トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

海賊と呼ばれた男

2015-12-27 12:11:05 | 
百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」を読みました。ちょっと前にブームになった本ですが、沈静化したらしく図書館の書架にありました。一言で言って多くの人にこの本を読んでほしいと思いました。特に企業経営者や、これからの世代を担う若い人たちに是非読んでほしいと思います。主人公の国岡商店の店主、国岡鐡造さんの時代を先取りして読む力、状況判断力と決断力、勇気、大胆さ、従業員との信頼関係、日本人としての誇り、独立心、強さ。これほどの企業経営者はいないのではないかと圧倒されました。そして、日本の戦前の軍事政権の愚策、あの戦争は石油をめぐる戦争だったということ。敗戦国日本には石油輸入がなかなか再開してもらえず、その前に旧海軍のタンクに残るわずかな原油をさらうことをGHQから命じられた日本企業の中で、唯一その辛い作業をやり遂げた国岡商店。戦後も欧米の石油会社と提携せず、民族企業として歩んだこと。イギリスに搾取されていたイランが、モサデク政権の元に立ち上げた国営の石油会社と契約し、イランから原油を買い付けることを決めて、日章丸というタンカーを極秘にイランに送った経緯は今回初めて知りましたが、すごいと思いました。こういう先人のおかげで現在の繁栄があるのだなと思いました。国岡商店のモデルは出光興産。主人公の店主国岡鐡造さんは、出光の創業者、出光佐三さんだということでした。物語は明治18年から昭和49年までの長きにわたります。出光を大企業に成長させた出光佐三さんは95歳まで長寿を全うされたようです。この作品は2016年に映画化され、主人公はまた岡田准一さんらしい。永遠の零も良かったけれど、これもすごい映画になるでしょうね。
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俳句四季で紹介されました。

2015-12-25 17:57:53 | 俳句
静岡県教職員互助組合志太支部の「志太俳句クラブ」に入って7か月。まだまだ俳句作りに四苦八苦で、次の句会までに提出する3句をひねり出すのに精いっぱいですが、句会は和やかな雰囲気の中にもなるほどと思う示唆が多くあり楽しいです。句会では名前を伏せて選句をするのですが、講師の米山潤三先生の俳句はさすがに素晴らしいと思います。句会でとらせていただくと先生の句であることが増えました。少し、良い句がわかるようになってきたのかもしれません。俳句の勉強になると思い、テレビでNHKの俳句番組とプレバトの俳句査定ランキングを見ています。このたび、「俳句四季」という雑誌の1月号の句会拝見というページで、「志太俳句クラブ」が紹介され、写真と一緒に会員の句も30句、米山先生が選んでくださった句が載っています。1月号を買いましたが、厚い雑誌で読みでがあります。じっくり読みたいと思います。こんな権威ある雑誌でご紹介いただき嬉しいです。1月の句会の兼題は「初日の出」。新年の季語ですね。他の2句は自由なので、除夜の鐘と大根で作りましたが、私の句、平凡だなぁって思います。「もの」を読むにしても、感情が汲みとれないと読んだ人が「あ、そうですか」って感じに、報告句みたいになるのです。あるいは説明的になったりね。自薦句集のため来月の句会までに10句を選ばないといけないのですが、選べない。(^^ゞ
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黄金のアデーレ名画の帰還

2015-12-23 16:02:49 | 映画
昨日、12月22日は私の誕生日でした。ゆず湯に入り、かぼちゃ食べましたか?私たちはどちらもしませんでしたが、静岡のサールナートホールに「黄金のアデーレ」を見に行きました。20世紀の終わりごろ、アメリカに暮らすマリア・アルトマンという82歳の女性がオーストリア政府を訴えた。彼女は第二次世界大戦中、ウィーンに暮らす裕福なユダヤ人家族の一員だったが、ナチスドイツに迫害され、家財産を失い、両親と別れた悲惨な体験をしていた。オーストリアのモナリザと言われ、戦後もオーストリアのベルべデーレ美術館に飾られていたクリムトの名画「黄金のアデーレ」を、正当な持ち主である自分に返してほしいという要求が聞き入れられなかったからだった。一緒に訴訟を戦ったのは、駆け出しの弁護士ランディ。ランディとマリアは当時の資料を詳しく調べ、叔父は死後、すべての財産を姪のマリアに譲るという遺言を残していたことを知る。忌まわしい思い出が残るウィーンに出向き、悲しく恐ろしい思い出がフラッシュバックするマリア。裕福なマリアの一家は、家にあった高価な絵画や楽器などをことごとくナチスに奪われ、家の中に幽閉されていたが、薬を買うと偽り、辛くも家を脱出する。父の友人のオーストリア人に助けられ、夫と二人、飛行機に乗ってスイスのケルンに向かうことができた。祖国を捨て、両親を置きざりにしたという苦しい思い出。名画の返還要求は聞き入れられず、調停も不調に終わり、最終手段の訴訟をおこして、最高裁まで行ってようやく、黄金のアデーレは返されたのだった。黄金のアデーレは、莫大な資産価値があったが、マリアはお金のために取り戻したのではなく、叔母の肖像画を取り戻すことは、家族を取り戻すことだった。黄金のアデーレは、現在、ニューヨークのノイエギャラリーに展示されているそうです。ナチスによって奪われ、未だ持ち主に返されていない美術品は10万点にものぼるそうです。若いヒトラーが美術学校に合格していたら、世界の歴史は変わっていたでしょうね。緊迫した映画でした。途中は大変だったけど、ハッピーエンドで気が晴れました。
夕飯は人宿町の「すし市」というお寿司屋さんで食べました。静岡の地酒を豊富に置いてあるお寿司屋さんでした。夫が映画「千年の一滴」を見て知ったお店で、カウンター席で、板前の息子さんと話しながら、酒の肴をお任せで作ってもらいました。金目鯛や鰆の刺身、生牡蠣、しらこ、野菜の盛り合わせ、サービスで一貫いただいたマグロのトロ寿司など、どれも美味しかったです。最後は握りを作ってもらいました。金目鯛、こはだの握り、ウニ、いくらは軍艦で。〆は河童巻き。お酒は磯自慢と白隠正宗を一合ずつ飲みました。また行きたいな。千年の一滴を見た人に一貫サービスでしたので、マグロのトロでお願いしました。



野菜の盛り合わせ。カタクチイワシの塩漬けを使ったタレにつけて食べました。



初めて飲んだ白隠正宗も飲みやすいお酒でした。



帰りは青葉公園のイルミネーションを見ながらのんびり。車を家に置いて行ったので、ノンビリできました。



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ぼくらの家路

2015-12-09 19:58:14 | 映画
今日はジムを休み、久しぶりに夫と静岡で映画を見ました。サールナートホールの会員更新手続きも兼ねて行ったのですが、最初は「黄金のアデーレ」を見るつもりだったんですが、夫が上映時間を間違えていたので、代わりにベルリン国際映画祭コンペティション部門正式出品作のドイツ映画「ぼくらの家路」を見ました。10歳と6歳の兄弟がシングルマザーの若いお母さんに育てられている。母親は優しいけれど、愛情のかけ方が気まぐれ。家に男を引き入れていたりする。その日常はジャックにとっては苦痛で、母親と男の情事の最中に部屋に入り、ご飯を要求したり、母親の恋人の服を窓から外に投げ捨ててしまう。母親はその場ではジャックを叱らなかったけれど、母の留守中にジャックが弟を風呂に入れようとして火傷をさせてしまう事故があり、母は弟は手元に置き、ジャックを児童養護施設に預けることにする。児童養護施設ではいじめられ辛いことが多かったが、母親が休みに迎えに来るのを楽しみにしていた。しかし、母親から迎えに行けないと連絡が入る。ジャックは意を決して養護施設を飛び出し自宅に帰るが、母親は留守で電話にも出ず、鍵もなくジャックは家に入ることもできない。母親の友人に預けてある弟を迎えに行き、母の職場や、昔の男たちのところに行ったりして、弟を連れて母を訪ね、街をさまようのだった。そして最後には・・・日本でも親に養育力がなく、児童養護施設で育っている子供たちがいますよね。それぞれ重い事情を抱えているだろうと思います。ジャックを演じたイヴォ・ピッツカー君、何百人という応募者から選ばれた逸材だそうです。ジャックの演技、カメラワークも良かったし、身につまされました。帰り路、鞠子の丁子屋で夕飯を済ませました。一番シンプルな定食「丸子」に黒はんぺんのフライを一品取りました。平日の夜の丁子屋は空いてました。丁子屋は静岡から我が家への帰り道の途中にあって便利です。久しぶりのとろろ汁と麦飯、美味しかったです。





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萩、出雲、松江、安来の旅 2015 秋

2015-12-03 01:29:12 | 旅行
11月24日から27日まで山陰地方を旅行しました。
11月24日、静岡発6時41分のひかりに乗り、姫路に8時57分着。駅を出たら大通りの向こう遠くに姫路城が見えました。初めての訪問でした。白鷺城の別名を持つ国宝の美しいお城です。最近、外壁の白い漆喰を塗り替えて一層美しくなりました。



お城を見学した後、好古園という庭園に行きました。テーマに基づいたいくつかの庭園が配置され、予想外に大きく立派な庭園でした。紅葉が美しかったです。お抹茶をいただきました。



今夜は萩に泊まるので、再び新幹線に乗り新山口で下車。新山口からスーパー萩号という高速バスに乗りました。高速バスは山中を抜けて走りました。萩まで1時間でした。明倫センターというところで降りて宿に迎えを頼みました。そこから15分ほど車で走った海辺の宿、萩小町に泊まりました。萩小町は料理も美味しく、お風呂もとても素適でした。夜に入った岩風呂は外の海とつながっていて、波の音を聴きながら温泉に入りました。朝は1階の露天風呂に入りましたが、すぐ目の前に海が広がり、解放感あふれるお風呂でした。万事細やかな配慮が行き届いた宿でした。お薦めです。部屋の窓からの日本海の眺めも美しかったです。



11月25日の午前中は萩を観光しました。大河ドラマ「花燃ゆ」を見ていたこともあり、吉田松陰の史跡を見学しました。松陰の生家、松下村塾、松陰神社、至誠館などを見学しました。なかでも至誠館は吉田松陰について詳しく知ることができ、見応えがありました。



その後、伊藤博文の生家や総理になってからの立派な別邸(移築されたものです)、松陰の叔父、玉木文之進の家などを見学し、最後は藩主、毛利家の菩提寺の東光寺にお詣りしました。萩の観光には循環バスを利用しました。東回りと西回りがありますが、時間の都合で東回りの史跡だけの見学になりました。最後に大河ドラマ館にも寄ってみました。この施設は期間限定で来年1月までらしいです。お昼は市役所近くの元気食堂というところで食べました。野菜中心の料理でしたが、バイキング形式のレストランでなかなか良いと思いました。13時54分発のワンマンカーの各駅停車の電車で東萩駅を出発。益田駅までは小さな無人駅ばかりでした。15時05分に益田駅に着き、16時8分発の特急スーパーまつかぜに乗り、出雲市駅まで行きました。山陰本線は電車の本数が少ないので待ち時間が長いです。出雲市駅に17時47分に着きました。今夜の宿は駅から徒歩で10分ほどのホテル武志山荘でした。こじんまりしたホテルでツインの部屋でした。3階に紅葉の湯という大きいお風呂があったので、入りに行きました。温泉じゃないのが残念。料理は美味しかったです。

11月26日の午前中は出雲大社に行きました。ホテルに荷物を預け、ホテル前から一畑電車に乗りました。川跡というところで電車を乗り換え、出雲大社前駅まで行きました。川跡から乗り換えた一畑電車は木を車内に使った素敵な車両でした。4人掛けの座席には木の折り畳み式のテーブルまでありました。観光用でしょうかね。出雲大社の参拝の仕方は、2礼4拍手1礼なんですよ。2拍手じゃないのです!知らなかったけど、みんなが4拍手しているので、途中から私もそれにならいました。神楽殿の大注連縄が迫力がありました。私たちはお守りを買いました。



お昼は「かねや」という店で出雲名物の割子蕎麦を食べました。美味しかったです。



その後、出雲ぜんざいも食べました。寒い日だったので、お店の畳部分の床暖房がありがたかったです。また一畑電車でホテルまで戻り、荷物を受け取り、徒歩でJRの出雲市駅まで行きました。松江着は14時3分。ホテルの車に迎えに来てもらいました。26日のホテルは、宍道湖のそばの松江ニューアーバンホテルでした。27日は安来の足立美術館に行く予定だったため、松江の観光は夕方までしかできないので、荷物を置いたらすぐに出かけました。小泉八雲の旧居、小泉八雲記念館を見学し、最後に松江城を見学しました。小泉八雲の旧宅は風情があって良かったです。記念館の館長は八雲の孫にあたる人のようです。小泉八雲は片方の目を子供時代に事故で失明し、もう片方の目も強い近視だったそうで、特注の机を愛用していたようです。



最後に松江城に行きました。今年、国宝に認定されたお城で、こじんまりして、姫路城のように華やかではないですが、地元の人に愛されているお城でした。天守閣の中に井戸がある珍しいお城だそうです。



お城から帰るころは薄暗くなってしまい、おまけに雷雨になり大変でした。松江はとても寒かったです。

11月27日は静岡に帰る日ですが、午前中は安来まで行き、足立美術館に行きました。駅からの無料シャトルバスを利用しました。収蔵する日本画の量と質も素晴らしいですが、うわさ通り、庭園もすばらしかったです。日本画の大家、横山大観の絵をたくさん収蔵しています。今回、榊原紫峰という画家の日本画をたくさんみました。足立美術館開館45周年記念のベストセレクション展(後期)を開催中でラッキーでした。横山大観の絵はさすがに素晴らしく、秋の特別展示の横山大観名品選の中でも、紅葉という大作は目を引きました。個人蔵だったこの作品「紅葉」を手に入れるために、足立氏は2年かけて交渉したということでした。



美術館からシャトルバスで安来に戻り、15時16分発の特急やくもで岡山まで行き、岡山でひかりに乗り換えて静岡まで帰りました。山陰は遠かったし最後のほうは寒波が来ましたが、楽しい旅でした。その他の写真はフォトチャンネルをご覧くださいませ。




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