ブッダンサラナンガッチャーミー。わたしは仏陀に帰依いたします。帰依するというのは、全部が全部預けます、ということ。そこに、わたしの測量がない。それでどうなるかという損得勘定がなくなっている。そういうことだ。どうなろうとそれでいいのである。信頼というのは凡そそういうことなのではないか。裏切られたなどと言う必要を拒否している姿勢だ。
生まれてきたのもわたしの力ではなかったのである。わたしの裁量を逸脱した出来事だったのである。死ぬのもそうだ。わたしがわたしの力で以て成就できることではない。すっかりお任せにしておいて、それですべからく調和して完了貫徹することだからだ。わたしの生死が、わたしを度外視して進んできたのである。わたしが、よしんば介入したところで、どうにかなるものでもなかったのである。
早朝7時。はやくも夏蝉が鳴いている。草むらには虫がすだく。わたしはそれに我が耳を傾ける。そしておだやかなこころを保つ。野菜瓜の小さな黄色い花が、ベランダの自転車のところまで這い上がってきて、おはようを叫んでいる。おおなんといじらしい。わたしは来る朝ごとによりよい方へよりよい方へ導かれている。ダンマンサラナンガッチャーミー。わたしは法(ダンマ=この世を総べる法則=真如)に帰依たします。帰依の表明をしようがするまいが、帰依しないでいられたことがなかったのである。