3
なにしろこの日まで死なずにいたのだ,この日まで健康を与え続けられてきたのである。我が儘が通って来たのである。
それを思ったら、残された日々のすべての道で、朝夕お礼を繰り返すのが、恩を知る者の態度である。
そうであるのに猶々、我が儘を通そうとしている。死ぬまで通そうとしている。そのふてぶてしい自分にぞっとするときがある。
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なにしろこの日まで死なずにいたのだ,この日まで健康を与え続けられてきたのである。我が儘が通って来たのである。
それを思ったら、残された日々のすべての道で、朝夕お礼を繰り返すのが、恩を知る者の態度である。
そうであるのに猶々、我が儘を通そうとしている。死ぬまで通そうとしている。そのふてぶてしい自分にぞっとするときがある。
2
ところが、やっぱり、死にたくはない。病気になりたくはない。もっともっとを追求している自分。その自分がいる。欲深な自分がいる。
死は訪れる。死ぬためには病むことも必要になる。そのときに、嘆きや恨みを述べ立てるのは筋違いだろう。そのための稽古、有り難うございましたを言う稽古を積んできたはずなのだ。
1
この日まで生かしていてもらえたのである。長々と生かしてもらえたのである。これ以上は欲深だろう。
これまでずっと大切に守ってもらっていたのだ。その長い日々をひたすら感謝して、感謝して、あとはただ無心になっていていいはずである。
おはようございます。5時に起床。夜中3回目のトイレで、目が覚めてしまって、これ以上は寝る気がしなくなった。
今日から連休。老人は一年中が休日だから、休みといっても珍しくもない。働いていてこそ休日の値打ちが出る。働いている人は、このときを利用して旅に出るだろう。交通混雑も起きる。宿も満室満室で、中々取れない。老人は家にいることにしよう。