トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

プラハ・チェロ・リパブリックのコンサート@焼津文化会館

2024-06-30 10:43:10 | エンターテインメント
昨日、6月29日(土)に焼津文化会館でプラハ・チェロ・リパブリックというチェロ四重奏団のコンサートがあり、友人のMさんと行ってきました。焼津クラシック友の会主催のコンサートで、会員価格でチケットは3000円。四人のメンバーそれぞれが折り紙付きの実力を持つチェリストで、今回の来日公演はすでに3回目だとのこと。先の二回の来日公演も大好評だったらしい。いつも友の会から送られてくるチラシを見て、その曲目がクラシックだけでない、なじみ深い名曲が並んでいたので、チケットを買いました。そのせいか、若い人が大勢来ていました。コンサートの曲目はくるみ割り人形序曲、G線上のアリア、熊蜂の飛行、チャールダーシュ、ユモレスク、ブエノスアイレスの春、天使の復活、リベルタンゴ、地上の天国。休憩をはさみ、第二部は、彼らの心は天国に、彼こそが海賊、回想、ボヘミアンラプソディ、フォーリングストーリー、ドンドウォーリー・ビーハッピー、バラ色の人生、スペイン、オールアイアスクオブユー。メンバー各自が日本語で自己紹介し、自分の好きな食べ物とか、日本語で話してくれ、楽しかったです。他は英語で話してました。ドント・ウォーリー・ビーハッピーの時は、会場を二つに分けて、チーム1は、Don't worry、チーム2はBe happyとチェロに合わせて歌うように言われ、会場が笑いに包まれました。私は、チーム2でした。やっているうちに、皆慣れて、大きな声で歌えるようになりました。最後は多くの人がスタンディングオーベーション。私も立って拍手しました。とても楽しかったし、演奏も素晴らしかったので、フリーダムというCDを買いました。そして、CDの冊子にサインしてもらいました。焼津クラシック友の会は、楽しい企画が来ます。

昨日は、12時集合で、Mさんと文化会館近くのヒュゲというスープランチの店で昼食を食べました。店主がいろいろ取り組んでおられ、不登校の生徒とか、性教育とかにもかかわっておられると知りました。美味しかったので、また行きたいと思います。





チェロの音色は大好き!癒されました。
さて、6月最後の日曜日。今年漬けた南高梅の梅酢が綺麗に上がったので、今日は赤紫蘇を入れました。これで、梅雨明け後に、3日間天日干しすれば、完成です。去年漬けた梅干がまだ残っていますが、今年中には、なくなりそうなので、ちょうどいいです。今年漬けた梅干は、年明けまで置くと、塩がなじみマイルドになります。一人暮らしだけど、添加物のない梅干しが欲しいので、2キロは毎年漬けたいと思います。



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陳情令box1~3 最終話まで視聴しました!

2024-06-24 11:35:23 | ドラマ
前に私の一押しということで、2023年のドラマ「玉骨遥」で主演したシャオ・ジャンをご紹介しましたが、今月の16日にアマゾンプライムで、彼がブレークしたきっかけとなった「陳情令」のブルーレイディスクを注文し、視聴し始めました。「陳情令」はとても長い話で50話までありましたが、昨夜ついに最終話まで観終わりました。2019年に作られ、主人公のシャオ・ジャンとワン・イーボの二人が爆発的に人気になった作品です。5年も前の作品ですが、彼らの人気の原点になったドラマなので、周回遅れではありますが、ブルーレイディスクを注文しました。素晴らしい作品でした!これで、見たくなったら何度でも観れます。物語は時代劇ファンタジーなので、登場人物の衣装や髪形、ドラマのセットなど、とても美しいです。物語は、五大世家が世の秩序を治めていた時代。その中の岐山温氏が隕鉄を手に入れたことにより、悪辣で強大な力を持つに至り、他の四つの世家を支配し、滅ぼそうと企む。シャオ・ジャンが演じるウェイ・ウーションという名の青年は、4歳で両親を失い、五大世家の一つの雲夢江氏の家主に拾われ、養育された。江氏には、ジャン・イエンリーとジャン・チョンという姉弟がいたが、彼らと兄弟同然に育てられた。激しい気性の継母から厳しく育てられたウェイ・ウーションだったが、自由闊達な性格で正義感も強く、霊剣の腕前は誰にも劣らない天賦の才を持っていた。一方、姑蘇藍氏の次男であるラン・ワンジーも素晴らしい霊力の持ち主で、霊剣の腕前もウェイ・ウーションと互角だった。彼ら二人は、五大世家の子弟が藍氏で行われた学習会に集った際に知り合う。3000もの家訓があり、戒律の厳しい藍氏で育ったラン・ワンジーだったが、自由闊達なウェイ・ウーションに惹かれて、修行の身ながら、夜、二人で酒を飲んでしまう。酒が大好きなウェイ・ウーションに対し、全く下戸で、一口飲んだだけで、酔いつぶれてしまうラン・ワンジー。二人は翌朝厳しい仕置きを受けることになる。名家の育ちながら、ラン・ワンジーも両親の結婚の破綻により、温かい愛情を受けずに育った、孤独な心を持っていた。意気投合した彼らは、ともに弱きを助け、正義を貫くことを誓う。生涯のソウルメイトとなった瞬間だった。
ディスクは、ボックス1~3まであり、どのボックスにも簡単なあらすじと、登場人物の紹介、人物関係図、多くの写真が載った解説本がついていて、ポストカード、しおり、ミニファイルなどおまけが同封されています。どのボックスにもお楽しみ映像のディスクがありますが、特に最終話が入っているボックス3のお楽しみディスクはメイキング映像や、収録後の俳優さんたちの生の声が多く収録されていて楽しかったです。「陳情令」はお薦めです。ボックス1~3とおまけはこんな感じです。



話は変わりますが、22日(土)に市内の飽波神社に茅の輪くぐりをしてきました。そして、玄関に懸ける小さな茅の輪も購入しました。また1年幸せでありますように。神社の帰りに蓮華寺池公園に蓮の花を観に行きました。天上の蓮のような、大きな蓮花。


池をこんな風に蓮が覆っていました。


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本態性高血圧

2024-06-07 10:17:54 | ぼやき
今月5日に左目の白内障手術、12日に右目の白内障手術と硝子体手術を受ける予定で、5日に志太眼科に行きました。でも、手術前の血圧測定であまりに血圧が高く、手術着に変えて、待っていた間にも血圧を測りましたが、相変わらず高かったので、手術は延期になりました。眼科の院長の堀井先生が、「手術は仕切り直しにして、内科で血圧の治療をして、血圧が落ち着いたら、手術をしましょう」と言って、私の主治医の近所の花岡医院の先生に紹介状を書いてくれました。昨日、さっそくその紹介状を持って、花岡医院に診察してもらいました。特に病気はないけれど、血圧が高いのを本態性高血圧というらしいです。ホルモンによって、高くなる場合もあるので、血液検査と尿検査をしました。結果は、次回の診察日に聞きます。「急に血圧を下げると良くないから、2、3か月かけてゆっくり下げましょう」と言われたので、目の手術は当分先になりました。白内障手術は簡単だからと周りの人たちから言われましたが、手術前はやはり緊張しました。堀井先生から渡された手術の説明書を読んでいたら、硝子体手術は怖くなったので、次回は、右目も白内障手術だけにしてもらおうと思います。手術が先に延びて、ほっとしたような気持ちです。今朝から1日一回、朝食後に一錠の降圧剤を飲み始めました。これで、血圧が安定しますように。50歳代後半に5年間くらい、ノルバスクという降圧剤を飲んでいましたが、退職後、やめてしまいました。降圧剤は認知症予備軍を作ると本で読んだからですが、もう仕方ないですね。花岡先生も堀井先生宛に、報告書を書いてくれたので、昨日のうちに、志太眼科に届けました。
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私の一押し、シャオ・ジャン

2024-06-01 13:30:42 | つぶやき
このところ、連続してWOWOWで木曜日夜8時から二話ずつ放送中の中国歴史ドラマにはまっていますが、中でも、現在放送中のシャオ・ジャンとレン・ミンが主演を務める「玉骨遥」をとても楽しみにしています。空桑一族の皇太子でありながら、幼いころ、無実の罪を着せられて、九擬山に籠り、世間から身を隠し、修業を積み、神官、少司命として生活している時影を演じるシャオ・ジャンの美しさにため息が出ます。時影はすばらしい法術の使い手となり、法術の弟子を取ることにし、応募したものに試験を課す。一番に選ばれた者には、玉骨遥が与えられる。レン・ミンが演じる赤族の郡主、朱顔が第一位になり、玉骨遥を与えられ、九擬山で、少司命から法術を学ぶのだった。
数年に及ぶ厳しい修行生活の中で、時影は朱顔にだんだん惹かれていく。世の中から身を隠し、叔父である大司命の元で育てられた時影。ずっと孤独だった時影が心を許し、笑顔がでるようになったのは、朱顔の存在だった。しかし、予言によると朱顔は、時影を死に至らしめる災いの女とされていた。大司命を始め、周りの者は、なんとか朱顔を遠ざけようと試みるが、時影は朱顔を遠ざけようとしない。時影は、自分の心の変化に気づき、動揺するが、師弟関係から、互いを想い合う男女の関係に変わるためには、幾多の困難を乗り越えなければならなかった。次回、23日(木)に二話を放送後、30日(木)に最終話が一話だけ放送されます。悲恋に終わってしまうのか・・・?
中国時代劇の優雅な髪型と衣装が、シャオ・ジャンにぴったり。シャオ・ジャンのあまりに整った容姿は、現代劇よりも歴史ドラマのほうが引き立つと思います。今月末で、玉骨遥は終わってしまい、6月6日からは、また新たな中国の歴史ドラマが始まるようですが、シャオ・ジャンの別なドラマがもっと見たいなぁと思います。なので、最近、シャオ・ジャンのファンが運営しているというXのアカウントをフォローしました。彼の応援を目的にしているアカウントなので、いろいろ情報発信してくれそうです。なお、このブログでは、シャオ・ジャンの画像は載せられませんので、興味がわいた人は、彼のプロフィールを検索してみてくださいね。ちなみに、シャオ・ジャンは、中国国内で大人気であるだけでなく、Gucciやウェッジウッドのアンバサダーになっているほどの世界的大スターなのです。私は玉骨遥で初めて彼を知ったのですが・・・(^-^;

6月1日追記=5月30日木曜日に玉骨遥の最終話を見ました。なんて可哀想な幕切れ、なんて余韻を残す最終話。シャオ・ジャンの熱演と美しさに見とれました。玉骨遥、お薦めです❗
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大相撲五月場所

2024-05-25 13:29:02 | 旅行
5月23日(木)に友人のN子さんのお誘いで、初めて大相撲本場所を観に東京の両国国技館へ行ってきました。朝、8時41分静岡発のひかりで、品川まで。その後、京浜東北線に乗って浜松町まで行きました。ウォーターズ竹芝から水上バスで隅田川をクルーズし、両国へ向かう行程をN子さんが考えてくれました。まず、乗船する前に軽くランチを食べました。


水上バスの桟橋付近です。


ウォーターフロントの近くに変わったオブジェがあったので、記念撮影しました。


乗船したのは、この「あじさい」という船。二階が展望デッキになっていて、川風が気持ちいいので、両国までデッキに立って行きました。


スカイツリーが見えてきたので、記念撮影。


隅田川は都会を走る河なので、途中で幾つもの橋をくぐって行きました。
両国で船を降りて国技館を撮影。幟がたくさん立っています。ちょうど静岡の郷土力士の幟が見えます。


国技館に入る前に、付近の街を散策しました。回向院という立派なお寺にお参りしました。回向院は、明暦の大火をきっかけに建立されたそうですが、その後の関東大震災を始め、第二次世界大戦による被災者や、東日本大震災の犠牲者などを供養する目的のお寺だそうです。ここでは、お参りのみで撮影はせず。通り沿いの店で、早くもお土産を買いました。お相撲さんの絵がたくさんついている今治生まれのガーゼハンカチと小紋の日本手ぬぐい。あとは、おやつに相撲サブレを1枚だけ。サブレを焼いてる良い香りにさそわれて、つい。

通り沿いに歴代横綱の手形を押した記念碑がところどころに建っていました。

今回は、4人かけの升席だったので、N子さんとN子さんの従姉のOさん、そして、東京のお姉さまのT子さんも国技館で合流しました。
私は、コロナ禍を経て初めての上京だったので、T子さんとは本当に久しぶりでした。長浜へみんなで旅行して以来だと思います。お元気そうで良かったです。(*^^*)
館内の相撲博物館も見学し、2階の屋上にあった写真撮影用の顔はめのボードでも写真を撮りましたが、遠藤のボードが一つだけ。お姫様だっこのポーズになりました。(笑)
取り組みが始まると、掛け声が凄かったです。前の升席のおじ様たちは、缶ビールのお代わりが半端なく。横のほうにいた男性グループと競うように掛け声をあげてました。女性の掛け声もよく聞こえてましたので、私も翠富士の取り組みの時だけ、大きな声で2度「翠富士~!」と声援を送りました。この日の対戦相手は金峰山。負けてしまいました。

熱海富士は、王鵬と対戦し、勝ちました。左側が熱海富士です。スマホの望遠撮影ですので、こんなものですね。ボケてます。


升席で、国技館名物の焼き鳥をいただきました。T子さんが、チーズ入りのちくわを買ってきてくれました。N子さんはアイス最中を。ご馳走様でした。
最後の弓取り式まで観て、帰途に就きました。両国駅は帰りの客で大混雑。焼津までの私の乗車券は、山手線なら有効だったのですが、自動改札に拒否られて、秋葉原までの近距離切符を買ってやっと通過しました。久しぶりの大混雑。どこへ行っても人が多いです。東京駅でお弁当を買って、こだまに乗車し、お弁当を食べながらゆっくり帰りました。来月、白内障の手術をすることになったので、東京へは眼鏡をかけて行きました。写真を撮ったら、4人とも眼鏡をかけてるんだよね。(笑)


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プレジールコンサート@プラザおおるりホール

2024-05-20 11:59:27 | エンターテインメント
昨日は、島田市のプラザおおるりホールで開催されたプレジールコンサートに友人のY子さんと行ってきました。出演者は、テノール歌手の榛葉樹人と榛葉薫人さんご兄弟、ソプラノ歌手の寺西里江子さん、松下美有紀さんの4人。榛葉さんご兄弟、寺西さん、松下さんの4人全員が島田市出身で、ピアニストの小林みどりさんは藤枝市出身、ピアニストの久米涼子さんは吉田町出身という地元出身の音楽家たちによるコンサートでした。会場はほぼ満席で、たぶん、昔からの知人や友人なども多かったのではないでしょうか。あたたかな雰囲気でした。私を誘ってくれたY子さんも榛葉さんご兄弟のお母様と同級生とのことでした。第一部の最初は、カンツォーネメドレーで、サンタルチア、グラナダ、マリウ愛の言葉を、2番はシューベルトの「鱒」、3番はL.ドリープの「カディスの娘たち」、4番はA.ヒナステラのアルゼンチン舞曲集、5番目はGガーシュインの「サマータイム」。6番目は、GMロドリゲスの「ラ・カンパルシータ」」。7番目は、「グリーンスリーブス」。休憩をはさみ、第二部の最初は、ブラームスのハンガリー舞曲集より第六番をピアニスト2人による連弾。2番目は、「イムジン河」を榛葉さんお二人で。3番目の「夜来香」はソプラノのお二人で。4番目の「蘇州夜曲」は榛葉さんのお二人。5番目のF.リストの「リゴレット・パラフレーズ」は小林みどりさんのピアノ演奏。6番目はソプラノのお二人で「アメイジンググレース」。最後の7番目は、全員で「瑠璃色の地球」でした。ソロだったり、デュエットだったり、演奏形式をいろいろに変えながら、変化にとんだ楽しいコンサートでした。MCを主になさった榛葉樹人さんは、アンサンブルグルーブのFORESTAのメンバーとして、BS日本こころの歌にもご出演とのこと。お話が慣れていらっしゃる感じで、滑らかな語り口でした。アンコールは全員で、「MY WAY」を歌いました。なじみのある曲が多く、変化にとんだ構成で楽しかったです。



撮影可で、SNSに上げて良いとのことでしたので、Y子さんに撮影してもらいました。


16時ちょっと過ぎに終わり、Y子さんを島田駅まで送っていくつもりで、二人で市役所の第二駐車場に向かったのですが、おおるりから東方面に道路沿いに行けばたどり着くはずが、ちっとも駐車場が現れません。かなり歩いてしまい、いくら何でも変だということで、引き返しながら、通りかかりの人に尋ねました。やはり、通り越してしまったようで、かなり戻りました。話しながら歩いていたので気づかなかったのだろうか。かなり広い駐車場なのに。「はて?」
子供の頃、長野市の善光寺のそばにお住まいだったピアノの先生のお宅から帰る途中で、キツネに化かされた経験が数回ある私。信じてもらえないかもしれませんが、善光寺から坂道を下って長野電鉄の善光寺下という駅まで行くいつもの道が見つからず、同じ場所をくるくる回ってしまうのです。善光寺付近は、キツネに化かされる人がいるんですよ。またそうなのかと思ってしまいました。

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島田市ばらの丘公園

2024-05-11 16:30:59 | お出かけ
今年のGWは、長男一家が風邪をひいて、お嫁さんが発熱して寝込んでしまったため、5日から二泊で名古屋に行く計画はやめにし、ずっと家にいて庭仕事をしてました。4日に胡瓜とトマトの苗をそれぞれ二本ずつ植えて、5日に一晩水につけておいたサツマイモ(紅はるか)の苗を10本庭の畑に植えました。また、チューリップの球根を堀りあげて、向日葵とコスモスの種をまきました。庭の草取りもできたし、GW明けにやろうと思っていたことが全部できましたが、3日間家にいたら、さすがに出かけたくなって、6日には、近場の観光に出かけました。
まず、島田市の静居寺へ。ここは16世紀に開山された曹洞宗のお寺だそうですが、牡丹のお寺として近隣では知られています。私は今回初めて行ってきました。5月の句会で、静居寺の唐破風の惣門を俳句に詠んだ人がいたので、惣門を見に出かけました。国道1号線バイパスの旗指ICを降りてすぐの所に静居寺はありました。駐車場がすごく広かったですが、誰もいませんでした。牡丹はすっかり終わり、新緑の季節です。惣門は確かに立派で、県の有形文化財に指定されていると説明文にありました。立派な本堂は閉まっていて、ガラス越しにご本尊さまが見えましたが、中に入れなくて残念でした。順路を見て、奥にある経堂まで行きましたが、経堂も閉まっていて、輪蔵が扉の隙間から見えただけでした。林叟院や近所の十輪寺は、いつも本堂が開いていますのに。つまらない気持ちを抱えて、お寺を出て、近くにあるはずの島田のばらの丘公園に向いました。
ちょうど春バラの季節。確か5月10日ごろが見ごろと言っていたとおり、園内に薔薇が咲き誇っていました。ここの薔薇園は、数回行ったことがあります。園内には、さまざまな種類の薔薇があり、温室内の薔薇も見事です。私は、香りの高い薔薇が好きです。今回特に美しいと思った薔薇は、これ。「宇多野」という名の薔薇でした。



あと、同じように淡い色合いの「ピース」という薔薇も好きです。帰りに門の傍に薔薇の人気投票をするコーナーがあったので、お気に入りの薔薇を一位から三位まで書いてポストに入れてきました。







かなり前ですが、我が家にも昔、二種類の薔薇が植えてありました。植える場所がなかったので、家の西の目立たない場所に植え、あまり花を楽しむこともできないまま、丈が高くなりすぎ、秋になって枝を切り詰めるとき、棘が強くて手が痛く、結局抜いてしまいました。なので、薔薇は薔薇園で観ればいいなと思っています。
ちなみに、今日は庭のトマトと胡瓜の畝にマリーゴールドを植えました。マリーゴールドの根は、土中のせん虫対策になるし、モンシロチョウなども寄せ付けないので、青虫対策にもなるらしいです。それと、虫よけに木酢を200倍に希釈して、胡瓜とトマトに散布しました。ウリハムシ対策です。上手く育ちますように。

私は、赤いバラより、淡い微妙な色の薔薇が好きです。
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星野富広さんの訃報

2024-05-02 18:06:54 | つぶやき
2024年4月28日(日)に詩人で画家でもある星野富弘さんが、他界されました。私が初めて彼の著書「愛、深き淵より」を読んだのは、もう20年以上前のことで、勤務先の学校の図書館から借りました。何の予備知識もなく、選んだ本でしたが、内容に衝撃を受けました。富弘さんは、群馬大学を卒業後、高崎市立倉賀野中学校の体育教師として赴任し、部活動の指導中、器械体操の模範演技をしていた最中に、どういうわけか、頭から落下し、頚椎を損傷し、首から下の運動機能を失いました。感覚がなくなり、まったく動かすことができないという大怪我を負いました。たった二か月の教員生活。怪我をする前は、強靭な肉体で、山男でもあった20代の彼が、なんども命の危険にさらされる壮絶な入院生活を送ることになりました。その間の家族の支え、特に、お母さんの献身的な看病と愛情。親子の関係など、涙なくして読めない本でした。9年にわたる長い入院。そんな暮らしにあっても、ガーゼを巻いたサインペンを口に咥えて、字を書く練習をし、病室の花を写生し、水彩絵の具で色をつけて、多くの作品を生み出しました。絶望の果てに、残された機能を使って表現する喜びを得ました。花の絵に添えられた彼のことばは、心を打つものばかり。数年後、亡き夫と富弘さんの故郷の群馬県の勢多郡東村に建てられた村立・富弘美術館を訪れました。水彩画が退色しないよう、明度を落とした照明の中で、優しさにあふれた彼の多くの作品を観ることができました。富弘さんの生きざまに多くの人が感動し、生きる指針をもらったのではないでしょうか。4月28日(日)は私は、たまたま、焼津市綜合体育館で、太極拳の三段四段特別講習を1日受講していましたが、帰宅後、彼の訃報に接し、悲しくなりました。でも、富弘さんは、精一杯生きられたと想像します。私の蔵書の一冊、「新版、愛、深き淵より」を読み返し、富弘さんを偲ばせていただきました。すばらしい絵と詩をありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りします。


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浜名湖花博@フラワーパーク

2024-04-29 15:46:07 | お出かけ
26日(金)に浜松在住のN子さんとフラワーパークで開催中の花博に行ってきました。花博は、ガーデンパークとフラワーパークの二か所で開催中で、会期は少し違うのですが、私は、フラワーパークの前売り券を買いました。桜とチューリップの競演の時期は過ぎてましたが、藤が見頃でした。藤枝の蓮華寺池公園でも、4月20日から5月3日まで藤まつりを開催中ですから、ちょうど良い時期だと思いました。手首の怪我のため、まだ車の運転ができないN子さんのため、私の車で行きました。天気は薄曇りでしたが、ちょうど良い気温でした。行きがけにお弁当を買い、園内のベンチで食べました。新緑が美しい。フラワーパークは四季折々の花が咲き続けるよう手入れが行き届いています。昨春、ネモフィラとチューリップが植栽されていた箇所は、今年は白いアネモネが一面に咲いてました。藤は、八重、白、長藤などそれぞれに美しい。藤だなの下にいると甘い香りがしています。

長藤


白いレースのような白藤




この日の歩数は、10723歩でした。

N子さんのお宅に戻り、夕飯は、早い時間から開いている昭和レトロな飲み屋さんに連れて行ってもらいました。ガラスケースの中にあった総菜を最初に注文して、席に着きました。卵焼き、ポテトサラダ、ニンジンやセロリの和え物、串に刺した焼き鶏など。最初に二人でビールの中瓶を頼みました。私の好きなアサヒスーパードライ。私は、どてやきとカクテルを追加注文しました。26日は、N子さんちに一泊しました。長野へ行ってきた疲れが残っていたせいか、お風呂に入って9時半頃に寝てしまいました。

翌朝は、ちょっと車を走らせ、びっくりドンキーで880円のモーニングを食べました。なかなかボリュームありました。時間的には、ブランチでした。
その後、浜松城公園に行き、浜松市美術館で開催中の「浜松ゆかりの洋画展」を観ました。岸田劉生、北蓮蔵、曾宮一念他、多くの絵を観ましたが、私は、曾宮一念の絵が好きなので、良いと思いました。浜松市美術館は、ガラス絵が売りらしい。ガラス絵は初めて見ました。曾宮一念の絵は、静岡県立美術館所蔵の「毛無連峰」や、「スペインの野」もありました。
2時ちょっと過ぎにN子さんちをお暇し、途中の牧之原SAで休憩。
小腹が空いたので、一番ベーシックな醤油ラーメンを食べ、4時頃帰宅しました。
N子さんがお土産にくれたお惣菜入りのパンは、なかなかのボリュームだったので、翌日の朝食と夕食の二回に分けて食べました。
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長野へ

2024-04-23 15:04:46 | お出かけ
4月20日(土)から22日(月)まで二泊で長野の別荘に行ってきました。例年、4月末までに半年閉め切っている別荘を開けに行きますが、今年は13日に太極拳の昇段試験を受けたため、なかなかハードな練習が続いたせいか、疲れ気味でした。なので、20日はゆっくりと起きて、11時頃家を出発しました。天気は曇りでした。昼食が遅くなってしまい、立ち寄るつもりだった原村の蕎麦屋さん「山の恵」の駐車場に車を入れたら、「本日の食事は終了しました」という張り紙が玄関先に貼ってありました。なので、もう少し走って、いつもの808テーブル&キッチンで、BLTサンドイッチとリンゴジュースのお昼にしました。BLTサンドイッチも好きですし、ここのリンゴジュースは絞り立てで、美味しい。それに最初にサツマイモの温かなポタージュスープが出てきました。



レストランのベーカリーで、21日の昼食用にくるみパンを買いました。隣のたてしな自由農園では、長門牧場の牛乳と夕食用にレトルトのカレーを買いました。その晩は、カレーを温め、ブロッコリーをゆでて、リンゴを半分という夕飯でした。

翌21日(日)は、朝食後、玄関先の雑木を糸のこと剪定ばさみで、切り取って、北側の土地から伸びてくる枯草を鎌で、短く刈り取りました。まだ、雑草が生えていない今の時期だからこそ、できる作業をしました。着いた日の室温は15度でしたので、ゆるくストーブを焚いています。静岡に比べると1か月くらい季節が遅れていて、水仙も見頃。桜も満開でした。うちの水仙です。以前近所にお住まいだったTさんからいただいた水仙とプリムラは、毎年綺麗に咲きます。



この日は、ツルヤで夕飯の食材を買うついでに、途中にある松並木公園の桜を観て、津金寺で山野草を観ました。津金寺は枝垂れ桜が美しく、裏山の散歩道には、山野草が咲いています。紫木蓮も満開。









春に長野に行くと夫と津金寺の山野草を見るのは楽しみでした。カタクリを観ることができました。
一人で別荘を開けに行くと、ガスや水道の元栓を開いて、生活できる状態に最初にするのですが、今春は、洗面所の湯の蛇口と水の蛇口から水が出ない。洗面台の下にあった二つの水道栓の一つを緩めたら、湯は出るようになりました。でも、水のほうは出ないまま。もう片方の水道栓を開けようとしましたが、凍結防止のために。しっかり防寒材が巻いてあり、つかえてしまって回せない。仕方なく月曜日に、昨年水道管修理を頼んだ業者に来てもらいました。ところが、その水道栓は、もう回さなくて良いように緩めてあるらしく、家の外の水道の元栓を緩めたら、水が出るようになりました。なんと1か所、外の水道の元栓を緩めてなかったらしい。
全部緩めたつもりだったのに・・・。「はて?」(笑)

業者に来ていただいたけど、そんな単純な理由だったとは。それでも、秋に水抜きするとき、洗面台の下の2つの水栓は、緩めたままにしておけばいいとわかったので、良し。
業者が帰った後、2時半頃に静岡に帰るべく、出発しました。今回は、蕎麦には縁がなく、月曜日で故郷センターは定休日。遅くなってしまったので、一路、諏訪南ICを目指しました。4時半ごろ、昼食と夕食兼用の食事を八ヶ岳PAで食べました。平日限定の日替わり定食にしました。月曜日は、ラーメンとカレーライスのセットで900円。よく確認せずに、チケットを買ってしまいましたが、その内容なら、他のにすれば良かったです。まずくはなかったけど、本当は、火曜日のセット内容が食べたかったんだよね。トホホ。八ヶ岳でちょっと長めに休憩し、気を取り直して運転していたら、須玉ICと韮崎ICの間で事故があり、通行止めになり、須玉ICで全車両が中央高速道から降りるはめになりました。高速を降りた大量の車が清里の一般道路をのろのろ運転。ナビが目指すは韮崎でした。韮崎ICに誘導されて韮崎から再び、高速道路に戻り、中部横断道を通って、予定より2時間遅れで、21時頃、帰宅しました。余分な迂回で疲れたし、夜道の対面通行の中部横断道は怖いです。おまけに、後ろの車から何度もパッシングされたし。片側1車線なので、すぐに抜いてもらうこともできずです。一部あった譲り合い車線の時に、抜かしてもらいました。70キロ制限のところなのに、結構スピード出す車が多いです。とても、嫌いな道路です。私の俳句仲間のIさんは、「中部横断道はやっと開通したけど、怖くて走れない」と言っていたっけ。片側2車線あったらと私も思います。
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