6
春の鳥な鳴きそ鳴きそ なが鳴けば とのもの草に日の入る夕べ 北原白秋
お終いに向かっているので、そこに文学が発生します。憂愁が発生します。悲しみへ落ちて行くのです。落ちて行くその前段階にいる間をどうするか。そうです、楽しくしていなくてはなりません。嬉しくしていなくてはなりません。春の鳥のように。
6
春の鳥な鳴きそ鳴きそ なが鳴けば とのもの草に日の入る夕べ 北原白秋
お終いに向かっているので、そこに文学が発生します。憂愁が発生します。悲しみへ落ちて行くのです。落ちて行くその前段階にいる間をどうするか。そうです、楽しくしていなくてはなりません。嬉しくしていなくてはなりません。春の鳥のように。
5
春の鳥な鳴きそ鳴きそなが鳴けば とのもの草に日の入る夕べ 北原白秋
春の鳥は囀っています。楽しそうに嬉しそうに。そうであるのに、もう日暮れなのですね。日暮れはおしまいです。「おしまい」に向かって地軸が回転していきます。これがすべてに通じます。わたしたちはつねにお終いに向かっているのです。
4
春の鳥な鳴きそ鳴きそ なが鳴けば とのもの草に日の入る夕べ 北原白秋
「外(と)の面(も)」は野原なのでしょうか。庭なのでしょうか。もっと広くて深い山なのでしょうか。ともかく春の草が生えているところです。ここに日が落ちて行きます。
3
春の鳥ななきそなきそながなけば とのものくさに日の入る夕べ 北原白秋
「汝が鳴けば」という条件節で、575まで流れて来たのに、帰結節が曖昧になっています。帰結になっていません。鳴いたらどうなるのか? その答が答えられていません。読者はおやっと思うでしょう、おそらく。面食らうでしょう。
2
春の鳥な鳴きそ鳴きそ 汝(な)が鳴けば 外の面の草に日の入るゆうべ 北原白秋
「な~そ」は禁止を表す係り結びです。しかも繰り返されています。どうか鳴いてくれるなよ鳴いてくれるなよ、と。「な」の音も5回繰り返されています。強調法でしょう。音韻が快感を擽ってきます。これで此の歌を心地よくしています。
春の鳥な鳴きそ鳴きそ汝(な)が鳴けば外(と)の面(も)の草に日の入るゆうべ 北原白秋
*
1
春の鳥が我が家の庭に来て鳴いています。聞き慣れない声です。渡り鳥なのでしょう。鳥に詳しくないので、なんという鳥なのかは判別できません。嬉しそうに鳴いているなあということくらいしか。
5
宿の斡旋で、島のガイドさんが車を出して案内して下さることになりました。港から宿までの送り迎えもしてもらえます。五島は信仰の島。キリスト教の教会がたくさんあるようです。雨にならないといいのですが。
今日は四月最後の日。明日からは五月です。わたしに最後の日が来たら? 明日ということもなくなるのでしょうか? 個としての「わたしの明日」ではなくて、全体としての「わたしたちの明日」は続いて行くでしょう。
4
今日から2泊3日で長崎県の上五島へ旅をしてきます。佐世保までは電車、港で高速線に乗り継ぎます。1時間20分の船旅です。存分に海が眺められます。上五島では、北に位置する若松島の民宿に泊まります。2日間とも。宿の前が海で,釣り糸を垂らすことも可能とか。
わたしは高齢。そう何度も旅には出られなくなるでしょう。生きている内に同じ処を訪ねることはほぼないでしょう。そういうことを考えていると、「大切に」の思いが深くなります。
3
新聞2誌に目を通しました。1面からざっと。一面下のコラム欄や読者の声の欄は丁寧に読みました。YouTubeでベートーベン名曲集を聞きながら。有田焼の陶器市が始まって,26万人が押しかけているようです。
今日を生きる。大切に生きる。「生きている今日」がダイアモンドのような輝きを放つのは、しかし、「生きられなくなった今日」に来たときなのかもしれませんね。
2
5時にトイレに行った後、起き出しました。この老爺は夜中に何度もトイレに通わねばなりません。昼間はそうでもないのです。寧ろ遠いくらいです。それが夜になると、ちょくちょくになります。ふしぎです。
でも、今日を大切に生きなきゃ。愚痴を言わないで生きていたいもの。なのに、こうです。頻尿の愚痴が出ます。駄目だなあ。・・・いや、それはそれで致し方のないこと。それで、暗くならないといいのかも。