクの遺言」という82歳で亡くなった彼の画家人生をたどる形の構成でした。ヴラマンクは、文筆家でもあり、何冊か本も出しています。風景画が人気で、特に雪景色を描いた絵が人気が高いそうです。私も雪景色の絵には惹かれます。でも、海と船の絵や、ひっそりした夕方の村の家々を描いた絵も素晴らしかったです。



それぞれの絵のキャプションとして、ヴラマンクの言葉が添えられていましたが、読んだり読まなかったりでした。(^_-)-☆ 結構難しいことを言ってたりして。彼の言葉よりも、絵から受ける印象を大切にしながら、観覧していきました。雪の絵が多いヴラマンク。雪も霜も愛していたらしいです。静物画や肖像画もありましたが、自画像はないらしいです。展覧会に出されていた絵は、個人蔵が多かったです。所有者はフランスやスイスの人でした。2枚絵葉書を買ってきました。上の絵は「サイロ」というタイトル。下の絵は、「冬の村通り」です。





一人でゆっくり観覧しました。昼食は、ヴラマンク展のチケットを見せると10%オフになるとチラシに書いてあった横浜中華街「梅蘭」の五目中華を食べました。



なかなか美味しかったです。ここは、焼きそばがお勧めなのかもしれませんが、量が多くて無理と思い、やめました。隣の二人組の若者も食べあぐねてた感じでした。(笑)
最後に竹千代像をご覧くださいね。静岡駅前にありますので、来静の折には実物を見てくださいませ。



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キラキラ共和国

2018-09-06 23:50:10 | 
小川糸さんの「キラキラ共和国」を読みました。鎌倉で亡き祖母の後をついで、ツバキ文具店を営みながら代書屋の仕事をしている雨宮鳩子の物語で、ツバキ文具店の続編です。キラキラ共和国では、近所でカフェを営んでいたQPちゃんの父親と結婚した後の鳩子の日常が描かれています。QPちゃんが小学校に入学すると同時に入籍し、守景鳩子になったポッポちゃんは、夏の休暇に3人で蜜朗の故郷の高知に向かい、家族親族から結婚を祝福され、歓待される。また、好立地の店舗が貸し出されたため、蜜朗は、そこで新しくカフェを開くことにして、娘のはるみ(QPちゃん)と鳩子の家で同居することになる。引っ越しの時、亡き妻の日記をさりげなく捨てようとしていた蜜朗の気持ちは、鳩子に対しての心遣いだったが、鳩子はそれが許せなかった。事故にあう日の前日まで書かれていた美雪の日記を読んだ鳩子は、美雪を好ましい人と思い、大切に思うのだった。3人で暮らし始めた鳩子の生活は、忙しくも楽しいものになった。蜜朗は、鳩子のひもになるまいと、新しい店の看板メニューを考案し、店は無事にオープンした。亡き妻、美雪が通り魔に殺されたという心の傷を乗り越え、鳩子ともう一度幸せな人生をスタートしようとする蜜朗。3人は、それぞれの思いを込めて美雪に手紙をつづる。はるみは、手紙を風船につけて飛ばし、鳩子は、ボトルレターにして海に流し、蜜朗は宛先のない手紙を受け取ってくれる漂流郵便局宛てに投函した。また、この物語では、鳩子の生母が突然現れる。自分を捨てた母親を許せず、鳩子は追い返してしまう。ところが後日、ド派手な服装をした鳩子の母親は、密朗の店にも現れたらしい。好きにならなくても、母親は自分の体を作ってくれた人だから、感謝するようにと言われ、鳩子は、その言葉にハッとする。この物語、まだ続編があるかもしれません。鎌倉の風土の中で、丁寧な暮らしぶりが描かれ、鳩子の代書を読むのも楽しい物語。お勧めです。
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ボブという名の猫 幸せのハイタッチ

2018-09-06 00:08:17 | 映画
今夜はWOWOWシネマのW座からの招待状で、放送された映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」を観ました。2016年製作のイギリス映画。監督はロジャー・スポティスウッド。原題は、A Street Cat Named Bob。ちなみにハイタッチは和製英語で、英語ではhigh-fiveというそうです。実話に基づいた話で、原作はジェームズ・ボーエン。子供時代の家庭不和から薬物依存に陥り、ストリート・ミュージシャンとして、道端で歌を歌うことで細々と生計を立てていた青年、ジェームスは、薬物依存から脱却するための治療を受けていた。ジェームズの更生担当者だったヴァルの計らいでアパートに入居したジェームスは、けがをした野良猫を拾う。隣人ベティにボブと名付けられたその猫を、なけなしのお金をはたいて獣医に連れて行ったジェームズにボブはなついて離れなくなる。ボブはジェームズの肩に乗って移動し、路上演奏の時にもそばを離れない。おかげで人が集まり、ジェームズはライブで稼げるようになる。かつての仲間、バズからお金をせびられ、渡したところ、バズはやはり薬に走り死んでしまう。薬中だったことを隠していたため、ベティは離れていく。路上ライブを禁止され、縄張りをとったということで、雑誌を売る仕事もなくした時、思わずまた薬に手をだしそうになるが、なんとか踏みとどまり、ジェームズは、薬を断つことに成功する。そしてベティに薬断ちに成功したことを告げる。猫を連れて演奏していたジェームズは、観衆から注目をあび、彼を映した動画が人気を呼び、出版社からすすめられて本を書くことになる。彼の本は大ヒットする。ジェームズさんが拾った本物のボブが出演しています。ジェームズ・ボーエンさんは、現在、ホームレスや捨てられた動物を支援する仕事をしているそうです。お勧めです。
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町内会の仕事

2018-09-03 18:56:15 | ぼやき
9月に入った最初の週末も終わり、今日はもう3日。ものすごい残暑が続いていましたが、昨日あたりから、暑さが和らぎ、エアコンを使わなくてすむようになりました。長野から帰宅した8月最後の日曜日の26日は町内の防災訓練でしたが、今年はうちの市では、他の地域も同日に訓練をしたようでした。今年の私の役割は、避難誘導班でしたので、いつもの公園へ町内の人々を誘導する係でした。もう皆わかっているので、特に誘導の必要もありませんが、車が来ないかだけ注意しました。本当に大地震が起きた場合は、最終避難先の小学校まで誘導することになると思います。今年は衛生委員なので、主に町内の除草作業の時に準備片付けを始め、作業の責任者としての役割があります。5月、7月の町内一斉の除草作業はすんだので、あとは、今月の当番の公園の除草。11月の当番の資源ごみの立ち合い。3月の集会所の掃除責任者としての仕事を残しています。資源ごみの立ち合いは、分別収集の時に、正しくゴミの仕分けが行われるように立ち会う仕事ですが、6月に一度やりましたので要領はわかりました。来年は組長なので、さらに忙しくなります。町内会って抜けられるのでしょうか。地域柄抜けられそうにありませんけど、皆が高齢者になったら今のやり方では難しくなると思います。うちの団地の高齢化率はかなり高いです。
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2018年夏の思い出

2018-08-26 17:20:51 | つぶやき
24日(金)の夕方、無事に山から帰ってきました。昨日の午後は、さっそく合唱練習。今日の午前は地域の防災訓練に参加しました。役員なので8時に集会所前に集合準備。終わったのは10時過ぎでした。暑かった!やれやれです。ちなみに8月5日に受けた太極拳の試験は初心者グループのメンバー全員が合格できました。
では、簡単に今年の夏を振り返ります。

8月7日(火)朝、ゴミ出しを終えて長野に出発しました。この日の昼食は、原村の「山の恵」という蕎麦屋に入りました。いつもの蕎麦定食を注文。3時前に無事に別荘に着きました。室温は22度。山の家は別世界でした。

8月10日(金)東京から次男が来ました。9日朝から夫と障子の張り替えを始め、障子を外したのがきっかけで、ガラス戸や、窓の外の手すりの汚れが気になり、2人で大掃除しました。障子張り替え自体がなんと建築以来初めてだったので、かなりひどい状態でしたが、真っ白な障子に変わり清々しい。10日の昼頃やっと大掃除が終わり、私が佐久平に次男を迎えに行きがてら、夕飯の食材を買ってきました。ところが、帰りは夕立になり、雷雨になりました。家に着いたら、夫が「さっきから停電してる」というので、びっくり。立科のスーパーは大丈夫だったのに。その停電が4時間も続き、夕飯の支度は、懐中電灯を天井に向けて照らしながらやりました。ガスの発火装置が電気を使っているらしく台所のガスレンジが使えず、ガスカートリッジ式の卓上コンロ一つで料理しました。食卓は、蝋燭の明かりと、夫が持っていたLEDのスタンドで照らして夕飯を終えました。次男の好きなハンバーグをフライパンで料理。笑 キャンプの夜のようでしたが、枝豆をゆで、サラダを作り、3人でビールをおいしくいただきました。

今回は、建築以来、使い続けていた冷蔵庫を買い換えました。24年くらい使いましたから、もう買い換えても惜しくない。小さくて夏に大勢集まると収納に苦労してましたが、やっと悩みが解消します。でも、配達が24日の午後が最短とのことで、私がいる間には来なかった。

8月15日(水)。3人で立山方面に行きました。夫は次男と立山の雄山(3003m)に行くつもりで計画しました。往復4時間のコースですが、私は去年、足を痛めたので無理せずに、室堂平を散策し、みくりが池温泉に入り、昼食を食べて待つことにしました。家を5時に出発し、扇沢に駐車したのは7時半頃。黒部、室堂方面へ向かう関電トローリーバスの当日券を買う人が長蛇の列をなしてました。8月15日、お盆休みですから仕方ないですね。トローリーバスで黒部ダムへ。次男は初めてですが、ダム見学は帰りにすることにして、歩いて黒部湖へ急ぎました。黒部湖からケーブルカーに乗り継ぎ、黒部平へ。黒部平から立山ロープウェイに乗り、大観峰へ。そこからまた立山トローリーバスに乗り、室堂へ行きました。室堂駅ターミナル前で夫たちと別れ、私は一人みくりが池温泉に向かいました。



みくりが池温泉は山荘ですが、日帰り入浴ができ、食堂も利用できる施設です。標高2410mの日本一高所の温泉ということで、入湯記念にコースターをくれました。少し白濁した熱い湯で、極楽でした。朝風呂だったせいか空いていて東京から来た母娘二人と少し話しながら、楽しく入浴できました。入浴後、食堂は11時からでしたので涼みながら少し待って食券を買ってカツカレーを食べました。食堂でまったり山の写真集なども観てましたが、少しは歩かねばと思って、みくりが池周遊コースをたどることにしました。みくりが池です。



午後になったら、だんだんガスが出てきて山は大丈夫かと思いながら、地獄谷の硫黄ガスの濃度が高いらしく、地獄谷エリアは通行止めでしたが、硫黄ガスの匂いが遊歩道にも来ていて、吹き流しの向きを見て、雷鳥沢のほうには、近づきませんでした。立山室堂山荘に向かう途中のみどりが池で、雷鳥を見つけました。



立山室堂山荘前あたりから雨が降り出し、少し風も出てきました。室堂ターミナルについて、2階にあった室堂のビデオを見て、雄山神社の旧い社の移築されたものを観ていたとき、夫と次男が帰ってきました。山頂の神社でお祓いを受けたそうで、満足した様子でした。さっそく、今度は黒部ダムへ向かって下りました。観光放水をしていました。
大勢の観光客がいましたが黒部ダム建設の苦労を知るビデオを見ている人は少なかったです。その日の夕飯は、松川村のすずむし荘という天然ラドン温泉に夫と次男は入りました。夕飯も付属のレストラン、鈴音で食べました。涼しかったので、夏野菜のグラタンを食べました。



8月17日(金)に次男が東京に戻り、18日に長男一家が一泊で来る予定でしたが、長男が風邪をひいてしまい、体調不良だったので来るのをやめました。なので、孫に会えずがっかりでしたが、一泊しかできない日程でしたし、仕方ありません。

8月20日(月)。夫と佐久のアムシネマに、「ジュラシックワールド炎の王国」を見に行きました。2時間ほどの映画の間中、ハラハラドキドキでしたが、悪辣な男たちが出てきて、映画自体は、あまり面白くなかったです。最初のジュラシックパークが鮮烈な印象を残し、一番良かった気がします。

8月21日(火)。夫と二人で別荘のベランダや外壁の雨にさらされる木部の塗装を数年ぶりにしました。キシラデコールという防虫防腐剤入りの塗料です。午前は二人で塗りましたが、午後は夫が一人でやってくれました。私は脚立を下で支える係。ベランダは2度塗りするので、乾かさないと塗れず、1日仕事になりました。

8月22日(水)。別荘仲間のG藤さんのお宅でランチ会に招かれていきました。夫と私、K田さんの奥様は1日違いで埼玉に帰ってしまわれましたが、K田さんのご主人とG藤さんの奥様の4人で楽しくお話できました。私は、鶏ささみと小エビ、卵をキュウリ、ニンジンと一緒にあえた中華風の春雨サラダを持っていきました。K田さんのご主人もフランスパンを持って来てくださいました。G藤さんのおもてなしはいつも豪勢で、高価な外国産のチーズ、ハム、アボガド、キウイなどをふんだんに盛り付け、フランスパンとともにカナッペ風にして食べるよう出してくれました。うどん入りのネギと牛肉の煮物も出してくださり、デザートは、これまた高価なシャインマスカットや、リンゴ、オレンジなどをたっぷりと。デザートはコーヒーと洋菓子も。
12時半に集合でしたが、お暇したのは5時過。すごく長居をしてしまいましたが、2年ぶりの再会で楽しくうれしいひと時でした。

8月23日(木)。夫とまたまた佐久へ。午前中は佐久市立近代美術館で開催中の特別企画展、「薬師寺と平山郁夫の縁」を観に行きました。平山郁夫さんの「仏教伝来」という絵には、「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルになった唐の僧、玄そう三蔵が描かれていますが、シルクロードを旅して描いた数々の作品や薬師寺に所蔵されている宝物、佐川美術館所蔵の絵画なども展示され、見ごたえがありました。その日の昼食はイオンのフードコートフロアにあった豆の畑というレストランでバイキングランチを食べました。午後はカラオケを楽しみました。

8月24日(金)台風20号の影響が心配されましたが、思いのほか、長野は大丈夫でしたので、予定通り帰ってきました。茅野市の湯川温泉河童の湯に入ったり、原村の808テーブル&キッチンで好物の信州サーモンのサンドイッチを食べたり、蓼科自由農園で買い物したりで、道草食いながらノロノロ。



夕方6時ごろやっと我が家にたどり着きました。庭は草ぼうぼうですが、鳩の巣はなくてほっとしました。長い夏休みレポをお読みいただきありがとうございます。良かったらフォトチャンネルもご覧くださいませ。
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暑中お見舞い申し上げます。

2018-08-04 07:17:12 | つぶやき



連日、テレビでは「命の危険を感じる暑さ」と報じています。今年の暑さは災害級と言われています。7月末の上陸台風12号は異例のコースで東から静岡に近づき、熱海のホテルに甚大な被害をもたらしたのは記憶に新しいところ。我が家のカーポートの屋根も一部はずれてしまい、業者に直してもらいました。幸い、屋根材が破損していなかったので、ビスで止めなおすだけで済みました。家が壊れるかと思うほどの強風が吹き付け、夜中に一人で怖かったです。例年通り、7月に夫は一足先に長野の家に行きました。私は2階のシャッターボックスに巣を作ろうと虎視眈々とねらっている鳩との攻防もあり、早朝からプラスチックの防鳥針山を設置したり、おもちゃの蛇を置いたり、ストレスがたまりました。物理的に隙間に入れなくしたので、これで留守中も大丈夫かと思いますが、油断はできない。鳩の鳴き声を聞くとぞっとします。今日は午後、合唱練習。明日は太極拳の試験がシーガルドームであります。5級、4級、3級と一度に受けるので大変ですが、試験は午前中に終わり、当日、結果がわかるそうです。私たち初心者グループが全員合格できますように。今日も家で練習します。それが終わると私も山籠もり。このブログもしばらく夏休みに入ります。皆さま、ご自愛くださいませ。



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銀河鉄道の父

2018-07-30 00:49:33 | 
門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」を読みました。宮澤賢治の父親の政次郎の視点から描かれた本です。小説ですから、細部の描写には脚色もあるでしょうが、かなり事実に基づいていると思います。賢治が7歳の時に赤痢にかかり入院したとき、政次郎はつきっきりで看病し、赤痢が伝染し大腸カタルになり、生涯その後遺症に苦しんだ。後年、中学生だった賢治が、腸チフスにかかったときも、政次郎は看病して腸チフスに伝染した。政次郎は、成績優秀だったにもかかわらず、商人に学問はいらないと進学を父から反対され、小学校卒業後、父親に従って家業の質屋、古着屋に専念し、ずっと一家の生活を支えた。しかし、賢治に盛岡中学への進学を許し、質屋を嫌う賢治にはさらに盛岡高等農林学校への進学を許した。また、この小説は、賢治をめぐる家族の物語でもあり、賢治にとって大切な二つ違いの妹トシ、賢治を敬愛していた八歳違いの弟清六のことなども、詳しく描かれていました。政次郎が浄土真宗を深く信仰していたのに対し、賢治は日蓮宗に傾倒し、親子で宗教のことで議論しあったことも政次郎には楽しかった。トシは東京の日本女子大に進学したが卒業間際に病を得て花巻にもどった。トシは成績が極めて優秀だったため、見込点で卒業を許可された。自宅療養後、小康を得て、いっとき母校の盛岡高等女学校で教師をつとめた。しかし、結核にたおれて職を辞した頃、賢治も群立稗貫農学校で教職についた。賢治が就職して政次郎は肩の荷をおろしたのだったが、24歳でトシが亡くなった後、賢治は教師をやめた。4年余りの勤務だった。賢治は家業をつぐことなく独立し、一人で畑をやり、自給自足の生活をした。父からの援助は受けず、菜食主義者となった。トシにすすめられた童話や詩の創作は続けていたが、自らも農民になり、口先だけでない農民の指導をし、無料で肥料相談にも応じた。粗食を極めた重労働の日々により、健康をそこねた賢治は、37歳で肺結核で亡くなった。弟の清六は、賢治の嫌った質屋をやめてラジオや自動車部品などに商売変えをし、宮沢商会を繁盛させた。しかも、賢治から託された兄の原稿を大切に保管し、その出版に尽力した。賢治の死後、草野心平などの後押しを受けて、ようやく宮澤賢治は全国に知られる作家になったのだった。宮澤賢治をめぐる温かい家族の物語でした。
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