<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

老いた仏像というものは見当たらない

2017年07月07日 18時18分19秒 | Weblog

老いた仏像がない。仏には老いがない。みな揃って若々しい。タイの仏像もそうだった。皺のある仏像などというものにはお目にかからなかった。若さではち切れていた。お釈迦様の涅槃像もそうだった。お釈迦様は80才を過ぎてなくなられたのだが、凛々しかった。パワー全開という感じがした。老衰の仏陀では、崇拝の対象になれないからだろうか。覚りを開いた仏陀は死なないのである。永遠の生命を保つのである。だから、いかにも若々しい。目もらんらんと輝いていた。死とは無縁だという主張に貫かれているようだった。これでいいのかもしれない。哀れを誘う仏陀では信頼を寄せられまい。仏陀は永遠である。永遠の生命を保つのが仏陀である。それはそうであってほしい。人もこれに倣うことができるという暗示なのかもしれない。わたしの中に永遠性、永遠の生命を見出すことが覚りなのかもしれない。

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雨雨雨でトマトがはち切れてしまった

2017年07月07日 18時00分27秒 | Weblog

豪雨神鳴騒動で、数日間家の中に閉じ込められた。すっかり怠け癖がついてしまった。もともとの怠け者が二重三重に。夕方にかけて雨が上がった。庭も畑も草が伸び放題に伸びているけれど、外に出たくない。蚊に攻められてしまう気がする。乾かない雨露に濡れてしまいそうな気がする。草の中から蛇が出て来そうな気がする。こうやって理屈を捏ねる。そして寝椅子を倒して寝っ転がった。遠くでホトトギスが鳴いている。静かだ。刻一刻夕闇が深くなる。おれは今日一日いったい何をしたのだろう? 疑問符に応じられない。

雨雨雨で畑のトマトがはち切れてしまった。捨てるに忍びず、朝昼晩ずっと真っ赤なトマトを食べている。たらふくたらふく。そろそろ飽いてくるはずだが、そうならない。おいしい。みずみずしいがおいしい。

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そらごとの世のそらごとを逃れてむ

2017年07月07日 14時08分06秒 | Weblog

そらごとの世のそらごとをのがれてむ薔薇の黄蝶に冬の日の降る            薬王華蔵

そらごとの世である。「そらごと」は「たわごと」でもある。「絵空事」というように実体のないことをも指している。世のそらごとだけを掻き集めて救い取って捨てる柄杓があればどんなにいいだろう。そうしたら除去した後の水はいかようにも澄むであろう。薔薇に黄色い蝶がとまっている。そこに淡い冬の日が降っている。そこだけはそらごとの世ではないのかも知れない。そこを離れたところかもしれない。「のがれてむ」だから、あくまで推量推察である。そらごとの世を逃れ出て来たところこそが真実の場である。蝶にそれだけの力量があるとも思えないが、見くびってはいけないかも知れない。寒い静かな冬の日の一瞬の風景を写し取って見た。蝶がまだいるのだから、初冬だろうか、晩冬だろうか。わたしは常に空事・譫(たわごと)の領域の住人であるが。

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おんなの人の指はやわらかくできているので

2017年07月07日 13時29分52秒 | Weblog

たまかぎる命の家のたましひの闇へ差し入る指やわらかき      薬王華蔵

「たまかぎる」は枕詞。全体に掛けたつもりなのだが。「かぎる」は「ほのかに輝く」ことらしい。

命の家に住んでいるのは誰か。「たましい」である。ところがこのタマシイ氏はいま闇に住んで憂鬱を託っている。そこにやわらかいおんなの人の指が滑り込んできた。これですぐさま闇が破れて光が射して来る。そういう自然な流れになる。おんなの人の指は柔らかく出来ているので、たましいに触れることが出来るらしい。指は夜明けまでたましいを撫でていたであろう。命の家にはほのかにあたたかい時間が湧き上がったであろう。

我々は時に「難しいことをなお難しくする」こともあるけれど、すういと運ぶことも或る。世の中は単純で平易でもある。平易に滑らかにことが運ぶということもある。男女がいる世の中だからであろうか。難しいことを切り開く鍵のようなものが、愛や恋なのかもしれない。

ちょっと理屈っぽい解釈だった。理屈の歌はろくなものはない。その典型か。

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太陽様が恋しい

2017年07月07日 12時20分44秒 | Weblog

雨が止んでいる。このまま上がってくれたらいいのだが。と言っている間にもう次の雨が降り出してきた。忍耐を強いられる。畑の草たちは、しかし、嫌がっているふうには見えない。むしろ、歓迎かもしれない。比較的繊細な野菜たちは、そうはいくまい。雨が長引けば、腐敗菌に攻められてしまうかもしれない。太陽様が恋しい。

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今朝もずっとザアザアザアザア雨が降り続く

2017年07月07日 08時18分21秒 | Weblog

もう雨はいいなあ。降らなくともいいなあ。降りすぎた。6月は降らない降らないで来ていたのに、ここへ来て降り続いている。九州地方北部は記録的豪雨で被害甚大。鉄橋すら流されてしまった。異常事態。今日も朝からずっとザアザア雨。雨音が恨めしい。しかし、為す術はない。抵抗はできない。城原川の堤防が決壊しませんように!

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