<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

死んで何処へ行くのか その3

2018年04月15日 22時13分44秒 | Weblog

いや、初めから終わりまで此処にいるのだ、と。旅の始めから旅の終わりまでずっとブッダの世界、仏国土にいるのだ、と。

分かり易い表現をすれば、仏陀の掌の上の孫悟空なのだ、と。飛び回っても飛び回っても、まだそこは仏陀の手の平の上なのだ、と。此処は仏陀の宇宙なのだ、と。

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死んで何処へ行くのか その2

2018年04月15日 22時11分35秒 | Weblog

われわれにはふるさとがある。此処をを出発して来たのだから、此処での仕事が済んだら、また此処へ帰って行くのだ、と。これが仏陀の教えるところである、と。

安心をしていていいのだ、と。恐れないでいいのだと。

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死んで何処へ行くのか その1

2018年04月15日 21時47分31秒 | Weblog

お坊さんの仕事は、我々は何処から生まれて来て,死んで何処へ行くのかの答をずばり聞かせてあげることではないか。

これを曖昧にしてはならない。答を聞かしてあげて安心をしてもらわねばならぬ。われわれはみな仏弟子である。仏陀の子である。分身である。それを聞かせて安心をしてもらわねばらなぬ。

 

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畑へ行ってパセリを少しだけ摘んだ 雨で洗われていて美しい

2018年04月15日 21時35分48秒 | Weblog

畑へ行ってパセリを少しだけ摘んだ。唐萵苣の下葉を3~4枚摘んだ。春菊の細い上半身を手の平に掴んだ。新玉葱がふくらんでいる。これも一輪車に乗せられるだけ乗せた。みな夕食の具材とした。青い匂い、緑の匂いが、鼻と舌先にクンと伝わる。畑がある贅沢をする。

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我が家に帰ってきた ゆっくり風呂に浸かる

2018年04月15日 21時24分51秒 | Weblog

我が家に帰ってきた。ベランダに置いているプランターの、金盞花にまず水を遣る。

ゆっくり風呂に浸かる。狭いバスタブだがこれでよろしい。疲れが取れる。

 

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新幹線のぞみ号に乗車出来た 17時30分には新鳥栖に着く

2018年04月15日 14時59分24秒 | Weblog

やれやれやれやれ。新幹線のぞみ号に乗車出来た。17時30分には新鳥栖に着く。3泊4日の旅を楽しんだ。老爺だから、やはり疲れた。毎日歩いた歩いた歩いた。神戸の山坂道を。地下鉄の階段を。

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旅が終わる

2018年04月15日 09時51分12秒 | Weblog

さ、チェックアウト。雨は小止みになっている。 

これから兵庫県立美術館までタクシーに乗って行く。タクシー代は2000円だった。

岩屋の港に隣接する美術館は小磯良平の絵画展とジブリ特集だった。

ジブリの方には長蛇の列ができていた。小磯良平と常設展示を見て回った。

神戸三宮駅内の中華料理店でお昼を食べた。新神戸駅に戻って来た。

2時55分ののぞみ号に乗れそうだ。

 

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今日は雨になりそうです 美術館に行こうと思います

2018年04月15日 07時24分19秒 | Weblog

今日は雨になりそうです。傘を差して歩けないので、美術館に行こうと思います。兵庫県の県立美術館に。ここだと雨に濡れないで済みます。絵を見ようと思います。美しい絵を見てとろんとなろうと思います。目を飴にして、こころを飴にして、とろんとろんと溶け出していたいと思います

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わたしの吸う空気はスーパーに買いに行かなくてもすんでいます

2018年04月15日 07時11分46秒 | Weblog

今日わたしの鼻が吸う分の空気はわたしの鼻先に届けられてきます。スーパーに買いに行かなくてもすんでいます。古くなってもいません。いつも一番新しい空気です。お金を払ったこともありません。いいこと尽くめです。わたしが受けている待遇は、その上がない最高水準です。

わたしは肺に吸い込んでおいしいなあをいっているだけですんでいます。あとはからだの諸機能、諸器官が仕事をしてくれます。わたしはこうして恭しく厳かに懇切に仕えられているきりですんでいます。

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次は精神が吸うことが出来る新しい酸素を届けてもらうことになっています

2018年04月15日 06時38分53秒 | Weblog

おはようございます。今日はもう4月15日になっています。昨日の4月14日の姿はありません。何処かに置き去りにしてしまいました。わたしが鼻から吸っているのは今日の空気です。何処から届けてもらうのかは分かりませんが、わたしが今日吸う分は刻々刻々と運ばれて来ます。わたしはそれを鼻で吸うだけでいいのです。労苦を伴いません。どうぞどうぞ好きなだけ吸ってくださいの世界なのです。

ここは。無償です。お金を払ってくださいという有償の世界ではないのです。これでわたしの肉体は酸素を燃やして体温を適温にして、温かくなれます。つまり最高の状態になれるのです。生きていくための最高の状態になれるのです。こういう無償の世界をこれまでずっと生きてくることが出来ました。無償とは無束縛ということです。縛り付けられていないということです。

わたしはしかし死にます。肉体が死にます。肉体に酸素を届けてくれたその世界が終わるということではありません。次は精神が吸うことが出来る新しい酸素を届けてもらうことになっています。これもまた無償です。わたしが進んでいくところはみなこうして無償なのです。しかも、制限が設けられていません。尽きるということもありません。

わたしの行く先はすべて無量であり無尽蔵であり、広大無辺です。はからずも、わたしは無量寿無量光の阿弥陀仏と同じ扱いを受けています。この厳然たる事実を生きてきたわたしの呼吸という阿弥陀仏に帰依して手を合わせます。

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