<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

雨の中の農作業も楽しい

2017年04月08日 21時50分59秒 | Weblog

小雨だったけど、しとしと降る中で農作業をした。そうしているのが、しないよりも、より楽しいひとときになることが分かっていたから。農作業といってもすることは簡単。プランターから小葱を根っこから引き抜いて来て、水洗いをして、包丁で根株を切り落とし、揃えるだけだ。やることが細かい。手作業だけど辛抱が必要だ。時間もたっぷり掛かる。小葱はいま成育が著しい。春になって力強く太っている。肥料が効いて青々としている。草丈も長い。見るからに元気がよい。

気温が高い。シャツ一枚だ。そのシャツも小雨に濡れてしまった。濡れてはさすがに寒い。風邪を引きそうで心配した。小葱は明日の来客にあげようと思う。なかなかの上等なのである、これが。スーパーなんかにはこんな見事なのは売られていまい。

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諦めず幸福追求にアタックをして欲しい

2017年04月08日 09時50分59秒 | Weblog

最近発表の統計に拠れば、男性の約23%、女性の14%が未婚らしい。23%といえば4人に1人の割合だ。どんな理由があるのか。新聞はいろいろ答らしきものを挙げていた。結婚はしたくても出来ないとなると深刻だ。概して、正規雇用でなければ、一家を新しく構えたくても経済面の安定が覚束ないだろう。好きな女性に対して「わたしは生涯あなたを幸せにします」のラブコールが躊躇されるのかも知れない。ラブコールもしない弱い男性に女性は魅力を失っていく。男性に頼らなくてよいような生活を組み立てるしかない。双方が結婚しなければ当然赤ちゃんは望めない。こどもの数は少なくなる。人口は減っていく。税収も先細る。経済の隆盛は成り立たなくなる。そういう社会にどうして突入したのだろう。政治は理想社会追求の責任を現実的に果たしているのか。問いたくなる。性を持つ生命体の一つ、人類が種をも残せない社会に望ましい未来はあるだろうか。なんとも歯がゆい思いだ。当の若者たちは、家庭を作らなければ自由が満喫できるとは思っていないだろう。生んでもらったのだから、その感謝の実践として次の世代を生んでいくというのが自然である。置かれた境遇を悲観せずに、諦めないで、よりよき半分、ベターハーフとともに家庭を作るという幸福にアタックをして欲しいものだ。結婚は人間愛の基本的実践の一つでもあるのだから。

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毛虫毛虫毛虫 あちらにもこちらにも

2017年04月08日 09時27分03秒 | Weblog

ちょいと温かくなった。外に出て農作業をしていると蚊のような小さな虫がしつこく身の回りを飛び回る。うるさい。蚊ではないようだ。体温があがって発熱をしているのだろう、その胸元目掛けてやって来る。追い散らすが多勢に無勢だ。もうそんな季節になっているのだ。そろそろ毛虫も這い回るだろう。いつのまにかズボンの腰の辺りまで、シャツの肩あたりまで昇って来ている。刺されると腫れ上がる。痒い。まあ、みんな生命体。生き方に違いがあってもそれぞれの思惑で生きている。こちらに都合が悪くても非難は出来ない。シャットアウトはできない。地球を譲り合って共存共栄するしかない。彼らも此処へ生まれて来て、しばらくを生きて、何もなかったかの如くに死んで行く。

我が家の桜の古木が咲いた。葉が後に出る。するとその葉を食い散らす毛虫が大量に発生する。糞が大地を赤くする。これには閉口する。新芽を着けた椿や山茶花にもイラムシがつく。こどもがうじゃうじゃ糸を垂らして這い回る。でも排斥は出来ない。できることではない。土手道には長い毛を立てた黒毛虫が気持ちよさそうに散歩をする。毛虫嫌いにはたまらないだろうが、そうそう目くじらを立てることではないかもしれない。菊の新芽を食い荒らす虫も姿を現した。白い虫、透けて見える虫。その個数たるや凄まじい。殺虫剤を散布しないと菊は死滅する。四月五月六月は毛虫繁殖の季節。ここを凌ぐしかない。

 

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現実界からの追われ者なのかもしれない

2017年04月08日 04時05分51秒 | Weblog

こころにも春の山ありうららかな 内なる場所は自在なるべし   薬王華蔵

山桜であろう。いたるところに咲いている。山が色を染めてぽっかりと明るい。これは昨日帰りがけに人吉のあたりで見た山々。外なる場所。でも我がこころにも春の山がある。こちらも負けず劣らずうららかである。目を閉じるだけで見事に春の山が現出する。こころは自在。いつでもあざやかに写真に写してくれる。で、さぶろうはここへ隠遁を図る隠者となる。隠者といえば聞こえがいいが、現実界からの追われ者なのかもしれない。真夜中4時。此処でゆっくり春の山を満喫する。

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