<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それにしても淋しい

2017年07月14日 22時42分22秒 | Weblog

それにしても淋しい。罰を受けたように淋しい。他脱皮ロイ10畳の部屋にひとり。のっそり蜘蛛が出て来た。空寂。この老人にはこれがふさわしい。そう言い聞かすのだが、淋しい。寂しさがつんと山葵のように立ち上がって鼻につく。孤独の味は贅沢の味。禅の味。とろとろとろとろ、オクラの味。

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雨雲は遠くで雨を降らした方がいい

2017年07月14日 22時35分25秒 | Weblog

明日から三連休。どうしてだか三連休。亭主が家にいると家の空気は重く澱む。雲は今日は雲仙温泉、明日は小浜温泉、明後日は島原温泉に泊まる。所詮は雲だ。雨雲だ。雨雲は旅に出て、遠くの方で雨を降らした方がいい。家を離れたところで。

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ぶらりぶらり

2017年07月14日 22時31分08秒 | Weblog

ぶらりのヘチマはひとり雲仙温泉に来ている。白濁の湯。微かに硫黄臭。生ビールを飲み焼酎の水割りを飲み、また飲み、いい気持ちになる。酔いが覚めると淋しくなる。そこからが長々しい。冷房はいらない。山の上の温泉郷、ここは。

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この世に出現している僕は誰かにそれを伝えなければならない

2017年07月14日 08時42分42秒 | Weblog

僕は生きている。息を吸い込んだり吐き出したりしている。腹部がその度に太ったり細くなったりしている。そこに手を当てて生きている僕を実感する。その実感という朝の食事がおいしい。

この世に出現している僕はこのことを誰かに伝えなければならないという義務感を起こす。誰なのだろう。誰なのだろう。はっきりさせておきたいが、はっきりとはならない。

分かっていることは、その誰かとはこの世に出現していない誰かということである。彼は今のところ別の世界を生きているはずである。僕は此処にいて息を吸い込んだり吐き出したりしている。僕はこの世を生きている。

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わたしはときにいなくなりわたしはときに現れる

2017年07月14日 08時19分21秒 | Weblog

種を蒔いて育てている茄子。植え替えてあげて、いまやっと15cmほどになった。葉っぱが4枚。茎をはみ出して東西南北に広がっている。黄緑色。やや緑が濃い。周りの雑草に囲まれている。

僕が今朝になっていきなり驚いているのは倍率。小さな小さな種からするとその拡大倍率は千倍万倍にも達している。元を辿れば芥子粒ほどの大きさだったはずなのに。収縮が膨張に転じている。

さて、どっちがほんとうの姿なのだろうかという疑問にぶつかる。茄子が実をつけた時点が、収縮点。1mに育ち上がった時点が、膨張点。世界もまたこのようにして収縮と膨張を繰り返している。

わたしもそう。生まれて膨張を辿り、死んで収縮へ向かう。その運動を繰り返している。宇宙もそう。思考の宇宙もそう。わたしはときにいなくなり、わたしはときに現れる。見えなくなったり、見えるように拡大膨張したりする。

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