歓喜信受作礼而去
かんぎしんじゅさらいにこ
(聴衆はみな仏陀が説かれた阿弥陀経を聞いて)歓喜し、(説かれた阿弥陀仏を信じるという)信を受け取り、(仏陀に)礼を作(な)して、而して、(説法の場である祇園精舎を)立ち去れり。
「仏説阿弥陀経」より。
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かくありたい。わたしもかくありたい。この世を去るときもこうでありたい。過ごした一生をつぶさに歓喜したい。仏陀のいます世界を生きたという信を受け取りたい。信を受け取れたことにお礼を申し添えたい。そして恭しく、心満ちて、明るい表情を浮かべて、次なる修行の地を目指して勇躍して立ち去っていきたい。
もちろん、阿弥陀仏を読経し終えたときにも、かくありたい。説かれる仏陀の教えを信じ、日常生活の中に受け取りたい。これを守りたい。これを感謝したい。こうして一日の終わりとしたい。
これは願望である。老爺の願望である。かくは安らかでいたい。老いた。老いた。老いた。去って行く日のことが頭を離れない。