<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

滑りがよくなるお呪い ラスト

2018年04月17日 06時33分19秒 | Weblog

お呪いは頼み事に見えてその実は,自己調整術なのだろう。己を整えるこころの体操なのだろう。いいではないか、そういう入り口でも。出口で整って快適になっているのであれば。

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滑りがよくなるお呪い その7

2018年04月17日 06時27分29秒 | Weblog

そういう自己肯定がやがて力を持ってくる。そこで図らずも、乗っている乗り物が巧い具合に滑り出す。時間の滑りがよくなってくる。自己肯定は、自己を強力な味方につける暗黙の暗示法である。

 

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滑りがよくなるお呪い その6

2018年04月17日 06時26分14秒 | Weblog

自分に合わない贅沢ものを捨ててしまえばいいのである。身の丈に合った高さに抑えておけばいいのである。これでわたしの十分すぎる好日でした、と。相手を立ててやればいいのである。相手を立てると己が立たない、そうばかりではないことを自覚できれば,その日は好日で,己が立ってくるのである。

 

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滑りがよくなるお呪い その5

2018年04月17日 06時24分10秒 | Weblog

お呪いは簡単。簡単明瞭がいい。瞬時にそうしてしまうくらいがいい。信心にして一度二度ぶつぶつぶつくさ、唱える。「わたしの日々はまことにこれ好日好日でございました」と御愛想を言う。すると好日の方から、「へ、わたしを及びなさったんでございますか」と問うてくるから、そこで頷く。そるとそこで契約が成立する。

 

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滑りがよくなるお呪い その4

2018年04月17日 06時22分23秒 | Weblog

つまり、「今日はいい一日だった」「有り難い一日だった」「生きにくい条件下であったはずなのに、わたしはともかくも今日を生きられた」「これはみんなあなたさまのお力でございました」と寝る前に、あっさりそう締め括りさえすれば,その日が「是好日」に仲間入りをするのだから。

 

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滑りがよくなるお呪い その3

2018年04月17日 06時16分10秒 | Weblog

日々是好日。これはお呪いにもつかえるもののようだ。日々是好日様、日々是好日菩薩様、日々是好日如来様と唱えると、もうこれでお呪いは出来上がる。その後、えいやっと、今日ただいまをそっくり好日にしてしまえばいいのである。

すると日々是好日様がにんまりとなさる。鉄面皮のわたしの眼の中に、ぼんやり微かに「にんまり様」が映ってくるようになる。滑り出しは好調だ。これでよし。柏手(かしわで)をぽんと打つ。

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滑りがよくなるお呪い その2

2018年04月17日 06時12分41秒 | Weblog

「鰯の頭も信心から」と諺にある。有り難がると、鰯の頭でも、よく見えてくる。活用できるように思えて来る。それに乗る。そこに信心も生まれて来る。

すると目の前の物が何でも、有り難く思えて来る。嬉しくなって来る。笑みがこぼれる。「ああ、そうだったのか」と合点が降りて来る。

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滑りがよくなるお呪い その1

2018年04月17日 05時49分25秒 | Weblog

なんでもお呪(まじな)いになる。都合よく自己暗示することだ。ひたすら都合よく。こうなれと願って、そうなるのを待つ。しぶとく待つ。

 

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お客様ってだあれ? 蜘蛛のことだよ 毛虫青虫さんたちだよ

2018年04月17日 05時41分10秒 | Weblog

あ。蛙さんの声だ。げっげっげっげっげ。雨でも降らそうというのかな。

ふううん。今年になって初めての鳴き声を聞く。

そうか、いよいよ、蛙の季節が到来するのか。

といっても、梅雨時までにはまだ間がありそうだけど。

「げっげっげっげっげっげ」が、いつのまにか「けっけっけっっけっっけ」に聞こえる。

舞台に上がってきて、お客様相手にピエロをしているのかな。

お客様ってだあれ? 蜘蛛たちだよ。毛虫青虫さんたちだよ。

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1000年でも待つことが出来る植物群の忍耐力

2018年04月17日 05時04分21秒 | Weblog

その時が来るのを待つ。ひたすら待つ。条件が整ってくるまで待つ。その間は死んだ振りをしている。でも、枯渇しない。死なないでいる。死ぬ直前まで来てしぶとくしている。そういう瀕死の状態で、待つことが出来る。植物にはそんな忍耐力が、とりわけ強くできているらしい。土の下にじっと我慢をしていられるらしい。3年後、5年後、10年後でも、100年、1000年後でも、瀕死の状態をを維持して、死なないでいられるらしい。単子葉植物の稗(ひえ)のたぐいは、それができるらしい。「とにかく待つ」「条件が整うまで待つ」そういう耐性が身についていよいよ確固としたものに進化を遂げたものなのだろう。

人間様はそうはいかない。性急である。我慢が出来ない。悲しがる。やけを起こす。拗(す)ねる。世を恨む。暴れる。非常手段に出る。癇癪を起こす。泣く。自暴自棄になる。破滅する。自滅を辿る。そこまでが関の山。そういうコースを辿ることが多い。つまり、条件がよくなければ、生きてはいけない。甘えん坊さんのようだ。

自然界では大きな巌の上に、1000年、10000年かけて植物が根を下ろすということもある。土のない岩の上に松が生えて育っている姿も見たことがある。土が出来るまでそこで待っていた松毬(まつかさ)。雨が降り風が吹き、埃が積もり、砂塵が飛び、一欠片の土が溜まる。やっとそこで根を下ろしてみる。岩の中にまでは根が下ろせない。またそこで待つ。条件が整うまで待つ。10年20年を待つ。雨が降り風が吹く。土が膨らんでくる。膨らんだ分だけの根を下ろす。発芽に漕ぎ着ける。そこでまた待つ。次の条件が整ってくるまでを待つ。死なないで待っていられる。彼らはたくましい。時間を掛けて、根から岩を解かすような化学物質までを生産するようにもなるらしい。じわじわじわじわ岩が溶けだして来て、その僅かな隙間に根が下りていく。養分が溜まる。その分だけの根と茎を伸ばす。後はまた待つ。

条件が整うまでじっとじっと待つことが出来る植物群。その忍耐力の長さ細さしぶとさ。わたしにはそれがない。からっきし、ない。甘えん坊が通らなければ壊死してしまう。このひ弱さ。脆弱ぶり。

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